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中野立てこもり事件。男女4人を殺害。容疑者は、ソシオパスになっちゃたのかな。

中野立てこもり事件。男女4人を殺害。


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容疑者は、ソシオパスになっちゃたのかな。

31歳、私の息子も同じ年の子供がいる。最近、大人の発達障害ではないかと思うことがあった。確定したわけではにけれど、本人に話をしてはいない。

子どもの時にもその兆候があったが、楽天的な私は、息子は天才だと、凄いと思っていたし。事実、息子に、苦手なことがあっても、それを上回ることがあると、息子を褒めていた。何かが苦手なことは誰でもある。それができないからと言って生きていくことに困らないと。

息子は、見た目は明るい子供だった、たぶん多動性障害があったのではと今考えると、思う。

だけど、落ち着かない子という程度の認識だった。

4人子供がいるけれど、その子供の性格を、それぞれの個性としてみていたのんきな母親だった。

さて、容疑者の、環境を考えると、有名なご家族の1人。想像するだけだけど。子供には厳しかったのかと。プレシャーが大きかったのではと。

できて当たり前、あそこのの坊ちゃんだから。羽目を外すことも、何かを言いたくても、親の目線、他人の目線を考えないといけない。

苦しかったのではないかと思う。優しい性格で、あまりにも他人や親の期待に応えようと頑張ったいたのかもしれない。

そして、期待に応えられないことや、できないことで、いつしか、劣等感が生まれ、親の、あなたのためにと言うことが、俺の為じゃない、自分達の為だ。俺のことを本当に、考えて思ってくれているわけじゃない、愛してくれているわけじゃない。俺の事なんて、考えていないと憎しみが大きく育ってしまったのではないだろうか。

それが、反社会的な行動をためらわない、良心が欠けた人になったのではないだろうか。

衝動的に行動し、身近な人に対して利用、虐待する、相手や社会を責めて自分を正当化する。サイコパスならぬソシオパス。

ソシオパスは、後天的。

ソシオパスは、法律を破ることをためらわない傾向がある。今回の散弾銃にしても、ルールはわかっていたはずだ。だから、散弾銃を持つことの法律的なものもわかったいたけれど、衝動的で、無計画に行動すし、攻撃的で暴力的なソシオパスが発動したのか。

自分と他人の安全を顧みないから、警察官に打ってみろと挑発をする。

周囲を顧みず、怒りに任せての言動、後先の計画もなく、学校や仕事をやめる。

彼はきっと、攻められても、言い訳をし、反省の色は見えない、逆切れをして責任転換をするだろうな。

もしも、容疑者が、このソシオパスなら、亡くなった方々は、気の毒。

生育環境がソシオパスにする可能性がある。子供の頃に関わる大人が注意しなければいけないこと。

行動に制限やルールを設けない。

悪いことをしても叱らない。

善意などの価値観を教えない。

悪いことをしたら罰や叱責から守る。

あなたは特別で誰よりももすぐれていると伝え続ける。

これらが、ソシオパス的な人格形成を促す可能性がある。

精神科看護婦から見た今回の容疑者に対して、感じた事だ。

精神病と判定しているものではないけれど、他人を傷つけることを平気ででき、他の人を刺した後更に、散弾銃で警察官を攻撃する。全然、躊躇がなく、人一人を殺傷した後だというのに、更に暴力的に攻撃をやめない。

何と言っていいのかわからない。

社会において、職場でソシオパス的な人と仕事をする時には、気をつけてきているし、大人しい人ほど何を考えているかわからないと思っている。

環境が、素晴らしい人ほど、他人に見せない深い闇を持っているのだろうと思う。

今回のことは、防げたのかと言えば、無理だったとしか言いようがない。

子育ては、「無住むな、騙すな、殺すな」と教えてきたが、当たり前のことなのだけど、教えなければ、その当たり前も、育たないのだと思う。

私は、もう一つ、いつも子供たちに言う言葉は、母親にさせてくれてありがとうだ。

何があっても、母親を投げ出さないと言ってきた。

誰かが、コメントで言っていた。子育てをするのに正解はないと。自分達だって完璧な人間ではない。子どものことを考えてきたけれども、子どものしたことで、子育てが悪かったなどというのは違うのではないかと。攻める人がいるけれども、自分たちにも、起こるかもしれないと。

私もそう思う。

中には責められるに値する親もいる。虐待をする親だ。

普通に頑張って生きて、子育てをする親を、攻めるのは違う気がする。

その子供の性質や、親以外に関わってできた性格もある。

私の妹は、よく言う。もともと持って生まれた素質、どうしようもないと。

そうかなと私は思う。

一番悲しいのは、精神病で、善悪が判らない、他人に対して関心がなくなてしまう人だ。精神病だから、判断能力がないとか病気だからと、罪に問われないこともある。

被害者の家族からすれば、病気だからと許せないだろう。

被害者家族のことを考えると、自分ならやっぱり許せないだろうし、だけど容疑者の親の気持ちに立つと、頑張って育てたのだろうになぁと思う。

 

幸せだと思うこと。暮らしの中で、ちょっとしたことで自分は幸せと思う瞬間が、凄く嬉しい。 生れてきてよかったと思える。

幸せだと思うこと。

老春時代に入り、健康体ではないけれど、自己管理をしていれば、普通に生きていられる。

子供の頃は、貧乏で、食べれないことがあったり、欲しいものが買えなかったり、決して、幸せな生活ではなかったけれど、その中で育ったからこそ、小さなことで喜ぶ自分、小さなことで満足できる大人になれたことの幸運を感じている。

貧乏で、我慢する経験、特に食べれない経験は、少しくらいの辛いことや苦しいことに耐える力を、持つことができた。それから何事も、あきらめない強い意志。ハングリー精神を持つことができた。

親が勝手な人たちだったけれど考えようによっては、放任主義。そのおかげで自分で考える力も持てたし、他人を当てにしない、自分が資本。働ければ生きていける。頼るのは自分だけと言うことを身に着けた。

大人になったらというような夢は持てなかったけれど、食べれないような人生は送らない。それは夢がないというわけではなく、大人になったらしたい事ができるという夢を持っていたと思う。

安定した生活、ほしいものが買える生活を、送ることが夢だった気がする。

働くことが苦ではなかったし、子供の頃から家事一切をしてきていたので、料理を作ること、生活全般にかかることは、誰にも手助けされなくてもできる。

こんは、早くから結婚した時にも、今現在も変わらず、私の生きるための盾になっている気がする。

私の夢は、叶った。

そして、自分が子供の頃に親にしてもらえなかったことは、子供たちにしてあげれて、その時に、子どもが喜んでくれることで、自分は幸せだと感じていた。

小学生の頃から、家事一切をしていて、友達と一緒に、買い物に行ったりなど、およそ子供らしいことはしたことがない。

大人からは、家のことをして弟のことをちゃんと面倒見て、親の言うことを聞いて、いい子だと言われた。

だから、いい子でいると楽だと思う子供ではあった。

生活を考えずに、高校生活をしたかったなとか、アニメのように、10代の恋愛もしたかったとか思うこともある。

でも、それらは息子たちの経験から、実感することができた。

若い頃の経験も、あっという間に過ぎた子育ても、凄く頑張った自分がある。

振り返っても、自分の経験は、苦しかったとか嫌だったと言うことがない。

そんな風に思える自分を思うと神様に感謝する。

それぞれの経験が、今の幸せにつながっていると。

泣くと言うことがない人生を送っている自分。

自分の思い通りの人生を送ってきたと言うことなのだと実感している。

そして頑張ってきたからこそ、今は、自分の時間が取れて、子供の頃のように我慢する必要のない生活がおくれていることに、感謝が自然に心の中にある。

年齢とともに、緩やかに、クレアチンの上昇があるけれど医者からは満点と言われているが、確実に体は、しんどいなぁと思うこともあるけれど、働かなくても良い環境でいられることに本当に感謝。

小さなことに幸せを感じる、今は、旦那の食事と、猫たちとの生活。

人の幸せは、どんなことで感じるのだろう。

私の幸せは、今の状況に感謝すること。自分の時間を心地よく過ごせているから。暮らしの中で、ちょっとしたことで自分は幸せと思う瞬間が、凄く嬉しい。

生れてきてよかったと思える。

 

 

 

 

人間は好きだけど、めんどくさい人は嫌いだ。親しき中にも礼儀あり。ある程度の距離感が、付き合うのには必要だよ。

他人と話をして、思った自分の事

還暦を過ぎて、仕事もやめて、家にいるのだけど、先日から、近所の知人と話をする時間が、3日間あった。

一日家にいるので、特に用事がないから、お誘いがあったので、お付き合いした。

やっぱり思うことは、井戸端会議、何の意味もない話は疲れる。

自分的に、面白い人間と思っていなくて、どちらかというと、困っている人、悩んでいる人と話をするのは、嫌ではないけど、何の目的もないおしゃべりは疲れる。

議論が好きと言うことかも。

話をしている時間がもったいないと感じてしまい、あの人とのおしゃべりはしたくないとなる。

何かの情報で、女の人のおしゃべり、井戸端会議は、ストレス解消になると、耳にしたことがある。しかし、私には当てはまらないと思う。

相手にもよるのかもしれないけれど、話の内容が、自分に関係がない話だし、人のうわさ話とかいらない。

知人は、今回は、ちょっとしたことがあり、私と一緒に話を聞いてもらい元気になり、もっと早く話をしていればよかったと言うこともあったようだ。

でも、それはその時で済んだのだから、もういいじゃないと思うのだが。

時々、変に親しくなろうとする人がいるのだ。

疲れる。

彼女には、べたべたした関係は嫌いだからと言っているのに、「え~、だって私は話を聞いてもらえて、目からうろこで、とても、感謝しているから。」というのだけど。

感謝しているからと、何で毎日呼び出されるのかわからない。

人が私に話をしてきたときには、自分考え自分がどう思うかを言うだけで、別にその人の味方でも何でもない。

客観的に、自分の人生から自分はこうだと思うという話をしているだけだし、こういう考え方もあるのではないかと言っているだけだ。

なので、私は女性特有(全ての女性とも言わないし、男性でも、井戸端会議は好きな人はいるだろう)の、井戸端会議、身の上話、他人のうわさ話は嫌いだし、性に合わないと認識した。

