老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

母親を、本当の親ではないと思っていた子供の話

子供の心。

 

親になり、子育てをしている最中に、子供からの何気ない質問に、答えたことで、その子供を傷つけることがある。

 

それは、ある時「なぜ?」と思ったときに、発覚し、親としての不甲斐なさを感じてしまったことがある。

 

子供は成人しているが、この子が私にこだわり、他の子供よりも私との関係をを大切にするのかなと思うと切ない。

 

この子が幼いころ受けた傷で、何年も不安な時間を過ごしたのかと思うと、大人や周囲の何気ない言葉が、子供を傷つけることがある。

 

子供が、年少の頃だと思うのですが、

 

「お母さん、僕、箱に入っていたの?」

 

うん、変なことを聞くなと思ったのだけど、彼は、生後間もないころ、黄疸治療のために、放射線治療をしていた時の話だと思ったので、

 

そうよ」と答えてしまいました

 

そのことはそれ以来私は、忘れてしまいました。

 

彼は、私に全然似ていなく、生まれた時から顔を見るにつけて、知人から「お父さんに似て、やさしい顔の赤ちゃん」と言われていました。

 

私に似たところがない子供。

 

小学校3年のころ、学校で彼が私に抱き着いてきたところを見た、弟のお母さんが「変な子供」と思ったことを知りました。

 

そのお母さん「そういえばお兄ちゃんがいるんでしょ?」

 

「あの子ですよ」

 

「えっ、さっき、抱きついていたお子さん?」

 

「似ていないですね。お父さんに似ているのですか」

こんな、エピソードさえあるほど似ていません。

4人子供を産んでいますが、私にそっくりなのは、三男坊

さて、彼は、小学5年生の頃、髪を伸ばし始めました。

 

この頃の彼は一段と、私の子供には見えないタイプになっていました。

 

彼は、喘息持ちでぽっちゃりした体形でした。

 

私は、日ごろの彼の様子から、私と同じ部分が欲しかったのだろうと。

 

私は、ロングヘア。ショートカットに、したことがない。

 

彼は、中学2年まで、髪を伸ばしていたが、中学で問題が起こった

 

中学の先生が、髪を伸ばしている息子に、「渋谷のヒッピーか」と言ったのだ。

 

子供が、「母さん、渋谷のヒッピーて何?」

 

「誰が言ったの?」

 

「先生だよ、僕のこと。多分僕の格好のせいかな。」

 

「あなたは、腹が立たないの?母さんはすごく腹が立っているんだけど。」

 

「うん、なんか不愉快なことで褒めていないと思うんだけど。渋谷のヒッピーってわかんないし」

 

「あんた、その髪を切ったら、母さんと同じにしているとは思っているけど」

 

「えっ、なんで?」

 

「渋谷のヒッピーって、う~ん、遊んでいる仕事もしない、プラプラしている人のことをさしているので、褒めていないし、先生がそんなこと子供に言うなんて。」

 

「それに、母さんはお前が、まじめでいい子だし、母さんの自慢の息子だから。他人に見た目で、そんなこと言われるのは心外だから」

 

そのことを聞いた息子は、泣き出してしまった。

 

「どうしたの?そんなに髪切るの嫌なの?」

 

「だって、僕は母さんの子じゃないから、みんなが似てないっていうし。

母さんも、箱に入っていたって。」

 

「誰が、母さん一度だって、あなたが私の子じゃないなんて言ったことないよ」

 

「だって、僕は箱に入っていて、母さんが拾ってくれたって、聞いたんだ。僕が小さいころで、母さんに聞いたら、「箱に、はいいっていた」って。」

 

え~!覚えているは、変なことを聞くなと思ったことがある。

 

あの時は、そいうことだったのか。

 

そうだろうね、僕母さんの子じゃないのなんて聞けないよね。

 

私はこの時に、この子が生まれてくるまでの話。私が、どんな思いで産んだか。

 

難産で、仮死状態で生まれてきて、母さんは、産んだ後、気を失って、会えたのは、あなたが放射線治療が終わって、退院する日に初めて抱けたこと等。

 

どんなにつらい子供時代だったのでしょう。

 

自分が本当の子供じゃないと思って、母親に接するって。

 

あの時も、あんな時も我慢していたのだろうか。

 

喘息持ちで、トイレの便器に抱きついて、夜が明けるまで我慢したり、自分が私の側で寝ようとして、弟達がきたら、ちょっと寂しそうに、譲っていた。

 

「ごめんね。手を握って寝ようか」両脇に弟、その向こうからわたしの手を握っていた頃。

 

いつも、わがままも言わず、私のそばにいる子だった。

 

身体が弱いからだと思っていた。

 

彼に、そんなことを言った人は身内。誰かわかるので、殴ったろうかと思うけど、ただ単に、小さな子供のリアクションが面白かったのだろう。

 

残酷なことだ、しかし、あの時に、なぜ、そんなことを聞くのと、言えなかった私を殴ってやりたい。

 

今では、そんなことはないけれど、取り返しのつかない大切な子供時代。

子供時代にのわがままというか、純粋に子供として遠慮がない関係を楽しんでいる様子。

 

私が小学5年のころ母に、「お父さんのこと好き」と聞いたら

 

母は、「嫌い」

 

えっ、私は、嫌いな人の子供なのと、傷ついたことがある。

 

そんなことでも子供にとっては、衝撃なのに、長い間、自分が母親の子じゃないと信じていた子供の心は、辛いものだっただろう。

 

子供は、何気ない言葉で傷つく。そのことに気づけばいいけど。

 

私は、その人が何を伝えたいのか、どうしてほしいのか、と言うことを、頭において話を聞くことにしている。

 

普段から、そういう風にしているのに、お母さんをしていると、早くご飯作らなくちゃとか、片づけしなくちゃとか、その日のことに追われて、相手のことを思いやることができなくなる。

 

子供と話をする時には、「なぜ?」と言うことを忘れないように、聞いてあげることが大切かな。

 

子供は、伝える言葉数も少ないから、自分の気持ちを表す表現力が弱いことを忘れないことも大切かなと思う。

 

大人の何気ない言葉が、子供を傷つける、だけど、反対に可能性ものばすこともある。

 

言霊は怖い武器。そして、誰でも幸せにしてくれる武器でもある。

 

言霊を大切に、やさしさを込めて、悪い言葉を使わない。

 

子育てでは、お母さんの優しい言霊は、子供を育てる。

 

日本のお母さん、子供たちは、お母さんを見てるよ。

猫の茶々の怪我で病院に行ったけれど、怖い思いをさせてしまった。

今日は、動物病院に猫の茶々を、診察に連れていきました。

 

昨日、左の足の爪がはがれているのに、気づいたので、見てもらうため。

 

茶々は、動物病院の先生が嫌い。以前に、嫌なことをされて怒って以来です。

 

診察室に、先生が入ってくると、「う~、う~」とうなります。

 

あら~、覚えているのね。8ヶ月ぶりなのに。

 

診察をしようと触ろうとすると、嫌がって私の身体に、すり寄り、抵抗して逃げようとする。

 

爪がはがれて、下から新しい爪というか、肉の再生があるので、このままだと変形することと邪魔になるので、残っている爪を、取らないといけないと。

 

心の中で、きれいにするためにはがすのね。痛いよね。

 

先生から、大きな声で鳴くのでといわれました。

 

かまないようにカラーをつけられ、看護師さん二人に身体を抑えられて、先生の手には、ペンチ。

 

何が起こるのかはわかるけれど、人間なら説明もわかるから、覚悟もできるから、少しは違うのだろうけれど。

 

茶々、体をねじって私に助けを求めて、「にゃ~、にゃ~」

 

茶々、ごめん。

 

診察室のドアが閉められました。

 

「ぎゃおー」「ぎゃあー」と一度も聞いた声のない鳴き声。

 

もう耳をふさぎ、心臓はドキドキ。

 

「終わりました」

 

診察室に入ると、茶々は私の胸に、飛び込んできました。

 

