老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

愚痴です。長いです。夫の事。精神科の看護師をしていたので、病気?と思ってみるのかもしれないが、精神科の病気は、支える人が絶対に必要だと思っているので、頑張るだけ頑張ってあげようと思っている。

最近、考えること

 

それは夫の事。夫とは知り合って、14年。

 

同僚として仕事をしている時には感じなかったのだが、結婚して、夫が歳を重ねることで、大丈夫この人と思うことが多い。

 

歳相応に、物忘れは起こるのだけど、ちょっと、夫の場合、怖い。

 

車の運転中に、ふわ~と車線を変更して、後方の車にクラクションを鳴らされるのに、何も感じない様子。

 

「後ろの車にクラクション、ならされたよ。危ないよ。」

 

「何が?」

 

「えっ、今さウインカーも出さずに、反対車線に入ったよ」

 

「そうかな」

 

この時は全然、自分が何をしたか理解できていない。

 

そして、道を間違う。夫は、ドライブが好きで、色々なところに連れていってくれるのだが、何度も言っている場所に行くのに。

 

「こっちだったかな」

 

「真っ直ぐかな」

 

先日も、ホームセンターに行くのに、通り越し更に、左折して、全然違う方向に行こうとする。

 

「ホームセンターに、行くんだよね。通り越したよ。」

 

「どこに行こうとしているの?このまま走ったら、全然違うところだよ」

 

このホームセンターには、猫の餌を最近購入するために、月一で買い物に来ている。

 

先だっては、猫のおやつも買うために、日を置かずに買い物に行ったのに、やっぱり、左の車線にいる。

 

「右」少し小さいな声で。

 

「右だよ。」「どこに行こうとしているの?」

 

「えっ。」

 

慌てて、後方確認せずに、車線変更をしようとする。

 

後ろから、クラクション。

 

慌ててハンドルを戻している。

 

「どうしたの?この間も、間違ってそっちの車線に入って、左折をしようとしたよね。その時にこっちだよといったと思うけど。」

 

運転中に、道を間違える事は、前からあったのだけど、それは物忘れという感じではなくって、忘れてしまっている。ドライブで一度しか行ったことがないところだったりするので。

 

だけど、最近の夫は違う。運転中なのに、ぼっーとしているというか、説明が難しいのだけど、私の中で、(痴ほう?)と思ってしまうような行動なのだ。

 

理解能力が、落ちたのではないかと。

 

話すことが理解できないのだ。

 

車を、諸費用込みで購入しようと話をしていた時にも、義母に、どう考えても予算内ではそのレベルは無理だとわかっているのに、レベルの高いオプションがついている車を勧めている。

 

予算が決まっているのに、装備は、何がついているほうが良いかとか?

 

夫が、電話を切った後、「あのさ、さっきお義母さんに話をしていたのは、変えないのわかっているよね。」

 

「自動車の書かうが高くなって、変えないよ」

 

「だって、おかんが、いるって」

 

「自分が、スライドドアあったほうがいいよねと言っていたじゃない?」

 

「変に期待させたらダメだよ」

「お義母さんたちは、息子が言うなら、買えるのだろうと思って聞いているのだから、ふたを開けたら、話が違うと、もめるよ」

 

書類などの見積もりを見る時にも、どこを見ているのか、販売店の人が説明してくれているのに、同じことを何度も聞くし、見積書に書いてあるのに。

 

家は、複雑というか、結婚をしていることを義両親は知らないので、私が表立って出ることはできないのだけど。

 

今回、夫の実家の車を、私たちがお世話になっている自動車会社に、お願いすることになったので、(私が若い頃からの付き合いで30年、夫は私と結婚してから)ここの、社長が二代目で、夫と歳が変わらなく気心も知っているので、とても親身になってくれる。

 

夫の性格も知っている、こだわりがあることも、なんだかんだと、説明がいる人だと言うことも。

 

今回は、社長と奥さんも、私たちの結婚が、親が知らないことも了解のもとで話を勧めているのだけど。

 

説明する内容が、簡単なことでも理解をしない。

 

「社長と奥さんの言ったこと、ちゃんと、お義母さんにせつめいできる?」

 

「う~ん。」

 

「わかったもういい、お義母さんに言って、車の保険貸してもらってきて。」

 

「社長に、保険屋さんに交渉してもらうから。」

 

実を言うと、義父が、事故を起こしてのをきっかけに、16年乗った車を買い替えようという話で、今回の車購入になった。

 

4年前の車検の時に古いから、買い替えるときに、夫が50万出すという話をしていたので、今回の事故で、直すと20万までしか、保険がでないと言われたので、其れなら買い替えようと、夫に相談があった。

 

それで、社長と話をしていると、買い替えるのに、車両がついていたら、廃車と言うことで、満額の20万が出るのじゃないか」と助言があった。

 

そのことを親に説明して、加入している保険会社に聞いてみてと。

 

それが、理解できない。

 

もう、何で?

 

ということで、保険交渉を、社長の奥さんが代理でしてくれることになった。

 

万事がこんな調子だ。

 

位置から順番に説明を聞いているのに、全然だめだ。

 

パソコン操作も、何度教えても、同じことを聞いてくる。

 

学習能力がないというのだろうか。

 

興味がないことは、覚えないのだ。

 

私に聞けば済むと言うことは、教えてもダメだ。

 

それなのに、好きな歴史や車のエンジンなどは、やたら詳しい。

 

経験をしたら、少しは覚えるのが普通ではないかと思うのだが。

 

簡単な計算もだ。

 

イライラするときがある。

 

この人は大学を本当に出ているのかと思ってしまう。

 

学歴があっても意味がない。

 

数学は理解できるのだが算数は苦手なようだ。

 

数学は公式を使うものが得意、小学生の頃に倣った計算がだめという訳の分からに状態だ。

 

公式のそって、解くのはいいのだけど、3キロ1800円、12キロが8400円。

 

だったらg計算をしたら、どちらが安いかわかるという説明をし、一日、いくらかかるか(犬の餌代)で比べれば、どちらが安いかわかるでしょと。

 

なのになぜか、何日も考えて、以前のほうが安いと言ってきた。

 

何をどのように考えたら、Aは、一日が、107円。Bは88円なら、一カ月のかかる餌代が出ると思うのだけど、何故か、一日分の高いほうが、安いという。

 

こんこんと説明するがわからない。

 

「もう、いい。私がお金を出すわけではないから、自分が思うようにすれば」

 

何だか私のほうがおかしいのかと思ってしまうほどだ。

 

夫の頭の理解度は何だろうと。

 

だから物事を説明するのはすごく嫌だ。

 

そして、お金に対して、凄く、何というのかせこいというか、ケチというか、おごられるのはウエルカムだが、自分がお金を出すの嫌みたいだ。

 

私はおごられるのは、好きじゃない。

 

付き合っているときはいつも私がおごっていた。

 

今も、外食を私が誘うとお金を出すのは私だ。

 

この夫との生活は、ひじょにストレスだけど、もしも私が離婚をすると言ったら、精神状態が悪くなると思う。

 

別れると言って、自分のマンションに帰ったら、ストーカーしていた。

 

喧嘩になったら、パニックというか、暴力行動を起こす、物は壊すし、DV化する。

 

何度首を絞められたり、床にたたきつけられただろう。

 

最近は、やれるものならやってみろという態度と、自分の歳老いた親のことを考えろと言っているので、首を絞めたり殴ったりすることはない。

 

私の子供たちは、この旦那が私に危害を加えるのではと、なんだかんだと、安否確認なのか、連絡をくれる。

 

っこの人は最初の離婚の時に、親と元嫁に対して、不信感を持ってしまったのと自分を信じてもらえなかったと言うことで、精神がどこか壊れているのではないかと思う。

 

適応障害じゃないかと思う。

 

なので、この頃の様子を見ていると怖いなとも思っている。

 

認知症が進んだら、暴力的に、なる可能性が高い気がするから。

 

そうならない事を願っているのだが、先のことはわからない。

 

今は、私が必要な感じなので、一緒にいるが、夫の子の様な性格は、職場の人も、夫の両親も知らないだろう。

 

夫の両親は、息子は寡黙で、頼りになると思っているようだから。

 

私と一緒になってから毎月親の元に行くように言っているし、親孝行をしろと日帰り旅行に連れていったり、ドライブに行かせている。

 

何かと、お土産なども持たせているので、気の付く息子だと思っているようだ。

 

夫が、発達障害がある気がするので、気をつけて暮らしていこうと思っている。

 

夫は、私に対しては、絶対の信頼を置いているようなのだ。

 

愛情なのか、依存心なのか、私を失うことは嫌みたいだ。

 

精神科の看護師をしていたので、病気?と思ってみるのかもしれないが、精神科の病気は、支える人が絶対に必要だと思っているので、頑張るだけ頑張ってあげようと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

感謝の心があれば自然に、当たり前のことができる。それが当たり前なのだから。後悔をしない人生を歩こうと思ったら、他人を思いやる心は大切。

とある友人の相談。

 

相談乗ってほしいことがあるとライン。

 

相談は、孫の事。

 

う~ん、孫の相談か。

 

親ではなく、祖母からの相談。

 

こういう場合は、相談の解決は、孫の親との関係だ。

 

愚痴の様な事を聞くことが、ほとんど。

 

それと相談者の性格。

 

さて、数秘方位術を利用して、相談に乗る。

 

相談の内容は、孫の行動というか躾のことだ。

 

決して、嫁の躾が悪いと言うようなことは言わない。

 

友人は、とても良い人なのだが、まじめ、天然、善悪に敏感なところがある。

 

学生の頃は、非常に真面目だったと言っていた。

 

社会人になって、はじけたと。友人と、飲み歩いたとも。

 

元職場関係での知り合い。仕事をやめて、コンタクトはなかったが、とあることで、親しい友人に。

 

本当にいい人だ。職場にいるときも、いい人だけど、思い込みが強いかなとも。

 

相談内容のことでいえば、簡単だ。知人が、対応を変えればよいだけだ。

 

ご主人から、息子に話そうかと言ってくれたと言っていたが、やめておいたほうが良い。

 

本人も、そう思って、ご主人からの話はしないで止めていると。

 

正解です。孫の躾に、祖父母が口を出してはいけない。

 

数秘方位から、嫁や、孫の性格、息子の性格も、わかるので。

 

相談の助言をする前に、確認をさせてもらった。

 

占いをして、確認をするのは、自分が占っていることが、的確化ということを確かめるために、私の場合は、不可欠だ。

 

霊能者ではないのだ。

 

占いは、統計学だと思っている。

 

さて、彼女に、嫁と息子の正確や普段の行動は、こんな様子ではないかと。

 

嫁のあなたに対する言動は、こんな感じかな?

 

そうですと。

 

彼女の性格もあるのだけど、お嫁さんが義母を苦手としている様子。

 

彼女は、当たり前のことができない事について、気に入らない様子。

 

孫が、お礼を言わないとか喋らないとか。

 

彼女は、とてもやさしいし、私からすれば天然ぽっくて、面白いのだけど、子供たちやお嫁さんからしたら、怖いタイプだと本人に伝える。

 

どんなところかというと、彼女自身気づいていないけど、他人を観察するところがあり、心が開いていないというのだろうか。他人を受け入れるという感じがない人なのだ。本人は、そんなつもりはないのだろうけど。

 

相談の答えは、躾の問題は、親の仕事なので口出ししないことがいいと思います。

 

それから、孫たちがしゃべらないことや、ありがとうを言わないのは、ばあちゃんが怖いと思っているみたいなので、あなたから、声をかけてあげないとダメだよと。

 

孫のことも、人間関係の悩みだと言うこと。

 

彼女は以前から、孫が懐かない、抱っこもしたことがない、(抱っこをすると赤ちゃんの頃すぐに泣かれて、抱けなかった)(はいはいしても、自分の所には来なかった)と言っていた。

それはですね、「笑顔がないから。あなたが緊張して、怖い表情になっていたから、だよね」と私。

 

子供はそいう感情に、敏感だから。

 

構えているでしょ。始めから。

 

仕事をしている時、笑顔でいることがあまりなくって、いつも真面目で、でも、話かけると返事が、頓珍漢で、ギャップ萌えをするけど。

 

それは、仕事で接点を持っていたからわかることだけど、あなた自身は、自分からのコミニュケーションは取れない人でしょ。

 

お孫さんたちは、子供だよ。大人ましてお嫁さんが、義母を苦手としていれば必然的に、お孫さんも苦手になる。

 

お孫さんの言動を変えたいと思うなら、あなたが変わればいい。

 

ジュースを買ってきなさいと言って、お金を渡したら、言葉も言わずに、レシートとおつりを差し出したなら、チャンと買ってきたレシートとお金を、渡してきたことをほめてあげれば、いい。

 

「チャンとレシートも持って帰ってきたのね偉いな」と褒めるのと、この子は何も言わないでと思うのでは、表情が違う。

 

きっと、そんな時はあなたは怒った顔をしているのだろうから、お孫さんにすれば怖いでしょ。

 

でも「偉い」と褒められれば、喜ぶから、自然と笑顔になる。そうすれば、あなたも、良い気持ちのなるよ。

 

相手を変えたいならまずあなたが変わらないとダメだよ。

 

そうか、わかった、やってみる。いいところを見つけて、もっと声をかけることと、躾には口を出さないだね。

 

そうそう、でもね、お孫さんが家にきて、してはダメなことは、親に言うのではなく、その場で、あなたが叱らないとダメだよ。

 

でないと、ばあちゃんは、パパやママに私の悪口を言うと思われるからね。

 

それで、自然に、しつけはできるものだから。当たり前のことを当たり前に注意をすることは大切。

 

そして、しつけは親の仕事。だけど、その都度の、しつけはその場所にいる大人のの仕事だよ。

 

彼女は、ちょっと、独特なタイプ。

 

人に寄ったら、気難しいと思うかもしれない。喜怒哀楽があまり出ない人で、善悪で物事を判断してしまう。

 

