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二度の脱走した猫の保護の話。脱走してしまった猫を、探す参考になれば、いいなと思います。

愛猫小鉄、脱走から11日目。無事に帰ってきました。

お腹が空いてそろそろ、活動するのではと、予測。

昨日、小鉄の姿を確認。餌を玄関に置いておいたら、食べに来た。餌を置いて、暫くして、外に出たら、小鉄が食べに来ていて、車の下に逃げ込んだ。名前を呼んだら、じっと顔見ていたけれど、逃げた。

今日、家で餌をあげていた時間に、小鉄の名前を呼びながら、ご飯だよと。近所を散策。

姿は見えないけど、きっと聞こえているはず。

餌と捕獲機を設置。

一時間ほどして、そうだ、ペットカメラを、外に設置したら、小鉄が来たらわかると思いつき、設置をしようと玄関を開けたら、小鉄が、捕獲機の横に来ていた。

玄関を閉めようと思ったが、私をじっと見ているので、声をかける。

小鉄、お帰り。お腹空いたでしょ。家に入ろう」「小鉄」「おかえり」と何度か声をかえていると。

かわいい声で「みゃーおん」と鳴き、動いた。一瞬、逃げるかなと思ったら、捕獲機の横を通って、私の足元を通って、家の中に。

身体が完全に入って、玄関を閉めた。

旦那に声をかけられると、急いで、電子レンジの後ろに隠れた。

呼んでも出てこないので、しばらく、見守ることに。

旦那が、キッチンから離れたら、出てきた。

そのまま、二階に上がり私のパソコンの部屋に。

この時まで、何も食べていないので、チュールを持って行ってあげたら、おいしそうに食べた。

そのあと、餌をとりに一階に降りたら、小鉄もおりてきた。抱き上げて抱いたら大人しくしていた。身体が熱いのとよごれているので、少し拭いて、二階の猫部屋に連れていった。

ゲージに入れると、少し鳴いて、甘えるしぐさをする。ウエットフードを与えると、三分の一ほど食べた。

元々元気のいい子なのでゲージの中に、じっとしていない。

でも、他の猫と接触させるのは、少し控えたほうが良いだろうから、病院受診が済むまでは、猫部屋で待機してもらおう。

二度目の脱走だけれど前回と違うところは、自分からの脱走のためか、一年ぶりの脱走から成長しているからか、割と落ち着いている。

前回帰ってきたときも痩せていたけれど、ゲージにいれたら一晩大人しかった。

さて、猫の脱走はよくあることだ。もちろん、脱走させないことが、一番だけど、致し方がない時もある。

私たちが、今回行ったことが、参考になれば。

猛暑の中の脱走なので、昼間は動かないだろう。

安全な隠れ家を小鉄は、確保しているから、いましばらくは動かないだろう。

お腹がすくまでは目立った行動はしないだろう。

自分からの脱走なので、本人が帰る気がないと戻らないのではという気がする。

去勢をしているので、余程の理由がないと遠くには行かないだろう。

家の近くにいるはず。

外に出て解放感と自由を満喫している反面、警戒心がおきているだろう。

でも、私の声も自分の名前も、覚えているだろう。

考えられる「だろう」を、踏まえての、散策をすることに。

1・警察、愛護センターに連絡。

2・ポスターは作らなかった。(前回、全然効果がなかった)

3・SNSを活用。フエイスブック、ツイッター、インスタグラムで脱走して探していることを拡散。

4・ドコノコのアプリ(前回使用した時に他の方からの励ましは心強かった)

5・朝、昼、夜と近所を名前を呼びながら、散策。(この時いつも家で食べさせる時間帯に散策、ご飯だよ、おやつだよ、帰っておいでという声かけも)

6・夜は、食事時間以外にも、遊びだす時間帯、夜中の0時から13時。朝方動き出す3時から4時ころにも散策。

7・餌は、玄関にと言っても、5日目から置いた。

8・脱走した当日からは、捕獲機を以前脱走した場所に設置。

今回脱走した時から、捕獲機は使用したが、保護するというよりも帰ってくるというイメージが強かった。

前回は自分から帰ることはできないのでは思っていた。二件隣の人に、隠れている場所から引きずり出されていて恐怖感から、逃げ出しているから、自宅の側に来れないのではと、予測していたので。

保護団体に連絡し捕獲機を借りたが、一週間しか借りれなかったから。自分もAmazonで注文した。

小鉄の姿を確認できたその日が、保護団体の捕獲機は、返却。買っていた捕獲機設置で、保護できた。

捕獲機は、確認して設置しないと、ほぼ空振り。前回の時も他の猫が捕獲されたり、散歩中の猫(うちの猫で小鉄の母猫。毎日、食後の後おやつ後外出する。この子は呼んだら、出てきてくれて帰ってくる)が捕獲されたりした。

今回も、姿を確認したため、玄関に設置した。

脱走した時から、絶対に帰ってくると変に自信があったというか信じていた。

前回も今回も、声掛けは、いつも通りの声で。旦那は、ちょっとダメで、見つけるとすぐに大声を出したり、興奮するから猫が逃げる。

平常心で接することが大切。

絶対に帰ってくる、保護できると信じることも大切だと実感している。

脱走して、声かけを重視できたのは、母猫のおかげでもある。

母猫の鈴は、毎日、外出するのだけど、何度も呼びに出る、すぐに、姿を見せなければ、近所を名前を呼びながら、一周すると、しばらくすると必ず帰ってくる。

だから、猫はきっと飼い主の声と自分の名前を覚えているのがわかる。姿が私には見えなくても、猫のほうからは、飼い主を見つけてくれていると。

10日間前後で見つからなければ、長丁場になると予測をしていたが、やっぱりお腹がすく頃が、保護できる目安だと思う。

猫にもよるだろうけど、3日から5日くらいで行動するようだ。

餌を求めると、自分が餌を食べれていた場所に、戻ってくる。

猫の脱走では、一週間くらいが本当につらい。見つからないから、このままどこかに行ったのか、怪我をして動けないのではとか。今回は非常に暑かったから熱中症になったいないだろうかと心配した。

猫を探すことで、大事だと思うことは、その猫の性格を知っていることも。

うちは猫が4匹いるがそれぞれ性格が違う。

自分で外出して、飼い主に呼ばれると帰ってくる猫。

リードで散歩に出るけれど、一人では散歩に行かない。旦那が何度かリードを話逃走したが行先は自宅。自宅が一番安全だと思っているようだ。

3か月の時に保護されて、絶対に家から一歩も出ない猫。人がきたら必ず、帰るまで隠れている。超ビビりで、ちょっとした物音でも、二階に逃げる。友人たちからは、幻の猫、姿を見れることがない猫だ。

そして、今回逃げた白黒の猫。好奇心が強いが内弁慶。フレンドリーな子だ。一度目の脱走の時に怖い思いをしたけれど、今はトラウマが薄れて、外に出たい感が強くなっているようだ。

性格を考えて、猫の習性も考えて、それに合わせた散策をすると、効果がある気がする。

うちの場合は、元野良猫だったことで、地域を知っていることもありそんなに、遠くに行くことも熱い時期で他の野良猫も活動をしていないこと。

猫を探すときは、逃亡経路の予測をするのに、猫は壁に沿って動く。すぐに隠れ導線を道線を通る。逃亡した瞬間を見ていたなら、その方向を中心に探すことも。

前回は逃亡方向がわかっていたので、その場所を中心に、探した。

今回は、いつ脱走したかわからなかったので、隠れている場所の特定ができなかった。

だから壁沿いを中心に、探した。声かけも。結構逃げた方向がわかっているのは大事だと思う。

うちはたまたま、うまく保護できたけれど、長丁場になって要る方は、配達の人たちやタクシー会社にポスターをお願いするのもいいと思う。

猫を飼っている方で、脱走してしまった猫を、探す参考になれば、いいなと思います。

 

二度目の愛猫、小鉄の脱走。10日目。野良猫化して、帰ってくるのが伸びるだろうから。

8月3日、愛猫小鉄の脱走。

今日で、10日目。

小鉄は、二度目の脱走。

一度目は、1歳と2カ月。リードで散歩中に、隣の人が出てきたことで驚き、夫がリードを離してしまい、リードをつけたまま。

この時は、8日目に、捕獲機で保護。猫の習性と小鉄の性格を考えて、脱走経路を予測することと、5日目くらいからお腹がすくだろうから、人がいない夜に動き出すのではと、夜間を中心に捜索。無事に保護できた。

今回は、夫が玄関で、出勤前に遊んでやったいた。毎朝のルーティン。所が何故か夫が、小鉄を家に入れた記憶も小鉄が脱走したことも、覚えていない。

玄関が閉まり、出勤したのかと思ったら「小鉄、おる?」と。

「そこにいないのなら、二階にあがったのでは?早く行かないと遅刻するよ」

まさか、猫を玄関から、家の中に入れてかわからないとか、脱走したのをおぼえていないとか、思いもしない私。

暫くして、二階に上がったりベランダに出たりするが、小鉄の姿が見えない。

小鉄は、私に対してややストーカー猫で、動くとついて回る。

これはおかしいと。夫のラインに、朝、ちゃんと、小鉄を家の中に入れてくれたと。

夫は、昼休みに飛んで帰ってきた。

話を聞くと、覚えていなくて、出勤しようと思ったときに違和感があったから。

結果、小鉄は脱走。

脱走をしたら、大きな声で叫ぶ人だから、本当にその部分は記憶がないようだ。

どのような形で脱走したのかわからない。

これは長丁場になる。簡単には戻ってこない予感がする。

一度目の時には、逃げた方向や、状況がわかっていたので、数に見つけることができると感じていた。

小鉄は道止めの脱走から、人と外を怖がり、玄関によって行くことがなかっ一度目の脱走の時に、近所の方がエアコンの下にいる小鉄を引きずり出して怖い思いをしているので、外は怖いと人の声がするだけでしばらくは、怯えていた。一年も過ぎれば徐々に、そのトラウマも薄れてきた野芥、玄関でのお見送りがじわじわと土間から外のたたき台まで移動していた。

