ひとりの時間。
私は、ひとりの時間が好きだ。
人間嫌いではない。人と付き合うのが、苦手なわけでもない。
ご近所さんにも、庭にいると話しかけられる。お隣さんにいたっては、毎回私を見かけると、出かけようとしているのに、お構いなしに話しかけてきて、同じ事を話す。
この間も聞いたよと思いつつ耳を傾ける。痴ほうではないのだろうが、娘さんと暮らしてはいるけれど、仕事に出ているので昼間一人で、寂しいのだろう。と思い。相槌を打っている。
そう、わたしは、相手の状況を考えて、お付き合いをするのだ。
そして、なぜか私と話をした人は「あなたと話をすると元気になる」という。
それで、どうなるというかというと、愚痴を聞かされる。
私は、そうか、辛いのかと親身になってしまう。お節介なのだ。私は。
人は悩みを言うけれども、対して困ってもいないし、心配してあげるほどのことはないのだ。一生懸命になって、馬鹿を見たことが何度となくある。
人の話を聞くことは好きだけれど、自分の性格を考えて、距離を置くようになった。
特に女同士の話は、人の不幸は蜜の味とでも思っているのではと。うわさ話が嫌いで、誰がどうしたという話は、自分の生活に関係がないので、聞くのも話をするのも面倒。
自分で言うのもなんだけど、面白みのない人間だと思っている。
井戸端会議をするなら、他のことをしたい。
人見知りがない性格なので、誰とでも話をする。老若男女関係がない。相手がどう思うかを気にしないからかも知れない。相手がどんな人でも関係がない。だって、その時だけで、一生付き合いをするわけではない。その場が、楽しい時間になるなら、それでいいと思っているから。
そう、成長するにつれて、他人とは、深入りしないと思うようになった。
人間関係、広く浅くというが。私の場合は、縁を繋がない。その場だけ、その一緒に共有している時間のみだ。
来る者は拒まず、去る者は追わずが信条。
この歳になると余計に交際をしていなくてよかったと思うことが多い。
慢性腎不全の持病を持っていることもあり。人と合わせるのがしんどくなったこともある。人に、気を使われるのが嫌ということもある。
諸々、考えると一人が気楽で楽しいと。
振り返ってっ見ても、家族が起きている間は、勉強はしなかった。要するに自分の時間は、一人に慣れる時間。
結婚しても変わらず、家族が起きている側にいるときは自分の時間を持たなっかった。
そのためか一人の時間を非常に大切にしていた。
今も夫がいるときは、自分のことはしない。
夫が仕事に行っている時間がひとりの時間なので、現在の生活は満足している。