決められたことを守らないといけないと、でも、物事には、臨機応変が必要だし、人間関係においては、それぞれの考え方や感情が入るから、正しい事がすべて正しいとは限らない。

 

だから、型にはめることよりも、その時の状況で、判断して、正しいことをするにはどうすれば良いかと考えることも大切。

 

相手を思いやることで、待つこともできるし、大人としてどうすれば良いかがわかると考えているのよ私。

 

彼女は、本当にコミュニケーションが苦手な人だ。そのため旦那さんとも、うまく関係の構築ができていないと言っていた。

 

それは、タイプが違うからだろうけど。

 

自分が嫌なことをされるのがすごく嫌。

 

家族に対して、自分の考えを、押し付けているところがある。

 

でも、自分を変えることを努力しているところがあるので大丈夫。

 

いつも思うことだけど。後悔をしない人生を歩こうと思ったら、他人を思いやる心は大切。ルールを守ることは大切。

 

でもルールに縛られることはどうかと思う。

 

低学年の子供が、当たり前のことができていないと思うなら、その時に教えればいい。経験をさせればいい。

 

できて当たり前と思うほうが、しんどい。

 

できていないなと思えば、言えばいいだけ。

されて嫌なら、それを伝えればいい。睨みつけたり、威圧感を与えたら、怖いだけ。

 

これは大人社会でも同じだと思う。

 

当たり前のことができていない大人が多いのだから。

 

感謝の心があれば自然に、当たり前のことができる。それが当たり前なのだから。

 

 

 

 

 

 

私という人間。自分を分析するのは大好きだ。 60歳を超えると何も隠すことはないが、自慢できることもない。

私という人間。



自分を分析するのは大好きだ。

 

60歳を超えると何も隠すことはないが、自慢できることもない。

 

人生100年時代を生きていくには、まだ、時間はある。

 

それで、時々過去を振り返ってみる

 

過去を振り返るのは、脳の刺激になってよい気がする。

 

幸せとはと考えることがあるのだが。

 

価値観で、幸せの定義は、人それぞれの様な気がする。

 

私にとって何が幸せかを考えるにあたって、子供の頃のことと比べることが多い。

 

多分、子供の頃は、辛いとか苦労したとか全然思っていないのだが。

 

その当時に我慢したということがあるのかもしれない。

 

生まれた環境は、選べない。

 

その中で、私の場合は、大人になったらと常に思っていた。

 

大人になって働いて、親孝行するんだ。

 

美味しものを食べる。

 

ほしいものを買う。

 

貧乏な生活は嫌だ。

 

家を買う。

 

など、生きることに夢を持っていた。

 

だから、現実的な考えする子供だった。

 

友達と遊ぶことは少なく、家事をすることや弟の面倒を見ること。

同級生とは、学校だけだった。

 

だからといって、友達からハブられているわけではなく、学校ではそれなりの生活を楽しんでいた。

 

その当時、私の歳の子供が、集まって遊んでいることは、あったのだろうが、私は学校が終わると急いで家に帰った。

 

遅くなると母親に会えないから。母がホステスをしていたので、夕方には、仕事に行くから。

 

昼間は、寝ているので、仕事に出る数時間が、母と一緒に話ができる時間だったから。

 

中学生になると、クラブ活動で少し、遅くなると母はいなった。

 

まだ私の子供の頃は、共稼ぎの家庭は少なくて、母親は家にいる家庭が多かった。

 

私も大人になったら、お母さんが家にいて、「お帰り」と言うような家庭をもちちたいと思っていた。

 

子供の頃は、自分の周りがすべてだし、他の事と比べることがない子供だったので、他の家の子のことを、うらやましいとか思わなかった。

 

今現在も、自分のことを考えると、かなり、幸せだと感じている。



言いたいことを言わせてくれる夫。

 

体を壊して、持病持ちになったけど、働かなくても、良い状態。

 

子供たちは、心配な子もいるけれど、悪いことをするような子はいないので、頑張ってくれるだろうと信じることができる。

 

そして、何が一番幸せかというと、子供たちに愛されていると、感じることの人生。

 

私は家族に縁がないと言ったらない。

 

両親は、それぞれ100年時代というなら、早くに亡くなった。

 

姉妹弟がいるが、二人の妹とは、養子に出されたため、一緒に暮らしていない。

妹たちとは、20歳前に、あった。

 

だけど、環境の違いや、両親から養子に出された子供と、両親の側にいた私たちとでは、家族という絆は、繋ぐのは難しい

 

すぐ下の妹とは、割と長く交流があったが、考え方や思いが違っていて、ある日、けんか別れ。妹は、自分は親に捨てられたといつも言っていた。

 

私は、親の元にいたからと言って、幸せとは限らないと。

 

毒親のような親といるより何不自由なく、暮らしたほうが幸せなこともある。

 

それは自分の受け取り方次第ではないかと。

 

末の妹は、ちょっと壮絶だったのかなと思う。

 

育ての親が、目の前で自殺したらしいから。

 

すぐ下の妹は、末の妹が、自分の姉妹だと知らずに遊んでいたと、養母に教えてもらったと言っていた。妹は、あっけらかんと「虐めて泣かせていた気がする」と言っていた。小学校が同じだったらしい。

 

そのためか、末の妹は、凄く、嘘つきだった。初めて連絡を取った時に「お金頂戴」と言われた。

 

私はなんで?と思ったが、お金を送った。

 

この初めてのコンタクト後に会うことになったが、私のことを誤解しているようだった。

 

会社の社長の奥さんでお金持ちと。

 

ブランドの物を持っていないのかとか、家はとか。

 

私は当時、自営業をしている夫と、結婚していたが、会社とは名ばかりの、小さな製麺業をしている会社だった。



奥さんが、家事も、会社もすべて切り盛りをしないといけない状態だった。

 

よくわからないけれど、自分の夫の家族に、自分の姉は、凄い金持ちだと。

 

仕事もせずに遊んでいるような感じだった。

妹達は、関西に住んでいるので、会うためには新幹線で会いに行かないといけないので、会ったのは、一度きりだ。

 

どんな親の都合で、養子に出されたのかわからないが、自分の親の事ながら、あまりいい話を聞かない。

 

下の妹からは、私たちは売られたのだと言うし、父親が、養父に何度もお金を、無心に来たと聞かされた。

 

さもありなんと思った。

 

そう、父は、良い人なのだが、お金を借りることそして踏み倒す。

 

父にあった人は、始めは良い人と思うだろう。気前が良くて、親切。

 

でも、ある意味詐欺師じゃないかと思う。とても、よくしてあげるけれど、必ず、お金を借りるから。

 

これは、大人になって、気づいた事だけどね。

 

父の実家は、布団屋をしていたのだけど、布団を注文して、踏み倒す。

 

叔父の嫁から、父が亡くなった時に、実家の墓に埋葬させてくれないかと相談に言ったら、ぼろくそに言われた。

 

この時ばかりは、心の中で、生きている時に迷惑をかけたかもしれないが、死者に鞭打つことを言うあんたなんか、自分の子供から、同じ思いをさせられるからと思った。

 

この時に祖母から、「ごめんね。もう嫁に、全部任せているから、何もしてあげられない」と。祖母は、私とは血のつながりがない。後妻だから。でも、私はこの無口でいつも、怖い顔をしている祖母にかわいがってもらっていた記憶しかない。

 

「おばあちゃん、気にしないで、お父さんが悪いのだから。元気で長生きしてね」これが最後だ。今生きているなら80歳以上の高齢者。母と年齢が変わらないと聞いている本当かどうかは、不明だけど。

 

それからは、父の実家とは疎遠だ。だから、祖父が亡くなったのも知らないし、叔父が今どうしているかも知らない。

 

人間関係において、血のつながりがあるからこそめんどくさいことが多いのかなと、思っている。

 

それにしても親がちゃんとした付き合いをしていないと、血のつながりなんて、意味がない。

 

さて、一緒に育った姉弟はというと。

 

弟とは、疎遠。もう、20年近く会っていない。同じ町に住んではいるが。

これまた、お金の事から

弟の生き方が、私には合わないから。不義理をすると言うのかな。

何故か、私を金のなる木と勘違いしているようだ。

 

結婚をする時に何故か相手方に「二番目の姉と相談してと」。

 

もう、それを聞いた私は???。

 

何で、私が結婚費用の話をしないといけない?

 

それから、こじれた。

 

弟も、私からお金を借りても一度も、返してもらったことがない。

 

補足だが、私の家族は、私からお金を借りたも、返さなくてよいと思っているらしい

 

だから、弟とは、最初の離婚の話をした時から犬猿の中だ。



弟の浮気で離婚することになった時に、二度と会わない、弟でも姉でもないと。

 

それから、母が癌だとわかった時に、一度会ったきりだ。

 

姉とは、ある意味、良い関係を、保っている。

 

といっても、姉ともしばらくは連絡を取っていなかった。

 

なぜって、すぐにお金を貸してと言われるから。

 

母の癌がわかったころ、交流があったのだが、その当時に姉を通じて、弟の浮気相手の(この頃は結婚していた)出産費用を貸してと。

 

弟は、自分から言っても貸してもらえないだろうからと姉に、お願いしたようだった。

でも、姉にも断った。

 

「あのね、子供って、今日できて明日生まれるわけじゃないよ、ある程度は、貯金もしないといけないし、第一、貸してというなら、返済はこうゆうふうにすると言うならわかるけど。」

 

「大の大人が二人で、生活して子供の出産費用がないって。ごめんわたしね、母子家庭だよ。何でその私から、お金を借りようと思うわけ。」

 

「返す当てがはっきりとわからないようなお金は貸せない。それに姉さんには悪いけど、姉さんの保証でも貸せない、姉さんが保証するなら、姉さんが貸してあげればいいのでは。」

 

そんなこともあり、暫く、何年もだけど、姉とも疎遠だった。

 

何のきっかけか忘れたけれど、姉と交流を、再開。

 

で、すぐに、アパートの引っ越し費用をかしてくれないかと。

 

もうさすがに、あのねと思っちゃった。

 

「貸せないわ。前と違って、今は再婚して、旦那が居るから、お金を貸すなら、やっぱり言わないといけないから。ごめんだけど、姉さんも結婚しているのだから20万円くらいなら、旦那さんが用意するべきじゃないの?何で、姉さんが、かりようとしているの?わかんないな。」

 

というようなことがあって、姉はそれからはお金の子とは言わなくなった

 

たまに連絡を取るが、凄く、近い姉妹関係ではないと思う。

 

それによくわからないのだけど、姉は、自分の子供の結婚式に、私をよんだことがないし、結婚の連絡もしばらくたってからだ。

 

いまだに、姉に甥っ子と姪っ子の結婚式に呼んでくれなかったのか聞いたことはないけれど。

 

だけど、娘の成人式の時には、私に着付けを頼んできた。

 

着物を着つけることも、髪をセットもできる。

 

弟の結婚式では、私たちの着付けは私がした。お金のかからない人なのです。私。

 

成人式の着付けって、お金かかるからね。写真も撮ると言うとかなりなものなんでしょうね。

 

知らないけど、息子しかいないから。

 

と言うことで、姉とは、まずまずな関係かもしれない。

 

さて、幸せを考えてみると、幸せだ。

 

子供の頃、ほしいと思うものを買えないような生活をしていないし、マイホームもある。



引っ越しをしなくていい生活、子供頃からの自分の家。かなっているじゃない。

 

体を壊して、働かなくてもよい生活。

 

ひもじい思いをしなくてもよい生活。

 

自分が望んだ生活をしている。

 

この歳になって、こうしたいとか、ああしたいとかはない。

 

だからといって、無気力ではない。

 

生活を楽しんでいる。

 

ニュースを見て、ブログに書いたり、猫を保護して癒されたり。



時々、占いをして、悩みの相談に乗ったり。



大好きな季節の花を見に連れていってもらったり。

 

とても、穏やかで、子供の頃に臨んだ生活をしている。

 

誰かに、感謝できること。私の中では、今のこの幸せをくれた神様だ。



夫とは、盛大に喧嘩をするし、息子達のことはまだ心配ではあるけれど、成人してくれて、一応、みんな、それぞれが生活してくれている。

 

自分の日常生活だけを考えて、いられるのんびりした幸せ。

 

将来、今のままで、変わりがないのかなと思っている。

ウクライナとロシアの戦争のようなことや、災害に巻き込まれない限りは、幸せな日常だ。

 

しいて言うなら、夫とのことかな。

 

夫の両親が高齢者、夫は、長男だから、どうするのかなと。

 

だけど、私は変わらないだろう。やっぱり、生きていることが幸せだと思って今日を、楽しく生きていると思う。



幸せは、自分が感じることだから、自分なりの幸せを探せば、良いかなと思う。

 

文字にすると、頑張って生きることが幸せになることだと、心から思う。

 

ウクライナ公式垢を見て。侮辱にもほどがあると怒りが。天皇陛下がおられるから、日本は、日本国という国なのだ。

Twitterで、ウクライナ公式垢で、昭和天皇が、ヒトラーと同じ扱いになっている、発信を見ました。


www.youtube.com

天皇陛下を侮辱されることは、もうそれだけで、許せない。

 

自分達は助けてと支援を叫び、手を差し伸べている国に、唾を吐きかけているようなものだ。

 

ソ連が、日ソ中立条約を破棄し、日本が無条件降伏をしている時に、侵攻してきて、北方四島を自国領に編入

 

ウクライナ人も、もとはソ連人と言うことなのだろう。

 

本当に、ロシア、韓国、中国、北朝鮮と変わりがないではないかと思うのは私だけだろうか。

 

こんな国に、同情し、早く、戦争が終わることを祈っていた自分が、馬鹿みたいだ。

 

私は、戦争を知らない人間だけど、だからこそ自分の国である日本の歴史の勉強が好きだ。

 