胸の中で「う~、う~」とうなっています。

 

先生が、説明しようと声を出したら、私の腕から逃げようとしました。

 

「ごめんね、茶々のためなのよ」とギュっと抱きしめました。

 

説明を聞いている間、ずっと唸っていました。

 

待合室の、キャリーにいれると、安全と思ったのか、泣かなくなりました。

 

抗生物質の薬を、一週間分もらいました。

 

猫の茶々にとっては、虐待されたようなものでしょう。

 

連れていかなかったほうが良かったのだろうか。怖い思いをさせるくらいなら。

 

だけど、放っておいてひどくなって、もっとひどいことになったら。

 

病院から帰ってきて、薬をチュールと一緒に飲ませました。

 

一時間くらいして、嘔吐。

 

あ~、身体が熱が出ているようです。すごいショックだったのだろうと思います。

 

病院から、帰ってきたら、犬のアリスが、嬉しそうにちょっかいを出すので、茶々をゲージに入れて隔離。

 

病院から帰って、7時間。ずっと、ゲージで寝ています。時々、「ニャア」と鳴きます。

 

そばに行って、なでてあげると、じゃれてきますが、起き上がることなく、おとなしくしています。

 

自宅は安全な場所と分かっている、そしてゲージの中も。

 

安心はしているのだろうけれど、茶々のそんな様子を見ると、どうしてあげたらよかったのだろうと考えてしまいます。

 

茶々は、昨日夫が足の異変に、気づく前も、普通に遊んでいたし、困っている様子はなかった。夜寝るときに、怪我をしている足を盛んに、なめていたけれど。

 

野良猫なら、誰も病院に連れていくことなく、爪が変形しても、そのまま生きているだろう。

 

家猫だから、心配で、もしびっこにでもなったらとか、悪化したらと考えて、病院に連れていったけれど、茶々に怖い思いをさせて、痛い思いをさせてまで、連れていくべきだったのだろうか。

 

今も、起きてこない茶々の背中を見ながら、私のエゴかなと。

 

茶々は来年3歳になるけど、この小さな猫にとって、今日はとても、怖い日だったろう。

 

いつも、寝るときは私の枕もとで、ぴったりと身を寄せて、一緒寝てくれる。具合が悪く起きれないときは、わがままも言わず、一人で遊び、時々、横になっている私のところに来て、大丈夫というように様子を見に来てくれる。

 

今日は、茶々に対して良かったのか、悪かったのかわからない。

 

ごめんね。

 

 

 

2020年を振り返って、しんどかったけれど、、、。

今年もあと10日あまり。

 

24日には、62歳になる。今年はすごく早く一年が過ぎた気がする。

 

この一年を振り返ってみる。来年のために、残りの人生のためにも。

 

看護師の仕事を、リタイヤ。身体から、無理はしないようにと感じたから。

 

若いころは、しんどくても自分を納得させる理由を、探して無理をして、身体を壊したから。

 

看護師の仕事は、大好きで自分に向いていると、天職だと思っている、この仕事につけてよかったと、自分の人生に感謝。看護師の仕事で、培ったノウハウはこれからの人生にも役に立つと思っている。

 

身体的に、非常に悩んだ一年でもあったと思う。

 

仕事から来るストレスから、生活習慣病の尿酸値の異常。

 

ひどく悪化する前に、仕事をやめていたので、神さまに感謝。

 

睡眠障害ほどではないけれど、睡眠がうまく取れていなかった、イライラしていたし。

 

三か月で、生活改善。食事療法を尿酸値改善に調整。体重を3キロ落とすこと。みごと、正常になる。

 

しかし、息切れは改善せず、検査で、軽い心不全状態であるために、現在、経過観察。

 

軽い心不全であることがわかり、看護師の仕事をもう、できないなと腹をくくったことが本音。

 

身体が不調であることで、自分の生きれる時間を考えることが今まで以上に大切になった。

 

幸せで、今死んでも悔いはないのだが、とても未練がこの世にあって、できれば、あと25年は生きたいと思っている

 

それは、子供たち。親が先に亡くなるのは当たり前ののだが、子供たちの人生が、幸せであることを見たい。

 

子離れが、精神的にできていないのである。子供達のことが、心配。

 

自分の幸せは、子供たちの母親になれたことなので、今死んでも悔いはないけれど、子供たちの幸せを見て死にたい

 

 

今年は、身体を使って人様にかかわるのはもう無理だよと気づくための一年。看護師として、体力をつかうことは自分を不幸にすると気付いた。仕事を完全にリタイヤするのは、やっぱり悩み結構、もう少し、もう少しと頑張った気がする。

 

 

それにしても、この一年を振り返って思うことは、神様からまもられているということ。振り返っても、幸せな一年だったと思う。

 

病気のことはあるけれど、悪くなる前に、様様なサインをもらい、気づくことができる。

 

 

今は、私のできることを、やりたかったことを、始めていくための今までの仕事のこだわりを変えることだと。

 

自分ができること自分の限界を知ることの大切さ、そして、今の自分を受け入れることの大切さに気付くことで、新たなチャンス、今までの違う人生の幕開け。

 

新しい人生の始まり。

 

屁理屈かもしれないけれど、病気をすることは、自分の生き方や考え方を見直すいいチャンスだと思う。

 

腎臓病がわかった時は、無理をするなと神様からの警告と思った。

 

それでも、子供たちを育てるために、頑張った。

 

そしたら、神さまから、今の夫との出会いをもらった。きっと、こうしないと自分のことを大切にしないと思われたのかな。

 

今は、子供たちの幸せを見たいと思っているけれども、そのためには、夫に甘えてもいいのかと思っている。

 

今年の一年は、自分の幸せを確認できたけれど、これからはの人生は、自分の幸せが私のかかわった人につながることかなと、認識した一年だった気がする。

 

一年を振り返って、何がいいたいか.

 

幸せな2020年だった。

 

 

 

 

自分が亡くなった時に、どうするかを考えてみた。

自分が亡くなった時に、どうしたいかを考える。

 

以前から、自分が亡くなった時に、お墓をどうするかと考えている。

 

家庭事情というものもあるが、一番の原因は、三度の結婚。

 

最初の結婚で、長男がいるのだが、この長男の父親には他に、子供がいないので、息子が遺骨を引き取っており、いずれ墓を建てていく予定だが。

 

さて、他の息子たちは、同じ父親の子供だけど、異母兄がおり、先日亡くなった父親は、祖母が建てた墓に入っている。息子たちは、異母兄のお墓に入るつもりはないとのこと。

 

そして、私自身は、今の夫の墓に入りたくない。

 

理由は、夫には娘が二人おり、前妻が引き取っている。この前妻の子供たちのことを考えると、私が夫と一緒の墓は嫌ではないかと思うから。

 

それに、自分自身が父親が亡くなった時に、納骨をする場所がなく、父親は若いころの生活で、自分の実家の墓に入れてくれなかった。大変この時は困って、私の知り合いの住職に頼んで、そこの檀家になり、納骨をした。今は、弟が見てくれている。結局のところ、離婚した母親も、墓を見る弟が、承諾すればよいと言うことで、母親も一緒に埋葬している。

 

今でも、複雑な気持ちがあり、お金を出して、結局のところ弟の物というか、弟が、この墓に入る。

 

墓参りに行く都度、お布施をしてはいるが、弟とは、付き合いがないので、父の三回忌以後はあっていない。

 

亡くなった後のことを考えると、長男の墓に入るのは、今の夫が嫌だろうし、今の夫の墓に入るのは、私が夫の子供のことを考えると、嫌だし。

 

それに、長男がまだ結婚をしていないので、子供が生まれなければ、長男の墓を見てくれる人がいない。

 

今の夫も、娘なので、墓はいずれ、墓じまいしないといけないのではないかと思う。

 

一時は、息子を夫の養子にして、墓を見てもらおうと考えた事もあるけれど、それもどうなのと思いなおした。

 

結局のところ、樹木葬にしようかとおもったけれど、散骨にしようと考えている。

 

