老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

やばい、何というか、占う気がない。

占えない、、、、やばい。

 

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何というか、占う気がない。

 

一生懸命占っていて、ちょっとそれはあんまりじゃないと思ってしまって。

 

うちの息子なんだけど、先日、「お母さんの占いは、当たらない」みたいに、結構、辛辣に言われて。

 

はぁ~、よく言うわと思ってしまって、二度と占ってやらないと思ってしまったから。

 

今日、あることでその通りになって、連絡があった。

 

いや~、息子だからとお金もとらずに、ずっと占ってきて、私の実力はわかっていると思うのだけど。

 

だてに、40年近く占いしてないし。

 

ただね、占いは当たるとか外れるとかじゃないと言うことがわからないようでは、占いはしたくない。

 

運気だとかを読んだうえで、こういうことが起こると言っているわけで,絶対じゃないよといいたい。

 

それにもうこの件については占いたくないと、思っているから、カードを開いても、何も感じない、読めないわ。

 

なんというか占い師として、何も感じようとしない私が居る。

 

これはやばい。

 

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精神的に疲れるので、この占いしたくないと思っている。

 

このような気持ちの時は、絶対に無理。

 

特にお金が発生しない、好意だけの場合は、本当に結構純粋に、占えるので、相手の気持ちや状況は、当たる。(当たると言うことは言いたくないが)

 

今は、「当たった。やっぱりすごい!」といわれてもって感じ。

 

もう、息子の占いはしないと決めてしまっているので、親身になれそうにない。

何度となく、占いは、アドバイスだからと話してきたのに。

 

たしかに、相手の気持ちは、自分でもわからないけど、当てることができるし、状況がこうなると助言もできるけど。

 

自分の思い通りにならなかったからと、私のせいにされてキレられるのはね。

 

だってさ、行動したらといっても動かないし、性格だから仕方がないとは思うけど、そのためにチャンスを逃しているのに、どうしたらと言われてもね。

 

電話占い師をしている時にも、思う

 

自分でもわかっているけれど、否定してほしいから自分の求める答えを、言ってくれる占い師を梯子しているなぁと思う人はたくさんいた。よく言う占いジプシー。

 

 

占いは、依存するものではなくって、解決できない原因を導きだしてくれるものだから。決断するのは自分なのだからと思う。

 

わからないことののヒントをくれるものだと思えば、役に立つ

 

今は占いできないよ。

 

だって、めんどくさいもん。親子だから、言えることだけどね。

 

普段は、予約で鑑定をするので、時間までに切り替えをするので、私個人の感情は抜ける。

 

うまく言えないが、占い師の私は、個人の感情がなくなる。自分の感情や考え方、意見はなくなる。

 

占い師及びカウンセラーの感覚は、仕事、プロ意識になるので、自分の持っている技術をしっかりと使う。

 

今回の場合は、自分の息子だし、母親の気持ち優先状態。

 

無理だわ。絶対に占いたくない。

 

仕事となれば占うことができるのかな?

 

面白いことなんだけど、電話占い師の頃、声だけど、声を聴いた瞬間に、この人は占いジプシーだとか、愚痴を言いたいだけとか、助言を聞きたいわけじゃないなとか、本当に困っているわけじゃないなと感じたものです。

 

だから、こっちが嫌だなと思うとマジで、失礼な人たちがいっぱいいましたよ。

 

お金払っているんだからとか

 

当ててみろとか

 

占い師に、何求めてんの?と思う人の多い事。

 

自分が前に一歩出たい、今の悩みの解決策の糸口、未来の不安などの、指針を見出す占いという道具なのだと言うことを、わかっていない。

 

よく見てほしいというのは、相手の気持ち。

 

両想いなら、突然彼が冷たくなった原因、彼に嫌われたのかなら、占えるけど、

 

何も始まっていないとわかる人から、相手の気持ちと言って、占うと、何も恋愛感情はないと出る。そのことを伝えたら、怒りだす人がいた。

 

相手が自分を好きなら、動くというらしいけれど、相手が恋愛感情がないのであれば、始まっていませんから、あなたに対しては、ないです。まずは、相手に自分の気持ちを伝えるなり意思表示してはと助言すれば、「だから、私に対する気持ち、好きか嫌いかを見てと言っているのに」とガチャンと切られたこともあります。

 

もうね、電話マナーもなっていない感情的な人に、相手が好意を持ってくれるわけないのではと、あきれることがありました。

 

電話というものは大変難しい。

 

声だけが頼りなので、全神経を集中させるので、対面鑑定より疲れます。

 

私の場合は、声を聴くだけで、この人はこんな感じの人だから、言い方に気をつけようとか、話すテクニックを合わせることができるので。

 

ただ、性格って、声に出るから気をつけよう、何気に喋っていても、性格は声の質というものにきっちりと出る。

 

兎に角、占い師も色々だけど、私は切り替えが必要なタイプなので、話の中で占いしてよみたいなことが、一番いや。

だから、友人と距離を置くようになる。アマ時代は、お金をもらうわけではないので、当たるのも八卦外れるのも八卦という気持ちで占っていたけど。

 

プロになると、お金をいただくのでその人の悩みの力に少しでもなれればという気持ちが強い。

 

そのため、どんどんとただで、私に占いをさせようとする人とは付き合うのは、距離を置くようになる。

 

私の姉は、占い師という仕事をしていると、思ってくれているので、自分の占いや相談は、きちんとお金を払ってくれる。

 

姉妹だからといっても、「あなたは、プロだから、たとえ姉妹でもね」と。

 

すごくうれしいといつも思う。といっても、姉妹割引をするのだけど。姉は、「ほかの人に悪いから、ちゃんと取って」とやりあう姉妹関係。

 

年に一度だけ、私の気持ちで、年間占いをする。節分の時期に。

 

親しき中にも礼儀あり

 

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夫の職場で、ブーム?猫を飼っている人が多くなった。コロナ感染の影響かな。

コロナ感染の影響か、夫の職場でブームの話。

 

最近夫のから、猫の話がよくある。

 

家に、猫がいることを、何人かの同僚たちが知ったからかも知れないが。

 

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とある同僚は、家にマタタビを置いて、野良猫を自宅に招入れようとしている。

 

その同僚は、還暦を超えているので、「保護猫をもらうのは難しいから猫は、家につくから、家に来た子なら飼って問題ないと思って」と。

 

「家に、猫ちゃんは来たの」と聞いてみたら、夫から。

 

「いや~、ダメみたいで、この間旦那さんと、○○地まで、(ここは、野良猫が多い土地)野良猫を探しに行ったらしい。居なかったって、残念がっていたよ。」

 

もう、涙ぐましい。

 

人生100年時代だし、60歳だったら、20年生きるネコだって飼えるのに、年齢制限を設ける、保護猫会って、わからないこともないけれど、ちょっとなと思うのは私だけかな。

 

昨日は、別な同僚が、「黒猫の女の子の猫を飼いたい」と言ってると。

 

「え~っ、なんで。だって一人暮らしでしょ。まあ、飼えないことはないと思うけど。餌は、自動餌機を購入して、水は、家のように、ペットボトルの水飲みを使えば、大丈夫だけど。

だけどさ、飼うためには結構準備にお金いるよ。

お留守番させるなら、ゲージもいるし、健康診断や去勢手術や予防接種も。病気をしなければ、飼い始めに、5万くらいは、一気にいるよ。」

 

「○○先生(動物病院)のところにも、保護猫がいるけど、黒猫はみたことがないな。」

 

「てっいうか、あなたも黒猫ほしいって言ってるよね」

 

「家は、茶々が、白いから黒猫がいいかな」

 

「そうなの、私は、猫は縁だと思っているけどね。縁があれば、次の子を迎えるかもだけど。」

 

それにしても、猫ちゃんを飼っている人って、子供さんが拾ってきて、いっぺんに二匹飼い始めた同僚とか。

 

偶然、私たちがお世話になっている動物病院から、二人の同僚が猫を迎えていた。

 

夫は、職場では、あまりプライベートを、話さない人だけれど、猫の話で、同僚から、話かけられるらしい。

 

猫ちゃんは、それぞれ個性的で、家のカーテンをぼろぼろにして困るとか言われる人もいるけれど、猫を一度飼うと、癒される人ばかり。

 

猫ってすごいなぁって思ってしまう。

 

夫の職場は、以前私が一緒に働いていたのですが、その時は、猫を飼っている人は知る限り、一部署に二人いたかいないかだったから、びっくり。

 

うちの近所も、先日まで猫の親子がいたけれど、見かけなくなったと夫が言っていた。どうも、夫はその中の一匹の、黒猫がお気に入りだったようだ。

 

「猫は、春と秋の二回出産をするらしいから、次の出産のために子猫たちを、親離れさせたのだろうな。もうすぐしたら、また子猫が生まれるだろうからその時に、黒猫ちゃんがいれば、保護してあげればいいのじゃない。」

 

だけど、縁だからねと心に思っている私。

 

コロナ感染で、外に出れない今の時期、猫を家族に迎えることは、いいかも。

 

でも、コロナ感染終息したらどうなるのかなとちょっと心配。

 

外出から帰ったりすると、玄関まで急いで、迎えに出てきてくれたり、しばらくそばを離れなかったり、そのしぐさを見ていると、家を空けることが、できなくなったと言うことがある。

 

前のように、遊びに出るようになれば、生きている猫ちゃんの気持ちを考えず、ほったらかしにしたり、捨てたりする人が出てこないかなと心配になる。

 

 

 

 

老後について、お金のこと生活のことを考えてみた結果、健康が一番

老後の生活について。

 

老後のお金について考えてみる。

 

○○万いるとかいうけれど、そうかなと思う。

 

どこにそんなに、お金がいるのだろう?