今回のお付き合いは長時間に及び疲れが出て、口内炎ができてしまった。

私にとっては、ストレスになったようだ。

おしゃべりは嫌いではないし、悩みのある人の話を聞いてあげるのは好きだ。でもそれ、本人の話だけだ。

悩みを聞いて、その人が元気になったりするのは嬉しいが、その後、親しい人特別に仲良しという風に、認定されるのは非常に苦痛になる。

特に今の状態は、慢性腎臓病のために人と長い時間話をするのは疲れる。大切な話は別だ。

何も得るものがないから、あ~、もったいない時間だった、本を読んでいたかったとかあれができたのにとか思う始末だ。

私が、まあまあ主義が嫌なことや、正しいと思うことを口に出すタイプなので、群れるのが嫌だと思っているのもある。

社会の一員として、他人に対しては思いやりも気も使うし、妥協したり、八方丸く収めるというようなことも、会社とか学校とか、自分のプライベート以外ならそれなりにするし、実際にそうやって社会人をしてきた。

しかしだ、今、この歳になってする必要性を感じていない。

周りの気持ちを配慮するのは、働き、子育てをしている時で十分。

彼女には、井戸端会議もうわさ話も、嫌いだと何度か行ったことがあるのだが。

私と話をしていると、何というか「それいいね、私もしてみよう」「凄いね」とかいうが、そんなこと思っていないよねと感じている。

話をして有意義があると思えない。自分人生の少ない時間を使う必要がないのではと思うのだ。

もっと言えば生き方の問題として、他人思惑を気にしているのがどうも合わない。

変わっているなと思っていることもあるのだが、付き合うのはしんどい相手と認識をしているのが実情だと思う。

隣近所でなければ、息子の友人の母親でなければ付き合わない、人だ。

そう私にとっては、一番めんどくさい人間関係だ。

仕事なら仕事時間だけ。プライベートでは、付き合わない。そのようなスタンスを守ってきて生きてきたので、プライベートに人を入れるのが苦痛。

話はする、たまになら何の問題もない。

だけど、正直な人がいい。不思議だけど、この人こんなことを言っているけど、本当は違うなと思うような人と話をするのは疲れる。

元々、はっきりとした子どもだったので、親から一言が多い、思ったことを口にしすぎると言われたことがあり、子供心に、何で本当の事を言っているのに、怒られる?と思ったことがある。建て前と言うことを知った頃だ。大人になると言うことは嘘も言わないといけない、黙っていることも必要だと。

しかしだ、自分の時間は、正直でいるほうが楽だ。そしてそのことで他人が嫌な思いをしたり、相手の思惑を気にしないといけないのは、しんどいし、嫌だ

心から私が、どいう人間かを分かっている人と一緒にいるのはいいけれど、そうでないなら、距離を置きたいし、必要な時には、知恵も力も貸すけれど、普段は、仲良しこよし特別よな関係はいらない。

彼女は事情があって、今は、関東のほうに、住んでいる。

今回、帰ってきて私と話をした結果なんだけど、なんだか、肩に乗ってこられた感があり、私は払いのけたい感覚がある。

何で、依存体質の人に好かれるのだろうと。

一つはそののような人から見れば、自信満々で話をしている私、自分と違う我慢せずに生きているように見えるからではないかと思う。

他人は他人だ。私の人生に何の責任の持たない。だから好き勝手を言う。(嫌な思いをしたことがある)

自分の言動に責任を持っているからこそ他人が何を言っても動じない。勝手に思いたければ思っていればいい、あなたに食べさしてもらっているわけでもないし世話になっていない。

そんな他人に、振り回されたり、自分の意思を曲げようとしたりしないと。

自分の人生を自分らしく生きたいと思っているだけだ。

このタイプの人たちはやっぱり、付き合いたくない。

子供の頃から、生きるために色々我慢もしてきたし、後悔しないように頑張ってきた。

人生生きることは、人間関係がある。だけど、自分らしく生きるのには、なんでも自分の思いを通すことではないと思っている、その中でも、自分が正しいと思う言動をするのは勇気がいる。

自分らしく生きるのには覚悟が必要だと思う。

覚悟のある人生をしてきたと思っているので、今も、自分が楽しいと思うことをやっている。

妥協することも必要だと思ってもいるが、嫌なものは嫌だ。

それにしても、ハッキリと言っても寄ってくる人の対処はどうするかを考えないといけない。

いい子発動しているのかもしれないな。ビッシと言っていないのだろうきっと。

あ~、面倒。まあ、いいか。当分は合わないし。今度帰ってきたら、逃げて置こう。そうすればなんとなくわかるかもね。

避けるのも一つの手だ。

人間は好きだけど、めんどくさい人は嫌いだ。親しき中にも礼儀あり。ある程度の距離感が、付き合うのには必要だよ。

 

 

 

 

 

腎臓が悪化して年内透析と言われた知人とのかかわりで、感じた事。

腎臓が悪化して年内透析と言われた知人とのかかわりで、感じた事。

一年前の話。

知人とのライン

「血液検査見てたけど、コリンエステエアーゼが低いね。肝機能をみるところんなだけど、低値は、肝機能低下と低栄養状態だよ。」

「それは、良質なタンパク質の不足でしょうか?」

「偏りすぎていないか、考えてみて。ご飯中心の高カロリー目指していたみたいだから、貧血っぽい、赤血球が少ない。栄養状態が悪すぎる気がする。」

「タンパク質を避けすぎているような気がします。もうちょっと健康的な食生活を考え直してみます。」

「タンパク質もとらないといけないかな、私よりも、クレアチニンが悪いから、急に増やさないで、毎日何か良質なたんぱく質の物を取るといいね。」

「ご飯を減らしたら、その分良質なタンパク質を取れそうです。できるだけ頑張ります」

「うん、本当に頑張ろう。自己免疫力を上げて頑張ろうね」

「おはようございます。お節介かなと思いつつ、気になって。昼しんどくて食べずに休んでいると言っていたことを考えたのですが、薬は、血圧のクスリだけと言っていましたよね。

私がしんどい時は、赤血球とヘモグロビン値が下がっている時で、貧血状態のときなんだけど。」

(私の一年前の検査結果)

「私よりも貧血の数値が悪い。あなたは我慢強いから、医者にいわないのかなと。

後、腎臓が悪いから、しんどいのは当たり前と思っているのかとも考えました。私の対策は、市版の鉄剤を購入して飲んでいます。一カ月くらい。

あなたの場合は、腎臓からの貧血だから。医者に相談するか、私のように鉄剤を買って飲んだほうがいいかもです。

医者は、少々の数値の低下は無視します。少しの貧血でも、腎臓が悪いと、しんどいですよ。医者は、悪くなって初めて治療をしますから。予防は、自分でしないといけないです。」

「私は、食事のメニューは朝は決まっています。フルグラにヨーグルトを朝10時に食べます。

私にとって食事は薬と同じなので決まったものを食べます。」

「あなたは、栄養失調状態でカルシウム値も少ない。多分、体重の増減がないから、気にならなかったのかもしれませんね。」

「朝、コーヒーとヨーグルトとフルグラを食べて仕事に行っては、どうでしょうか。昼も、食べたほうが良い気はしますが、体を休めていたいのであればなおさら朝は食べたほうが良いと思います。

水分補給を仕事中でも意識して、ペットボトル3本分は飲みましょう。最低でも2本は飲んでください。体内に蓄積している老廃棄物を、水分で薄めて、腎臓の働きを助けると、主治医が言っていました。私は3か月に一度の定期検査で水分摂取が悪いと注意を受けます。」

「腎臓が悪いとどうしても脱水状態に冬でもなるそうです。脱水症状は、腎臓にかなり負担になり腎臓を早くだめにするから、水分摂取は大切。」

「私は、骨粗鬆症の検査も6か月毎にあって、鯖缶を食べるように勧められました。鯖缶は、半分ずつ、2日間で食べています」

「魚も肉も好きなら、カルシウムが不足しているので、夕食のおかずにどうでしょうか。」

「カロリーは、あなたの体重だと2000カロリーなので、あまり気にしないでよいかもですが、外食なんかだと500calは軽く超えますから。そうすると、必然的にタンパク質摂取も増えますね。タンパク質の少ないものを意識して、カロ―を取るといいですね。次回の診察までに、体の体調が少しでも改善できるといいですね」

「私のラインには返信はいらないですよ、参考になることや、私がやっていることを勝手にラインしているだけだから。一方的なので、迷惑かなと思うのだけど、腎臓機能がまだ30%の頃に知っていればと、悔やまれます。

