老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

悲惨な現場の実態

元夫が、78歳で介護度3。経過はわからないけれど、病院から病院への転院。

三件目。

元夫の場合、生活保護受給者なので、役所が動いたのかなと思うが、よくわからない。

私自身が、特養の看護師をしているのだが、私の所はわりとお金がかかる施設かなと思う。

特養は費用が安いので、生活保護の人も入れる所がある。

定年まで働いた老健に、生活保護の人がいたけれど、悲惨だった。

50歳で若い人だったけれど、背中に刺青をしていて、その世界での愛人さんだったのかな。

二人子供がいらしゃったけれど。ひとりとは、音信不通。もう一人は、引きこもりの精神患者。

生活保護のお金を、その子が使って、施設の入所費用を払わない。

裁判をして、司法書士が、後見人になった。

その、利用者の人、糖尿病があり、脳梗塞で倒れて麻痺状態、車椅子生活。

言語障害もあり、認知というか後遺症で、記憶も難がある。

生活保護者って、何もしてもらえない。後見者に連絡しても見にも来なかった。

後見者なんだから、来て当たり前なのに、放置。名前だけの後見。

体調が悪くなっても、受診もしてもらえない。

この利用者の人は、結局亡くなった。まだ若いのに。

介護の世界の看護師になって、介護施設に入るのは嫌だと心から思う。

歳をとっているという事で、老健であっても、積極的に治療をしない。

悪い所があっても、調べようとしない。

高齢者だから、この一言で片ずける。

施設に入れている家族も、治療を望んでいない。

食べれなくなったら、もう歳だからと、何もせず、なくなるまでそのまま。

食べさせてもらえず、ただ弱っていくのを待つ。

もうほんとに、姥捨山

私が休み明けで、出勤したら、それまで食べさせていた利用者が。

えっなんで食事中止なんて。看護師長が食べれないと、先生に言ったから。

考えられなかった。今でも、思う。

技術、経験のない看護師は、人を殺すと。

高齢者は、成人とは違う。そんな事も、わからない医者と看護師。

そんな、医療者しかいない施設。

老健は、丸めだから、受診したりすると、持ち出しになるから、とにかく治療はしない。

そんな施設に入ったら、見殺し。

物も言えない、でも癌で痛みが強い様子なのに、痛み止めさえ使ってもらえない。

苦悶表情があっても、無視。家族は、たまにしか来ないからわからない。

病院なら、強い痛み止めを使ってもらえるのにと。

長い人生を送ってきて、家族を守って、なんでこの人はこんな辛い思いをしているのだろうと

心が痛かった。

胃瘻をして、寝たきりの利用者も悲惨。

特に、誰もこない利用者。結婚しておらず、親はいず、妹も歳で、身体を壊して

その夫が「わしは、妹の夫で今その妻が具合が悪いから、他人のことより妻が大切だから。」

胃瘻をしているから、生きているが、何年もベットの上で、管から栄養を取り、排便がないと

摘便され、痛いとも何も言えず。

この利用者は、自分の人生を生きているのだろうか?

栄養状態が良いから、肌はツヤツヤしているのが印象的。

介護者の質が悪い施設は、悲惨。

介護者の質が良くても、介護施設は、悲惨。

老健でも、今の特養でも、自分や自分の親や夫を入所させるかと言われたら

入所させたくない。

生活保護を受けている人は、自分が物を言え意思を伝えられるならいいが。

そうでなければ、病院も施設も、決して甘くない。どちらかと言えば放置だ。

夫に、私施設に入りたくないと言えば、簀巻きにして家に置いておくと言う。

 それでもいいと本気で思う。

 

 

出る杭は打たれる(人間関係)

