老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

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私という人間。自分を分析するのは大好きだ。 60歳を超えると何も隠すことはないが、自慢できることもない。

私という人間。



自分を分析するのは大好きだ。

 

60歳を超えると何も隠すことはないが、自慢できることもない。

 

人生100年時代を生きていくには、まだ、時間はある。

 

それで、時々過去を振り返ってみる

 

過去を振り返るのは、脳の刺激になってよい気がする。

 

幸せとはと考えることがあるのだが。

 

価値観で、幸せの定義は、人それぞれの様な気がする。

 

私にとって何が幸せかを考えるにあたって、子供の頃のことと比べることが多い。

 

多分、子供の頃は、辛いとか苦労したとか全然思っていないのだが。

 

その当時に我慢したということがあるのかもしれない。

 

生まれた環境は、選べない。

 

その中で、私の場合は、大人になったらと常に思っていた。

 

大人になって働いて、親孝行するんだ。

 

美味しものを食べる。

 

ほしいものを買う。

 

貧乏な生活は嫌だ。

 

家を買う。

 

など、生きることに夢を持っていた。

 

だから、現実的な考えする子供だった。

 

友達と遊ぶことは少なく、家事をすることや弟の面倒を見ること。

同級生とは、学校だけだった。

 

だからといって、友達からハブられているわけではなく、学校ではそれなりの生活を楽しんでいた。

 

その当時、私の歳の子供が、集まって遊んでいることは、あったのだろうが、私は学校が終わると急いで家に帰った。

 

遅くなると母親に会えないから。母がホステスをしていたので、夕方には、仕事に行くから。

 

昼間は、寝ているので、仕事に出る数時間が、母と一緒に話ができる時間だったから。

 

中学生になると、クラブ活動で少し、遅くなると母はいなった。

 

まだ私の子供の頃は、共稼ぎの家庭は少なくて、母親は家にいる家庭が多かった。

 

私も大人になったら、お母さんが家にいて、「お帰り」と言うような家庭をもちちたいと思っていた。

 

子供の頃は、自分の周りがすべてだし、他の事と比べることがない子供だったので、他の家の子のことを、うらやましいとか思わなかった。

 

今現在も、自分のことを考えると、かなり、幸せだと感じている。



言いたいことを言わせてくれる夫。

 

体を壊して、持病持ちになったけど、働かなくても、良い状態。

 

子供たちは、心配な子もいるけれど、悪いことをするような子はいないので、頑張ってくれるだろうと信じることができる。

 

そして、何が一番幸せかというと、子供たちに愛されていると、感じることの人生。

 

私は家族に縁がないと言ったらない。

 

両親は、それぞれ100年時代というなら、早くに亡くなった。

 

姉妹弟がいるが、二人の妹とは、養子に出されたため、一緒に暮らしていない。

妹たちとは、20歳前に、あった。

 

だけど、環境の違いや、両親から養子に出された子供と、両親の側にいた私たちとでは、家族という絆は、繋ぐのは難しい

 

すぐ下の妹とは、割と長く交流があったが、考え方や思いが違っていて、ある日、けんか別れ。妹は、自分は親に捨てられたといつも言っていた。

 

私は、親の元にいたからと言って、幸せとは限らないと。

 

毒親のような親といるより何不自由なく、暮らしたほうが幸せなこともある。

 

それは自分の受け取り方次第ではないかと。

 

末の妹は、ちょっと壮絶だったのかなと思う。

 

育ての親が、目の前で自殺したらしいから。

 

すぐ下の妹は、末の妹が、自分の姉妹だと知らずに遊んでいたと、養母に教えてもらったと言っていた。妹は、あっけらかんと「虐めて泣かせていた気がする」と言っていた。小学校が同じだったらしい。

 

そのためか、末の妹は、凄く、嘘つきだった。初めて連絡を取った時に「お金頂戴」と言われた。

 

私はなんで?と思ったが、お金を送った。

 

この初めてのコンタクト後に会うことになったが、私のことを誤解しているようだった。

 

会社の社長の奥さんでお金持ちと。

 

ブランドの物を持っていないのかとか、家はとか。

 

私は当時、自営業をしている夫と、結婚していたが、会社とは名ばかりの、小さな製麺業をしている会社だった。



奥さんが、家事も、会社もすべて切り盛りをしないといけない状態だった。

 

よくわからないけれど、自分の夫の家族に、自分の姉は、凄い金持ちだと。

 

仕事もせずに遊んでいるような感じだった。

妹達は、関西に住んでいるので、会うためには新幹線で会いに行かないといけないので、会ったのは、一度きりだ。

 

どんな親の都合で、養子に出されたのかわからないが、自分の親の事ながら、あまりいい話を聞かない。

 

下の妹からは、私たちは売られたのだと言うし、父親が、養父に何度もお金を、無心に来たと聞かされた。

 

さもありなんと思った。

 

そう、父は、良い人なのだが、お金を借りることそして踏み倒す。

 

父にあった人は、始めは良い人と思うだろう。気前が良くて、親切。

 

でも、ある意味詐欺師じゃないかと思う。とても、よくしてあげるけれど、必ず、お金を借りるから。

 

これは、大人になって、気づいた事だけどね。

 

父の実家は、布団屋をしていたのだけど、布団を注文して、踏み倒す。

 

叔父の嫁から、父が亡くなった時に、実家の墓に埋葬させてくれないかと相談に言ったら、ぼろくそに言われた。

 

この時ばかりは、心の中で、生きている時に迷惑をかけたかもしれないが、死者に鞭打つことを言うあんたなんか、自分の子供から、同じ思いをさせられるからと思った。

 

この時に祖母から、「ごめんね。もう嫁に、全部任せているから、何もしてあげられない」と。祖母は、私とは血のつながりがない。後妻だから。でも、私はこの無口でいつも、怖い顔をしている祖母にかわいがってもらっていた記憶しかない。

