老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

ブラック企業と気づいたらやめる準備をしよう

ブラック企業は色々あるけれど。

 

管理者が、一番に定時で帰る職場は、ブラックだと思う。

 

現在勤務している施設は、ブラックだと思う。

 

管理者もすべて、雇われだけど、施設長はこの福祉団体の理事も兼任。

 

先日、午後2時に事務と施設長が、喫茶ルームのコーヒ取りに来て(無料のコーヒサイフォンがある)の会話を聞いて唖然とした。

施設長「私、グループ施設がこんなに、ゆったりとしていると思わなかった。初めてだから、大変だと思っていたから。」

 

事務員「ですね。忙しいの請求を出す時期だけだから。私も、40歳すぎたらあくせくしたくなかったから、勤務できてよかったわ」

 

はぁ~、何言ってんの?介護スタッフは、休憩も満足に取れず、トイレに行くのも気を使い、仕事に励んでいるのに。こいついらって。

 

録音しておいて、職員全員に聞かせたいわ。

 

介護リーダーは、毎日残業。夜勤明けも休みの日も、カンファレスや行事の準備でサービス残業当たり前。

 

以前の施設長も、看護師、ケアマネジャーの資格も持っていた。利用者に何かあれば率先して動き、看護業務もしていた。事務所で座っていることなどなかった。昼休憩もなくて、会議だったり、じっとしていることなんてなかった。

 

困った時は、すぐに対応してくれていた。

 

言い方が悪いと思うけど、ここの看護師はデスクワークしかしていないのに、訳の分からない残業をしている。そのためか、体質なのか、皆さんブクブクとお育ち体系。みっともないなぁと思う、自己管理ができていない看護師なんて、看護してもらいたくない。(あ~あ、また毒を吐いてしまった)

 

デスクワークは何をしているのかと思ったら、業務日誌をさかのぼって、看護記録を書いている。それって、自分がかかわってなくても、書いてあることに創造とこうであったろうと嘘を書いているのだよね。

私たち看護師は、記録は正確にその日のことはその日の看護記録としないといけないのではなかったかな。

あとで書くのは、改ざんというやってはいけない行為じゃなかったかな。それとも施設ではよいのかな?そんなわけないと思うけど。

ここの施設は、管理者や看護師が施設経験がない人ばかりで、記録物などの管理がゼロ状態のところに、病院で師長をしていた看護師が、牛耳っており、この看護師の事務能力のなさに感心する。

 

カルテというものがあるのだけれど、今現在の情報がない。入居者の入所した情報が、色々なところにある。どこを見たら今の状況がわかるのだろうと思う。

 

日常のことが知りたければ、介護スタッフが記録しているものを見なければいけないし、入所した時の情報は、別のカルテを見る。

 

初めて勤務した時に、入所者の情報はと尋ねたら、カルテがそれぞれのユニットにあると言われたが、全然、薬の変更も、現在の情報もない。知りたいことが何も記載されていない。

 

だから、毎日、私が出勤してきたら、看護記録作成をやっている。それでも記録物としての機能が果たされていない。知りたい情報が、その日のうちに書かれていないから。

 

以前、具合の悪い人の記録を記入したことがあるのだが、注意を受けた、それ以前の記録ができていないからと。それ以来、記録は直接ではなく、業務日報に記入することにした。

 

自分の中で、どうしても納得のいかに事なので、ここは早くやめようと思う。

 

定年退職後に、パートくらいならと思ったけれど、ブラックもブラック。嘘だらけの管理者と看護師が自分の好きなようにしている企業だ。

 

直接かかわっている介護スタッフの思いは聞かず、上から目線で指示を出し、助けることはせず、できていなければ攻める。

 

施設長は、楽でいいわと現場がどんなに、頑張っているのかを見ない。

 

お前もやれよと言いたい、馬鹿が。

 

ここは、母体の病院が大きく、市では、あそこの管理施設だから、良いところと鳴り物入りで、4年前にオープンした。三年もたてば、評判はできてくる。

 

良い評判であれば、職員がどんどん入ってくるが、私が勤務して、看護師は誰も来ないし、介護スタッフはどんどんやめていく。補充ができていない。

 