今残っている機能を、何としても維持したいですね。」

この知人は、全然、医者の指示を守らずに、勝手に薬をやめて、食事療法も全然、できておらず、医者からの、食事療法の指示も、覚えておらず。

相談があった時に、何calの塩分制限、タンパク量は?と聞いたら、聞いたけど、カロリーは砂糖と油で取りなさいと言われた。カリウムが多いイモ類は食べてはいけないと。

う~ん、腎臓の食事療法を自己解釈。薬も自己判断。

インターネットで、処方された薬の副作用を見て、止める。

もう、びっくり。

薬は、毒にもなるが、自己判断する前に、医者に説明を求めたらいいのに。

彼女は、このまま行くと年内に透析と言われて、私のことを思い出し、夫にアポイントを取ってきた。(以前職場が一緒だった)

彼女と私では、元の病気が違うので、慢性腎不全になった経過も違うし進行状態も違う。

ただ、彼女の場合は、子供の頃の発病で、こんなことを言ってはいけないが、親の無知が、彼女の今の生活かなと思った。

きちんと食事療法をして、管理できていれば今の彼女はない。

そして、自分の身体、病気を無視せずに、管理していればと思う。

彼女は、子育てが忙しかったと。

言い返すこともしないけれど、母子家庭も経験し、商売をしながら5人の子育て、まして、生さぬ仲の子供を入れての子育ても大変だったけどななんて思った。(今、その当時の生活をしろと言われたらできない)

他人と苦労を競う必要もないし、苦労を感じるのは人それぞれだから。自分がそんなことと思うことでも、違う誰かにとっては、死ぬほどつらかったり、しんどかったりするのだろうから。

彼女との食事療法のやり取りは、40日ほど。その間、薬の話や、医者との付き合い方を話をした。

だけど、結果、彼女は年内が終わる前に、透析を開始した。

身体がしんどいから、透析を選んだ。あと、透析を始めたら仕事もしなくていいことに気づいたのもある。

障害年金など、生活ができると判断したようだ。

私は。無知は、駄目だと思った。中学生のころなら、自分なりに、調べることもできるし、(これも個人差がある。私なら調べるという前提)。

性格だろうなとおもうのだけど、彼女は、凄く意固地で、他人が自分側にいるならいいのだけど、自分の思いを受け止めてくれない、自分の言うことを聞かない、同情しない、なんというか、被害者ぶるのだ。

可哀想ね大変だったわねと言われて、安心する。

間違っている部分を言われたりどうしてというと言い訳と関わった人間を批判する。

40日間、彼女の気持ちを聞きながら、付き合ったけれど、看護師目線から言えば、とんでもなくひどい患者。

彼女の主治医が薬をやめた経緯を聞いたときに、「あなたが思うことがあるだろうから、希望通り薬はやめましょう」と言われたと。

そりゃいうでしょう。勝手にやめてしまうのだから。薬はなく、食事療法も、いい加減。彼女の状態は自分が招いた事。

子供の頃から治療は継続していないといけなかったのに、病院に行きだしたのは、仕事で、定期健診で引っ掛かって、通院。

それも、継続して通院をしていたわけではない。

私もこの歳になって思うけれど、発病した時にはまだ、元気だった。じわじわと、クレアチン値が上昇。

しんどいけれども、まだ何とか元気、仕事もできた。今は、長い時間の買い物はしんどいし、疲れやすい。

仕事をするのは無理だと感じている。家事をする程度ならいい状態。

彼女と関わり、腎臓病の食事療法,生活管理は、やっぱり大切だと思った。

主治医に透析をすると、寿命はときいたらが、10年と言われた。

簡単な寿命の出し方として、自分の寿命が87歳までと仮定した場合。

仮に、60歳で、透析を開始したら、87歳-60歳=27歳。27歳÷2=13.5歳

60歳+13.5歳=73.5歳が寿命となる。

だから私は、自分の寿命が、女性の87歳を考えると。どんなことがあっても70歳を超えての、透析と思っている。

透析をしながら生きる時間は、少しでも少ないほうがいいと考えているから。

上手くいけば、透析をせずに一生を終わることができるかもしれない。

それにしても、病気をしても、何をしても、その人間の物の考え方、性格が、こんなにも影響がある。

私の場合、看護師、占いカウセラーのために、両方の視点からかかわったけれど、性格に難がある人は、病気の進行を早める。

全てにおいて、人間とのかかわりが大切だ。

人を信用しないのはどうかと思う。

医者も人間だ。よりよい関係を気づくことが必要だと思った。

医者は、勉強して病気(得手不得手はあるが)を治すためのプロだ。頭から,それを否定すれば、投げ出されても仕方がない。

ちなみに、私は、知識はあるが、病気を経験しておらず、体感していないし、個人さをあまり医者は考えない、警察と同じで、悪くなり病名がつくまで、治療をしないと認識している。

警察は、事件にならないと動かないのと同じ。

予防は患者任せだ。だから、医者には自分の状態やしてほしい事わからないことは質問すればよいと思っている。

医者を利用するのは自分自身だ。

だからと言って、医者の話を無視してはいけない。

私の経験から言えることは、万能の医者はいない、医者も普通の人間だと言うこと。

得意でないことは、知らない。

どんな病気になっても、今は、インターネット等で調べることができる。自分のことは自分で管理しよう。

彼女の場合は、本当に申し訳ないが、病気に対する無知と他人に対する、承認要求と他人を信用しない、性格に問題があったと思った。

本当に、めんどくさく、疲れる相手だった。

一生懸命に、少しでも透析が遅れることに力になればと思ったけれど、結果は、年内より早くに透析。

それは、私と、話をして、何故か、働かなくても生活ができると判断したようだ。

年金や退職金、障碍者雇用等の国や、市の援助の話をして、そちらに目覚めた。

人づてに「透析をしてよかった」と言っているのを知った。

 

 

 

 

 

悩み相談を受けて、思うこと。悩みの多くは、人間関係。生きる力になるものは、自分が決められるのだ。心に刻むことは、人はいつか一人になるものだ

悩み相談を受けて、思うこと。

悩みの多くは、人間関係だ。

恋愛、夫婦、親子、友人、職場等、すべて対人である。

そして、自分の嫌いな人、嫌な人、思い通りにならない人、すべて、自分が付き合いたくない人とかかわることで起こる。

嫌なら付き合わなければいいじゃないかという人もいるけれど、会社、学校、家庭の中で、付き合わなければいいでは済まない。

子供は、自分を守る知恵がある子は、いい子でいようとする。それが、学校、家庭ではうまくいっていても社会に出ると、通じないことがある。

中には、病気になる人もいる。

相談を受けて、気にしなければと思ったり、反抗すればと思ったり、色々と考えてしまうことが多々ある。

嫌いなら、無理して付き合う必要はない。嫌な人なら無視すればいい。思い通りにならないなら、やめればいい。

自分が動かないで、悩みが解決するわけはない。

しかしだ、そう簡単なことではない。

孤独になることだ。ひとりになることだ。

自分のことだけを考えて、相手に合わせて我慢せず行動すれば、思い通りになるし、自分のことを考えるのだから、相手にどう思われてもいいやと思えばよい。

どんなに他人の事、気持ちを気にして、合わせようとしても、最後は、一人で人生を終わる。

いつ、自分の人生の時間が終わるかもしれない。その時に、後悔するなんて嫌だと思う。

だったら、「嫌なものは嫌」「嫌いなものは嫌い」と言えばいい。

そのあとのことはその相手次第だ。無理するべからずだ。

人間関係は自分次第と言うことだ。

無理せず、甘えず、自分のことを大切にすることだ。

自分の人生をどう生きるかは自分だけが決められる。

人に左右されるものではない。

今の状況では、自分を変えられないなら、そこからは離れればいい。

他人のために、自分で自分を縛ることをしてはダメだ。

自分の自由は自分で、大切にするのだ。

子供の頃、貧乏がだったから、大人にになったらといつも思っていた。

自分の人生を、自分らしく生きるためには、耐えることも必要だ。タイミングと言うことだ。

時期という物を見つめて、未来につながる目標のある我慢、忍耐なら、人は、耐えることができる。

「希望」があれば、生きることができる。その生きる力になるものは、自分が決められるのだ。

そして心に刻むことは、人はいつか一人になるものだ

どんな人間関係でもいつか終わりが来る、学校でも会社でも家庭でも。

だったら、終わりにすることは自分で決めればいいじゃないか。

学校に行かなくても勉強はできる、転校するなり辞めるなり、会社も転職すればいいじゃないか。家庭だって、独立すればいいじゃないか。

そう思えば、決めることは自己責任だ。自分の人生、楽しくなるように生きよう。

 

 

 

来る者は拒まず、去る者は追わずが信条。

ひとりの時間。

私は、ひとりの時間が好きだ。

人間嫌いではない。人と付き合うのが、苦手なわけでもない。

ご近所さんにも、庭にいると話しかけられる。お隣さんにいたっては、毎回私を見かけると、出かけようとしているのに、お構いなしに話しかけてきて、同じ事を話す。

この間も聞いたよと思いつつ耳を傾ける。痴ほうではないのだろうが、娘さんと暮らしてはいるけれど、仕事に出ているので昼間一人で、寂しいのだろう。と思い。相槌を打っている。

