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元夫や友人が亡くなり、思うこと

先日友人が亡くなったことを知り、5日には元夫が亡くなったことで、母のことや父のことを考えて、自分のかかわった人が亡くなったことで、自分の人生を考える。

 

父は私が、30歳前に亡くなった。母は、私が45歳ころに亡くなった。二人とも、肝臓の病気。

 

両親が、亡くなった時も今もですが、泣いていない。悲しいとか全然ない。

 

子供の頃から、私自身、親孝行な子供だったし、他人からも、いい子と言われていた。実際に、早く大人になって、親を楽にしてあげたいと考えていた。

 

暴力をふるう人達ではなかったけれど、祖母がずっと私たちの幼少時代は、そばにいてくれたので、母は何も世話をしていない人なので、子育ての苦労はない人。母が、私たち家族だけで、暮らし始めたのは、祖父が亡くなってからだから。私たちはもう、自分のことは自分でできる年だったし、弟の世話は私がしていたし家のことも私がしていた。

 

しかし、自分が大人になって行く過程で、自分の親はネぐレストだと。

自分の人生を、好き勝手に生きている人達だと。親としての責任や義務を考えて、子供を育てると思っていなかった。それこそできたから生んだみたいな。私たちが大人になれたのは、運が良かったと思う。

 

母は、「お母さんのような生き方ができたら幸せだね」と嫌味か本当にそう思っていったのかわからないが、ある会社の専務に言われたことがある。

 

自分のしたい事、まるで子供のように、自分の感情のまま、他人のことは考えていない。本人も言っていたが、したいことをして、おいしいものを食べて、その日が楽しかったらいいと。

 

子供が食事を食べていなくても関係がない人。

忘れませんもの。母のアパートに行った時に、冷蔵庫の中がパンパンに色々なものが入っていた時に、「お母さん、こんなにいっぺんに買ったら、食べれるの?」「給料が入っても、こんな使い方したら、次の給料まで持つの?」

「いいの、私お金のある時においしものを食べて、あとはがまんできるから。おいしいもの今までもいっぱい食べてきたから。」

この時に、ああこの人は、子供たちが食べれないで日もひもじい思いをしていたことなど気にしていない、自分が良ければいいのだと。

子供の頃にひもじい思いをして、学校で意識が亡くなったり、姉弟と、何も食べずに、父が帰ってき、おにぎりを、自分の行きつけの小料理屋から持って帰ってきてくれた、とてもおいしかったこと。そんなことは、この人の中には全然ない。

 

母に人生は、自己快楽が中心。それがわかった時に、母に対する感情は、母の人生だから好きに生きればいいと思った。

 

妹たちを養子に出した時点で、もう何も感じないと言っていた。母性本能がない人だとおもった。

母が亡くなった時に叔父が来てくれたのだけれど、叔父にお礼を言ったら「いいんだよ、死に顔を見たかっただけだから。おいちゃんは、カー子ちゃんのお母さん、姉ちゃんに対しては、姉弟の感情はないんだよ。子供の頃に階段から、突き落とされて死ぬ思いをしたからね。それからは、全然、姉と思ったことがない。」

 

なんとなく、子供の頃のおいちゃんの母との関係が、なんというか違和感があった。もう一人いる弟とは、普通に仲が良かったから。

元々、おいちゃんはしゃべらない人だったけど、私には優しい人だったし、穏やかな人だったから、母に対しての感情はわからなかった。

その日は、私の家に泊まってもらったのですが、ずっと朝まで飲んでにこにこしていました。この時に、血がつながているからこそ憎しみも強いのかと思った。

そして、大人になった私だから、母なら、気に入らなければ、そのくらいはしただろうと思う。

 

考えられない行動をしていましたから。姉と喧嘩をして、車が動かしているのにそのタイヤの下に、足を入れて、病院に行き姉は、その治療費や世話をする。

 

付き合っていた男性と喧嘩をして、車を廃車にしないといけないまでぼこぼこに壊す。

 

付き合っていた人と別れ話になり、自分の腹を刺す。

 

父と喧嘩をして、自分の頭を椅子で殴って、血だらけになる。

 

興奮すると、手が付けられない。狂気ですね。

 

とても魅力的で、男性にもてていた。華やかなことや楽しいことが好きだったので、ホステスの仕事は向いていたと思う。踊って、酒を飲み、おいしいものを食べ男に媚を売り、お金になるのですから。

 

父と結婚はしていましたが、浮気も平気でしたね。父が出稼ぎに行っているときに、朝起きたら、二階に男の人がいたことがある。私はそのころ小学3年生だったから、まだ何かわからなかったのだけれど少しして、母が浮気をしていたと理解できた。その時の朝の食事は、今までにと言うか、本来子供たちに食事を作る人ではなかったので、びっくりした。喫茶店のモーニングのようだった。男には、いいところを見せるのだと思った。

 

母のことは、大人になり私自身が結婚して子供ができたときに思った、母は、ずっと「女」の人生を送っている人だなと。「母親」「人」としての人生は送っていない人だと。

 