夫には、ちょっと気をつけるように言っていたのだが。

そんななかの脱走。

2歳4か月と、大人になり、元々近所の野良猫として生まれて、3か月の頃に母猫と一緒にうちの家に保護された猫。

人懐っこくて、いたずら坊主の内弁慶。家の中では物怖じしない好奇心旺盛な性格の猫。

夫が非常にかわいがっている猫の小鉄

もう、早く帰ってきてほしい。

夫がペットロス状態。家の中が暗い。というか、私からすると鬱陶しい。

愛犬のアリスに当たり散らし、怒ってばかり。

猫は、えさ場を覚えているから、怪我などのアクシデントがない限り私は戻ってくると思っている。

何というか確信している。この猛暑なので、熱中症を心配するけど、あの子はきっと大丈夫を言う変な安心感がある。

今回、長丁場になるなと感じるのは、自分から脱走したと言うこと。好奇心旺盛だから、自分から帰りたいと思わないと帰ってこない気がする。

近くにいるような気がするし、そろそろ、安全な隠れ場所も確保して、餌を求めて動き出しているだろう。

それでも、昼間は動かないだろうから、朝方か。夜間だろう。

だから、しばらくは家の裏と玄関に餌を置いて、食べに来るのを待とうと思う。

帰ってくるまで、旦那の相手が大変なのだが。

脱走を知った時から、10日くらいで帰ってこなければ、野良猫化して、帰ってくるのが伸びるだろうから。

 

 

 

息子との会話。会社の人間関係。(土台作り)土台がなければ、物事はグラグラと足元から崩れる。

息子との会話。会社の人間関係。(土台作り)

息子は、会社の出来事で、愚痴を言いたいときや自分の言動で、やっちまったと思うときは、連絡をくれる。

先日から、新人社員のことで、ちょくちょく連絡があった。

新人さん、職歴がちょっとう~んというところはあったのだけど、兎に角営業の仕事は、やってみないとダメなところもあり、上司が、多少難があっても今回は取ると。

実を言うと、息子の営業所は人手不足。息子は店長なのだが、営業がひとりしかいないので、休みもほとんどなく、出勤している。

そんな状況をかえたいエリア課長が、「余程のことがない限り取ります」と。

いつもは、店長である息子も面接するのだが、今回は息子は、書類を見るのみ。

「母さん、今度来る新人若いだけで、仕事が一度も正社員になったことがない。絶対無理な気がする」

「う~ん、そうだね。バイト生活ね。まあ、あなたのように、高校卒業後はしばらく色々経験したいとバイトをしていたのとは違う気がする。自分がしたい事を探すのに、時間を要することもあるから。」

新人さん、「僕の強みは物おじしなく、他人と話ができる所です。」「スピードはないかもしれませんが、頑張ります」

入社して、最初の数日は、客の見送りもちゃんとでき、やる気があるようすだったが。

客の案内を頼んだら、課長に自信がないのでついてきてくださいと頼んでいた。

息子は、こんな新人知らんわと思ったと。

課長は、ついてはいかなかったのだが、店長の指示をできないなら、できないと言わずに、エリア課長に、お願いする非常識さ。

ありえねーと課長も、息子もおもったらしい。

就職2週間目に、課長に辞めたいっと。

店長はエリートなので、僕は、店長のようにはできません。あのようなやり方では誰もついてきません。」

息子の指導が悪いから、やり方が悪いから勤められませんと。

課長は「そんなことを理由に、止めるなら今後どんな仕事をしても無理だよ」というようなことを言って一応は、とどまった。

翌日に、店長である、息子と面談。

「仕事の覚え方は人それぞれだし、やり方も、その人の個性で、営業はしていくものだから。人のやり方を真似しろとは一度も言ったことがないし、仕事をするうえで今だけを見て他人を評価するのは違うと思う。

まだ、営業の仕事を一度もしていない。段取りと書類の作り方のみ。今月に目標を持って、やっていこう、営業デビュー。それでも、負担なら、目標はゼロでもよいと言ったはず。30万の目標を選んだのは君だよ。」

息子の会社は、正社員になるのに審査があり、一応3か月を目標に正社員に上がるのがほとんどである。だから、試用期間中の3か月で、まあ、正社員。

正社員は、営業ができればその成績で、給料が増える。

正社員にならなければ、給料は、規定の金額だ。

店長達は、新人教育をしながら、できるだけ早く正社員にと思って指導をする。

息子は、2か月で正社員になったけれど、これはこれで、もめた。

店長やその当時の課長、部長に、正社員にあげる話を聞いていたが、息子はかたくなに正社員のなる条件をクリヤしていないから嫌だと。

息子の営業目標が、達成されていなかったのが、息子はどうしても納得がいかなかった。

しかし、当時息子の目標は、60~100万。新人にしては高い目標設定だった。(この時の上司が、イケイケの営業成績優秀者)

息子の正社員の話は確認されたときに断ったのだが、正社員登録になっていた。

息子は、部長に直談判。覆ることはなく、息子の部長に対する評価は、ひどいものだった。

「目標が達成できていなくても正社員に登録をされたと言うことは、それだけの力があると認識されたからじゃないの。何でもそうだけど結果だけではなく、その目標に取り込む姿勢や努力を評価されてのことだと思うよ。それに、あなたは面接でお金を稼ぎたいからこの仕事を選んだと言ったのでしょう。それもあるのじゃないのかな」

「上に立つものがみんな成績優秀者ではなくて、人格者の時もあるよね。人を元気にさせることができ、背中を押すのがうまい上司とかね。」

あなたの評価は、店長、課長、部長も、正社員にしたほうが伸びると言うことじゃないかな。正社員で、目標はもっと高くなるのだから、その目標を達成させればいいのじゃないかな」

息子は新人だったけれど、仕事を覚えるのに、課長や他のエリアの店長たちにも、指導を希望したりと努力をしていた。

私がびっくりしたのは、監査が入るために、夜中を過ぎても残業をしていた事。

うわ~、この会社ブラックだわと思った。まあ、今の息子の仕事を見ているとやっぱりブラックだわと思っているけど。

息子は、資格は持っていないけれどパソコン操作が早い。そのために、その当時、手伝いに駆り出されたようだった。残業手当はちゃんと出してくれたのだが。

息子が店長になってからは、新人は、定時に必ず退社させることをちゃんとと守っている。

その分、息子は残業になるのだが。

営業が、できる人数は、正社員のひとりだけ。この正社員がちょっと色々難がある人で、他の営業所を転々とさせられている。何というかお局様タイプ。

扱いにくい人で、この人がいると新人や営業から、不満が出て、止めてしまうのだ。

まあ、実際に、これまでの新人も、この人とうまくやれなくてやめてしまうため、いつまでたっても、息子の営業所は、人が入らない、続かない。

態度が悪いのですね、この営業さん。自分は、目標達成は、興味がないと、私はやめることを考えていると、移動してきたときに面談で話をしている人だ。

やめるのだから、ほっといてほしいときたもんだ。

息子は「やめるにしても今はまだ、会社の社員なのだから、仕事はちゃんとしてもらわないといけない。営業目標は、営業の要。業務の一環だから。会社の方針に従わないなら、いつでもやめてもらって構わない」

このお局さんにきつく言う店長はいなかったらしく、ほったらかしだったようだ。だから、遅刻はするし休むしで大変。そこに持ってきて営業リーダーなのに、新人の指導をしない。

難ありの人を抱えているわけだから、店長であるのに、店舗営業を達成するために、フルで営業をするから、店長になってから、休みなしだ。

長時間労働は毎日だ。

本当に、それでも、エリヤ一位の成績を上げる。

そんな、息子の成績の結果だけを見てスーパーエリートと言われるのが息子は心外。やりたくてやっているわけじゃないと

毎日、毎月、目標が達成できるか、やるしかないと頑張ってきた結果だと思っているから。

そう、息子の自己評価は低い。だから、努力の人だ。

息子が休み返上になるのは、営業の人と新人だけだと、辞める状況に今までがなって要るため、新人のために、出勤する。

今回の新人は依存体質なのか、息子が休みだと不安な様子で、「明日店長いないのですか」と。

「少しすることがあるから、午後にでてくるよ」なんてことに。

実際は出てくることはなく指示で済む。

営業時代の彼も店長になってからの彼も、ずっと見てきている。

息子と私の関係は何でも話しをする中だ。特に息子は自分が失敗したのではないかというようなことや、人間関係で、落ち込んだときほど連絡してくる。

会社に入った子供が、家族に何も言わないというようなことがあるが、うちの息子は、そんんことはない。

むしろ、人間関係のトラブルは、よく相談してくる。私が占い師であることが大きい。

関わる人の性格や、話をしたときの相手の気持ちを伝えるので、言われたことが的確に、当てはまるために、息子だからという考えが私にないので、自分とは違う目線と素直に聞いているようだ。

今回の新人に対しても、性格の話や可能性の話もしたが、難がある。ハッキリしていて、いけるかダメかがすごくよくわかるよと。仕事とその子の今までの経験が、出ると。

結果は、息子と話をした翌日に辞めた。

自分が努力せずに、楽してできる仕事はない。バイトも一日で辞めたこともあるタイプ。他人と比べて、その他人の功績を妬み、少しでも、他人のせいにして辞めるいつまでたっても、伸びないし、仕事ができる人間にはならない。

この新人さんのことを占いから見れば、あら、あらです。自分をちゃんと見なければ、気づいたら誰にも相手にされず。今は若いからいいけれども、土台がなければ、物事はグラグラと足元から崩れる。

若い時の苦労は買ってでもしろというのは、自分の土台作りの為だ。それを怠たると、何をしても、成功もしないし、達成感もなく自信のない人間になる。

妊婦向け文書が”炎上”,,,批判集中のワケ 広島・尾道配布文書の記事を見て。

妊婦向け文書が”炎上”,,,批判集中のワケ 広島・尾道配布文書の記事を見て。

内容は、「先輩パパからあなたへ」と題した文書。アンケートを取って、その結果をランキング形式で乗せたもの。

批判が集中したのが、妻のこういう態度や言葉が嫌だったというランキング。

  • わけもわからずイライラしている、少しのことでイライラして当たられる。
  • 赤ちゃんの世話で忙しく、家事ができていない。
  • 何もしてくれない、子どもの面倒を見てくれない。

その他も「お帰り」「おつかれさま」の声かけがない「抱き方が下手と言われる」「風呂が長い」「ストレッチが長い」「買い物が長い」といった内容。

「妻ににしてもらいたいこと」ランキングでは。

  • 家事
  • 育児
  • マッサージ

批判の声は(SNS)では「新米ママを追い詰めるために配っているのか」「産後は身体がつらくて体力なんてないのに、夫の世話までしないといけないのか」「参考にしたら育児ノイローゼになりそう」と怒りの声が相次いだ。「妊婦さん向けの文書としては不適切だ」という声がとにかく多かった。