 

生活水準を、維持して暮らすならと言うことなのだろうが、私の家ではそもそも、生活水準が高いといえないだろうけれど、満足のある生活をしている。

 

何をもっての老後資金なのだろうか?

 

 

先日、前の家のおばあちゃんが「家があってよかったわ」と話をしてくれた。

 

年金で一人暮らしをしているのだが、時々デイケアに通っているようである。

 

といっても、デイケアに通うようになったのは、二年ほど前に骨折をして、入院されて、治ってからである。リハビリを兼ねて、行っていると言っていた。

 

このおばあちゃんを見ているというか、亡くなったけれど隣のおばあちゃんもだけど、外出は、時々買い物だけ。外出することも、どこかに出かけることも見たことがなかった。

 

隣のおばあちゃんが生きているときは、時々日向ぼっこをしながら、井戸端会議をしていた。

 

歳をとると、活動範囲がなくなるようだ。特に、80歳も近くなると、家で好きなカープ観戦が楽しみとも言っていた。

 

私も実際に、仕事をやめて家にいるのだけれど、体調のこともあり、外への活動がなくなった。

 

だからといって、家に閉じこもっているわけではない。車で、ドライブに行くし、猫の散歩に行くし、庭の手入れもするしと貧乏暇なしで動いている。

 

私の老後だけど、夫とが年下の為、生活費は、心配がない。

 

それで、気になるのは、私が亡くなってからの夫の老後だけである。

 

私たち二人は、あまりお金は使わない。

 

交際費というものがないから。

 

生活をするのに、他人との付き合いが多いとその部分のお金は結構かかる。

 

冠婚葬祭は、人付き合いが多ければ多いほどかかる。

 

その冠婚葬祭費用が、私の家では0だ。

 

夫は、城廻が趣味、私は花追っかけが趣味。そのため、夫が休みの時は、日帰りドライブによく行く。もちろん、お弁当持参。年に、何回か一泊二日の旅行に行くけれど、それは、ボーナスで。生活費とは別。旅行も、4~5万以内だ。

 

実質の生活費は、家のローン含めて、10万かからない。食費と日用品込みで、月平均2万。あとは、ペットの餌代くらいかな。

 

夫は、養育費を払っているが、それももう二年で済むので、その分貯金が増えるだろう。

 

本当に、夫はお金のかかることをしない人で、ローンも家のみ。ほしいものがあれば、ボーナスの時に計画的に買っている。

 

私の老後は、夫が生きていれば見てくれるので、夫には、できるだけ。貯金をするように言っている。

 

夫が定年退職をする頃に、私は80歳を超えるくらい。昨今は、定年が伸びているので、夫は、65歳を過ぎても元気であれば働いているのではないかと思う。

 

人生は、何が起こるかわからないけれど、あまり先のことばかりを考えて、今を楽しめない生活はいかがかなとも思う。

 

無理をせずに、わからない未来に不安を増大させず、できる範囲で、準備すればよいのではと思う。

 

老後は一人になることを考えて見るべきではないかと思う。

 

私の家の前のおばあちゃんを、見ていると、仕事をせず、のんびりと静かに暮らしていることに、何の不満もなく、安泰。時々娘さんが様子を見に来られている。

 

 

自分が、満足が行く老後生活なら良いのではないかと思う。誰に自慢して、暮らすわけでもないし、歳をとると、それまでのような生活はいらなくなる。

 

子供たちも自立し、身体が若いころのように活動的でなくなると、それに合わせた行動をするので、お金はあまりかからない。

 

人生の楽しみを考えてその日を楽しく満足のいく毎日を工夫すれば、お金って、余りいらないようである。

 

あればあるように、なければないように、人間は生活していく。

 

アリとキリギリスのように、働いてばかりも、遊んでばかりも問題。

 

働いても、働きすぎて身体を壊して、老後はベッドの中というのも問題。

 

遊んでばかりで、他人を当てにするのも問題。

 

子育て中は、子供の夢や自立をさせるのという目標や願いがあるからお金が必要だと思う。

 

でも、老後という目標を立てる必要があるのだろうか?

 

ライフスタイルは大切だけど、それって働き方の目標だと思う。

 

老後は、それなりに、なるようになるさという、ちょっと気の抜けた感覚も大切かなと思う。

 

準備は必要だけど、歳をとると、人生を頑張ってきたら、「欲」がなくなって、本当にのんびりと、できることで、楽しみみたい。

 

老後を心配して今の生活を楽しまなければ、後悔する気がする。

 

自分に合った老後を考えて、今の生活を楽しもう。

 

還暦過ぎた私から、言えることは、「健康が一番」じゃないかと思う。

 

私が持病持ちだから、「健康であれば、老後はう~んと楽しめる」と思う。

 

身体が悪いとやっぱり何かと制限があるからね。

 

老後のお金よりも健康を考えることが大切かな。

 

 

 

 

 

見た目から自分を変えてみよう。

見た目重視。

 

これは大切だと思う。

 

ブランドのものを身につけると言うことではない。

 

人は、目、鼻など五感で、相手を判断する。

 

生きていくのに、見た目は大切である。

 

運動をしていない人でも、テニスラケットを持っていれば、「あの人は、テニスをするのだろう、活発な人だな」音楽器具を持っていれば「音楽が好きなのかな」

 

不潔なかっこをしていれば、だらしないと思われる。

 

私が昔知っている893さんは、上品で893さんには見えなかった。チンピラさんは、いかにもという感じであるが、幹部クラスになると全然見えなかった。

 

話をして慣れてくると、「あ~あ、やぱっり、893さんだな」と思いましたけど。

 

私がすんでいたマンションの一階に、893さんの事務所があって。話をしたり、同じマンションの住民ということで事で関わりがあった。

 

893さんって、同じマンションの住民には親切でしたよ。

 

女性は、着物を着れば、おしとやかになるし、パンツスタイルになれば、なんだか活発になるのと同じ。

 

見た目で自分の性格も隠すことができる。

 

SPのような人が、黒のスーツを着ていることが多いのは、強く見える効果だし。

 

なりたい自分があるのであれば、そのような見た目にするとよい。

 

自分が、まだその見た目に届いてなくても、人は見た目に合うように努力するし、言葉使いも、しぐさもそのようになる。

 

できる人を見せると言うことだ。

 

なりたい自分、できる人になるべき努力をする。

 

自分の人生は、自分だけである。他人に決めてもらう必要などない。

 

だけど、他人から、かっこいいと言われれば、自然にそのような人間になる。

 

おどおどしていれば、そのような扱いを受ける。

 

堂々としていれば、そのように見られる。

 

見た目は、自分のためにするものである。なりたい自分を表現し、内面も外見も、本物にしていく努力をすればよいのだ。

 

私のことで、恐縮だが、私は子供の頃から若く見えて、今も若く見えることで、元気に見える。子供の頃はこの若く見える見た目はあまり好きではなかった。

 

同じ年頃の子より幼く見えて、姉と2歳しか違わないのに、いつもお子様扱いだった。小学校にあがっても、高学年になっても、低学年に見られていた。

 

貧乏ではあったけれど、洗濯したものをきちんと着ていた。洋服はほとんどなかったから、いつも学校の制服だったけれど、白いブラウスは寝る前に、いつも洗って、朝着ていた。

 

高価なものを着るとかではなく、自分をどんな人間に、見せるのが楽に生きれるかを考えて、見た目を作る。

 

TPOはとても大切だと思うし、イメージ作りは必要。

 

ある意味、生きる手段の一つだと思う。

 