 

「おばあちゃん、気にしないで、お父さんが悪いのだから。元気で長生きしてね」これが最後だ。今生きているなら80歳以上の高齢者。母と年齢が変わらないと聞いている本当かどうかは、不明だけど。

 

それからは、父の実家とは疎遠だ。だから、祖父が亡くなったのも知らないし、叔父が今どうしているかも知らない。

 

人間関係において、血のつながりがあるからこそめんどくさいことが多いのかなと、思っている。

 

それにしても親がちゃんとした付き合いをしていないと、血のつながりなんて、意味がない。

 

さて、一緒に育った姉弟はというと。

 

弟とは、疎遠。もう、20年近く会っていない。同じ町に住んではいるが。

これまた、お金の事から

弟の生き方が、私には合わないから。不義理をすると言うのかな。

何故か、私を金のなる木と勘違いしているようだ。

 

結婚をする時に何故か相手方に「二番目の姉と相談してと」。

 

もう、それを聞いた私は???。

 

何で、私が結婚費用の話をしないといけない?

 

それから、こじれた。

 

弟も、私からお金を借りても一度も、返してもらったことがない。

 

補足だが、私の家族は、私からお金を借りたも、返さなくてよいと思っているらしい

 

だから、弟とは、最初の離婚の話をした時から犬猿の中だ。



弟の浮気で離婚することになった時に、二度と会わない、弟でも姉でもないと。

 

それから、母が癌だとわかった時に、一度会ったきりだ。

 

姉とは、ある意味、良い関係を、保っている。

 

といっても、姉ともしばらくは連絡を取っていなかった。

 

なぜって、すぐにお金を貸してと言われるから。

 

母の癌がわかったころ、交流があったのだが、その当時に姉を通じて、弟の浮気相手の(この頃は結婚していた)出産費用を貸してと。

 

弟は、自分から言っても貸してもらえないだろうからと姉に、お願いしたようだった。

でも、姉にも断った。

 

「あのね、子供って、今日できて明日生まれるわけじゃないよ、ある程度は、貯金もしないといけないし、第一、貸してというなら、返済はこうゆうふうにすると言うならわかるけど。」

 

「大の大人が二人で、生活して子供の出産費用がないって。ごめんわたしね、母子家庭だよ。何でその私から、お金を借りようと思うわけ。」

 

「返す当てがはっきりとわからないようなお金は貸せない。それに姉さんには悪いけど、姉さんの保証でも貸せない、姉さんが保証するなら、姉さんが貸してあげればいいのでは。」

 

そんなこともあり、暫く、何年もだけど、姉とも疎遠だった。

 

何のきっかけか忘れたけれど、姉と交流を、再開。

 

で、すぐに、アパートの引っ越し費用をかしてくれないかと。

 

もうさすがに、あのねと思っちゃった。

 

「貸せないわ。前と違って、今は再婚して、旦那が居るから、お金を貸すなら、やっぱり言わないといけないから。ごめんだけど、姉さんも結婚しているのだから20万円くらいなら、旦那さんが用意するべきじゃないの?何で、姉さんが、かりようとしているの?わかんないな。」

 

というようなことがあって、姉はそれからはお金の子とは言わなくなった

 

たまに連絡を取るが、凄く、近い姉妹関係ではないと思う。

 

それによくわからないのだけど、姉は、自分の子供の結婚式に、私をよんだことがないし、結婚の連絡もしばらくたってからだ。

 

いまだに、姉に甥っ子と姪っ子の結婚式に呼んでくれなかったのか聞いたことはないけれど。

 

だけど、娘の成人式の時には、私に着付けを頼んできた。

 

着物を着つけることも、髪をセットもできる。

 

弟の結婚式では、私たちの着付けは私がした。お金のかからない人なのです。私。

 

成人式の着付けって、お金かかるからね。写真も撮ると言うとかなりなものなんでしょうね。

 

知らないけど、息子しかいないから。

 

と言うことで、姉とは、まずまずな関係かもしれない。

 

さて、幸せを考えてみると、幸せだ。

 

子供の頃、ほしいと思うものを買えないような生活をしていないし、マイホームもある。



引っ越しをしなくていい生活、子供頃からの自分の家。かなっているじゃない。

 

体を壊して、働かなくてもよい生活。

 

ひもじい思いをしなくてもよい生活。

 

自分が望んだ生活をしている。

 

この歳になって、こうしたいとか、ああしたいとかはない。

 

だからといって、無気力ではない。

 

生活を楽しんでいる。

 

ニュースを見て、ブログに書いたり、猫を保護して癒されたり。



時々、占いをして、悩みの相談に乗ったり。



大好きな季節の花を見に連れていってもらったり。

 

とても、穏やかで、子供の頃に臨んだ生活をしている。

 

誰かに、感謝できること。私の中では、今のこの幸せをくれた神様だ。



夫とは、盛大に喧嘩をするし、息子達のことはまだ心配ではあるけれど、成人してくれて、一応、みんな、それぞれが生活してくれている。

 

自分の日常生活だけを考えて、いられるのんびりした幸せ。

 

将来、今のままで、変わりがないのかなと思っている。

ウクライナとロシアの戦争のようなことや、災害に巻き込まれない限りは、幸せな日常だ。

 

しいて言うなら、夫とのことかな。

 

夫の両親が高齢者、夫は、長男だから、どうするのかなと。

 

だけど、私は変わらないだろう。やっぱり、生きていることが幸せだと思って今日を、楽しく生きていると思う。



幸せは、自分が感じることだから、自分なりの幸せを探せば、良いかなと思う。

 

文字にすると、頑張って生きることが幸せになることだと、心から思う。