私は母子家庭をしていたのですが、交通事故で入院した時に、友人がお見舞い金を母に、渡したと言ったので「えっ」と思った。

その友人とは、とても信頼していたので、金額を聞いて、あとでそれなりのお返しはした。

母は、そのお見舞金を、ねこばば。予想はついていたのですが。

母は、お金に対して娘のものであろうが、関係ない、手癖が悪い。盗癖癖がある。

祖母や叔母からも、のちに聞いたことがある。妹のお金だろうが、いとこのお金だろうが、娘のお金だろうが関係がない。

たちが悪いのは、疑われても絶対に、自分ではないと開き直る。身内のお金を取るから、警察に突き出されることもないので、どうしようもない。

 

もう、弟の結婚式で私の財布から、平気で一万円を抜きと取った。姉に、「私の財布から一万がないのだけど」「母さんじゃない?私も、前にやられたから」

はぁ~って感じでしたね。

店をしていた時には、手伝いに来てレジに打たないで、ポケットにお金を入れたりしていました。家に遊びに来たときは、夫のズボンをかたずけるふりをして、お金を抜く。私のカバンを探す。

もう母が家に来ると、目がはなせない。

 

夫かから、レジからお金を抜いていると言われたときは、もうどうしようもないと思った。お金に、執着する。それも遊ぶお金が欲しい。まるで、成長しない子供。病気だと。祖母たちも随分困ったらしい。

 

母は、とても感じの良い人に善良な人に見える。

 

父は、夢見る人だったのかと思っているが、何事も長続きのしない人だった。優しいいひとだったし、まじめなところもあった。

この人が、母と結婚したのが運の尽きと言うこともあるかなと思っている。

出稼ぎに行っているときに浮気三昧、送ったお金は全部自分の飲食費、衣装代。帰ってきたら、全然預けたお金がない。これじゃ、仕事も家庭生活もやっていられない。

 

父は、女性にもてる人だったので、これまた浮気が多い人。仕事に関しては、いろいろしていたようだけど、うまくいかない

。良くないのは、だますつもりはないのだろうが、ホイホイと何でも気安く、受合う、できもしないのに。

 

ローンを組んで、踏み倒す。詐欺師みたい。

父のことは、余り関わりになっていないし、私自身には実害はないので、どんな父親かと言うと、母親よりましかな程度。

 

父は外ずらがいいけど、人に騙されやすいお人好しなところがあったのかと。

 

人の財布で相撲を取るみたいなところがあったから。

これまた、人の懐を当てにするみたいな。

 

晩年は、弟のために家を建てようと頑張ったけど、どいうことかわからないけど、建てた家には住めず、その土地を貸してくれた人のものになった。

これはかわいそうだった。このときの、父は嬉しそうだった。息子に何かを残せることが。この家の件については、土地を貸してくれた人に騙されたと殺してやると言っていた。その後身体を壊し、亡くなった。

 

今更ながら、この両親からわたしのような人間が育ったのは神様のおかげだと思っている。

 

人様に後ろ指をさされるような人間にだけはならないと、思って大人になったので。ある意味、反面教師かもしれない。

 

両親に対しては、普通にしていれば子供にひもじい思いをさせず、育てることもできたのに、色々な普通ではない家庭環境だったことがあり、

二人とも自分の人生を自分のために生きた幸せな人生だったと思っているのでなんの感慨もない。

 

 

先日亡くなった二番目の夫のことだけど、恋愛結婚だった。

三人の子供の父親だけど、子育ては商売をしながら、一人でしていたので、この人に対しても何の感情もない。

20年近くを一緒に、暮らしたが、人間的に嫌なことだらけで、自分が若かったなと、人を好きになると、痘痕も靨。

生活をすると、何だこの人と思うことがありすぎて。しんどかったけど、後悔をすることがなく頑張った自分がいて、この人の結婚は、子供たちの母親になるためだけのものだったと思っている。

 

ここまで、ブログにして思ったけど、両親も元夫も、自分のことしか考えていない人たちだったし、私を利用するだけの人たちだったのかな。

両親は、子が親を思う気持ちを、元夫は、夫に対する愛情を。搾取されたいたと思う。親だから大切にしないといけない、夫だから大切にしないといけないと思っていたから。

 

だけど、見返りを期待しないけれど、自分が生きていくときにこれは嫌だと思うことがあれば、その人から離れたいと思うし、かかわりたくないと思う。

 

平等と言うとおかしいかもしれないけれど、片方だけがしんどいとかはおかしいと思う。特に、夫婦の場合。

親子の場合は、始めは親が与えるばかりかもしれないけれど、愛情を注がれ、育ててもらえれば、親には返せない恩を少しでも返そうとする。

 

私のように子供の頃はよい子で何でも我慢して、わがままも言わず、義務教育がすんで、家を出て親に迷惑を一度もかけず、大人になると、親になり大人の経験、責任、義務などを理解すると、親に対して、ただ私を生んでくれたこの世に送り出してくれた人という思いしかない。