社会に出て思うことに、出る杭は打たれるということ。

会社にとって、仕事のできる人間は必要である。

しかし、声を上げてはいけないのである。会社がよくなるようにと思っても、

意見を言ってはいけないのである。

勤めているから、自分の会社がよくなればと思っても、そんなことは会社は望んでいない。

会社は、利益が上がればよいのである。

中小企業の管理者のきれいごとには、あきれる。

できないことをさももっともらしく言う。

若いころ、きれいごとの裏がわからず、そうか、従業員も一緒に会社を作っていくんだなんて思っていた。

会社の目標、指針があり、そのことを頭に仕事を頑張っていたが、ある日気づいた。

違う、きれいごとだから、本気にしてはいけない。建前だということ。

思うことや評価こうすればなどは、管理者だけ。職員は働いていればよいのだ。

意見を言う人間は、疎まれる。叩かれる。

実力を認めて、努力をしている人間を引き上げたり評価をしてくれる職場は少ない。

会社にとって、ねじのような人がたくさんいるのがよいのである。

悪環境でも、黙って働く人間。文句があっても何も言わず。

私は、その人たちをある意味尊敬する。長い目で見れば。結局のところ良い結果につながる気がするから。

まじめで、黙々と仕事をし、負もなく可もなくで、時の流れに身をまかせている。強い人たちだと思う。本当の意味で勝者ではないかと思う。

私は、雇う側も、雇われる側も、対等だと思っていたが、雇う側は、そんなことは思っていない。変わりはいる、やめたければやめればよいスタンス。

経営者は、お金がもうかればよいのである。人も、道具である。部品である。

人間は、感情があるから、きれいごと見てくれに騙される。

騙されない人は、生活が懸かっている人である。働いて家族を養わない人。職場に夢や理想を求めない人。

私は、今生活が懸かっていない。夫がいて、子供も成人してそれぞれに、自立しているから。

だから、今まで以上に物申す、言いたいことを言う。

今の職場でも、感じることだけど、不満があっても黙って働いている。何が楽しいのかと思う。

生きているのだから、仕事も楽しくできることが最高だとおもうのだけれど。

しかし、出る杭は打たれるとおもう。

めんどくさいと思うけれど、今いる職場に波紋を投げているから。

施設長に扱いにくい人間と思われている。

人間関係において、職場の上司に目を付けられないようにするには、出る杭にならないことである。

それが正しいかどうかは自分自信が評価するしかない。

職場の改善というが、そんなことは絵空事である。

ただ、出る杭は打たれないとすれば、直属の上司信頼できる人間であるかということかもしれない。

 

他人の事を陰で物申す人たち(人間関係)

よく職場の人たちの会話に、他人の評価をしていることがある。

主人の職場でも、よくあるのだけれど。

「この間、Aサンの話しているの聞いた。すごく、愚痴言ってた。」

「Aさんって、部署で、偉そうにしているって言ってた人のことだっけ」

「そうそう。」

Aさんは、以前勤めていた友人からも、結構聞かされていた。

結局、彼女は、その人の下で働くのが嫌で、やめた。

「ふ~ん、愚痴を言う人って、Bさんたちだよね」

私と夫は、職場結婚なので、以前の人間関係はわかる。

「Aさんのことは知らないけど、聞いただけだと、かなりめんどくさい人らしいね。師長の教え子で、年を取って看護師になったとか。50歳くらいだったかな。かなり自信家。写真見せてもらったけれど、きつそうな人だったね」

「友達にも行ったけれど、気に入らないなら、直接言えばいいのに。陰で、ごちゃごちゃ言うのは、ただの悪口、陰口だよね。」

「みんなの言えないわけは、師長に取り入っているから、言っても意味がないと思っていること。師長も、一緒に仕事をしたけれど、彼女は看護師の先生をしていたから、頭では理解していても、技術的な実践が自信がないみたいだったな。はっきり言えば、頭でっかち。自信がないからいい人でいようとするから、自分のそばで、仕切ってくれる人が、いると安心なのだと思うよ。それじゃダメなんだけどね。」

「でも、話を聞いている限り、その人も全然実力はないね。口ばっかり、強気で自分には、師長が後ろ盾という、トラの皮をかぶったキツネだね。こんな人は、実力でつぶせるのに、残念ね。私がいれば、Aさんの位置はなかったでしょうね。だって、私は、看護部長のお気に入りだったし、師長にも絶対の信頼をよせてもらっていたもの。怖い看護師で通っていたけれど、嫌われてはいなかったのは、あなたも知っているでしょう。怖いけれど頼りになる。何かあったときは、相談すれば解決してくれる。仕事も助けてくれる。これって、先輩としてあたりまえのこと」

「陰で物申す人は、自分に、自信がない人ばかりだと思うよ。仕事に自信があれば、相手と対等にものをいうことも、指摘することもできる。

こんなこと言ってはいけないけれど、病院のランクは低いよね。団栗の背比べみたいな看護師ばかり。注射も満足にできない看護計画も立てれない、死後の処置もできない。外科や内科、緊急病院の経験もない他の病院では,使い物にならない人ばかりのあつまりだもの。精神科の看護婦が馬鹿にされる訳が分かった。

私が、腎不全で体をあまり動かすことができなくなったことと、いつかは精神科ではたらいてみたいとおもっていたから、務めたけど。

びっくりしたよ。

全然医療行為ができない人ばかりで。心電図もとれない。病棟で、ドクターに心電図を取ってと言われても、誰も動かない、私、はいったばかりだったけれど、取りましょうかと言ったら、びっくりしたような顔をされたわ。

インシュリン注射の単位を間違って、投与したのもびっくりしたけど。あのときは、本当に準夜ではいってきて、患者の状態が変だから見に行ったら、低血糖状態。なんで、血糖値が800近くあった高血糖の人なのに。なんと、4単位を4ccうっていました。なんてことが、いろいろありました。

本当に、看護師とは名ばかりで、実力なし、その人たちが偉そうに物申すなんだから。でも、反対に自分の看護師としての質を落とさないように、勉強したけれど。」

「こんな人たちの集まりだから、人の悪口ばかり。文句があるなら実力、仕事の力で黙らせればいいと思う。実力がないから、ドクターにも信頼されないし仕事もい加減。精神科は、医療技術が必要がないから、悪の強い人が、威張る。」