昭和天皇の事や、私たちのルーツや、神々の国である日本が大好きだ。

 

日本は、虐殺もしていないし、どこの国にも侵攻もしていない。

 

世界の平和を願い、戦ったのだから。


www.youtube.com

日本がかかわった国は、発展しているじゃないか。

 

ウクライナの国は、この戦争が終わったら、震災から立ち直った日本からの知恵や援助を期待しているようなことを言っていたが。

 

助ける気持ちにもならない。

 

天皇陛下を侮辱することは、日本人、日本国を、侮辱することだ。

 

知らないから、日本人が発信していないからだと言う人もいるが、知らなければ何でも許せるのか。

 

認識の違いだと言うなら、虐めもそうだ。

 

いじめたと思っていなかったら虐めの自覚はない。

 

そんな死ぬほど悩んでいたとは、思わなかった、知らなかったと言えば許されるのか。

 

日本は、島国だからかも知れないが、他の国がどう思っているのかなんて、感じないのではないかと思う。

 

私は子供の頃から、祖父や父から、戦争時代の話を聞いていたから、学校で教えてくれなくても、気にならなかったし、自分が日本人であることを誇りに思って生きてきた。

 

国が他の国に発信するのことも大切だけど、其れよりも自国の、日本人が自分の国の歴史を知るべきだ。

 

今回のことで、政治家もしっかりと自分の国のことを勉強しろと言いたい。

 

本当に、国のことを考えているなら、天皇陛下が侮辱されたのだからしっかり抗議しろ。

 

愛知県の時も、天皇陛下を馬鹿にしたようなことをされたのに今田に、あの知事はやめずに政治家をしているし。

 

本当に他のことは我慢できるが、天皇陛下を侮辱するのだけは許せない。

 

日本の神々に、日本国民の繁栄と平和を願って、神官の最高地位に居られる天皇陛下

 

キリストのイエス様と同じ。

 

神々に一番近いお方なのに。人でありながら、それを超えてさらに高みに居られる。

 

そこから、祈りをささげていただいている天皇陛下

 

天皇陛下がおられるから、日本は、日本国という国なのだ。

 


www.youtube.com


www.youtube.com


www.youtube.com

野良猫親子を、保護して困っていること。餌の事。みんな、どうしているの?

猫のご飯って、一日二回が多いのかな。

 

先住猫の茶々が家族になったころ、獣医師に、食事は、一日2回ですかと聞いたら、「猫は自分で、食べる量を決めていますから、決めてあげなくてもよいですよ」

 

そうかと思い、一日分を測って、少しずつ。

その中で、茶々が食べたいアピールをしてきたら食べさせていた。

 

茶々は、お腹がすくと、エサ入れの前で、鳴くので、お皿に入れてあげる。

 

一回量が少しずつ、一日に6~7回にわけて食べる。

 

おやつ類は食べない。

 

アレルギー体質のためか、グレンフリーの餌だけ。

 

子猫の頃は、チュールも食べていたのだけど、最近は、チュールも外出時や旅行に行った時に、食べるだけ。

 

兎に角、何をあげても匂いは嗅ぐけど食べない。

 

そんな茶々とのネコ生活。3年間。

 

そこに野良猫親子。

 

保護した頃は、猫部屋だったので、一日二回。



朝と夕だったのだけど、家の中を自由に開放してから、茶々が食べるときに、ほしがるようになった。というか、茶々が残しているものを食べる。

 

母猫の鈴と白ぶちの福ちゃんは、少量ずつ、茶々と同じなので、まあ、いいかなと思っていたのだけど。



白黒のハチワレの小鉄が、自分の分を食べて、さらに、鈴たちの残したものも食べる。



保護した時から食欲のある子だと思ったけど。

 

なんか、暇があったら食べているような。

 

小鉄は、早食いで、自分の分を食べて、母猫の鈴の餌を横取りする。



鈴が、嫌がればよいのに、さすが母猫、譲るのだ。

 

「鈴ダメだよ、自分が食べないと」

 

小鉄ダメだよ、お母ちゃんのを食べたら」

 

なんて、毎度声をかけていた。

 

そのせいで、小鉄の体重が、5キロ超えている。

 

お腹周りが43㎝。

小鉄のダイエットをしないといけなくなったらどうしようと悩んでいる。

そして、もう一つの悩みが、福ちゃん。

 

福ちゃんは、凄く食が細くて、測った分量の餌を食べない。

 

それで、夫が、とろーり(チュールと同じようなもの)をかけて、食べさせていたため、毎回、とろーりをかけないと食べない。

 

福ちゃんも、何でも食べる子ではなく。

茶々よりは少しはおやつも食べるけれど、カニカマのおやつは大好きだけど、他の物はちょっと食べて、二度目は食べない。

 

まるで、飼い主に気を使って、少しだけ食べるみたいな。

 

スレンダーな子は、食事も細いのかな。

 

白い猫は、食が細い?

 

福ちゃんに関しては、少し、とろーりを餌にかけて、食べるだけ食べてもらい、できるだけ、とろーりを少なくしていっている。

 

だけど、とろーりをつけないと、食べずに餌の前でじっと待っている。

 

家に開放してから、福ちゃんが「ごは~ン」というような鳴き声を。

鈴と小鉄も集まってきて、私が、餌を用意するまで、私の足元で鳴いたり、テーブルの上に上がってアピールしたりと忙しい。

 

なのに、福ちゃんは、とろーりをかけてくれるまで、私を見ている。

 

鈴は、ご飯をちゃんと調整しているので大丈夫。

 

小鉄の父猫も、ちょっとおデブ(野良猫なのにね。とても、人懐っこい。小学生達にも人気者)だから、よく似ていると思うけど、でもね、太りすぎは良くないよね。

 

茶々は、数回に分けて食べる子だから、餌を入れると小鉄が、食べにくる。

 

茶々は、小鉄が(嫌い?)苦手なのか直ぐに逃げる。餌を食べられてしまう。

 

だから、小鉄がどんどん、おデブに。

 

獣医師は、自分で食べる量を決めていると言っていたけどな。

 

それに子猫の時はしっかりと食べさせてとも言っていたし。

 

だけど、今月で一歳になる。

 

茶々も三才までは、体が大きくなっていたから。

 

小鉄も、三才まではしっかりと食べさせたほうが良いのかな。

 

ダイエット用の餌をと思っても、茶々の餌も食べているし。

 

茶々の餌はおいしいみたいで、自分達の餌よりも好きみたい。

 

多頭飼いをしている人たちは、食欲の違う猫たちの、食事はどうしているのだろう。

 

本当にダイエットをさせないといけないと、猫部屋に隔離しないといけないかもしれない。



 

自分らしく生きることについて。昨今、人生100年時代と言われる中で、60歳を超えて、残りの人生あとどのくらいだろうと考えることが多い。定年後、20年の人生か。

自分らしく生きることについて。

 

昨今、人生100年時代と言われる中で、60歳を超えて、残りの人生あとどのくらいだろうと考えることが多い。

 

私の子供の頃は、定年は55歳だった。

 

今は、60歳から65歳になろうとしている。かつ、70歳までの雇用も、勧められている。

 

そんな情報を耳にしながら、定年から残りの人生は、20年くらいだろうかなと思う。

 

55歳定年なら70歳。

 

65歳定年なら85歳。

 

70歳定年なら90歳。

 

なるほど、長い間働いて、働かなくてよい生活は20年か。

 

私は、慢性腎不全があり、60歳定年の職場を退職した。しばらくして、パートに出たが、一年半でリタイヤ。

 

思ったより、体がきつかったから。

 

今現在は、63歳だが、完全に仕事はしていない。

 

慢性腎不全の持病と向き合い、少しでも、体調管理をして長生きをしたいと思っている。

 

自分らしく生きることを、目標に生きてきた。

 

そのために、無理をしたこともあるが、自分にとって何が幸せかといつも考えていたので、振り返れば、幸せな人生で、自分らしくを、頑張っていると思う。

 

そして自分らしくいことは、感謝の気持ちを、忘れないことだと。

 

何に感謝をするかというと、何故か、神様になのだ。

 

病気になったことも、今こうして、働かなくても生活できることも、全てを、感謝として受け入れることができる。

 

子供時代は結構ハードだった。

 

若い頃は、生活を考えて、歳をとったら、楽になるためにとがむしゃらに起こる出来事に、必死に、頑張っていた。

 

だから、仕事をすることも、子育てをすることも苦ではなかった。

 

自分らしくあるために、自分の人生を生きることに一生懸命だった。

 

そのためか、友人と遊ぶとかいうことはなかった。

 

20代の頃、結構、交友関係はあったがそれはすべて仕事だった。

 

この時代は、私の人生で一番、華やかだったかもしれない。

 

奇麗なものを身に着け、おいしいものを食べて、女性としての楽しみがあったかな。

 

それでも、それは私の人生の一部でだけど、自分らしくではなかったと思う。

 

保険の仕事やその当時に交友のあった人のおかげで、華やかな世界に暫くいられた。

 

子供の頃貧乏だった私からは、想像のできない生活。

 

ひもじい思いをした幼少の頃のことを考えると、夢のような時間だったと思う。

 

でも、その世界に入り込もうと思うことはなかった。

 

堅実な生活が自分には、合うと思っていたから。

 

華やかな生活は若さゆえだと思っていた。

 

自然体でいられる自分で、いることが大切だったのだと思う。

 

母のようになりたくないと思っていたのかもしれない。

 

母は、女である自分が好きだったのかと思っている、恋愛が好きで、楽しいことが好き。だから、ホステスという仕事が、性に合っていたのだと思う。

 

母は、ホステスをしていたけれど、崩れた感じが出ない人で、ホステスというより生活感のない不思議な人だった。

 

私は、20代の頃、華やかな、会社社長や、弁護士、医者の世界の人たちとは、自分とは違う世界の人だと思っていた。

 

でも、この人の上にいる人たちの考え方や、人に対する行動は、勉強になった。

 

今も、そのころのことは懐かしく思うが、それも人生の中の経験だったと思う。

 

子供が4人いて、今働かなくてもよい生活をさせてもらっていることは、神様からのご褒美だと思っている。

 

普通なら、母子家庭だから、お金もなく、病気持ち、かなり悲惨ではないだろうか。

 

三度の結婚をしての今の生活だ。

 

他人に依存する気がないので、自分の治療費など、自分にかかる費用は、すべて自分でしている。

 

簡単に言えば、いつ今の結婚を解消しても、問題がない状態と言うことだ。

 

自分らしく生きるために、誰かに頼りると言うことを、したくない

 

今、結婚をしていることも、私にとっては、必要かと言えば必要ではない。

 

ただ、今の夫の状態を考えると、一緒にいてあげることが必要なのかなと思っているだけだ。

 

一緒にいて、できることをしてあげているだけ。

 

たまにめんどくさいと思うこともある。

 

しかし、誰かと暮らすと言うことはめんどくさい物だろう。

 

自分らしく生きるために、何か、不屈の事が起きても対応できるようにと、考えている。

 

これは、自分の性格なのだろう。

 

私は、他人に対して、来るものこばわず去る者追わずだ。

 

他人が必要だと、私のところに来るなら、それは、自分のできることで答える。

 

自分は、他人に何も求めない。期待しない。

 

性格的に無理だから。子供頃より大人を信じていないから。自分も大人ではあるが、子供の頃の環境のせいではないかと思う。

 

育ててもらった親の生活が、人を信用できないと思うようになったのではないかと思っている。(私って人間不信っぽいのかしら)

 

自分らしくいるために自分に正直でいることが他人を傷つけてしまうこともある。

 

だからなのかもしれないが、自分らしくいたいと思うと、他人とプライベートを共有しようと思わない。

 

ここまでというラインを引いてしまう。

 

だから、他人と付き合うのは、私を必要としてくれている間だけだ。

 

と言っても、私の力以上のものを望まれたら、できないから、関わらないけど。

 

もしくは途中でも、リタイヤする。

 

自分らしく、生きることは、笑顔でいることの幸せ、感謝の気持ちを忘れない事。

 

私は、宗教は否定しないけれど宗教団体、宗教法人は嫌いだ。

 

私が、感謝するのは、私でいることに幸せを、感じさせてくれている神様に対してである。

 

神様がどんなものかわからないけれど、それでも口に出るのは「神様に感謝」だ。

 

今の状況が幸せだと思える自分が好きだ。

 

自分らしく生きることは、けっこう難しいのかもしれない。

 

孤独ということを感じる人が多いかも。

 

私も、子供の頃は、友人が多いほうがいいとか思っていたこともあるけど。

 

今は、他人とかかわらなくても寂しくないし、人は人と思っている、

 

どんなに相談事や話をしても結果、他人にとっては他人事だから。

 

人生は、その人の物で誰一人として同じ人生はない。

 

だから、似た事のある出来事はあっても、考え方や思いが違えば経験としての影響が違うから、共感できないこともある。

 

同じことを経験しても、人によってはそんなことと思う人もいるし、すごくつらくて死にたくなるような人もいる。

 

自分らしく生きるためには、常に、自分が楽しく感謝の気持ちを忘れない状態だと思う。

 

 

 

 

 

 

虐めのニュースや戦争で亡くなる人の事思って、考えること。他人をに危害を加えることは、悪だ。虐めで自殺したら、ダメだ、いじめた人は何も思わないから。他人に危害を加えることに正義はない。、

インターネットで、色々なニュースを見ていて、虐めや自殺をしたニュースを見ると、感じることを、還暦超えた私が、思うことを書いてみよう。

 

私は、戦争が終わって、13年後に生まれ、この歳になった。

 

高度成長期の時代で、周囲は、にぎやかな時代だった気がする。

 

でも、私の両親は、今でいう毒親

 

幸せな子供時代を過ごしたかというと、違うと思う。

 

親のせいで、嫌な思いというよりも、我慢を強いられる子供時代だった。

 

虐めだとか、辛い思いをして、自分の人生を、捨てないでと言いたい。

 