人によるかもだけど、私は、自分が看護師だったため、見た目をとても重視していた。

 

体系は、もちろん。だって、考えてみて。

 

太った看護師から、生活習慣病の話をされ、「痩せましょう」と言われても説得力ないでしょ。

 

持病を持っているからと言って「私は持病持ち」なんて、カッコしていたら、人が寄ってこなくなる。

 

不幸を宣伝しても、誰も喜ばない同情されて人生を送りたくない。

 

子育て中、私は身体のどの部分を、大切にしていたかと言うと、

 

ズバリ、頭。髪だ。髪をきちんと、編み込みをしたりして、セットしていた。

 

髪が乱れていると、不潔感、やつれ感がでるから。

 

看護師時代は、ただ結んでいるだけでなく、ぜったいに、編み込みできちんとセットして仕事をしていた。(歳をとると、この編み込みセットの髪は、乱れないので若く見えるし、患者にとても良い印象を持ってもらえた)

 

患者から、「旦那さんがしてくれるの?」そんなわけないでしょ。「美容院でするの?」いやいや、朝早くから、している美容院なんてないよ。

 

いつも、身だしなみをきちんとしていると、患者からは、できる看護師として信頼される。40年間の看護師生活でかわることのないスタイルだった。

 

幸せなパワーは、自分も他人も幸せになる。

 

幸せな見た目で、暮らせる人は、時々しんどいかもしれないけれど、強くなれる。ちっとも、不幸でなくって、私って、楽しい人生を送っていると思える。

 

自分にかける時間を大切にすることが見た目重視につながる。見た目を気にすることは、自分をしっかりと、見つめることなので、やる気が出るし、自信を持つことにもなる。

 

見せかけで最初はいいと思う。見せかけ、はったり上等。最終的に本物になればいいのだから。

 

見た目重視万歳といつも思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演じようではないか、人生という舞台で、自分の人生では、自分が主役。

自分の人生では、自分が主役。

 

昔、子供の頃、何だったか誰が言ったか本で読んだのか覚えていないのだけれど、

「自分の人生では自分が主役だから、女優であるべし」と。

 

今でも私は死ぬまで、自分の舞台上で「私」という女優であろうと思っている。

 

だから、自分の舞台では、どんな自分を演出するかを楽しんでいる。

 

カメレオンでもありたいと思っている。

 

人間は自分の中に、色々な人格を持っていると思っている。

 

これは、多重人格と言うことではない。

 

その時その時の状況で、見せる人格を変えることができる能力ということである。

 

私は、中学の時に転校したのだが、中学三年の夏までいたA中学と転校したB中学のイメージが違う。

高校に入学したA学校の友人から「あのね、B学校の子と友人になって、A学校から転校してきた子がいるのと話になったのだけど、なんか、〇子のことだと思うのだけど、ぜんぜん、違う子の話をしてるみたいなんだけど。」

「小さくって、とても可愛いおとなしくって、いつもニコニコしてる子なのって。」

 「それ、私。」

 「え~っ。嘘、イメージが違いすぎるよ。小さいのは合ってるけど、おとなしいって。だって、クラブではみんなを引っ張っていくし、主力選手だったし、男子も黙らせる〇子のイメージが。」

 

そうなんですよね、その当時、転校先の中学校では、6か月しかいなかったので、別に、何をすると言うこともなく、と言っても、陰気とかではなく、兎に角転校生ということで、それだけで目立つから。

めんどくさいこともあり、特に親しい友達を作るわけでもなく、話しかければ、話すというスタンス。

 

見た目の印象で、みんなが適当に話しかけてくるから、みんながいう可愛くおとなしイメージ通りを、演じていたというか、自分の強い部分は出さなくてもよかっただけなんだけど。

 その経験からも、人間って、色々な自分がいるんだなと思った。

私は、離婚をしたときに夜の生活(ホステス)と昼の看護師の仕事をしていたことがある。

私は、普段は、夜の仕事のイメージは感じない、いかにも、夜の仕事をしている人という感じはなかった。

子供がいたから、母のようにホステスをしているというのだけは、子供のためにも、出したくなかった。

まあ、夜の仕事では、お酒もたばこも一切しなかったので。お酒飲まずにホステスができるのかって、できるのだ。

 

夜の仕事の時には、ホステスを演じ、昼間は、看護師、そして普段はお母さんを演じていたと思う。

 

今も、夜の仕事をしていたことは言わないとわからない。

どこがどうということもないのだけれど、仕事なので、タレントや女優のように、自分ではないことを演じていることは、楽だったのだと思う。

 

クラブの「チーママ」をしていた時も、ママと歩いているとママから、「あなたと歩くと、なんだかスカウトした新人の女の子を連れているみたいで、私がすごい目立つわ」「本当はすごいやり手のホステスなのに」と苦笑していた。

 

現実に、どれだけの人が、赤の他人のことがわかるのかと言うことである。

 

私は、

「心には、王冠を持とう」

「肉体は、他人に傷つけられることがあるだろ、でも、心だけは自分のもので誰からも傷つけられることはない」

「人は生まれた時は白い道だけで、その道に色を付けるのは自分だけ」

「後ろを振り向いたときに、奇麗な色が多い人生を送りたい」と思っている。

 

だから、人生では、女優であり俳優でいいじゃないか。

 

人生は、悩みもあるし、苦しみもあるでもそれは自分で、解決していくからこそ、生きているのだ。

 

悩まない人はいない。

 

演じようではないか、自分の人生という舞台で。

 

あなたが、主役、監督、演出家、脚本家。

 

そんなつもりじゃなかったと思うときどうする?

そんなつもりじゃなかった。

 

こんなことが、他人とのかかわりの中でありませんか?

 

よくあるのは、相手があなたの話で怒ったり、悲しんだりしたとき。

 

誤解や相手の勘違い、思い違い、悪意なく言ったことなのに、こじれてしまう関係。

 

「そんなつもりじゃなかった」こんなことが起こった時は、改善しようとしてもうまくいかなかったり、何でと思う、自分の心に悩まされたり。

 

大切な人だからこそと思えば思うほど、泥沼に入ってしまう。

 

善意の人であろうとすれば、するほど苦しまなければならないことになる。

 

「そんなつもりじゃなかった」を訂正しようとしても、相手の心にうまれた疑心暗鬼の心は、良心よりも、強い。

 

「そんなつもりじゃなかった」は、本当につらい状況。

 

そんな人間関係になったら、ハッキリ言ってどうしようもない。

 

どうしようもないけど、自分が本当にそんなつもりがなかったなら、

 

まずは謝ろう。

 

次に、自分の言い分は言ってみる。相手が聞いてくれなければ、一旦あきらめよう

 

時間を置くのである。

 

誤解をされて、相手から嫌われたら辛いし嫌だけれども、感情や思考がマイナスになっている間は、離れよう。

 

どんなに無視をされたり、嫌な顔をされても相手に会ことがあったら、あいさつは絶対にしよう。(学校の友人だったり、会社の人間だったり)

 

そして、毅然としていよう。決して、媚びを振る必要も、びくびくして相手の動向を気にしない。(だって、あなたはそんなつもりじゃなかったんだから)

 

相手の顔色を窺ったり、変に媚びを売ったりすると、よけいに、「やっぱり」と思わせてしまうから。

 

とてもつらい時間を何日も過ごさなければいけないかもしれない。

 

もしかしたら、相手が怒りに任せて、他の人に自分の不愉快な気持ちをぶちまけて、誤解を他の人から設けるかもしれない。

 

だけど、毅然としていよう。

 

毎日を、いつも通りに頑張るのだ。そして、変わらないあなたでいることが、「あれ?」と思ってもらえることにつながる。

 

「そんなつもりじゃなかった」と言う言葉が本当だったのではと。

 

あなたの変わらないことが、人間関係の誤解や勘違いを改善してくれる。

 

時間はかかるだろう、でも、自分に負けないことである。

 

その相手を信じることでもある。

 

そして、「そんなつもりじゃなかった」ことは過去のことだと、このままでは、未来に勧めない。過去は変えられないのだから。

 

でも、未来は作ることができる。未来は変えられる。大切な人間関係なら、未来の関係をあきらめないでほしい。

 

時間がかかっても、あなたの真実の気持ちを分かってもらえる時が来ると信じて、相手を信じよう。

 

強い気持ちを持とう。あなたが相手のことを、大切に思っていることは報われて、誤解を解くタイミングが必ず来る。

 

人間関係の試練は、自分が試されているのだと、強い自分になるため、本当に優しい人間になるため、自分らしく生きるため、そして、辛い人間関係を乗り越えたとき自分のことが大好きになるために。