人間観関係において、ごたごたするのは、実力もないのに、トラの皮をかぶる人がいるから。上の人間に取り入るのがうまい人がいる職場。

実力もないのに、ただ長い勤務歴だからと役職に抜擢されたひとがいる職場。

人としての人徳がない人が上司の職場。

人間関係において、務めてすぐのころは、情報収集。

能ある鷹は爪を隠すでいいと思う。

人間立ち回りはうまくしないといけない。

資格を持っているのなら、その資格のプロにならないといけない。

実力のあるものには、人はある意味一目置く。

働きやすくしようと思うなら、自分が自信の持てるスキルを作ることである。

仕事のできる人間は、職場では信頼される。

学校と同じである。優等生の言うことなら、周囲の人たちは信じる。

資格が取れたその後の、勉強でスキルアップを常に心がければよいのだ。

スキルアップには、経験は大切。

陰で物申すひとたち、同じ穴の狢から、出ておいで。他人のうわさ話で盛り上がるのは楽しいかもしれないけれど、私からすると、ただただ、めんどくさい。

職場では、実力のある人ほど他人とは、一線を引いている。くだらないうわさ話なんて必要がない。職場での、うわさはほぼ同じ、他人への妬みからの悪口。

仕事は仕事。自分のやるべきことをすればよいと思う。

人間関係は、そつなくするのがよいかもしれないけれど、シークレットでいるほうがよいと思う。

良い人を演じてはだめ。足元を見られる。

人は、その人がシークレットであればあるほど、興味を示すが、何も言わずにっこりと笑顔で、交わせばよい。

もしくは、公私混同はしないのと言えばよい。

わからないことは、勝手に妄想するだけ。本当のことでなければ痛くもかゆくもない。

陰でものを申す人たちは、結局のところ自分に自信がないいい加減な人たち。信頼に値しない人と心にとめるべし。

 

 

 

次男坊との会話(異母兄のこと)

次男坊が、時計のバンド調整をしてくれと家に来た。仕事用に、ネットで注文したと。

「時計のバンド調整はしてもらえなかったの?」

「母さんができると思って、頼まなかった。」

はぁ~、できるけれども。心の声(私ができるとなぜ思ってんの)

話をしながら、調整をする。

見てるだけで、覚えようという気はないのですかと心の声。

「ところでさ、〇〇兄の話って?」

「あれね。あんた達の父親のこと。」

なぜか、ニヤニヤと笑っている。

「何がおかしいの?」

「いや~、〇〇兄ってさ、本当の母親がいるじゃない。母さんに何で聞くのかと思ってさ。困ったときとかさ、頼ってくるじゃない。昔から。」

「いつだったかな。息子がおたふくにかかった時もかかってきたじゃない。」

「あ、そうね。自分がおたふくかかっているかって話ね。」

「そうそう、あれってさ、実の母親に聞いてわからないから、母さん聞いてきたんだよね。」

「うん、そうだよ。電話でね突然俺って、おたふくしている?って。母さんはね、おばあちゃんから聞いて、知っていたから。

本当のお母さんに聞けばいいじゃないって言ったら、覚えていないって言われたって。

あんたは、体が弱かったこともあり、外で遊ばなっかたし、幼稚園も休みがちだったから、おたふくが流行っていた時にも、移ることがなかったからしていないって教えてあげたよ。」

「〇〇兄って、馬鹿じゃないのかな。だってさ、母さんが、親父と結婚した時って、もう中学一年だったんじゃない?そしたらさ、何で母さんが知っていると思うんだろう。」

「そうね、なんだろうね。きっと、何でも答えてくれる、母さんなら知っていると思うのでしょう。一緒にいるときは、あの子の小さいときの話もしていたから。生まれて、すぐに脱腸の手術をしたとか、予定日を過ぎても生まれないから、階段を何回も往復したとか。体が弱くって、冷暖房の部屋でずっといたとか。

そのせいで、自分の小さいときのことは私に聞いたらわかると思ったのじゃないかな」

「母さんは、なんで〇〇兄の事そんなに知っているの」

「そうね、主婦って、家族のことは何でも知っていないといけないと思っていたからかな。再婚するときに、何気に、情報を集めていたと思うよ。なんていうのかな、子供って、大人を試すでしょう。極端に言えば、母親なら知っていて当たり前じゃないかということを質問されて答えられなかったら、主婦としての立場がね。」

「それに自分のことを知っていると思うと、逆らうこともできないからね。

あんたは、俺のこと何も知らないなんて言わせないと思っていたからね。」

「人って、自分のことに対して、相手がすごく知っていたら、うかつに手を出せないからね。」

「母さんは、怖いなぁ」

「何言ってんの。看護師の仕事をしているとまずは、情報収集をして、看護計画を立てるから、家族計画を立てたときに、〇〇家の主婦として、家族の健康や歴史は知っておかないといけないと思っただけ。」

「お前だって、何かあったら相談に来るじゃない。」

「俺は、母さんの本当の息子だから、あたりまえだよ。それにしても、〇〇兄の中では、親父と離婚しても、母さんとつながっていると思っているみたいだね。母さんの中では、〇〇兄のことは、知人っていう位置だよね。思いが違うよね。」

「私が何も言わないことを知っているからじゃないの。頼ることもしないし、迷惑をかけることもないしね。いろいろあったけれども、〇〇君の中では、母さんといたから、今の自分があると思っているのだから。あの子が、今も私を(母さん)と思っているのならそれはそれだから。否定も肯定もしないわ。」

 

 