過酷な環境で育ったから思うのは、死んだらダメ。

 

死んでも何もいいことなんかない。

 

私は死んでないからわからないけど、精神、魂というものがあるとしたら。

 

さっきまで、生きていることで、かかわった人と、かかわれなくなると言うことを、考えてほしい。

 

人という器から、「死」というもので、「生」でかかわった人と、二度と思いも伝えることができなくなると言うことを。

 

人として、「死」というもので体とから、抜けるときには、まだこの世にいるのではないかと思っている。

 

その時に、自分のことを思って悲しんでいる両親、兄弟、友人を、見ることになるのではないかと思う。

 

その時に、まだ、「生」としての意識があったら、悲しいことはないだろうか。

 

後悔しないだろうか。

 

そして、人が一人死んだって、世界は変わらない。

 

今、戦争が起こっている国では、毎日、たくさんの人が亡くなっている。

 

それでも、遠く離れた日本では、ニュースがなければわからないだろう。

他人のために自分の人生をあきらめてはダメ。

 

私は自分を傷つけるのは自分自身だと思っている。

 

ウクライナとロシアの戦争で、ウクライナ人たちは、ロシア殻いじめを受けているようなものだ。

 

その中で、ウクライナ人は、戦っている人もいる。避難している人もいる。

 

彼らは、自分の人生を考えて「生」を、大切にしているから、戦う人、避難することを選んだ人。

 

虐めがあれば、逃げることも大切。

 

誰のために、それは自分の為とあなたを思っている人が必ずいるのでその人たちのために。

 

あなたに危害を加える人のために死んではダメ。

 

その人達は、決して、あなたの死から何も学ばないし、後悔もしないし、変わらない。

 

あなたが望むような結果は、ない。

 

あなたが死んだとして、「あっ、死んだんだ。ふ~ん」「本当に死ぬなんて馬鹿じゃない」「関係ない、死にたかったから死んだんでしょ」

 

この程度だ。

 

虐めのニュースを耳にする。

 

その都度思う、お願いだから、お母さんやあなたがかかわった来た優しい人たちのことを思って、死なないでと。

 

虐めの結果、死んでも、何も変わらない。それよりもあなたが変える人になって。

 

学校に行かなくったて、いい。

 

生きてと思う。

 

自分が大人になれば、自分ができることがあるから。

友達なんて、いらないよ。

 

私はこの歳でも、友達を必要としない。

 

だって、死ぬときは絶対に1人だよ。

 

それなら、自分の人生を、後悔しないように、生きるほうがいい。

 

家に引き込んで、毎日本を読めばいい。

 

今はインターネットの時代だから、本が必要ないと思うかもしれないけど、読書は、思考力を豊かにする。

 

自分で考えることができる。

 

いろんなことを知ることになれば、他人は必要がない。

 

人とかかわらなくても生きていける。

 

本当に、自分に人が必要だと思えば、その時にどんな人と付き合えば自分が、自分でいられるかで、付き合う人を決めればいい。

 

どうしようもないことはある。選べないこともある。

 

自分は女が嫌だと思っても、それを変えるの至難の業だ。

 

自分の今の環境が嫌だと思っても、成人していなければ、変えることも選ぶこともできない。

 

大人なったとしても嫌なことはある。

 

だけど、子供の頃よりも、選択することができるし、ある意味ルールを守っていれば、何でもできる。

 

今は逃げ出していい、戦える自分を作ってほしい。

 

いじめる人間がいるなら、そこから逃げていい。

 

だから、「死」だけは選ばないで。

 

あなたが大人になって、発信していくことが世界を変えることになる。

 

殺されることはあるだろう。それは、心だ。

 

心が殺されると「死」の誘惑に負ける。

 

だから、負けないで、負けそうなときは、忘れないで、あなたがいなくなったら、あなたのことを思っている人の心が、死んでしまう。

 

あなたを虐めた人ではなく、あなたを愛している人の心が、悲しみに後悔をする。

 

虐めをする人たちに勝つことは、あなたが、生きていくこと。

 

死んではダメだ。

 

死んだら、あなたの思いは誰にもわからない

 

今も、虐めや悲しい思いをしている人に、言いたい。死ぬことで解決することはない。

 

凶悪な犯罪を犯した犯人は、反省などしていない。

 

ましてや、少年法などというものや、学校というもので、悪いことを悪い事と教えることもやめさせることもできない。

 

なのに、子供だから、少年だから、少女だからというだけで、他人に危害を、与えることの危険、それを教えることはできない。

 

へその緒をきって、母親から離れた時から、自立は始まっている。

 

人として、扱うべきだ。子供だから少年だから、少女だからなんて関係がない。

 

「人間」であることを、自覚させないといけない。

 

だけど、間違った保護のもとで、大人という偏見で、子供を見ているから、間違った判断をする。

 

虐めなどで「死」を考えている人は、死なないで。

 

成人していないと言う前に、「人間」として、「人としての尊厳」のみで、指導なり、教育なりをするべきだ。

 

ルールを守って、意味のないに、保護はいらない。

 

 

 

野良猫保護8ヶ月。シャーシャー言っていた母猫の鈴の変わりようがすごい。

野良猫保護8カ月。

 

シャーシャー言っていた母猫の鈴の変わりようがすごい。

f:id:compass-life:20220208222822j:plain



ゲージから、猫部屋に開放したら、しばらくは、猫部屋で過ごしていたのだが、一階で一人でずっとすごし、猫部屋に戻らなくなった。

f:id:compass-life:20210829162455j:plain

 

猫部屋に戻るのは、朝の餌やりの時間だけ。

 

一階はすぐ玄関があるので、脱走したらと心配していたのだけど、玄関を開けても、全然逃げない。

 

玄関が見えるソファから、動かない。

 

野良猫って、逃げ出すのがほとんどと聞いていたので、かわっているなぁと思っていた。

 

同時に、野良猫生活が、それだけ過酷だったのかなと思った。シャー、シャーいうけれども、ここは、寝るところがあり、ご飯もある。子供たちもいるしということかな。

 

鈴とかかわるのは、餌をあげる時だけ。そんな状態がずっと続いた。

 

それでも、時々、猫じゃらしで遊ぶこともあった。

 

鈴は、私が座っているソファに、日中座っている。

 

触ることができずに、どのくらいだったかな。

 

何とか触れないかと、猫じゃもしを買った。

 

ご飯がすんだ後、本当に少しだけ、猫じゃもしでなでた。

 

それを、2月ごろまで。

 

そんなことをしていると、夜寝るために、二階に上がると、二階の踊り場まで来て、凄くなく。

 

なんというか、まるで「下に一緒にいようよ」「下にいてよ」と言っているようだ。

 

二階の寝室は、先住猫の茶々がいて、私と一緒に寝ているためか、寝室には入ってこない。

 

「鈴、お休み」と声をかけると、しばらく踊り場でいるが、そのうち一回に降りる。

 

そのうち朝が来ると、踊り場にきて鳴いて起こすようになる。

 

それでも、寝室にははいいてこない。

 

その声に反応して私は起きる。そのようなことが、一カ月くらい続いた。

 

この頃から、威嚇することがなくなり、足にまとわりついてきたり、とてもかわいい声で鳴くようになった

 

私が動くとついてくるようになり、台所で夕飯の支度をしたりすると、側にいる。

 

たまに、気づかず蹴ったりしてしまうが、怒らない。「あ~あ、鈴、ごめん、ごめん」と大きな声をだしても威嚇もないし逃げない。少し離れるけれど、すぐに近くに来る。

 

以前は大きな声を出したら、すぐ威嚇していた。

 

それで最も変わったのはこの2週間。なんと、私のベッドで寝るようになった。

 

寝るために「鈴、お休み」と声をかけるのはいつものことだけど、その声に一緒に二階についてくる。

 

踊り場で、待機をしている。

 

というのも、茶々が、ベッドに上がることを嫌うから。

 

それで、私と茶々が寝てから、私の腰のあたりで寝ている

 

私は夜中に、一度は起きるので、始めて私のベッドにいた時はびっくりした。

 

茶々が居るのだろうと思ったものだから、「うん、茶々そんなとこで寝ているの?」の撫でたら、鈴だった。

 

思わずえっと。

 

夫が、茶々は頭元だよと。

マジか~と思い、その日は朝まで、寝がえりはできないしトイレも我慢。

 

猫は、信頼する飼い主の側で寝ると、知っていたので、鈴は私のことを信頼してくれているのかととてもうれしく思った。

 

それでも私はいまだに、鈴を抱くことができないのだけど。

 

だって、鈴は気に入らないと、ぺチンと叩くから。爪切りができなくって、爪が立つの。

 

だから、抱いたときに気に入らなくって、引っ掻かれたらと思うと抱けない。

 

でも、抱っこしたい。

 

一度愛情表現をしだすと、猫ってすごいなぁと思う。

 

野良猫だったとは思えない。

 

先住猫の茶々は、顔ほおずりが好きで、私のあごで頭をすりすりしろと要求する。これが朝起きた時のルーティン。それを横目で見ている鈴は、起き上がるとおもむろに、近づいてきて、私の足か手を、ぺチンとする。

f:id:compass-life:20210219084244j:plain

f:id:compass-life:20210211075141j:plain



「痛いよ、鈴。」と言ったら、チラッと私の顔を見るけど、知らん顔をして一階に降りる。

 

あら~、やばいな。焼きもちをやいてる。でもね、茶々の抱擁は、しないわけにいかないのよと思う私。

 

子猫二人は、さすがに子猫なので慣れるの早かった。

 

でも、成猫がなれると、子猫よりもかわいい。

 

表情が、優しくなるし、目で分かり合えると言うのだろうか、言っていることを理解してくれる気がする。

 

そんな鈴なのだけど、この2週間、外に出たがるそぶりが見える。

 

鈴を見ていて、もしかして帰ってくるのかなと。

 

「鈴、外に出たい?」

 

「ニャンッ」

そっとを玄関を開ける。

 

私の顔を見て、まるで、出ていいの?と聞いているような目で見る

 

「出ていいよ」

 

ゆっくりと何度も私を見て、玄関から出る。

 

一緒に、外に出て、「車に気をつけて、かえってくるのよ」

 

「ニャンッ」と返事をして歩きだす。

 

それから、一時間くらいして、近所を「鈴」と名前を呼びながら、一周。

 

帰ってくるかなと一抹の不安はあったけれども。

 

何となく変な自信があった。

 

自宅の前で、しばらくいると、隣の知人から、「さっき黒っぽい猫が通ったよ。」

 

「あっ、うちの子だわ」

 

家と家の隙間を見ると、こっちを見ている。

 

「鈴、帰ろう、おいで」

 

というと「にゃん」と返事をして、ついてきた。

 

玄関を開けると、ちょっと、姿勢を低くし、へっぴりこしで、部屋に戻った。

 

鈴は、言葉がわかるのかと感動した。おいでと言ったら来ると、思わなかったし、入ろう、お帰りと言うこともわかると思わなかった。

 

4月に入ってから、一度は、二階のベランダから夫の車にダイブして、散歩に。

 

たまたま、「今日はベランダね」と出してあげて何気に、外に出たら、夫の車の屋根に、鈴が。

 

ひえ~、ベランダから飛んだのね。2mはあるよ。

 

はぁ~、一時間くらいしたら、探しに行こうと。

 

夫に、鈴がベランダから飛んだと言ったら、睨まれる。

 

それから、一時間後に夫が、仕事に行こうと玄関に出たら「おっ」と声が。

 

顔を上げると玄関に鈴。

 

迎えに行く前に帰ってきた。

 

夫から、「ベランダに出したらだめだよ」とくぎを刺された。

 

夫、曰くドアを開けたら、いた。何事もなく、入ったと。

 

鈴は、避妊手術もしているので、妊娠をすることはない。

 

心配なのは、野良猫と間違われた、心ない人にひどいことをされたらと思うこと。

f:id:compass-life:20210224162533p:plain



う~ん、首輪ができればいいのだけどな

 

でも触れると言っても、がっつり触ったことも、抱っこをしたこともないし。

 

と思いつつも、首輪を4本買ってきた。

 

リラックスしている鈴の首のところに、首輪を持っていく。全然じゃれることもしないけど、首回りに手を伸ばすのが、私が怖い。

 

そっと、何回か、首輪を、回したり首の近くに置いてみる。

 

動じない。首を振ることも、びっくりしている様子もない。

 

意を、決して、ドキドキしながら、カッチとつけれた。

 

きゃー、つけれた。鈴ちゃんが私の声にびっくりして目を開ける。

 

でも、何事もなかったようにまた眠りだした。

 

ピンクの首輪。猫バカだけど似合っている。可愛い。

 

これで外に行っても、野良猫と間違われないよね。

 

凄い、あんなに威嚇して、怖がって、いたのに、鈴ちゃん凄い。

 

鈴が外に出してあげようと思ったのは、「サザエさんの家のたまも、外に出ているけど帰ってきているよね」「子供の頃の猫って、外にいてもご飯の時間になると帰ってきていたよね」

 

元々鈴は野良猫で、自分のテトリ―をもっているのじゃないのかな。

 

保護するときにこの家に来れば食べ物があると覚えてくれていたし。

 

子猫たちを保護した時は、鈴が保護されるまでも、家の下に来ていた

 

猫は、犬より耳が良いと聞いたので、私の足音や声を覚えてくれているので、探したら、帰ってきてくれるのではと。(私が探しに行くと必ず出てきて帰ってくれるから)

 

猫のメスの行動範囲は、500mから1km。

 

鈴が保護されるまでの、行動範囲は何となくわかっていたのもある。

 

それらのことを考えて、ニャルソックかねての散歩は、させてあげてもいいかなと考えている。

 

野良猫保護して、家猫にしたら、出してはいけないといわれているけれども、成猫で自分で出て帰ってくる子ならいいのではないかと考えているのだけど。

 

先住猫の茶々はリードをつけての散歩。

 