見直しはせず…5年間同じ物を配布。

 

4人の出産育児の経験から、思うこと。現在の女性の状況が、昔と違っていると思う。

一つは、昔と違って、家族構成が、核家族が多くなったこと。

私が子供の頃は、祖父母、叔父、叔母達、何人もの大人たちがいた。

女性たちは、専業主婦が多く、働きながら、子育てや家事全般を、一人ですることはなかった。

それにご近所さんも何かと助けてくれる。

今の世の中、何が変わったかというと、女性が働き手として、社会に出るようになり、家族の在り方が変わった。

悪しき習慣というのだろうか。男性は、家事をしなくていいと思っている人が多いのではないだろうか。

男は、台所に入るべからずなんて思っている人も、未だにあるのかも。

 

さて、私の経験から言うと、何かを相手に頼むときは、笑顔で頼むことかなと思う。

私は、30歳超えてから、3人の子供の育児出産をした。

再婚だったことと旦那が17歳年上だったこと。

出産に対して反対したこと。

そして自営業だったこと。

色々なことが重なっていたこともあるのだが、旦那が、最初の妊娠がわかった時に、「降ろせ」と。

予想はしていたので、「離婚してでも産もう」と、流産しかけていたのでそのまま入院した。

だから、旦那には何も頼まない覚悟があった。

この辺のことは色々あるのだけど、離婚は一応、勝手に離婚届けを出した。

まあ、出産した後、籍はいれなおしたけど。

難産で、産婦人科では、輸血の手配もしていたと後から聞かされた。

私の身体よりも、非常に大きな赤ちゃんが予想されたためだ。子宮の中の胎児の頭が、5キロを超えるぐらいの大きさだったらしい。事実、頭の大きい子で、なかなか生まれなかった。生まれたら生まれたで、仮死状態。私は、そのまま、意識がなくなり、子供の産声は聞けなかった。

この入院生活は5日間。あまり記憶がない。ぼーっとした記憶しかない。子供に、会えた記憶もあまりなく、目が覚めて見せてもらったのは、写真だった。

黄疸がひどくて、治療をしていたこともあり、会えてなかった。

退院する日に、初めて会った。そんなことはないと思うのだが、入院中の事はあまり記憶がない。

そんな状態だったので、体は半端なくしんどかったが、何と旦那、「退院したら店に、出て棚卸しをしてくれ。家で至るより店で休んでるほうがいいだろう」

はあ~、この男は何を言ってるのだと思った。そして、私が生みたくて産んだ子だから文句を言うまいと決心。

退院した次の日から店で働いた。

旦那は、私の姉や母に対して文句を言っていた、「何で、手伝いに来ないのか」と。

何を言ってんだ。あんたさ、私が入院している時に、義母が亡くなった。その時の対応を、忘れたのかと言いたい。

姉と母が手伝いに行ったら、義母の入院先から元妻と義母を迎えに行って、姉と母には会釈をして、自宅に戻ったろうが。

姉から、「もう、どうしていいかわからないから帰ってきた」と病院に報告がきたわ。

全然、親戚付き合いをしていなかったけど、、私が入院していて困るだろうとと、手伝いに行った姉と母を置き去りにして、いまさら何を言ってんだ。

そんな姉たちが手伝いに来ないというわけ、ふざけるなと心で思ったわ。

二人とも、仕事をしないといけないわけだから。

初めての出産から、あと2人もたいした変わらない。3人目を、出産して帰ったら、何と上の二人が熱を出している。

退院したその日に、二人を病院に連れていった。小児科の先生から「いつ生まれたの?」「昨日、退院しました」「えっ、昨日、寝ていないと」「旦那が仕事なんで。」

小児科の先生は目を丸くしてびっくり。

結果、上の子は風邪をひくと喘息が出るので、その夜から看病と乳児の世話。

やっぱり店に病気の子供を連れていき、乳児も。

今思いおこしても、よく頑張ったと思う。

母にも、姉にも助けを求めることなく。

自分の中で、いつか離婚と思っていたこともある。

だけど、最初の子供が、離婚するとまた母子家庭になり二度父親を取り上げることになるからということ。

そして、旦那の連れ子が、母違いの弟をとても大切にしていてくれたこともあった。

だから、頑張るだけ頑張ろうと。

店の切り盛り、育児、家事、毎日睡眠時間2時間。

旦那は何も手伝わない人だった。乳飲み子を背負い市場まで朝早く仕入れに行く。

夫はその間寝ている。かえって、朝のしたく、家事。

10時には、店に行かないと、店の準備ができない。

旦那は、まだ家で自分のしたい事をしている。

私は、離婚をいつも考えていたので、別れた後後悔させてやると思っていたのだと思う。

そんなかんなで出産育児は、普通ではないほど忙しかった。

しんどいとか休みたいとか考えている暇もない。

旦那が頼れないのだから、すべて自分がする。

私は言いたい。

結婚するなら、本当に協力をしてくれる男を選べ。

それか、お金にゆとりのある男を選べ。

女に依存するような男を選ぶな。

人の痛みがわかる人思いやりのある人を選べと思う。

私は、次男坊に「母さんは男運がない。男運が悪い」と言われる。

私は、「そうかもしれないけどあなた達の母親に慣れたから、母親運はいいよ」という。

妊婦向けの文書の記事のことも、仮に、文章の様な事を思うような男性なら、こっちの言いようもあると思う。

そのことを意識させるのにはいいかもしれない。

だけど、妊婦向けの文章の男性は、気にかけえているのに奥さんに罵詈雑言を言われた人かもしれない。奥さんが甘えすぎかなと思う。

妊娠。出産は病気ではないけれども、体の変化は、女性にとっては未知の事。出産は病気ではないけど、安全でもない。命の危険もある。

4人出産したわたしでも、4人目の時に不安になり、医者に、無事に生まれるか、不安で泣いて訴えたことがある。

そのくらい出産は、女性にとっては勇気がいることだ。

男性は、何も、変わらないのだから、自分の大切な家族を、受け止めてあげるべきだ。

出産で死ぬこともあるし、血管が着れて脳内出血を起こしてしまい、寝たきりになる女性もいる。

出産後、ゆっくり休ませないと、「血の道が起こる」と昔の人は言った。

私自身も、出産育児、その他の無理がたたり、腎臓が壊れてしまった。

出産。育児は精神病を誘発することもある。

だから、これから出産、育児をされる方は、思いやりを持ち、特に男性は、自分が経験しないのだから、協力を惜しまない、自分のことをしてもらおうとか家事をしてとか言うなと思う。

家事をしなくても死にはしない。いいじゃないの、奥さんが笑って生活を送れているなら、二人で今しか関われない、赤ちゃんとの時間を大切にすれば。

現在はお金さえ出せば、家事代行もある。

食べるものもデリバリーでいいじゃない。

核家族で、二人なんだから、どちらも笑っていられるように、少しだけお金を使おう。

無理せずに家族が笑っていられる方法をとることが今の時代の夫婦。

核家族のお母さんは大変不安なんだから、赤ちゃんのお世話だけでいいじゃないの。

旦那さんも一緒に、赤ちゃんの成長だけを楽しみに生活すればいいじゃないの。

奥さんを責めるより文句をお互いに言うよりも、文句が出ない状況を作ってほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

ツイッターで、ビックモーターで、車を買わないという話を見た.。うちの車は、ビックモーターで購入した。

ツイッターで、ビックモーターで、車を買わないという話を見た

私と夫の車は、二台とも、ビックモーターで購入した。

新古車。夫はセレナ。私はダイハツのウエイク。

夫の車は新車購入より、30万ほど安い。私の車も、今では買えない値段。

私が30代からお世話になって要る、修理自動車店がある。修理も車検も、息子達の車もすべて、ここで修理、購入をしている。

夫と私は、ビックモーターの見積書をもって、その修理、販売会社に、行った。

見積書を見てもらい、社長に、同じ金額で、購入できるかを聞き、自分の会社では無理だと言うことだった。

と言うことで、ビックモーターで購入。

簡単に、購入を決めたわけではなく、何度も見に行き担当してくれた営業マンの方も感じが良かったこともある。(この方、主任、その後店長に昇格)。

そして、修理屋車検は、ビックモーターでお願いはしなかった

購入時点から、他社で購入しても、自分たちの付き合いのある修理自動車会社に、お願いしている。

何というか、購入するのは、安いに越したことはない。

その中で、自分のお付き合いしている会社が、高ければ、他社で買う。

でも、修理はやっぱり地元の信頼できるところでしたい。

大きな会社では、人が変わるし、はっきり言って、細かいことやこちらの要望が聞いてもらえないことが多い。

購入して、無料の点検は、ビックモーターでしてもらっていたが、気になることを言われたらすぐに、ご贔屓の車屋さんに、持っていき聞いた。

大きな会社はノルマもあるし、営業マンもよく変わる。

自分の命を乗せる車なので、修理や車検は、信頼できる会社にしたほうが良いと私は思っている。

購入することが終わりではなくその後のメンテナンスを、考えると、売る、買うが、主な利益優先は、ちょっと長い付き合いはできない。

と言っても、私たちが担当してくれた、営業マンがいる間は、よくお世話になったいた。彼が転勤してからは、行っていない。

何事も、人間関係がかかわってくる。

ビックモーターがダメというわけではなく、大きくなる会社ほど、特に営業関係は、かなり、現場は厳しいのだろうと思っている。

良い人間関係、信頼できる人と出会えたら、どこで買っても良い気がする。

だけど、修理などは信頼できる地元の会社がいいと思う。

この地元の会社は、私と長い付き合いがあるので、息子達の修理屋車検をを、3回の分割で払わせてくれたりする。もちろん、無利息。どこかのクレジット会社で、支払いを組むわけではない。

年中、いつでも、連絡したら、対応してくれる。利便性は最高。

子供たちも全員、ここの会社にお世話になって要る。私は、先代の社長、現会長からの付き合い。

夫は私と結婚してから、現社長との付き合い。社長とは、歳が一才しか違わないこともあり、何かと相談しやすい。

夫は、一応、自分の知り合いの自動車屋があったのだが、私と付き合いだしたころにトラブルがあり、そこの会社と付き合うのをやめた。

夫が事故をして、車を買い替えるのに、購入した中古の来るもが高かったことや、ローンを組んではいかないのに、組んでしまった(住宅ローンの審査中で、ローンを今は組まないでと言われていた)。