 

自分のことを、自分で認められたら、怖いものなんてなくなる。

 

 

人生100年時代をどう生きるか、働くかを考えてみた

人生100年時代。

 

先日、高齢者とは何歳からと思って、調べて見た。

 

65歳から74歳が準高齢者

 

75歳から89歳が高齢者

 

90歳から超高齢者

 

これは、ワーキンググループの提案

 

私が、子供の頃は55歳が定年だった。約50年前

 

私が大人になったら、60歳定年になっていた。

 

そして、現在は、65歳定年が。

 

巷では、70歳定年時代の足音が聞こえるという。

 

生存年齢が高くなり、高齢者が多くなることもあり、定年年齢が伸びつつある。

 

若い人たちからは、自分達は、年金をもらえず死ぬ運命だという人もいる。

 

確かに、60歳でもらえるとしていた年金は、65歳に

 

さらに、国は年金受給歳の繰り上げを勧める。

 

一生懸命働いても、老後のんびりなんていう生活は夢の夢かもしれない

 

国は、副業も勧めている。実際に、職業を2つ持っている人もいる。

 

そんな中で思うのだが、会社が変わってくれればよいのにと思う

 

自由就業選択を、してくれればよいのにと思う。

 

決まった時間に、みんなが出勤して定時に、みんなが帰らなくてもよいのではないかと思う。

 

働きやすい個人の時間就業でもよいではないか。

 

看護師時代に、夜勤専従者、日勤専従者、準夜勤専従者でもいいじゃないかと。

 

なのに、正社員は夜勤をしないといけないと、日勤だけはだめ、準夜と日勤だけはだめとか。

 

働く形を色々に変えてくれれば、子供を持つ母親でも、働きやすくなる気がする。

 

昨今、パート勤務も正社員と同じ条件でと言われている。

 

パートとは、短時間で長期勤務する人のことを言うのだが、会社は何かあればまずパートの整理をする。これって間違っていると思う。

 

正社員からパートになった時に、同僚から、「パートは早く帰れて責任もないから」と言われて悔しい思いをしたことがある。

 

短い時間でも、その時間が対価になるわけだから、無責任な仕事をしたことはないし、早く帰る分家でできることはしていた。

 

正社員でも仕事に責任感のない人はごろごろしている。

 

資格というものをもち「プロ」としての自覚のある人間にとっては、本当に腹ただしいことだった。

 

そんなこと言う人に限って、技術能力がなく、困ると泣きついてくる。

 

外国のほうでは、本人が働ける時間に働くという形があるようだけど。

 

一日8時間勤務を、私たちのように24時間(三交代)の仕事の場合は、一日8時間をを好きな形の就業形式にしてほしいと思う。

 

そうすれば、体内時計も狂うこともなく健康、体調管理もしやすいように思う。

 

働き開拓という言葉を聞くが、まだまだ、問題があるように思う。

 

もっと、働くということが柔軟になればいいのにと思う。

 

日本は、形にこだわるからだろうか?

 

これからの時代は、業務委託のような形が主流に、なるのかもしれない。

 

やとわれるのではなく、契約のような形で、何時から何時までは、A社。何時から何時までB社みたいな。自由な雇用関係がはじまるかも。

私は、持病があり100歳までは、生きるのは無理だろうけれど、できれば87歳までは生きるつもりなので、これから、今まで働いてきた分、自分の生きる時間を自分のために使いたいと思う。

 

社会人、母親として、頑張ってきて、自分のことだけを考えて生きてもよい歳になったので、一日一日を楽しみたいと思う。

 

今現在働いている人頑張っている人、「自分の時間を楽しく過ごすために」今日一日を後悔のない日になるように楽しんでください。

 

老いになるまでの、時間を賢い生き方にしましょう。

すべてのことが秘密主義で動き、気づいたら、踊らされて、自分の人生が他人に左右され、利用される世界なのか

森会長の辞任のニュースで思うこと。

 

正直に言って、森さんは本当に失言が多い人だなと思う。

 

色々なニュースを、インターネットで見る。

 

森さんが、辞任した後に、辞任はしなくていいとか、もっともらしく、マスコミ(朝日新聞?)の切り取りだといって、今更に、解説しているが。

 

なんで、このようになる前に、解説しないのか?

 

いつでも、後出しだと思う。

 

あとから、さもありなんのように解説をしている人たちを見ていると、あなたたちはいったい何がしたいといいたい。

 

こうなる前に、発言することはできただろう。

 

メディア悪を語るなら、あなたたちも同罪。後出し悪。

 

私は森さんのことは知らない。

 

なんで、森さんを知っている人たちは、もっと、発言しなかったのだろう。

 

日本人は、「集団」「結束」の力が強いと思う。だから、その気質を、利用されているのではないのだろうかと思う。

 

怖いことだ。氷山の一角のように、弱い部分をうまくつつかれ、利用され、動かさられる。

 

インターネットの世界は怖い部分もある。トランプ元大統領のSNSが永久凍結をされ、発信できなくした。言論の自由を、誰が規制できるのだろう。

 

怖いことだ。私たちの知らない所で、どのような力が動いているのだろう。

 

思わず、SNSって、誰かが人類を操るための物だろうかと思ってしまった。

 

まるで、小説の世界か、ドラマの見過ぎかと自分のことを、笑いつつ、ちょっぴり身震いする私である。

 

すべてのことが秘密主義で動き、気づいたら、踊らされて、自分の人生が他人に左右され、利用される世界なのかもしれない。

話はそれるが、私は、この歳までに、選挙には2回しか行ったことがない。どうしても、知らない人に、票を入れれない、もし自分が選んだ人が、悪い人だったらと思うし、どんなに嫌だといっても国が決めれば生きた行くためには、仕方がないと思うしかないし、従うしかないと思っている。

 

降りかかる火の粉が自分だけなら我慢できるのであれば、我慢するが、もしも自分の子供に危害があるなら、私は戦うだろう。

 

世界は誰の意志で動いているのだろう。

 

韓国のような国の人たちの感覚は理解できないし、中国や北朝鮮のような国に生まれなくてよかったと思っている。

 

日本人だからこそ、自分らしい人生を送れるのではないかと思っている。

 

インドでは、カースト制度で、女性の地位は低い。ひどいニュースをインターネットで知ることができる。

 

人は生まれた時から平等ではとおもって生きてきたけれど、生まれた時から不平等な国がある。

 

日本人でよかったと思うけれども、この日本人でいられるのは「天皇」があるからではないかと思っている。昭和天皇」を尊敬している。この方がいてくれたから今の日本があると思っている。

 

開戦の詔書がすべてだと思う。

 

私は、小学生時代の社会の先生からは、日本の戦争は正しかったと教えてもらった記憶があるから、日本人が戦争したのは国のため家族のためと、世界平和のためとおしえてもらったから、今の日本があるのは、戦ってくれた先陣もしくは私の祖先のおかげだと思っている。そして、昭和天皇のおかげだと。

 

開戦の詔書は、この年になって知った。終戦詔書は知っていたけれど。

 

社会の先生や私の教えてくれた先生たちから、日本は素晴らしい国だと教えてもらえてよかったと思っている。

 

私は、昭和天皇のこの「開戦の詔書」は、日本の心だと思っている。

 

だから、人を支配しようとか自分の思い通りにしようとする見えない敵に戦うために「開戦の詔書」を心に刻みたい。

 

 

ルールというものがともすれば、人として生きることの足かせになることも事実。自分らしく生きようとすると、集団からはみ出す

自分らしく生きるために、これって、かなり難しいのか?

 

簡単なのか?

 

自問自答してみる?