香川県のゲーム規制条例に思うこと

テレビを何気に見ていたら、香川県でゲーム規制のことが話してしていた。

一日60分までとか、休日は90分でとか。

それを見て、世の中の大人は相も変わらず、意味のないことをと思うのはわたしだけだろうか。

私の子供のころは、漫画を禁止されて、漫画を読む子供はだめ扱いだった。

小学校の友人は、屋根裏に漫画本を隠していた。

漫画家になりたいと言ったら、私のころは馬鹿にされ理解もされず、隠して言えなかった。

でも今はどうだろう。

アニメが世界中で、称賛され、ビッグマネーの世界。

漫画家になることやアニメの仕事をすることは、当たり前に子供の夢として、嬉々として声にだせる。

ゲームにしても、良いところも悪いところあるけれども。

私の子供も、ゲームをしている子供がいるけれど、この子は中学で不登校

その間、ゲームをパソコンでしていた。

彼は集団での生活から得られるメリット、デメリットは経験しなかったけれど、

ゲームをパソコンですることで、ゲーム仲間を作り、同じ趣味の友人を作り、自分の世界を作っていった。。

パソコンでゲームをすることで世界中の人とコンタクトを取るために、独学で英語をしゃべれるようになった。

ゲームをパソコンですることで、パソコンにくわしくなり、組み立てができるようになった。

兄弟のなかで、コンピューター学園に通った兄よりも、パソコンのことが詳しい。

何時間もゲームをするからと、ダメ人間になることはないし、何かを集中してできるということは、それだけでも、素晴らしいことに思う。

反対に、親や周囲の大人にいろいろ言われて、素直に大人になった子供の弱い部分は、自分で困難を解決できないことがある。

精神科に勤務していた頃、京大生や愛媛大学を卒業し社会に出て、挫折して、入院してきた人を見ているが。

よい子たちばかりで、何で京大に入ったのと聞けば、親が大学に行けと言ったから、何で化学?先生が、進めたから。大学に入って面白いことなかったの?

何をしていいかわからなくなった。

大人の決めたことは、結局のところ押し付けなのではないどろうか?

ゲームがしたければさせればいいじゃないか。

でも、子供なのだから、親が自立すること、一人で生きていくことを教えればいいじゃないのか。

良い学校に入れるのも、子供のためだろう。

でも本当に当人が望んでいるなら良いけれど、考えさせなくてはいけない。

選ばせなければいけない。

自分で決めさせなければいけない。

親は、自分が経験して感じたことを話をしてやればよいと思う。

厳しいことも今言っても聞かないことも、大人になったときに必ず、やくにたつ.

子供が、不登校で家に引きこもったら、心配。あたりまえ。

わたしは、子供が二人、不登校になったけれど、高校だけはどんな形でも行きなさい。

それができるなら、行きたくないなら仕方がないと言っていました。

結果、一人は定時制高校卒業。もう一人は、通信制の高校といっても、、通学もあったので、午前中と午後に通学できる学校。単位制で、4年で卒業できるし3年でも卒業できる。

高校を卒業していることで、就職もしてそれぞれに、、自分たちで生活をしている。

大人になる前の経験は、無駄と思えることでも必ず何かを得るものがある。

子どもたちに言ってあげることは、親は必ず先に亡くなるということ。

自分の人生をしっかりと生きていくことを教えること。

ゲーム規制なんて意味がない。

あれもダメこれもダメと言っていたら、結局のところ子供の成長をとめてしまう。

経験させ手、判断力をつけさせることではないかと思う。

 

 

 

 

生さぬ仲の子供からの相談

次男坊から、元夫の子供から私に連絡が取りたいと、話があった。

 

電話をかけてもよいかということだった。相談があるとのこと。

 

「いいよ。」

 

しばらくして、携帯電話にかかってきた。

 

「久しぶり、元気?」

 

「元気よ、どうしたの?」

 

「実は、おとう(父親)が、認知症で、入院しているのだけれど、もう、治療することがないので、病院ではもうみれない、2週間と言われた。どうしたらいいか?」

 

「おとうさん、生活保護受けているって言ってなかった?それなら、市役所の担当の人に相談すればいいと思うけれど。

生活保護でも入所できる施設を探してもらうといいよ。病院のケースワーカーや、担当のケアマネジャーに相談すれば、地域の施設を教えてもらえると思う。」

 

生さぬ仲の子供だけれど、今の自分があるのは、私に育ててもらったおかげだと、次男坊に話をするらしい。

一緒に暮らしているときは、厳しい母親だと思ったこともあるけれど、自分も親になって、母さんがしてくれたことに本当に感謝していると、酔うと言うらしい。

 

私自身は、母親としてあたりまえのことをしていただけで、別に感謝してほしいとも

思っていない。

家族として一緒に住んでいたから、一家の主婦としてごく当たり前に、私のルールを

やっていただけ。

実際には、再婚した時に養子にしたわけでもないので、親子としての関係はない。

なので、離婚をした時から私から、連絡をすることもしていない。

異父兄として、次男坊を大変かわいがっており、時々、次男坊に連絡がくる。

本人、ふたり兄弟だったので、片親でも血のつながった弟ができたことがとてもうれしかったようである。

ほかに二人弟がいるが、この次男坊に対してなぜか、兄としての愛情が強い。

 

この生さぬ仲の息子には、本当にいろいろと迷惑をかけられた。

よい経験だったと思ってはいるけれど、私の心の中には、特別な感情はない。

過去のことになってしまっている。

離婚したことで、私にはもう関係がないという感じ。

気持ちの問題だけれど、一緒ににいるときは家族として、守ってあげないといけないと、心に決めていたけれど、元夫の子供だから、離婚したと同時に、終わったと。

不思議なもので、一緒にいるころも、母親になろうと思ったことはなく、一家の主婦として、家族の健康や生活を考えていたので、その中の一人ということ。

自分の産んだ子供は、離れていても心配するし、何かと連絡もするけれど。

 

