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自分らしく生きることについて。昨今、人生100年時代と言われる中で、60歳を超えて、残りの人生あとどのくらいだろうと考えることが多い。定年後、20年の人生か。

自分らしく生きることについて。

 

昨今、人生100年時代と言われる中で、60歳を超えて、残りの人生あとどのくらいだろうと考えることが多い。

 

私の子供の頃は、定年は55歳だった。

 

今は、60歳から65歳になろうとしている。かつ、70歳までの雇用も、勧められている。

 

そんな情報を耳にしながら、定年から残りの人生は、20年くらいだろうかなと思う。

 

55歳定年なら70歳。

 

65歳定年なら85歳。

 

70歳定年なら90歳。

 

なるほど、長い間働いて、働かなくてよい生活は20年か。

 

私は、慢性腎不全があり、60歳定年の職場を退職した。しばらくして、パートに出たが、一年半でリタイヤ。

 

思ったより、体がきつかったから。

 

今現在は、63歳だが、完全に仕事はしていない。

 

慢性腎不全の持病と向き合い、少しでも、体調管理をして長生きをしたいと思っている。

 

自分らしく生きることを、目標に生きてきた。

 

そのために、無理をしたこともあるが、自分にとって何が幸せかといつも考えていたので、振り返れば、幸せな人生で、自分らしくを、頑張っていると思う。

 

そして自分らしくいことは、感謝の気持ちを、忘れないことだと。

 

何に感謝をするかというと、何故か、神様になのだ。

 

病気になったことも、今こうして、働かなくても生活できることも、全てを、感謝として受け入れることができる。

 

子供時代は結構ハードだった。

 

若い頃は、生活を考えて、歳をとったら、楽になるためにとがむしゃらに起こる出来事に、必死に、頑張っていた。

 

だから、仕事をすることも、子育てをすることも苦ではなかった。

 

自分らしくあるために、自分の人生を生きることに一生懸命だった。

 

そのためか、友人と遊ぶとかいうことはなかった。

 

20代の頃、結構、交友関係はあったがそれはすべて仕事だった。

 

この時代は、私の人生で一番、華やかだったかもしれない。

 

奇麗なものを身に着け、おいしいものを食べて、女性としての楽しみがあったかな。

 

それでも、それは私の人生の一部でだけど、自分らしくではなかったと思う。

 

保険の仕事やその当時に交友のあった人のおかげで、華やかな世界に暫くいられた。

 

子供の頃貧乏だった私からは、想像のできない生活。

 

ひもじい思いをした幼少の頃のことを考えると、夢のような時間だったと思う。

 

でも、その世界に入り込もうと思うことはなかった。

 

堅実な生活が自分には、合うと思っていたから。

 

華やかな生活は若さゆえだと思っていた。

 

自然体でいられる自分で、いることが大切だったのだと思う。

 

母のようになりたくないと思っていたのかもしれない。

 

母は、女である自分が好きだったのかと思っている、恋愛が好きで、楽しいことが好き。だから、ホステスという仕事が、性に合っていたのだと思う。

 

母は、ホステスをしていたけれど、崩れた感じが出ない人で、ホステスというより生活感のない不思議な人だった。

 

私は、20代の頃、華やかな、会社社長や、弁護士、医者の世界の人たちとは、自分とは違う世界の人だと思っていた。

 

でも、この人の上にいる人たちの考え方や、人に対する行動は、勉強になった。

 

今も、そのころのことは懐かしく思うが、それも人生の中の経験だったと思う。

 

子供が4人いて、今働かなくてもよい生活をさせてもらっていることは、神様からのご褒美だと思っている。

 

普通なら、母子家庭だから、お金もなく、病気持ち、かなり悲惨ではないだろうか。

 

三度の結婚をしての今の生活だ。

 

他人に依存する気がないので、自分の治療費など、自分にかかる費用は、すべて自分でしている。

 

簡単に言えば、いつ今の結婚を解消しても、問題がない状態と言うことだ。

 

自分らしく生きるために、誰かに頼りると言うことを、したくない

 

今、結婚をしていることも、私にとっては、必要かと言えば必要ではない。

 

ただ、今の夫の状態を考えると、一緒にいてあげることが必要なのかなと思っているだけだ。

 

一緒にいて、できることをしてあげているだけ。

 

たまにめんどくさいと思うこともある。

 

しかし、誰かと暮らすと言うことはめんどくさい物だろう。

 

自分らしく生きるために、何か、不屈の事が起きても対応できるようにと、考えている。

 

これは、自分の性格なのだろう。

 

私は、他人に対して、来るものこばわず去る者追わずだ。

 

他人が必要だと、私のところに来るなら、それは、自分のできることで答える。

 

自分は、他人に何も求めない。期待しない。

 

性格的に無理だから。子供頃より大人を信じていないから。自分も大人ではあるが、子供の頃の環境のせいではないかと思う。

 

育ててもらった親の生活が、人を信用できないと思うようになったのではないかと思っている。(私って人間不信っぽいのかしら)

 

自分らしくいるために自分に正直でいることが他人を傷つけてしまうこともある。

 

だからなのかもしれないが、自分らしくいたいと思うと、他人とプライベートを共有しようと思わない。

 

ここまでというラインを引いてしまう。

 

だから、他人と付き合うのは、私を必要としてくれている間だけだ。

 

と言っても、私の力以上のものを望まれたら、できないから、関わらないけど。

 

もしくは途中でも、リタイヤする。

 

自分らしく、生きることは、笑顔でいることの幸せ、感謝の気持ちを忘れない事。

 

私は、宗教は否定しないけれど宗教団体、宗教法人は嫌いだ。

 

私が、感謝するのは、私でいることに幸せを、感じさせてくれている神様に対してである。

 

神様がどんなものかわからないけれど、それでも口に出るのは「神様に感謝」だ。

 

今の状況が幸せだと思える自分が好きだ。

 

自分らしく生きることは、けっこう難しいのかもしれない。

 

孤独ということを感じる人が多いかも。

 

私も、子供の頃は、友人が多いほうがいいとか思っていたこともあるけど。

 

今は、他人とかかわらなくても寂しくないし、人は人と思っている、

 

どんなに相談事や話をしても結果、他人にとっては他人事だから。

 

人生は、その人の物で誰一人として同じ人生はない。

 

だから、似た事のある出来事はあっても、考え方や思いが違えば経験としての影響が違うから、共感できないこともある。

 

同じことを経験しても、人によってはそんなことと思う人もいるし、すごくつらくて死にたくなるような人もいる。

 

自分らしく生きるためには、常に、自分が楽しく感謝の気持ちを忘れない状態だと思う。