 

子供の頃から、あの親だからとか、子供だったのに、周囲の目を意識する人間だった。

 

そのくらい、私の親は、いい加減だった。仕事も何をしているやら(特に父親)

 

母は、ホステスだったから、当然、夜の仕事をしている親の子供という目で見られていた。

 

親の仕事で、子供の価値も決まる世の中。

 

お金持ちの子供は、上品で勉強ができて、親がしっかりしていれば、それだけで、その子供は信頼を得る。(うわ~!なんかひねてる)

 

親がいい加減だと、その時点で、悪い子のレッテルをはられる。

 

だから、必要以上に、いい子で後ろ指を刺されないように、していた。

 

しかしである、いい子でいることでしんどいことはなかった。

 

「家のことよく手伝うね」

「弟の面倒、いつもよく見るね

「まじめだね。」

「いい子だね」

 

大人からの誉め言葉は私の子供の生活の中では、心地よいものだった。

 

子供の頃の、このことは「生きるために必要な知恵」だった。

 

そう生きるため、このことに尽きる

 

その日に食べるものがなかったり、学用品を買ってもらえなかったり、貧乏であることの辛さは、社会に出るまで続いた。

 

だけど、貧乏でも、金持ちでも子供では、選べることはできない。親を選んで生まれることができない。

 

私は、そんな中でも、自分の境遇に不満はなかった。仕方がないというような投げやりな気持ちはなかった。それよりも「早く、大人になって働いて、お母さんを楽にさせてあげたい。お金を稼ぎたい」と思っていた。(本当に、けなげ)

 

今、仕方がないことやどうしようもないことに、もがくよりも、今を大切に一生懸命生きることに、必死だった。

 

学校で、習う良いことは守った。悪いと言うことはしなかった。

 

大人になって、悪いことや良いことって何だと思った。

 

人間社会において、「ルール」というものがある。秩序がないと、集団は暴走するからかもと思っている。

 

決まりごとがあるから、大きなことができるし、目標を達成できる。個人から集団としての力を、引き出すには必要だ。

 

しかし、このルールというものがともすれば、人として生きることの足かせになることも事実。

 

集団という「悪」。「みんな」と言うことの無責任。集団という陰に隠れて、個人攻撃

 

自分らしく生きようとすると、集団からはみ出す。みんなと違うと言うことでの生きずらさ。

 

個人では、立ち向かえなくなる。心がやみ、自分が世界中で、たった一人の素晴らしい人間であることを否定する。

 

人は誕生した瞬間から、人生という時間を歩き始める、その人生の時間は、いつか、終わる。

 

自分が、いつか終わるという瞬間では、みんなと違う価値観や、思惑など持っていくことはできない。

 

どんなに他人が、あなたの人生にかかわろうと、決めるのはあなただ。

 

還暦を迎え人生をふりかえると、上を見ればきりがない、下を見ても同じ。

 

自分の人生が終わる時に持っていられるのは、自分の思いだけだ。

 

ならば、食べることができ寝る場所があり、自分の人生を幸せだと感じられる今を大切にすることが、一番ではないかと思う。

 

今死んだらと、私は考える。まだ、死にたくないと思うかもしれないけれど、それでも幸せだったと言うことができる。

 

幸せだったと思えることは、自分の人生をしっかりと歩いてきたと思えるから。

 

不思議なことだけど、神さまはいると信じることができるから。

 

一生懸命生きてきたら、心の幸福が、この歳になると感じることができる。

 

子育て中、仕事で頑張っているひと、人間関係で悩んでいる人、今まさに、他の人と違ってもいいじゃない。

 

生きていくことは自分らしくである。

 

自分が自分の人生を決める。

 

ただ、他人の人生を壊さないことだ。

 

人をだますこと、人を殺すこと、盗むことこれは、きっと、後悔をする

 

幸せは自分が、自分で作ることだ。

 

人生は自分との闘い。常に、生きると言うことは自分が試されていると思うべし。

 

本当に、強い人は、自分を大切にしている人で、だからこそ他人にも優しくできる。

 

弱い人間は、自分をごまかし自分に嘘をついている人だ。

 

自分に正直になろう。

 

「悪」も「善」もあなたの心が決めることだ。

 

と言うことを、人生の折り返しで思う。

 

歳を取った時に、笑顔でいたい。

 

 

 

自分が自分を否定することは、他の人を傷つけることにもなる。  人間は、もっと自由だと思うし、自由でいい。

先日、子供と話をしていて、「俺はきっと結婚はしないと思うよ」

 

孤独死かな」

 

「でも、今の友達も結婚はしないと言っているから、ずっと一緒かも」

 

この三男坊は、自分が購入した家で友人とシェアハウスをしている。

 

「そうね、それもいいんじゃないの。誰かが居てくれるなら、結婚をしなくても。○○兄も結婚は無理かもしれないからね。本当に、4人子供がいるのに、結婚する可能性がない子ばかりだね。」

 

「思うのだけどさ、今の世の中、色々な家族の形があるでしょ。だからさ、家族婚っていう制度があればいいね。

そうすれば、結婚は男女でないといけないとか。同性はだめだとかなくなるじゃない。

養子制度じゃなくて、家族婚。ちょっといいと思わない。

あなたたちのように、に助け合って、ある程度の年になったら、家族婚して、お互いの老後やお互いに責任を持つ形っていいと思う。

私たちは血のつながりはないけれど、家族ですっていうことを、国が認める制度。

当然家族婚だから、離縁なんてこともあるかもだけどね。家族婚したけれど、結婚して、離縁みたいな。」

 

「看護師の仕事をしていると身寄りや後継者がないと悲惨なの。だから、家族婚があれば、その人が家族として、親族と同じ扱い。その人が親であり兄弟であるという形。」

 

「そんな形があれば、あなたたちが結婚しなくても心配しなくていいのだけどね」

 

「お母さんって、面白いよね。俺らが結婚しなくいいとか、同性者の結婚もいいじゃないとか。男性が化粧して女性のようにするのもいいとか。」

 

「そうかな、人として、その人が好きだと言うことに何の罪もないと思うし。だれかを好きになることは、凄く人として生きていくことには必要だと思うのよね。

それがたまたま同じ女性だったり男性だったりするわけで、お互いが幸せならいいのではないかと思っているだけ。それを、人が決めたルールでだめとと言うことが、あまり理解できない。

人が決めた事なんだから、変えれるでしょう。犬と結婚したいとかゴリラと結婚したいとか言われたらさすがに、ちょっと困るけれど。

もし、将来サイボーグの様なロボットができて家族になりたいといっても母は許すと思う。

それと、色々な思いや考え方があって当然でしょう。

男も女も、奇麗になりたいとか、楽しくしたいとかそれは個人の自由。

それを自分の価値観で、否定したりするのは、いかがかなと思う。

男が、女ように綺麗にしたいとしたからといって、誰かに迷惑をかけるわけじゃないと思うし。それは、その人の人生だから。」

 

「いや~。やっぱ、お母さんはぶっ飛んでるわ~」

 

「そうかな。家族になりたいと強く思うなら、いいじゃない。真実なら、幸せでしょ。

それに、自分を綺麗にしたいとか、可愛いものが好きってことが女の為のものではなくって、人としての感情と思うから。男だからとか女だからとか、差別だと思うし、(だから)って考え方が好きじゃない。

 

だって、歌舞伎だとか女形ってあるでしょ。きれいって思って見てるじゃない。宝塚だって、男装でしょ。沢山の人がキャーキャーいってるじゃない。」

 

変わっているかな、それよりも人間は、もっと自由だと思うし、自由でいいと思う。

 

人を傷つけることがなければ、良いではないかと思う。他人が、自分の人生でもないのに、何をもって、自分が正しいと言うのだろうと思っているからね。

 

世界中には、色々な文化があり、一夫多妻制の国もあるし、同性同士の結婚を認めている国もある。

 

自分だけの価値観で、他人を評価する必要はないと思う。

 

誰にも迷惑をかけず、生きているのだから良いではないか。

 

60歳過ぎた人間が考えることではないのかな。

 

自分が受けいられないからと、反対したり、自分の考えや思いを相手に押し付けることは犯罪に、等しい気がする。

 

ありのままの自分で生きれると、幸せかも。ただ、自分がありのままの自分を好きで受けいれなければいけないかな。「アナと雪の女王」みたいだけど。

 

強い気持ちが必要だと思う。自分が自分を否定することは、他の人を傷つけることにもなる。

 

めんどくさい人間関係の職場では、自分のプライベート、自分がどんな人間でらるかを見せないことも一つの手である

仕事をリタイヤして、他人との付き合いがあまりなくなったが、占いカウセラーをしているため、人間関係について、時々考える。

 

世の中には、本当に小説や、アニメの中だけの話じゃないのかと思う人がいる。

 

何がしたいのだろうと思う。

 

自分に自信がないのに、必要以上にできる人を演じるために、注意ばかりし、威張る人。

 

他人に、仕事を押し付ける自分は動かない人。

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癒しの猫

 

すべて好き嫌いで判断する人。

 

社会に出ると、理不尽だらけ。

 

私も仕事をしている時に、この人ってと思う人たちに遭遇してきた。

 

結局のところ、「お天道様はみているから、この人はきっと、今の自分に気づかなければ、しあわせにはならないだろうな。

 

「他人をひどい目に、あわす人は、きっと必ず、自分に返ってくる」

 

「人に嫌な思いをさせれば、その負のエネルギーは必ず、その人に降り注ぐ」

 

と思ってしまうことがほとんどで、かわいそうな人だなと思うだけだった。

 

だから、何とも思わないし、全身で、拒絶というか、近寄らせないオーラを出していたと思う。

 

