老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

物事はすべて、うまくやろうとするべからずである

うまくやろうとしないこと、自分らしくやろうとすればうまくいく

 

50歳で准看護師に挑戦したAさんの話。

 

ある日、Aさんが、学校のレポートがわかならいからと、教えてほしいと。

 

軽くいいよと。

 

レポートを見て、えっ、これの何がわからないの。

 

何もできていない、していない。

 

これは、私にしろということか?

 

何もせず、どこを教えろというのか?

 

彼女は、若い学生達の中で、自分が年上だからのプライドなのか?

 

私は現場の看護師。学生ではない。

 

私が考えて答えを出してしまうなら、経験をもとにレポートを仕上げることは造作もない。

 

しかしである、学生が出す答えと現場の答えでは、おのずと違う。

 

彼女が、レポートをやったうえでの、わからないことや疑問には答えることができるが、これは違う。

 

彼女は、今勉強しているのである、その中で、レポート提出。

 

完全に、他人からの評価を気にし、自分らしさも出さず、うまくやろうとしているだけだ。

 

私も、彼女と同じように、学生を経験し、卒業し、今がある。

 

だからこそ、できないことや、わからないことも沢山あった。

 

しかし、しないで、人に頼ったことはない。

 

彼女のしていることは、子供の考えでしないで、大人の考えで答えを出そうとしている。

 

レポートは、他の人より違うものになるだろう、しかし、それが彼女は自分のためになると思っているのだろうかと。

 

彼女には、「まず自分で考えて、それから、もう一度、わからないことを聞きに来てくれる?

 

私が、アドバイスできることは、今はない。学生の目線でのレポートと現看護師目線のレポートではおのずとアドバイスも違ってくるから」

 

その時を、うまくやったとしても、その後もうまくできるとは限らない。

 

自分の力で自分らしくやってみることで、できないことがわかり、できるようになり、成長していくと思う。特に学生時代には、できないほうが現場に出たときに、勉強になるし、身につく。

 

彼女は、その後も、資料や、医学書を借りに来たが、なんというか、自分ができる人でいないといけない、若い学生よりもできていないといけないという気持ちが強い人だった。

 

質問をよくしてくるが、それはすべて、現場での判断であって、看護学生の勉強の答えではない。学校は基本を教えてくれるところである。基本なくして、応用を聞いても、何もならない

 

楽してという気持ちよりも、自分ができる人という評価を、求めての行動。

 

わからないこともわからない状態だったのか、学校で、習っていることをきちんとレポートに(課題)して初めて、できる人だと思う。

 

うまくやろうとして、他力本願では、必ずどこかでほころびが出てくる。

 

自分らしくやってみることが、人生を豊かにすると思う。

 

自分らしく生きるために、人並みで普通でいいじゃないですか。

自分らしく生きることは、とても楽だと思う。

 

だけども自分らしく、人生を生きている人は少ないと思う。

 

なぜ自分らしく生きることができないのか?

 

自分のことが、自分でわからないことに尽きるのかも。

 

社会には、ルールがある。

 

人として生きるためには、他人に迷惑をかけないことは当たり前である。

 

生まれてきて、家族としての役割もきちんとし、学校生活も、他人に迷惑をかけず、社会に出ても、迷惑かけず、生きているのに。

 

自分に自信がなく、自分を好きになれず、自己評価の低い方の多い事。

 

それって、評価されない主婦の仕事のよう。

 

ごく普通に生きていることは素晴らしい!

 

誰から褒められるわけでなく、注目されるわけでなく、でも、こけないように、毎日を一生懸命、生きていることは、凄いことです。

 

普通とは、当たり前ということです。

 

朝起きて、顔を洗い、朝食を食べて、仕事もしくは学校に行き、帰って寝る。

 

当たり前に、毎日同じことを繰り返すことができる。

 

普通を続けることの幸せは、気づかない。

 

普通の親のもとで、学校に通い、社会人になり、結婚をし、子育てをし、穏やかに歳を取り、人生、終焉を迎える。

 

簡単なようで、とても難しい。

 

普通ってなんだろう?

 

ある女性が、「大学に行くことは当たり前で、私の周りの友達は、みんな行っているから。特に、親に感謝はない」と。

 

そうか、この人にとっての普通は、親が子供を学校に行かせるのは普通なのだ。

 

大学に行くのが当たり前って、思える環境に感謝はないのだ。

 

この女性は、占い鑑定お客の娘さん。

 

世の中、学校に行くということは、お金がかかる。彼女は、大学時代、バイトをするのでもなく、大学を卒業。

 

社会に出る前から、何かあると、「死ぬ」と自殺をほのめかす。

 

普通とは、その人の環境で感じ方が違うと思った。

 

恵まれた環境にいながら、親に感謝できず、親に対する不満や、友人に対する不満、仕事に対する不満。

 

何が楽しいのだろうと。

 

「楽しいことなんかない、私がこうなったのは父親のせいだ。母が、わかれなかったからだ」

 

自分の手の中にあるものに対して、当たり前になり、感謝をする気持ちも、相手を思いやる気持ちもなく、常に、自分を見ろ、私を見ろと、依存的である。

 

自分で考えることができず、考えるのは「嫌だ」「傷つく。傷つけられた」「耐えられない」の無限ループの世界だけ。

 

できないことや失敗したことなど、自分が思うようにいかないことにとらわれる。

 

人とうまくいかないだから、人を信用できない

 

会わない上司がいるだから、こんな会社にいられない

 

劣等感や自己嫌悪が、ストレスになり、鬱になり、引きこもる。

 

得意ではない」「嫌だ」「緊張してしまう」この、考えに固執し、自分を卑下する。

 

人間なんて、同じ人生を歩む人はいない。手の指紋と同じである。同じ指紋がないように、同じ人生を歩むことはない。

 

似ていても違う。

 

違って当たり前。それが、神さまから、それぞれに与えられた「個性」。

 

自分を受け入れて、まず世間でいうところの、普通をやってみよう。

 

人間は、朝起きて三食食べて夜寝ることが普通の生活。

 

ならばやってみよう。

 

普通の生活ができるか。

 

朝、起きる。これは、学校に行ったり会社に行く人なら、あたりまえ。

 

緒食を食べ、身支度をして、家を出る。

 

学校、会社で過ごし、帰宅し寝る。

 

規則正し生活を、普通の人はしている。

 

人並が普通なら、人並みをやらねばならないのに、人並みのことができていないのに、「人並以上でなければ、誰からも一目置かれるくらいでなければ」と。

 

当たり前のことができていないのに、人並みではダメだと思うようである。

 

人並、普通が一番難しいと思うのだ。

 

私は、悩む人たちに、足元を見てみようという。

 

自分の普通は何か?足元は、土台はどうだ?

 

最低限度の当たり前ができているか?

 

誰と比べての人生なのか?

 

その人と同じなら、自分は幸せなのか?

 

自分らしい人生とは?

 

自分らしくって、難しいと思う人もいるかもしれない。

私の自分らしくは、自分を傷つけるのは自分だけと思っていること。

 

そして、自分ではどうしようもないことは悩まないときめていること。

 

たとえば、自分が女であること、身長が低いこと、子供の頃家が貧乏だったことなど、自分の力ではどうしようもないことで悩んでも何の意味もないと思っている。

 

貧乏だからと、やりたいことをあきらめるということはしない。それは自分の努力でどうにでもなるから。自分が、やるかどうかだけだから。

 

やれることをあきらめて、しないのは違う。

 

欠点も長所も、裏表だと思っている。

 

ある時は、長所が欠点になったりその時の状況で、変わる。

 

だから、自分の欠点も長所も、すべて自分であると受け止めている。

 

世界で、たった一人の人間。誰も変われない私だけの人生。

 

楽しまなければ損である。

 

ならば、できることを探そう。

 

できないならいったんやめて逃げてもいいじゃないか

 

だからといって、自分を自分で攻める必要はない。卑屈になることも、他人の言葉で自分を傷つける必要もない。

 

自分にとっての当たり前が、他人に迷惑をかけていなければいいじゃないか。

 

一人立ちができているなら、いっちょ前。

 

何を悩む必要があろうか。立派なもんだ。

 

人並なみの人生は、自立すること。自分の力で生きること。

 

自分の力で生きているなら、失敗しようがそれは経験。

 

自分が成長するための、明日へのスッテプ。

 

同じことの失敗をするのは、必要だから、経験がたりないから神様からの贈り物。復習して頑張るのだ。自分の力で生きるための試練。

 

自分が考える人並み、普通でいるために、考えて行動することだ。

 

人生は、人並みで普通に生きることのほうが難しい。

 

普通でいるということは、誘惑にも負けてはいけない、一度でも、こけたらもう普通でいたいと思っても、普通でいられなくなる。

 

失敗して立ち上がることも素晴らしいと思うが、こけずに立っていることは、だれもほめてくれず、あたりまえだから、これが割と、地味で根気と努力がいるのである。

 

人並みに普通で、楽しいと思えれば、人生は楽である。それこそが自分らしくいれることかもしれない。

 

普通でも、悩みがいっぱいなのに、普通じゃなかったら、どれほどの悩みだろう。

 

普通が一番強いのだ。

 

自分らしく、生きるために、人並みで普通の人生でいいじゃないか。

 

 

仕事が向いていないという人へ、そんなことはないと思います。

仕事が向いていないと、言う人。

 

私の子供も、仕事がうまくいかないときに、「俺、この仕事向いていないんだわ~」という。

 

自分に、向いていると思って、仕事をしている人は、世の中に、どのくらいいるだろう?

