後悔しない人生を自負している。でも、どこか間違っている?違う道もあったかなと思うときもある。
60代になり、残りの人生あと何年?と考える。
あの時、あの瞬間の判断は、正しかったか。
もし、違う方向なら結果はと?これは後悔なんだろうかと。
でも、後悔をしているとは違う気もする。
それは、自分のライフ生活にこれはこれでありと思っているから。
先日息子と会話していて、私が、子供達に一貫して話していた事。
人生は後悔しないように、好きなことをすればよい。騙すな、盗むな、殺すな、これさ守っていればよいから。
母は嘘を言うなとは言わない。だけど、人をだます嘘は、駄目だ。そんなことをすれば、必ず、自分の人生を後悔することになる。
騙すな、盗むな、殺すなは、とてもしんどい人生を、送ることを敷いている気がする。
人として、当たり前に生きろと、思っている。
だけど、当たり前とは、どいうことなんだろう?
正直に正しい事をするのは当たり前だ。正しい事、正直なことは大切だけど。
それを実行して生きてくると、そんな気もする。
この歳になって、思うことは、後悔しない人生と言えるのは、自分に正直に生きてきたこと、何事も一生懸命に取り組んできたからという気持ちがあると言うこと。
それで自分は後悔してはいないのだけど、子供には、卑怯者になれ、賢く生きろと言ってあげて大人に、してあげたほうが良かったのではと、思うことがある。
騙すな、盗むな、殺すなと教えてきたら、相手を思いやる気持ちを大切にする子に育った、蹴れども、押しが弱く何でも我慢する大人に。
正義感が強い子になりすぎて、あいまいにできず、上司にでも意見をする子に。
人にやさしくできる子になったけれど、そのために傷つき、他人と距離を取る人間になった。
自分は騙さず人に対して誠実であったために、裏切られて人間不信になったのではと思う子供。そのため、疑い深くなり他人を信用しない子に。
それぞれが、私に対しては変わりなく、正直でやさしい子供たちだけど、他の人に対して、用心深い人間に。
自分の素を出さない大人になったのではと思う。
自分の人生は後悔をしていないのだが、子育てに関しては、これでよかったのだろうかと考える。
男の子ばかりの母親。母を見ているせいか、女性に優しい子たちだ。守ってあげなければと思う気が強い子たちばかりで、その反面、責任感や義務感を抱えたくないと考えているのかなと思うときがある。
なぜなら、兄弟そろって、自分を縛りたくないなのだ。
本人たちは自覚がないようだけど、行動、生活、自分の世界を大切にしている。
父親を見ているせいなのかもしれないが、父親の女性に依存してしまうのではという気持ちもあるようだ。
父親になること、男としての責任を果たさなかった父親を見て、何も良いところがなかった、母がいなければ自分達はここまで、生活ができなかったと考えて感じているようだ。
そんな、子供たちを見ていると、ずるく立ち回ること、自分が楽することを教えるべきだったのではと思っている。
今も、子供達に話すことは変わらないけれども、歳をとった時に、後悔しない人生を送ってほしいと思うけれど、それは、当たり前の生活でなくてもよいと思っている。
結婚をして、家族を持つことでもないし、自分自身の当たり前、普通があってよいのではないかと思っている。
私は、子供の頃のトラウマかなと思う、良い子でいることが生きる上で、必要だった。だから、いつも笑顔でいよう、返事はちゃんとしよう、あいさつはきちんとしようと、他人から見て良いと思う行動を当たり前にしてきた。
だけど、そのために自分のしたい事が後回しになることが、多々あったように思う。
嫌と言えなかったこと相手の気持ちを考えて自分の気持ちを、言わない。
本当は嬉しいわけではないのに、嬉しいと言っていた自分。
他人に対して、関わるときに、相手が喜ぶこと嫌がらないことを、そつなくする人間になり、人生を送ってきた気がする。
厄介なのは、そんな風に考えてていることを相手に感じさせない技術を身に着けてしまった自分。
そのために、自分一人でいることがとても楽だと知ってしまった。
後悔のない人生を送ると、私生活には、自分だけが必要で、他人はいれたくない。
私は寂しいと思わないのだけど、果たしてこれは、幸せなのだろうか。
助け合うことは、必要だと考えているので、自分ができることはするけれども。必要以上に他人とかかわらないほうが、幸せだと思う自分になってしまった。
ただ、こんなことを言えるのは子供達に、私という人間を認めてもらっているからだと。母親として人として、信頼できる人間と見てもらっているからだと、わかっているからのようだ。
だから、今現在私の人生は、これでいいのだ。