姉妹でも、こんなに違う考え方、思い。
最近、姉との交流がある。
私と姉は見た目も、考え方も全然違う。
姉は、昔から、妹、弟に対して、姉らしいことをするようなタイプではなかった。親に対しても、自分のしたい事をさせてもらい、母方の最初の孫でもあり大変お嬢様気質。俗に言う長女気質。自分が一番。
姉は、とてもきれいな子供だったので、大変可愛がられており、母方の叔父、叔母には特別に、大事にされていた。
私とは、対応が違っており、私は母方の祖母や叔母達に特別扱いはされたことはない。奇麗なもの美味しものはすべて姉からだった。
私は、体が弱く、赤ちゃんの頃に乳児脚気だったこともあり、小さくて色が黒くみすぼらしい子供だったこともある。
そのため、家の手伝いをしたりすることが多い子だったし、母が姉をかわいがっていたことはわかるが、私に対して特に冷たいわけではなく、よく褒めてくれていたので、他の人が姉をかわいがっても、特にひがむこともなく、育った。
それに、母も姉も奇麗な人たちだったので自慢でもあった。
ただ色々なことで、我慢をしなければいけないことは姉のわがままと自分が一番と言うことで、しなければいけなかった。
姉は、何というのか、姉らしくなく、妹や弟の世話をすることはなかった。
家のことも弟の世話もすべて私がしていた。
おかげで、家事、料理は、早くからできるようになった。
さて、そんな姉と今回の夫の話をしている時に、ちょっと嫌な気持ちを持ってしまった。
そして、自分が、子供の頃に、自分が我慢していることが姉のせいだと思っていたことに気づいた。
思わず「私は、子供の頃から、色んなことを我慢してきたから、大人になった今、他人に迷惑が掛からならないなら我慢をしたくないの。」
「姉ちゃんが言うように、我慢すればいいかもしれないけど、24時間の生活の中で、自分が生活するプライベートを我慢しないなんて考えられない。」
「元々、夫婦は他人。理解できなかったり、姉ちゃんが言うように見ざる聞かざる言わざるはできない。」
「嘘の生活を、我慢しなければいけない夫婦関係を続けるのは子供がいるとかなら、子どものために頑張るかもしれない。だけど、二人の生活だからこそ、正直に理解して、快適に暮らしたいし、お互いに、見ているものが違ったなら、私は、この今の生活を手放してもいいと思っている。」
「それに私は、結婚していると言うことの義務と責任を放棄していないから。だからと言って、夫にまで、そのことを、強制しようとおもってはいないだけだよ。」
「夫の結婚生活に対する考え方もあるだろうしね。浮気をするなら、その相手を私より好きになったなら、私とは離婚すればいいと思っているから」
「私は自分の思いを、言えないような夫婦関係ならいらない。」
姉は思うところがあったのか、私が子供の頃に我慢していたと言うことが、気になったのか、先ほどまで、「我慢したらいいのにとか、追い詰めるのはどうかとか、旦那が好きなことをするなら自分もすればいいとか」い言っていたのを言わなくなった。
姉の話を聞くと、姉は、外に出たいらしく、自分が働いていた時は、夜中の3時、4時まで遊んでいたと。
義兄が、姉の子供が、学生の頃に自分だけ、夕飯を食べて、子供たちには食べさせていなかったことも話をしてくれて、それからは、子供たちと自分は食べたいものを、義兄抜きで、食べていたと。
だから、私も夫が、好きなことをするなら自分もすればいいのではないかと。
「見ざる聞かざる言わざる」から「自分は相手を無視して好きなこと」ってできない。何で、そんな人と一緒にいないといけないのかわからない。
私たち夫婦はいつも一緒で、私自身は、外食を一人でするなんて考えられない。
それに料理が得意なこともあり、外食をして理、飲みに行ったりなんて考えられない。
旦那は、お酒を飲むこともないしたばこを吸わない。
義兄は毎晩、飲み屋に行き、毎日夜中に帰ってくる人。そして、姉の、外出特に、夜で歩くことを良しとしていない。
食事も、私に姉は、作ったものに文句ばかりだし、食べないという。
私からすれば、食べるものや好きなものはあるのだから、それを作ってあげればよいのじゃないかなと思うのだけど。
嗜好品は自分の思うものを、押し付けても仕方がない、義兄の食事を聞いていたら、子どもの喜ぶ料理ばかりだ。
簡単じゃないかなと思うけど、姉は、和食を食べたいと、煮物をたべないとか。
私は、旦那の分だけなので、作ることには大変気にしていない。
嗜好が違うなら、合わせてもいいし旦那の分は旦那の分として作ればいいのでは。
今は、仕事もしていないし、時間はあるだろうしと思う。
姉は、そんなに料理ができないことがあるのかもしれないけど、う~ん、料理ができないことは知っている。
私の所にきて、食事を作ってあげると、「美味しい」「料理が上手」「あんたと同じには作れない」と言っていた。
私の料理は、なんちゃった料理がほとんど。
姉は、工夫をしないで、素材そのものの料理が多いからかなと思う。
色々と簡単な料理を教えるけど、旦那は食べないとか言われる。もう、そうなのというしかない。
姉は子供の頃好き嫌いが多い人で、あれこれ、食べない人だったから、今も変わりないのかなと思った。
そんな、思考が、ライフ生活にも、影響があるのかなと。
同じ両親と生活し教育を受けたけど、周りのかかわり方で、考え方や思いがこんなにも違うみたいだ。
姉を見ていると、楽しいのかなと思ってしまう、いつも、しかめ面というのか、華がなくなっている気がする。
私と姉は2歳しか違わないのだけど、私の、友人たちが「お姉さん奇麗ね、全然、似ていないと言われていた。
いま、姉の知人に会うと、「えっ、妹さん」とびっくりされる。「2歳しかいがわない」と知ると、「凄く年が違うのかと思った」と言われる。
子供の頃、友人たちが、姉と私を比べて、称賛されていた表情をする。
姉は、奇麗なのだけど、いつも何か不満がある表情をしてるなと、思っていた。
今回話をしたことから、不満を持って今の生活をしているからかなと。
私と姉の生活が、幸せかどうかはわかるのは、本人だけだけど。
私の今の性格や生活は神様からのご褒美だと思っている。
子供の頃、母の代わりに、家事をし、弟の世話をして、他人から褒められることが、自分の肯定感につながった。
姉には「いい人で見られたい」ちう気持ちがあるからという言い方をされた。
それの何が悪いのかと思った。親がいい加減で、自分を守るのは自分でしかないなら、悪い子と言われるよりもしっかりした子、いい子と言われるほうが生きやすい。
成人してから、ほしいものは自分で手に入れてきた。人と付き合うときには、ある程度距離を取って、深入りしないように、してきた。
他人に依存した生活は嫌だと思って生きてきた。
それは他人に、振り回されることになるから。
姉は、いつだったか、私に「あん当たをうらやましいと思っていた、家事のことができて自信満々に生きている様子が」と言っていたことがある。
私は、何でも人から与えられる人間っているのだなと、姉を見ていた。
私は、そんなとこにいない人間なのだから、自分に正直に、嘘のない人生後悔のない人生、笑っていられる人生を、歩いていきたいと思っている。