退職したスッタフが、辞めてしまえば「あそこは、、、、」となる。

 

看護師の評判はすこぶる悪いし、介護の業務が激務、事故が起きても責任を擦り付けられ、会社は知らん顔ということを耳にした。

 

それも私の隣の方が、介護士で勤務しているところに、来られた元うちの介護スタッフから話を聞いたと。

 

人の口に戸は建てられないと言うことだ。

 

私の町は、介護施設が多い、介護スタッフの取り合い状態で、どこも人手が足りない。新しくできたところに人は流れる。

 

ブラック企業だと気付かないのであれば、そのうちつぶれるだろう。

 

介護する人が集まらなければ、入居者はよそでは取ってくれない人が来る。入居者全体の2~3人なら、何とかなるが。、それ以上なら、スタッフは逃げるだろう。質の悪いスタッフが残り、業績は伸びない。母体の業績にも影響するのではないかと思う。

 

まあ、ここの施設長が、経営者の奥さんの看護師友人から理事兼施設長なのだから。お友達ごっこでは、経営は、傾く。

 

私は、若いころ母体の病院で看護師をしていたので、最後は関係施設で恩返しの気持ちで就職したが、ここはだめだわ。

 

施設を見ている医者も、馬鹿だし。胃瘻造設すれば、感染を起こして、腸内感染で下痢、嘔吐、発熱は当たり前、内科の先生がしっかりしていないのだろう。

 

内科専門ではない病院なので、仕方がないといえばそれまでだが、医者としてもっと高齢者とはを勉強しろよと思う。

 

私は、パートだから、時間外の業務はしないとはっきり言っているので、よほどのことがない限り残業はしない。

 

ブラック企業で働く場合は、いつやめてもよい覚悟とやめさせられたもよい気持ちで、言いたいことは言わないと、自分の資格も、ライフスタイルも守れない。

 

ブラック企業と気づいたら、辞める準備をしよう。

 

介護スタッフなら、今はどこでも喉から手が出るほど欲しいのだから。

 

同じ職員で嫌な人がいる場合は、自分が若ければその人のほうが先に、定年が来る。

心のメンテが大丈夫なら、長い職員は強い立場に立つことができるようになる。

それまで頑張れるなら頑張るのもいいかもしれない。

これは、管理経営がいいところで、介護者の質は落ちるがその人間さえいなくなればということのみの話。

 

管理者が、お日さん、西、西のようなところは、管理者が変わるのは無理だから、考えたほうが良いと思う。

大好きな「タイピー日記」動画

私の毎日の楽しみは、タイピー日記というユウチュバー動画を見ること。

 


子猫の事がどうしても気になってしまうワンコ。

とても、癒される動画です。

 

若い方なのに、自然体で動画を、発信してくださっています。

 

ぶりちゃんというワンコ、りんちゃんというにゃんこ、最近家族になったにゃんこのでんちゃん、そして、実家におられるラルフというワンコ。

 

後、釣りだったり山菜取りだったり、家庭菜園だったり、望んでもこの年では、もうできない生活を、うらやましいと思いつつ、毎日楽しみで見ています。

 


釣れた大型ヒラメを捌いてみんなで晩ごはんにしてみた。

ユウチュバーの動画を見ていると、見なくなる動画がたくさんありますが、「タイピー日記」は、見れば見るほど、次の発信を楽しみにしています。

 

うちにも保護猫がいるのですが、初めての猫飼いです。この子のおかげで、猫の動画を見るようになって、タイピー日記に、縁があったのです。

 

この方の動画を見ていると、こんなに他人を癒す動画を作れるのってすごいなぁと思っています。

 

私も、老いを楽しむ今までの生きてきた知恵とか、失敗とか楽しく発信したいと思っているのに、全然できていないことに気づくのです。

 

特に、老いを語る時は、今の仕事から感じたことを発信するのだけど、悪いところや、怖いところばかりの発信になります。これって、役に立つ発信なのかなと、最近思っています。

 

現場で感じることは、高齢者の闇だと思います。発信していかないと改善はないのかと思っています。

 