自分の仕事をするだけで、自分のやるべきことをするスタンスだった。

 

人は、他人に依存し、評価をしてもらうことに、重きを置くから、職場で影響力のある人間の発言に、振り回されて、自分を見失うのではないかと考える。

 

とある職場で、とても人間的にどうなのという人がいた。本当に、主任とか肩書もない人だったけれど、その人は職員に怖がられていて、その人に目をつけられると悲惨だった。

 

もう本当に、パワハラ当たり前。お局様だ。その人のいる部署は、必ず、虐めを受ける人がおり、ひどいものだった。勤務が長い人で、上司にも信頼(?)されている人で、何をしても許されると思っているようであった。休み時間も、他人の悪口、35歳だったけれど、聞くに堪えなかったのは、夫の母親の悪口「くそ婆、早く死ねばいいのに」とひどいものだった。

 

自分の息子が結婚して嫁がそんな風に言っていたら、どうなんだろうと思った。もう、本当にどんな風に育ったら、こんな人間に育つのだろうと思っていた。

心の中では、きっとこの人は人生が幸せではないのだろうと。

 

この人、二人目の子供を出産したが、高齢出産だったためか子供に異常があったこと、ご主人が元々身体が悪かったことなど、色々と問題があったようである。子供を、育てるために、休職した。その後、辞めた。

 

この時は、人の悪口や、人を痛めつける人は、自分に返ることを目の当たりにした。

 

人は、死ぬまで人としての、生き方を後悔しないように生きていくことが、幸せになることのように思う。

 

嫌な思いをしたり、辛い思いをした人の中に、それを他の人にさせる人がいるけれど、その人は本当にかわいそうだと思う。神様から、幸せになるための、試練をもらって、それをクリアしないで、妬みや、自分はかわいそうと。

 

同じ痛みを他人に与えるって、何が楽しいのかと思う。

 

人のふり見てわが身を直せということばもある。

 

自分を幸せにするのは自分だけである。

 

こうして人生の折り返しで、自分を振り返った時、このような人は幸せな人生だったと思うのだろうか。

 

生まれた時は、何も持たず、成長することだけにエネルギーを使うのに、どこでどうなったら他人を傷つけるようになるのだろう。

 

理不尽な人間関係では、自分の中にその人を入れないこと。その人間に左右されることは何もないと思うこと。

 

人間関係において、仕事関係であれば、その人も同じやとわれ人と認識すること

 

仕事関係であれば、必要性のないことは断ること。

 

人間関係は大切だけど、自分の生活、生き方は、自分が決め、誰にも左右されるものではないと言うことを認識すること。

 

人は、よほどのことがない限り、一人で生まれ、一人で死ぬ。

 

誰もあなたと変われる人は、いない。

 

世界中で、同じ人はいない

 

あなたしかあなたの人生を歩ける人はいない。

 

あなただから、すばらしいのだ。あなたが幸せであれば、あなたから力をもらう人がいる。

 

あなたがあなたの人生をあることで、かかわった誰かを幸せにしている。

 

これが人生。

 

あなたが何気に、してあげたことで、勇気、喜びをもらっている人があなたを忘れず、その人の人生にかかわっていることが必ずある。

 

こんなことを言っていいかわからないというか言ってはいかないと思うけれど、言霊、魂の痛みは必ず、他人を傷つけた人を不幸にする。

 

傷つける人間になるよりも優しい人になろう。本当に優しい人は強い人である。

 

自分を傷つけるのは自分だけである

 

誰かに負けると言うことはない。

 

暴力を受ければ、傷がつくしかし、人の身体は回復する。回復しないのは自分で、心を傷つけた時だ。

 

我慢をするのは必要だが、度を越した我慢はするべきではない。

 

よくもわるくも心に自分の城を作ることである。

 

悲しむ人が一人でもいることがわかるなら、心にその人を刻もう。

 

人間関係で、ミステリアスな人は攻撃にあうこがない。人は、その人がどんな人間かわからないと、攻撃及び対処が効かない。怖いから。

 

私の夫は、寡黙で、自分のプライベートを一切話さない。喋らないから何を考えているかわからないから、話しかける人が言ない。

夫が私の会社に入ってきたときは、男性同僚たちが、「あいつは、あいさつもしないし何を考えているのかわからない」と言っていた。(挨拶はしていたが、声が小さい)

 

家では、本当にコメディアンのようで、よくしゃべるし二重人格ではないかしらと思うほど。

 

夫は、他人とのコミュニケーションを取るのが、うまくないこともあるようだが、めんどくさいということもあるようだ。

 

仕事は、きちんとするので信頼されているし、女性職員からは頼りになる人で、頼めば嫌な顔をせずに引き受けてくれるので、評判は良いが、親しくなる隙がない。

 

見た目もあると思うが、夫は身長があり、ソース顔というかいつもちょっと怖い表情をしているから、話しかけにくい。返事も「いいすっよ」などと短い。

 

だから、めんどくさい人間を相手にするなら、自分のプライベート及び自分がどんな人間であるかを見せないのも、一つの手である。

 

 

 

 

 

パワハラ上司について考えること、親孝行するなら、自分の身は守れ。

朝8時30分、頭元のスマホがなる。

 

「今日の僕は、疲れすぎてテンションが高いのでしょうか?」

 

昨日も、22時過ぎての残業をした青年が、営業所に入るまでの時間にかけてきた。

 

毎日、毎日、残業で、帰ったら、寝るだけの性格を余儀なくしている。確かに、繁忙期で、忙しいのだろうが、話を聞く限り、ブラック企業である。

 

青年は、忙しくても仕事内容が嫌いなわけではない。直接の上司が、クズだ。

 

青年に、朝早く出勤して仕事をすればよいのではと、助言を依然したことがあるのだが、職員の駐車場が朝8時以後でなければ、使えない。そのため、朝早く行くことができない。

 

今日は、青年に、「親が、あなたのその状態で、何かあるようなら会社に電話するよ。」

 

「そんなことをしたら、許さない」

 

「ならば、仕事をせめて、一時間の残業で、バスで帰り、朝バスで出ていけば、就業時間2時間前に仕事ができるでしょう。親が、あなたが倒れたら、どんなに悲しむか、考えないといけない。営業で、他人に気を使い、心身を休ませず、夜遅くまで仕事をしても、効率も悪いし、身体も壊す。」

 

「あなたの会社は、朝は9時20分からなのだから、朝7時20分に行けば、2時間の仕事ができる。夜、10時まで、仕事をしてさらに残業を、1~2時間するのであれば、夜10時に仕事を上がり帰れば、早くて11時には、身体を休める。

11時まで仕事をすれば、寝るのは、12時を過ぎ、12時まで仕事をすれば、1時を過ぎて寝ないといけない。これでは、心身の疲れは取れない。」

 

「あなたは、食事がとれず水分もとれず、体調をくずし、睡眠をとるように言われているはず。そのような状態で、無駄な残業は必要ではない」

 

「こうして、私に言うことができても親には、口を出してもらうのは嫌だというなら、自分管理をきちんとするのも、親孝行。親は、今は何も言わないかもしれないけれど、何かあれば動くよ」

 

「よく考えて今日中に、しなければいけない案件なら、定時プラス1時間。それ以上なら、朝早く就業時間までにする方向に、しないといけない。」

 

「残業してできるなら、朝早く行けば、それだけの時間は作れるのだから。」

 

「もし、身体をこれ以上壊して、仕事を辞めたら、いいことにならない。

あなたは、今の店長のやり方やパワハラに負けたことを気に病むだろうと思う。あなたの性格から、こんな店長の下で働けるかと勢いで辞めたとしても、気に入らなければ辞めればいいやと辞めたとして、次の仕事も気に入らなければやめるを繰り返すことになり、履歴書の職務歴だけが長いものになる。

その履歴書を見た人は、この人は、人間関係その他のことについてうまく、できない人間とみる。

30歳を過ぎると、あっという間に歳をとる。その勤務歴が、1~3年ごとの転職を繰り返す人間を、雇う人は、よほど人の良い会社かブラック企業しかない。

仕事が本当にできるようになるのも、面白くなるのも、5年は超えないといけない。

小学生は、1年生で入学する、勉強の仕方、集団のルール、学校の生活を覚える。

二年生で、慣れる。三年生で、好奇心、四年生で自分の立ち位置に確立5年生、6年生で学校という社会の中心になり、皆を引っ張る。

 

仕事も同じ。

1年目は、仕事を覚える。

2年目で、慣れて自分のカラーに変えていく。

3年目で、一人で仕事ができる

4年目で、自信がつく

5年目で、他の人に、教え自分も更に、向上する。

 

