老春時代日記。2024年9月1日,
定年退職して、その後一年半くらいパートで、仕事をして、辞めてから専業主婦。
何だかんだと、自分の人生を振り返ったりしてる。
自分は、お一人様に、なりたいとずっと思っていた。
誰かのために、生きるのではなく、自分のためだけに生きたいと。
子供の頃は、親がいて、親の元でいなければというかか、大人がいなければ生きていけなかっただろう。
だから、親との生活に不満はなかった。学用品を買ってもらえず、給食費はいつも期日に持っていけなくても、食べる物がなくて、ひもじい思いをしても、大人になって、働くまでと思っていた。
誰かといる時は、自分のことよりまずは相手の事が優先だった。
姉弟がいたけど、母親から預かったお金で、三人分の食事を作る。いつ母親が戻るかわからないから、自分が食べないで、姉弟に食べさせていた。
だけど、私は全然つらくはなかった。自分が作った物を美味しいそうに食べてくれるのが嬉しかったから。
反抗期もなく、家事のことは、全部私がした。
だから、大人になって、働きながら、家事をするのはぜんぜん苦ではなかった。
元来が、世話好きな性格だったみたい。
少しずつ、大人になって、子供の頃からの自分の生活に疑問を持つというか嫌だなと思うようになった。
何がというと、私が思うほど、親や姉、弟は、私のことを考えていないと。自分だけが、親孝行、姉弟と仲良く、助け合うの当たり前という事が。
親や姉弟達は、好きな事をして遊んでる。
親や姉弟達と関わる中で、お金を貸してと言われても貸しても、戻って来たことがない。
朝から晩まで、仕事をしている私を馬車馬みたいにと言われたら。
なのに簡単にお金を貸してと。
母子家庭で、働いている私に、お金の無心。
不公平だと思うようになった。
利用されているだけ、血が繋がっているから?
私は、一度たりとも親にも姉弟にも、お金を借りた事がない。
働いて普通に頑張っていれば、貯金はできる。
まして、子供ができて、出産費用を貸してなんて、何を言ってんだと。弟の借金は断った。だって、それまでの借金1円も返してもらっていない。
そして弟は、自分が結婚する時に相手の親に私が親代わりと。お金の相談は私にと。
はっ、いつ私が親代わりに?
もう、呆れて、縁を切った。
姉とも、引越しの費用を貸してと言われた時に、旦那がいるのに、なんで、シングルマザーにお金をかりようとする?
疎遠になった。
私は、自信家に見える。胸を張っているからかもしれない。
会社、地域、子供の学校など、他人と関わる私は、頼りになるなるタイプ。
役員や、リーダーは、そつなくこなす。
だけど、他人を信用していない。
これは、辛いとか、苦労などは、その本人の感じる思いだから、話をしたとしても、相手は、気にしない。中には、面白おかしく、井戸端会議の話題にするだろう。
他人に対しては、感謝をする気持ちはもっているが、自分のプライバシーに、踏み込まれるのはいやだ。
これば、母子家庭になった時に、自分の👦が傷つけられるのが嫌だったから。
兎に角、大人は、軽い気持ちで、子供を傷つけるから。
離婚する時に、全ての知人と疎遠に。
夜も昼も働こうと、考え、子供に私のように不自由な思いをさせないと。子供、幸せにしようと。
若かったなと思う。
子供時代は、親や姉弟。
子供ができてからは、子供中心。
再婚してからは、家族のため。
自分の時間は、なかった。
振り返ると、働きバチみたい。
働くことは嫌じゃなかった。
お陰で、子供達もちゃんと社会人に。
今は、三度目の結婚で、夫婦2人だ。
おひとりさまになりたくて、もがいた時期もあったけど、今は、諦めの気持ちと、この人には、私が必要なんだなと。
あと、自分が、自分らしく居られる気が最近してることも、大きい。
してあげることをしてあげれば、何も文句を言わないし、私は以前のように、我慢して相手の気持ちを優先する事をやめたから。
それまでの私は、人といる時は、相手の気持ちや、私に何をして欲しいのかと考えて付き合ってきたから。
人と一緒にいる事は、苦痛ではないけど、気を使うから、自分がして欲しいことや、したいことは言わないしやらない。
だから、本当に、友人入らない。
むかしは、良い人は、友人が多いとか思っていたけど。
よく職場の人と、ランチや近所の人とランチやお茶会をするひとがいるけど、そう言う場所は、他人の噂話ばかりだから、参加したくない。
本当の事なんかわからないから、自分の目、耳で知った真実だけで判断したいから。
生きているということは、自分の命の時間を使っているわけだから。
それなら、噂話よりも、違う事に時間を使いたい。
まあ、仕事をしているときは、自分のプライベートは、話さないし、話をしても、差し障りのないことだけ。
だけど、困っていたら助けるし、話かけてきたことを無視するわけではない。
愚痴を聞いて欲しいのだと思えばちゃんと聞くし、助言を求められていると思えば、答える。
ただ、自分が人に自分の事を話さないだけ。
おしゃべりは大好きだし、誰かのためになるなら、助言も、意見も惜しまない。
子供の頃に、生まれた時は、真っ白な道を持って生まれてきて、その道に、綺麗な足跡をつけるかは自分次第と。
だから、道が汚れてしまう、誰かを傷作るような話題は、したくない。
65歳になって、猫5匹と旦那と、生活してるけど、おひとり様ではないけど、良い生活ではと最近思う。
これも、気になる事がひとつ、ひとつ片付いていき、心配ごとや、責任がなくなってきたからではないかなと感じている。
大人になったらと思い、働いて、毒親だから、頼れないから、自分には、自分しかいないから、きちんと後ろ指をさされないよう。
子供の頃は、あの親の子供だからと言われないように頑張っていた。
いつも、気が抜けない生活をしていた。
今は、旦那がいない間は、自由だ。したい事ができる。
俗に言う時間があるだ。
今は、インターネットのおかげで、こうして、自分の考えや思いを、発信できる。
誰に見られても、困ることはないし、自分の考えを書いたりできることは、ストレス発散になる。
知らない人が読んでくれて、共感してくれたり、役に立つ事があったりしたら嬉しい。
それを知りたいとかはない。
依存という概念がないから。
人は、絶対に、全く同じ人生をあゆむことはできないから。
自分が経験できることは僅かだ。
そんな中で、誰かの経験や人生の考えや思いが分かれば、自分の人生のヒントや助けになることもあるかなと、思う。
孤独な老人が多くなるというが、案外私のように、重積からはなれ、食べれるならまあ、いいかと思っているのかもしれない。
持病があるから、行動は制限されるけど、生きてきて、今が一番のんびりしている気がする。