124年ぶりの2月2日の節分がすみ、新しい新時代に入った。
立春になり、春らしくなってきた。
風の時代が始まり、これまでの生き方を変えないといけないと、占いの世界では言っている。
しかし、2021年になって、何故かブログが書けなくなった。
以前は、書くことに抵抗があった時期もあるが、乗り切ったつもりだったのだけれど、何をどう書いていいやら。
自分の人生を書くことに何か意味があるのか?
誰かのためにと思っていたが、普通の人の人生なんてと思う気持ち。
私自身のことを考えると、何というか、この年になって、何もないことに気づいた。
何もないというのは、「人間の欲」がないのだ。
人間の基本的な欲求「性欲」「食欲」「睡眠欲」
五大欲求マズローの法則「生理的」「安全」「社会的」「承認」「自己実現」
キリストの教えの「嫉妬」「色欲」「傲慢」「憤怒」「強欲」「怠慢」
食べることについては、食事恵用法をしていることもあり、
身体を動かすための栄養、エネルギーという感じで、特に何か食べたいというものがない。
性欲についても、運動というか身体を動かすことが怖いというか、興奮すると、血圧上昇になるのでない。(旦那さんに悪いと思っています)
睡眠も、寝ないと体がしんどいから寝るみたいな。
自分が生きるために必要な最低限度でいい。
子供の頃から成人して働くようになったころは、ほしいもの買えるし、したいことができるしと、頑張って生きてきたから。
子供が自立してしまうと、何の欲望もなくなるのかな。
現在は、食べれるし、仕事に行っていないので、洋服もいらないし、(お洒落はしますが)誰かとかかわっていないので、ストレスがないし。
腎不全から、心不全の症状が出ることがあるので、もう、仕事で外に働きに行くことはできないなと、家で過ごしているのだが。
欲はないのだが、時間が減っていることを非常に感じてしまう今日この頃。
欲がないと言うことは非常に、もったいないことをしている気がして、焦る。
欲がないことを、考えると、「幸せ」なのですね。
「幸せ」だから、ほしいものも、何かしたいこともなく今を生きていることに感謝という気持ちになるのです。
しかし、今までずっと働いてきて、子育てをしてきて、生きていくことに貪欲だったために、「感謝」ばかりの今が、さぼっているような気持になるのは、性格かな。
ただ、一つの欲求は、子供たちの幸せをみたいから、あと25年はいきたい。
だから、何もしていないのに、一日があっという間に終わってしまって、焦る自分が。
この焦る気持ちは、人生の時間が短くなっていくことを感じるからだろうか。
年を取ると言うことは、命の時間を身近に感じることなのかな。
人生五十年といわれたこともあったが、今はもっと長い。
それでも、焦る気持ちが起こるのは、人として生きれる時間がどのくらいあるのだろうと思っているからかも知れない。
自分で考えて、喋れて、判断ができて、寝たきりにならずに、と思うからだろう。
こうして、誰の手も借りずに、時間が過ごせるなら幸せ。
焦らないで、時間を楽しもう。
ある意味、老化の不安との闘いかも、それが焦りとなっているのかもしれない。