 

  • 何を持って、向いていないというのだろうか。

 

少しだけ考えてみる。

 

人間関係がうまくいっていない人

 

失敗してばかりの人

 

愚痴や不満ばかりの人

 

仕事じたいに、問題があるように思えない理由が多い。

 

私は自分に向いていないと思う仕事は、保険のように、形がない営業職。

 

なぜかというと、物がない紙一枚の契約で、将来起こるかわからない病気、

事故、死亡した時のために、高い保険料をいただくのがダメだった。

 

お客様のライフスタイルに合わせたプランを作成すると、会社からの売り込む商品とは、全然違う商品を勧めてしまう。

 

営業成績は、良かったけれど(運が良かったと思う)自分で向いていないと感じていた。5年で、リタイヤした。

 

仕事が向いていないと言うことを考えるよりも、その仕事が好きになれるかではないかと思う。

 

私は、看護師の仕事が好きである。

 

だから、離婚をしても、他の仕事をしていても、バイトで看護師の仕事をしていた。

 

看護師の仕事から離れても、看護の雑誌を読んだりして、現場では働いていなかったけれど、日々変化する医療道具、看護の仕方を勉強していた。

10年ブランクがあったけれど、割と抵抗なく復帰できた。

 

この看護師復帰は、42歳。

 

某病院に入社したけれど、ひどいパワハラにあった。

 

それでも、看護師の仕事は続けたくて、石の上にも3年と思って、頑張った。

 

3年目に、家族の事情でやめることになった。(生さぬ仲の子供が、幼児を連れて離婚、その子を見ないといけなくなった)

 

好きな仕事は、あきらめることなく、いつかは戻るという思いがあり、その後しばらくして、復帰した。

 

何度も言うが、仕事というものは、向いているかではなく、好きになれるかではないかと思う。

 

営業は、苦手だけれども、サービス営業は向いている。

 

サービス営業とは、ウエイトレスのような仕事のことである。

 

私は、物を売る仕事の営業は、向いていないと思っているが、相手が欲しいと思うものを、売る営業はできるし好きである。

 

これは、ホステスやラーメン店のおかみさんを経験してることから、言えることである。

 

仕事が、向いていないという人は、人間関係がうまくいっていない人が多い。

 

仕事のことよりも、他人への干渉。

 

自分の思い通りに、人を動かした。

 

自分と他人を比べる。

 

仕事そのものよりも、他の方向から、向いていないという。

 

自分らしくやっていけば、仕事はできるのではないかと思う

 

自分らしくである。

 

誰かと比べるではなく、誰かに、強制されるのではなく、うまくやろうとするのではなくである。

私は、仕事は対価の対象であるから、自分の時間を会社に売るのであるから、看護師時代は、定時に仕事が終わらないのは、凄く嫌だった。

 

対価に見合う仕事量、自分のキャパを超えることは、医療事故につながると考えていた。

 

あと、「仕事は楽しく」これをモットーにしていた。

 

だから、不満になるような残業はしない。残業をする時は、自分が納得するときだけ。

 

そうすると、残業は、案外することはなく、仕事は片付くものである。

 

仕事を楽しくという考えは、休憩時間を含め9時間は、働かなければいかないのなら、楽しいほうが楽だと

 

仕事をするのには、なぜ仕事をしなければいけないかと言うことも大切

 

家族のために、生きるために、生活をする為に。

 

これは、本当に、仕事を頑張る上には大切である。

 

だけれども、本末転倒にならないように、するべきではないかと考える

 

自分らしく、目標をもって、楽しくなるように仕事をする。

 

向いている、向いていないなんて考えていたら、ちっとも「楽しくない」

 

自分のライフスタイルに合った仕事をする。

 

これも大切なことの一つ。

 

次男坊は、カッコマンというか見た目重視。

 

なので、被り物をする仕事はしない。セットした髪が、崩れるのが嫌。

 

店員でも、帽子着用の仕事はだめ。

 

ちょっと、いかしてる仕事が好きなようである。

 

仕事を探すときに、スーツでできる仕事がいいのではと思い、助言。

 

現在は、不動産の営業をしている。

 

成果があがれば、報酬も多いので、今は若いこともあり、がっつり稼いで、したいことの資金を作ると言っている。

 

「母さんは、俺に不動産の営業が向いていると思うの?」

 

「向いているとかではなく、あんたがやれることを考えたら、営業かなと。だいいち、じっとしているような事務仕事できないでしょう?」

 

「無理。じっとデスクでパソコンとにらめっこなんて」

 

「上司の好き嫌いはあるし、こだわりがあるから、すぐに嫌になるというか、うまくいかないと、嫌になるものね。

今までのトラブルも、上司が偉そうだとか、トラブルは、仕事の内容よりも、上司との相性だものね」

 

仕事には、向いているよりも、そこが好きになれるか、上の人間に魅力があるかも、大きいかな。

 

仕事をする時に、上司が気に入らなければ、することは。

 

丁寧な付き合いをする。(あいさつはきちんとする、返事はイエスかノー等)

 

プライベートの話をしない(自分の情報を渡さない。人はミステリーだと攻撃をしない)

 

媚びを売らない。(これが一番面倒、一度でも、媚びを売ると努めている限り、媚びを売らないといけない。媚びを売らなければ、反逆者扱いともすれば、パワハラ対象に。

 

仕事は助け合うべきところは助け合うべきだが、一匹オオカミが楽である。

 

そして、大切なことは、自分を知ることである

 

自分を知れば、自分の言動の答えがわかる。

 

自分は弱い人間だとする、ではどこが弱いのだろうと考える。

 

身体に欠陥がある?

 

精神的なもの?

身体が健康であれば、自分は体力があるなら、こつこつと長時間でも、仕事をやることのできる。

 

もし、体力がないのであれば、体力に合った仕事の量を調節する。

 

精神手的なものが弱い人は、他人の目を気にしている人が多い。自分目線で考える。

 

人は完ぺきな人はいない。欠点は誰にでもある、その欠点を他人に、見せずに、行動している人が強く見え、自信満々に見えるのである。

 

精神面の部分のおおよそは、他人への依存。甘えである。

 

仕事場では、自分を悲劇の主人公にしてはいけない。

 

たくさんのことが人生には起こるが、それらすべては「外」ではなく自分である。

 

自分が「幸」「不幸」を、決めているのである。

 

こんなことでは、妻は怒ります。

世の男性の方、いや、男性というより夫たちへ、こんなことでは、奥様は怒ります。

 

いや、もしかしたら、うちの夫だけかもしれないが。

 

とても長いので、私の愚痴なので、読みたくない方は、スルーしてくださいね。

 

毎度のことですが、夫とは、三か月に一度くらいの割で、けんかをします。

 

私は「出ていく」という。

 

夫は「離婚すると言うことか」

 

最終的には、私としては、こいつ、全然反省していないと思う。

 

もう、おなじことの繰り返し。

 

疲れる本当に。

 

夫は、すべてが自分中心。本人は、そんな気がないのだろうけれど、自分の中だけで、話さないから、わからない。

 

私は聞くのだけど、答えない。

 

そうすると、私は我慢の限界になる。

 

夫は、やさしいのだと思うのだけど、相手のことを理解できていなく、私が話をしていることを、覚えていない。

 

「最近、年のせいか、体調がよくなく、無理ができない。息切れや、疲れが取れない。」

 

といっているのに、訳の分からない、旅行計画を立てる。

 

計画なのだから、きちんと立てればよいのだけれど、穴だらけ。

 

ビーグル犬の「アリス」と猫の「茶々」も、家族だからと連れていくという。

 

ファミリーロッジ旅籠屋を、利用する。ペットも、泊まれるので。

 

家族だからという考えは、良いと思うのだが、ペットを連れていっても、世話をするのは私。

 

この暑いのに、ペットを連れていくのはどうかと思うのに。

 

夏の家族旅行はやめておいたらと言って、止めたと思っていたのに。

 

鳥取の倉吉に行きたいと。白いたい焼きが食べたいと。それと、なんだかわからないが、ラーメン?

 

そこなら、二人を連れて散歩できるし、倉敷の美観地区と同じだから、いいと思うし、旅籠屋があるからと。

 

ええ、行きましたよ。

 

案の定、無計画。

 

朝7時には出ると言うので、朝早く起きて、炊き込みご飯を炊いて、おにぎりにして、ペットのがご飯やら、猫砂やら、アリスのパンツやら(生理中)、ゲージやら。

 

自分達のお泊り道具やら、着替えやら。

 

時間通りに出れるように、準備をしているのに、何やら庭で水の音。

 

なぜか?車を洗っている。

 

もう、意味が分からない。

 

結果、出発したのは、8時30分。

 

補足するなら、夫はなぜか車をとても大切にしていて、新古車で買ったためもあるが、昨日納車されたのかと思うほどきれいにしている。

 

今の車を買う前の車も、下取りで出したが、展示して、一週間もしないで売れていた。

 

そのため、私が車に乗る時も、少しでもカバンなどが、車体にあたろうものなら、険しい顔で、その部分を検分。

 

セレナなのだが、私も運転はできるが、夫の車は絶対に運転をしない。ちょっとでも傷をつけたらどうなるやら。

 

こだわりの強い夫なのだが、私的には、この人は、自分しか見えていなくて他人がどう思うかとかは関係がないのだと思っている。

話がそれたが、出発からそんな状態で、私は機嫌が悪い。

 

これから、長時間運転をしないといけない人が、昨日準夜で、1時半過ぎて帰ってきて、睡眠時間も少ないというのに、なぜ、体力を使う洗車をする?

 

そうでなくても、運転があまり上手ではないのに。

 

イライラ、マックス。

 

こんな状態での一泊二日の旅行が、楽しいはずがありません。

 

さて、昼はよくわからないが、地元のラーメンを食べさせてくれる予定だったのだが。

 

「店は何て言う?」

 

「わからん」

 

「えっ、」

 

インターネットか鳥取の観光の何かを見て、地元のラーメンらしいので、どこでも、店があると思ったのではないかと。

 

香川県のうどん店のように。

 

こいつはと心で思い。お昼時間はとっくに過ぎているのに。

 

「ラム―でお弁当買おう。夜は、おいしいところで食べるから」と夫。

 

ラム―って、スーパーじゃない。鳥取まで来て、スーパーの弁当。自分達の町にもあるスーパーの弁当。

 

しかしである、ラムーになかなかいかず、倉吉の通りをぐるぐる。

 

「自分なにしているの?」

 

「白いたい焼きやさがしている」

 

「はぁ~、もう、14時過ぎてるのだけど。もういいわ、朝の炊き込みご飯のおにぎりを食べるから」

 

空腹もあって、ブチ切れました。

夫は慌てて、ラムーに行くと言いました。

 

でも、私は、おにぎりを、食べて知らん顔。

 

さて、ラムーに行くのはいったけれど、私はお弁当は買わず。

 

「茶々とアリスが車でいるから、さっさと買ったら」とおかんむり。

 

さて、夫は、白いたい焼きが食べたくて仕方がないようなので、スマホで、お店の情報を見る。

 

ラムーの駐車場で、「ここなの」「うん」

 

「ナビって、なんていれたら案内するの?」

 

「電話番号」

 

「じゃあ、言うから入れて。」

 

「あっ、でた」

 

こいつは、あほか?自分が行きたいところをナビ検索もしない、昼はラーメンと言いながら、店もわからない。挙句の果てが、スーパーの弁当。

 

さて、ナビで案内をしてもらったら、何回か通り過ぎた店でした。

 

なぜ通り過ぎたかというとお休みだったのです。人がいなかったため。本来は、火曜日が定休日なのだが、なんと、夏休み中、9月1日まで休み。

 

仕方がないと言えば仕方がないのだが、倉吉は、観光地域なのに、人がいない、日曜なのにお土産屋さんもどこもあいていない。

 

思うに、コロナ感染の影響ではないかと思う。

 

観光客だれもいない。

 

私は、暑いのとしんどいのとで、旅籠屋に行こうと夫に提案。

 

日中は、暑いので、茶々たちが、バテタラいけないからと。夕方涼しくなって、来よう。

 

夫も賛成。

旅籠屋に、いく。

 

汗だらだら、荷物を入れて、一休み。

 

さて、夕方なかなか行こうと言わない夫。

 

暗くなってから、行こうととする。食事前にというが、もう見えないでしょ。

 

夫に「お腹がすいているから、先に食事にしよう」

 

「これ以上暗くなったら、ダメだから」

 