反抗心があることは、大切。だけどそれが、自分を追い詰めることもある。きちんと、自分のことを守れないのであれば、パワハラ上司に、負けるだけ。

 

この上司については、対処も話をしてきたけれど、あなたがしていることは、無駄なこと。あなたのやっていることは、残業をして、自分が倒れたら、わかるじゃないかと思っていない?自分を犠牲にしても誰も喜ばない。会社なんて、パワハラがあると認識することはない。

 

やり方が、間違っている。「できない」、「あなたは間違っている」といわないといけない。上の上司に気づいてもらおうと思えば、会社に言わなければならない。パワハラをする人間をかばう必要はない。と言っても、あなたの場合は、つけ愚痴をするのは、男らしくないとか思っているようだけど、それは違う。

意見を言うこと改善をしてもらうことは、働くものとして当たり前の権利

 

毎日3時間の残業をしても、週40時間を超えることはないので、会社はブラックと言わないかもしれませんが、パワハラは違う。

 

精神的に。彼と仕事をしたくないと、思っているのだから、精神的に病んでいくだけだよ。仕事は、楽しいと思えば、残業しても激務でもこなすことができる。」

 

「よく考えてみてね。さあ、今日は頑張って一日が楽しい日であるといいね。」

 

朝の短い間に、なんか難しい話をしたけれど、彼は、今の仕事にやりがいを感じているし、店長以外の課長、部長、社長たちのことは気に入っているし、他の営業所の人たちとも、うまくコミュニケーションが取れている。

 

たった一人の人がクズ、まして営業所で一対一は、きついと思う。同僚がいて、同じ価値観を持ってくれる人でもいれば違うのだが。

 

彼がまだ私に話すことで、頑張れるなら、私との付き合いも助けになっていると信じよう。

 

 

 

 

 

 

 

うちの猫事情、猫って個性的ですね。

うちの猫事情。

 

私の家には、「茶々丸」という猫がいます。

 

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2019年の1月8日に、保護した猫です。茶々丸を飼うことになったのは、茶々丸が、交通量の多いところに、いたので危ないと思い,「おいで」と言ったら、真っ直ぐに私のところに、来たので保護しました。保護して、三年。

 

さて、うちの猫事情というのが、夫が野良猫に対して異常に、反応するようになったのです。犬の散歩で、猫の親子を見つけると、毎日のように、私に報告。

 

野良猫を見れば、「えさを食べているのか?」「うちは、猫はもう茶々が居るから、飼えないよね。」「でも、もし保健所に連れていかれたら、殺処分かな?」

もう猫を見ると、助けないとという様な感じ。

 

私が「猫は縁だから、もし縁があれば飼うかもしれないけれど。無理に飼おうとは思わないよ。茶々だって、手術やワクチン、薬、餌だってお金がかかるし、第一、他の猫が茶々と合わなかったら、大変。それに、茶々を飼って、家族として大切にするのは、本当に大変だと思うからね。」

 

少し前に、交通事故にあった子猫(助けられなかった)を、病院に連れていった時に、連れていく前に、手を出したら責任を持たないといけないよねと躊躇した。でも、茶々丸が事故にあっていたらと思うと、助かるならと病院につれって行った。あの子が、助かっていたらやっぱり家族に迎えていたと今でも思う。

 

夫は、猫を飼ったことがなくて、茶々丸が初めて。初めのころは、余り夫になついていなくて、あることがきっかけで、夫にもなつくようになった。もうそれから、かわいくてとても大切にしている。

夫は、少しいら性なので、大きな声で怒ることがある。夫に、猫は大きな声で怒ってはだめ、叩いてもダメと注意をしていたので、茶々丸に対しては優しい。

犬のアリスには、よく怒っている。猫の茶々丸に対しては、全然。嫌われたくないらしい。

 

茶々丸は、寝るときも私の側、頭元だったり、足元だったりなのだが、夫が夜勤で帰ってくると、玄関でお出迎えをする。遊んでもらおうと待っている。

 

夜勤から帰ってくるといつも、猫のおもちゃで30分は遊んでやっている。

茶々は、夫が二階の寝室に寝るために上がると、遊んでもらいたいおもちゃを咥えて、あとを追いかける。毎日の日課

 

茶々の一日は、私にべったり。トイレに行ったらドアの前で待っている。私の行動を追いかけて、二階に上がると必ずついてくる。私が居るところで過ごしている。日中は、寝ていることが多いのだけれど、寝る場所は、私の座っている机の下の私が足を置く台の上。

 

私が、仕事を辞めて自宅にいるようになって、べったりが、まるで、ストーカーです。

 

最近、気づいたのですが、夜私が寝るためにベッドに入ると、抱き枕に踏み踏みをするようになりました。動画で踏み踏みをする猫を見ていたけれど、茶々は3ヶ月頃から飼っているけれど、見たことがなかったから、母猫に十分かわいがってもらっていたのかと思っていました。

 

それにしても、2歳を過ぎて、赤ちゃん帰りかな?

 

茶々丸は、ドライブが大好きな猫です。猫は環境の変化に弱いということだから、余り外に出すことはしないのではないかと思うのですが、私は、茶々丸が、私が居ないと寂しいのではと思うことと、人間の一時間が猫にとっては4時間と差があることが、気になり、出かけるときは連れていくことにしています。

あまり、留守番をさせることを避けています。一時間くらいなら、出かけますが、帰ってきたら、どこにいても玄関に急いで走ってきます。もう、その様子を見ていると、連れていってやればよかったと思ってしまいます。

茶々丸は、夫の車と私の車の中は、自宅と同じで、安全な場所だと思っているようで、外出先で、車から一緒に降りても、びっくりしたり嫌だと思ったら、まっすぐに、車のところに行き、ドアを開けると、急いで入ります。。

 

だから、安全だと思う車の中での、お留守番は苦にならないようで、ちょっと買い物に行くから、キャリーバックに入ってというと自分から入ります。少しの時間だけだとわかっているみたいです。。

 

茶々丸は、リードで外出をします。外に出たいときは、玄関まで私を連れていき、リードをつけてくれるのを待つ、つけると玄関に降りドア開けてくれるのを待っています。

 

雨が降っているときは、散歩につれっていてくれと言わないのが不思議。

 

猫って、不思議?

 

目を見て話しかけると、わかっているというか人の言葉がわかるのかと、最近思います。

朝起こしてくれるのだけど、「今日はもう少し寝たい」というと一時間くらいして起こしに来ます。体調が悪いときは、起こさないし、「待って」と言えば待ってくれるし「ダメ」といえばやめるし。

 

完全に猫バカかもしれないけれど。

 

世話をしているけれども、自分でご飯の調整をしてくれる子で、私は測って食べさせたことはありません。

 

餌以外には、チュールだけ。他の食べ物は、においをかいでも、絶対に食べません。だから、たまに何か違うおやつをと思っても、飼うことはありません。いちど、買ったことがあるのですが、結局犬のアリスが食べています。ペットの煮干しも食べません。

 

茶々に出会って一年記念にペット用のケーキとおまったけれど、食べないのがわかっているので諦めました。

 

もうなんというか世話が大変と思ったことがありません。

 

犬のアリスのほうが大変。ダメと言っても繰り返す。怒ってもダメ。もう最近は、あきらめました。

 

茶々は、ダメと言ったことはしません。あっ、猫あるあるだけど、構ってほしいときは、わざと上がってはいけない場所に上がって「ニャア」と鳴く。「ダメ」というと、飛び降ります。そんな時は、構ってあげます。

 

夫も私も、猫ってこんなにコミニケションが取れるのかと驚いています

 

うちの猫事情は、猫ってと驚き事情と言うことです。

 

 

自分の考えているのが正しいのは、自分に対してだけである

とある会社だけど、ブラック企業ホワイト企業か?

 

何かと話をしてくれ青年の会社。

 

みなし残業ということで、毎月の給料に残業代が含まれている。

 

毎日、一時間の残業は、営業職なので必要という観念のようである。

 

帰れるときは、定時に上がることも可能のようだが、話を聞いていると、そこそこの営業店舗の店長の考え方、もとい性格?