鈴の子供たちは、出さない。

 

小鉄や福丸は、3か月頃に保護したので、外の危険がよくわからないと思うので。

f:id:compass-life:20210917130710j:plain



f:id:compass-life:20220106223921j:plain




鈴を飼って、思うことは、猫はそれぞれ個性があるから、そこは大切にしてあげても良いかな。

 

でも正直に言うと、いつもドキドキしている、交通事故にあったりしないかどこに挟まったりケガをしたりしないかと。

 

だから、長くても一時間したら、迎えに行く。

 

鈴は、地域猫ではなく飼い猫だ。

 

チャンと一時間くらいで帰ってくる。

 

餌をもらうために帰ってきているわけではないから。

自分の家はここだとわかっている。

 

もう、私たちは家族だと思っている。

 

今日も、朝ごはんがすんだら、早速、玄関に。

 

「散歩?」

 

「にゃん!」

 

玄関を開ける、ゆっくりと、外へ。

 

1時間ほどで、外に、迎えに行った。

 

家の周りを名前を呼びながら、一周。

 

しばらくすると、隣の隙間に,しっぽが。

 

急いで、玄関に。

 

「おかえり、帰ろうか。」と玄関を開ける。

 

スウと、家の中にはいった。

 

雨の日以外は、散歩が日課になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旭川少女凍死事件について、思うこと。親の気持ちが、辛い だけど、娘さんのことで、少年少女達これからの未来の事を考えた時に、必要だと考えての行動に、拍手を送りたい。 誹謗中傷もあるだろう、だけど、きっと娘さんが、自分と同じ思いをしている子供たちのために、お母さん頑張ってと言ってくれている気がする。

旭川少女凍死事件について、思うこと。


www.youtube.com


www.youtube.com

この事件は、高校生女子コンクリート殺人事件に匹敵すると思う。

 

親が子供を信じたい気持ちはあるだろうが、親が取材に、応じて答えている記事を見て、なぜ亡くなった人の親の家庭が悪いと、言うのだろうか。

 

なぜ、自分の子供やったことの責任をきちんと取らさないのだろうか。

 

自分の口で、質問に答えさせて、反省させるべきだ。

 

私自身も、4人の子供を育てて、虐めをされた子もいた。

 

虐めは本人が虐められていると認識すること。

 

この子とは、自分の子供がいじめにあった時に、確かにそうだと思った。

 

なぜなら、子供が学校に行きたくないと言ったときに、私は、その子供たちに、自分の子供には内緒で会いに行った。

 

その子供は、2歳上の子供だった。体格の良い子だったけど、家の子供のことを聞いたら、とても可愛いと言った。

 

背景を話すと、子供は当時小学一年生。相手は小学三年生。接点は、放課後児童クラブだ。

 

息子の訴えは、学校の廊下で驚かされたり、追いかけたりされると言うものだった。当時まだ、入学したばかりで、大きな年上の集団生活は初めて。

 

7歳の子供にとって、二歳上の上級生は怖いものだったのだろう。

 

さてこの子の会話から、この子はうちの子を弟のように思っている。悪気はないのではないか。もしかして、一人っ子かもと考えた。

 

そして、担任に、「うちの子が学校に行きたくないと。原因は、上級生が怖いと言っているのだけど、その子は、いじめているのではなくて、仲良くしてくれているつもりなのではないかと思う。

でも、息子にとっては、初めての集団生活で、年上お兄ちゃんは、怖いと。

対応を変えてもらえないか、それとなく言ってもらえないか」

と相談した。

 

運よく、担任が、低学年の時に受け持っていた子で、対応してくれた。私が、思ったように、一人っ子だった。

 

後日、息子は、嬉しそうに学校から帰ってきて「お兄ちゃんが、ごめんねって。何かあったら、いいにおいでって」と。誤ってくれたと嬉しそうだった。

 

それからは、休むことなく、学校に通った。

 

虐めは、本人が認識しないと、虐めでない。息子の時のように、相手は、虐めではなくて、遊んであげているつもりの時も、実際にある。

 

もし、私が、学校にいじめにあっていると、子供の言うことをうのみにしたら、解決しなかったかもしれない。

 

旭川少女凍死事件についても、虐めと言われた親は、どこがいじめと思われたのか、そして、相手がどんな環境に育っていようが、相手の環境を原因にしてはいけない。

 

それよりも、自分の子供の行動が、一人の人間の死に関わったことを、重く受け止めて、かばうのではなく、考えさせるべきだ

 

間違った親の態度だと思う。

 

間違った加護は、次の犯罪につながる。

 

何をしても、相手にも、悪いところがあるという事をもとに、自分のやったことを正当化させてはいけない。


www.youtube.com

息子が、中学生の時に、ちょっとしたことがあった。

 

家は門限があって、夜は19時までに理由もなく、帰ってこなかったら、まず学校、次に警察に連絡することになっている。

 

ある日、いつもは遅くても18時には帰ってくる息子が帰ってこない。

 

今日はクラブに顔を出して帰ると言っていたから、それでも、18時過ぎには帰ってこれる。

 

時計を見ながら、待っていたら、バタバタと帰ってきた。

 

「母さん、ただいま。電話してないよね」

 

「うん、あと5分待って、帰ってこなかったらかけようかなと」

「良かった」

 

「なにかあったの?」

 

「う~ん、どうしようかな」

 

黙って顔を見ていると、困った表所をして話し出した。

 

「実は、○○君と部室で話をしていたら、鍵をかけられた。」

 

「えっ」

 

「それで、先生が見回りに来るまで待っていようと」

 

「最悪、気づいてもらえなくても、母さんが学校に連絡してくれるから、大丈夫と思ってはいたんだけど。先生が開けてくれたから。」

 

「そう、誰かのいたずらと言うことかな」

 

「多分」

 

私は話を聞いて、すぐに、学校に電話。

 

鍵を閉めた人を探してくださいと。

 

息子は、びっくりして、「母さんなんで?」

 

「あのね、あなたは今日から学校に行ったのよね、何で休んでいたのかな。肺炎だったよね。

それなのに寒い、部室で、もし万が一、気づいてもらえなかったら、再発して、重病になっていたかもしれない悪くすれば死んでたかもしれない。

鍵を閉めた人は軽い気持ちで、したのかもしれないけど、それは、殺人事件になるかもしれない大変なことなの。

だから、その人多分生徒だろうから、そのことを自覚してもらわないといけないと思うから。」

 

「怒っているのではないの?」

 

「怒っているのではなくて、鍵を閉めた人に、そんなつもりがなくても最悪なことが起こるかもしれない事を自覚してもらいたいの。その子のためにね」

 

「もし、あなたが鍵を閉めて、帰ってきたと母さんに言ったら、その場で、叩くでしょうね、何をやっているのと。」

この後学校が、鍵を閉めた生徒を見つけてくれた。

 

母親と一緒に、学校だあった。

 

母親が、誤ってくれ、姓とも誤ってくれた。

 

「誤ってくれて、ありがとう。でもね、誤ってもらろうと思ってあなたを探してもらったのではないよ。」

 

「きっと、いたずらだったのだと思う。鍵が閉まっているのを知って、焦っているのを見て面白いと思ったのかな。

 

いたずらというのはびっくり箱のように、びっくりしてあと笑いになって、楽しかった面白かったと誰も傷つくことのない、ゲーム。

あなたが、鍵を閉めたいたずらは、もしかしたら死んでしまうこともあったかもしれない。

なぜなら、うちの子が、喘息があるから。肺炎でよくなって、先日学校に来たばかりだったからね。」

 

「あなたが鍵をそっと、開けて帰ってくれるか、びっくりしだろうと鍵を開けるかをしてくれたら、ドッキリでしたで済んだかもしれない。

でも、最悪なことがおきたかもしれない。

そしたら、こうしてあなたのために、あやまってくれる親は、どうしたらいいかな。あなたがしたことで、かばいたくてもかばえないよ、だって、きっと親は攻められる。嫌でしょ、お母さんの気持ちになってみてね。あなたの事、そんな悪気でやっていないとわかっていると思うよ。

あばさんもそう思うの、軽いいたずらのつもりだったんだろうなって。

でも、その軽いいたずらの、考えてしないと取り返しがつかなくなることがあるとわかってもらいたくて、あなたを探してもらったの。」

 

「だから、攻めるつもりもないのよ。嫌だったでしょ、学校に親と呼び出されるなんて。ごめんなさいね。だけどチャンと自分がやったと認めてくれてうれしいです。きちんと自分がしたことの責任を取れるあなたはきっとおばさんの言うことも、わかってくれると思う。今日はありがとうね。」

 

この帰り際、息子は「母さんは、腹が立たないの?」

 

「そうね、あなたが誰かにひどく悩まされている人たちからの行為だったら、また違った対応になるけど、今回は、いたずらちょっとした気持ちの行動だと思ったからね。」

 

「もし、普段からいじめにあっての事だったら、許さないかな。」

 

子育てをしている当時、私は、自分が第三者目線になることを、意識していた。そのほうが冷静に対処できるから、

 

だから、うちの子に限ってと言う考えはなかった。

 

被害者、加害者になることは、うちの子にだってあると思っていたから。

 

子育ての時代、何度か子供同士のトラブルで、学校に行ったことがある。とくに次男坊は、他人に絡まれやすい子だったから。

 

その都度、先生を交えて、話をさせてもらった。

 

学校は、親が直接生徒と話すのを嫌う。

 

それは、わからないわけではないが、親と親を交えて話しをすると、子供は親の加護の元、本当のことを言わない。

 

親に悪い子だと思われたくない、嫌われたくないと

 

学校の先生はもっと子供の心理を学ぶべきだと思う。

 

息子が、小学6年の時にトラブった時が、そうだった。

 

トラブった子供と話をさせてほしいと言ったら、凄く嫌がられた。

 

結果、当時の担任が、私の強引さに負けて、校長と相談。

 

担任立ち合いでと言うことになった。

 

この時は、担任はもう投げやりで好きにやれと言うことで自分は立ちあうつもりはなかった。校長に報告したことで、立ち会うように言われたようだ。

 

この担任、サラリーマン教師と母親たちから呼ばれていた。(この呼び名は、何故か想像してみてください)

 

話が、すんだあと偉く、担任は感動していたけど、私は、たら部てえいる子供を責めるとでも思っていたのだろう。

 

その後は、この生徒が、うちの子に悪さをすることもなく、遊びに来るようになった。

 

世の親が、うちの子に限ってと考えるし子供は、悪気がないと罪がないとかいうが。

悪いと言うことを教えないとダメだと思う。

 

悪意のない行動こそがひどいことの連鎖を生む。

 

この旭川凍死事件も、虐めの親の言い分、いじめた子供たちの言い分の勝ったなことに、腹が立つ。

 

人の気持ちを考えない、自分の子供が同じことが起こった時に、同じことを言って、あきらめることができるのか。

 

相手の環境が悪いとか、その子にも問題があったとか。

 

その子供と面識が一度でもあったのかと言いたい。

 

自分の子供のいうことは、信じたいだろが、客観的に状況を判断して、自分の子供が、成長するように、するのが親だろうに。

 

大人になり切れない親が、子供を育てているのだから、チルドレンモンスターが育つだろう。

 

周囲の大人の対応が、ゆがんでいるから、虐めがなくならない。

 

学校も教師も、子供の味方ではない。1人の担任で、40人近い生徒を見れるわけがない。

 

人間関係。教師と生徒だって、同じだ。

 

私自身も、嫌いな先生はいた。今でも、ひいきをする先生は忘れない。子供は大人のずるいところを見ている。

 

だから、隠れて悪いことができるのだ。

 

そして、親の前では自分が悪くないと言う。

 

よく考えてみてほしい。

 

自分が子供の時にそうだったはずだ。

 

子供は、親の育て方だと言う人がいる、それは、その親の子供時代のコピーだから。

 

何かトラブった時に、相手も悪いと言う人は、自分がそうした感覚で、子供時代を過ごしてきたから。

 

受け継がれてきている親の伝統とでもいうのだろうか。

 

子供は、へその緒を切った時から人間だ

 

無垢であるからこそ、教えなければいけない。他人への思いやり、痛みを。

 

人として、生きると言うことを。

 

ずるさばかりを教える大人が多すぎることが、問題なのかもしれない。

 

旭川少女凍死事件の親の気持ちが、辛い。

 

だけど、娘さんのことで、少年少女たちこれからの未来のことを考えた時に、必要だと考えての行動に、拍手を送りたい。

 

誹謗中傷もあるだろう、だけど、きっと娘さんが、自分と同じ思いをしている子供たちのために、お母さん頑張ってと言ってくれている気がする。

 

 

 

 

 

ウクライナとロシアの戦争について、思うこと。

ウクライナとロシアの戦争について、思うこと。


www.youtube.com

何というのだろうか。胸が締め付けられる。

 

地球のどこかで争いがあることは、避けられないのかも知れない。

 

それにしても、国連安全保障理事会が、何の効力もないとか。

 

国連が機能していないとか。

 

私たちの日本は、アジアの平和と平等を願って、戦争をした時代がある。

 

いま日本は、核を持たない、武器を持たない、戦争をしないと言う約束を、も持っている。

 

世界の国が、日本の様な考えを持つなら、争いは起きないのだろうか。

 

世界を平和に、暮らしていけるようにしなければいけない国が、その責任を放棄し、自分の国の事だけを考えて、今、戦争が起きている。

 

日本は、神の国。だからこそ、宗教についても差別がない。

 

八百万の神々の国だ。

 

だから、自然災害後多くても、日本人は、この国と生きている。

 

耐えることも、しのぶことも、すべてが、幸せのために必要なら、人は耐えることができるだろう。

 

しかし、ウクライナ人は、何のために耐えるのか。それは、自分の祖国だから。昔の日本と同じだ。

 

日本も自分の国を守るために戦った。

 

 