「じゃあ、明日朝早くのほうが、涼しいし、茶々たちもつれて散歩がてらというのはどう?どうせ、買い物はしないのでしょう。白壁の土蔵がみたいのでしょう」

 

「そうか、そしたらアリスの散歩にもなるね」

 

それから、食事の場所がわからない。旅籠屋の人には、5分くらいと言われたが、グルグル。

 

ナビに電話番号を入れたが、出ない。

 

「じゃあ、パンフレットの近くの他の店を入れてみたら」

 

それから、20分ほどで何とか到着。

 

私、お店を見て「えっ、居酒屋?」

 

「ここのエビ天ぷらどんぶりが食べたかったんだよ」

 

はぁ~、私が腎臓悪いのわかっている。エビとかいかとカニとかは、食材そのものが塩分があるから食べないでしょう。

 

しかたがないので、定食を頼んだけれど、天ぷらとお刺身。

 

「なんでもいいよ、高くっても」

 

何だか得意そうな顔で言う。

 

さて、その帰り道。

 

一時停止違反で、切符を切られることに。

 

夫は、以前から、裏通りを通るところがありその理由が、信号機がないから。

 

私は、裏通りは、危ないし、どこから人や車が出てくるかわからないので、広い道路を利用してと言っている。

 

後、ウインカーと一時停止をしないことが多いので、さけてと。一時停止で何回か、切符を切られたことがあるし、警察署まで引っ張っていかれて、調書を取られたこともあるので、確実に、止まるように言っていたのだけど。

 

やってくれました。私は暗くてわからなかったのだけど、ブレーキを踏んだことはわかったのだけど、止まってはいなかった。

 

「えっ、何でブレーキ?」と思ったくらいだから。

 

パトカーのサイレン。

 

あっ、一時停止だったんだ。

 

はい、はい、夫、ごねまくり。

 

「ブレーキふみましたよ」

 

「踏んだと言っているでしょ」

 

お巡りさんから、説明を受けても、怒っている。

 

前の時と同じ、勘弁してくださいよ。と私の心の声。

 

また、公務執行妨害で警察署ですか。

 

携帯番号を聞かれても言いたくないという始末。

 

しかたがないので、私が、ブレーキは踏んだと思うけれど、ちゃんと止まっていなかったのは確かだよ。私が、何でブレーキと思ったのだから。

 

それで、だまった。

 

切符を切ってもらい、旅籠屋に。

 

夫に、一時停止わかっていたの?

 

パトカーがいると思った。

 

「あのさ、前の時から言っているよね、セレナは、速度の数字が「0」でとまるのだから、一時停止の時は、確認してと。そうすれば、確実だからと、「0」だったの?」

 

「いや」

 

「そうやって、とまっていないのにごねてもダメでしょ。何で、私が、いつも一時停止は、止まって「0」確認と言わないといけないの。今日は、私はあそこが一時停止だと気付かなかったのだけど。」

 

「わかっていた」

 

その一言で、あきれた。あれだけ、いつも。交通規則は守ってと言っているのに。

 

さて、そんな最悪な一日は終わり。

 

次の朝。

 

7時に、茶々たちと、倉吉の白壁土蔵をお散歩。

 

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倉吉白壁土蔵

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仲良しふたり


朝は涼しく、人もいなかったので、写真を撮り、暑くなってきたので、旅籠屋に戻る。

 

私は、昨日の夜、茶々がいつになく、落ち着かず、寝かせてもらっていなく大変疲れていた。

 

三度目の旅行なのだが、こんなに、夜間落ち着かず、抱き寄せても、泣いてばかりの茶々は初めてだった。

 

旅籠屋で、朝食を取り、これで帰れると早ければ15時くらいかなと。

 

でも、でも、私の思いと夫の思いは違った。

 

何だかわからないのだが、海沿いを走る。

 

訳の分からない民家の道を抜ける。

 

絶対に、帰る道ではない。

 

「道が、わからないのなら、自宅設定にすれば」

 

と言っても無視される。

 

 

しばらくすると海辺のとおり。

 

鳴る子海岸に行くと。

 

えっ、聞いていないけど。

 

「倉吉に行ったら、ここに行くと最初に行った」

 

「そんなの覚えていない、何か月前の話だし」

 

着いたというので、みたらただの海岸にしか見えない。

 

うぁわ~って、感動するような場所ではない。さびれており、レストランも閉鎖。

 

何の情報もなく、意味も分からず連れてこられて、何が楽しいと思うのか。

 

降りずにいたら、茶々と一緒に自分だけ見にいった。

 

看板を見たら、ちょっと変なので、説明を見たら、海の波で、石が、丸くなり、波が当たると、カラコロと音がすると。

 

ちゃんと説明をしてくれれば、興味を持って、楽しみにしたかもしれないが。何も言わず、道がわからず、イライラした夫と車のなか。

 

そのあと、目に良いという神社に行きたいのだけどというが、私が良い顔をしていないのがわかったのか、そこはやめとこうという。

 

私は、茶々が、あまり昨日は食べてないし、水も飲んでいないし、アリスが吐いているしで、二匹のことが気になっているので、帰りたい。

 

それで、お昼は鳥取に行ったら、良くいくスーパーで、お昼ご飯調達。

 

夫が、帰ったら疲れてご飯作りたくないだろうから、夕ご飯も買って帰ろうと。

 

夕ご飯も弁当購入。

 

本当に、ただ、疲れにいくための旅行。

 

最近、本当に夫とは、どこかに行きたくない。

 

自分のいきたいところに行けばいいと思う。

 

結婚して12年だけど、とにかく、旅行に行って、疲れるばかりで楽しくない。

 

旅行に行って、その土地のおいしものを食べるわけでもなく、もう、いつもスーパーの弁当だったり、自分の町にもある、ファミリーレストランだったり。

 

旅行に行った気がしない。

 

毎年、私の誕生日にも、イルミネーションを見に泊まりに行ったりするが、スーパーのお惣菜を買って、私が用意して片づけてと、しんどいばかりである。

 

なので、泊りはなくていいから、イルミネーションでなくてもいいと最近は言う。

 

誰かに、何かしてあげるなら、喜んでもらえるようにしないといけない。

 

疲れさせて、怒らせるならしないほうが、よいかもです。

 

私の夫のように、始めは、最初だからと多めに見てもらえていても、重なると、どうでもいいわ。めんどくさいとなるかもです。

 

三津田冨佐子著者「60歳からのシンプル満足生活」若い人も、悩みがある人にも読んでほしい本

私の愛読書。

 

 

 

三津田冨佐子著者「60歳からのシンプル満足生活」

 

お金にも人にも頼らない

老いも死も怖くない

人生はむずかしく考える必要はない

生きている限り、一日一日を楽しむのみ

毎日を「一番前向きな自分」でいきていればいい

 

この本には、共感することがいっぱい。

 

私の考えとぴったり。

 

みんながこの人のように、生きれたら幸せなのにと思う。

 

私は,感想文は、苦手なので、自分との人生を比べてみようと思う。

 

  •  シンプルな生き方が元気の素

 

50歳で、未亡人になってからの生き方

   人に頼らず自分らしく生きる幸せ

「人生、よきにつけ悪しきにつけ何が起こるかわからない」

「自分のことだけを考えて、自分のペースで生活すればいいのである」

「自分がどんな生き方をしたいのかをしっかり考え、それを貫く強い意志を持ってのぞめば、こんな幸せなくらしはない」

誰でも人間はいつかは、一人になる。

すべては自分次第である。

 

ほんとうに、夫婦といえども、他人。

女は、家事、子育てと労力がいる、その中で、自分の思うように生きようとすると我慢も必要。

私は、子育ては自立させて、早く自分自身の生活をしたいと、思ってきた。

今現在、三人めの夫がいるけれど、自分の思う生き方ができていると思う。

 

夫には、私が必要だが、私には夫は必要ではない。こう書くと、何でと思うかもしれないが、好きだから一緒にいる必要はないと思っているから。

 

本当は、夫婦ではなくて、好きな時に会い、好きな時に一緒にいればいいのではと思っている。

でも、夫は私が離れることの不安感で、どうしても籍にこだわった。

 

意味がないと思うのだが、夫の気持ちが不安で彼の生き方がそうならば、付き合うしかないかなと、籍を入れた。

 

だけど、それだけだ。普通の夫婦なら、妻が家計簿を管理し、夫婦で家庭を作る。

私たちの関係は、夫は家のことに関することすべてを管理する。

 

私は、自分にかかるすべてのお金は、自分。

籍を入れるときから、私には、子供がいるので、彼に一切のお金を出してもらわないかわりに、私に関するすべては、自分で。

 

腎臓病の治療も子供たちの支援も。

 

今は、仕事をやめて、収入がすくないが、子供たちが社会人になったので、子供たちにお金がかからなくなり、まあ今の状態でよい。

 

幾度となく、この同居は、私にとっては、ストレスだったのだが、夫は精神的にちょっと難がある人。

でも、本当に話せば、よくわかる人で、一緒になって10年以上だが、やっと落ち着いてきた。

 

私たちの関係は、二人の子供がいないので、家庭を築くというよりも、一生のパートナー関係。

お互いのできることをお互いがして、助け合うという関係になってきた。

 

私は、彼にいつも言っているのだが、これから先も一緒にいることが前提だけれども、人生はどう転ぶかもわからないから、自分のことは自分でしていこう。助けがいるところは、助け合おう、もし、別れることになっても、それは仕方がないと考えよう。

 

人に頼らず自分らしく生きる幸せとは、依存しないこと、誰かと一緒にいることは、絶対ではないから、一緒にいなければいけないのなら、無理をしないこと。

 

著者は、他人への甘えは捨ててしまおうと。

 

一人暮らしは気楽ではあるけれども、安易ではないので要注意。

「人間は、生まれた時もひとりなら、死ぬときもひとり。結局は自分のことは自分が考えるしかない。自分のことを自分以上に考えてくれる人はいないのだから」

共感します。本当に。

 

養護施設に預けられ、貧乏生活を経験すると、大人も親も誰も助けてくれない。

 

子供の頃は、貧乏人の子だからと、虐めにあうときもある。(虐めだと感じない能天気な子供だった)

 

*そのときどきで考えは変わるけれど

 

94歳になる著者は体があまり言うことが効かなくなってみると、少々弱気になることもあると言っている。

それでも、

娘には娘の人生、私には私の人生。

そうやって割り切りながら相手を気遣う関係ほうが、まことに心地よい。

 

*年齢にとらわれない

年を取ってからの人生を謳歌し、自分の思う通りに生きていくためには、年齢にとらわれていてはだめだと思う。

物事をつねに前向きに考えて、明るい未来を追っていること。

 

私もそう思う。わたしも、年よりも若くみえる。常に、まえむきで、困ったことがあっても「なんとかなる」と思っている。

 

*偏屈一歩手前の「頑固者」

自分の思う通りに発言したり、行動したりすることが、人様には頑固者とか、きかん坊と映ることもあるようだ。

 

そうなんです。頑固者は異端児扱いされたり、するのです。でも、正直でいようとすると、頑固者あつかいになりますね。

 