そう、わたしは、相手の状況を考えて、お付き合いをするのだ。

そして、なぜか私と話をした人は「あなたと話をすると元気になる」という。

それで、どうなるというかというと、愚痴を聞かされる。

私は、そうか、辛いのかと親身になってしまう。お節介なのだ。私は

人は悩みを言うけれども、対して困ってもいないし、心配してあげるほどのことはないのだ。一生懸命になって、馬鹿を見たことが何度となくある。

人の話を聞くことは好きだけれど、自分の性格を考えて、距離を置くようになった。

特に女同士の話は、人の不幸は蜜の味とでも思っているのではと。うわさ話が嫌いで、誰がどうしたという話は、自分の生活に関係がないので、聞くのも話をするのも面倒。

自分で言うのもなんだけど、面白みのない人間だと思っている。

井戸端会議をするなら、他のことをしたい。

人見知りがない性格なので、誰とでも話をする。老若男女関係がない。相手がどう思うかを気にしないからかも知れない。相手がどんな人でも関係がない。だって、その時だけで、一生付き合いをするわけではない。その場が、楽しい時間になるなら、それでいいと思っているから。

そう、成長するにつれて、他人とは、深入りしないと思うようになった。

人間関係、広く浅くというが。私の場合は、縁を繋がない。その場だけ、その一緒に共有している時間のみだ。

来る者は拒まず、去る者は追わずが信条。

この歳になると余計に交際をしていなくてよかったと思うことが多い。

慢性腎不全の持病を持っていることもあり。人と合わせるのがしんどくなったこともある。人に、気を使われるのが嫌ということもある。

諸々、考えると一人が気楽で楽しいと。

振り返ってっ見ても、家族が起きている間は、勉強はしなかった。要するに自分の時間は、一人に慣れる時間。

結婚しても変わらず、家族が起きている側にいるときは自分の時間を持たなっかった。

そのためか一人の時間を非常に大切にしていた。

今も夫がいるときは、自分のことはしない。

夫が仕事に行っている時間がひとりの時間なので、現在の生活は満足している。

後悔しない人生を自負している。でも、どこか間違っている?違う道もあったかなと思うときもある。が、今現在私の人生は、これでいいのだ。

後悔しない人生を自負している。でも、どこか間違っている?違う道もあったかなと思うときもある。

60代になり、残りの人生あと何年?と考える。

あの時、あの瞬間の判断は、正しかったか。

もし、違う方向なら結果はと?これは後悔なんだろうかと。

でも、後悔をしているとは違う気もする。

それは、自分のライフ生活にこれはこれでありと思っているから。

先日息子と会話していて、私が、子供達に一貫して話していた事。

人生は後悔しないように、好きなことをすればよい。騙すな、盗むな、殺すな、これさ守っていればよいから。

母は嘘を言うなとは言わない。だけど、人をだます嘘は、駄目だ。そんなことをすれば、必ず、自分の人生を後悔することになる。

騙すな、盗むな、殺すなは、とてもしんどい人生を、送ることを敷いている気がする。

人として、当たり前に生きろと、思っている。

だけど、当たり前とは、どいうことなんだろう?

正直に正しい事をするのは当たり前だ。正しい事、正直なことは大切だけど。

それを実行して生きてくると、そんな気もする。

この歳になって、思うことは、後悔しない人生と言えるのは、自分に正直に生きてきたこと、何事も一生懸命に取り組んできたからという気持ちがあると言うこと。

それで自分は後悔してはいないのだけど、子供には、卑怯者になれ、賢く生きろと言ってあげて大人に、してあげたほうが良かったのではと、思うことがある。

騙すな、盗むな、殺すなと教えてきたら、相手を思いやる気持ちを大切にする子に育った、蹴れども、押しが弱く何でも我慢する大人に。

正義感が強い子になりすぎて、あいまいにできず、上司にでも意見をする子に。

人にやさしくできる子になったけれど、そのために傷つき、他人と距離を取る人間になった。

自分は騙さず人に対して誠実であったために、裏切られて人間不信になったのではと思う子供。そのため、疑い深くなり他人を信用しない子に。

それぞれが、私に対しては変わりなく、正直でやさしい子供たちだけど、他の人に対して、用心深い人間に。

自分の素を出さない大人になったのではと思う。

自分の人生は後悔をしていないのだが、子育てに関しては、これでよかったのだろうかと考える。

男の子ばかりの母親。母を見ているせいか、女性に優しい子たちだ。守ってあげなければと思う気が強い子たちばかりで、その反面、責任感や義務感を抱えたくないと考えているのかなと思うときがある。

なぜなら、兄弟そろって、自分を縛りたくないなのだ。

本人たちは自覚がないようだけど、行動、生活、自分の世界を大切にしている。

父親を見ているせいなのかもしれないが、父親の女性に依存してしまうのではという気持ちもあるようだ。

父親になること、男としての責任を果たさなかった父親を見て、何も良いところがなかった、母がいなければ自分達はここまで、生活ができなかったと考えて感じているようだ。

そんな、子供たちを見ていると、ずるく立ち回ること、自分が楽することを教えるべきだったのではと思っている。

今も、子供達に話すことは変わらないけれども、歳をとった時に、後悔しない人生を送ってほしいと思うけれど、それは、当たり前の生活でなくてもよいと思っている。

結婚をして、家族を持つことでもないし、自分自身の当たり前、普通があってよいのではないかと思っている。

私は、子供の頃のトラウマかなと思う、良い子でいることが生きる上で、必要だった。だから、いつも笑顔でいよう、返事はちゃんとしよう、あいさつはきちんとしようと、他人から見て良いと思う行動を当たり前にしてきた。

だけど、そのために自分のしたい事が後回しになることが、多々あったように思う。

嫌と言えなかったこと相手の気持ちを考えて自分の気持ちを、言わない。

本当は嬉しいわけではないのに、嬉しいと言っていた自分。

他人に対して、関わるときに、相手が喜ぶこと嫌がらないことを、そつなくする人間になり、人生を送ってきた気がする。

厄介なのは、そんな風に考えてていることを相手に感じさせない技術を身に着けてしまった自分。

そのために、自分一人でいることがとても楽だと知ってしまった。

後悔のない人生を送ると、私生活には、自分だけが必要で、他人はいれたくない。

私は寂しいと思わないのだけど、果たしてこれは、幸せなのだろうか。

助け合うことは、必要だと考えているので、自分ができることはするけれども。必要以上に他人とかかわらないほうが、幸せだと思う自分になってしまった。

ただ、こんなことを言えるのは子供達に、私という人間を認めてもらっているからだと。母親として人として、信頼できる人間と見てもらっているからだと、わかっているからのようだ。

だから、今現在私の人生は、これでいいのだ。

 

 

 

 

自分に正直に、嘘のない人生後悔のない人生、笑っていられる人生を、歩いていきたいと思っている。

姉妹でも、こんなに違う考え方、思い。

最近、姉との交流がある。

私と姉は見た目も、考え方も全然違う。

姉は、昔から、妹、弟に対して、姉らしいことをするようなタイプではなかった。親に対しても、自分のしたい事をさせてもらい、母方の最初の孫でもあり大変お嬢様気質。俗に言う長女気質。自分が一番。

姉は、とてもきれいな子供だったので、大変可愛がられており、母方の叔父、叔母には特別に、大事にされていた。

私とは、対応が違っており、私は母方の祖母や叔母達に特別扱いはされたことはない。奇麗なもの美味しものはすべて姉からだった。

私は、体が弱く、赤ちゃんの頃に乳児脚気だったこともあり、小さくて色が黒くみすぼらしい子供だったこともある。

そのため、家の手伝いをしたりすることが多い子だったし、母が姉をかわいがっていたことはわかるが、私に対して特に冷たいわけではなく、よく褒めてくれていたので、他の人が姉をかわいがっても、特にひがむこともなく、育った。

それに、母も姉も奇麗な人たちだったので自慢でもあった。

ただ色々なことで、我慢をしなければいけないことは姉のわがままと自分が一番と言うことで、しなければいけなかった。

姉は、何というのか、姉らしくなく、妹や弟の世話をすることはなかった。

家のことも弟の世話もすべて私がしていた。

おかげで、家事、料理は、早くからできるようになった。

さて、そんな姉と今回の夫の話をしている時に、ちょっと嫌な気持ちを持ってしまった。

そして、自分が、子供の頃に、自分が我慢していることが姉のせいだと思っていたことに気づいた。

思わず「私は、子供の頃から、色んなことを我慢してきたから、大人になった今、他人に迷惑が掛からならないなら我慢をしたくないの。」

「姉ちゃんが言うように、我慢すればいいかもしれないけど、24時間の生活の中で、自分が生活するプライベートを我慢しないなんて考えられない。」

「元々、夫婦は他人。理解できなかったり、姉ちゃんが言うように見ざる聞かざる言わざるはできない。」

「嘘の生活を、我慢しなければいけない夫婦関係を続けるのは子供がいるとかなら、子どものために頑張るかもしれない。だけど、二人の生活だからこそ、正直に理解して、快適に暮らしたいし、お互いに、見ているものが違ったなら、私は、この今の生活を手放してもいいと思っている。」

「それに私は、結婚していると言うことの義務と責任を放棄していないから。だからと言って、夫にまで、そのことを、強制しようとおもってはいないだけだよ。」

「夫の結婚生活に対する考え方もあるだろうしね。浮気をするなら、その相手を私より好きになったなら、私とは離婚すればいいと思っているから」

「私は自分の思いを、言えないような夫婦関係ならいらない。」

姉は思うところがあったのか、私が子供の頃に我慢していたと言うことが、気になったのか、先ほどまで、「我慢したらいいのにとか、追い詰めるのはどうかとか、旦那が好きなことをするなら自分もすればいいとか」い言っていたのを言わなくなった。

姉の話を聞くと、姉は、外に出たいらしく、自分が働いていた時は、夜中の3時、4時まで遊んでいたと。

義兄が、姉の子供が、学生の頃に自分だけ、夕飯を食べて、子供たちには食べさせていなかったことも話をしてくれて、それからは、子供たちと自分は食べたいものを、義兄抜きで、食べていたと。