地球の生物は、海から陸に上がってきたのだから、海に帰ろうと。

 

これなら、墓守の心配もないし、子供たちが生きている間は、子供たちのそれぞれの思いで、家であろうが、どこであろうが、私のことを思ってくれるのが、墓をお参りするのと一緒。

 

仏壇が、それぞれにあってもいいかと思うし、祀りたいと思う人がすればいいと思う。

 

散骨は、ピンからキリのようだけど、3万から40万くらいらしい。

 

色々調べて、遺言に残し、お金も準備し置こうと思う。

 

両親と夫たちの亡くなったことで、生きている間に自分の最後のことをどうするかを、決めておかなければ、子供たちに迷惑がかかると思っている。

 

人は死んだら終わりだけど、最初の夫は、引き取る人がいなくて、息子が引き取らなければ、無縁墓地行きだった。いい人だったのに、何で無縁墓地と思って、引き取りに行ったけれど。血のつながった姉二人が拒否したから。上の姉は、異母姉なので仕方がないと思うが、下の姉は、両親が同じなのに、私と結婚している時に、夫にどれだけの迷惑をかけているか。今でも、腹が立つ。

 

兎に角、この世に生まれて最後まで、人として生きるなら、自分の死んだ後も人任せにせず、お金を用意して、人様のお世話になろう。

 

今日は夫に、散骨にすると、話をした。

 

夫は、何も言わない。私の夫は、14歳年下なので、よほどの理由がないと私のほうが先に亡くなる。

 

人がなくなると言うことは、その人が、自分の人生をどうしたいか、人とのかかわり方や人生の道が見えると思う。

 

私には、両親がいい加減な人たちだったので、それぞれに祖父母たちの墓に入れず、私が、しんどい思いをした。

 

自分の子供に、同じ思いをさせたくないと、いつも思う。

 

男の子ばかりなので、それぞれが結婚して、根っこになってほしいと思う。

人生を振り返って、人間らしく生きることを考えてみた

人生を振り返ってみて、人間らしく生きることを考えてみた。

 

12月。

 

今年は何と早く、一年が過ぎたような気がする。

 

コロナ感染のために、外出が制限されたりして、家の中ですごく事を余儀なくされた人もいて、今年ほど、自分の今までのライフスタイルを、見直した人は多いのではないだろうか。

 

私の一年は、看護師の仕事をリタイヤして、家で過ごすことで、ストレスになるかなと思っていたが。

 

リタイヤ後のしばらく身体の調子を戻すことに、頑張って少し改善したのではないかと思う。(今日、定期診察の前の、検査に行ってきた。診察は、来週)

 

身体の倦怠感が、取れた。少し、小走りになったりすると、息切れはするが、以前よりずっと良くなった気がする。

 

腎臓が悪いので、食事療法、運動を心掛けている。

 

さてさて、色々考えて、仕事を少しでもしたほうが良いのではと思うのだが、若いときのように、時間を売っての仕事は無理だと、今回、非常に感じた。

 

人生を振り返って、私は何ができるかなと、模索中。

 

正直に言うと、私は、今お金が欲しい。

 

隣の家が、売りに出されているのだが、買いたい。買って、二所帯住宅をたてたいから。

 

夫の両親が、介護が必要になっても、家で過ごしたいといっているから。

 

夫が、実家に戻るのは嫌と言っているから。

 

私たちの住んでいる場所のほうが、利便性が良い。

 

今の私たちの住んでいる家は、狭い。土地が狭くて、2家族が住むのが無理だし、介護となると余計に無理だから。

 

ただ、介護施設看護婦の経験から、私も親を施設にいれたくない思いがある。

 

若いころに、凄く頑張って働いてきたけど、稼いだ分、子供が4人いると、満足に残っていない。

 

今の生活は、食べることも、何も困らないから、自分の人生を考えても、幸せだと思うのだが、夫の実家の親の気持ちと、夫の気持ちを考えると、お金があったらなと思ってしまう自分がいる。

 

私は、夫よりも14歳も年上だけど、腎臓の病気もあるので、全面的な介護はできないけれど、体力を使わない手助けなら、十分できる。

 

人として、最後まで幸せな人生を送ってほしいと、夫の両親に思う。

 

天から、お金振ってこないかしら。

 

と言うことで、夫の両親のためと私たちのために、今は、自分のできるものに取り組もうと思っている。

 

自宅で、できることをやらねば。

 

人生を振り返った幸せであるといえるが、まだまだ、こうしなくちゃ、こうしたいという「欲」「夢」はなくならない。

 

これぞ人間らしく生きることかも。

看護学生時代の話。痴ほうのおばあちゃんの話。」

痴ほう老人と嫌な主任の話。

 

「鬼!お前は、人間じゃない!」

 

学校から帰ってきて、出勤したら、診察室で大きな声が。

 

痴ほうで入院している90代のおばあちゃんが、怒っている。この、おばあちゃん、怒ると手が付けられず、物を投げるし大きな声を出す。

 

なのですが、私のことはなぜか気に入ってくれていて、どんなに怒っていても、落ち着く。

 

急いで、診察室に入ると、主任が「うるさい、部屋に戻れ!」と負けずに言い返している。

 

「あっ」と思った瞬間、おばあちゃん手に持っていた洗面器を、主任に投げつけた。胸のあたりにあたる。鬼の形相で、おばあちゃんに詰め寄る。

 

先生も他の職員も、誰も止めない。痴ほうのばあちゃん、止めれば止めるほど興奮して手が付けられなくなるから。

 

「〇〇のおばあちゃん、どうしたん?」

 

声を掛けたら、私を見た瞬間に、泣きだした。

 

診察室のソファーに一緒に座る。

 

私の手を両手で、握りしめて泣いている。なのに、主任は、悪態をつこうとするので、さすがに「やめてください、泣いているのに」といったら、フンと言って、診察室から出ていった。

 

先生が、一緒に病室に行ってあげてというので、病室までいった。

 

この、おばあちゃんは炭で字を書き、詳しくは覚えていないが、〇〇市長や県のお偉いさんが、見舞いに来られる人。

 

家族が、孫だけなのだが、その孫に財産を取られる(盗られた?)と思っている。お手伝いさんに、お金を取られたといったりする。被害妄想なのか、痴ほうのせいなのか今は、わからない。ただ、その当時の看護師の話から、孫夫婦に、財産を取られたというのは、本当だったみたい。

 

妄想も激しく、放尿もするので、部屋は、おしっこくさく、学生たちで部屋の畳を、屋上に干したりしていた。

 

このおばあちゃん、すごく頭が良い人で、痴ほうでなければそれなりの生活をしている人だと思う。

 

このおばあちゃんの行為は、何人かの職員は、心で拍手していたのではないかと思う。主任に対して、当たり前のことで、怒っており、主任の人間性をすごく批判していたから。

 

このおばあちゃんのおかげで、痴ほう患者でも、人としての関わりを持てば、心を開いてくれると学んだ。

 

徘徊して他の部屋をノックして、私は幾度となく寮から、呼び出されおあばちゃんの病室に行かされた。ベッドの下に、大きな蛇がいるとこわがったり、妄想で寝れない、夜が怖いという様子だった。おしっこの匂う部屋で、眠るまで話を聞いた。すごく、色々なことを教えてくれ、痴ほうであることを忘れてしまうほど。

 

おばあちゃんは、孫夫婦のことは本当に信用していないのがわかった。孫の旦那さんが来ると部屋の物をぶつけて、「盗人!出ていけ」と怒鳴っていた。

 

怒っているおばあちゃんは、私と話をしている時の穏やかな表情はない。

 

おばあちゃんは、痴ほうでお金に対して凄く固執しているのに、私にお金を渡してくる。「これで、何か買いなさい」と。受け取ることはしないけれど、私が受け取らないとわかると、白衣のポケットに、いつの間にか入っていることがあり、気づいて、学校から帰って、慌てて戻しにいっていた。

 

とても悲しい顔をするので、「お金が欲しくて、おばあちゃんと仲良くしているわけじゃないから、いつも色々な話をしてくれて、楽しいから。お金をもらわないほうが、私は遠慮なく、おばあちゃんのところに来れるからね」といっていた。

 

年を取っても痴ほうになっても、心が正しい人はいつもきちんとした考えをもって、行動するのだと、それと、痴ほうになると、心の汚いずるい人間に対して敏感になるのかもしれないと思った。

 

だから、嫌な主任に対してはいつも、怒っていた気がする。

 

このおばあちゃんとのことは、私の看護師としての原点になっている、看護とは、心を砕くことと。

看護学生時代の話。嫌な主任。

看護学生時代編。

 

嫌な主任の話。

 

全然、仕事をせずに、ナースキャップもつけずに(当時はナースキャップは看護師の必需品)何してる?