生さぬ仲の子供には、母親も健在なので、成人して結婚して家を出てからは、私からは別に何もない。

 

元気にしているかなとたまに思うこともあるけれど、普段は、全然気にならない。

これは、私が彼に頼ることも何もないことと、元旦那とかかわりたくない事もある。

 

一緒にいるときは、家族だから、このつながりだけ。

兎にも角にも、色々なことがあり、まぁ、苦労したというか嫌な思いもしているので

かかわりたくない、これに尽きる。

 

相談は、聞きますけど。

大人の知恵が必要としているときは。

今回も、私が看護師なので、頼ってきたのでしょう。

もう、一歩線を引いている私。

 

 

 

 

マスクがない

昨日、コロウイルスのために、マスクが品薄ということで、夫とマスクを買いにいった。

 

夫は、大丈夫だよ。売り切れなんてことはないよ。

いやいや、値上がりしているかほとんどないかもよ。

 

いつも行くショッピングモールに行った。あるにはあったけれど、200円も高くなっていて

お一人様三箱まで。

普通サイズは売り切れていて、小さいサイズがあった。

私は小さいサイズなので、ラッキー。

他のお客様も「ないや~」との声。

夫は「まじか~」

 

さて、夫はダイソーのマスク愛用者で、ショッピングモール内のダイソーへ。

まだあるよ。

あ~、なんてのんきなの。

 

結局、4件のダイソーに、行きました。

で最後のダイソーにて、おひとり様一個。二人で二個ゲット。

私たちが買った時点で、残り4個になっていました。

小さいサイズはまだ、在庫はあったのですが。

各お店のマスクの棚は、空っぽの状態。

わたしたちと同じように、マスクを買いに来ている人たちから

「ないね」

「うりきれだ~」

わたしたちの住んでる町でも、売り切れなんだから.東京や人の多い町はもっと

売り切れなんだろうな。

ニュースで、日本に住んでる中国人が、お国の家族に送るためにたくさん買っているって言ってた。

夫は、そうなんだ。本当に、のんきなんだから。

 

日本人って、たくさん売れていると何となく、自分も買わないと買う人もいるから。

今日は日曜だから、買い物客も大勢出るから、夫と同じように、マスクがないことに

驚く人もいるかも。

 

わたしたちの仕事は、病院なので、マスクは必要準品。

今回は、少し多めにストックしたけれど、持つかな。

それにしても、勤め先が従業員に配布しないのだから、勤務先は搾取だよな

と矛盾を感じている私である。

うちの子、アリスと茶々にはマスクがないな。

 

 

 

 

 

反省

還暦を超えたというのに、なかなか治らない。

 

カッとなると、暴言を言う私。

 

普段は、あまりカッとなるようなことはないのだけれど。

 

子供たちのことになると、相手が誰であろうが、お構いなし。

 

話を、静かにすればいいのだけれど、相手のことがよく知っている人間だったりすると、聞く耳持たないになってしまう。

 

悪い癖なんですよね。

 

上に立つ人間が、どうでもいいというか、上司としてどうよとか感じていると

 

爆発してしまう。

 

普段は、こんな人間は、職場にいる間だけ

 

私は私の仕事をするだけと、割り切っているのだけれど。

 

今の職場に、息子も働いているのだけれど、職場の人間には内緒。

 

先日、息子が遅出。

 

18時30分に仕事は終わったのだけれど、21時20分過ぎても

 

帰してもらえない。

 

明日は、早出。これから帰って、夕飯食べて、明日朝早く仕事。

 

完全に切れて、施設長に、電話しました。

 

この、施設長、毎日17時30分に帰る。

 

きれいごとばかりで、全然仕事ができない。

 

ユニットのリーダーが息子のことを、あまり気に入っていないと前から感じていたのだけれど。

 

息子も苦手で、言いたいことが言えない。

 

私に全然似ていない。

 

人がいいというか、まじめというか。

 

この息子、前の職場でパワハラで鬱になる一歩手前まで、なっていたこともあり、

 

少し私が、上の人間のパワハラに敏感。

 

息子は、我慢すればいいと思っていたのだけれど、反撃するときは反撃しないといけないと思う。

 

前の職場に、おかしいと思い就職し、母がいてくれるということと新しい上司が来たことで、相談して、入浴専門にまわしてもらった。

ここでも、親子であるということは、新しい上司にだけ言って、内緒にしてもらっていた。

実際のところ、私の子供と言ったほうが簡単ではあるのだが。

自分で言うのもなんだけれど、看護師として仕事がしっかりできるし、頼りになる。

就職してすぐから、一目置かれる状態だった。

私の子供にパワハラしていたとわかったらやばいでしょう。

パワハラの証拠をつかもうと、就職したのだけれど、息子は職場を変えたほうが良い

と判断して転職。

 

転職して、立ち直ってくれたので、ほっとしている。

 

そんなこともあり、パワハラの様な感じになるのは困る。

 

このユニットのリーダー、職場の人間に嫌われている。

 

今回、インシデントの書き直しで、注意がはいったのだが、私はこの話があると聞いた時に、きっと長時間になると思い、のこっていた。(私の勤務は19時まで)