だから、私も夫が、好きなことをするなら自分もすればいいのではないかと。

「見ざる聞かざる言わざる」から「自分は相手を無視して好きなこと」ってできない。何で、そんな人と一緒にいないといけないのかわからない。

私たち夫婦はいつも一緒で、私自身は、外食を一人でするなんて考えられない。

それに料理が得意なこともあり、外食をして理、飲みに行ったりなんて考えられない。

旦那は、お酒を飲むこともないしたばこを吸わない。

義兄は毎晩、飲み屋に行き、毎日夜中に帰ってくる人。そして、姉の、外出特に、夜で歩くことを良しとしていない。

食事も、私に姉は、作ったものに文句ばかりだし、食べないという。

私からすれば、食べるものや好きなものはあるのだから、それを作ってあげればよいのじゃないかなと思うのだけど。

嗜好品は自分の思うものを、押し付けても仕方がない、義兄の食事を聞いていたら、子どもの喜ぶ料理ばかりだ。

簡単じゃないかなと思うけど、姉は、和食を食べたいと、煮物をたべないとか。

私は、旦那の分だけなので、作ることには大変気にしていない。

嗜好が違うなら、合わせてもいいし旦那の分は旦那の分として作ればいいのでは。

今は、仕事もしていないし、時間はあるだろうしと思う。

姉は、そんなに料理ができないことがあるのかもしれないけど、う~ん、料理ができないことは知っている。

私の所にきて、食事を作ってあげると、「美味しい」「料理が上手」「あんたと同じには作れない」と言っていた。

私の料理は、なんちゃった料理がほとんど。

姉は、工夫をしないで、素材そのものの料理が多いからかなと思う。

色々と簡単な料理を教えるけど、旦那は食べないとか言われる。もう、そうなのというしかない。

姉は子供の頃好き嫌いが多い人で、あれこれ、食べない人だったから、今も変わりないのかなと思った。

そんな、思考が、ライフ生活にも、影響があるのかなと。

同じ両親と生活し教育を受けたけど、周りのかかわり方で、考え方や思いがこんなにも違うみたいだ。

姉を見ていると、楽しいのかなと思ってしまう、いつも、しかめ面というのか、華がなくなっている気がする。

私と姉は2歳しか違わないのだけど、私の、友人たちが「お姉さん奇麗ね、全然、似ていないと言われていた。

いま、姉の知人に会うと、「えっ、妹さん」とびっくりされる。「2歳しかいがわない」と知ると、「凄く年が違うのかと思った」と言われる。

子供の頃、友人たちが、姉と私を比べて、称賛されていた表情をする。

姉は、奇麗なのだけど、いつも何か不満がある表情をしてるなと、思っていた。

今回話をしたことから、不満を持って今の生活をしているからかなと。

私と姉の生活が、幸せかどうかはわかるのは、本人だけだけど。

私の今の性格や生活は神様からのご褒美だと思っている。

子供の頃、母の代わりに、家事をし、弟の世話をして、他人から褒められることが、自分の肯定感につながった。

姉には「いい人で見られたい」ちう気持ちがあるからという言い方をされた。

それの何が悪いのかと思った。親がいい加減で、自分を守るのは自分でしかないなら、悪い子と言われるよりもしっかりした子、いい子と言われるほうが生きやすい。

成人してから、ほしいものは自分で手に入れてきた。人と付き合うときには、ある程度距離を取って、深入りしないように、してきた。

他人に依存した生活は嫌だと思って生きてきた。

それは他人に、振り回されることになるから。

姉は、いつだったか、私に「あん当たをうらやましいと思っていた、家事のことができて自信満々に生きている様子が」と言っていたことがある。

私は、何でも人から与えられる人間っているのだなと、姉を見ていた。

私は、そんなとこにいない人間なのだから、自分に正直に、嘘のない人生後悔のない人生、笑っていられる人生を、歩いていきたいと思っている。

 

 

 

プライバシーの侵害。損害賠償を請求することも。 夫のLINE、勝手に義父の名前で友達リストに登録していた件。

プライバシーの侵害。損害賠償を請求することも。

夫のLINE、勝手に義父の名前で友達リストに登録していた件。

知らないならまだしも、義父の名前って。義父は。スマホを持っていないのに。

故に、LINEなんてしてもいない。

もう、私は、夫の浮気を疑ってしまいましたよ。

夫は、LINEの友達登録は、自分でできない。登録したいときには、相手と一緒に目の前で登録をする。

友達の自動登録はオフにしている。

ID検索による友達登録もオフ。

友達以外からのメッセージは受信拒否。

そして、色々なスマホの操作は、私任せだ。

パソコンは使えるが、設定などは全然できない。

なので、何かの操作をしなければいけない時には、私がする。

今回も、たまたま、スマホに、マイナーポイントのライン登録の作業をしていて、気づいた。

うん?何で、お義父さんの名前の友達登録?

ちょっと、何で、お義父さんの名前があるの?

お義父さんはスマホ持っていないでしょ。

何、このLINEの人は?誰?

LINEの着せ替えは女性の写真、プロフィール画像はアニメ。

夫の、LINE登録を全部知っているわけでないが、それでもやり取りをしている人は何となくわかる。夫は、LINEが来ると誰からという人だから。

夫は、当然ながら。LINE登録の友達の名前を変更する方法など知らない。

だから、友達登録をした人が意図的に、名前を義父の名前に変えたと考えた。

ここで、浮気と思ったのは、夫が自分の個人情報を話していると思ったから。

夫は、勤務先でも、プライバシーを話さない。

だから相手の人が、女性の名前ではまずいと思って、夫に聞き、義父の名前にしたのではないかと。

ただ、義父の名前は、ちょっと変わっているので、漢字2字だが、聞いただけではかけない。かくいう私も書けない。

だから、2字のうち、1字がひらがな。

そして、浮気を疑ったわけは、思い当たる女性職員がいたから。

その方、夫と夜勤の最中、仮眠中の夫のほっぺを触ったり、頭を撫でたりとボディタッチをよくされる。何故か、料理を作ってきたこともある。仕事中なのの結構な頻度で悪戯をする。夫は何も考えずに、私にそんな話をする。

若い女性なので、夫のことを頼りにしているのだろうと気にしないようにしてきた。

最近、ちょっと嫌だわと思うことがあった。何故か、夫の誕生日がわかったとその日に誕生日のケーキをプレゼントすると言っていたらしい。

え~と、誕生日のケーキはしてくれなくてもいいよ、私がするからと。思ったが黙っていた。何で、夫の誕生日がわかったのだろうと?

すると、何故か、ライン登録をしている人から夫に、その人からの伝言を頼まれたと連絡があった。

体調が悪いから、ケーキを買いに行けないから、誕生日にはプレゼントを持っていくと。

何で、他人を介してまで、そんな伝言をするのだろう。

何も考えていないのか、夫に対して、特別な気持ちがあるのかと誤解してしまった。プレゼントは、バレンタインの時期もあってか、高額なチョコレートだった。

ちょっと、なれなれしいなと、以前から思っていたから、さすがに、今回はむっとしてしまった。

夫は、この女性から何度も、友達登録を言われたいたけれど、断っていた。

そのせいかなと。

今回、移動で、部署が変わるので、どうしても、ライン交換をしたかったのかと思った。

証拠はないけれども、かなり疑わしい。

夫は、寝ると起こされるまで、熟睡するタイプ。指を触られても起きない。かなり、声をかけてあげないといけない。

指紋認証でロック解除した可能性が濃厚。

今回憶測のい枠は出ないが、上司には相談した。

部署が変わるので、これからの接触はないだろうから、気にしないでおこうと思う。

夫も、彼女じゃないかもしれないけど、疑う余地があるから、私と喧嘩になったことが侵害なので、彼女とは関わらないと言っている。

それにしても、誰かわからないのは、気持ちが悪いし、嫌な感じだ。

調べたいけれども、そこまでしてどうするかと言うこともある。

夫にすれば、プライバシーの侵害だし、もし私とこじれて、離婚となっていたら、何としても見つけ出すと言っていた。

損害賠償で、慰謝料を請求すると。

確かに、このことで、離婚まで行っていたらと思うと、いたずらでは済まないと思う。

それにしても誰が何の目的で、登録をしたのだろうか?

被害はないけど、騒いでもしかたがないけど、できることはしたからまあ、いいか。

 

 

 

結婚相手と恋愛相手が違ってもいいかなと思う。旦那に対して、束縛がないのは愛情がないなのかな。私。

私は、やっぱり変わっているかも。

何だろうね、夫婦関係。

怒るべきなのだろうが、怒る気がない。

約束さえ守ってくれたら、いいかな。

多分、病気で、夫婦関係がないからかも知れない。

負い目ではないけど、夫は私よりも若い。だから、浮気ならいいかなと思っている。

まあ、私はおひとり様になりたい願望が強いことも関係していると思う。

不思議なんだけど、今の夫となら、離婚後も付き合っていいと思っている。

夫が付き合っていい相手は、既婚者でない相手。

ダブル不倫となると、相手の旦那から、慰謝料を請求されたるだろうし、私も巻き込まれる可能性が大だから。

相手が、既婚者でないなら、浮気から本気になったら結婚することもできる。

私は、不倫相手に、慰謝料を請求するつもりがない。

何というか、世の中色々な人間や考え方がある。

私の様な考えを持っている人間もいてもいいかな。

世界の国々では、一夫多妻制の国もある。

日本は、一夫一妻。だから、不倫はあまりいいことではない。

でも、人の感情はどうしようもないと思う。

特に愛情は、悪であり善であるといつも思っている。

結婚や婚約をすれば、ルールができ、義務が生じる。

面白いものだ。

若い頃に、本当に、生涯この人となんて思える人、変わらない相手に、出会うことがあるだろうか?