直ぐにその日に連絡し、会社も承認したのに、ローンが組まれていた。

本当にその後はその会社の社長が夫を呼び出し、説教2時間。

私は、自分の修理会社の社長にその修理屋の評判を聞いて、愕然。評判が修理屋業界で悪い。やくざ関係のお付き合いがあると。

と言うことで、呼び出しをいただいたときは夫に携帯を、私にかけたままにして、何かあればすぐに警察に連絡する体制。

ちなみに、私のご贔屓の修理会社の会長の弟が、警察官、刑事だった。

事なきを得て、夫は無事だったけど、どこの会社が、お客様を呼び出して、2時間も話をすると今でも思っている。

私は始めて、この人を見た時、胡散臭いと思っていたので、凄く用心していた。

だから縁が切れてよかったと思っている。

小さな会社でも、大きな会社でも、悪いことをする人はいる。

だから、自分の目で、しっかりと見て感じて、調べることは大切だと思う。

ビックモーターのことも、誰かが、嫌な思いをしたなら、発信することは大切だと思う。それによって、その会社が変わるならそれは、良いことであると思うから。

でも、すべての、営業マンが悪い人や感じの悪い人ばかりではないことも、ちゃんと、見る自分の感覚も大切。

発信される情報をすべてうのみにせずに、判断できるよになりたいものだ。

 

 

 

自分軸で生きることで、命の時間を楽しく自分らしく生きていたい。

同士がいなくて寂しいという人の思いを聞いて、私もそうですよねと言われて、う~ん、違うと思ってしまった。

同士(同志)とは、こころざしや主義、主張を同じくすること。身分や境遇、性質などがお互いに共通している人。

私は自分軸で生きている人なので、同志がいないことに対して何も思わない。

自分以外の人対して何も期待していないし、ともすれば傷つけてくると思っているから。

この歳になったから言えることかもしれないけれど、何かをやり遂げることがあったら、同志は必要かなと思う。

国のために、よりよい国にしようと思っているなら、同志は必要だと思う。大きなことを成し遂げるには人の力、集団の力は必要だから。

だけど、そんな何かを成し遂げようと思わない私個人からすれば、同志は必要がないし、寂しいとも思わない。

自分の人生の中でかかわった人と何かしらの縁があり、良い関係を作れて、思い出が残ればそれでいい。

自分の性格をよくわかったきたこの頃だから、余計に思う。

私は元来お節介で正義感が強く、、私が私がというタイプ。故に、困った人がいると、手を差し伸べてやりすぎる。

特に感謝してほしいとは思わないけれど、案外本当は、私が思っているほど他人は困っていないとわかった。

何となく聞いてほしかっただけ。何かをしてほしいわけではない。

なのに、私は自分のことをひとまず置いといて、その相手のために一生懸命になる。

若い頃から、その繰り返しで、あ~、お節介だったんだと何度思ったことか。

親のおかげだと思うのだが、親が頼りがなくいつも我慢させられてきたので、他人対して期待をすることがなくなった。

身分や境遇が違っても、素直に受け入れる時代は、小学校時代の子供の頃だけだ。それだって親の影響を受けていれば、遊んではいけないと刷り込まれている子供もいる。

だから、同志というよりも、他人を自分の側に置きたくないと思っている。

1人が楽である。

寂しいと思ったこともないし、誰かに理解してもらろうと思うことはなくなった

どんなに仲が良くても、肉親であっても、決して理解していくれていることはない。

えっ、そんな風に思っていたのかと思うことが、この歳で気づいた。

ただ、寄り添うことはできるし、その相手をありのままに受け止めることができる。

相手をありのままに受け止めると言うことは、その人を否定しないことと、自分と違う考えや思いがあっても、自分の思いや考えを押し付けることはない。

あなたはあなた私は私と思っているから。

自分軸だから、お洒落をすることも自分のため。誰かと一緒に何かをしたいと思わない。旦那とも、一緒どこかに行きたいとも思わない。

腎臓病があるために、他人に合わせて行動することが苦痛だと言うこともある。

「人に頼らず自分らしく生きる。」これに尽きる

さびしいと思う人は、他人に期待して癒しを求めて承認要求が強い人なのかなと思う。

人にではなく自分の中に、癒しや楽しみを求めることができることが大切だと思う。

人は生まれてくるときも死ぬときも一人である。自分のこと自分以上に考えてくれる人はいないのである。

寂しいという人は、最近は、昔と違って、SMSという物があり、人と関わろうと思えば、かかわることができる。

私は、ニュースなどのコメントや、動画のコメント見たりして、なるほどこんな風に考える人がいるのだな、あ~、私も同感などと楽しんでいる。

特定の人と一緒にいなくても、インターネットの世界で、他人とかかわることができる、

いい時代だと思う。

慢性腎不全で、無理の利かない私でも、家にいて一人でも楽しむことができる。命の時間を、楽しく自分らしく生きたいと思う。

昔の話でやるせないと思ったこと。大人の事情で巻き込まれる子供。

ラーメン店の女将さんだった頃、沢山のバイトの高校生とかかわった。

そんな高校生の子達で、心に残っている事。

とてもきれいな子がバイトに、来てくれるようになり、ある日、市内の花火大会に、浴衣を着たいと。

「女将さん、浴衣着せてもらえないですか?」

「うん、いいけど。浴衣は持っているの?」

「はい。家庭科の授業で、縫ったんです」

「お母さんは、仕事なの?」

「母はいないです。」

「ごめんなさい。悪いことを聞いてしまったわね。」

「いいえ、私が小学二年生の時に、離婚したんです。それから一度もあったことがないです。」

「そうなのね、大人の都合でどうしようもないことがあるものね。」

「合いたいと思ったことはないの?」

「もう、母の顔もおぼろげというか、思い出せないです。会ってもわからないかな。」

「でも、良かったです、この浴衣を着せてもらえるので。女将さんの所に、バイトに来れて。」

そんな話をしながら、浴衣を着せてあげ、髪も結ってあげた。

この時に、私自身、子供の頃、親の都合で、妹二人と姉妹として育つことがなかった。養子に出されたから、妹たちが。

だけど、大人になるまで、合わなかったけれども、会いたいという気持ちと妹がいたと言うことを忘れたことがなかった。

私は当時4~5歳だった。でも、妹と遊んでいて、知らないおじさんに叱られ、妹が連れていかれた、そのショックは今でも覚えている。その後、その人が養子先のお父さんであることがわかった。

それでも、その時の妹の、泣き声を忘れることがなかった。

小さな女の子だった私でも、小さな思い出はある。

なのに、小学二年生なら、何かしらの思いでがあっても良いのに、彼女は、思い出がないようだった。

人と人が関われば、何かしらの思い出ができると思うのだけど。

思い出したくないのか、そうしなければ今の彼女がないのか。

人の気持ちは、わからないけれど、彼女の少し影がある大人びた表情は、経験からのだろう。

もう、今は彼女も、40代。素敵な女性になっているといいなと思う。

彼女が、どうですかと、くるりとまわって嬉しそうにしていた笑顔が忘れられない。

私の長男も、離婚したために父親と会ったことがない。息子の場合、2歳だったこともあり父親の思い出がない。そして、父親がなくなったけれども、全然、思いがない。

小学三年のころに再婚して、義理の父親ができ、家族の中に父という存在があった。それもあって、余計に、実父に対する思いがない。

本人も、父親としての思い出が何もないからと言っていた。

人とのかかわりは、同じ時間を過ごしても、大人と子供では違う。

何かしらの事情で、別れたとしても、その子供に思い出を、話してあげなければ、親子の情は生まれないと思う。

私は、長男に、ことさら父親の話をしたことはないけれど、いい人だったこと、真面目な人だったこと。若くして結婚して、義実家とうまくいかなかったことは話をした。

離婚に至ることは、チャンと話をした。長男は、父親がいないことで、何一つ不充分な思いをしたことがないと言っていた。

確かに、子育てというか小さなころは、母親が一番だ。

できれば、片親よりは両親そろっているほうが良いかもだけど、離婚したり、何らかの事情で、一緒に暮らせない事があったら、子供が物心ついたときには、ちゃんと話せる人がいてあげたらいいなと思う。

一緒に暮らさなくても、血がつながっていると言うことだけで、亡くなったら連絡が来るから。

長男の父親は、なくなった時に、職場だったのと、義姉たちが遺体を引き取らないと言ったために、長男要するに私の家に連絡がきた。

別れて一度も会わず、養育費ももらっていないのに、血がつながっているだけのことで。

長男が引き取らなければ、無縁仏に、埋葬されると言うことだった。

将来何が起こるかわからないので、荼毘にしていただいていたので、引き取りに行った。

人のつながりというのは不思議なものだ。

血がつながっていても、親としての感情もないのに、警察から連絡があり、縁は切れていると思ったのに、繋がっていた。

だから、長男は、父親のことはわからないので、義姉や親戚、父親の知る限り(私が)友人に連絡をした。

それにしても、やっぱり、ルーツは教えていないといけないと思った。

それから、親の子とは知る限りどんな人だったかを伝えてあげようと、小さな頃に別れた親の事。

子供が覚えていれば別だけど。

バイトの子供のことで、自分も離婚していたけど、父親のことをことさら話をしないけど、とても、彼女の気持ちを思ったときに、やるせない気持ちと、親の事情で、親を思い出せない状況は作らないようにしたい。

せめて、「お母さんどんなひと?」「お父さんどんなひと?」と聞かれたときに、答えられる情報は伝えてあげたいと思った。

 

 

中野立てこもり事件。男女4人を殺害。容疑者は、ソシオパスになっちゃたのかな。

中野立てこもり事件。男女4人を殺害。


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容疑者は、ソシオパスになっちゃたのかな。

31歳、私の息子も同じ年の子供がいる。最近、大人の発達障害ではないかと思うことがあった。確定したわけではにけれど、本人に話をしてはいない。

子どもの時にもその兆候があったが、楽天的な私は、息子は天才だと、凄いと思っていたし。事実、息子に、苦手なことがあっても、それを上回ることがあると、息子を褒めていた。何かが苦手なことは誰でもある。それができないからと言って生きていくことに困らないと。