プーチン氏の生年月日を見て、(1952年10月7日)あ~あ、なるほどと思ってしまった。激情的で、他人の言うことに耳を傾けない。常に戦闘的。劣等感が強い。責められると、さらに攻撃的になる。

 

今の状況を見ていると。まさにと思う。

 

色であらわすなら、「赤」。

 

火の色だ。本来は、まじめで、理知的ですばらしい、リーダーの素質があるのに。

 

今は、火の情熱が、戦闘モードになっている。

 

やられる前にやるという感じなのだろうか。

 

何もかも、燃やし焼き尽くすまで、止まらない。

 

後のことは考えていないのだろう。自分の考えが絶対。

ただ、ここまでに来るには、プーチン氏の考えが正しいとあおった人がいるのではないかと思う。

 

だからこそ、絶対の自信、自分のやろうとしていることは正しいと。

 

イエスマンが周囲にいると言うことも大きいのかもしれない。

 

プーチン氏を止められるのは、彼が最も愛し、彼を最も愛してくれている人の言葉かもしれない。

 

冷静なプーチン氏に、戻すのは至難のわざか。

 

時折、自信のないような孤独な表情が垣間見えるプーチン氏。

 

自分のしていることが理解されず、世界から、責められるのが理解できないからだろう。


www.youtube.com

プーチン氏の性格や心情を読み解いても、結果的に何もできない。

 

どうしたらよいかの答えは、出ない。

 

自分が正し事をしていると信じているのだから、核を使うことも、化学兵器を使うことも正しいと判断している。

 

周囲からすれば、それらは悪だけど、プーチン氏にとっては、正義なのだ。

 

残忍であるがゆえに、30年余り指導者として君臨できたのだろう。

 

ロシアの国民が、嫌だと、これはだめだと止めなければ、終わらないのかもしれない。

 

プーチン氏が愛しているのは、ロシアという国だ。だから嫌われるのが嫌だから、嘘を流し自分を正当化して戦争ではないと、国民から見放されないようにしている。

 

ロシアの国民が止めることができるのではないかと思う。

 

ロシアの国民が、真実知ることができれば、この戦争は終わるのではないだろうか

 


www.youtube.com

夫婦喧嘩勃発。結婚は恋愛の延長だ。人はそれぞれだろうが、結婚しても、愛情を大切に表現できるかを、相手にもそれを求める。

夫婦喧嘩。

f:id:compass-life:20210507125334p:plain



本当に腹が立つうちの旦那。

 

うちの旦那は、ちょっと変わっている、、、、。いや、きっと、世の中の旦那がみんなそうなのではないのだろうか?

 

私は、結婚は嫌いだ。

f:id:compass-life:20211212175741p:plain



なのになぜ結婚した?

 

旦那が籍を入れることに、執着したから。まぁ、当時の諸事情で、仕方がないと言えばそうなのかもしれないが。

 

結婚は、本当に面倒なことだと思っている。

 

別れるときも、めんどくさい。二度離婚しているからこそ、上手く別れないといけないと思うので。

 

私の場合、財産分与も、養育費も何もいらない。兎に角別れることが最重要点

 

一度目も、一人息子がいたけれど、何ももらわず、息子を連れて離婚。

 

補足だけど、一万円しない、子供保険だけは、かけてとお願いしていた。養育費入らないけどと。

 

日本の男は養育費は踏み倒しても良いと思っている人がほとんどだ。だから、もらうことでもめるのも、嫌だし、再婚をした相手が、養育費を出すことが負担に思うのではと。

 

しかしである、勧誘してくれた、外交員の人から、子供保険の解約をしたと連絡が入った。その当時で解約金は、70万。

 

もう、絶対に許せないと思った。

 

親戚や元夫の友人から、よりを戻してはと話もあったが、約束を守れない男となぜまた、一緒ににならないといけないのかと。

 

初めての結婚は、小姑、姑の嫁虐めが一つの、原因。ひどい目に、あいました。

 

二度目の結婚は、恋愛結婚。一度目はお見合いだよ。

 

20年近く、一緒にいたけど、私は、なぜか、コンプレックスのある人が寄ってくるのか、二度目の夫は、女依存の強い人だった。

 

見た目は、そんな感じはないし、マザコンみたいな感じはないのだが、母子家庭で育ち男親がいないこともあり、父親としての素質がない。

 

私は、古い家庭で幼少のころ育ったせいもあり、男を立てると言うことを学んでいたので、家事は、女の仕事と思っていることもあり、良人には至りつくせりだった。

 

家族のだれよりも遅く寝て、誰よりも早く起きて家事をする。

 

夫が起きてくれば、コーヒーを持っていき、夫はたばこを吸いながらコーヒーを飲みパソコンをしたりテレビを見ている。

 

私はその間、子供の世話をし、店に行く前の仕入をし、洗濯をし、掃除をし、夫の朝食を作り、良人より早く、家を出る。

 

そんな生活したため、体が悲鳴を上げているのもわからず、腎臓を壊してしまった。

 

二度目の夫は、再婚同士だったのだが、歳が17歳も違うこともあり、自分が歳を行くと捨てられると思っていたようである。

 

細かいことの事情はさておき、焼きもちを焼くことが多くなる。束縛。

 

このことに関してはわからないこともなかった。

 

夫の離婚原因は、元奥さんの浮気だったから。トラウマになっているのだろう。

 

しかしだ、子供が生さぬ仲の子を入れて6人も、世話をしているのに、そんな暇はないし、チャラチャラと男と遊ぶと言う感覚は私にはなかった。

 

それでも、夫がそのようなことを考えるのは見た目だったのだろう。

 

商売をしているし、子供の頃から結婚したからと言って、みすぼらしくなるのは嫌だったし(母がきれいな人で、自慢だったので、自分も子供にきれいなお母さんと思ってもらいたいと思っていた)身なりやをきちんとしていたのもある。

f:id:compass-life:20210224162314p:plain

でもね、一緒にしないでほしい。男に媚びを売り男に頼って生きていくとか私にはないから。

これは自分の母親を見て育っているからだと思うが、母親のように、男がいないとダメみたいな人になりたくないと。

f:id:compass-life:20210224163458p:plain



母親は、恋愛をしていたい人、常にワクワクとしていたい人だった。

 

まあ、男好きだったのだ。

 

だからは不倫は、当たり前、浮気も当たり前。子供頃はそんな母親だとはわからなかったけど。

 

二度目の夫は、歳をとることで、どんどん、疑い深くなり、束縛もひどいものになっっていたようだ。

 

一緒に、仕事をしていた頃は、(店をしていた)いつもいたので、私の行動は、把握できていたので、そんなそぶりはなかった。

 

それが二点目の店を出し私が、その店のほうにかかりきりになるようになってからだんだん、ひどくなってきた。

 

そして、体調を壊して、もう店をするのが、しんどくなって、看護師の仕事に戻ると、さらに、不安にになったようだ。

 

当時の私は、40代だったが、20代後半にしか見えない。若く見えた。これは遺伝だと思う。母も姉も妹も、みんな若く見えるから。

 

そして、ラメ―ンやの女将さんよりもっと、小奇麗にになっていくから、そのころから私が浮気をしているのではと、疑心暗鬼になっていたのだろう。

 

全て、離婚した後にわかったことだけど。

 

離婚する頃には、うざいと思っていたから。なんか、やっていることが気持ち悪いと思うようになっていた。

 

粘着質っぽいと。

 

何がどうと言えないのだけど、ちょっとした言葉や態度。

 

私はそういうのは、凄く面倒。暢は、相手を信用していないからそうなるのかと。

 

信用できない相手と何で、一緒にいるのだろうと。

 

それで、めんどくさくなって離婚。まぁ、他に大きな理由もあるのだが。

f:id:compass-life:20210304111110p:plain



二度の結婚で、離婚が自分の思うようにできたのは意志の強さと相手が悪いと私は悪くないと言うスタンスに持っていくことと。

 

結婚生活では見せなかった、私の冷たさだ。

 

結婚生活は、本当に家事をこなし優しい頼りになる奥さん。嫌の顔をせずなんでもしてあげて夫を大切にする。

 

だから、離婚を決心した私の態度は、豹変したと言ってもよいだろう。

 

夫たちが離婚したくないといっても、聞く耳なしという状態だ。

 

離婚届けを突き付けて書いてもらい、そく翌日に出す。

 

それから、離婚後の整理だ。

 

離婚しているので、淡々として、他人として話をするので早い。

 

一度目の時は、離婚したまま、一カ月。生活をし、仕事を決めて、お金ができてアパートを借りて、子供と一緒に出た。

 

二度目の時は、夫にアパートを借りて出てもらった。(この時も、ちょっとしたことがあったのだが、離婚して良かったと思った)

 

私は離婚しても、財産分与だとか、養育費だとかいらない。

 

自由になれるなら、それでいい。

 

だから、結婚に対しては全然、興味がない。

 

恋愛は、母親の遺伝なのだろう恋愛は好きだが、すぐに飽きる。恋愛イコール結婚にはならない。

 

人を好きになるのにゴールが結婚ではないのだ。

 

三度の結婚も自分が望むのではなく、相手が結婚にこだわるから、仕方がないからという感じなのだ。

 

そのこともあって、離婚しやすかったのかもしれない。

 

私が結婚が嫌な理由が、男は釣った魚に、餌をやらないと言うこと。

 

そして、自分が男であると言うことの放棄。

 

よく言うではないか。釣るまではおいしい餌をまく。

 

結婚すると、緊張感がなくなり、愛情表現もしないし、話をしても聞いていない。

 

もう、そうなると私はこいつは何で結婚したんだと思ってしまう。

 

話が長くなったが、今回の喧嘩もだ。

 

旦那の性格もあるのだが。旦那は返事をしない、自分のことしか考えていない。

 

自分が質問してきたので、説明をしているのだが返事がないし、相づちもない。

 

わかったのか聞いているのかわからない。

 

それで私が烈火のごとく、怒る。

f:id:compass-life:20210305112939p:plain



「あんたね、聞いているの?わかったのなら返事くらいしたら」

 

「返事した」偉そううに怒った表情でいう。

f:id:compass-life:20210306153755p:plain



「はぁ~、返事をしたのなら、私がいつまでも同じことを繰り返して言っているのは何?」

 

「相手にわからないような返事は、返事をしたことにならないと何度言ったらわかるの。」語気強い。

 

「私は、あなたの訳の分からない車の話も、相槌も打つし「そうね」「そうなんだ」ともいう。」

 

「付き合っている時に、自分が話をしていることは、どんな風に思っているのだろうとか、相手の気持ちを見てなかった。」

 

「何なのよ、自分が聞いてきたから、話をしているのに。無視したようなその態度は」

 

旦那は、付き合っている頃は、話をしていることに対して、聞いている態度があったが、今はない。

この今の旦那は、ひどい自分の話は聞いて聞いてだけど、人の話は上の空か、聞いていない。

 

子供だ、学校から帰ってきた子供が、お母さん今日はね、みたいな。

f:id:compass-life:20210306155209p:plain



おおうにして、世の男性は結婚をすると、妻の話を聞いていない。聞かないのではない、聞いていないのだ。

 

だから、同じことを聞く。

 

「あれ、どこにやった?」

 

「えっ、あそこに置いたよって言ったよね。」

 

「そうだっけ?」

 

「あれ、どううした?」

 

「自分で片づけたでしょ」

 

「そうだったかな?」

 

万事がこの調子。

 

「この間、話をしたことなんだけど?」

 

「えっ、何の話?」

 

「覚えていないの。○○のこと」

 

「う~ん。」

 

「で、どうすんの?」

 

「考えとく」

 

いやいや、考える時間はあげたでしょ。

 

結婚をすると、妻の言うことは後回しか、緊急性を感じないのか。

 

なのに、職場の人間の事の話は、忘れない。

 

付き合っている頃は、しょうもないことでも気にして自分から「この間のことは大丈夫」なんて当たり前。

 

結婚をすると女性は、どうしても、人間関係が、薄くなる

 

結婚前までは、何でも相談に乗ってくれていて、気軽に話をしていた男性も距離を置く。

 

妻となった女性も、距離を置く。

 

だから男性としての見解は自分の夫だけになる。まして、専業主婦ともなれば、悩みを言えるのは夫だけだ。

 

女の友人とも、会えることが少なくなる。相手が独身だと、これまた、遠慮が入ってくる。

 

「旦那さん、大丈夫?」ってね。

 

気軽にランチの誘いも、3回だったのが1回。そのうち、お久しぶりの関係に。

 

そんな生活は本当にめんどくさい。

 

私は、結婚生活であっても、独身の時と変わらない関係を望んでいる。

 

相手を尊重して、一人の人間として付き合うことを。

 

結婚と言うことで縛りができ、粗末に扱われるのは嫌なのだ。

 

結婚したらルールは守るのは、当たり前だ。

f:id:compass-life:20210304112148p:plain



だけどそれは、付き合っている時でも同じだろう。

f:id:compass-life:20210328122516p:plain



なのに、結婚をすることで、世の男性は、妻という、アクセサリーでも手に入れたつもりなのだろうか。

 

アクセサリーだから、ちゃんと持っていれば、身につけていれば良いという感じなのだろうか。

 

ただつけているだけだけでは汚れるよ。

 

そのうちちぎれたりしてなくなっているのではないかな。

 

アクセサリーは、ちょっとしたセンス。大切なパーツだ。

 

スーツを着ている時のネクタイ、ハンカチーフだ。時計やカフス。

 

自分を、光らせてくれる重要なアイテム。

 

それが妻だ。

 

なのに、空気扱い。

 

絶対に、そんな関係は嫌だ。

 

人それぞれだろう、私は結婚しても、結婚前と変わることはないので、相手にもそれを求める。

 

私にとって、結婚は恋愛の延長だ。

 

ゴールではない。

 

ゴールは、結婚してその人に、「あなたと結婚できて、幸せだった」と言いうか言われて最後の時を迎える時だ。

f:id:compass-life:20210408110559p:plain



だから、結婚して、変わるのであれば、私は離婚へのスイッチが入る。

 

f:id:compass-life:20210408110514p:plain



 