 

子を持つと、親の苦労がわかると言うが、私は両親からはそんなことを感じたことはない。二人とも、羽振りのよさそうなかっこをして、子供たちが、ひもじい思いをしていることなど気にしない親だったから、反対に、親になると言うことは、自分の人生の中で、他人を思いやる心や、忍耐、など心も人間としても成長するための神様からのプレゼントだからと思える。私の親が苦労したと思わない。

 

だって、私たち子どもは(姉は少し違うかな)親に迷惑はかけていないから。

 

私の子供時代は、高度成長期で、頑張ればそこそこの生活ができた時代なのに、自分の快楽だけを、求めていたのでは、結局何も、残らない後悔をしないといけない人生になる。

 

母は最期まで男に依存し、父は家族に看取られたけれど、寂しい最期だった。

 

でも、母の人生は、私は嫌だけど、母本人は幸せだったのかもと思っている。好きなことをして、最後は自分の生活を見てくれる人がいたのだから。

 

父も、子供たちに看取られて、最後を迎えたのだから。

 

両親が亡くなるまで、かかかわったのは姉だった。

 

姉は、大変わがままで両親に、何でも聞いてもらっていたので、本人に聞いたことはないけれど、先日、姉の義母が亡くなった時に、「介護をする運命なのかな」と言っていた。

父の時も介護と言うわけではないが、最後父が転がり込んだのは、姉のところだった。

母が亡くなるまで、かかわったのも姉だった。母は、肝硬変から癌になって入院して亡くなるまで、最後までかかわったのは、姉である。

 

私は母が、退院したいと言ったときに、家に帰ってこけたら、癌が広がるから(大腿骨に癌ができていた)少しでも長生きしてほしいからとお願いしたが、聞いてもらえず、

母に「わかった、元々お母さんは好きなことをして生きてきた人だし、今も自分の人生だから好きにしたいと言うのであれば、一度もわがままも言わずお願いをしたこともない娘の願いも聞いてもらえないのなら、私はいつものようにどこかで元気にしていると思ってもう、会いに来ません。あなたには、関係がないことでしょうから」

それから、亡くなるまで、会いにいかなかった。

 

今も後悔をしていないし、最後まで自由な人だったなと思っている。

 

長い間、かかわり大人になる時に、教師となる人はやっぱり両親。それが、子供にどのような影響があるかと考えるなら、誰にも分らない。

 

私たち姉弟も、同じ両親に、かかわったけれど時代背景やかかわった時の両親の環境で、見ることも感じることも違う。

 

そして、自分達が親からどれだけの手をかけられ、自分たちが親に対してしてもらったかで、関係は変わる。

 

私のように義務教育後すぐ巣立ちし、学校も奨学金でいくと、姉達のように親との関係も、おのずと変わっていくのかもしれない。

 

親が亡くなって泣くのは、なんだかんだと言っても迷惑をかけたと思うからかな。

 

私はこうして両親のことや元夫のことを考えても、全然感情が動かない。元夫に対しては、「自分のことしか考えず、家族のことも父親らしいことも全然しなかった人なので、認知症になり、世話をしてくれる人もなく生活保護で、栄養失調で亡くなるなんて、しかたがない」と思っている。

 

亡くなると言うことなら、交通事故にあった子猫を助けられなかったことに、涙が止まらないし、女子高校生コンクリート事件の被害者のことを思うほうが涙が出る。無念だろうなと。親の気持ちを思うと、犯人と犯人の親を憎いとすら思う。

動物の死や、見ず知らずの人様の子供さんに対しても泣けるのに。自分にかかわった人に対してまして親のことでは泣けない。人の感情は複雑だ。

次男坊は、父親の死に対して何も感じようがないと言う。父親は、15歳の時に、いないと思っていると言う。この子の中で、父親に対して男として許せない部分があるようだ。

 

人間は、感情と言う厄介なものを持っているから複雑なのかもしれない。

 

ただ思うのは。血がつながった関係こそ憎しみと愛情ががあったりすると、残酷な気がする。

 

かわいさ余って憎さ百倍は本当だと思う、愛情が強ければ強いほど、狂気は生まれるのかもしれない。

 

血は水より濃いも、憎しみが大きく深くなるのかもしれない。

 

私の中に、自覚するほど憎しみがあるわけではないが、現世で関わりが切れたと言うことに、うまく言えないけれど、開放感を感じている。

 

亡くなったと言うことで終わったという感じなのかな。

 

人が亡くなると縁を繋ぐともいわれるけれど、その役をしない人は、神さまは、その人にどんな試練や経験を用意していたのだろうと思う。

 

この年まで生きてきて思うことは、人が人を裁くことはできないけれど、「死」というものがきっと、何らかの答えをその人に授ける気がする。

 

稀代の霊能者の長南年恵が「楽しい人生でした、ありがとう」と亡くなっているけれど、私もそう言えるように、人生を楽しんで生きていこうと思っている。