息子は、見た目は明るい子供だった、たぶん多動性障害があったのではと今考えると、思う。

だけど、落ち着かない子という程度の認識だった。

4人子供がいるけれど、その子供の性格を、それぞれの個性としてみていたのんきな母親だった。

さて、容疑者の、環境を考えると、有名なご家族の1人。想像するだけだけど。子供には厳しかったのかと。プレシャーが大きかったのではと。

できて当たり前、あそこのの坊ちゃんだから。羽目を外すことも、何かを言いたくても、親の目線、他人の目線を考えないといけない。

苦しかったのではないかと思う。優しい性格で、あまりにも他人や親の期待に応えようと頑張ったいたのかもしれない。

そして、期待に応えられないことや、できないことで、いつしか、劣等感が生まれ、親の、あなたのためにと言うことが、俺の為じゃない、自分達の為だ。俺のことを本当に、考えて思ってくれているわけじゃない、愛してくれているわけじゃない。俺の事なんて、考えていないと憎しみが大きく育ってしまったのではないだろうか。

それが、反社会的な行動をためらわない、良心が欠けた人になったのではないだろうか。

衝動的に行動し、身近な人に対して利用、虐待する、相手や社会を責めて自分を正当化する。サイコパスならぬソシオパス。

ソシオパスは、後天的。

ソシオパスは、法律を破ることをためらわない傾向がある。今回の散弾銃にしても、ルールはわかっていたはずだ。だから、散弾銃を持つことの法律的なものもわかったいたけれど、衝動的で、無計画に行動すし、攻撃的で暴力的なソシオパスが発動したのか。

自分と他人の安全を顧みないから、警察官に打ってみろと挑発をする。

周囲を顧みず、怒りに任せての言動、後先の計画もなく、学校や仕事をやめる。

彼はきっと、攻められても、言い訳をし、反省の色は見えない、逆切れをして責任転換をするだろうな。

もしも、容疑者が、このソシオパスなら、亡くなった方々は、気の毒。

生育環境がソシオパスにする可能性がある。子供の頃に関わる大人が注意しなければいけないこと。

行動に制限やルールを設けない。

悪いことをしても叱らない。

善意などの価値観を教えない。

悪いことをしたら罰や叱責から守る。

あなたは特別で誰よりももすぐれていると伝え続ける。

これらが、ソシオパス的な人格形成を促す可能性がある。

精神科看護婦から見た今回の容疑者に対して、感じた事だ。

精神病と判定しているものではないけれど、他人を傷つけることを平気ででき、他の人を刺した後更に、散弾銃で警察官を攻撃する。全然、躊躇がなく、人一人を殺傷した後だというのに、更に暴力的に攻撃をやめない。

何と言っていいのかわからない。

社会において、職場でソシオパス的な人と仕事をする時には、気をつけてきているし、大人しい人ほど何を考えているかわからないと思っている。

環境が、素晴らしい人ほど、他人に見せない深い闇を持っているのだろうと思う。

今回のことは、防げたのかと言えば、無理だったとしか言いようがない。

子育ては、「無住むな、騙すな、殺すな」と教えてきたが、当たり前のことなのだけど、教えなければ、その当たり前も、育たないのだと思う。

私は、もう一つ、いつも子供たちに言う言葉は、母親にさせてくれてありがとうだ。

何があっても、母親を投げ出さないと言ってきた。

誰かが、コメントで言っていた。子育てをするのに正解はないと。自分達だって完璧な人間ではない。子どものことを考えてきたけれども、子どものしたことで、子育てが悪かったなどというのは違うのではないかと。攻める人がいるけれども、自分たちにも、起こるかもしれないと。

私もそう思う。

中には責められるに値する親もいる。虐待をする親だ。

普通に頑張って生きて、子育てをする親を、攻めるのは違う気がする。

その子供の性質や、親以外に関わってできた性格もある。

私の妹は、よく言う。もともと持って生まれた素質、どうしようもないと。

そうかなと私は思う。

一番悲しいのは、精神病で、善悪が判らない、他人に対して関心がなくなてしまう人だ。精神病だから、判断能力がないとか病気だからと、罪に問われないこともある。

被害者の家族からすれば、病気だからと許せないだろう。

被害者家族のことを考えると、自分ならやっぱり許せないだろうし、だけど容疑者の親の気持ちに立つと、頑張って育てたのだろうになぁと思う。

 

幸せだと思うこと。暮らしの中で、ちょっとしたことで自分は幸せと思う瞬間が、凄く嬉しい。 生れてきてよかったと思える。

幸せだと思うこと。

老春時代に入り、健康体ではないけれど、自己管理をしていれば、普通に生きていられる。

子供の頃は、貧乏で、食べれないことがあったり、欲しいものが買えなかったり、決して、幸せな生活ではなかったけれど、その中で育ったからこそ、小さなことで喜ぶ自分、小さなことで満足できる大人になれたことの幸運を感じている。

貧乏で、我慢する経験、特に食べれない経験は、少しくらいの辛いことや苦しいことに耐える力を、持つことができた。それから何事も、あきらめない強い意志。ハングリー精神を持つことができた。

親が勝手な人たちだったけれど考えようによっては、放任主義。そのおかげで自分で考える力も持てたし、他人を当てにしない、自分が資本。働ければ生きていける。頼るのは自分だけと言うことを身に着けた。

大人になったらというような夢は持てなかったけれど、食べれないような人生は送らない。それは夢がないというわけではなく、大人になったらしたい事ができるという夢を持っていたと思う。

安定した生活、ほしいものが買える生活を、送ることが夢だった気がする。

働くことが苦ではなかったし、子供の頃から家事一切をしてきていたので、料理を作ること、生活全般にかかることは、誰にも手助けされなくてもできる。

こんは、早くから結婚した時にも、今現在も変わらず、私の生きるための盾になっている気がする。

私の夢は、叶った。

そして、自分が子供の頃に親にしてもらえなかったことは、子供たちにしてあげれて、その時に、子どもが喜んでくれることで、自分は幸せだと感じていた。

小学生の頃から、家事一切をしていて、友達と一緒に、買い物に行ったりなど、およそ子供らしいことはしたことがない。

大人からは、家のことをして弟のことをちゃんと面倒見て、親の言うことを聞いて、いい子だと言われた。

だから、いい子でいると楽だと思う子供ではあった。

生活を考えずに、高校生活をしたかったなとか、アニメのように、10代の恋愛もしたかったとか思うこともある。

でも、それらは息子たちの経験から、実感することができた。

若い頃の経験も、あっという間に過ぎた子育ても、凄く頑張った自分がある。

振り返っても、自分の経験は、苦しかったとか嫌だったと言うことがない。

そんな風に思える自分を思うと神様に感謝する。

それぞれの経験が、今の幸せにつながっていると。

泣くと言うことがない人生を送っている自分。

自分の思い通りの人生を送ってきたと言うことなのだと実感している。

そして頑張ってきたからこそ、今は、自分の時間が取れて、子供の頃のように我慢する必要のない生活がおくれていることに、感謝が自然に心の中にある。

年齢とともに、緩やかに、クレアチンの上昇があるけれど医者からは満点と言われているが、確実に体は、しんどいなぁと思うこともあるけれど、働かなくても良い環境でいられることに本当に感謝。

小さなことに幸せを感じる、今は、旦那の食事と、猫たちとの生活。

人の幸せは、どんなことで感じるのだろう。

私の幸せは、今の状況に感謝すること。自分の時間を心地よく過ごせているから。暮らしの中で、ちょっとしたことで自分は幸せと思う瞬間が、凄く嬉しい。

生れてきてよかったと思える。

 

 

 

 

人間は好きだけど、めんどくさい人は嫌いだ。親しき中にも礼儀あり。ある程度の距離感が、付き合うのには必要だよ。

他人と話をして、思った自分の事

還暦を過ぎて、仕事もやめて、家にいるのだけど、先日から、近所の知人と話をする時間が、3日間あった。

一日家にいるので、特に用事がないから、お誘いがあったので、お付き合いした。

やっぱり思うことは、井戸端会議、何の意味もない話は疲れる。

自分的に、面白い人間と思っていなくて、どちらかというと、困っている人、悩んでいる人と話をするのは、嫌ではないけど、何の目的もないおしゃべりは疲れる。

議論が好きと言うことかも。

話をしている時間がもったいないと感じてしまい、あの人とのおしゃべりはしたくないとなる。

何かの情報で、女の人のおしゃべり、井戸端会議は、ストレス解消になると、耳にしたことがある。しかし、私には当てはまらないと思う。

相手にもよるのかもしれないけれど、話の内容が、自分に関係がない話だし、人のうわさ話とかいらない。

知人は、今回は、ちょっとしたことがあり、私と一緒に話を聞いてもらい元気になり、もっと早く話をしていればよかったと言うこともあったようだ。

でも、それはその時で済んだのだから、もういいじゃないと思うのだが。

時々、変に親しくなろうとする人がいるのだ。

疲れる。

彼女には、べたべたした関係は嫌いだからと言っているのに、「え~、だって私は話を聞いてもらえて、目からうろこで、とても、感謝しているから。」というのだけど。

感謝しているからと、何で毎日呼び出されるのかわからない。

人が私に話をしてきたときには、自分考え自分がどう思うかを言うだけで、別にその人の味方でも何でもない。

客観的に、自分の人生から自分はこうだと思うという話をしているだけだし、こういう考え方もあるのではないかと言っているだけだ。

なので、私は女性特有(全ての女性とも言わないし、男性でも、井戸端会議は好きな人はいるだろう)の、井戸端会議、身の上話、他人のうわさ話は嫌いだし、性に合わないと認識した。

今回のお付き合いは長時間に及び疲れが出て、口内炎ができてしまった。

私にとっては、ストレスになったようだ。

おしゃべりは嫌いではないし、悩みのある人の話を聞いてあげるのは好きだ。でもそれ、本人の話だけだ。

悩みを聞いて、その人が元気になったりするのは嬉しいが、その後、親しい人特別に仲良しという風に、認定されるのは非常に苦痛になる。

特に今の状態は、慢性腎臓病のために人と長い時間話をするのは疲れる。大切な話は別だ。

何も得るものがないから、あ~、もったいない時間だった、本を読んでいたかったとかあれができたのにとか思う始末だ。

私が、まあまあ主義が嫌なことや、正しいと思うことを口に出すタイプなので、群れるのが嫌だと思っているのもある。

社会の一員として、他人に対しては思いやりも気も使うし、妥協したり、八方丸く収めるというようなことも、会社とか学校とか、自分のプライベート以外ならそれなりにするし、実際にそうやって社会人をしてきた。