 

総合病院から転職してきた病院で唯一の正看護師。

 

怖い婦長も、何も言えず、怖い奥さんとは仲が良く、先生も何も言えず。

 

お局様。この人に睨まれると村八分

 

今だと思うのだけど、実際には仕事が全然できなかったと思う。だって、注射だけで、オペにも入らないし、処置もしなかったから。

 

私は当時、何でも聞くので、この主任は嫌がっていました。父が、院長と知り合いだった縁で、この病院に入ったこともあるうえに、主任も、父を知っているので私には、意地悪をしなかった。

 

30代だったけど、我が物顔でした。先生に注意をされると、診察室からプイと出ていってしまいます。病棟の主任をしていたのですが、今思い出しても、仕事をしているところを見たことがない。

 

この人は、嫌いな人を無視する、学生を卒業したばかりの先輩がいみもなく虐められていました。

 

いじめられた先輩は、学生を虐めるので、止めてほしかったですね。

 

社会に出れば、こんな人は必ずいますけど。

 

反面教師というのでしょうか、この主任にかかわって、勉強できたことは、こんな看護師にはならないということでしたね。

 

ナースキャップをつけず、ナースシューズは、つかっけのようにベルトを踏んで、歩いているし、白衣は、白衣でなくオフホワイト色のよれよれ。

 

白衣の天使を夢見て、看護師を目指している学生にとっては、もう最悪の看護師のモデルでした。

 

看護学生は忙しくって、そんなものに構っている暇がなかったことが、救いだったかもです。

寮には、落書きがいっぱいあって、学生たちの不満が書いて残っています。まるで、あとから入ってくる学生たちに伝えるように。

 

この主任に対する落書きはきっと、いじめられた学生の恨みでしょうか。ひどいものでした。

 

私たちの前の先輩学生が残っていないのも、この主任のせいかなと思います。気分にむらがあり、感情でものを言うので、理不尽なことで、学生が辞めていったのではないでしょうか。7人いた学生が残っていないことが、その答えではないかと思います。

 

育てることのできない無能な資格持ちはいらないです。

 

この嫌な主任は、仕事をさぼって、(夫が入院していた)患者の部屋に入り浸っていることがわかり、しばらく仕事に出てこなかった時期がありました。

 

だけど、出てきても全然、どこ吹く風だったです。

 

これは、病院が医院が毛の生えたような、家族経営だったための弊害だと思まいます。

 

 

看護学生時代の話。今と昔。

定年退職をした看護師のここだけの話。

30年あまりの看護師の経験から、働いているときには言えなかったこと。

 

私は、出産の都度、転職をして、整形外科、外科内科、泌尿器科、小児科、皮膚科、内科、脳神経外科、精神科、オペ看護師、介護施設看護師と、色々な科の経験があります。

 

働いていると、はぁ~と思うことや、なんで?と思うことや、もっと、先生任せにせずに、先生や看護師の言うことを、疑うべしと思うことや、何だこの患者はと思うことや、もう、働いているときには言えないことがいっぱいあります。

 

看護学生の時代編。

 

看護師になるには、中学卒業し、准看護学校に入学して、准看護師になる。

 

十年(今は7年?)経験を積んで、通信制の学校に通って、正看護師になる。

 

准看護師学校を卒業し、そのまま上の学校に通い、正看護師になる。

 

正看護師になるためには、四年制の大学で学ぶ。

 

看護師専門学校に通う(主に、医師会が運営している)

 

余談であるが、給料が高いのは、四年制の大学で看護師になった人たち。

 

特に、民間病院よりも、国や県、市が運営している病院では、きちんとランクがあり給料の差がある。

 

同じ看護師免許を持っていても、差が歴然。

 

看護師になるなら、大学でなるべきかも。

 

私の時代は、准看護師がほとんどでしたが、最近は正看護師が、多いです。

 

准看護師学校は、地元の医師会が運営していました。最近は、准看護師の学校が少なくなって、どんどん、なくなっています。

 

昔はなかった、介護士という職業ができたこともあるのではないかと思います。

 

医療と介護が、別れてきたということでしょう。

 

今の時代は少なくなってきましたが、医師会の看護学校に入学すると、まず、病院の寮に入ります。

 

学生時代の寮生活は、結構過酷です。

 

小さな医院にの看護学生は、まるでお手伝いのようです。医院の奥さんと、食事の用意、家の掃除等、本当に看護の勉強はできないと言っていました。

それに、医院ですから入院もなく、外来の先生の介助のみです。

 

私の病院は、寮とは名前だけ。

 

12畳の部屋に、二段ベットが4つ。机もなく、自分のテトリーはベッドのみ。

 

バラック小屋のようなところでした。

 

一年生と二年生が、全員入ります。もう、個人のプライベートはありません。

 

準看の学生時代は、二年間。この二年間で何が嫌だったかというと、お風呂。

 

家庭用のお風呂で、一年と二年は最後。

 

先生の家族が、入った後、先輩看護師が入り、それからです。

 

いつも、お風呂のお湯が、バスタブの下から20センチほど。このお湯で、8人の看護学生が入浴しなければならない。

 

一人髪の長い人は、水で髪を洗っていました。冬なんて、最悪。

 

体の大きい人とペアではいっていました、そうすれば、お湯が増えてつかれますから。

 

外出も、ままならず、病院の奥さんに許可をもらわなければ出れず、門限が20時。仕事(実習という名の勉強)が終わるのが、19時。そうそう、出れなかった。

 

もう、本当に、飼い殺し状態。

 

食事は、厨房で立ったまま。厨房職員に、邪魔みたいな視線をあびながら。

 

寝ること、食事と最悪でした。

 

学生は、交代で看護師と当直がありました。

テスト前の当直は嫌だったです。勉強ができないし、質の悪い看護師との泊りは、当直なのに寝かせてもらえない。(0時すぎたら、当直室で寝ることができた。)

 

救急指定病院だったので、救急車が、ほぼ毎日。

 

そうすると、寮にいる学生は、手伝いにいかなければならない。私たちが、一年生の時には、二年生がいなかったので、毎日ほぼ、全員夜間の仕事をしていました。

 

レントゲンを撮るのは学生の仕事でしたから。今のように、コンピューターで、勝手に現像できるわけでなく、暗室に入り、赤外線の下で、現像していました。これが結構、怖くって。一人でするのは嫌でした。先輩からは、怖い話を聞かされていましたから。レントゲン室は、亡くなった人を、寝かせていたり、独特のにおいがあって、もう何十年前の話です。

 

私の時代の看護師は、准看護師が主流で、病院と言っても、2人しか、正看はいませんでした。医院に、毛が生えたような病院だったこともあります。

 

御礼奉公制度があり、免許を取ったらその病院で二年から三年は働かないといけない。この制度は、私の学生の頃から、ぼちぼち問題になってきていました。

四十年前頃より、準看制度と御礼奉公制度を、廃止する話が、地元の新聞にも小さく記事になったことがあります。このころより、通信制で準看を正看にする運動が始まったのだと思います。

 

昔は、中学を卒業した人が、準看の学校に入学をしてくるのですが、現在はほとんどが高校を卒業しての入学です。

 