自分の感情を、コントロールできる人が、どのくらいいるだろう。

人には、欲という感情がある。

駄目だと思っても、わかっていても「欲」という感情に負ける。

集団には、必ず、ルールが必要になる。

それは当たり前だ。

遠い昔には、愛人さんが、本家の奥方に年末にあいさつに、伺う事があったと聞いたことがある。

そんな時代が日本にあった。天皇も、明治天皇時代までは、継承者のために側室制度があった。

正妻と愛人。愛情であらわすなら、善と悪。

子供の頃、人が好きになるのに、なぜ、悪いことのように言うのかと。

大人になるにつれて、人を好きになることは、ある意味戦いかなと。

人の気持ちは、絶対はない。心変わりがあって当たり前だし、ただ一人を思う人もいる。

出会いは大切、その人の人生に、必要なことだ。

長い人生の中で、人間がたくさんいるのだから、出会いがたくさんある。それなのに、愛情の世界だけが制限される。

愛情は素晴らしい物なのに、男女関係においては、どうだろうか。

お金持ちなら、いいのかもしれないが、それは、お金で解決することもできるから。

私は、旦那に対して愛情がないわけではない。だけど、恋愛からそうではない感情、何というか、母親のような感情だ。

だから、夫の誰かと付き合いたいという気持ちに、たいして、嫉妬はない。

夫に対しては、付き合う相手は既婚者と職場の女性だけは、絶対NGだ。

夫が、職場の女性の関係で、もめた。それで、出会い系サイトを利用しているのがわかった。

職場の女性に関しては、色々な偶然が重なったため、私の、既婚者はダメだからという気持ちが、優先して、旦那を追い込んだ。

結果、その過程で、出会い系サイトを利用しているのがわかった。

そのために自分の感情が、わかり、今回のブログになった。

まあ、誰かと恋愛でもしてくれれば、私に対しての執着がなくなるかなと考えていたし、離婚ができるという気持ちも。

決して、旦那が嫌いと言うことではない。嫌いという感情だけなら、とっくに離婚している。

私は、独りで気楽に生活をしたい。

旦那は、私といることを望んでいるから、出会い系サイト利用はばれたくなかったのだろう。

職場の女性は、相手の一歩的行動のようだ。職場の上司に報告をして、同僚の看護師(私は元夫の同僚)にも、それとなく頼んだ。

そして、出会い系サイトは、続けていいよと、夫に伝えた。

ブログに立ち上げているのも、自分が無理していないか本当に、旦那の恋愛(浮気)を認めているのかを知りたい。きれいごとを言っているのではないか。

しかしだ、私は、旦那に恋愛をしてくれていいと心から思っていることがわかった。

幸せになってほしいと思う。

恋愛相手、結婚相手が違ってもいいのではないかな。

色々な人間関係があっても良いかな。

私と夫の関係が、理解できないと姉がいったけど、きっとそれが普通なのかもしれないけど、普通でない関係も世の中にはある気がする。

 

 

 

 

 

 

もう、気持悪いわ。何でこんなことができるのかな。

先日、夫のラインを操作していて、LINEメンバーが何げに、目に入る。

えっ、何で義父の名前が。

思わず夫を疑ってしまった。

要するに、私に見られたら困る誰かが、夫の義父の名前で登録したのかと。

というのも、夫は、ラインの友達登録は自分でできない。

パソコンやスマホなどの取り扱いは、私任せ。

夫に聞いたら、覚えがない。

義父は、スマホを持っていない。パソコンなども、使わない。

義母が最近、ガラケーからスマホに変えたばかりだから、ラインはするけど、詳しくない。

そして、義父の名前は、ちょっと変わっていて、普通に読めないし、2字のうち1字は、書けない。だから、登録している字も、1字は、ひらなが。

夫は、息子なので書けるし、読める。

夫が、登録の名前を変えるなら、ちゃんと漢字で変えている。

夫は、スマホを無くしたことも、置きぱっなしにしたことはない。

何処で誰が都、考えた。

可能性があるのは、仕事が夜勤があるので、仮眠中に、誰かに勝手に、登録されたのではないかと。

夫は、寝ると少しくらい触られても起きない。声をかければ、起きる。

夫のスマホは、指紋認証なので、スマホを開くことはできる。

思い当たる人が、いる。

仮眠中の寝顔を撮ったり、起こすのに、ほっぺをつついたり、頭を撫でたりする人。

夫は、その人が悪戯をしていると、気にしていない。

私、既婚者の寝顔を、撮るとか、ボディタッチで起こさないでも、声を掛けて起こさないかなと思っていた。

この夫が知らない謎のライン友達登録。

写真が。40後半の二人の女性の写真。

コメントは無し。

夫は、全然知らない人。

もう、気持悪い。

一応、職場の上司に相談。

被害は無いけど、被害届をだしてもよいし、消費者センターに、相談しても良いのではと。

今は、被害が無いから被害届を出しても受理されないだろうと思う、警察は忙しいから、事件にならないと動かないから。

だから、被害届を出した人が犯罪に巻き込まれる。

助けて欲しいけど、警察は、助けて欲しいときには、役に立たないと思っている。

さてさて、どうしたらいいかな。f:id:compass-life:20230310192821j:image

この写真が、そのライン登録者のライン画面。

誰か知ってる人いないかしら。

 

大人の発達障害について。今後の息子に対しての私の思い

大人の発達障害について。

今回、息子が発達障害(診断は受けていない)と言うことで、思うことは、障害を家族が受け入れると言うことは、見えない分難しいのだろうなと思った。

看護師で精神科勤務の経験がある、私は、障害があると言うことで、息子の考え方や、どうしてそんな風になるのというような疑問が見えて、対応がしやすくなった。

母親であるがゆえに、障害があると言うことが認識できない時には、何で、この子は子供の頃は優しい子だったのに、こんなに冷たい表情をするのだろう?どうして、いっていることがわからないのだろう?怒ると感情が激しく爆発するのはと思っていたことが、腑に落ちた。

気持ちに余裕が持て、息子にどのように対応したらよいかがわかるので、ある意味、「ASD」と言うことがわかってよかったと思っている。

しかし、発達障害は目に見えないことなので、普通に何も言わずに、そこにいれば、わからない。目が見えないとか、車いすを使っているとか、視覚的なものがあれば、他人は、注意をして、関わるだろう。

だけど、話をしてもちょっと変な人くらいにしか思わなければ、悪意のある人ならからかうもしくは虐めをしたり、馬鹿にしたりする人もいるだろう。

発達障害の人は、なぜ、どうしてと悩みだす人は、精神病を発症させる原因になる。

息子は、我慢強く、他人とかかわるのは仕事だけだったので、自宅に戻れば、ゲーム仲間とインターネットで関わり、癒されていたので、今まで、生きづらさを感じていなかったようだ。

そして、自分の中で、こいつは嫌な奴だともうと、相手が何を言っても、人間として最低だと思うことで、無視をすることができていたようだ。

仕事の上司だとして、何か言われても心の中で、上司だから仕方がないけども、じゃあ、お前はできてんのかよ、自分ができていないのに偉そうにするなという感じで表に出さないでやり過ごしてきたようだ。

このやりすぎてきた気持ちが自分の中で大きくなったときが怖いかなとおもわないこともないけれども、上司、先生など権力のある人間は怖い?野か手を出したり反抗はしないみたいだ。

さて、今回のことで、感じたのは、いまはそれぞれが、成人して、生活を一緒にしていないために、兄弟と言っても、友人たちよりも関わりがない。そんな中で、仕事でかかわるようになり、「ASD」と言うことがわかっても、目に見えない障害は、兄弟という感情が、さらに良い結果につながらないと思った。

精神患者あるあるなのだが、家族が突然、特に成人して精神病を発症すると、家族が受け止めきれないのを数知れず見てきた。

子供の頃から、障害があるとわかっていれば、そのような対応を身に着けることもできたのだろうが、「ASD」の対応、関わり方を説明しても、どうしても、何で、こんなこともわからないのか、俺の弟なのにという感情が出てしまっている。

先日も、「俺はそんな、できない。」と言っていた。こんな時はこんな言い方をしてと言っても、仕事となると、どうしても駄目なようだ

親としては兄が言わんとすることは、わからなくはないのだけど、家族で、あるために、受け止められないで、イライラしているようだ。

親として看護師としての目からすれば、二人の息子の気持ちや考えがわかるから、何とも致し方がないなと思ってはいる。

相手の立場でものを考えるよりも、自分の視点で物事を判断するのが人だと思うから、仕方がない。

発達障害のように、一見して、そのように見えないことが多い場合、その人たちは、とてもつらい経験をするのだと認識している。

今回のことで、自分の子供が「ASD」だと言うことを気付けたのは、看護師としての知識があったことはあるが、考えてみると、子供の頃にも、その兆候はあったけれど、子供も日常生活に困ったことがなかったので、学習障害もあったけれど、それを学習障害として認識せず、凄いなこの子は天才だわと、得意不得意は誰にでもあると楽観的に考えていた私が居る。