しかしだ、今、この歳になってする必要性を感じていない。

周りの気持ちを配慮するのは、働き、子育てをしている時で十分。

彼女には、井戸端会議もうわさ話も、嫌いだと何度か行ったことがあるのだが。

私と話をしていると、何というか「それいいね、私もしてみよう」「凄いね」とかいうが、そんなこと思っていないよねと感じている。

話をして有意義があると思えない。自分人生の少ない時間を使う必要がないのではと思うのだ。

もっと言えば生き方の問題として、他人思惑を気にしているのがどうも合わない。

変わっているなと思っていることもあるのだが、付き合うのはしんどい相手と認識をしているのが実情だと思う。

隣近所でなければ、息子の友人の母親でなければ付き合わない、人だ。

そう私にとっては、一番めんどくさい人間関係だ。

仕事なら仕事時間だけ。プライベートでは、付き合わない。そのようなスタンスを守ってきて生きてきたので、プライベートに人を入れるのが苦痛。

話はする、たまになら何の問題もない。

だけど、正直な人がいい。不思議だけど、この人こんなことを言っているけど、本当は違うなと思うような人と話をするのは疲れる。

元々、はっきりとした子どもだったので、親から一言が多い、思ったことを口にしすぎると言われたことがあり、子供心に、何で本当の事を言っているのに、怒られる?と思ったことがある。建て前と言うことを知った頃だ。大人になると言うことは嘘も言わないといけない、黙っていることも必要だと。

しかしだ、自分の時間は、正直でいるほうが楽だ。そしてそのことで他人が嫌な思いをしたり、相手の思惑を気にしないといけないのは、しんどいし、嫌だ

心から私が、どいう人間かを分かっている人と一緒にいるのはいいけれど、そうでないなら、距離を置きたいし、必要な時には、知恵も力も貸すけれど、普段は、仲良しこよし特別よな関係はいらない。

彼女は事情があって、今は、関東のほうに、住んでいる。

今回、帰ってきて私と話をした結果なんだけど、なんだか、肩に乗ってこられた感があり、私は払いのけたい感覚がある。

何で、依存体質の人に好かれるのだろうと。

一つはそののような人から見れば、自信満々で話をしている私、自分と違う我慢せずに生きているように見えるからではないかと思う。

他人は他人だ。私の人生に何の責任の持たない。だから好き勝手を言う。(嫌な思いをしたことがある)

自分の言動に責任を持っているからこそ他人が何を言っても動じない。勝手に思いたければ思っていればいい、あなたに食べさしてもらっているわけでもないし世話になっていない。

そんな他人に、振り回されたり、自分の意思を曲げようとしたりしないと。

自分の人生を自分らしく生きたいと思っているだけだ。

このタイプの人たちはやっぱり、付き合いたくない。

子供の頃から、生きるために色々我慢もしてきたし、後悔しないように頑張ってきた。

人生生きることは、人間関係がある。だけど、自分らしく生きるのには、なんでも自分の思いを通すことではないと思っている、その中でも、自分が正しいと思う言動をするのは勇気がいる。

自分らしく生きるのには覚悟が必要だと思う。

覚悟のある人生をしてきたと思っているので、今も、自分が楽しいと思うことをやっている。

妥協することも必要だと思ってもいるが、嫌なものは嫌だ。

それにしても、ハッキリと言っても寄ってくる人の対処はどうするかを考えないといけない。

いい子発動しているのかもしれないな。ビッシと言っていないのだろうきっと。

あ~、面倒。まあ、いいか。当分は合わないし。今度帰ってきたら、逃げて置こう。そうすればなんとなくわかるかもね。

避けるのも一つの手だ。

人間は好きだけど、めんどくさい人は嫌いだ。親しき中にも礼儀あり。ある程度の距離感が、付き合うのには必要だよ。

 

 

 

 

 

腎臓が悪化して年内透析と言われた知人とのかかわりで、感じた事。

腎臓が悪化して年内透析と言われた知人とのかかわりで、感じた事。

一年前の話。

知人とのライン

「血液検査見てたけど、コリンエステエアーゼが低いね。肝機能をみるところんなだけど、低値は、肝機能低下と低栄養状態だよ。」

「それは、良質なタンパク質の不足でしょうか?」

「偏りすぎていないか、考えてみて。ご飯中心の高カロリー目指していたみたいだから、貧血っぽい、赤血球が少ない。栄養状態が悪すぎる気がする。」

「タンパク質を避けすぎているような気がします。もうちょっと健康的な食生活を考え直してみます。」

「タンパク質もとらないといけないかな、私よりも、クレアチニンが悪いから、急に増やさないで、毎日何か良質なたんぱく質の物を取るといいね。」

「ご飯を減らしたら、その分良質なタンパク質を取れそうです。できるだけ頑張ります」

「うん、本当に頑張ろう。自己免疫力を上げて頑張ろうね」

「おはようございます。お節介かなと思いつつ、気になって。昼しんどくて食べずに休んでいると言っていたことを考えたのですが、薬は、血圧のクスリだけと言っていましたよね。

私がしんどい時は、赤血球とヘモグロビン値が下がっている時で、貧血状態のときなんだけど。」

(私の一年前の検査結果)

「私よりも貧血の数値が悪い。あなたは我慢強いから、医者にいわないのかなと。

後、腎臓が悪いから、しんどいのは当たり前と思っているのかとも考えました。私の対策は、市版の鉄剤を購入して飲んでいます。一カ月くらい。

あなたの場合は、腎臓からの貧血だから。医者に相談するか、私のように鉄剤を買って飲んだほうがいいかもです。

医者は、少々の数値の低下は無視します。少しの貧血でも、腎臓が悪いと、しんどいですよ。医者は、悪くなって初めて治療をしますから。予防は、自分でしないといけないです。」

「私は、食事のメニューは朝は決まっています。フルグラにヨーグルトを朝10時に食べます。

私にとって食事は薬と同じなので決まったものを食べます。」

「あなたは、栄養失調状態でカルシウム値も少ない。多分、体重の増減がないから、気にならなかったのかもしれませんね。」

「朝、コーヒーとヨーグルトとフルグラを食べて仕事に行っては、どうでしょうか。昼も、食べたほうが良い気はしますが、体を休めていたいのであればなおさら朝は食べたほうが良いと思います。

水分補給を仕事中でも意識して、ペットボトル3本分は飲みましょう。最低でも2本は飲んでください。体内に蓄積している老廃棄物を、水分で薄めて、腎臓の働きを助けると、主治医が言っていました。私は3か月に一度の定期検査で水分摂取が悪いと注意を受けます。」

「腎臓が悪いとどうしても脱水状態に冬でもなるそうです。脱水症状は、腎臓にかなり負担になり腎臓を早くだめにするから、水分摂取は大切。」

「私は、骨粗鬆症の検査も6か月毎にあって、鯖缶を食べるように勧められました。鯖缶は、半分ずつ、2日間で食べています」

「魚も肉も好きなら、カルシウムが不足しているので、夕食のおかずにどうでしょうか。」

「カロリーは、あなたの体重だと2000カロリーなので、あまり気にしないでよいかもですが、外食なんかだと500calは軽く超えますから。そうすると、必然的にタンパク質摂取も増えますね。タンパク質の少ないものを意識して、カロ―を取るといいですね。次回の診察までに、体の体調が少しでも改善できるといいですね」

「私のラインには返信はいらないですよ、参考になることや、私がやっていることを勝手にラインしているだけだから。一方的なので、迷惑かなと思うのだけど、腎臓機能がまだ30%の頃に知っていればと、悔やまれます。

今残っている機能を、何としても維持したいですね。」

この知人は、全然、医者の指示を守らずに、勝手に薬をやめて、食事療法も全然、できておらず、医者からの、食事療法の指示も、覚えておらず。

相談があった時に、何calの塩分制限、タンパク量は?と聞いたら、聞いたけど、カロリーは砂糖と油で取りなさいと言われた。カリウムが多いイモ類は食べてはいけないと。

う~ん、腎臓の食事療法を自己解釈。薬も自己判断。

インターネットで、処方された薬の副作用を見て、止める。

もう、びっくり。

薬は、毒にもなるが、自己判断する前に、医者に説明を求めたらいいのに。

彼女は、このまま行くと年内に透析と言われて、私のことを思い出し、夫にアポイントを取ってきた。(以前職場が一緒だった)

彼女と私では、元の病気が違うので、慢性腎不全になった経過も違うし進行状態も違う。

ただ、彼女の場合は、子供の頃の発病で、こんなことを言ってはいけないが、親の無知が、彼女の今の生活かなと思った。

きちんと食事療法をして、管理できていれば今の彼女はない。

そして、自分の身体、病気を無視せずに、管理していればと思う。

彼女は、子育てが忙しかったと。

言い返すこともしないけれど、母子家庭も経験し、商売をしながら5人の子育て、まして、生さぬ仲の子供を入れての子育ても大変だったけどななんて思った。(今、その当時の生活をしろと言われたらできない)

他人と苦労を競う必要もないし、苦労を感じるのは人それぞれだから。自分がそんなことと思うことでも、違う誰かにとっては、死ぬほどつらかったり、しんどかったりするのだろうから。

彼女との食事療法のやり取りは、40日ほど。その間、薬の話や、医者との付き合い方を話をした。

だけど、結果、彼女は年内が終わる前に、透析を開始した。

身体がしんどいから、透析を選んだ。あと、透析を始めたら仕事もしなくていいことに気づいたのもある。

障害年金など、生活ができると判断したようだ。

私は。無知は、駄目だと思った。中学生のころなら、自分なりに、調べることもできるし、(これも個人差がある。私なら調べるという前提)。

性格だろうなとおもうのだけど、彼女は、凄く意固地で、他人が自分側にいるならいいのだけど、自分の思いを受け止めてくれない、自分の言うことを聞かない、同情しない、なんというか、被害者ぶるのだ。