私の住んでいる町の医師会も、準看の学生が120人募集だったのが、今は、40人募集。正看の学部が、夜間部と昼間部。高校からストレートに全日制の正看の募集になっています。

 

今でもあるのですが、準看護師は実技重視なので、身体で技術を覚えており、経験値が高い。それに引き換え、正看護師は、資格だけで、何もできない。経験が乏しいために、頭でかっちと思っている准看護師がいます。それなのに、偉そう。

 

しかし、世の中は矛盾しています。実際に動くのは、準看なのに正看のほうが給料がいいのですから。

 

まぁ、これからは、介護士が準看の仕事をして、医療は看護師という形ができていくので、准看護師がいらなくなる時代が来るのかと思っています。

マイホームについて、思うこと。

マイホームについて考えること。

 

私の家は築50年の中古住宅。

 

先月、外壁工事をしました。購入して、10年。

 

今月は、シロアリ駆除の予定です。

 

家のことは夫任せですが、私自身は、今でなくてもよくないと思っていました。

 

というのも、リフォームをしての物件でしたので、もう5年はこのままでもと。

 

それよりも、夫の実家のリフォームを考えたほうがと思ったいたのですが。

 

まあ、夫の持ち物なので、やりたいようにさせました。

 

さて、白アリ駆除については、隣の家が空き家。

 

先日、不動産業者が見に来ていたのですが、「これは買い取って売るには、難しいな。金がかかりすぎる。雨漏りあるし。」と話をしていた。

 

えっ、雨漏り。そしたら、シロアリがすんでいるかも、やばくない。

 

そのことで、購入したときシロアリ駆除はしていると聞いたけれど、もうその効果は切れているのではと、夫と話をして、この際だから、シロアリ駆除の点検と、必要であればと言うことで、今回シロアリ駆除をすることになりました。

 

さて、隣の家は、私の家と土地も家の大きさも同じ。

 

隣の住人がなくなって、4年。

 

庭の草がぼうぼう。家の中には、住人の荷物が残っています。

 

私たちが引っ越しをしてきたときには、おばあさんが一人で済んでいました。

このおばあさんと、引っ越ししてきた当時、ひと悶着があったので、お付き合いはしていませんでした。

 

この人の、隣の住人とは、昔からの知人で、この人もこのおばあさんとひと悶着があり、お付き合いがない。両隣から、嫌われていた住人でした。

 

俗にいう、孤独死で亡くなって、三日後くらいに、お嫁さんが訪ねてきて発見されたみたいです。お風呂場で亡くなっっていたと言うことです。

息子さんたちは、他の場所に家を建ていて、別居していたようです。

 

さて、困っているのは、隣が売れないと言うことです。

 

私の家にも、隣を買わないかと言われましたが、二人家族で、必要がないので買う気が起きません。

 

夫と話をしているのですが、私たちも、これから先に亡くなったら、この家の処分を考えておかないといけないと。

 

私たちの住んでいる場所は、大変住みやすい場所ではあります。ただ、昔の家ですので土地が狭いことが難。売るとしても、買われる方がいないと思います。ならば、借家にすればと思うのですが、それも立て替えないと無理ではと。

 

それも夫が、40代ですから、まだ先の話ですが。それでも今から考えなくてはと、隣の状況を見て話しをしています。

それから、夫の両親が、介護は自宅でと言っていることも、考えています。

 

夫には、両親を見るなら、家では難しい。となると、夫の実家での介護になる。

 

しかし、夫は実家に戻るのは嫌と。わけがわからない。

 

まぁ、今は二人とも元気なので、そんなのんきなことを言っていられるのではと思っている。

 

さて、先日、前の家の住人が、話しかけてきた。

 

「きれいになったな。自分の家はええな。うちも家があってよかった。年金で暮らせるし、貸家だと追い出されることもあるからな。家はええで。」

 

一人暮らしのおばあちゃんで。何か月前にこけて、骨折してちょっと、外出は減ったけれど、一人が良いと、頑張っている様子。

 

耳も遠くなって、会話が一方的だけど。気楽に暮らすなら、一人が良いと言うことらしい。

 

おばあちゃん曰く「年を取ると、欲がなくなるから、気楽が一番」らしい。

 

確かに、日々、寝て食べて、あと何がいるのだろうと、私も思う。

 

子育てが、終わり、もう自分のことだけなら何も、いらない気がする。

 

マイホームについて、メンテナンスもいるし、色々あるけれど、自分の家と言うことは、気楽であることは、間違いない。

 

子供の頃から、引っ越しばかりで、嫌だったので、家を持つと言うことは、落ち着くと言うことにつながっている。

 

夫は離婚した時に、建てて間がない家を売ったので、今は、中古物件の家だけれど、夫曰く「高いお金を出して、建てても損をしたら意味がない、中古物件が丁度いい。定年前に、支払いが終わるから。身の丈に合った家だと思う。それにこの家は便利なところにあるから。年をとっても住みやすい」

 

以前の家は、高台にあって、住んでみると年を取ると、しんどいと思って居たらしい。だから、この家を買うときは、平地にこだわった。

 

借家がいいか持ち家がいいかとよく言うが、前のおばあちゃんは、持ち家でよかったと。

 

隣の家は、売れずに相続した人間にとっては「負」の遺産である。

 

隣の家は、小さいので駐車場も一台しかなく、現在のライフワークだと家族が住むには不便。

 

外国は、家族が増えたりすると、買い替えが当たり目だけど、日本は、買い替えはないように思う。

 

買い替えのシステムがあれば、空き家も少なくなるのだろうか。

 

私の周りの住宅の住人は、一人暮らしの老人が多い。この先、空き家が増えるのだろう。昔の住宅なので、土地が狭く、売るに売れない感じである。

 

住宅の近くに、会社がありその会社が、空き家の土地を買っている様子。そして、駐車場にして貸し出している。

 

マイホームは生きている間は、良いけれど、亡くなった時に「負」の財産にならないように、考えなければと思う今日この頃である。

 

 

 


【禁断の回答】マイホームVS賃貸!本当にメリットがあるのはどっち?

生き生きと自分らしく生きることが、若さの秘訣

若さを保つことの話。

 

時々、次男と話すのだけど。

 

「母さん、今年で僕は30歳だけど、25歳くらいに見られるから、これからも年を取らないように、努力しようと思う。まずは、絶対に太らないことだよね。」

 

「う~ん、そうだね。母さんは今、還暦を超えているけど、10歳は若く見える。でも、昔から母さんは、若く見られるし、母さんんの母さんたちもみんな、若く見られる家族だから。遺伝もあるかもね。」

 

「父さんは、28歳ころまでは、年より老けて見られていたらしけど、それからは年が若く見られていたらしいよ。だから、○○兄(異母兄)も高校生頃は、母さんの旦那に間違えられたことがあったけど、25歳過ぎたころから、若く見られていたみたい。」

 

「いや~、あれはないわ。ビール腹で、ただのおっさんやんか。俺絶対に、異母兄みたいにだけはならんで~。」

 

「体形はもちろんあると思うよ。お前が、若く見られるためには、太らないことと思っているのは、母さんが体形が変わらないからと言うこともあるのかな。」

 

「うん、おばちゃん(私の姉)は、そんなに年とは思はないけど、年相応かな。でも、母さんと2歳しか変わらないのかと思うと、母さんは、年より若いと思う。」

 

若く見えることの一つは、表情と姿勢かも。暗い顔や暗い雰囲気は若さがないと感じるよね。母さんは、姿勢がいいでしょ、それにいつも顔を上げているから、表情が見えるから、明るく見えるからじゃないかと思うよ。」

 

「あと、自分の年を意識しないことかもね」

 

「最近は、寝起きの顔を見るのが、ちょっと嫌なんだけどね。すごく、年を取った感があるからね」

 

「俺さ、はげるかな?」

 

「なんで?」

 

「はげたら、年よりに見えると思わない?」

 

「そうね、でも母さんの弟、あんたのおじさんだけど、スキンヘッドだけど若いよ。童顔だからね。」

 