 

 

 

猫を飼っている人たちが、このブログを見たら、怒られそうな話かも。野良猫保護から8ヶ月。母猫鈴。

今日の午前中に、野良猫から保護して8ヶ月の成猫の鈴が、外に出た。

f:id:compass-life:20211214213404j:plain



玄関を開けても、逃げ出すことのない状態の猫だったのだが、今日はちょっといつもと違って、そわそわしており、外を気にしている。

 

外に出る?と聞いたら、ニャッと鳴くので、玄関を開けてみた。

 

何度も、私のほうを見て、振り返りながら、ゆっくりと、外に出ていった。

 

30分ほどして、近所を名前を呼んで、探してみた。姿は見つけられなかった。

 

庭仕事をしていたら、二件隣りの友人が、「今、すり抜けたの。猫じゃないかな」と声をかけてきた。

 

「家の鈴だわ」

 

友人の家の間を見たら、いた。

 

鈴」と呼ぶと「あん」と返事が返ってきた。

 

「鈴帰ろう」と声をかけると、ニャッと家の家のほうに歩きだした。

 

家の横の通路に出てきたので、「帰ろう、おいで」と再度声をかけて、歩きだしたら、着いてきた。

 

家の角を曲がって、待っていたら、出てきたので、玄関を開けると、他の猫たちが玄関に来ていた。

 

「ほら、みんなが待っているよ。入ろう」

 

私の顔を見て、へっぴり腰の様な歩き方で、家に入った。

 

以前から時々、外に出たいような顔をしていた。

 

茶々を散歩に連れていって、帰ってくると、いつも、茶々に怒って、つっかかっていっていた。

 

 

鈴は、簡単な言葉が理解できているようで、「おいで」「待って」「ごめんね」「降りて」「だめ」などがわかっているようだった。

 

だから、「おいで」と言えば、戻って来てくれるような気がしていた。

 

成猫で、保護して慣れるのに時間がかかったのだけど。最近すごく、懐いていて、私と一緒に寝たい様子や、私が動くとついて回る。

 

体も触れるようになった。

 

表情もかわいくなって、なんとなく、外に出してあげても帰ってくると言う変な自信が、私にあった。

 

鈴は、野良猫時代に、保護するまで、置き餌をしていて、食べに来ていた。

 

子猫たちを保護した時には、家の家の下で鳴いていたり、毎日心配してきていた。

 

そんなこともあって、鈴はきっとうちの家のことを覚えている気がして、お腹がすいたらきっと戻ってくると、根拠がない自信があった。

 

実際に外に出して、戻ってきてくれたけど、もう二度と出さないと。

 

鈴が外に行って、もしこのまま帰ってこなかったら、寂しいなと思ってしまった。

f:id:compass-life:20210224162733p:plain



思いのほか鈴がいることに慣れてしまっていて、いなくなることはだめだと。

 

猫は、4匹いるのだけど、メスは鈴だけ。

 

女の子の顔って、慣れてくるととても可愛い。小顔で、子猫の様な顔をしている。体も、一回り小さい。

 

とても慣れてきた子なのだけど、まだ、抱っこを一度もしたことがない。

 

始めの頃の鈴の威嚇が怖いと言うトラウマ。

 

もう、ちょっとでも動けば、シャーと怒る。

 

警戒心マックスで、ゲージの中にしばらくいてもらったけれど、もう、掃除をする時も、威嚇。

f:id:compass-life:20210904072527j:plain



夫も私も、この猫馴れるのだろうかと。

 

猫を飼ったのは先住猫の茶々が初めて。

f:id:compass-life:20210822204505j:plain



茶々は、もういい子で、初心者の私たちには飼いやすい子だったので、野良猫のまして成猫ははじめて。

 

手探りで、8カ月。すっかり、馴れてくれた。

 

夫は、鈴が苦手で、可愛くないと怒ってばかりだった。

 

今は、まださすったりできないけど、ツンツン突ついている。鈴も慣れて、夫がツンツンをするのは嫌がらない。コミュニケーションとして認識している様子。

 

先住猫の茶々のこともあり、抱っこをしてあげられないのもあるけど、今日は、もしもと思ったときに、抱っこを一度でもしてあげたかったと思ってしまった。

 

家族に、なろうと決めた時から、もう威嚇しようと家族になっていたのだと思った。

 

猫を飼っている人たちが、このブログを見たら、怒られそうな話かも

 

 

 

ルールというものがともすれば、人として生きることの足かせになることも事実。自分らしく生きようとすると、集団からはみ出す

自分らしく生きるために、これって、かなり難しいのか?

 

簡単なのか?

 

自問自答してみる?

 

子供の頃から、あの親だからとか、子供だったのに、周囲の目を意識する人間だった。

 

そのくらい、私の親は、いい加減だった。仕事も何をしているやら(特に父親)

 

母は、ホステスだったから、当然、夜の仕事をしている親の子供という目で見られていた。

 

親の仕事で、子供の価値も決まる世の中。

 

お金持ちの子供は、上品で勉強ができて、親がしっかりしていれば、それだけで、その子供は信頼を得る。(うわ~!なんかひねてる)

 

親がいい加減だと、その時点で、悪い子のレッテルをはられる。

 

だから、必要以上に、いい子で後ろ指を刺されないように、していた。

 

しかしである、いい子でいることでしんどいことはなかった。

 

「家のことよく手伝うね」

「弟の面倒、いつもよく見るね

「まじめだね。」

「いい子だね」

 

大人からの誉め言葉は私の子供の生活の中では、心地よいものだった。

 

子供の頃の、このことは「生きるために必要な知恵」だった。

 

そう生きるため、このことに尽きる

 

その日に食べるものがなかったり、学用品を買ってもらえなかったり、貧乏であることの辛さは、社会に出るまで続いた。

 

だけど、貧乏でも、金持ちでも子供では、選べることはできない。親を選んで生まれることができない。

 

私は、そんな中でも、自分の境遇に不満はなかった。仕方がないというような投げやりな気持ちはなかった。それよりも「早く、大人になって働いて、お母さんを楽にさせてあげたい。お金を稼ぎたい」と思っていた。(本当に、けなげ)

 

今、仕方がないことやどうしようもないことに、もがくよりも、今を大切に一生懸命生きることに、必死だった。

 

学校で、習う良いことは守った。悪いと言うことはしなかった。

 

大人になって、悪いことや良いことって何だと思った。

 

人間社会において、「ルール」というものがある。秩序がないと、集団は暴走するからかもと思っている。

 

決まりごとがあるから、大きなことができるし、目標を達成できる。個人から集団としての力を、引き出すには必要だ。

 

しかし、このルールというものがともすれば、人として生きることの足かせになることも事実。

 

集団という「悪」。「みんな」と言うことの無責任。集団という陰に隠れて、個人攻撃

 

自分らしく生きようとすると、集団からはみ出す。みんなと違うと言うことでの生きずらさ。

 

個人では、立ち向かえなくなる。心がやみ、自分が世界中で、たった一人の素晴らしい人間であることを否定する。

 

人は誕生した瞬間から、人生という時間を歩き始める、その人生の時間は、いつか、終わる。

 

自分が、いつか終わるという瞬間では、みんなと違う価値観や、思惑など持っていくことはできない。

 

どんなに他人が、あなたの人生にかかわろうと、決めるのはあなただ。

 

還暦を迎え人生をふりかえると、上を見ればきりがない、下を見ても同じ。

 

自分の人生が終わる時に持っていられるのは、自分の思いだけだ。

 

ならば、食べることができ寝る場所があり、自分の人生を幸せだと感じられる今を大切にすることが、一番ではないかと思う。

 

今死んだらと、私は考える。まだ、死にたくないと思うかもしれないけれど、それでも幸せだったと言うことができる。

 

幸せだったと思えることは、自分の人生をしっかりと歩いてきたと思えるから。

 

不思議なことだけど、神さまはいると信じることができるから。

 

一生懸命生きてきたら、心の幸福が、この歳になると感じることができる。

 

子育て中、仕事で頑張っているひと、人間関係で悩んでいる人、今まさに、他の人と違ってもいいじゃない。

 

生きていくことは自分らしくである。

 

自分が自分の人生を決める。

 

ただ、他人の人生を壊さないことだ。

 

人をだますこと、人を殺すこと、盗むことこれは、きっと、後悔をする

 

幸せは自分が、自分で作ることだ。

 

人生は自分との闘い。常に、生きると言うことは自分が試されていると思うべし。

 

本当に、強い人は、自分を大切にしている人で、だからこそ他人にも優しくできる。

 

弱い人間は、自分をごまかし自分に嘘をついている人だ。

 

自分に正直になろう。

 

「悪」も「善」もあなたの心が決めることだ。

 

と言うことを、人生の折り返しで思う。

 

歳を取った時に、笑顔でいたい。

 

 

 

文字数にすると5000文字。知人の栄養指導に同席して。威圧感の強い管理栄養士。こんな指導はいらないかも。

自分の評価も自分でせずに、他人の評価を気にする特徴の人が、合わない人間関係のタイプは、上から物を言う偉そうな人だ。

f:id:compass-life:20210306153755p:plain



話を聞いても、解釈の仕方で、随分と違うのだが、ネガティブな捉え方とその話の元の何を言いたいかを考えない。

 

前後の話に関連付けない。

 

結果だけを求めて、それまでの過程を無視すると言う考え方。

 

先日、知人を自分の通院するクリニックに紹介した。

 

知人が、一緒に来てほしいと。

 

栄養指導を、一緒に聞いてほしいとの要望だったので、クリニックの栄養士が良いと言われれば、いいよと言って、クリニックまで、送迎をした。

 

知人は、このままでいくと、年内透析になると言われており、今の状況を維持して、できるだけ、透析を避けたいとい思いが強い。

 

そのため、元同僚だった私が、慢性腎不全だったことを思い出しコンタクトをとってきた。

 

話を聞いて、透析専門のドクターと腎臓専門のドクターとでは、治療の仕方も違うので、転院を勧めた。

f:id:compass-life:20210311121750p:plain



知人は、クリニックのホームページを見たりして、かなりクリニックに期待をしているようだった。

 

知人には、私にはベストな医師だと思うけれど、あなたと相性が悪ければ、名医とは言われないかもしれない。

 

どんな名医でも、その人が価値を感じなければ、その人にとっては藪だからと。

 

知人は、診察を受けて、医師のことや看護師のことは気に入ったようだった。

 

栄養指導も、予約をしていたので、受けたのだが、これが気に入らなかったようだ。

 

知人の言葉。

 

「私には理解できない。玄米もダメ。オーガニック野菜も湯でこぼして栄養を抜いて食べる、砂糖と油をたくさんとる、、、、。前の病院と同じだ」

 

と憤慨。

 

この栄養士、知人の慢性腎不全の元の病気が何かと?

 

IGA腎症だと言うと、長々と病名の説明を始めた。

 

聞いていた、私は、なんか偉そう、医師でもないのにいかにも私は知っているのよと言わんばかりの態度で、話をしている。

 

足を組んで、本当に態度が大きい人だった。

 

威圧感のある栄養士だがまぁ、いいかと話を聞いていた。

f:id:compass-life:20210302212540p:plain





私も、大きな総合病院から13年前に、このクリニックに転院してきたのだが、クリニックでは、栄養指導は受けていない。

 

13年間、診察を受けているが、食事療法は完ぺきと医師から言われており、栄養指導の必要性がないから。

 

どうでもよい。いかにも自分はすごいと言うような言い方をする栄養士なのだが、私がクリニックの患者で、13年通院していると言ったら驚いた顔をしていた。

 

きっと、腎不全で、13年も、元気にしている人が少ない。まず、慢性腎不全になると、食事療法ができずに、あっという間に、透析になる人が多いからだろう。

 

私も知人もそんな医師から聞くような病名の説明よりも、栄養指導で、何をどのように食べればよいかを知りたいのだが。

 

指導は、低たんぱく食品を使う食事療法だった。

 

一応、栄養士の説明も理解はしたが、きっと知人は嫌がるだろう。

 

知人は健康食にこだわっており、オーガニック野菜など、すべて取り寄せ。ミルクも、玄米も野菜も魚も。

 

それが添加物がいっぱい入っている食品を勧められたので、ショックが隠せない表情だった。

 

今回、知人には、クリニックの指示は素直にやってみようと約束をしていたので、次回の検査まで、きちんとやろうと話をする。

f:id:compass-life:20210304112148p:plain



そうしますと、インターネットで、低たんぱく食品は注文した。

 

知人の不満がよく分かったので、栄養士の説明を思い起こして考えてみる。

 

栄養士が、指示した制限内容は、私と同じだった。1600calタンパク35~40・塩分6g。

 

栄養士は、知人が今の状況になったのは食事療法ができていなかったからと思っているようだった。

 

一般の人と同じように、腎臓食を作るのは面倒だから、食事療法ができていないと考えているようだ。

 

盛んにだれが食事を作るの?