可哀想ね大変だったわねと言われて、安心する。

間違っている部分を言われたりどうしてというと言い訳と関わった人間を批判する。

40日間、彼女の気持ちを聞きながら、付き合ったけれど、看護師目線から言えば、とんでもなくひどい患者。

彼女の主治医が薬をやめた経緯を聞いたときに、「あなたが思うことがあるだろうから、希望通り薬はやめましょう」と言われたと。

そりゃいうでしょう。勝手にやめてしまうのだから。薬はなく、食事療法も、いい加減。彼女の状態は自分が招いた事。

子供の頃から治療は継続していないといけなかったのに、病院に行きだしたのは、仕事で、定期健診で引っ掛かって、通院。

それも、継続して通院をしていたわけではない。

私もこの歳になって思うけれど、発病した時にはまだ、元気だった。じわじわと、クレアチン値が上昇。

しんどいけれども、まだ何とか元気、仕事もできた。今は、長い時間の買い物はしんどいし、疲れやすい。

仕事をするのは無理だと感じている。家事をする程度ならいい状態。

彼女と関わり、腎臓病の食事療法,生活管理は、やっぱり大切だと思った。

主治医に透析をすると、寿命はときいたらが、10年と言われた。

簡単な寿命の出し方として、自分の寿命が87歳までと仮定した場合。

仮に、60歳で、透析を開始したら、87歳-60歳=27歳。27歳÷2=13.5歳

60歳+13.5歳=73.5歳が寿命となる。

だから私は、自分の寿命が、女性の87歳を考えると。どんなことがあっても70歳を超えての、透析と思っている。

透析をしながら生きる時間は、少しでも少ないほうがいいと考えているから。

上手くいけば、透析をせずに一生を終わることができるかもしれない。

それにしても、病気をしても、何をしても、その人間の物の考え方、性格が、こんなにも影響がある。

私の場合、看護師、占いカウセラーのために、両方の視点からかかわったけれど、性格に難がある人は、病気の進行を早める。

全てにおいて、人間とのかかわりが大切だ。

人を信用しないのはどうかと思う。

医者も人間だ。よりよい関係を気づくことが必要だと思った。

医者は、勉強して病気(得手不得手はあるが)を治すためのプロだ。頭から,それを否定すれば、投げ出されても仕方がない。

ちなみに、私は、知識はあるが、病気を経験しておらず、体感していないし、個人さをあまり医者は考えない、警察と同じで、悪くなり病名がつくまで、治療をしないと認識している。

警察は、事件にならないと動かないのと同じ。

予防は患者任せだ。だから、医者には自分の状態やしてほしい事わからないことは質問すればよいと思っている。

医者を利用するのは自分自身だ。

だからと言って、医者の話を無視してはいけない。

私の経験から言えることは、万能の医者はいない、医者も普通の人間だと言うこと。

得意でないことは、知らない。

どんな病気になっても、今は、インターネット等で調べることができる。自分のことは自分で管理しよう。

彼女の場合は、本当に申し訳ないが、病気に対する無知と他人に対する、承認要求と他人を信用しない、性格に問題があったと思った。

本当に、めんどくさく、疲れる相手だった。

一生懸命に、少しでも透析が遅れることに力になればと思ったけれど、結果は、年内より早くに透析。

それは、私と、話をして、何故か、働かなくても生活ができると判断したようだ。

年金や退職金、障碍者雇用等の国や、市の援助の話をして、そちらに目覚めた。

人づてに「透析をしてよかった」と言っているのを知った。

 

 

 

 

 

悩み相談を受けて、思うこと。悩みの多くは、人間関係。生きる力になるものは、自分が決められるのだ。心に刻むことは、人はいつか一人になるものだ

悩み相談を受けて、思うこと。

悩みの多くは、人間関係だ。

恋愛、夫婦、親子、友人、職場等、すべて対人である。

そして、自分の嫌いな人、嫌な人、思い通りにならない人、すべて、自分が付き合いたくない人とかかわることで起こる。

嫌なら付き合わなければいいじゃないかという人もいるけれど、会社、学校、家庭の中で、付き合わなければいいでは済まない。

子供は、自分を守る知恵がある子は、いい子でいようとする。それが、学校、家庭ではうまくいっていても社会に出ると、通じないことがある。

中には、病気になる人もいる。

相談を受けて、気にしなければと思ったり、反抗すればと思ったり、色々と考えてしまうことが多々ある。

嫌いなら、無理して付き合う必要はない。嫌な人なら無視すればいい。思い通りにならないなら、やめればいい。

自分が動かないで、悩みが解決するわけはない。

しかしだ、そう簡単なことではない。

孤独になることだ。ひとりになることだ。

自分のことだけを考えて、相手に合わせて我慢せず行動すれば、思い通りになるし、自分のことを考えるのだから、相手にどう思われてもいいやと思えばよい。

どんなに他人の事、気持ちを気にして、合わせようとしても、最後は、一人で人生を終わる。

いつ、自分の人生の時間が終わるかもしれない。その時に、後悔するなんて嫌だと思う。

だったら、「嫌なものは嫌」「嫌いなものは嫌い」と言えばいい。

そのあとのことはその相手次第だ。無理するべからずだ。

人間関係は自分次第と言うことだ。

無理せず、甘えず、自分のことを大切にすることだ。

自分の人生をどう生きるかは自分だけが決められる。

人に左右されるものではない。

今の状況では、自分を変えられないなら、そこからは離れればいい。

他人のために、自分で自分を縛ることをしてはダメだ。

自分の自由は自分で、大切にするのだ。

子供の頃、貧乏がだったから、大人にになったらといつも思っていた。

自分の人生を、自分らしく生きるためには、耐えることも必要だ。タイミングと言うことだ。

時期という物を見つめて、未来につながる目標のある我慢、忍耐なら、人は、耐えることができる。

「希望」があれば、生きることができる。その生きる力になるものは、自分が決められるのだ。

そして心に刻むことは、人はいつか一人になるものだ

どんな人間関係でもいつか終わりが来る、学校でも会社でも家庭でも。

だったら、終わりにすることは自分で決めればいいじゃないか。

学校に行かなくても勉強はできる、転校するなり辞めるなり、会社も転職すればいいじゃないか。家庭だって、独立すればいいじゃないか。

そう思えば、決めることは自己責任だ。自分の人生、楽しくなるように生きよう。

 

 

 

来る者は拒まず、去る者は追わずが信条。

ひとりの時間。

私は、ひとりの時間が好きだ。

人間嫌いではない。人と付き合うのが、苦手なわけでもない。

ご近所さんにも、庭にいると話しかけられる。お隣さんにいたっては、毎回私を見かけると、出かけようとしているのに、お構いなしに話しかけてきて、同じ事を話す。

この間も聞いたよと思いつつ耳を傾ける。痴ほうではないのだろうが、娘さんと暮らしてはいるけれど、仕事に出ているので昼間一人で、寂しいのだろう。と思い。相槌を打っている。

そう、わたしは、相手の状況を考えて、お付き合いをするのだ。

そして、なぜか私と話をした人は「あなたと話をすると元気になる」という。

それで、どうなるというかというと、愚痴を聞かされる。

私は、そうか、辛いのかと親身になってしまう。お節介なのだ。私は

人は悩みを言うけれども、対して困ってもいないし、心配してあげるほどのことはないのだ。一生懸命になって、馬鹿を見たことが何度となくある。

人の話を聞くことは好きだけれど、自分の性格を考えて、距離を置くようになった。

特に女同士の話は、人の不幸は蜜の味とでも思っているのではと。うわさ話が嫌いで、誰がどうしたという話は、自分の生活に関係がないので、聞くのも話をするのも面倒。

自分で言うのもなんだけど、面白みのない人間だと思っている。

井戸端会議をするなら、他のことをしたい。

人見知りがない性格なので、誰とでも話をする。老若男女関係がない。相手がどう思うかを気にしないからかも知れない。相手がどんな人でも関係がない。だって、その時だけで、一生付き合いをするわけではない。その場が、楽しい時間になるなら、それでいいと思っているから。

そう、成長するにつれて、他人とは、深入りしないと思うようになった。

人間関係、広く浅くというが。私の場合は、縁を繋がない。その場だけ、その一緒に共有している時間のみだ。

来る者は拒まず、去る者は追わずが信条。

この歳になると余計に交際をしていなくてよかったと思うことが多い。

慢性腎不全の持病を持っていることもあり。人と合わせるのがしんどくなったこともある。人に、気を使われるのが嫌ということもある。

諸々、考えると一人が気楽で楽しいと。

振り返ってっ見ても、家族が起きている間は、勉強はしなかった。要するに自分の時間は、一人に慣れる時間。

結婚しても変わらず、家族が起きている側にいるときは自分の時間を持たなっかった。

そのためか一人の時間を非常に大切にしていた。

今も夫がいるときは、自分のことはしない。

夫が仕事に行っている時間がひとりの時間なので、現在の生活は満足している。

後悔しない人生を自負している。でも、どこか間違っている?違う道もあったかなと思うときもある。が、今現在私の人生は、これでいいのだ。

後悔しない人生を自負している。でも、どこか間違っている?違う道もあったかなと思うときもある。

60代になり、残りの人生あと何年?と考える。

あの時、あの瞬間の判断は、正しかったか。

もし、違う方向なら結果はと?これは後悔なんだろうかと。

でも、後悔をしているとは違う気もする。

それは、自分のライフ生活にこれはこれでありと思っているから。

先日息子と会話していて、私が、子供達に一貫して話していた事。

人生は後悔しないように、好きなことをすればよい。騙すな、盗むな、殺すな、これさ守っていればよいから。

母は嘘を言うなとは言わない。だけど、人をだます嘘は、駄目だ。そんなことをすれば、必ず、自分の人生を後悔することになる。

騙すな、盗むな、殺すなは、とてもしんどい人生を、送ることを敷いている気がする。

人として、当たり前に生きろと、思っている。

だけど、当たり前とは、どいうことなんだろう?

