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旭川少女凍死事件について、思うこと。親の気持ちが、辛い だけど、娘さんのことで、少年少女達これからの未来の事を考えた時に、必要だと考えての行動に、拍手を送りたい。 誹謗中傷もあるだろう、だけど、きっと娘さんが、自分と同じ思いをしている子供たちのために、お母さん頑張ってと言ってくれている気がする。

旭川少女凍死事件について、思うこと。


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この事件は、高校生女子コンクリート殺人事件に匹敵すると思う。

 

親が子供を信じたい気持ちはあるだろうが、親が取材に、応じて答えている記事を見て、なぜ亡くなった人の親の家庭が悪いと、言うのだろうか。

 

なぜ、自分の子供やったことの責任をきちんと取らさないのだろうか。

 

自分の口で、質問に答えさせて、反省させるべきだ。

 

私自身も、4人の子供を育てて、虐めをされた子もいた。

 

虐めは本人が虐められていると認識すること。

 

この子とは、自分の子供がいじめにあった時に、確かにそうだと思った。

 

なぜなら、子供が学校に行きたくないと言ったときに、私は、その子供たちに、自分の子供には内緒で会いに行った。

 

その子供は、2歳上の子供だった。体格の良い子だったけど、家の子供のことを聞いたら、とても可愛いと言った。

 

背景を話すと、子供は当時小学一年生。相手は小学三年生。接点は、放課後児童クラブだ。

 

息子の訴えは、学校の廊下で驚かされたり、追いかけたりされると言うものだった。当時まだ、入学したばかりで、大きな年上の集団生活は初めて。

 

7歳の子供にとって、二歳上の上級生は怖いものだったのだろう。

 

さてこの子の会話から、この子はうちの子を弟のように思っている。悪気はないのではないか。もしかして、一人っ子かもと考えた。

 

そして、担任に、「うちの子が学校に行きたくないと。原因は、上級生が怖いと言っているのだけど、その子は、いじめているのではなくて、仲良くしてくれているつもりなのではないかと思う。

でも、息子にとっては、初めての集団生活で、年上お兄ちゃんは、怖いと。

対応を変えてもらえないか、それとなく言ってもらえないか」

と相談した。

 

運よく、担任が、低学年の時に受け持っていた子で、対応してくれた。私が、思ったように、一人っ子だった。

 

後日、息子は、嬉しそうに学校から帰ってきて「お兄ちゃんが、ごめんねって。何かあったら、いいにおいでって」と。誤ってくれたと嬉しそうだった。

 

それからは、休むことなく、学校に通った。

 

虐めは、本人が認識しないと、虐めでない。息子の時のように、相手は、虐めではなくて、遊んであげているつもりの時も、実際にある。

 

もし、私が、学校にいじめにあっていると、子供の言うことをうのみにしたら、解決しなかったかもしれない。

 

旭川少女凍死事件についても、虐めと言われた親は、どこがいじめと思われたのか、そして、相手がどんな環境に育っていようが、相手の環境を原因にしてはいけない。

 

それよりも、自分の子供の行動が、一人の人間の死に関わったことを、重く受け止めて、かばうのではなく、考えさせるべきだ

 

間違った親の態度だと思う。

 

間違った加護は、次の犯罪につながる。

 

何をしても、相手にも、悪いところがあるという事をもとに、自分のやったことを正当化させてはいけない。


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息子が、中学生の時に、ちょっとしたことがあった。

 

家は門限があって、夜は19時までに理由もなく、帰ってこなかったら、まず学校、次に警察に連絡することになっている。

 

ある日、いつもは遅くても18時には帰ってくる息子が帰ってこない。

 

今日はクラブに顔を出して帰ると言っていたから、それでも、18時過ぎには帰ってこれる。

 

時計を見ながら、待っていたら、バタバタと帰ってきた。

 

「母さん、ただいま。電話してないよね」

 

「うん、あと5分待って、帰ってこなかったらかけようかなと」

「良かった」

 

「なにかあったの?」

 

「う~ん、どうしようかな」

 

黙って顔を見ていると、困った表所をして話し出した。

 

「実は、○○君と部室で話をしていたら、鍵をかけられた。」

 

「えっ」

 

「それで、先生が見回りに来るまで待っていようと」

 

「最悪、気づいてもらえなくても、母さんが学校に連絡してくれるから、大丈夫と思ってはいたんだけど。先生が開けてくれたから。」

 

「そう、誰かのいたずらと言うことかな」

 

「多分」

 

私は話を聞いて、すぐに、学校に電話。

 

鍵を閉めた人を探してくださいと。

 

息子は、びっくりして、「母さんなんで?」

 

「あのね、あなたは今日から学校に行ったのよね、何で休んでいたのかな。肺炎だったよね。

それなのに寒い、部室で、もし万が一、気づいてもらえなかったら、再発して、重病になっていたかもしれない悪くすれば死んでたかもしれない。

鍵を閉めた人は軽い気持ちで、したのかもしれないけど、それは、殺人事件になるかもしれない大変なことなの。

だから、その人多分生徒だろうから、そのことを自覚してもらわないといけないと思うから。」

 

「怒っているのではないの?」

 

「怒っているのではなくて、鍵を閉めた人に、そんなつもりがなくても最悪なことが起こるかもしれない事を自覚してもらいたいの。その子のためにね」

 

「もし、あなたが鍵を閉めて、帰ってきたと母さんに言ったら、その場で、叩くでしょうね、何をやっているのと。」

この後学校が、鍵を閉めた生徒を見つけてくれた。

 

母親と一緒に、学校だあった。

 

母親が、誤ってくれ、姓とも誤ってくれた。

 

「誤ってくれて、ありがとう。でもね、誤ってもらろうと思ってあなたを探してもらったのではないよ。」

 