著者も「自分に正直でいるほうが、いろんな場面で妥協しながらいきたいくより、よほどわたしの性にあっている」と言っている。

 

正直ものが、頑固者ならいいじゃないかと思う

 

*「いい子にならない」が信条です

自分の行動に正当性をもたせている自信はあったから、他人の思惑など気にしたことがない。

「他人にいい子と思われなくても平気という強さがあればできることである。

 

わたしも、子供の頃から、いい子でいた。、本当に「いい子」で生きることは、生き方の問題として、自分の人生を考えるとき、いい子でいるよりも、悪い子のほうが、いいと思う。

著者はこうも言っている。

意志を強く持って人に流されず、我がままいっぱいに自分の人生を楽しみたいと思うのだ。

 

私の考えだと、正直でいることはいい子ではいられない。

 

著者のこの信条は、とても強い心がないと。

 

*死ぬのも順番

順番と思えば割り切れる。

それまでは、人生を楽しむのみである。

 

 第一章はここまでです。

 

読んでいると、本当に気持ちがいい。

若い人にも、今悩みがある人にも、読んでほしいと思う。

 

心不全らしい利用者の時間外受診で思うこと

心不全を起こしている利用者を、受診させる。

 

利尿剤が倍の量になっている利用者。何日間は、薬効がなく自尿が増えず。

 

その後、利尿剤の効果があり自尿が増えて、体重も減少。浮腫も改善。

 

しかし、in、outのバランスがくずれ、outが多くなる。それに伴い、嘔吐、下肢チアノーゼ出現。

 

胸水の診断だったが、両胸の雑音がひどい。体動時、脈の変動が激しい。血圧の変動も。

 

なのに、ここの看護師、全然、観察をしない。聴診もしないし、血圧の変動も動かしたからという原因があるからという。

 

チアノーゼの出現したころからやばい状態と心配していたのだが。対応をしない。

 

医者が、先週の金曜日に診察に来ているのだが、この医者、脳神経内科医だそうで、今の状態の指示はなかったの?と担当看護師に、尋ねたら「チアノーゼは、自律神経のせいだからと言っていた」

 

なるほど、要するに、専門外と言うことね。

 

この利用者、もともと、心臓の持病持ち。

 

胸水も、心臓が悪いために出現しているわけで、このままにして置いたら、だんだんと悪くなり、亡くなってしまうと思うのだが。

 

心不全は、悪化と改善を繰り返しながら、進行していく。

 

悪化した時に早めに、適切な治療を受けることができれば、よいのだが。

 

高齢者と言うことで、治療の必要性がないと言うことが多いのだろうか。

 

この利用者も、循環器にかかっていたのだが、施設を利用すると言うことで、同じ病院なのに、循環器へはかからず、施設担当の藪医者(失礼)に変わっている。

 

施設に入ると、よくわからないが、特養は治療が必要ないという考えがあるのだろうか?

 

さて、このユニットの担当看護師は、50代のブランクがあり自信のない看護師。

 

夕食時に、介助にケアマネが、行かれると言うことで、私も、看護師も一緒に、訪室した。

 

「起こしたほうがいいですか。」

 

「えっ、起こすの?体調悪いし、心不全を起こしているのじゃないの?本人、しんどうそうじゃない?心臓の持病があるし、昼も、嘔吐したのでしょう。胸の病気が悪いときは、安静じゃないかな。

まして、ここは、病院じゃないから、リスクになることはしないほうがいいんじゃない。居室でいいよ。」

 

「顔が紅潮しているのに、下肢にはチアノーゼか。ちょっと、食べただけで、脈が、157って。咀嚼することさえ、きついってこと。

それにしても、口喝もひどいね。脱水を、起こしているのかしらね。心不全の悪化か脱水をか。わからないけど、両方かな。お手上げだわ。

心不全なら、水分の過剰摂取はやばいし、脱水なら、水分が必要だし。今は、in、outのバランスがくずれているから。勝手な判断ができないな。何かあったら怖い。

さっき、ケアマネから聞いたけど。

水分を行きなさいって、Hさん、Iさんと話をして指示しているのよね。それって、どのくらいまでの目安?Outの分だけ。食事の時に、一度に400の水分って、利用者に負担にならないの

 

脱水おこしているときだって、輸液で時間をかけて、いくけど。400を短時間で行くって、500の輸液を、5分から10分でいくってこと?体が、調子が悪いのに、問題ないの?

 

身体に負担のかかる、介助の指示はどうかと思うのだけど。食べるのでさえ、バイタルに変動があるよ。」

 

この利用者、めったにしんどいと言うことがない、

 

利用者に、今、一番しんどいところはどこと尋ねる。

胸を抑えて、胸という。左右、どちらかと尋ねると、左。

 

担当ナースに、「やばいと思うよ。左って。前回受診したときは、胸水かもしれないと言ったよね。胸水だったじゃない。

 

今日、聴診したとき、雑音がありちょっとやばいかなと思ったのだけど、この間の時は、息切れはしていなかったよね。今は、肩で息をしているし、不整脈バリバリだし、むくみは利尿剤で、改善しているけれども、水分が出すぎてのむくみなしで、他の症状が出現しているのはどうかなと思う。

 

高齢者と言うことで、治療がもう必要がないのならよいけれども、このまま何かあった場合、家族にどう説明するの。受診して、治療は必要がないと言われれば、こちらも看取りとして、看護、介護、をすればよいわけだけど。

 

私たちは看護師だから、治すための看護をするわけで、治療が必要ないと言われるまでは、最大限の努力をするべきじゃないかな。」

 

Hさん、動きました。

 

家族に連絡をし、病院への手配。施設長に連絡。

私の勤務時間の間に、オンコールのナースが呼び出され、受診しました。

 

Hさんに「残業になっちゃたね。ごめんね。でも、治療の必要性がないか、どうするかの指示があれば、違うし、一度受診をしてい置けば、安心だから。家族にも説明ができるから」

「大丈夫ですよ。しっかりと残業だいいただきますから。」とニッコされる。

 

今日の受診がわりとスムーズだったのは、ケアマネが施設長に、Oさんの状態が悪いから、何とかしてほしいと話をしていたことを聞いていた。

 

施設長からは、看護師がちゃんと見ているし、報告も上がっているといわれたらしい。

 

ケアマネは、その看護師が見ていると言うことが、全然なのにと思いがあったので、私に相談をしてきた。

 

私は、Hさんは、きっと話せば動くのではないかと思って、同じように、危機感を持ってくれての、受診になりました。

 

明日でもよかったのだけれど、H看護師は、明日は休みだから。

 

夕方の受診はきっと明日の受診だとI看護師に、反対されると思ってのことかなと邪推してしまった私がいます。

 

 

夜遅くに、病院受診から帰ってきましたと。ラインがありました。

 

輸液をし脈が落ち着いたと、帰って良いと言われていたら、また速脈。

 

結局は、落ち着いたと帰されたようです。

 

治療も診断も本当にいい加減。

 

治療する必要がないという判断なのだろうか。

 

 

関係がなくなりますが、施設は、しっかりとした内科の病院と関係のあるところに入りたいですね。

 

 

 

衰弱死させる気ですか。介護施設の闇だよね。怖い話。

看護師の仕事をやめる本当の理由は、犯罪の共犯になりたくないから。

 

どこに相談したら、いいのかわからないからやめます。

 

怖いです。

 

職場で、起こっている衰弱死。

 

本当に、看護師だからといっても、ピンからキリです。

 

医療の中での闇の部分でしょうか。

 

内部告発でしょうか。

 

誰も止められない。

 

特養ホーム入所者は、「尊厳」などないのです。

 

以前、勤務していたところは、老健だったので、医者がおり、看護師も10人以上いましたから、利用者の健康管理も、看取りもしっかりとできていた。

 

特養ホームに勤務して、本当に、知識のない職員が、指導者だったり、管理者だと、入居者はその人達の考えと思いこみだけで、看取りイコール終末看取りにされる。

 

看取りって、人生の最後を、施設で迎えるということなのだけどな。

 

看取りって、同意書をもらったら、看護師から、少しくらい調子が悪くても「看取りだから」といって、済ませる。積極的な看護をしない。観察も、しない。積極的な治療はしないのは、終末看取りに入った時と治療不可能と診断されたときのはずなのだが。

 

看取りの意味も、見取りの同意をもらうことの勘違いがある。

 

ようするに、勉強不足。

 

この様な事をブログにあげると、私も何かの罪に問われるのだろうか?

 

私も思い込み、だけの看護師だろうか?

 

 

Aさん、以前から食事を食べることが嫌だった人なのですが、介助をするスッタフは、全食させようとする。

 

そのため、だんだんと、拒否することが多くなり、食事を入れても、口を閉じず、飲み込まない。時には、嘔吐する。

 

拒否が多くなったが、それでも、一日一食は全部食べれていた。

 

いつも、フロアで、椅子に座らされ、一日を過ごす。

 

そんなある日の夕方、凄く倦怠感がある様子なので、居室で夕食を食べてもらったらと指示をした。

 

この何日かの水分摂取が、少ない。軽い脱水を起こしていると判断をした。脱水を起こすと、座っているのもしんどい、居室でベット上であれば、楽な姿勢になる。夕食は、全部食べれた。

 

水分をできるだけ促して、食事は無理をせず、食べれるだけを食べてもらうように話を、介護スッタフにして、私は2日間の休みに入った。

 

3日目に、出勤したら、食事提供が中止。

 

理由は、「食べれないから、家族も、嫌がるのを無理して食べさせなくてもいいと言ったから。見取りになったから。食べるものは、食べれないから食事提供をしてもお金がかかるので、家族の人に、ゼリーを持ってきてもらうことになった。」

「治療不可能と先生からも、言われたから」

と、報告を受けた。

 

私は、はい?なにそれ。

看取りって、終末看取りってこと?