子供の頃は、親や先生など、ホローをする立場の大人がいたので、たいして問題にならずに、現在に至ったと思う。

今はまだ、息子に「ASD」と言うことは話をしてはいない。

自分が看護師であると言うことで、看護視点で、息子が、こんな時はこんな風にと話をしていこうと思っている。

それに今の世の中は、自宅で仕事ができるようになっているので将来は在宅ワークで生活をできるような資格を取らせて、いけばと考えている。

息子は、不登校時代に独学で、パソコンを組み立てることができるほどパソコンに詳しい。

こっれは「ASD」の、関心ののある分野であれば高い能力を発揮することができる事のおかげだと思う。

そして、認めてもらうこと褒めること(できていることを認めてあげること)で、自分に自信を持つこともわかっているので、将来のために、一緒に在宅ワークの仕事を考えようと思っている。

人間関係は、本人は、ゲーム仲間や釣り仲間など趣味でつながっている人達がいるので孤独を感じている様子がない。

だから、仕事などの人間関係で、自己評価が下がらないように、対応の仕方と、本人の今の生活を維持できるようにしてあげたいと思っている。

 

 

大人の発達障害について。「息子の転職活動」

大人の発達障害について。息子の場合。

どうしたものかと、自分に障害があるなんて言われたら、嫌だろうな。

仕事が休みだったので、昼の食事を一緒に食べるために、外食。

結論から言えば、「ASD」ではないかと言うことは、言わなかった。

ASD」の特性を考えて、私が息子に対して感じている事を話をした。

仕事の様子を聞くと、上司の言うこと(兄)が、上司からもらった本と違う。自分ができていないのにと話す。

教える気がないと言うこと。

マニュアルがないと。

表情が、ないことも言われており、笑えと言われる。このままでは、近い将来止めてもらうことになるとも言われたと。

本人は、わかっていないのだろう。

上司である兄からは、報告を受けているので、状況は分かっている。

それらのことを知って、息子の話を聞いていると、やっぱり「ASD」だなと思う。

周囲への関心はないが、受動的というか、言われたことは素直に応じているが、本などで知った知識を、そのまま、待ってきて相手を見ている。

文字通り、言葉通りのの判断をしている。

関節な表現は伝わっていないようだ。

本での知識は、現実にそのままを利用するのではなく、それを基本にして考えると言うことができないようだ。

兄は、考えさせると言うことが自分を成長させると思っているので、それはこうだからという言い方はしない。そのため、遠回しな言い方や、このくらいは気づけというやり方なので、息子には、教えてくれないとなっているようだ。

営業の仕事は、臨機応用が大切だと言うことを伝えようとしているのだが、うまくいっていないようだ。

課長が来ているのに、外から帰ってきたときにあいさつをしないことで、注意を受けたら、話をされていたので声をかけなかったと。

この子とは、人が話をしているのに、声をかけるのは失礼だと言うことをマナーとして覚えているから。

だけど、上司が話をしていても、あいさつをするのは失礼ではないことがわからないようだ。藩士をしているのに「何の話をしているのですかと」割り込むのは違うが、そのことがわかっていないようだ。

兄にすればこんな常識がわからないのかと。

ともかく、息子はちゃんとマナーを守っているのにと、なぜ、注意を受けたのかがわからない。空気が読めれば、声をかけなくても、お辞儀するとかがあったのだが。

兄の話から、息子の「ASD」の症状がよくわかる。

そのために、どうするべきかを話さなければと思っていた。

食事をしながら、仕事の話を聞き、今後のことを聞いた。

「4月までに仕事ができないならやめてもらうと言われた。だから、次の仕事を考えている。」

「そう、時間があればできなことはないけど、兄ちゃんは率先力の人材を必要としているから、弟であるあなたに厳しいのかもしれないね。」

息子は、兄が言った言葉で、自分はもう辞めないといけないと、判断しているようだ。

私は、兄に対しては、息子の考え方や今現在、言われたことを一生懸命にしていることなどを話をした。

兄は、「ゆっくりと、うちに人材がいて、育てる状況があればいいけど、無理だ」

「母さんの言うこともわかるけど、今のうちの所では、そんな余裕はない。」

「俺らの仕事は、成果を上げてなんぼの世界だから。」

「真面目で、自分を変えると言うことに頑張っていても、今の性格では無理。空気を読めない事、相手の思いを受け止めて、相手が何を望んでいるかを察する能力がなさすぎる」

「マニュアル通りには、進まない仕事だから、こんな時はこうすると教えたら、そうではに時の対応ができないのであるなら、使い物にならない。あいつのためにもう一人ホロー人材がいる。そんなことは、今の俺の所では、無理だ。今は派遣の事務員が能力の高い人で、カバーをしてくれているが,この人がいなくなったときに今より仕事ができなくなる。教えてくれると待っていたのでは、仕事はできない。わからないのであれば聞いてこなければいけない。だけど、疑問さえ持っていない気がするし、自分の物の言う言葉がお赤しいことにも気づいていない。」

「電話があり、先輩に伝える際にメールで、○○さんから、言付けがありました。メールを見た相手、何のこと付け?と聞いてくる。そしたら、相手が事付けをしてくれと言われたと。相手は、今いないと言うことを知って、折り返し電話をしてもらってくださいとことづけでした。それならば、いないことを伝えて、何か事付けがあると聞いたら、帰ってきたら折り返し電話が欲しいと、急ぎではないと言うことだった。と言わないといけない。」

「何が重要な科を考えていない、何を伝えたらいいのかもわかっていない」

「致命的だ」

「電話の応対の仕方から、教えないといけない、そんな時間はないし、普通に何を伝えたら相手にわかるかがわかっていない」

もう、なるほどと思うしかなかった。

教えれば必ずできることはわかる。しかし、兄からすれば普通なことができないと。

判断能力がなさすぎると。

さて、息子が、再度の転職を考えていることがわかり、「ASD]の強みが生かせる仕事に応募させることを提案することにした。

そして、息子には「あんたは、今までそうだったのだけど、困ったことや嫌なことを言わないから、母さんも何も言わなかったけれど、今回、兄と職場が同じになって、兄からも色々と聞いて思うのだけど。あんたの前の仕事のほうが落ち着いて仕事ができるのではないかと思う。」

「今は半導体の仕事が、いいんだよ。」(太陽光発電の営業を転職サイトからすすまれていて、興味を持っていた。収入も多いから)

「そうかもしれないけど、元々は、○○にいきたかったのではないの。」

「転職するときに募集していなくって、営業をするなら飛込よりは、兄の様な営業からスタートすればよいと、兄と同じ会社を選んだでしょう」

「今、一年前から、仕事を変わるなら○○ならと言っていた会社が募集しているのよ」

「そこを受けてダメだったら、太陽光熱の会社に応募すればいいのでは。」

「元々、前職も、給料やボーナスカットで給料が少なくなったりしなければずっとはたらいていたでしょう」

「あまり転職をするのは嫌だろうから、今までの品質管理やラインの工程管理、生産管理の仕事ならスムーズにできるのじゃない。扱う品物が違ってもね。」

「○○は、大きな会社だから、今回のコロナ感染でも業績は落ちていないし、まだまだ伸びしろがあるよ。給料も初任給が最低ラインがわかっているし、知人からも給料はいいと聞いてるから。」

「お前の、まじめで黙々と作業の取り組めるところは、工業の様なラインの仕事がいいのではと思うよ。」

息子は、話をして、少しうれしそうにしていた。

そして、インターネットでその会社に、採用希望の連絡を入れた。

今回、私が「ASD」とわかって話をしていたけれど、話の仕方や内容を分かりやすく言ったこともあるのだけど、やっぱり、コミュニケーション能力がないのを感じた。

そして、自分が嫌なこと感じていることを話すのもうまくないと思った。

母親であるから、何を言いたいかわかるので、子いうことかなと聞き返すと「そうそう」という感じである。

言葉のチョイスができないから、自分の思う気持ちを説明するのもうまくないようだ。

これは対人関係で、相手に誤解をもたらすだろう。

知識と知っていることは本当に、凄いのだが、興味のないことは全然だ。

そして、今回感じたのだけど、聞くと言うことはかなり、わかりやすく言わないといけないことがわかった。

伝えることを、箇条書きで書いて、それを見せながら、説明すると何を言っているのかを理解しているようだ。

結論を言って、裏付けみたいな感じだ。

あいまいな言い方は、ダメなこともわかった。

障害者と認定をする必要があれば、息子に話をしてみようと思う。

今は、息子の生活に、困ったことがあれば、とにかく、まずは、母親を頼るように話をした。必ず、客観的判断して、助言をするし、考えると約束をした。

説明ができにくいのであれば、「困っている」と言ってくれれば、母さんが、話を引き出してあげるからと。

どのようなことをすれば、彼が社会で生きやすくなるかを考えてあげたい。

 

大人の発達障害について。今日、息子と話します。本人は「ASD」だと思っていない。

大人の発達障害について。

今日は、息子と話をしようと思っている。

本人は、自分が「ASD」だとは思っていないだろう。

病院に行って、診断を受けたわけでもないので、私の言うことをどこまで聞いてくれるか、わからない。

息子は、何故か母親の私の評価が低い。

長男次男は反対に私の評価は高いのだが。

転職の時にも、ちょっとした物言いが気に入らにようで、喧嘩をした。

普段は、当たり障りのない関わりなので、喧嘩をすることはない。

親である私がもうしょうがない子だわと思って、避けてきたので。

というのも、何というか今回のことで、息子が「発達障害」ではと認識するまで、この子は、怒ると手が付けられないというか、普通しないでしょというような後先を考えない行動をするので、あまり感情的になるようなことはしないようにしてきた。