21時過ぎても終わらない。

頭にきて、どなってたわ。

 

その後、施設長に電話をして、リーダーの指導ができていない。パワハラになるようなことをさせるのは、施設の伝統か、ここは、このようなことが当たり前なのかと。

静かに話せばよいのだけれど、頭にきていたので、すごい剣幕でした。

 

人は、話せばわかると思っているのだけれど、この施設長のように、

仕事をしない、現場を見ない人とは、話す気も起きないというのが本音。

 

それにしても、反省。

人は話せばわかる。

占い師状態なら、全然腹が立たないのになぁ。

 

少し歳を取ってきて、怒りの感情が強いような気がする。

 

反省は、前進の一歩と思い、感情のコントロールができるように頑張ろう。

 

 

 

 

アドセンス取得のその後

アドセンス取得してずいぶんたつのですが、なんというのか

 

広告の掲載の仕方がわからず、今に至っています。

 

以前「はてなブログ」という本で、やっていこうと心に

 

決めていたのですが。

 

今日は、広告を配置。

 

うん?自動広告?何?何?

 

えーっと、とりあえずやってみましょう。

 

ポッチとな。

 

(*´Д`)、やっぱり無謀な気がする。

 

何をやっているかも、ちゃんとできたかもわからない。

 

息子に、アドセンス通ったなら、広告配置しないとと言われたけれど。

 

今日は、一応挑戦したということで、良しとしよう。

 

いやーもう、初心者なんてレベルにも行っていない。

 

しかし、こんな私のが、アドセンスの審査に通ったのが奇跡なのかも。

 

アドセンスは、ブログ発信の励みになればと思っていたのだけれど

 

励みになる前に、試練だ~。

 

でもこれも、ボケ防止。

 

ゆっくり、ゆっくりでいいじゃないかなと。

 

今の私は、茶々の状態と同じ。伸びてま~す

 

 

親子関係について

血の繋がりって、なんだろうと考えています。

 

二度目の夫との間には、三人の子どもがいる。

 

男の子ばかり、三人。

 

離婚したのは、16才、14才、12才の時。

 

夫婦として、周りからは、理想的夫婦といわれていた。愛情深く仲がよいと。

 

子ども達も、お父さんとお母さんは仲が良いと。

 

夫婦関係って、元々他人だから、お互いの努力が必要。片方だけに、依存していると、いつかは、破局が訪れる。

 

子どもが、成長するにしたがって、父親と母親の事を、冷静に見るようになる。

 

再婚同士だったので、なさぬ子どもも、いたのだけど、子ども達にとって、何もしてくれていない親は、親ではないのかもしれない。

 

三人の子供達は、父親が自分達にしてくれた事は何もない。

 

普通に考えてたら、父親は、仕事をしているじゃないか、家族を養っているじゃないかと思う、

 

自営業で、母親がいつも働いて、自分達より遅く寝て、自分達より早く起きて、家事をして、自分達が病気になったら、病院に連れて行ってくれ、困ったときは、いつも助けてくれる。

 

父親は、母親が、家事をしていても、何もせず、酒を飲み、テレビを見ている。休みの日も、ゴルフに行ったり、寝ていたり。

 

子供達は、母親が身体を壊すのではないかと。本当に、身体を、壊してしまったけど。

 

自営業で、協力しているようには、見えなかったのでしょう。私自身も、彼らの父親と一緒にいたら、そうそうに、透析をしていたかもと、思っている。

 

私からは、次男になる子供が特に、父親に対して、

ただ血を分けてもらっただけ。母親がいなかったら、まず俺は生まれてきていない。この子は、妊娠がわかった時に、降ろせと言われている。夫にすれば、50歳の子である。

 

本当に、離婚するまでに、色々あって、もう子供達と父親の関係を、うまくとりもつ気が私に、なくなった。

 

結婚して、子供が出来たら、かわるかなと思っていたのだけど、前妻の子供から、父親の状態があまり良くないと、次男に連絡があった。

 

次男は、俺には父親はいないから。関係ないと。弟達と連絡をとらないから、母さんに、伝えておくよ。

きっと、そう言うと思ったけど、連絡だけしとこうと思った。また、一緒に、飲もう。

 

と、話をしたと、電話がかかってきた。

 

母親の違う兄弟なのだけど、異母兄は、次男をとても、かわいい弟と思っており、連絡を時々してくるらしい。次男の方からは、連絡はしない。

 

次男も、この異母兄に何があったら、いくだろうけれど父親は、もういないと思っている。

 

男の子だからかな。

 

親だからといっても、思いがなければ、親子関係も、作ることが叶わない。

 

血が繋がっているからていっても、お互いが認めて、愛情をしめさなければ、親子関係も、構築できないということかもしれない。

 

本当は、もっと色々なことがあって、親子関係の構築ができなかったのだけど。

 

父親は、決して、遊び人でもないし、仕事をしないわけではなかったですよ。ただ、私の働きが半端なかったのかな。

 

血が繋がっているから、親子になれるわけではないと思います。

 

親であろうとすること、努力することで、関係ができるのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

めんどくさい話だけどと言ってきた同僚の話

仕事中、職場で、嫌われている同僚が。

私の隣にいた同僚の、セーターに対して

面白い服ね。

エッ、面白い?私の一瞬の心の声。

爽やかな春を感じさせる薄い空色。

言われた同僚も、エッ!