いや、いや。Aさんは、嚥下は、しっかりしている。

認知症で、思考障害があり、食事を食べてはいけないと思っているだけなのに。

 

食べれないと食べないのでは違うと思う。自我があるから、食べない。意志を持っている行為。

 

最近、特に食べるのが悪かったのは、軽い脱水症状で、身体がしんどかっただけ。

 

正確に、情報を先生に報告して、病院受診をし、輸液をしてもらえば、まだまだ元気な人なのに。

 

嚥下ができない人は、むせるし水分も飲めない。

 

固形物以外なら、嚥下ができる。第一本当に食べれないなら、家族にゼリーを持ってきてもらっても、誰が食べさせるの。

 

この、ユニット担当の看護師は、某病院で(特定の専門病院、内科経験なし、高齢者看護経験なし)師長をしていた40歳の看護師。施設は、その某病院の関係施設。

 

開設して、4年目だが、看護師が続かない。私が勤務している間に、3人辞めた。その後の、補充はない。施設看護師は、募集しても集まらない現状もある。

 

さて、この看護師の指示が、水分(ポカリスエットと同じ物)を飲めたら、エンシュアを。無理をして飲ませない、嫌がったらやめる。

 

一日の水分量はと聞けば、決めたら職員が無理に飲ませるといけないから。決めない。

 

Aさんは、午前中、夜が眠れないのか、寝ていることが多く、水分を取れるのが午後から。

 

私が午後から出勤で、見にいくと、最近は、ポカリスエットもどきを100mm飲ませているだけ。

 

胃瘻注入業務があるので、業務を済ませて、Aさんの所に。

 

話をしながら、エンシュアを飲んでもらう。

 

このエンシュアは、食べれない人に、飲んでもらう高栄養カロリー。カロリーとしては、250カロリーと250ccの水分。

 

だが、このエンシュアを、誰も飲ませない。水分も、一日300cc以下。

 

私は午後からなので、退社するまでに、エンシュアをⅠ缶は飲んでいただく。

そのほかに時間を取って、ゼリーだったり、お茶だったり。

 

本人「お腹はすくけども、食べちゃいけないの」

私は、エンシュアを薬だからと、促す。決して、無理せずとも、本人は、「ありがとう」と言って、10~15分で飲んでくれる。

 

この状態なのに、食べれないと言って、栄養を取らせず、このままでは、衰弱死。

 

今は、コロナ感染のせいで、家族が見舞いに来ない。

 

ケアマネが、介護計画書を提出したら、「食べれないから、食事を止めたという記載がないと言われた、私はAさんは、食べれないと思っていない」

 

「食事拒否があり、食事介助困難のため、食事提供が中止の指示が、看護師からはいると書けば」

 

「食べれないと書くと、誰の主観と言うことになるから。○○看護師は、Aさんに、食事介助をしないのに、一日に1食しか食べれないから、食べれないとの判断。

 

家族にも、食べるところを見てもらって、食べさせなくてもよいと言われたという。

 

家族は食べさせなくて良いと言ったわけではなく、無理に食べさせないでと言ったと思うのだが。

 

どこの世界に、親に食べ物を提供しない家族がいるだろう。

自宅なら、食べれるものを、これはどうかな、今日は食べてくれるだろかと勧める。絶対に、食事提供をやめることはない。

 

今は、介護食も色々あるので、栄養の取れる高カロリーのものもある。それらを、持ってきてもらうならわかるが。

 

自分の親なら、食べてもらう工夫をするだろう。

 

ここの看護師たちは、見取りの指針を、勉強していない。

 

見取りとは、自宅ではなく施設で、自然にその人らしい人生を終えることである。この施設で、最後を迎えると言うことである。

 

看取りの同意書は、終末看取りとは違う。

 

終末看取りは、治療不可能状態であって、それまでは、骨折及び治療ができることは病院を受診する。

 

このユニットスタッフは、看取りと終末看取りの違いも分かっていない。

 

看取りとはと聞けば、この看護師は「安楽」と言われた。

 

看取りの指針に、安楽などという言葉はない。「尊厳」これに尽きるのに。

 

この看護師は、Aさんを「安楽死」をさせようとしている。意図としているのかしていないのか。

 

とても、記録もうまくごまかし、先生や家族の言ったことを自分流に解釈し、自分の思ったこと、考えた事が正しいとして、他の人の意見は聞かない。

 

家族は、今、お見舞いに来ないのだから、状況はこの看護師の伝えることのみを、信じている。

 

私は、看護師を40年。精神科も内科、整形外科、内科外科、小児科、泌尿器科手術ナースと多種の経験がある。

 

他の利用者の浮腫がひどく、受診し、胸水出現し、先生から、利尿剤の指示が出たのだが、介護スタッフが、「尿測はどうしますか」

「利尿剤が出たから、おしっこたくさん出るから、もういいわ」などと答える。

 

はい?利尿剤が絶対に、利尿を促すとはかぎらないし、薬効が急に出て、多尿になり、脱水を起こすことや、反対に心臓に負担になることもある。

 

先生に、利尿剤が効いているかの情報報告はどうするの?

「先生、たくさん出ています」と報告するのか。

 

その指示を、聞いた介護スタッフリーダーには、尿測も体重測定も継続。明日、担当の看護師に相談してと指示。

 

夕方、先生より、尿測指示、体重測定指示あり。

 

本当に、薬効の効果も把握せず、高齢者の身体の変化は、成人あつかいではだ

めなことを、学校で習っただろう。老年看護を忘れたのか。

 

胸水出現しているのに、介護スタッフの指示。ベッド上は、少し頭を上げて。ほとんどフラット状態。

いやいや、胸水はしんどいよ。座位のほうが、楽だよ。45度からひどいときは、枕を抱えさせて、うつぶせのほうが楽。

そして、介助するときはゆっくりとを支持するべきでは。長時間の車いすに腰掛けさせるのは、足に浮腫があるので、ベッ上で、足を延ばしているほうが。車いすなら、足を挙上させて、短時間などの指示は一切ない。

 

本当に、衰弱死の共犯になりたくないし、何かあった時は、この看護師は、ごまかし自分の責任ではないとする。

 

この施設は、理事長が、全然力がなく某病院の理事長もしている(が二代目理事長要するに息子)、名前だけ。折場所もなく、窓際族。医者としての仕事をしていない。力がないのである。

そのため、奥さんが看護師なので、夫の居場所を作ったみたいな感じ。

 

施設長が、奥さんのお友達。もう、経営者としての能力も、看護師としての病院勤務がない、ペーパー看護師。そのため、医療は、思い込み激しい看護師に頼り切り。一切、現場に顔を出さない。

 

急変しても役に立たない。まるで、素人。医療技術がない。

 

現場をしたことがないので、人が足りていないことがわからない。

 

十分な介護などできていない。

 

人手不足で、介護の世界は大変だけど、こんな怖い施設には入りたくない。

 

一度役職につくと、自分の実力がわからなくなるのかな。

 

人が他人の命にかかわることを、判断するときは、慎重にならないといけない。

 

人を操作してはいけない。

 

医療の世界でというか介護現場で、何だこの看護師はと思う、看護師を以前の施設でもいた、今回の施設も。

そして、何故かその知識ゼロの看護師が師長だったり、指示する人間だったりする。

 

以前の施設は、他の職員が強いので何とかなるだろう、看護師の人数も多いので。

だけど、ここの施設は無理だろう。

 

長い物には巻かれよ暢事なかれ主義の、30代看護リーダー(某病院で40代の看護師と勤務していた。師長だったことで、物申すが言えない)

 

ブランクがありぜんぜん自信がない50代の看護師。

 

もう、40代看護師の思い通り、やりたい放題。

 

私ですか?

 

私は、40代看護師に物申すはします。現実に、辞める前に Aさんの見取りについて、やりあいましたから。

 

パートということと、腎臓病があり、正社員で努めれないので。

 

本当に、健康なら、バリバリで、「根拠を述べよ」なんていっているかな。

 

高齢者とは。

 

胸水の看護とは。

 

看取りとは。

 

尊厳とは。

 

心不全とは。

 

介護職員の方たちからは、絶対の信頼を寄せていただいていましたが、ストレスから体調が、悪くなっとこともあり、止めることにした。

 

施設長から、退職願を出した時に「何かあった?」と聞かれたけど

 

「体調が悪くて、業務をすることが難しいからです。何も、ありません」

本当はあるけれど、言ったところで何も変わらない。

 

これで、看護師からみた看護、介護現場からの話は終わり。

 

皆さん、自分の家族を施設に預けても、先生や看護師のいうことは、疑いの目で見ないといけません。

 

そして、めんどくさい家族になりましょう。めんどくさい家族の言うことは、施設は、聞いてくれます。

 

あそこの家族はめんどくさいからと、調子が悪ければすぐに、受診するし、特別扱いしますからね。

 

人質に取られているみたいな感じになる必要はないです。家だとこうしてあげたいと言うことを言えばよいのです。

 

できるだけお見舞いに、行きましょう。

 

 

「はてなブログ」解説書でできていない所チェック。ひぇ~、なんてこった、見切り発車ブログだ!

はてなブログ」解説書でできていない所チェック

 

はてなブログ Perfect GuideBook [改訂第2版]

はてなブログ Perfect GuideBook [改訂第2版]

  • 作者:JOE AOTO
  • 発売日: 2020/07/18
  • メディア: 単行本
 

 

 

までは、手始めに、本の目次通りに、チェックしながら進めていこう

 

Part1は、「はてなブログ」をはじめよう

 

ここは、できている

 

Step 1-4 複数のブログを作る

 

今は利用しない

 

Step1-5 記事のエクスポートとインポート

 

はてなブログ」のバックアップをすることは、エクスポート機能

 

他のブログからの引っ越しする場合、インポート機能

 

これはしたことがないので、やなければいけない。

 

これまでの、バックアップをするのは大変だけど、少しずつやっていこう。

 

Part2 記事を投稿する

 

 Step2-1ブログ記事を投稿しよう(OK)

 

 Step2-2 カテゴリーを指定して投稿する(OK)

 

 Step2-3 写真の投稿とアイキャッチ画像の指定

 ちょっとあやふや。特にアイキャッチは「何が」という感じ。

 

 Step2-4記事を装飾する

 全然ダメ、できていない

 

 Step2-5 記事の概要/投稿日時/URLを指定して投稿する

 

 Step2-6 YouTube /過去記事などを挿入する

 したことがない

 Step2-7 サイドバーメニューをカスタマイズする

 カスタマイズということ自体がわからない

 Step2-8 記事を編集する

 少しはしたけど、今はできていない。

 Step2-9 スマートフォンから投稿する

 あまりしない。

 

あやふやなことばかり。なんとなくやっている感じで、記事投稿じたいがわかっていない。

 

Ptep1とPtep2だけ、読んでも、穴だらけ。

f:id:compass-life:20200826090107j:plain

私の代わりに、穴ではないけれど茶々が箱に。反省顔です

 

無謀だわ、反省だわ、落ち込みだわ。

 

よくこんなので、ブログをやってみようと思ったんだろう。

 

だけど、頑張るしかないのだ。

 

60からの手習い。

 

やりたいことが、たくさんある。

 

まずは、足元からやっていこう。

 

何事も、できるところから。

 

本音は、なんか、少しだけ、半泣きかも。

 

次男坊から、お言葉が。

 

「報酬を得るを先に、したらいいと思うよ。母さん、その様子だと、アドセンスも、きちんとできていないのじゃない。広告報酬が入ってくれば、頑張れるかもよ。アドセンス通ったて言ってたでしょ。」

 

そうだなと思い、Part9に飛びました。

 

アマゾンアフィリエイトは、なんとかなりました。

 

アドセンスは、審査に合格した後、何もできていないことが判明。

 

Step2 広告ユニットを作成し広告を配置する

 できていないみたいです、頑張りま~す。

 

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はてなブログ記事、修正していきます。

2020年2月から、はてなブログを開設して、一年が過ぎました。

 

200記事を書いていますが、ただ、書くだけ。

 

有料ブログだというのに、何の飾りもない。

 

それでも、読みに来てくれて、読者になってくれる方が、いてくれる。

 

もう、本当に、感謝しかない。

 