感情的になると、それをしたらどうなるかという結果を考えない、考えられない。

直ぐ上の兄と喧嘩をしたときは、何と、鉄アレイで殴ってきたことがあると。兄のほうが強くて、大ごとにはならなかったが。

狂気というのだろうか、子供の頃にはなかったのだけど、中学から不登校になったころから、感情がヒートアップすると、普通の判断ができないようになっていた。

そのため、彼と話すときには、これ以上はと思うと話はやめることにしていた。

今回は「ASD」ということが、(診断は受けていが)わかったので、看護師として、話をするつもりだ。

話す方法としては、本人に考えてもらう方向で。

自分を見つめれること自分を知ることで、解決することができる。色々な出来事は、案外自分の中にあるから。

自分のことがわかれば、対応も、どうすれば問題を解決すればよいかがわかる。

ASD」についても個性だというとらえ方をしているので、一緒に考えて、私が居なくなっても、この子が人生を生きやすいようにしてあげたいと思う。

障害イコールだめではない。息子の、障害者であることで反対に、ここがすごいと言うこともわかっている。

親の良く目ではないが、凄いと思う。私なら、そこまで頑張れないよと。

自分が信じる人に答えようとする姿勢。

真面目に物事に取り込む姿勢。

ASD」で問題が生じるのは、コミュニケーション能力が他人と違うところだけど、本人が自覚できれば、対応がスムーズにいくだろう。

あくまで息子を否定するつもりでなく、障害だってその子の個性だと感じている。

その分そのことでこの子が誰かに傷つけられることが怖い。

他人は、自分と違う物のを、攻撃するから。

悪意はなくても、初対面から他人のことなどわからないから、自分の尺度で他人を見て、ある意味自分の価値観や考え思いを、伝えようとして相手を受け入れることが後回しな人がほとんどだ。

そんな人とかかわった時に息子は生きずらさを感じるのではないかと思う。

息子に今までの人生で、友人がいなかったわけではない。

パソコンでゲーム仲間がいるので、その顔を見たこともないゲーム仲間のいる大阪に1人で一週間行っていたこともある。

同じ趣味、自分と話題の合う人たちとはコミュニケーションが取れる。

だから、本人も自分のある意味特質を知らないでいたのだろうと思う。

息子は、話をしている時は、何も言わない。黙っていることが多い。家族と話をしている時も、兄がしゃべっていることや私の言っている事を聞いている。

意見を求めると、話すが、言葉数は少ない。

だから、本当に、「発達障害」は大人になって、何かのきっかけで気づくことが多いのではないかと思う。

 

大人の発達障害について「息子の場合」

大人の発達障害について。

今年65歳になる私。今年に入なって、どうしたらという思いを抱えている。

それは、息子が「大人の発達障害」ではと、思うことがあり。

親として、考えている。

子供は4人。もうみんな成人している。子育てはすんでいる。

だけど、親であることは変わりはなく、親として、子どもの幸せを心から願っている。

子供が、何歳になっても、子供は子供だ。

さて、どうして息子が、「発達障害」ではないかと思ったきっかけは、息子の転職がきっかけ。

息子は、7年間工業勤務。真面目に努めており、休むこともなく、仕事の愚痴を聞かされることもなく、何の問題もなく社会人として生活をしていた。

しかし、コロナ感染のために会社の業績が、悪くなり、給料が、少なくなった。

残業がないため、給料が、この三年上がらず、昨年のボーナスカット。

息子は、三年目前に、中古物件を購入しており、ちょっと無理して購入しており、支払いが高い。銀行の利息が、5%。そのため、毎月の支払いが、8万もいるのだ。

だから、転職しないと、まずいと考えて、転職をすることにした。

そして、営業の仕事を選んだのだ。

その勤務先が、兄と同じ。もっと言えば、兄が店長をしている営業所に配属。

兄から、色々な様子を、聞いていると、あれっと思うことが。

息子は、元々、不登校で、中学をほとんど行っていない。高校受験の時に、面談があったのだけど、面談があった後息子の顔を見た時に、落ちたと思った。

一年、中学生浪人。次の歳に夜間高校受験して、4年で卒業。

卒業後学校の紹介で、工場に勤務。なぜか、半年で辞めた。

その後、私の勤務していた、病院に看護助手として約3年勤務。

やめた後は友人のつてで、7年間務めることになる工場勤務。

息子は、高校を卒業する時から、友人とシャアハウスすると言っていた。

それで、高校卒業後は、シャアハウスで友人と暮らしていた。

だから、発達障害があると思ったことはなかった。

母親と話をする時は普通だから、会話に難があるわけでもなく、友人と暮らすことができていたから。

ただ子供の頃に、学習障害があった。何というか算数の計算問題が異常に早い。小学一年生の時に算数セットなるものがありその中に計算カードがあった。その計算カードの宿題があったのだけど、パット見せると、瞬時に答えを言う。

えーっ、この子算数の天才かと思った。

だけど、国語、文字を読むことが全然で、国語はまるっきりだめだった。

算数も文章問題があるのだけど、それは正解する。堂宇して、算数の文章問題はできるのに国語は読めないのだろうと。

不思議に思ったことは解決した。算数の問題は、算数の教科書の復讐問題が多いから、その図式(小学一年生の問題は、同じ形式で図も一緒)を覚えて答えているから。文字を読んでいたわけではない。

彼は数字や図式を覚えるのが苦にならなかった。だから囲碁や将棋が異常に強かった。

だからと言って、特に、学校生活に問題があったわけではなく、ちょっと国語は苦手程度で算数が得意。他の運動はできるし、他の教科がすごく悪いわけでもなかった。集団生活に問題があるわけでもなく、友達と問題はなかった。

私がもっと注意していればよかったのかもしれないが、そこまで深刻な問題があったことがなかったから。

中学の時に不登校になった時も集団生活をしないことのリスクを話をした。高校だけは卒業しなさいと。

結果、彼は自分で引きこもりをしている間に独学で、パソコンを組み立てることができるようになっていた。

家族との生活は問題なく、高校を卒業してからの生活も特に問題なかった。

今回、転職で。息子に関わることになり、「ASD]ではないかと私が疑いを持った。

息子とかかわりを持つことが少なかったこともあるし、もう30歳の息子だから、そんなに、生活に口を出すこともなかった。

ただ、不登校だったことで、感情表現が悪いなとか子供の頃はどちらかというと表情の豊かな子供だったのに、不登校で他人とのかかわりがなかったから、コミュニケーションの経験が少ないからかなと思っていた。

病院に勤務している時の話を時々聞いていたけれど、特に、不満もない様子だった。病院をやめたことを聞いたら、深夜勤務が、日勤を終わったあと6時間後に入らないといけないのが苦痛になったからやめたと。

ライフスタイルが合わなかったのかと、そして休みが友人と会わないからと言っていたので、確かに病院の仕事は、変則勤務で、他人が休みの時も仕事をしないといけないから、仕方がないと思った。

その後の工場勤務は、まじめに休むことなく7年勤務しているしコロナ感染で工場の業績が悪くならなければ、転職をせずに、定年まで勤めたのではと思う。

看護師の目から見ていても、「ASD」様子がわかる。

息子は、無表情で、笑顔を作れないのだ。子供の頃は、反対に多動性「ADHD」だったのではと思う。落ち着きがなく幼稚園児の頃、窓から出たり、先生がオルガンを弾いているのに、横で寝そべったりして他人空見られるのを喜んでいたり、何というか他人注目されるのが嬉しい様子だった。

大人になり、「ASD」の症状がでたのではないだろうか。

子供の頃の発達障害ADHD」は、ひどくなければやんちゃ坊主、子供だからと見過ごされる。

元々、両方の因子があり大人になり環境などで「ASD」が強くなったのではと思う。

息子は、怒ると狂気が強い、何をするかわからない部分がある。だから、怒らさないように、何というか怒ると目が座るみたいな感じがある。

沸点を超えるとやばくないこの人と思わすところがある。

普段は、何も感じないというか、自分が興味がないことは、聞いているだけで、いいも悪いもも言わないので、穏やかに見える。

仕事も上司の言うことに対しては、素直に聞いているようだ。

息子が仕事をやめる頃に、自分が後輩に教える立場にいることの話をしたときに、他人を指導する立場にいるのだなと嬉しい気持ちになった。人間関係で悩んでいる様子もなかった。

しかし、転職をすることで、なんだか変だと思うことが見えてきた。

まず、面接が大変弱いので、その練習をさせた。

高校の面接の時のことから、息子は、先生とか歳の上の人、役職を持っている人に弱い、萎縮すると。

兄の会社に入る前に、正式な面接をする前に、課長と店長である兄と(兄とは数年ぶりに合う)食事をした。

その時に、兄から色々言われたのだが、本番の面接の時には、兄が言ったことを、チャンと、直す様子を見て、課長が押してくれて、採用が決まった。

採用されて、一週間なのだが、何というか、もう、「ASD」を疑う言動が。

兄から、電話で息子の様子を聞いて、これは、大人のの発達障害だと、私は認識してしまった。

あまりにも、その言動が当てはまるのだ。

本人は、意識していないようだ。

だけど、兄には、「弟は、発達障害ではないからと思うから」と伝えて、対応を伝えた。

今の会社の、人材として、即効性のある人材を求めており、店長の弟であると言うこともありある意味期待されての入社だった。

しかし、その言動が、あまりにも、ずれており、役に立たないと。

兄曰く、時間を抱えれば、何とかなるかもしれないが、自分の営業所で、そんな余裕もないし、果たして、育つかわからない人材を面倒見るわけにはいかないと。