思わず、イヤ、面白いというよりもというと、

今度は、変わってるね。

あの、それは、褒めたいの?けなしたいの?

多分、素敵だと感じたから、声をかけたのだと思うけど。

相手の人が、嫌な感情に、なるような言葉かけはどうなの。

オシャレだねとか、編み方がワッフル様で、素敵だねとか。

面白いとか変わってると言われて、嬉しい人はあまりいないと思うよ。

この後、暫くして仕事をしていると、側に来て、

どうでもいいことだけど、私は、面白いとか変わっているとかは言います。と言って来た。

ハア〜、何?

めんどくさいなぁ。

今日は、ちょっと体調が悪いのもあり、カチン。

めんどくさい話を、わざわざ言いにくるな、話しかけてくるな

と言ってしまった。

その後、パート職員なので、帰ったのかと、思ったら

介護主任の所に、いる。

あらあら、今日はケアマネージャーがいないから、話す相手が

いないと思ったら。

介護主任、私を見て、食事介助の利用者のむせ混みがと言う。

吸引すると、吐くかもしれないから、タッピングしましょう。

要するに、介護主任も、この職員の訴えは、またかという感じなのでしょう。

言葉とは、大切な自分の思いを、伝えるものだけど、他人がどう思うかを、考えないといけないと思う。

他人から、嫌われたり、人としてどうなのとか、依存的仕事の仕方をしている人は、信用してもらえない。

この職員は、自分がすることは、正しいと、人から、注意されると、絶対に認めない。

そのため、全職員が同じ見方をしている。

気の毒だなと思う。

他人が言ってくれる事を、善意で考えることができないのは、自分を不幸にすると思う。

相手がどんな思いで言ったにせよ、善意あるものとして受け入れられるなら、悪意は無くなる。

中々、難しい事ではあるけれど。

私も、あー、そうだ、この人は悪意があるわけではないのだろうとは、思うが、体調が悪い時や虫の居所が悪い時は、ストレートに、感情を出してしまう所を、反省せねば。

ありのままに受け止める事は大切。仕事ができない人ほど、自分を正当化する。そんな人は、そのままで、進歩がないのだから、ほっておこう。

当たり前のことを、当たり前に。

しかし、当たり前を当たり前にすると誤解する人は、少し疲れるな。

だって、他の人に嫌われてるから、懐いてくる。

これも、人間修行か。

茶々とアリスのバトル

6歳になったというのに、いつまでも、大人にならないビークル犬のアリス

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1歳になったばかりのなのに、嫌に大人びた猫の茶々🐱

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茶々が、子猫の頃は、一緒に仲良くひっついていたのだけど。最近は、アリスの側に、いることがない。

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最近の様子は、私が心配になる程の、バトル。

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茶々の、尻尾。三倍ほどに、大きくなってます。

 

完全に、戦闘モード。

 

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優雅に、横になっているところにアリス。

ハイ、茶々は気に入らない。

バトル勃発。

 

茶々は、アリスが面倒くさいのかな。

 

大人になって、ツンデレの茶々。

 

相手の事などお構いなしに、戯れようとするアリス。

茶々は、手でパンチ、足蹴り、噛みつき、抱え込み。

アリスは、盛んに噛みつき、タックル、押さえ込み。

 

アリスは、可愛いオモチャ感覚な気がして、本気で噛み付いたらと、心配。

 

犬は、群れで暮らすというので、ボスがわかっている。

 

私の家は、あきらかに私。なんて言っても、夫は、私に弱い。かかあ天下ね。

 

そんな私が愛情たっぷりなのだから、茶々の性格もあるけれど、茶々は、王子様。

 

マァ、夫も、初めて飼った猫が、こんなに可愛いと思わなかったらしい。親ばかぶりが、うちの茶々は、頭がいい。言っていることを理解してるとデレデレ。

 

ともかく、最近本当に、アリスの茶々に対する

チョッカイが半端ない。

 

高齢者について

介護施設のナースから。

 

私は、老健グループホームのナースを経験しているのだが。

 

なんとも、歳をとって介護が必要になったとき、介護施設には

 

入りたくないと思う。

 

何故か?

 

それは、人としての扱いはないと感じるから。

 

どこに感じるかと言うと、あきらかに異常があると思うのに、

 

キチンと検査をしてもらえない。

 

高齢者だから、悪いところがあるのは当たり前。

 

もっと言えば、寝たきり状態だし、痴呆だし、家族も治療を積極に望んでいないだろうと言う考え。

 

日々、観察をしていると、喋れなくても、痛いのではないか、苦しいのではないか

 

しかし、関わっていない人は、わからない。

 

家族も、義理できているだけだったり、預けたら何もせず、介護の粗探し。

 

ナースは医者ではないが、異変には気づく。

 

排便が黒色弁で、嘔吐物もチョレート色をしていても、

 

お腹に、便がたまっているからと言う。毎日浣腸、下剤。

 

医者によるかもしれないが、吐けばすべて便が、溜まっているから。

 

確かに、胃瘻をしている人は、排便が少ないと思う。

 

だけれど、便の色の異常って、普通はないよね。

 

繰り返し嘔吐して、夜間受診しても、入院させてもらえない。

 

老健には、医師がいるが、骨折しても、寝たきりで

痛みを訴えないと、病院への受診はない。

 