始めは、とにかく書くことになれること。

 

雑記帳のようにかいていたら、自分のスタイルができるかなと思っていたけど。

 

甘かった。大いに反省。

 

ワードプレスに移行してみようと思ったけれど、今の状態では、ダメだと思い。

 

まずは、はてなブログを「自分らしさのある」ブログ作りに頑張って見ようと決心。

 

テキストとして、アマゾンで「はてなブログ」改訂第二版を購入した。

 

はてなブログ Perfect GuideBook [改訂第2版]

はてなブログ Perfect GuideBook [改訂第2版]

  • 作者:JOE AOTO
  • 発売日: 2020/07/18
  • メディア: 単行本
 

 

 

以前も、「はてなブログ」の本を買っているのだけれど、使い切れていない。

 

はてなブログ Perfect GuideBook

はてなブログ Perfect GuideBook

  • 作者:JOE AOTO
  • 発売日: 2016/07/22
  • メディア: 単行本
 

 

 

今までの記事を、手直し、修正して練習していこう。

 

(泣き言)

 

本を読むが、頭に入らない。

 

どこから手を付けていいのやら、不安。

 

どこまで本の通りに、できるか。

 

まずは、始めから、やってみよう。

 

 

ブログをワードプレスに移行を羽田空港サーバーにお願いしてみた結果

はてなブログからワードプレスへの移行に挑戦。

 

60歳超えての無謀な挑戦。

 

パソコンは、文章を打つだけで、何もわからない超、超、超初心者の私。

 

ブログをやってみようと決心したのが、昨年。

 

わからないままに、初心者が使いやすいと言うことで「はてなブログ」でブログ開設。

 

無謀にも、無料ではなく、最初から、有料で。

 

無料でしなかったのは、大げさに言えば、死ぬまで、止めないで続ける意思のあらわれ。

 

お金を出していたら、お金かけているのだから、もったいないと頑張れると思って。

 

余談ですが、私、もったいないという理由で、小学五年生の時に、小遣い帳の宿題で買った小遣い帳を、もったいないから使い終わるまでと、付け続けて、そのまま結婚後は、家計簿に移行。

 

その経験からも、お金をかけるほうが、一生懸命になれると信じている。

 

どぶにお金を捨てることのないように、頑張る。

 

はてなブログ」も、書くだけで、全然なのだけど、約一年書いているけど。

 

アドセンスも設定しているけど、認定はされているようだけど、これも、収益に繋がっていない。

 

ようするに、完璧に処理ができていないのかなと。

 

A8,netも登録したけど、よくわからない。

 

兎に角、全然、まったく、わからない、どうしようもい状態なのに、今回、WordPressに移行しようと決心。

 

そんな状態なのに、なぜと思われるでしょう。

 

それは、以前からやりたかったことをする為です。

 

8月末で、看護師の仕事(パート)をやめることにしました。

 

占いの仕事を、個人でやってみようと決心したからです。自宅では、紹介のみで、対面鑑定をしていますが、自宅を鑑定場所にするのは、以前からちょっと、抵抗がありました。

 

店舗を持つほどは、私の町では、ちょっと無理かなと。資金面のこともありますし。

 

ネットでビジネスはできるのじゃないかと、考えて、やってみようと。

 

それで、ビジネスなら、WordPrressのほうが、長い目で見るとよいと。

 

ブログを始めるときに、WordPrressは、初心者には難しいと、それで「はてなブログ」を選んだのです。

 

ビジネスなら、WordPrressのほうが良いと判断したためなのですが。

 

移行するにしても、自分でできるわけもなくと思ってはいたのですが、インターネットで検索していると、無料で、移行してくれるという情報がありました。

 

何日間は、考えたのですが、ダメもとでお願いしてみようと決心しました。

 

8月20日に申し込みを、しました。

 

うまく、移行できるか、もしくは、何かの原因で、申し込みはだめになるか。

 

羽田空港サーバーにお願いしました。

 

結果は次回です。

 

この記事を書いているときに、羽田空港サーバーから、メールがありました。

 

申し込みをして、すぐの対応でした。

 

私の記事URLが日本語が入っている指摘を受けて、「タイトル」から「標準」にしたことのメール返信をしたところ

 

羽田空港サーバーから、「今回の移行は辞退させていただきたい」と連絡がありました。

「超初心者ということで、移行後のトラブルを避けるため」と言うことでした。

 

ちょっとショックでしたが、ワードプレスに移行するのは、来年にしようと思います。

 

理由

 

はてなブログの有料が来年の2月までだから。

 

ワードプレスは初心者には難しいから、もっと慣れてから。

 

それにしても、60歳の頭には、呼んでもその時はわかるのだけど、時間がたつと忘れてしまう。

 

時間が、取れるようになったので、毎日が勉強と手さぐりになるけど、頑張ろうと思います。

 

今現在は、坂内学さんのyutyoubuとマナブブログで、勉強しています。

 

ブログの書き方やパソコン用語など、理解しないといけないことがいっぱい。

 

でも、ボケ防止と60からの手習いと思って、やってみよう。

 

羽田空港サーバーさんは、対応が早くて、無料で移行をしてくれるので、ワードプレスに移行を考えている方、一度私のように、申し込みをしてみるとよいですよ。

 

 

 

 

占いカウンセラー「花暢」として活動表明

決意表明です。

 

60歳で、前からやりたいことがあったのだけど、なかなか、手探りでどうしていいかわからない。

 

ですが、見えました。どうしたらいいか。

 

このはてなブログには、もう一つブログ名があります。

 

全然、ブログ記事が上がっていないのですが、今は方向性が見えたので、こちらは記事をためていこうと思います。

 

さて、何が見えたかというと、やりたいことをどのようにしたらいいかということ。

 

今日パートをしている職場に、離職願を申し入れました。

 

パート看護師をやめることで、今までのパートの時間を使うことの決心がつきました。

 

ネットワークでの仕事になるので、うまくいかないのではとか、嫌な思いをするのではとか、不のことばかりを考えていました。

 

だけどよくよく考えると、なくすものはないし、始めなければ何も結果も出ないし、行動しようと。

 

このブログ発信も、電話占い師をしていて、たくさんの悩みのある人がいて、幸せになってほしい、元気になってくれたり気づきになったらいいなとおもっていました。

 

でも、いつの間にか、私の職場の愚痴になってしまっているのに気づきました。

 

還暦過ぎた人間でも悩むよという発信でもよいかと思っていたのですが、見てくれている人が、ポジティブになるだろうかと考えると、「ダメじゃん」と。

 

そして、自分を公開することや、自分のことを話すのが苦手で、孤独でも強い(自分で思っている)人は、死ぬときは一人。

 

他人に、理解を求めてもダメだと思っているので、自分を守るためには、一人が一番。

 

一人ぽっちは楽しいよと考えています。

 

だけど、世の中には、一人ではダメな人、自分で自分を大切にできない人、他人の評価の中でしか生きられない人がいます。

 

なのに、他人に助けを求められない優しい人たちが。

 

必要以上に、自分の弱さをかくして、頑張っている人、そんな人を、電話鑑定の仕事で、かかわりました。

 

正直なところ、占いで結果だけを出すのであれば、5分もあれば占うことができます。イエスかノーだけでは、悩みは解決しない人が、たくさんのお金を使い、占いジプシーになって、ひどい人は、破産してしまう人もいます。。

 

お金が払えず、裁判になったりします。

 

占いは、答えを出してくれる手がかりになります。だけど、その時に、受け止めて人生を変えることができない人の多い事。自分の求める答えを、何人もの占い師に見てもらう人が。

 

当時、電話占い師のお客さんは、私の鑑定を受けるためには、一時間話をすると、15000円以上払わなければいけなかったです。私より鑑定料金の高い占い師もいました。

 

何で悩みがあるのに、高いお金を出し悩みの解決にならないのだろうと。

 

それどころかどんどん深みにはまっていきます。

 

私は、私を気にいってくれて何度も鑑定に来られる人の鑑定料金が気になり、だんだんとシフトに入れなくなりました。

 

会社からは、目標金額を設定され、シフトに入ってくださいと言われる。私の鑑定依頼の方は、占いというよりも、カウンセラー要素が高く、癒しだったり、頑張れるための言葉だったり、心のケアを求めている人が多かったです。

 

月に何万も払って、自宅鑑定だと一時間5000円で済む。一回の電話鑑定料金で、対面鑑定なら3回分。30分なら、3000円。月に6回鑑定に来れます。

 

月に、3回~6回くれば少しは、前に行けるし、心のケアにもなります。

 

そんなこんなで、電話鑑定師は辞めました。

 

それから、そんな人たちが、気軽に自分で心のケアができる方法はないかと、考えていました。

 

私の鑑定方法は、今の自分を知り、解決の答えを見つけること、占いは当てるものではなく、占いの答えを変えること、外すことだと考えています。

 

今、占った時点で、未来が悪いと出たなら悪い未来にならないように、当たらない方向に、舵を切る、行動する。良い未来が出るなら、本当にその良い結果になるように、努力することだと思います。

 

占いは、自分への投資だと考えて、依存しないようにしていくことも大切です。

 

自分の見えない部分を、気づかせてくれる道具です。

 

このブログで、占いカウンセラー「花暢」として、活動していこうと思います。

 

対面鑑定同じ鑑定料金で、電話占いカウンセラーを、考えています。

 

実際には、今現在、長い付き合いの鑑定者の方は、スカイプで電話鑑定をしています。

 

電話鑑定会社は辞めましたが、看護師をしながら、直接の電話鑑定は、自分の体調も考え無理せずにやってきました。

 

自分のなかで、個人でする電話鑑定は怖い気もしていますし、嫌な思いもするのだはないかと思っています。

 

だけど、元来お節介で、困っている人を放っておけない性格だし、今まで歩いてきた自分の人生は、幸せだし、人は強くなれると思っていますから、そのお手伝いをしたいと。

 

今日の記事は、決意表明です。

 

頑張ってみます。

ブラック企業と気づいたらやめる準備をしよう

ブラック企業は色々あるけれど。

 

管理者が、一番に定時で帰る職場は、ブラックだと思う。

 

現在勤務している施設は、ブラックだと思う。

 

管理者もすべて、雇われだけど、施設長はこの福祉団体の理事も兼任。

 

先日、午後2時に事務と施設長が、喫茶ルームのコーヒ取りに来て(無料のコーヒサイフォンがある)の会話を聞いて唖然とした。

施設長「私、グループ施設がこんなに、ゆったりとしていると思わなかった。初めてだから、大変だと思っていたから。」

 

事務員「ですね。忙しいの請求を出す時期だけだから。私も、40歳すぎたらあくせくしたくなかったから、勤務できてよかったわ」

 

はぁ~、何言ってんの?介護スタッフは、休憩も満足に取れず、トイレに行くのも気を使い、仕事に励んでいるのに。こいついらって。

 

録音しておいて、職員全員に聞かせたいわ。

 

介護リーダーは、毎日残業。夜勤明けも休みの日も、カンファレスや行事の準備でサービス残業当たり前。

 