「でも、はげないのじゃないのかな。異母兄もはげていないでしょ。」

 

「母さんは、髪も黒いよね。女の人頭頂部が薄くなると、年に、見えるもんな。」

 

「あ~そうね、生え際に少し白髪がある程度、薄毛でもないからね。これは、じいちゃんの遺伝かな。結構、母さんは、両親のいいとどりかな。この年で、腰まである髪の長さだからね。白髪が出てきたら、ショートにして栗色に染めようと思っているのだけどね。まだ先みたいね。」

 

 

次男と若さの秘訣の話をしたけれど、息子は、見た目重視

 

それは、確かにあるかもだけど、私は、その人の生き方じゃないかと思うけど。

 

起こったことすべてを、前向きに捉えて、人生を楽しく生きている人が若く見えると言うことではないかと。

 

私毎で恐縮だが、私は落ち込むこともあるけれど、喜怒哀楽をしっかりと楽しんでいるし、嫌なことがあっても、理不尽なことがあっても、それらは自分に必要な出来事だと思っている。

 

生き生きと自分らしく生きることが、若さの秘訣ではないだろうか。

 

 

郵便物配達せずのニュースで思うこと。郵便局は信用できなくなったのか?

郵便物配達せずというニュース。

 

郵政省の時は、このようなニュースは聞かなかったような気がする。

 

民営化になって、配達を委託し、色のはげた赤い軽自動車が走っているの見ると

 

お金をかけないのだなと。最近は、白い軽自動車に、郵便マークが、集配している。郵便車は、赤だろと心で、つぶやく自分がいる。

 

国営の時には、国がしているので、国民のためだったので、郵便物が届かないなんてことはなかった。

 

今は、インターネットで、連絡を取り合っているので、手紙を出すことも少なくなっているけれど、スマホとかパソコンの買えない人だっている。

 

平等に、すべての国民が、安心して連絡を取る手段を、ダメにするなんてと思うのは私だけだろうか。

 

スマホとかパソコンとか、私もうまく使えない。

 

家族で、携帯を持っていた時は、その使用料金が、月に6~8万。

 

今は、それぞれが社会人になり自分達で払っているから、いいけど。

 

色々なことが、パソコンというかスマホで、済ませることができる時代になってきたけれど、そのお金の負担は結構かかる。

 

国も、コロナのアンケートや、国税調査、年末調整等、スマホでという。

 

それでも、郵便のほうが簡単で、アンケート等の返信は、郵便を選ぶ。

 

お年寄り(私も含め)からすれば、誰かに教えてもらわないと、難しい。

 

そのために、詐欺事件にもなる。

 

郵政民営化は反対だったが、結果的やっぱりねと思ってしまう。

 

人件費を削り、利益を求め、バイトを使い、責任などはない。

 

誤ればいいと思っているのだろうか。

 

それとも、近い将来、郵便制度はいらなくなるのか。

 

荷物を送るのは、宅配業者のほうが信用できるということなのか。

 

年賀状も、民営化して、元旦に必ず、届いているであろう人のものが、3日に来る。毎年嫌な気持ちになる。(性格が悪いので、電話して確認する、だって何かあったのかと心配になるから)

 

そして、誤配達の多い事。必ず、年賀状は毎年、知らない人のものが混じっている。其れを、配達間違いとポストまで、投函しに行くめんどくささ。

 

もう、郵便局は信用していない。何かを投函した場合は、すべて、手帳に書き込んでいる。大きな郵便局まで、言って投函する。ポストでの投函はしない。

 

大切なものは、配達記録の残るものに。

 

全国どこでも、使えるのでゆうちょ口座を、持っているが、だんだんと使い勝手が悪くなってきている。

 

民営化をするということは、弱者を切り捨てること、サービスが悪くなること。

 

本当に、民営化したら、配達が滞ったり問題が起こるだろうと思っていたが、その通りになっている。

 

そいえば、水道局も民営化なんて、話もあったような。

 

日本はどうなっていくのだろう?

 

 

猫の話。自分に合った猫ライフしてみませんか?

猫の話。

 

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茶々

家には、2歳になる猫がいます。保護猫です。

 

猫ははじめて飼ったのですが、この子はとても良い子で、頭の良い子だと思います。人の言葉がわかるのじゃないかと思っています。

 

猫を飼うと、家の中が結構大変だと聞きますが、そのようなことは、ありません。狭い家なので、暴れるところがないのかもですが。

 

料理をし始めると、全然邪魔をせずに大人しく、すんだあとは、遊んでとなりますが。

 

ダメと言われたところには上らないし、寝ようと夜声をかけると、寝室に一緒に行きます。

 

夫の職場では、プチ猫ブームで、猫を飼っている人が増えており、猫の話を職員同士でしているのを、耳にするみたいで、仕事から帰ってきたら、聞かせてくれます。

 

夫は、プライベートの話を職場でしないので、家猫がいることを知っている人は少ないので、話かけては来ないそうなのですが、聞いていても「うちの茶々は、特別賢いと思う」と嬉しそうです。

 

ある同僚が、猫を飼いたいので、「またたびで、家に招こうとしているのに、全然こない。」と嘆いているので、愛護センターや里親募集で、見つければと助言したら。

「猫は家に付くというから、自分から来てもらわないと、いけない」と。

 

夫からすれば、「へっ」と思う返事だったそうです。

 

猫は確かに、不思議な縁というものがあると思いますが、またたびでおびき寄せるのは違うようなと夫と話をしました。

 

あってみないとわからないと思うのだけどな。

 

最近、色々な動画を見ていると、キジトラやサバトラちゃんたちは活発かなと。

 

黒猫や白猫は、ちょっとおとなしいのかなと思います。

 

うちの茶々も、白猫というか瞳がアクアブルーの猫です。甘えん坊だけどいたずらをしない子で、犬のアリスとバトルをしたりはしますが、物を引っかいたりはしません。

 

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変な

ちょっと、ツンデレで、家の中にいるときは、自分が抱っこしてほしいとき以外は抱かせてもらえないです。膝に乗ることもないです。でも、寝るときは私にぴったと引っ付いています。

 

抱っこしてほしいときは、小さな子供のように、前から私の顔を見て「うんっ」と言って前足を延ばしてきます。子供が抱っこをせがむ体制。もう、これをされると、抱きあげて、本人の気のすむまで、抱いていてあげます。

 

普段、抱き上げると。前足で突っ張って、下に降りようとします。

 

一日中、一緒にいます。

 

うちの猫はドライブと散歩が好きで、夕方や、朝に、外に行きたいときは、「ニャア、ニャア」と声をかけてきて、玄関に誘導されます。

 

ドライブで、どこかに行っても窓から外を見たいだけで、あまり行った先で散歩をしたいわけではないようです。

 

基本、リードでの散歩です。「あっ、猫だ」と言われることが多いです。リードでの散歩をしている猫はあまり見ないせいもあるからだと思います。

 

うちの茶々は、甘噛みをしません。私が、家に来た時から、甘噛みをしたときは「痛い」と大きな声で言った後「ダメ」と言っていたので、私にはしません。

 

でも、遊んでほしいときに、私がキッチンの椅子から離れずにいると、たまに足元にいると思っていると、甘噛みされます。

 

その時は、例により私が「痛い」というので、急いで逃げていますが、顔は遊んでと言ったのにママが遊んでくれないからという表情で、見ています。

 

そうなると、私の負けです。わかってしているのですから、ママはこうすれば構ってくれると、遊んでくれると。

 

最近仕事をやめて一緒にいるので、前よりも甘えん坊になった気がします。2歳になったのですが、ストーカー猫です、トイレについてくるしお風呂に入れば、戸口で待っているし、二階に上がれば寝ていたと思ったのに、ついてくるし。

 

