幸せだと思うこと。
老春時代に入り、健康体ではないけれど、自己管理をしていれば、普通に生きていられる。
子供の頃は、貧乏で、食べれないことがあったり、欲しいものが買えなかったり、決して、幸せな生活ではなかったけれど、その中で育ったからこそ、小さなことで喜ぶ自分、小さなことで満足できる大人になれたことの幸運を感じている。
貧乏で、我慢する経験、特に食べれない経験は、少しくらいの辛いことや苦しいことに耐える力を、持つことができた。それから何事も、あきらめない強い意志。ハングリー精神を持つことができた。
親が勝手な人たちだったけれど考えようによっては、放任主義。そのおかげで自分で考える力も持てたし、他人を当てにしない、自分が資本。働ければ生きていける。頼るのは自分だけと言うことを身に着けた。
大人になったらというような夢は持てなかったけれど、食べれないような人生は送らない。それは夢がないというわけではなく、大人になったらしたい事ができるという夢を持っていたと思う。
安定した生活、ほしいものが買える生活を、送ることが夢だった気がする。
働くことが苦ではなかったし、子供の頃から家事一切をしてきていたので、料理を作ること、生活全般にかかることは、誰にも手助けされなくてもできる。
こんは、早くから結婚した時にも、今現在も変わらず、私の生きるための盾になっている気がする。
私の夢は、叶った。
そして、自分が子供の頃に親にしてもらえなかったことは、子供たちにしてあげれて、その時に、子どもが喜んでくれることで、自分は幸せだと感じていた。
小学生の頃から、家事一切をしていて、友達と一緒に、買い物に行ったりなど、およそ子供らしいことはしたことがない。
大人からは、家のことをして弟のことをちゃんと面倒見て、親の言うことを聞いて、いい子だと言われた。
だから、いい子でいると楽だと思う子供ではあった。
生活を考えずに、高校生活をしたかったなとか、アニメのように、10代の恋愛もしたかったとか思うこともある。
でも、それらは息子たちの経験から、実感することができた。
若い頃の経験も、あっという間に過ぎた子育ても、凄く頑張った自分がある。
振り返っても、自分の経験は、苦しかったとか嫌だったと言うことがない。
そんな風に思える自分を思うと神様に感謝する。
それぞれの経験が、今の幸せにつながっていると。
泣くと言うことがない人生を送っている自分。
自分の思い通りの人生を送ってきたと言うことなのだと実感している。
そして頑張ってきたからこそ、今は、自分の時間が取れて、子供の頃のように我慢する必要のない生活がおくれていることに、感謝が自然に心の中にある。
年齢とともに、緩やかに、クレアチンの上昇があるけれど医者からは満点と言われているが、確実に体は、しんどいなぁと思うこともあるけれど、働かなくても良い環境でいられることに本当に感謝。
小さなことに幸せを感じる、今は、旦那の食事と、猫たちとの生活。
人の幸せは、どんなことで感じるのだろう。
私の幸せは、今の状況に感謝すること。自分の時間を心地よく過ごせているから。暮らしの中で、ちょっとしたことで自分は幸せと思う瞬間が、凄く嬉しい。
生れてきてよかったと思える。