以前の施設長も、看護師、ケアマネジャーの資格も持っていた。利用者に何かあれば率先して動き、看護業務もしていた。事務所で座っていることなどなかった。昼休憩もなくて、会議だったり、じっとしていることなんてなかった。

 

困った時は、すぐに対応してくれていた。

 

言い方が悪いと思うけど、ここの看護師はデスクワークしかしていないのに、訳の分からない残業をしている。そのためか、体質なのか、皆さんブクブクとお育ち体系。みっともないなぁと思う、自己管理ができていない看護師なんて、看護してもらいたくない。(あ~あ、また毒を吐いてしまった)

 

デスクワークは何をしているのかと思ったら、業務日誌をさかのぼって、看護記録を書いている。それって、自分がかかわってなくても、書いてあることに創造とこうであったろうと嘘を書いているのだよね。

私たち看護師は、記録は正確にその日のことはその日の看護記録としないといけないのではなかったかな。

あとで書くのは、改ざんというやってはいけない行為じゃなかったかな。それとも施設ではよいのかな?そんなわけないと思うけど。

ここの施設は、管理者や看護師が施設経験がない人ばかりで、記録物などの管理がゼロ状態のところに、病院で師長をしていた看護師が、牛耳っており、この看護師の事務能力のなさに感心する。

 

カルテというものがあるのだけれど、今現在の情報がない。入居者の入所した情報が、色々なところにある。どこを見たら今の状況がわかるのだろうと思う。

 

日常のことが知りたければ、介護スタッフが記録しているものを見なければいけないし、入所した時の情報は、別のカルテを見る。

 

初めて勤務した時に、入所者の情報はと尋ねたら、カルテがそれぞれのユニットにあると言われたが、全然、薬の変更も、現在の情報もない。知りたいことが何も記載されていない。

 

だから、毎日、私が出勤してきたら、看護記録作成をやっている。それでも記録物としての機能が果たされていない。知りたい情報が、その日のうちに書かれていないから。

 

以前、具合の悪い人の記録を記入したことがあるのだが、注意を受けた、それ以前の記録ができていないからと。それ以来、記録は直接ではなく、業務日報に記入することにした。

 

自分の中で、どうしても納得のいかに事なので、ここは早くやめようと思う。

 

定年退職後に、パートくらいならと思ったけれど、ブラックもブラック。嘘だらけの管理者と看護師が自分の好きなようにしている企業だ。

 

直接かかわっている介護スタッフの思いは聞かず、上から目線で指示を出し、助けることはせず、できていなければ攻める。

 

施設長は、楽でいいわと現場がどんなに、頑張っているのかを見ない。

 

お前もやれよと言いたい、馬鹿が。

 

ここは、母体の病院が大きく、市では、あそこの管理施設だから、良いところと鳴り物入りで、4年前にオープンした。三年もたてば、評判はできてくる。

 

良い評判であれば、職員がどんどん入ってくるが、私が勤務して、看護師は誰も来ないし、介護スタッフはどんどんやめていく。補充ができていない。

 

退職したスッタフが、辞めてしまえば「あそこは、、、、」となる。

 

看護師の評判はすこぶる悪いし、介護の業務が激務、事故が起きても責任を擦り付けられ、会社は知らん顔ということを耳にした。

 

それも私の隣の方が、介護士で勤務しているところに、来られた元うちの介護スタッフから話を聞いたと。

 

人の口に戸は建てられないと言うことだ。

 

私の町は、介護施設が多い、介護スタッフの取り合い状態で、どこも人手が足りない。新しくできたところに人は流れる。

 

ブラック企業だと気付かないのであれば、そのうちつぶれるだろう。

 

介護する人が集まらなければ、入居者はよそでは取ってくれない人が来る。入居者全体の2~3人なら、何とかなるが。、それ以上なら、スタッフは逃げるだろう。質の悪いスタッフが残り、業績は伸びない。母体の業績にも影響するのではないかと思う。

 

まあ、ここの施設長が、経営者の奥さんの看護師友人から理事兼施設長なのだから。お友達ごっこでは、経営は、傾く。

 

私は、若いころ母体の病院で看護師をしていたので、最後は関係施設で恩返しの気持ちで就職したが、ここはだめだわ。

 

施設を見ている医者も、馬鹿だし。胃瘻造設すれば、感染を起こして、腸内感染で下痢、嘔吐、発熱は当たり前、内科の先生がしっかりしていないのだろう。

 

内科専門ではない病院なので、仕方がないといえばそれまでだが、医者としてもっと高齢者とはを勉強しろよと思う。

 

私は、パートだから、時間外の業務はしないとはっきり言っているので、よほどのことがない限り残業はしない。

 

ブラック企業で働く場合は、いつやめてもよい覚悟とやめさせられたもよい気持ちで、言いたいことは言わないと、自分の資格も、ライフスタイルも守れない。

 

ブラック企業と気づいたら、辞める準備をしよう。

 

介護スタッフなら、今はどこでも喉から手が出るほど欲しいのだから。

 

同じ職員で嫌な人がいる場合は、自分が若ければその人のほうが先に、定年が来る。

心のメンテが大丈夫なら、長い職員は強い立場に立つことができるようになる。

それまで頑張れるなら頑張るのもいいかもしれない。

これは、管理経営がいいところで、介護者の質は落ちるがその人間さえいなくなればということのみの話。

 

管理者が、お日さん、西、西のようなところは、管理者が変わるのは無理だから、考えたほうが良いと思う。

大好きな「タイピー日記」動画

私の毎日の楽しみは、タイピー日記というユウチュバー動画を見ること。

 


子猫の事がどうしても気になってしまうワンコ。

とても、癒される動画です。

 

若い方なのに、自然体で動画を、発信してくださっています。

 

ぶりちゃんというワンコ、りんちゃんというにゃんこ、最近家族になったにゃんこのでんちゃん、そして、実家におられるラルフというワンコ。

 

後、釣りだったり山菜取りだったり、家庭菜園だったり、望んでもこの年では、もうできない生活を、うらやましいと思いつつ、毎日楽しみで見ています。

 


釣れた大型ヒラメを捌いてみんなで晩ごはんにしてみた。

ユウチュバーの動画を見ていると、見なくなる動画がたくさんありますが、「タイピー日記」は、見れば見るほど、次の発信を楽しみにしています。

 

うちにも保護猫がいるのですが、初めての猫飼いです。この子のおかげで、猫の動画を見るようになって、タイピー日記に、縁があったのです。

 

この方の動画を見ていると、こんなに他人を癒す動画を作れるのってすごいなぁと思っています。

 

私も、老いを楽しむ今までの生きてきた知恵とか、失敗とか楽しく発信したいと思っているのに、全然できていないことに気づくのです。

 

特に、老いを語る時は、今の仕事から感じたことを発信するのだけど、悪いところや、怖いところばかりの発信になります。これって、役に立つ発信なのかなと、最近思っています。

 

現場で感じることは、高齢者の闇だと思います。発信していかないと改善はないのかと思っています。

 

何も言わなければ変えることも変わることもないのかなと信じて、読んでくれる人が少しでも自分の老後を考えて、早めに、考えてくれればいいかなと思います。

 

タイピー日記のように、癒しは少ないけれど、誰かのために、私の人生の話が役に立つと信じて、思うこと感じることを発信していこうと思います。

 

タイピー日記」興味のある方は、見にいってください。きっと、ファンになると思いますよ。

元夫や友人が亡くなり、思うこと

先日友人が亡くなったことを知り、5日には元夫が亡くなったことで、母のことや父のことを考えて、自分のかかわった人が亡くなったことで、自分の人生を考える。

 

父は私が、30歳前に亡くなった。母は、私が45歳ころに亡くなった。二人とも、肝臓の病気。

 

両親が、亡くなった時も今もですが、泣いていない。悲しいとか全然ない。

 

子供の頃から、私自身、親孝行な子供だったし、他人からも、いい子と言われていた。実際に、早く大人になって、親を楽にしてあげたいと考えていた。

 

暴力をふるう人達ではなかったけれど、祖母がずっと私たちの幼少時代は、そばにいてくれたので、母は何も世話をしていない人なので、子育ての苦労はない人。母が、私たち家族だけで、暮らし始めたのは、祖父が亡くなってからだから。私たちはもう、自分のことは自分でできる年だったし、弟の世話は私がしていたし家のことも私がしていた。

 

しかし、自分が大人になって行く過程で、自分の親はネぐレストだと。

自分の人生を、好き勝手に生きている人達だと。親としての責任や義務を考えて、子供を育てると思っていなかった。それこそできたから生んだみたいな。私たちが大人になれたのは、運が良かったと思う。

 

母は、「お母さんのような生き方ができたら幸せだね」と嫌味か本当にそう思っていったのかわからないが、ある会社の専務に言われたことがある。

 

自分のしたい事、まるで子供のように、自分の感情のまま、他人のことは考えていない。本人も言っていたが、したいことをして、おいしいものを食べて、その日が楽しかったらいいと。

 

子供が食事を食べていなくても関係がない人。

忘れませんもの。母のアパートに行った時に、冷蔵庫の中がパンパンに色々なものが入っていた時に、「お母さん、こんなにいっぺんに買ったら、食べれるの?」「給料が入っても、こんな使い方したら、次の給料まで持つの?」

「いいの、私お金のある時においしものを食べて、あとはがまんできるから。おいしいもの今までもいっぱい食べてきたから。」

この時に、ああこの人は、子供たちが食べれないで日もひもじい思いをしていたことなど気にしていない、自分が良ければいいのだと。

子供の頃にひもじい思いをして、学校で意識が亡くなったり、姉弟と、何も食べずに、父が帰ってき、おにぎりを、自分の行きつけの小料理屋から持って帰ってきてくれた、とてもおいしかったこと。そんなことは、この人の中には全然ない。

 

母に人生は、自己快楽が中心。それがわかった時に、母に対する感情は、母の人生だから好きに生きればいいと思った。

 

妹たちを養子に出した時点で、もう何も感じないと言っていた。母性本能がない人だとおもった。

母が亡くなった時に叔父が来てくれたのだけれど、叔父にお礼を言ったら「いいんだよ、死に顔を見たかっただけだから。おいちゃんは、カー子ちゃんのお母さん、姉ちゃんに対しては、姉弟の感情はないんだよ。子供の頃に階段から、突き落とされて死ぬ思いをしたからね。それからは、全然、姉と思ったことがない。」

 

なんとなく、子供の頃のおいちゃんの母との関係が、なんというか違和感があった。もう一人いる弟とは、普通に仲が良かったから。

元々、おいちゃんはしゃべらない人だったけど、私には優しい人だったし、穏やかな人だったから、母に対しての感情はわからなかった。

その日は、私の家に泊まってもらったのですが、ずっと朝まで飲んでにこにこしていました。この時に、血がつながているからこそ憎しみも強いのかと思った。

そして、大人になった私だから、母なら、気に入らなければ、そのくらいはしただろうと思う。

 