午後から、二階のゲージの上での、お昼寝の時は、良く寝ているので、そっと買いものに、でかけます。帰ってきたら、だっだっと階段から降りてきて出迎えてくれます。

夫も猫を飼うのは、初めてなのですが、夜勤で帰って来た時は、30分猫じゃらしで遊ばされています。というのも、茶々は、遊んでほしいおもちゃを、夫のところまで持ってくるから。普段は、私が遊んでいるのですが、準夜で帰って来た時だけは、相手をしなかったら、してくれるまで、夫の身体の上を踏んで、起こそうとするそうです。

 

夫の散歩も、準夜の返ってきたときのようです。夫の時は、抱っこをしての散歩です。玄関まで帰ってきても、家に入りたくないときは「ニャア」と鳴いて、もう一度と催促されるそうです。

朝起きたときに、「昨日は、三往復させられた」と言っていたりします。

 

返ってきたときに出迎えてくれて、散歩の催促をされると、「散歩いくの
?」「ニャア」と返事をするのがうれしくて、散歩に行くそうです。

 

不思議と、雨の日は、「雨だからは今日はだめよ」というと、それきっり散歩に行きたいと言いません。

 

猫は、環境の変化に弱いというのですが、家は結構、一緒に旅行に行きます。

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何だか留守番させるほうが、悲しそうで。

 

車の中で、一緒にいるほうが幸せな感じなので、どこにでも連れていきます。と言っても、夏はでかけません。

 

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動物を連れて入れる場所がないし、熱中症になってはいけないので。

 

季節の良いときだけですけど。

 

車の中も、家と同じで、安全な場所と認識しているようで、くつろいでいます。

というか、車だとずっと一緒にいられるという気持ちからかもしれませんが。

 

アメリカのトラックの運転手の方が、猫ちゃんと仕事をしているニュースを見ましたけど、トイレもおもちゃもちゃんとしていました。その子はやっぱりリードのみで、歩くみたいでした。勝手に、窓から飛び出すことなく飼い主と一緒に、とトラック生活。外を見るのが大好きと言っていました。

 

猫は、順応性があると言うことなので、自分の生活スタイルに合う猫ちゃんが、どこかにいるような気がしませんか?

 

とても、癒しがあり幸せにしてくれる猫ちゃんライフ、皆さんもいかがですか。

 

 

ラーメン店の女将をしていて怖かった話(人の心は見えない側の顔に出る)

ラーメン店の女将を、していた時の話。

 

店をしていると、業者が入りますよね。

 

ある会社の営業の業者のこと。

 

名前も忘れたけれどこの方、交通事故でしばらく、こなかったのです。

 

状況を聞けば、かなりひどい事故だったようです。

 

会社も辞めたと聞いていたのですが、ある日、ラーメンを食べに来ました。

 

感じが変わっていました。

 

何というか、暗い?卑屈な感じ?それまでは、調子が良いけども正直な人だった。この人が営業しているときに、仕入れを三倍くらいに増やしてあげていたのです。

 

さて、この人今の状態を話をしてくれるのですが、興味はないですよね。私。

 

ですが、この方、話が、お金を貸してほしいという話になる。

 

今でも忘れないのですが、必死って感じでした。

 

「奥さん、僕が信じられないんですか?」

 

いや~何言ってんだろう。当然でしょう。あなたに私がお金を貸すほど、信頼はないでしょう。と心の声。

 

「僕を、馬鹿にしないでくださいよ。仕事を自分で、始めているんですよ。やる気満々で、、、、。」

 

この人と話をしていて、あ~あ、私がお人好しで、簡単にお金を貸すと思っているのだなと。

 

話していることの矛盾を考えていない様子。気の毒なくらい必死なのです。

 

いくら貸してほしいと言っていたかというと、1万円。

 

一万円を、貸してもらうまで、絶対に帰らない様な感じ。

 

目は、座っているし、怖いくらいでした。

 

事故で、頭の手術をしたと聞いていたので、性格が変わったなと思いました。

 

たまにというか、脳をつつくと、性格が変わることがあります。穏やかな人が、暴力的になったり、落ち着きがなくなったりと。

 

この方は、イライラしており、暴力的になったのではないかと思いました。

 

正直にいうと、やばい状態ですね。

 

普通に考えても、個人的にに関係がないラーメン屋の女将さん、それも長い間交流もないのに突然きて、金を貸してって。

 

私は、結局のところお金は貸しましたというよりもあげました。だって、絶対に返ってこないのは、わかっていますから。

 

この人は、それから私が店を移転させるまで、一度も来なかったです。

 

今でも、たまにこの時の状況を、思い出すと怖いなと思います。

 

彼は、興奮すると、きっと、犯罪を犯すと思います。

 

あのまま、お金を貸さなければ、暴力を受けることになったかもしれません。

 

この時は、暴力を受ける前に、(この人は、哀れだなと思い、寄付しよう,施そうと考えた)ので。

 

めんどくさいし、仕事で疲れているし、早く帰りたいし、どうでもよい人を追い出したいしという気持ちもあったし。

 

こんなどうでもよい人間に、関わりたくない。

 

この人は、お金を貸してあげたら、二度と来ないだろうから、もういいやみたな。

 

だけど、この人が、善良な人間なら、他人を騙したという罪悪感を一生もつことになるだろうと思った。

 

でも、そうでなくて、脳の手術で、性格が変わったのであれば、気の毒というしか言えない。

 

怖い表情で、目つきが違っていたからね。目の奥に狂気が見えていたものね。

 

やくざのように、恐喝が仕事なら、たかだか一万くらいで、暴力もしくは人殺しまではしない。

 

でも、性格が変わってしまっている人は、自分の感情に支配されるから、関係がない。

 

本当に、たかがで、犯罪を犯す。そして、自分が悪いとは、思わない。

 

怒らせた相手が悪い、自分は悪くないのである。

 

 精神病人は、善悪は、自分なのですから。自分が、快適であればよいのです。

 

相手の状態、相手の気持ちなんて、関係ないです。

 

精神異常者の相手のことを考えない、これはもうどうしようもないです。

 

気をつけましょう。

 

私は、見た目は、おとなしく優しそうに見えるのですが、中身が結構、ハングリーで、相手が考えていること、私に何をしてほしいかわかるので、まぁ、いいかと言うことが多いです。

 

他人をだまそうとしている人は、目が怖いです。笑顔も怖い。特に横から見るとよくわかります。

 

本当のことを言っているかと、思うときは。横から見るといいかもですよ。

 

人の心は、他人から見えない方向にでますから。

 

子供に「愛している」と伝える当たり前のこと、できていますか?

当たり前だけど、大切なこと。

 

当たり前っていうことは、どんなことだろうと考える。

 

子供の頃、両親にというより祖母に、よく言われたのは、「脱いだ靴は、そろえなさい」と言うこと。

 

子供たちにも言ってきたけれども、できている子がいない。

 

男所帯で、商売をしながらだったこともあるのだけれど、三人の夫たちも、誰もできない。

 

今は、夫と二人なので、私がそろえている。

 

なんとなくであるが、玄関の靴がきちんとしていると、気持ちがいい。

 

玄関に入った瞬間に、ここはきちんとしていると思ってしまう。

 

最近の親は、「靴をそろえなさい」とは言わないのだろうか?

 

祖母は、着物で過ごしている人だったし、祖父は刀鍛冶で、人の出入りが多かったせいもあるのだろ思うが、玄関はいつもきれいだった。

 

私の母は、しつけとか子供の教育とか、無関心だったので、しつけたぐいものは、小学校に入学する前に祖父母から、厳しくしつけられた。

 

あいさつも、家族にするのは当たり前。

 

これは、祖父が家督だったためではないかと思うのだが、祖父が箸をつけなければ食事はできなかった。

 

朝ごはんは、今でも覚えているのだが、祖父、父は一段上のところで食べて、私たち子どもは祖母と、一段下がったところで食べていた。

 

そのころは子供だったし、何も考えていないし、核家族になってからはそんなことは全然関係なく、子供たちと両親と一緒のテーブルだった。

 

といっても、母はホステスだったので、母と食事をすることはなかった。子供たちだけの食事だったけれど。

 

思うのだけど、礼儀作法て何だろう?

