老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

人間は好きだけど、めんどくさい人は嫌いだ。親しき中にも礼儀あり。ある程度の距離感が、付き合うのには必要だよ。

他人と話をして、思った自分の事

還暦を過ぎて、仕事もやめて、家にいるのだけど、先日から、近所の知人と話をする時間が、3日間あった。

一日家にいるので、特に用事がないから、お誘いがあったので、お付き合いした。

やっぱり思うことは、井戸端会議、何の意味もない話は疲れる。

自分的に、面白い人間と思っていなくて、どちらかというと、困っている人、悩んでいる人と話をするのは、嫌ではないけど、何の目的もないおしゃべりは疲れる。

議論が好きと言うことかも。

話をしている時間がもったいないと感じてしまい、あの人とのおしゃべりはしたくないとなる。

何かの情報で、女の人のおしゃべり、井戸端会議は、ストレス解消になると、耳にしたことがある。しかし、私には当てはまらないと思う。

相手にもよるのかもしれないけれど、話の内容が、自分に関係がない話だし、人のうわさ話とかいらない。

知人は、今回は、ちょっとしたことがあり、私と一緒に話を聞いてもらい元気になり、もっと早く話をしていればよかったと言うこともあったようだ。

でも、それはその時で済んだのだから、もういいじゃないと思うのだが。

時々、変に親しくなろうとする人がいるのだ。

疲れる。

彼女には、べたべたした関係は嫌いだからと言っているのに、「え~、だって私は話を聞いてもらえて、目からうろこで、とても、感謝しているから。」というのだけど。

感謝しているからと、何で毎日呼び出されるのかわからない。

人が私に話をしてきたときには、自分考え自分がどう思うかを言うだけで、別にその人の味方でも何でもない。

客観的に、自分の人生から自分はこうだと思うという話をしているだけだし、こういう考え方もあるのではないかと言っているだけだ。

なので、私は女性特有(全ての女性とも言わないし、男性でも、井戸端会議は好きな人はいるだろう)の、井戸端会議、身の上話、他人のうわさ話は嫌いだし、性に合わないと認識した。

今回のお付き合いは長時間に及び疲れが出て、口内炎ができてしまった。

私にとっては、ストレスになったようだ。

おしゃべりは嫌いではないし、悩みのある人の話を聞いてあげるのは好きだ。でもそれ、本人の話だけだ。

悩みを聞いて、その人が元気になったりするのは嬉しいが、その後、親しい人特別に仲良しという風に、認定されるのは非常に苦痛になる。

特に今の状態は、慢性腎臓病のために人と長い時間話をするのは疲れる。大切な話は別だ。

何も得るものがないから、あ~、もったいない時間だった、本を読んでいたかったとかあれができたのにとか思う始末だ。

私が、まあまあ主義が嫌なことや、正しいと思うことを口に出すタイプなので、群れるのが嫌だと思っているのもある。

社会の一員として、他人に対しては思いやりも気も使うし、妥協したり、八方丸く収めるというようなことも、会社とか学校とか、自分のプライベート以外ならそれなりにするし、実際にそうやって社会人をしてきた。

しかしだ、今、この歳になってする必要性を感じていない。

周りの気持ちを配慮するのは、働き、子育てをしている時で十分。

彼女には、井戸端会議もうわさ話も、嫌いだと何度か行ったことがあるのだが。

私と話をしていると、何というか「それいいね、私もしてみよう」「凄いね」とかいうが、そんなこと思っていないよねと感じている。

話をして有意義があると思えない。自分人生の少ない時間を使う必要がないのではと思うのだ。

もっと言えば生き方の問題として、他人思惑を気にしているのがどうも合わない。

変わっているなと思っていることもあるのだが、付き合うのはしんどい相手と認識をしているのが実情だと思う。

隣近所でなければ、息子の友人の母親でなければ付き合わない、人だ。

そう私にとっては、一番めんどくさい人間関係だ。

仕事なら仕事時間だけ。プライベートでは、付き合わない。そのようなスタンスを守ってきて生きてきたので、プライベートに人を入れるのが苦痛。

話はする、たまになら何の問題もない。

だけど、正直な人がいい。不思議だけど、この人こんなことを言っているけど、本当は違うなと思うような人と話をするのは疲れる。

元々、はっきりとした子どもだったので、親から一言が多い、思ったことを口にしすぎると言われたことがあり、子供心に、何で本当の事を言っているのに、怒られる?と思ったことがある。建て前と言うことを知った頃だ。大人になると言うことは嘘も言わないといけない、黙っていることも必要だと。

しかしだ、自分の時間は、正直でいるほうが楽だ。そしてそのことで他人が嫌な思いをしたり、相手の思惑を気にしないといけないのは、しんどいし、嫌だ

心から私が、どいう人間かを分かっている人と一緒にいるのはいいけれど、そうでないなら、距離を置きたいし、必要な時には、知恵も力も貸すけれど、普段は、仲良しこよし特別よな関係はいらない。

彼女は事情があって、今は、関東のほうに、住んでいる。

今回、帰ってきて私と話をした結果なんだけど、なんだか、肩に乗ってこられた感があり、私は払いのけたい感覚がある。

何で、依存体質の人に好かれるのだろうと。

一つはそののような人から見れば、自信満々で話をしている私、自分と違う我慢せずに生きているように見えるからではないかと思う。

他人は他人だ。私の人生に何の責任の持たない。だから好き勝手を言う。(嫌な思いをしたことがある)

自分の言動に責任を持っているからこそ他人が何を言っても動じない。勝手に思いたければ思っていればいい、あなたに食べさしてもらっているわけでもないし世話になっていない。

そんな他人に、振り回されたり、自分の意思を曲げようとしたりしないと。

自分の人生を自分らしく生きたいと思っているだけだ。

このタイプの人たちはやっぱり、付き合いたくない。

子供の頃から、生きるために色々我慢もしてきたし、後悔しないように頑張ってきた。

人生生きることは、人間関係がある。だけど、自分らしく生きるのには、なんでも自分の思いを通すことではないと思っている、その中でも、自分が正しいと思う言動をするのは勇気がいる。

自分らしく生きるのには覚悟が必要だと思う。

覚悟のある人生をしてきたと思っているので、今も、自分が楽しいと思うことをやっている。

妥協することも必要だと思ってもいるが、嫌なものは嫌だ。

それにしても、ハッキリと言っても寄ってくる人の対処はどうするかを考えないといけない。

いい子発動しているのかもしれないな。ビッシと言っていないのだろうきっと。

あ~、面倒。まあ、いいか。当分は合わないし。今度帰ってきたら、逃げて置こう。そうすればなんとなくわかるかもね。

避けるのも一つの手だ。

人間は好きだけど、めんどくさい人は嫌いだ。親しき中にも礼儀あり。ある程度の距離感が、付き合うのには必要だよ。