老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

自分らしく生きるために、人並みで普通でいいじゃないですか。

自分らしく生きることは、とても楽だと思う。

 

だけども自分らしく、人生を生きている人は少ないと思う。

 

なぜ自分らしく生きることができないのか?

 

自分のことが、自分でわからないことに尽きるのかも。

 

社会には、ルールがある。

 

人として生きるためには、他人に迷惑をかけないことは当たり前である。

 

生まれてきて、家族としての役割もきちんとし、学校生活も、他人に迷惑をかけず、社会に出ても、迷惑かけず、生きているのに。

 

自分に自信がなく、自分を好きになれず、自己評価の低い方の多い事。

 

それって、評価されない主婦の仕事のよう。

 

ごく普通に生きていることは素晴らしい!

 

誰から褒められるわけでなく、注目されるわけでなく、でも、こけないように、毎日を一生懸命、生きていることは、凄いことです。

 

普通とは、当たり前ということです。

 

朝起きて、顔を洗い、朝食を食べて、仕事もしくは学校に行き、帰って寝る。

 

当たり前に、毎日同じことを繰り返すことができる。

 

普通を続けることの幸せは、気づかない。

 

普通の親のもとで、学校に通い、社会人になり、結婚をし、子育てをし、穏やかに歳を取り、人生、終焉を迎える。

 

簡単なようで、とても難しい。

 

普通ってなんだろう?

 

ある女性が、「大学に行くことは当たり前で、私の周りの友達は、みんな行っているから。特に、親に感謝はない」と。

 

そうか、この人にとっての普通は、親が子供を学校に行かせるのは普通なのだ。

 

大学に行くのが当たり前って、思える環境に感謝はないのだ。

 

この女性は、占い鑑定お客の娘さん。

 

世の中、学校に行くということは、お金がかかる。彼女は、大学時代、バイトをするのでもなく、大学を卒業。

 

社会に出る前から、何かあると、「死ぬ」と自殺をほのめかす。

 

普通とは、その人の環境で感じ方が違うと思った。

 

恵まれた環境にいながら、親に感謝できず、親に対する不満や、友人に対する不満、仕事に対する不満。

 

何が楽しいのだろうと。

 

「楽しいことなんかない、私がこうなったのは父親のせいだ。母が、わかれなかったからだ」

 

自分の手の中にあるものに対して、当たり前になり、感謝をする気持ちも、相手を思いやる気持ちもなく、常に、自分を見ろ、私を見ろと、依存的である。

 

自分で考えることができず、考えるのは「嫌だ」「傷つく。傷つけられた」「耐えられない」の無限ループの世界だけ。

 

できないことや失敗したことなど、自分が思うようにいかないことにとらわれる。

 

人とうまくいかないだから、人を信用できない

 

会わない上司がいるだから、こんな会社にいられない

 

劣等感や自己嫌悪が、ストレスになり、鬱になり、引きこもる。

 

得意ではない」「嫌だ」「緊張してしまう」この、考えに固執し、自分を卑下する。

 

人間なんて、同じ人生を歩む人はいない。手の指紋と同じである。同じ指紋がないように、同じ人生を歩むことはない。

 

似ていても違う。

 

違って当たり前。それが、神さまから、それぞれに与えられた「個性」。

 

自分を受け入れて、まず世間でいうところの、普通をやってみよう。

 

人間は、朝起きて三食食べて夜寝ることが普通の生活。

 

ならばやってみよう。

 

普通の生活ができるか。

 

朝、起きる。これは、学校に行ったり会社に行く人なら、あたりまえ。

 

緒食を食べ、身支度をして、家を出る。

 

学校、会社で過ごし、帰宅し寝る。

 

規則正し生活を、普通の人はしている。

 

人並が普通なら、人並みをやらねばならないのに、人並みのことができていないのに、「人並以上でなければ、誰からも一目置かれるくらいでなければ」と。

 

当たり前のことができていないのに、人並みではダメだと思うようである。

 

人並、普通が一番難しいと思うのだ。

 

私は、悩む人たちに、足元を見てみようという。

 

自分の普通は何か?足元は、土台はどうだ?

 

最低限度の当たり前ができているか?

 

誰と比べての人生なのか?

 

その人と同じなら、自分は幸せなのか?

 

自分らしい人生とは?

 

自分らしくって、難しいと思う人もいるかもしれない。

私の自分らしくは、自分を傷つけるのは自分だけと思っていること。

 

そして、自分ではどうしようもないことは悩まないときめていること。

 

たとえば、自分が女であること、身長が低いこと、子供の頃家が貧乏だったことなど、自分の力ではどうしようもないことで悩んでも何の意味もないと思っている。

 

貧乏だからと、やりたいことをあきらめるということはしない。それは自分の努力でどうにでもなるから。自分が、やるかどうかだけだから。

 

やれることをあきらめて、しないのは違う。

 

欠点も長所も、裏表だと思っている。

 

ある時は、長所が欠点になったりその時の状況で、変わる。

 

だから、自分の欠点も長所も、すべて自分であると受け止めている。

 

世界で、たった一人の人間。誰も変われない私だけの人生。

 

楽しまなければ損である。

 

ならば、できることを探そう。

 

できないならいったんやめて逃げてもいいじゃないか

 

だからといって、自分を自分で攻める必要はない。卑屈になることも、他人の言葉で自分を傷つける必要もない。

 

自分にとっての当たり前が、他人に迷惑をかけていなければいいじゃないか。

 

一人立ちができているなら、いっちょ前。

 

何を悩む必要があろうか。立派なもんだ。

 

人並なみの人生は、自立すること。自分の力で生きること。

 

自分の力で生きているなら、失敗しようがそれは経験。

 

自分が成長するための、明日へのスッテプ。

 

同じことの失敗をするのは、必要だから、経験がたりないから神様からの贈り物。復習して頑張るのだ。自分の力で生きるための試練。

 

自分が考える人並み、普通でいるために、考えて行動することだ。

 

人生は、人並みで普通に生きることのほうが難しい。

 

普通でいるということは、誘惑にも負けてはいけない、一度でも、こけたらもう普通でいたいと思っても、普通でいられなくなる。

 

失敗して立ち上がることも素晴らしいと思うが、こけずに立っていることは、だれもほめてくれず、あたりまえだから、これが割と、地味で根気と努力がいるのである。

 

人並みに普通で、楽しいと思えれば、人生は楽である。それこそが自分らしくいれることかもしれない。

 

普通でも、悩みがいっぱいなのに、普通じゃなかったら、どれほどの悩みだろう。

 

普通が一番強いのだ。

 

自分らしく、生きるために、人並みで普通の人生でいいじゃないか。