 

その青年の営業所の店長は、自分の用事があると早く帰るが、営業部員が帰ろうとすると、仕事を言いつけ、残業をさせる。

 

そして、エリア部長がいるときは、早く切り上げ帰ろうとする。

 

繁忙期には、深夜の帰宅は当たり前。

 

ここの会社、駐車場(職員用)は、夜10時で出られなくなるので、10時前に車を移動させて(客用駐車場)の仕事。

 

話を聞く限り、ブラック企業

 

しかし、青年のいる営業所が、ブラックだけの様な様子を受ける。

 

営業なので、その日の仕事量で残業は仕方がないときもあるが、基本ここの店長は、自分は残業はしなく、仕事を営業員にさせる。他の営業所は、営業部員が3~4人いるのだが、ここの営業店は、彼のみ。

 

二人でも、うまく二人三脚をすれば、残業も少なく済むのだが。

 

「僕は店長」というスタンス。

 

明日でもよいことでも、残業をさせてまでさせられる。

 

休みの日も、電話連絡、出勤。

 

店長は、休みはきっちり休み。自分が休みの日はなぜか営業が終わって、店舗に来ている。次の日に、ネチネチとできていないという。

 

まるで、昭和の上司。

 

仕事は部下任せ。一言目には、役付きをちらつかせる。パワハラあたりまえ。

 

青年は、理屈が通らないことに対しては、非常に反抗心はあるのだが、会社において、上司の言うことは従うのは部下の勤めと考えるようなところがある。

 

助言をするのだが、人というものは持って生まれた性格があるので、自分とは違うからなかなか難しい。

 

先日、店長とやりあったと。

 

申し込みのことで、ウエブの申し込みで済むのあれば、ペーパーの申し込みはいらないと思い、(部長からウエブ申し込みでよいといわれていた)もらっていないと。

 

店長は、ウエブが間違っていたら、確認をする為にも必要と。

 

青年は、ウエブ申し込みをプリントできることを最近知り、部長がいわれるように時短を考えるなら、申込書を書いてもらわなくてウエブでよいと。ペーパが必要なのは、確認のためと、店長がいうが、なぜ、ペーパーが正しくて、ウエブが正しくないといえるのか、確認をしていれば問題ないのではと。

 

20分ほど、店長とやりあっていたのだが、その日は、課長がおられ、何を話をしているのかと聞かれ、報告をすると、課長が青年のやり方でよいと。

 

店長も、「課長がいわれるなら」と引き下がった。

 

「僕一人だと、きっともう、いいですわとなっていたと思います。」

 

部長から、以前にウエブ申し込みだけでよいと言われたと言えばよかったのでは?

 

部長の助言があったといったら、「あの人は、現場の人じゃないから」と言われたことがあって言っても「僕が店長」という。

 

織田裕二のテレビの見過ぎ?と少し笑ってしまった。

 

青年に、店長は「組織」というものがわかっていないのかな。

 

店長は「会社というものは」とよく言うと。

 

会社ではなく「組織」ということ。

 

組織と言うことは理念というものがあるわけだから、それに沿ったことをしなければ、それは会社人とは言えない。

  • あなたの会社の上司は、みんな、現場上がりの人たちでしょう。

 

先日、ウエブ会議で自社の物件売り上げが良い入って間がない(一年たっていない)あなたのことを社長が、ほめて、このことに報奨金制度を考えようと提案されて、報奨金がつくことになったのでしょう。

 

頑張っている人に、報奨金を考えることができるのは、現場経験がある社長や幹部たちだからじゃない。

 

それなのに、現場の人じゃないからって。

 

まあ、警察は、キャリアとかノンキャリアとかあるけれど、あなたの会社は、今でもバリバリ、現場で頑張る人たちが、店舗にいるか、エリアとして全体を見ているかだけで、かなり現場の人だよね。

 

しかし、部長たち上司が、残業しないように指導をしているのに、あなたの店長は、残業当たり前、休日出勤当たり前、休みもライン連絡をバンバン。

 

あなたが体調を崩すのも仕方がない。店長は休み時間をとり、タバコを吸うために事務所をはなれ、自分はしっかりと食事をとる。一日3本タバコを吸えば、最低30分は休憩を取ることになる。

あなたは食事もとれず休み時間もなく、(彼はたばこを吸わない)夜の10時過ぎて食事なんて、身体壊すのは当然でしょう。

 

それさえも、体調管理も仕事というのだから。

 

あなたの現場は、ブラックだね。

 

さて、この店長の性格が、手に取るようにわかるので、色々な助言をするのだけれど、この青年、愚痴をこぼすことや悪口を言うことを良しとしない。

 

部長から言われたことをしていなくて、注意を受けたときは「店長が、僕の指示に従うようにと言われました」といってよいですかといえばよいのでは。

 

部長のことを現場の人じゃないというなら「部下の指導は店長の仕事なので、現場におられない部長の直接の助言を部下にしないでください。」と言ってもらえばよい。

 

青年は、この店長が嫌いだけど、この青年の性格が、上司の言うことは従うべきと思っているので、不満があっても我慢してやっている。

 

しかしである。

 

このタイプは、結果我慢できずに、職場をやめる。

 

青年は、上司というか自分の上の人間に対して、尊敬できないと仕事が続かない。

 

青年には、上司を思い通りに動かすことも社会人として、できないといけない。世の中は、覆うにして、理不尽だらけだし、思い通りの環境なんてない。

 

そして、人間関係は自分の思いだけ。

 

何事も自分の心が決めるもの。

 

自分の心みて、自分が思うことが、形になると信じて行動することが、自分にとって、幸せな結果を生む。

 

青年は、正しいことをすること正しいと思うことを意識するあまり、自分の思いを通そうとしている押し付けであると言うこと、受け入れると言うことを忘れていると言うこと。

 

物事には、正しいことが絶対ではない。太陽があるから月があるように、すべてにおいて、正しいことも、正しくないことも正解はない。

 

自分の考えていることが正しいのは、自分に対してだけである。

 

 

 

還暦過ぎたら、色々と時間がないと焦る自分がいる。

124年ぶりの2月2日の節分がすみ、新しい新時代に入った。

立春になり、春らしくなってきた。

風の時代が始まり、これまでの生き方を変えないといけないと、占いの世界では言っている。

しかし、2021年になって、何故かブログが書けなくなった。

以前は、書くことに抵抗があった時期もあるが、乗り切ったつもりだったのだけれど、何をどう書いていいやら。

自分の人生を書くことに何か意味があるのか?

誰かのためにと思っていたが、普通の人の人生なんてと思う気持ち。

私自身のことを考えると、何というか、この年になって、何もないことに気づいた。

何もないというのは、「人間の欲」がないのだ。

人間の基本的な欲求「性欲」「食欲」「睡眠欲」

五大欲求マズローの法則「生理的」「安全」「社会的」「承認」「自己実現

キリストの教えの「嫉妬」「色欲」「傲慢」「憤怒」「強欲」「怠慢」

食べることについては、食事恵用法をしていることもあり、

身体を動かすための栄養、エネルギーという感じで、特に何か食べたいというものがない。

性欲についても、運動というか身体を動かすことが怖いというか、興奮すると、血圧上昇になるのでない。(旦那さんに悪いと思っています)

睡眠も、寝ないと体がしんどいから寝るみたいな。

自分が生きるために必要な最低限度でいい。

子供の頃から成人して働くようになったころは、ほしいもの買えるし、したいことができるしと、頑張って生きてきたから。

子供が自立してしまうと、何の欲望もなくなるのかな。

現在は、食べれるし、仕事に行っていないので、洋服もいらないし、(お洒落はしますが)誰かとかかわっていないので、ストレスがないし。

腎不全から、心不全の症状が出ることがあるので、もう、仕事で外に働きに行くことはできないなと、家で過ごしているのだが。

欲はないのだが、時間が減っていることを非常に感じてしまう今日この頃。

欲がないと言うことは非常に、もったいないことをしている気がして、焦る。

欲がないことを、考えると、「幸せ」なのですね。

「幸せ」だから、ほしいものも、何かしたいこともなく今を生きていることに感謝という気持ちになるのです

しかし、今までずっと働いてきて、子育てをしてきて、生きていくことに貪欲だったために、「感謝」ばかりの今が、さぼっているような気持になるのは、性格かな。

ただ、一つの欲求は、子供たちの幸せをみたいから、あと25年はいきたい。

だから、何もしていないのに、一日があっという間に終わってしまって、焦る自分が。

この焦る気持ちは、人生の時間が短くなっていくことを感じるからだろうか。

年を取ると言うことは、命の時間を身近に感じることなのかな。

人生五十年といわれたこともあったが、今はもっと長い。

それでも、焦る気持ちが起こるのは、人として生きれる時間がどのくらいあるのだろうと思っているからかも知れない。

自分で考えて、喋れて、判断ができて、寝たきりにならずに、と思うからだろう。

こうして、誰の手も借りずに、時間が過ごせるなら幸せ。

焦らないで、時間を楽しもう。

ある意味、老化の不安との闘いかも、それが焦りとなっているのかもしれない。