正直に正しい事をするのは当たり前だ。正しい事、正直なことは大切だけど。

それを実行して生きてくると、そんな気もする。

この歳になって、思うことは、後悔しない人生と言えるのは、自分に正直に生きてきたこと、何事も一生懸命に取り組んできたからという気持ちがあると言うこと。

それで自分は後悔してはいないのだけど、子供には、卑怯者になれ、賢く生きろと言ってあげて大人に、してあげたほうが良かったのではと、思うことがある。

騙すな、盗むな、殺すなと教えてきたら、相手を思いやる気持ちを大切にする子に育った、蹴れども、押しが弱く何でも我慢する大人に。

正義感が強い子になりすぎて、あいまいにできず、上司にでも意見をする子に。

人にやさしくできる子になったけれど、そのために傷つき、他人と距離を取る人間になった。

自分は騙さず人に対して誠実であったために、裏切られて人間不信になったのではと思う子供。そのため、疑い深くなり他人を信用しない子に。

それぞれが、私に対しては変わりなく、正直でやさしい子供たちだけど、他の人に対して、用心深い人間に。

自分の素を出さない大人になったのではと思う。

自分の人生は後悔をしていないのだが、子育てに関しては、これでよかったのだろうかと考える。

男の子ばかりの母親。母を見ているせいか、女性に優しい子たちだ。守ってあげなければと思う気が強い子たちばかりで、その反面、責任感や義務感を抱えたくないと考えているのかなと思うときがある。

なぜなら、兄弟そろって、自分を縛りたくないなのだ。

本人たちは自覚がないようだけど、行動、生活、自分の世界を大切にしている。

父親を見ているせいなのかもしれないが、父親の女性に依存してしまうのではという気持ちもあるようだ。

父親になること、男としての責任を果たさなかった父親を見て、何も良いところがなかった、母がいなければ自分達はここまで、生活ができなかったと考えて感じているようだ。

そんな、子供たちを見ていると、ずるく立ち回ること、自分が楽することを教えるべきだったのではと思っている。

今も、子供達に話すことは変わらないけれども、歳をとった時に、後悔しない人生を送ってほしいと思うけれど、それは、当たり前の生活でなくてもよいと思っている。

結婚をして、家族を持つことでもないし、自分自身の当たり前、普通があってよいのではないかと思っている。

私は、子供の頃のトラウマかなと思う、良い子でいることが生きる上で、必要だった。だから、いつも笑顔でいよう、返事はちゃんとしよう、あいさつはきちんとしようと、他人から見て良いと思う行動を当たり前にしてきた。

だけど、そのために自分のしたい事が後回しになることが、多々あったように思う。

嫌と言えなかったこと相手の気持ちを考えて自分の気持ちを、言わない。

本当は嬉しいわけではないのに、嬉しいと言っていた自分。

他人に対して、関わるときに、相手が喜ぶこと嫌がらないことを、そつなくする人間になり、人生を送ってきた気がする。

厄介なのは、そんな風に考えてていることを相手に感じさせない技術を身に着けてしまった自分。

そのために、自分一人でいることがとても楽だと知ってしまった。

後悔のない人生を送ると、私生活には、自分だけが必要で、他人はいれたくない。

私は寂しいと思わないのだけど、果たしてこれは、幸せなのだろうか。

助け合うことは、必要だと考えているので、自分ができることはするけれども。必要以上に他人とかかわらないほうが、幸せだと思う自分になってしまった。

ただ、こんなことを言えるのは子供達に、私という人間を認めてもらっているからだと。母親として人として、信頼できる人間と見てもらっているからだと、わかっているからのようだ。

だから、今現在私の人生は、これでいいのだ。

 

 

 

 

自分に正直に、嘘のない人生後悔のない人生、笑っていられる人生を、歩いていきたいと思っている。

姉妹でも、こんなに違う考え方、思い。

最近、姉との交流がある。

私と姉は見た目も、考え方も全然違う。

姉は、昔から、妹、弟に対して、姉らしいことをするようなタイプではなかった。親に対しても、自分のしたい事をさせてもらい、母方の最初の孫でもあり大変お嬢様気質。俗に言う長女気質。自分が一番。

姉は、とてもきれいな子供だったので、大変可愛がられており、母方の叔父、叔母には特別に、大事にされていた。

私とは、対応が違っており、私は母方の祖母や叔母達に特別扱いはされたことはない。奇麗なもの美味しものはすべて姉からだった。

私は、体が弱く、赤ちゃんの頃に乳児脚気だったこともあり、小さくて色が黒くみすぼらしい子供だったこともある。

そのため、家の手伝いをしたりすることが多い子だったし、母が姉をかわいがっていたことはわかるが、私に対して特に冷たいわけではなく、よく褒めてくれていたので、他の人が姉をかわいがっても、特にひがむこともなく、育った。

それに、母も姉も奇麗な人たちだったので自慢でもあった。

ただ色々なことで、我慢をしなければいけないことは姉のわがままと自分が一番と言うことで、しなければいけなかった。

姉は、何というのか、姉らしくなく、妹や弟の世話をすることはなかった。

家のことも弟の世話もすべて私がしていた。

おかげで、家事、料理は、早くからできるようになった。

さて、そんな姉と今回の夫の話をしている時に、ちょっと嫌な気持ちを持ってしまった。

そして、自分が、子供の頃に、自分が我慢していることが姉のせいだと思っていたことに気づいた。

思わず「私は、子供の頃から、色んなことを我慢してきたから、大人になった今、他人に迷惑が掛からならないなら我慢をしたくないの。」

「姉ちゃんが言うように、我慢すればいいかもしれないけど、24時間の生活の中で、自分が生活するプライベートを我慢しないなんて考えられない。」

「元々、夫婦は他人。理解できなかったり、姉ちゃんが言うように見ざる聞かざる言わざるはできない。」

「嘘の生活を、我慢しなければいけない夫婦関係を続けるのは子供がいるとかなら、子どものために頑張るかもしれない。だけど、二人の生活だからこそ、正直に理解して、快適に暮らしたいし、お互いに、見ているものが違ったなら、私は、この今の生活を手放してもいいと思っている。」

「それに私は、結婚していると言うことの義務と責任を放棄していないから。だからと言って、夫にまで、そのことを、強制しようとおもってはいないだけだよ。」

「夫の結婚生活に対する考え方もあるだろうしね。浮気をするなら、その相手を私より好きになったなら、私とは離婚すればいいと思っているから」

「私は自分の思いを、言えないような夫婦関係ならいらない。」

姉は思うところがあったのか、私が子供の頃に我慢していたと言うことが、気になったのか、先ほどまで、「我慢したらいいのにとか、追い詰めるのはどうかとか、旦那が好きなことをするなら自分もすればいいとか」い言っていたのを言わなくなった。

姉の話を聞くと、姉は、外に出たいらしく、自分が働いていた時は、夜中の3時、4時まで遊んでいたと。

義兄が、姉の子供が、学生の頃に自分だけ、夕飯を食べて、子供たちには食べさせていなかったことも話をしてくれて、それからは、子供たちと自分は食べたいものを、義兄抜きで、食べていたと。

だから、私も夫が、好きなことをするなら自分もすればいいのではないかと。

「見ざる聞かざる言わざる」から「自分は相手を無視して好きなこと」ってできない。何で、そんな人と一緒にいないといけないのかわからない。

私たち夫婦はいつも一緒で、私自身は、外食を一人でするなんて考えられない。

それに料理が得意なこともあり、外食をして理、飲みに行ったりなんて考えられない。

旦那は、お酒を飲むこともないしたばこを吸わない。

義兄は毎晩、飲み屋に行き、毎日夜中に帰ってくる人。そして、姉の、外出特に、夜で歩くことを良しとしていない。

食事も、私に姉は、作ったものに文句ばかりだし、食べないという。

私からすれば、食べるものや好きなものはあるのだから、それを作ってあげればよいのじゃないかなと思うのだけど。

嗜好品は自分の思うものを、押し付けても仕方がない、義兄の食事を聞いていたら、子どもの喜ぶ料理ばかりだ。

簡単じゃないかなと思うけど、姉は、和食を食べたいと、煮物をたべないとか。

私は、旦那の分だけなので、作ることには大変気にしていない。

嗜好が違うなら、合わせてもいいし旦那の分は旦那の分として作ればいいのでは。

今は、仕事もしていないし、時間はあるだろうしと思う。

姉は、そんなに料理ができないことがあるのかもしれないけど、う~ん、料理ができないことは知っている。

私の所にきて、食事を作ってあげると、「美味しい」「料理が上手」「あんたと同じには作れない」と言っていた。

私の料理は、なんちゃった料理がほとんど。

姉は、工夫をしないで、素材そのものの料理が多いからかなと思う。

色々と簡単な料理を教えるけど、旦那は食べないとか言われる。もう、そうなのというしかない。

姉は子供の頃好き嫌いが多い人で、あれこれ、食べない人だったから、今も変わりないのかなと思った。

そんな、思考が、ライフ生活にも、影響があるのかなと。

同じ両親と生活し教育を受けたけど、周りのかかわり方で、考え方や思いがこんなにも違うみたいだ。

姉を見ていると、楽しいのかなと思ってしまう、いつも、しかめ面というのか、華がなくなっている気がする。

私と姉は2歳しか違わないのだけど、私の、友人たちが「お姉さん奇麗ね、全然、似ていないと言われていた。

いま、姉の知人に会うと、「えっ、妹さん」とびっくりされる。「2歳しかいがわない」と知ると、「凄く年が違うのかと思った」と言われる。

子供の頃、友人たちが、姉と私を比べて、称賛されていた表情をする。

姉は、奇麗なのだけど、いつも何か不満がある表情をしてるなと、思っていた。

今回話をしたことから、不満を持って今の生活をしているからかなと。

私と姉の生活が、幸せかどうかはわかるのは、本人だけだけど。

私の今の性格や生活は神様からのご褒美だと思っている。

子供の頃、母の代わりに、家事をし、弟の世話をして、他人から褒められることが、自分の肯定感につながった。

姉には「いい人で見られたい」ちう気持ちがあるからという言い方をされた。

それの何が悪いのかと思った。親がいい加減で、自分を守るのは自分でしかないなら、悪い子と言われるよりもしっかりした子、いい子と言われるほうが生きやすい。

成人してから、ほしいものは自分で手に入れてきた。人と付き合うときには、ある程度距離を取って、深入りしないように、してきた。

他人に依存した生活は嫌だと思って生きてきた。

それは他人に、振り回されることになるから。

姉は、いつだったか、私に「あん当たをうらやましいと思っていた、家事のことができて自信満々に生きている様子が」と言っていたことがある。

私は、何でも人から与えられる人間っているのだなと、姉を見ていた。

私は、そんなとこにいない人間なのだから、自分に正直に、嘘のない人生後悔のない人生、笑っていられる人生を、歩いていきたいと思っている。