「きっと、いたずらだったのだと思う。鍵が閉まっているのを知って、焦っているのを見て面白いと思ったのかな。

 

いたずらというのはびっくり箱のように、びっくりしてあと笑いになって、楽しかった面白かったと誰も傷つくことのない、ゲーム。

あなたが、鍵を閉めたいたずらは、もしかしたら死んでしまうこともあったかもしれない。

なぜなら、うちの子が、喘息があるから。肺炎でよくなって、先日学校に来たばかりだったからね。」

 

「あなたが鍵をそっと、開けて帰ってくれるか、びっくりしだろうと鍵を開けるかをしてくれたら、ドッキリでしたで済んだかもしれない。

でも、最悪なことがおきたかもしれない。

そしたら、こうしてあなたのために、あやまってくれる親は、どうしたらいいかな。あなたがしたことで、かばいたくてもかばえないよ、だって、きっと親は攻められる。嫌でしょ、お母さんの気持ちになってみてね。あなたの事、そんな悪気でやっていないとわかっていると思うよ。

あばさんもそう思うの、軽いいたずらのつもりだったんだろうなって。

でも、その軽いいたずらの、考えてしないと取り返しがつかなくなることがあるとわかってもらいたくて、あなたを探してもらったの。」

 

「だから、攻めるつもりもないのよ。嫌だったでしょ、学校に親と呼び出されるなんて。ごめんなさいね。だけどチャンと自分がやったと認めてくれてうれしいです。きちんと自分がしたことの責任を取れるあなたはきっとおばさんの言うことも、わかってくれると思う。今日はありがとうね。」

 

この帰り際、息子は「母さんは、腹が立たないの?」

 

「そうね、あなたが誰かにひどく悩まされている人たちからの行為だったら、また違った対応になるけど、今回は、いたずらちょっとした気持ちの行動だと思ったからね。」

 

「もし、普段からいじめにあっての事だったら、許さないかな。」

 

子育てをしている当時、私は、自分が第三者目線になることを、意識していた。そのほうが冷静に対処できるから、

 

だから、うちの子に限ってと言う考えはなかった。

 

被害者、加害者になることは、うちの子にだってあると思っていたから。

 

子育ての時代、何度か子供同士のトラブルで、学校に行ったことがある。とくに次男坊は、他人に絡まれやすい子だったから。

 

その都度、先生を交えて、話をさせてもらった。

 

学校は、親が直接生徒と話すのを嫌う。

 

それは、わからないわけではないが、親と親を交えて話しをすると、子供は親の加護の元、本当のことを言わない。

 

親に悪い子だと思われたくない、嫌われたくないと

 

学校の先生はもっと子供の心理を学ぶべきだと思う。

 

息子が、小学6年の時にトラブった時が、そうだった。

 

トラブった子供と話をさせてほしいと言ったら、凄く嫌がられた。

 

結果、当時の担任が、私の強引さに負けて、校長と相談。

 

担任立ち合いでと言うことになった。

 

この時は、担任はもう投げやりで好きにやれと言うことで自分は立ちあうつもりはなかった。校長に報告したことで、立ち会うように言われたようだ。

 

この担任、サラリーマン教師と母親たちから呼ばれていた。(この呼び名は、何故か想像してみてください)

 

話が、すんだあと偉く、担任は感動していたけど、私は、たら部てえいる子供を責めるとでも思っていたのだろう。

 

その後は、この生徒が、うちの子に悪さをすることもなく、遊びに来るようになった。

 

世の親が、うちの子に限ってと考えるし子供は、悪気がないと罪がないとかいうが。

悪いと言うことを教えないとダメだと思う。

 

悪意のない行動こそがひどいことの連鎖を生む。

 

この旭川凍死事件も、虐めの親の言い分、いじめた子供たちの言い分の勝ったなことに、腹が立つ。

 

人の気持ちを考えない、自分の子供が同じことが起こった時に、同じことを言って、あきらめることができるのか。

 

相手の環境が悪いとか、その子にも問題があったとか。

 

その子供と面識が一度でもあったのかと言いたい。

 

自分の子供のいうことは、信じたいだろが、客観的に状況を判断して、自分の子供が、成長するように、するのが親だろうに。

 

大人になり切れない親が、子供を育てているのだから、チルドレンモンスターが育つだろう。

 

周囲の大人の対応が、ゆがんでいるから、虐めがなくならない。

 

学校も教師も、子供の味方ではない。1人の担任で、40人近い生徒を見れるわけがない。

 

人間関係。教師と生徒だって、同じだ。

 

私自身も、嫌いな先生はいた。今でも、ひいきをする先生は忘れない。子供は大人のずるいところを見ている。

 

だから、隠れて悪いことができるのだ。

 

そして、親の前では自分が悪くないと言う。

 

よく考えてみてほしい。

 

自分が子供の時にそうだったはずだ。

 

子供は、親の育て方だと言う人がいる、それは、その親の子供時代のコピーだから。

 

何かトラブった時に、相手も悪いと言う人は、自分がそうした感覚で、子供時代を過ごしてきたから。

 

受け継がれてきている親の伝統とでもいうのだろうか。

 

子供は、へその緒を切った時から人間だ

 

無垢であるからこそ、教えなければいけない。他人への思いやり、痛みを。

 

人として、生きると言うことを。

 

ずるさばかりを教える大人が多すぎることが、問題なのかもしれない。

 

旭川少女凍死事件の親の気持ちが、辛い。

 

だけど、娘さんのことで、少年少女たちこれからの未来のことを考えた時に、必要だと考えての行動に、拍手を送りたい。

 

誹謗中傷もあるだろう、だけど、きっと娘さんが、自分と同じ思いをしている子供たちのために、お母さん頑張ってと言ってくれている気がする。