2024年1月20日老春時代日記。
「大人になり切れない人」の心理という本を読んだ。
占いカウセラーとして、心理関係の本をよく読む。
精神科看護師として、医療従事者として、患者の気持ちを知るために、よりよい看護ができるようにと、精神科に従事して、勉強することが今でも、心理関係の本を読むことにつながっている。
さて、この本を読んで、自分はどうだろうと考えてみる。
いつもだけど、心理を見るのには自分に当てはめて考えることが多い。
自分の子供時代、大人になる過程、環境などがどのように影響して今の自分が形成されているかは、非常に興味があるから。
自分で気づかない性格や物の見方や考え方を知るきっかけになるから。
大人になり切れない人とはどいう人たちか。
一口に言えば、自分一人が生きるのに精一杯なのに、社会的責任を負わされて生きるのが辛くて、どうにもならなくなっている人たちである。と書いてある。
「つまり五歳児の大人」なのであると。子供のまま大人になってしまった人ということ。
年だけ取り見た目は30歳でも、精神、考え方が子供のまま。
確かに子供のままでは大人の社会は生きにくいだろう。
大人の社会ではしたくないこともしないといけないし、駄々をいう事もできないし。
確かに何で、人の気持ちを考えないで、わがままを言うのだろうとか、どうして、急に怒るのだろうとか、社会人としてどうなのという人がたくさんいる。
精神科で、10~20代で入院してくる人は、とても子供の頃にいい子で優秀人が多い。そして親は真面目で厳しいかったり、いい子でいないといかない環境の子供時代を過ごしてきた、褒められることで、自分の居場所を確保していた子供。社会に出ると、褒められることよりも、怒鳴られる、注意を受ける、今までにない経験、環境から、どのよう対応していいかわからなくなり、自己否定を経験して鬱になったりしての入院。
更に、親は、いい子だった、優秀だった子供の変化を受け入れることができずに溝が深くなり、自宅と病院を出たり入ったりし、そのうち入院が長期化する。こうなると社会復帰は、皆無だ。
大人になり切れなかった子供を、親は認めない。
看護師として、親に手を差し伸べているのだから受け止めてあげれば、いいのに。もう一度、子供の側に、いてあげてほしいと願うことのむなしさを何度経験したか。
親を信頼できない精神患者は、他人も信用できないけれど、依存してしまう。そして、試し行動をする。悪いことをして親の愛情を確かめようとする。
だけど、身体は大人だから、暴れたり暴力が起こると親は恐怖になり、寄り添うことよりも、自分たちの身を守るために、病院に入院させる。
悲しい現実だ。
手のかからない良い子は、自分の居場所がない子だ。他人から見た良い子でいるために我慢して、やりたいことも言わないで、いるから、常に、愛されたいという気持ち、愛がほしいと思ってしまう。
手のかかる子供はどうだろう。親が、愛していると伝えようとするし、自分たちのできることはないだろうか?この子が幸せになれるように、このママ大人になったらと、子供をさだてようとする。
手のかからない子は、親からは褒められるだけで、愛情をもらっているわけではない。子供は親の為に愛してもらうためにいい子でいようとする。だけど、親は楽だから、愛情を見せる必要がない。
他人から愛されるためにいい子でいようとするが、その心の闇は、残虐な心を育ててしまうことがある。善人ぶっていても他人に対して憎しみを持ってしまう。
私は、子供の頃とても良い子だった。家のことをして、常に姉弟、両親の為に、頑張っていた。貧乏で、食べるものがなかったり、学用品を買ったもらえなかったり、我慢を強いられる環境だった。
だけど、いつも「大人になったら」と思っていた。大人になったら働いて親を楽にさせてあげようとか(家が貧乏なのは親の生活設計が、その日暮らしだったから。父親がきちんとした仕事を持っていない人母親がホステス。父はよくわからないけどあるい意味紐生活だったのかも)
私には大人になったらという目的があった。日ごろの貧乏生活も家事をすることもすべて、苦痛ではなかった。他人からは、いい子ね、しっかりしているとと褒められるので、嬉しかった。
貧乏であると言うことで、生きる目標を持てていたから早く大人になりたいと。
どちらかというと、子供なのに早く大人になっていた気もする。
大人になり切れない人は、目標がない人、生きるということがあやふやなのかもしれないと思う。
自分の人生を生きることができないから、「愛」と言うことに執着し依存している。
他人からの愛情を欲しるあまり相手を傷つけてしまう人の多い事。そして手に入れられない「愛」はその相手が悪いとなる。
子どもだから、相手から構われたい自分のほうを向かせるために何をすれば
良いかわからない。
それが、攻撃や嫌がることをしてしまうことになる。
この歳になっても、自分が大人と言えるかと言えば、自信はない。それなりにわがままだししたい事はするから。
ただ、他人に対して、何も望まない。困ったいる人がいれば手を差し伸べるが、基本関わりたくないと思っている。
私の中の大人になっていない部分かなと思っている。
心理的本を読むと自分を見ることができる。私は、元来お節介で姉御肌だ。だけど、社会に出て、たまたまなんだけど依存心の強い人との関係が多く、しんどくなっているようだ。
だから、他人とだできれば付き合いたくないと思っている。
ご近所付き合いも、食く場にいるときも人間関係で、困ることはないけれど、他人と付き合うのはその場その場だけだ。
職場なら職場だけと言うことだ。自分のプライベートに他人を入れるのはしんどい。
女の子同士が休み時間に、一緒にトイレに行くなんて私はすごく嫌だった。何かをするのに協力、チームでするということはするけれど、自分のプライベートまで一緒とかは、ありえない感覚。
公私をきちんとしたいし、親しき中も礼儀ありが、絶対だ。
何かの折に、誰かの助けになったとして、すり寄ってこられるのはとても嫌だ。
話しやすいとか、頼りになるとかと思われて、いつも一緒とか、凄く嫌だ。
何というのか仲良しこよし表面だけの関係が嫌いなだけなのかもしれないけれど。
いつも誰かを頼りにしてかつ自分はすごい人だと思いたいのかなと思う人との接点が多いからかも知れない。
このようなタイプは、大人になり切れていない人ののかもしれない、付き合うと本当に疲れる。
自分も大人かと言えばわからない。他人に迷惑をかけることはしないし、誰かに愛されたいとかも思っていない。
それよりは自分が好きでいることのほうが大切だ。
人は好きだから、大切にするけれどそれは、困っている人と遭遇した時だ。
普段は関わらない。めんどうだから。
特にこの歳になると時間がもったいないと思ってしまうのと、今mで、家族のために頑張ってきたから、自分一人の時間が楽しいのかもしれない。
大人になり切れない人は生きづらいだろうけれど、自分のことを自分が愛することから始めたら生きたやすいのではないかなと思う。
自分が自分のことを嫌いだったら、他人が好きになってくれるだろうかと思うから。
大人でも子供でも幸せは、自分の中という気がする。