何も言わなければ変えることも変わることもないのかなと信じて、読んでくれる人が少しでも自分の老後を考えて、早めに、考えてくれればいいかなと思います。

 

タイピー日記のように、癒しは少ないけれど、誰かのために、私の人生の話が役に立つと信じて、思うこと感じることを発信していこうと思います。

 

タイピー日記」興味のある方は、見にいってください。きっと、ファンになると思いますよ。

元夫や友人が亡くなり、思うこと

先日友人が亡くなったことを知り、5日には元夫が亡くなったことで、母のことや父のことを考えて、自分のかかわった人が亡くなったことで、自分の人生を考える。

 

父は私が、30歳前に亡くなった。母は、私が45歳ころに亡くなった。二人とも、肝臓の病気。

 

両親が、亡くなった時も今もですが、泣いていない。悲しいとか全然ない。

 

子供の頃から、私自身、親孝行な子供だったし、他人からも、いい子と言われていた。実際に、早く大人になって、親を楽にしてあげたいと考えていた。

 

暴力をふるう人達ではなかったけれど、祖母がずっと私たちの幼少時代は、そばにいてくれたので、母は何も世話をしていない人なので、子育ての苦労はない人。母が、私たち家族だけで、暮らし始めたのは、祖父が亡くなってからだから。私たちはもう、自分のことは自分でできる年だったし、弟の世話は私がしていたし家のことも私がしていた。

 

しかし、自分が大人になって行く過程で、自分の親はネぐレストだと。

自分の人生を、好き勝手に生きている人達だと。親としての責任や義務を考えて、子供を育てると思っていなかった。それこそできたから生んだみたいな。私たちが大人になれたのは、運が良かったと思う。

 

母は、「お母さんのような生き方ができたら幸せだね」と嫌味か本当にそう思っていったのかわからないが、ある会社の専務に言われたことがある。

 

自分のしたい事、まるで子供のように、自分の感情のまま、他人のことは考えていない。本人も言っていたが、したいことをして、おいしいものを食べて、その日が楽しかったらいいと。

 

子供が食事を食べていなくても関係がない人。

忘れませんもの。母のアパートに行った時に、冷蔵庫の中がパンパンに色々なものが入っていた時に、「お母さん、こんなにいっぺんに買ったら、食べれるの?」「給料が入っても、こんな使い方したら、次の給料まで持つの?」

「いいの、私お金のある時においしものを食べて、あとはがまんできるから。おいしいもの今までもいっぱい食べてきたから。」

この時に、ああこの人は、子供たちが食べれないで日もひもじい思いをしていたことなど気にしていない、自分が良ければいいのだと。

子供の頃にひもじい思いをして、学校で意識が亡くなったり、姉弟と、何も食べずに、父が帰ってき、おにぎりを、自分の行きつけの小料理屋から持って帰ってきてくれた、とてもおいしかったこと。そんなことは、この人の中には全然ない。

 

母に人生は、自己快楽が中心。それがわかった時に、母に対する感情は、母の人生だから好きに生きればいいと思った。

 

妹たちを養子に出した時点で、もう何も感じないと言っていた。母性本能がない人だとおもった。

母が亡くなった時に叔父が来てくれたのだけれど、叔父にお礼を言ったら「いいんだよ、死に顔を見たかっただけだから。おいちゃんは、カー子ちゃんのお母さん、姉ちゃんに対しては、姉弟の感情はないんだよ。子供の頃に階段から、突き落とされて死ぬ思いをしたからね。それからは、全然、姉と思ったことがない。」

 

なんとなく、子供の頃のおいちゃんの母との関係が、なんというか違和感があった。もう一人いる弟とは、普通に仲が良かったから。

元々、おいちゃんはしゃべらない人だったけど、私には優しい人だったし、穏やかな人だったから、母に対しての感情はわからなかった。

その日は、私の家に泊まってもらったのですが、ずっと朝まで飲んでにこにこしていました。この時に、血がつながているからこそ憎しみも強いのかと思った。

そして、大人になった私だから、母なら、気に入らなければ、そのくらいはしただろうと思う。

 

考えられない行動をしていましたから。姉と喧嘩をして、車が動かしているのにそのタイヤの下に、足を入れて、病院に行き姉は、その治療費や世話をする。

 