考えられない行動をしていましたから。姉と喧嘩をして、車が動かしているのにそのタイヤの下に、足を入れて、病院に行き姉は、その治療費や世話をする。

 

付き合っていた男性と喧嘩をして、車を廃車にしないといけないまでぼこぼこに壊す。

 

付き合っていた人と別れ話になり、自分の腹を刺す。

 

父と喧嘩をして、自分の頭を椅子で殴って、血だらけになる。

 

興奮すると、手が付けられない。狂気ですね。

 

とても魅力的で、男性にもてていた。華やかなことや楽しいことが好きだったので、ホステスの仕事は向いていたと思う。踊って、酒を飲み、おいしいものを食べ男に媚を売り、お金になるのですから。

 

父と結婚はしていましたが、浮気も平気でしたね。父が出稼ぎに行っているときに、朝起きたら、二階に男の人がいたことがある。私はそのころ小学3年生だったから、まだ何かわからなかったのだけれど少しして、母が浮気をしていたと理解できた。その時の朝の食事は、今までにと言うか、本来子供たちに食事を作る人ではなかったので、びっくりした。喫茶店のモーニングのようだった。男には、いいところを見せるのだと思った。

 

母のことは、大人になり私自身が結婚して子供ができたときに思った、母は、ずっと「女」の人生を送っている人だなと。「母親」「人」としての人生は送っていない人だと。

 

私は母子家庭をしていたのですが、交通事故で入院した時に、友人がお見舞い金を母に、渡したと言ったので「えっ」と思った。

その友人とは、とても信頼していたので、金額を聞いて、あとでそれなりのお返しはした。

母は、そのお見舞金を、ねこばば。予想はついていたのですが。

母は、お金に対して娘のものであろうが、関係ない、手癖が悪い。盗癖癖がある。

祖母や叔母からも、のちに聞いたことがある。妹のお金だろうが、いとこのお金だろうが、娘のお金だろうが関係がない。

たちが悪いのは、疑われても絶対に、自分ではないと開き直る。身内のお金を取るから、警察に突き出されることもないので、どうしようもない。

 

もう、弟の結婚式で私の財布から、平気で一万円を抜きと取った。姉に、「私の財布から一万がないのだけど」「母さんじゃない?私も、前にやられたから」

はぁ~って感じでしたね。

店をしていた時には、手伝いに来てレジに打たないで、ポケットにお金を入れたりしていました。家に遊びに来たときは、夫のズボンをかたずけるふりをして、お金を抜く。私のカバンを探す。

もう母が家に来ると、目がはなせない。

 

夫かから、レジからお金を抜いていると言われたときは、もうどうしようもないと思った。お金に、執着する。それも遊ぶお金が欲しい。まるで、成長しない子供。病気だと。祖母たちも随分困ったらしい。

 

母は、とても感じの良い人に善良な人に見える。

 

父は、夢見る人だったのかと思っているが、何事も長続きのしない人だった。優しいいひとだったし、まじめなところもあった。

この人が、母と結婚したのが運の尽きと言うこともあるかなと思っている。

出稼ぎに行っているときに浮気三昧、送ったお金は全部自分の飲食費、衣装代。帰ってきたら、全然預けたお金がない。これじゃ、仕事も家庭生活もやっていられない。

 

父は、女性にもてる人だったので、これまた浮気が多い人。仕事に関しては、いろいろしていたようだけど、うまくいかない

。良くないのは、だますつもりはないのだろうが、ホイホイと何でも気安く、受合う、できもしないのに。

 

ローンを組んで、踏み倒す。詐欺師みたい。

父のことは、余り関わりになっていないし、私自身には実害はないので、どんな父親かと言うと、母親よりましかな程度。

 

父は外ずらがいいけど、人に騙されやすいお人好しなところがあったのかと。

 

人の財布で相撲を取るみたいなところがあったから。

これまた、人の懐を当てにするみたいな。

 

晩年は、弟のために家を建てようと頑張ったけど、どいうことかわからないけど、建てた家には住めず、その土地を貸してくれた人のものになった。

これはかわいそうだった。このときの、父は嬉しそうだった。息子に何かを残せることが。この家の件については、土地を貸してくれた人に騙されたと殺してやると言っていた。その後身体を壊し、亡くなった。

 

今更ながら、この両親からわたしのような人間が育ったのは神様のおかげだと思っている。

 

人様に後ろ指をさされるような人間にだけはならないと、思って大人になったので。ある意味、反面教師かもしれない。

 

両親に対しては、普通にしていれば子供にひもじい思いをさせず、育てることもできたのに、色々な普通ではない家庭環境だったことがあり、

二人とも自分の人生を自分のために生きた幸せな人生だったと思っているのでなんの感慨もない。

 

 

先日亡くなった二番目の夫のことだけど、恋愛結婚だった。

三人の子供の父親だけど、子育ては商売をしながら、一人でしていたので、この人に対しても何の感情もない。

20年近くを一緒に、暮らしたが、人間的に嫌なことだらけで、自分が若かったなと、人を好きになると、痘痕も靨。

生活をすると、何だこの人と思うことがありすぎて。しんどかったけど、後悔をすることがなく頑張った自分がいて、この人の結婚は、子供たちの母親になるためだけのものだったと思っている。

 

ここまで、ブログにして思ったけど、両親も元夫も、自分のことしか考えていない人たちだったし、私を利用するだけの人たちだったのかな。

両親は、子が親を思う気持ちを、元夫は、夫に対する愛情を。搾取されたいたと思う。親だから大切にしないといけない、夫だから大切にしないといけないと思っていたから。

 

だけど、見返りを期待しないけれど、自分が生きていくときにこれは嫌だと思うことがあれば、その人から離れたいと思うし、かかわりたくないと思う。

 

平等と言うとおかしいかもしれないけれど、片方だけがしんどいとかはおかしいと思う。特に、夫婦の場合。

親子の場合は、始めは親が与えるばかりかもしれないけれど、愛情を注がれ、育ててもらえれば、親には返せない恩を少しでも返そうとする。

 

私のように子供の頃はよい子で何でも我慢して、わがままも言わず、義務教育がすんで、家を出て親に迷惑を一度もかけず、大人になると、親になり大人の経験、責任、義務などを理解すると、親に対して、ただ私を生んでくれたこの世に送り出してくれた人という思いしかない。

 

子を持つと、親の苦労がわかると言うが、私は両親からはそんなことを感じたことはない。二人とも、羽振りのよさそうなかっこをして、子供たちが、ひもじい思いをしていることなど気にしない親だったから、反対に、親になると言うことは、自分の人生の中で、他人を思いやる心や、忍耐、など心も人間としても成長するための神様からのプレゼントだからと思える。私の親が苦労したと思わない。

 

だって、私たち子どもは(姉は少し違うかな)親に迷惑はかけていないから。

 

私の子供時代は、高度成長期で、頑張ればそこそこの生活ができた時代なのに、自分の快楽だけを、求めていたのでは、結局何も、残らない後悔をしないといけない人生になる。

 

母は最期まで男に依存し、父は家族に看取られたけれど、寂しい最期だった。

 

でも、母の人生は、私は嫌だけど、母本人は幸せだったのかもと思っている。好きなことをして、最後は自分の生活を見てくれる人がいたのだから。

 

父も、子供たちに看取られて、最後を迎えたのだから。

 

両親が亡くなるまで、かかかわったのは姉だった。

 

姉は、大変わがままで両親に、何でも聞いてもらっていたので、本人に聞いたことはないけれど、先日、姉の義母が亡くなった時に、「介護をする運命なのかな」と言っていた。

父の時も介護と言うわけではないが、最後父が転がり込んだのは、姉のところだった。

母が亡くなるまで、かかわったのも姉だった。母は、肝硬変から癌になって入院して亡くなるまで、最後までかかわったのは、姉である。

 

私は母が、退院したいと言ったときに、家に帰ってこけたら、癌が広がるから(大腿骨に癌ができていた)少しでも長生きしてほしいからとお願いしたが、聞いてもらえず、

母に「わかった、元々お母さんは好きなことをして生きてきた人だし、今も自分の人生だから好きにしたいと言うのであれば、一度もわがままも言わずお願いをしたこともない娘の願いも聞いてもらえないのなら、私はいつものようにどこかで元気にしていると思ってもう、会いに来ません。あなたには、関係がないことでしょうから」

それから、亡くなるまで、会いにいかなかった。

 

今も後悔をしていないし、最後まで自由な人だったなと思っている。

 

長い間、かかわり大人になる時に、教師となる人はやっぱり両親。それが、子供にどのような影響があるかと考えるなら、誰にも分らない。

 

私たち姉弟も、同じ両親に、かかわったけれど時代背景やかかわった時の両親の環境で、見ることも感じることも違う。

 

そして、自分達が親からどれだけの手をかけられ、自分たちが親に対してしてもらったかで、関係は変わる。

 

私のように義務教育後すぐ巣立ちし、学校も奨学金でいくと、姉達のように親との関係も、おのずと変わっていくのかもしれない。

 

親が亡くなって泣くのは、なんだかんだと言っても迷惑をかけたと思うからかな。

 

私はこうして両親のことや元夫のことを考えても、全然感情が動かない。元夫に対しては、「自分のことしか考えず、家族のことも父親らしいことも全然しなかった人なので、認知症になり、世話をしてくれる人もなく生活保護で、栄養失調で亡くなるなんて、しかたがない」と思っている。

 

亡くなると言うことなら、交通事故にあった子猫を助けられなかったことに、涙が止まらないし、女子高校生コンクリート事件の被害者のことを思うほうが涙が出る。無念だろうなと。親の気持ちを思うと、犯人と犯人の親を憎いとすら思う。

動物の死や、見ず知らずの人様の子供さんに対しても泣けるのに。自分にかかわった人に対してまして親のことでは泣けない。人の感情は複雑だ。

次男坊は、父親の死に対して何も感じようがないと言う。父親は、15歳の時に、いないと思っていると言う。この子の中で、父親に対して男として許せない部分があるようだ。

 

人間は、感情と言う厄介なものを持っているから複雑なのかもしれない。

 

ただ思うのは。血がつながった関係こそ憎しみと愛情ががあったりすると、残酷な気がする。

 

かわいさ余って憎さ百倍は本当だと思う、愛情が強ければ強いほど、狂気は生まれるのかもしれない。

 

血は水より濃いも、憎しみが大きく深くなるのかもしれない。

 

私の中に、自覚するほど憎しみがあるわけではないが、現世で関わりが切れたと言うことに、うまく言えないけれど、開放感を感じている。

 

亡くなったと言うことで終わったという感じなのかな。

 

人が亡くなると縁を繋ぐともいわれるけれど、その役をしない人は、神さまは、その人にどんな試練や経験を用意していたのだろうと思う。

 

この年まで生きてきて思うことは、人が人を裁くことはできないけれど、「死」というものがきっと、何らかの答えをその人に授ける気がする。

 

稀代の霊能者の長南年恵が「楽しい人生でした、ありがとう」と亡くなっているけれど、私もそう言えるように、人生を楽しんで生きていこうと思っている。