 

面倒なことはないとかを言う。

 

確かに、知人は食事療法ができていないと言うか、病識がないところがあった。

 

知人は私から、食事指導を受けて、きちんと分量を量ってつくるので、料理をめんどくさがったりしない人だとわかる。

 

栄養士には、彼女は、分量を量り、毎日、食べられる野菜の量を測って、食べてますよと写真をみせると「凄い」と言うが、レトルトの低たんぱくを利用した献立を、指示する。

 

私は、始めての栄養指導の時に、低たんぱくの食品の説明を受けたが、使わずに、食事療法ができてきた。

 

知人は、食事療法を誤解と思いこみでやってきてしまったので、今回、きちんとしたくて私にも参加して、聞いてほしいという感じだ。

 

栄養士が悪いと思ったことは、なぜ、低栄養食品を使ってほしいかの説明不足。

 

砂糖と油で、カロリーを取れと言ってしまったこと。

 

腎臓だけ悪いなら、良いのだが、彼女の血液の状態は、低栄養と肝機能低下のために、血液の状態があまりよろしくない。

 

油と炭水化物のとりすぎで、尿酸値が上がっていたのが、今回、カロリーを抑えてもらい、その辺の値を少しでも、正常に近づけるための食事療法を20日間、やってきた。

 

そのおかげで本日の、血液検査で尿酸値が下がっていた。

 

油と砂糖でカロリーを取れは禁句だったなと思う。

 

上限が、1600calなのだから、数値に近いカロリーを取って、足りない分は、砂糖や油を使ってねと言えば、彼女も納得したに違いない。

 

少しくらいのカロリーオーバーは気にしなくていいですと言えば、納得したと思う。

 

本人は、ゆでて、そのままで野菜は食べられると言っているのに、マヨネーズをかけて、カロリーをアップ。

湯でこぼしをしたり、小さく切って似ずにさらすとビタミンも流れるけど、ビタミンのサプリを使って。(もうマジで言っていますか。サプリでビタミン補給をしろと)

卵は、5個食べても構わないとか。

(息子に卵ダイエットをさせたことがある。卵だけを食べるダイエット。短期間のみ。息子には、コレステロールが上がるだろうから、一カ月のみ。見事にコレステロール上がっていました)

(息子はその後は、炭水化物を食べない方法に変更。今は10キロ体重減。コレステロールも正常息子は父親の遺伝で糖尿病があるので40歳になり、体調管理のためにダイエット)

 

あの~、悪玉コレステロールが高いのですが。

 

卵も、マヨネーズもコレステロール、たっぷりありますよ。

 

大丈夫ですかと私の心の声。

 

慢性腎不全で肝機能も悪くなったらどうするのですか?

 

食事療法真逆ですよね。低たんぱく、高かろりー。高タンパク、低カロリー。

 

重なったらどんな、食事療法するの?

 

腎臓が悪いので、肝臓の値も若干影響があるのだけど、それでも、コレステロールが高値なのに。

 

私は以前の病院で、検査データーをもとに食事療法を受けたので納得しているけれど、ここまで、無視して話をする栄養士もいるのだなと思った。

 

知人は、カリウムを摂らないように言われることも納得できていないようだった。

 

落ち着いて考えれば、栄養士の言っていることはわかるのだが、前の病院で不信感があり転院してきた患者に、前と同じこと本人が、嫌がっている食事療法を勧めるのはいかがかと思った。

 

低たんぱく食品は嫌だと言っているし、以前食べて、しょっぱかったとも言っているのだから、低たんぱくを使わない食事慮法を指導すればよいのに。

 

栄養士いわく、腎臓食の味に慣れてもらうことと、どのくらいの量が食べれるかをわかってもらうためにと、話をしていた。

 

知人は、私の食事療法と同じで栄養量を把握して、食べていた、

 

だから、バランスよく食べること、薄味にも慣れてわかっているから、栄養士の言葉に納得がいっていないようだ。

 

この、栄養士の話の後、ラインで色々と、感じたことを送ってきた。

 

カリウムの話にしても、病気の話にしても、話方だと思う。

 

知人に、あなたの病気のIGA腎症は、悪くなるとスピードがあるから、あっという間に、透析になるかの可能性が高い。そして、心不全になりやすいので、常にカリウムを摂取しないように日ごろの食事で、管理しないといけない。生野菜は、避けて、必ず火を通してくださいね。

 

本来なら、入院して、腎臓食を食べてもらって、馴れてもらいたいのだけど、それができないので、低たんぱく食を使って、味や、量などがどんなものか知っていただくために、低たんぱく食を取り入れた食事療法をしましょう。さして慣れたら、レトルトや、腎臓食品はやめることを考えましょう。と話せば。

 

腎臓食は、低たんぱく、塩分制限、高カロリーなのだけど、あなたの場合、1600キロだけど、カロリーが少し足りないと思ったら、砂糖や油で、取ってください。少しくらいのカロリーオーバーは気にしないでいいです。と話せば。

 

物は言いようなのに、患者を見下しているのか、本人が求めていることに答えない。

f:id:compass-life:20210224162703p:plain



彼女がきちんとできていると言うことを、ラインの写真を見せて話をしたが、食材を使っての、食事指導はなかった。

 

 

私は、血液検査をみて、知人の食生活を聞いたときに、普通の人がすれば生活習慣病まっしぐらの食事だったので、炭水化物を抑えることを勧めた。

 

腎臓が悪いので、他の血液検査も悪いのだが、砂糖や炭水化物でお腹がいっぱいになるまで食べたら、(カロリーを全然無視していた)尿酸や、肝機能、コレステロール値が上昇する。知人の食事の状態がっまさにそれだった。

 

カリウムが野菜にたくさんあるので食べてはいけない、いももリンがあるから食べてはいけない。果物もだめ。

 

砂糖と油を食べなさいと言われたことだけを実行していたので、栄養の偏りになっていた。

 

知人には、短期間なので、(転院になるまで)少し炭水化物を切りましょう。カロリーを減らすことになるけど、長期間ではないので、タンパク質は、しっかり取る、これは40gを守ると言うことだけど。

 

血液が少しでもきれいになれば、腎臓以外の数値が良くなる可能性。そうすれば、血圧も少し下がる事も期待できる。(今回の血液検査で、尿酸値が下がっていた)

 

塩分も6gをしっかり守ろう。

 

知人は、言われたことを守り、実行していた。

 

栄養士には、今の自分のしている食事療法のやり方の助言が欲しかったのだが、食事を作るのがめんどくさくて今の状況になっていると勘違いして、電子レンジで温めるだけだからと。

 

一応次回の栄養指導まで、言われた低たんぱくレトルトと低たんぱくご飯を食べようと。

 

20日間。

 

上から目線で、教えてやる、食事療法ができないのだから、お金をかけて、できたものを食べろと。

 

知人は、とてもこの栄養士は嫌だと言っていた。

f:id:compass-life:20210507124937p:plain



私も、この栄養士の様な食事療法を勧められたら、お金がないから、できませんと言っただろう。一食が、500円かかると三食食べたら、45000円。その他にも、野菜は買わないといけないのだから、食費に、自分一人にかけられるわけがない。

 

一食にしても、300円。一カ月9000円。絶対に無理だ。

 

この形で、知人は前の病院の先生を信用せず薬を勝手にやめてしまった。

 

そして、腎臓の悪化を招いてしまった。

 

栄養士は、私たちが透析は、できるだけ避けたいと言っているのに、何故か誤解していると。

日本の透析技術はすごく良い、高額な医療費を保険で受けられるのだからと。

 

透析をするとしても、できるだけ、今の生活を維持したいとおもっているから、透析をするのを遅らせたいと思っているから、食事療法を、指導してほしいと思っている。

 

この、栄養士が透析の話をしたときの私たち二人の気持ちは同じだった。

 

反論もせず黙っていた。

 

もう完全に、この栄養士は、ダメだと思った瞬間だ。

f:id:compass-life:20210621080842p:plain



医師は、今の状態は、厳しいので自信はないですが、できるだけ頑張りますよと言ってくれ知人は喜んでいたので、栄養士にも期待していたようだ。

 

先生と栄養士の考えが、違うのかと思ってしまうほどだ。

 

管理栄養士で、しっかりと勉強もしているのだろうけど、人を見下す態度や喋り方はどうだろう。

 

私は何でも知っているのよという態度。

 

年配の何というかドラマなどに、眼鏡をかけて、じろっと人を見下し物をいう、偉そうな人物像。でっぷりと超えていて、あなたのほうが食事療法したほうが良いのではと私の心の声。

 

さて、困ったなと私。

 

1600cal、タンパク質35g、塩分6gなら、私と同じだ。

 

たんぱく質のレトルトや、腎臓食用のレトルトを使わなくても、食事療法はできる

 

栄養指導の終わりに、次回に、どのようなものを食べたか書いて持ってきましょうかと言ったら、読むのは苦手なのと。

 

う~ん、患者が、次回に食べたものをきちんとできているかを持ってくると言ったら、訳の分からない返事。

 

じゃ写真のほうがいいですねと言ったら、そうして。

 

この栄養士は何なのだろうと思った。

 

現役を離れたと言っても、元看護師。腎臓内科も経験があり、糖尿病の食事療法にも付き合ったことがある。

 

食事療法を実行してもらうために、努力した経験もある。

 

患者の栄養指導の説明にも同席したことがあるが、このような栄養指導は、見たことがなかった。

 

資格があると言っても、病気の人の気持ちがわからない、押し付けるのであれば、意味がない。

 

資格持ちは、知らない人にきちんと説明をしてあげる事だ。

 

私はすごいのよというものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

生活に関わることに関しては、主婦は敏感と言うことかもしれない。

今日は、夫と一緒に、車屋さんへ。

 

実は、夫の両親の、車が17年前の物で、次回の車検で、買い替えようと。

 

その際に夫が、50万出すと言うことに。

 

以前、車検を受けるときに、車を軽四にしたほうが良くないかと、夫と話をしていた。

 

それで、お金の応援をするよというのが、遅くって、車検を20万も出して受けた後だった。

 

それで、昨年車検の話をしてきたときには、家の壁の修理で、150万使ったばかりだったので、車検を受けてもらった。

 

あと一年残りあるのだが、今年の夏くらいに、(車検が1月)車を買い買い替えようと。

 

先日、義父が、止まっている車に、ぶつけてしまった。

 

修理に、20万かかると言う。

 

義母は、車を買い替えたいようで、夫に連絡をしてきた。

 

夫は、新古車を考えているようだった。

 

今日、夫と馴染みの車屋さんで、話を聞いていると新車で買える金額を、夫が提示している。

 

カタログを見て、話を聞いていた私は、新古車で、買うよりも、新車で、買うほうが良くない?

 

わざわざ無理して、グレードの良い車にしなくても、(XとG暖種類のグレードしかない)

 

どちらにしったって、グレードを高くしたら中古でも、提示している、金額では、難しいのでしょ。

 

それなら、Gグレードにすれば、値引きなしで、諸費料込みで、提示金額より安くなるし。

 

もし、うまく中古車が手に入っても、車検が残り少なかったら、すぐに、8万くらいお金が、いるよ。

 

新車なら、3年車検がついているから、今お父さんたちは、税金4万越えでしょ。

 

軽四なら、1万いらないから、3万貯金できるから、三年その税金の差額を貯金すれば次の車検のお金出来るでしょ。

 

  • XとGグレードの差って、大きく違うのは、スライドドアがついているくらいの違いだけだから、いらないでしょ。

 

お義父さんとお義母さんが二人で使うのだったら、前の席にしか使わないから、スライドドア意味ないよ。

 

子供でも乗せていて、開け閉めをしたほうが良いならあってもいいと思うけど。

 

車屋さんと話をしていると、保険の話が出て、車両がかかっている様な感じのことを、夫の話から、読み取れたようで。

 

車両保険をつけていたら、その車の修理費用分は、保険会社が出してくれるので、その分車購入に、当てれば、Xグレードも新車で、提示の金額で購入できると言われる。

 

早速、夫は義父たちのところに行くことになった。

 

3時間ほど社長たちと話をしていたのだが、昨日、夫と義母の話を聞いていた私。

 

以前、中古でも、Xグレードは提示の金額は厳しいと言っていたこと。新車だったら○○の来るもが買えますよよと言っていたこと。

 

なのに、グレードはXがいいとか、色は、シルバーか白とか。スライドドアがついているほうがいいとか。

 

う~ん、あんた達、新車を買うわけじゃないのに。

 

第一最近は、中古車もなかなか厳しいのに。

 

何を言ってんだろうかと思って、聞いていた。

 

さてさて、車屋さんで、中古の話を夫がしている最中に、新車のほうが良くない?

ここで夫が、中古じゃない、新古車という。

 

仕方がないので、新古車も中古だよと言うことの説明をする。


www.youtube.com

車屋さんが、○○さんは(私のことは名前でいつも呼ぶ)車に詳しい。そのままセールスしてもらってもよいくらいだと言う。

 

Xグレードは、中古でも難しいいのだから。と言い、上記のようなことを夫に話をする。

 

結果、夫も新車にしようとなり、あとは、保険が使えるかどうか、新車で、Gグレードでよいかを実家の親に確認を取りに、行こう。

 

今日が休みなので、帰ったらそのまま行ってくると言う。

 

義母は、新車がいいなと言っていたので、Gグレードでもよいと言うのではないかと言う気がする。

 

まあ、保険に車両がついていれば、Xグレードも買えるので、そこは楽しみなことだ。

 

車屋さんとは、私が若いころからの付き合いで、今は二代目になっているのだが、夫は二代目社長と気が合う。私は、先代社長と今の二代目社長の奥さんと仲が良い。

 

そんなこともあり、とても良くしてもらっている。

 

今回も、保険の内容がわかれば、コンタクトをうちがとりましょうと言ってくれた。

 

そんな中で、社長とこのご時世なので、ナビ、ドライブレコーダーETCカードなどの商品も早く頼んだほうが良いと私は、判断しているのだけどと。

 

夫はのんきに構えているが、半導体関連などが、ウクライナ情勢などで、手に入らなくなってきているため。


www.youtube.com

社長にそのように話をしていると、じゃもう注文したほうがいいかなと、夫。

 

私の、ETCカードと同じものを注文して、ナビも注文しに行こうと、車屋さんからの帰り道、話がまとまる。

 

夫は、何故か、商品は、いつでも手に入ると思っているような感じがある。

 

マスク購入の時も、買っておいたほうが良いと言っていたのに買わないで、マスクが手に入らなかったことがある。

 

夫は、電気製品購入時には値引きをするのがうまいのだけど、なんか、経済とか状況を把握しないと言うか、危機感がない人だ。

 

生活に関わることに関しては、主婦は敏感と言うことかもしれない。