介護、看護スタッフが、おかしくないですかといっても、医師は、痛いと言ってないからという。

 

この、利用者は、寝たきりで喋れないのに。

 

足が、あきらかにおかしい、体変換する際、グニャとなる。

 

寝たきりで、起こすことがない利用者は、必要が無い治療はしてもらえない。

 

治療すれば、持ちだしで、利益率がさがるからかな。

 

家で、介護をしていたら、きっと病院に連れて行って、説明も真剣に聞くと思う。

 

施設を利用している家族は、入院し退院しても、入所できるかを、心配している。

 

だから、入院させたくない。

 

それって、結局のところ、治療する気が無いという事だよね。

 

私は、還暦を超えたけれど、今までの人生の事や色々なことを、考える。

 

歳をとっても、身体が不自由になっても、感情は歳をとらないと思う。

 

高齢者だからと、何でもかんでも、一括りに考えるのを、やめてほしい。

 

介護施設も、病院も、高齢者を、人として見てほしい。

 

みんな、平等に歳をとる。

 

自分が寝たきりに、なったらと考えてほしい。

 

 

 

人間関係で思うこと

仕事をしていると、一人一人を、個人的に見ていると、みんな

良い人なのにと思う。

 

なのに、なぜ色々と。トラブルのか。

 

考察してみる。

 

私は、職場の人と、個人的に付き合うことはしない。

 

若い頃から、仕事の人とプライベートで付き合うなんて、

 

めんどくさいし、公私混同は、できない。

 

人間関係のトラブルが起こる理由、私なりに考えてみる。

 

1、他人を評価する。

2、自分と同じ様にする事を、強要する。

3、他人を、認めない。

 

1の評価するは、AさんとBさんを比べる。Aさんはできるのに、Bさんはできない。

 

自分の価値観で、比べる。

 

評価をすることは、指導者の仕事、管理者の仕事。

 

同僚を評価して、自分よりもできない人を探して、慢心する。

 

自分のことは、棚に上げている。

 

評価をするのは良いかもだけれど、同僚同士であれば、お互いに

 

できないこと、得意なことを、助言し、助け合うことではないかと思う。

 

なんて言うと、出来る人ができない人をのカバーばかりで、損だとか

 

言う人がいる。

 

でも、本当に出来る人は、他人を助けても、その事を不満には思わない。

 

同僚と協力してするのも、仕事と考えているから。

 

2の自分と同じことができる様に、要求する人は、結構仕事が早い。

 

だから、同じ様にできない人に、厳しい。自分のやり方を、強要する。

 

人の粗探しがうまい、重箱の隅を突く。

 

他人に嫌われるタイプ。教えるのではなく、なぜできていないのと

 

怒りの表情と、言葉と態度。

 

こうすると良いと思うよと助言ができない。

 

このような方が、上司になると、その部署は、ギスギスしている。

 

上司の顔色を伺い、いつ切れるのかもしれないと、緊張している。

 

部下に、気を遣わせるのは、最低だと思う。仕事がやりにくい。

 

3の場合がすべての人間関係のネックかもしれない。

 

人はそれぞれ、個性がある。どんな人にも長所も欠点もある。ありのままに

 

受け止めれば良いと思う。自分の価値観や、自分の思い通りにしようと

 

考えると、摩擦が起こる。

 

私は、自分の言動に、他人がどう思うかを、気にしなくなった。

 

どんなに相手のことを考えて、話をしても、相手が悪くとったりすれば

 

どうしようもないから。

 

自分が、相手に対して、良いと思ってとった言動が、受け止めてもらえなくても

 

良いのではないかと思う。

 

自分が、相手のことを思った、相手のためになると思って伝えたことを、

 

どう考えるかは、その人自身が感じて決めることだから。

 

他人に対してしたことに、感謝、期待を、求めるべからず。

 

すべて何かをするときには、自分がしたかったからと考えると楽かも。

 

と言っても、人間は、他人に依存するものかもしれない。

 

自分を評価して、自信満々の人は少ない。

 

自信を持つことは、自分を好きになることだと思うのです。

 

そうすることで、客観的に自分を、みることができるから、

 

他人に対しても、ああ、この人は、こんな風に考えるのだなとか

 

こんな良いところがあるとか、良いところも悪いところも、

 

受け止めてあげることができる気がする。

 

うまくいえないが、愚痴を言う人は、自分を認めてもらいたい

 

人を評価する人も、自分を認めてもらいたい

 

要するに、自分を見て欲しいと言っている人、不器用な人たちかもしれない。

 

 

 

うちの茶々

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うちの茶々ちゃん。朝4時30分過ぎたら、私を起こす。

 

もう、少し寝よう、まだ早い。

 

布団の中に、引き入れても、ものの五分くらいで、モゾモゾと動き出す。

 

私の頭を、優しく、優しく、撫でる。

 

足や手に、甘噛み攻撃。

 

とにかく、ベッドから私を、起こそうと。

 

根負けして、一階に。

 

茶々の軽やかな、階段を降りる後ろ姿を、眠い目で追いかけながら。

 

一階で、少し遊んで、ご飯を食べて。

 

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自分は、お気に入りのカゴで、寝て〜る!

 

茶々ちゃん、毎朝のこととはいえ、母は眠い。

 

不思議と一緒に寝ている夫を、起こさない。

 

何でだろう?