 

礼儀作法って、相手に対する感謝と尊敬の念を持つことだと私は思うのだが。

 

礼儀作法ができないから、いじめとか、虐待とかが多くなったのかと

 

礼儀作法は、他人とのかかわり方、の大切なことを教えてくれるとても大切な、「ルール」ではないかと思う。

 

礼儀作法には、何も難しいことがあるわけではない。当たり前のことなのだが。

 

私自身も、できているかというと、どうだろう。

 

子供たちには、親でもあいさつはするべきといってきたので、家族通しでは、あいさつは当たり前。

 

いただきます、ごちそうさま、ありがとう、当たり前のことを家族通しでもする。

 

よく、子供に「親に感謝できないのであれば、他人に感謝することなんてできないでしょう」といっていた。

 

公共の場所では、静かにする。

 

当たり前のことを考えると今思えば、私も子育てで、忘れていたと思うことがある。

 

子供との付き合い方である。

 

子供は、自分に何を期待されているかを知りたいと言うこと。

 

子供は、自分が愛されていると言うことを確かめたいと言うこと。

 

私は親だから、当たり前に子供を愛しているので、子供が、愛されていると言うことを知りたがっていると考えた事もなかった。

 

だけど、忙しさから、邪見にあつかったり、感情的になって怒ったり、「愛していること」を伝えるよりも、「嫌われている」と思わせてしまった子供がいる。

 

大人いなるにつれて、傷つけたと謝りました。

 

いまでは、普通の親子ですが、子供に愛情を伝えるのに、何年もかかった。。

 

親子関係も当たり前ではない。人間関係としてはともすれば、一番難しい。こじれると、何年も修復ができないこともある。

 

兄弟がいればいるほど、比べて、自分は?と思うようである。

 

親子の愛も、伝えなければ、子供は不安。

 

今まさに子育てのご両親に、伝えたいのは、血がつながっているからこそ、当たり前と思わないことです。

 

親子でも、伝えて育てていかないと、他人にたいして「愛しています」とは言えないと思います。

 

人生の中で、当たり前が一番難しいかもしれません。

 

 

持病があってもそれ以外は健康でありたい

ただいま、挑戦中。

 

尿酸値を正常に、戻すために、食事を見直しています。

 

先日は、体重を落とそうとやってみたのですが、2キロ。

 

卵ダイエットを、短期間ならと思って、実行したのですが、尿酸には卵はだめなので、ここで中止。

 

昨日から、野菜スープで、頑張ってみることにしました。

 

尿酸値を、下げるために良い食材。

 

ジャガイモ、キノコ類、海藻、キャベツ、乳製品、バナナ。

 

久しぶりに、食品一点80カロリー表とにらめっこ。

 

たんぱく質とカロリー計算。水分摂取量。

 

1600カロリー、タンパク40g、塩分6g。の食事療法(慢性腎臓)

 

食事療法は、最初腎臓病の指導をしてもらってから、変わらず、できていて、ドクターからも、「完璧」とお墨付きなので、今度は、ちょっと、尿酸値を差が得るために、食べるものを調節します。

 

今までは、毎日納豆を食べていたのですが、納豆は、尿酸にはよくない(全然食べてはいけないわけでなく食べすぎないと言うこと)ということなので、尿酸値が正常に戻るまで、食べないことに。

 

肉や魚もあまり食べないので(嫌いなわけではありません。魚も好きなのですが、腎臓を悪くして匂いがダメになってしまいました。)肉は、たまに焼き肉屋さんに行って、食べますし、お魚も寿司店に行って食べます。魚は料理をしている間に、においで食べられなくなるので。家では夫だけに、魚料理をします。

 

今回は、肉、魚は、食べなくてよいので、次回の検査(12月16日)までは、食べないでおきます。

 

たんぱく質は、乳製品で取ろうと思います。

 

野菜にも、タンパク質は含まれているので、余りそこは神経質に考えずにやってみようと思います。

 

今回の野菜スープは、水1.5ℓにコンソメ大さじ1。牛乳100㎗だけです。

 

以前から先生に、水分は、1.5ℓから2ℓ取るように言われているのですが、これがなかなか取れなくて、一日,1.5ℓが限界だったのです。

 

しかし今回は、スープにすると、飲めるのです。もう、うれしくって。

 

野菜スープは、ジャガイモが中心です。これは主食変わりでもあるので。

 

後、キャベツと玉ねぎニンジン、ブロッコリーです。

 

キノコとかも入れたりしようと思っています

 

私は、ゆでた野菜だけでも食べれるのですが、今回は、水分と乳製品でのたんぱく摂取を考えて、ミルクコンソメスープにしました。

 

それから、コーヒーも尿酸に良いと言うことなので、朝は、コーヒーにミルクだったのをブラックで飲むことにしました。

 

それから一日一本、バナナを食べてます。(カリウム制限はないので)

 

バナナは、ヨーグルトとフルーツグラノーラをかけたものを食べています。

 

食事療法も、ちょっと先生からすると私は、リスキーになりすぎると思われているようですが、そのぐらいにしないと、人間は自分に甘くなると思っていますし、三か月に一度の検査でしか自分の状態を、把握できないのでしかたがないと思っています。

 

病院の先生って、はっきり言わない方が多いと思うのです。前夫が、糖尿病の初期になった時に、先生が「お酒を少し控えて」。

私は、先生に、お酒が原因と思われるなら「やめてくださいと」言ってください。本人は、少しといってもわからないと思います。

原因がわかっているのであれば、止めないと、本人の少しと先生が思っている少しは違うと思います。

 

看護師をしているので、先生方は、はっきりというべきなのに言わないなぁといつも思っていましたから。

患者さんは、飲んでいるものは少なめに報告します。食べているものも。特に、糖尿の方は、食べる飲むが多い。初期の時にしっかりと治さないと、悪くなったら、食事療法は厳しいものになります。

 

健康診断で、生活病に引っかかった人は、すぐに改善したほうが良いです。

初期で、対応できないのであれば、悪くなって対応するのは、どれだけのリスクがあるか、人間はそんなに強くないのですから。

 

今回も、大変しんどくて「これは、腎臓も悪いし、老化か」なんて思っていたわけで、検査が悪いとわかれば対処しないといけないと思うわけです。

 

私は、亡くなるまで、透析だけはしたくないのです。

 

先日先生が、「透析をすれば、10年」と言われていたので。

 

80歳超えて生きたいと思っているので、自分のできることはやろうと思っています。

 

結果は、12月16日の検査でわかると思うのですが、大丈夫か私と少し不安です。

 

あと、無理せずに、運動もしています。といっても、今は、脈が不整脈と結滞が出ており弱いので、スクワットを、一日3回をしています。

 

少し早歩きするだけで、息切れがするので、クレアチンと尿酸値の高いことで心臓に負担が出ているのだろうと思っています。

 

大げさには考えてはいませんが、自分の身体は自分にしかわからないので、様子を見ながら、やっていこうと思います。

 

これはいつも思っていることなのですが、医者は、治療をする人なので、治療の必要のない状態は、自分で管理しないとダメでです。

 

実際に、赤血球とヘモグロビンが正常値より少し下がるだけで、立ち眩みがあったり、疲れてしんどくなります。でも、医者は、そのくらいの数値では薬は出してくれません。治療が必要とは思わないのです。ですから、市版の薬を飲み、正常値に戻します。

 

食事療法をしているために鉄分が十分に取れないことがあるみたいですね。

 

肉(肝)なんかは大好きなのですが、タンパクを気にすると取れなかったり、毎日ホウレンソウを食べれるわけでもないし。

 

取れたとして自分の身体がどのくらい吸収しているかもわからない。

 

一か月ごとに簡単に、検査できる方法がないかしらと思うこの頃です。

 

腎臓が悪くなれば、三か月の定期受診も、透析になり一か月の検査になるでしょうね。

それでは、私の透析はしたくないに反するので、今の状態で頑張るしかないですね。

 

持病があってもそれ以外では健康でありたい。