付き合っていた男性と喧嘩をして、車を廃車にしないといけないまでぼこぼこに壊す。

 

付き合っていた人と別れ話になり、自分の腹を刺す。

 

父と喧嘩をして、自分の頭を椅子で殴って、血だらけになる。

 

興奮すると、手が付けられない。狂気ですね。

 

とても魅力的で、男性にもてていた。華やかなことや楽しいことが好きだったので、ホステスの仕事は向いていたと思う。踊って、酒を飲み、おいしいものを食べ男に媚を売り、お金になるのですから。

 

父と結婚はしていましたが、浮気も平気でしたね。父が出稼ぎに行っているときに、朝起きたら、二階に男の人がいたことがある。私はそのころ小学3年生だったから、まだ何かわからなかったのだけれど少しして、母が浮気をしていたと理解できた。その時の朝の食事は、今までにと言うか、本来子供たちに食事を作る人ではなかったので、びっくりした。喫茶店のモーニングのようだった。男には、いいところを見せるのだと思った。

 

母のことは、大人になり私自身が結婚して子供ができたときに思った、母は、ずっと「女」の人生を送っている人だなと。「母親」「人」としての人生は送っていない人だと。

 

私は母子家庭をしていたのですが、交通事故で入院した時に、友人がお見舞い金を母に、渡したと言ったので「えっ」と思った。

その友人とは、とても信頼していたので、金額を聞いて、あとでそれなりのお返しはした。

母は、そのお見舞金を、ねこばば。予想はついていたのですが。

母は、お金に対して娘のものであろうが、関係ない、手癖が悪い。盗癖癖がある。

祖母や叔母からも、のちに聞いたことがある。妹のお金だろうが、いとこのお金だろうが、娘のお金だろうが関係がない。

たちが悪いのは、疑われても絶対に、自分ではないと開き直る。身内のお金を取るから、警察に突き出されることもないので、どうしようもない。

 

もう、弟の結婚式で私の財布から、平気で一万円を抜きと取った。姉に、「私の財布から一万がないのだけど」「母さんじゃない?私も、前にやられたから」

はぁ~って感じでしたね。

店をしていた時には、手伝いに来てレジに打たないで、ポケットにお金を入れたりしていました。家に遊びに来たときは、夫のズボンをかたずけるふりをして、お金を抜く。私のカバンを探す。

もう母が家に来ると、目がはなせない。

 

夫かから、レジからお金を抜いていると言われたときは、もうどうしようもないと思った。お金に、執着する。それも遊ぶお金が欲しい。まるで、成長しない子供。病気だと。祖母たちも随分困ったらしい。

 

母は、とても感じの良い人に善良な人に見える。

 

父は、夢見る人だったのかと思っているが、何事も長続きのしない人だった。優しいいひとだったし、まじめなところもあった。

この人が、母と結婚したのが運の尽きと言うこともあるかなと思っている。

出稼ぎに行っているときに浮気三昧、送ったお金は全部自分の飲食費、衣装代。帰ってきたら、全然預けたお金がない。これじゃ、仕事も家庭生活もやっていられない。

 

父は、女性にもてる人だったので、これまた浮気が多い人。仕事に関しては、いろいろしていたようだけど、うまくいかない

。良くないのは、だますつもりはないのだろうが、ホイホイと何でも気安く、受合う、できもしないのに。

 

ローンを組んで、踏み倒す。詐欺師みたい。

父のことは、余り関わりになっていないし、私自身には実害はないので、どんな父親かと言うと、母親よりましかな程度。

 

父は外ずらがいいけど、人に騙されやすいお人好しなところがあったのかと。

 

人の財布で相撲を取るみたいなところがあったから。

これまた、人の懐を当てにするみたいな。

 

晩年は、弟のために家を建てようと頑張ったけど、どいうことかわからないけど、建てた家には住めず、その土地を貸してくれた人のものになった。

これはかわいそうだった。このときの、父は嬉しそうだった。息子に何かを残せることが。この家の件については、土地を貸してくれた人に騙されたと殺してやると言っていた。その後身体を壊し、亡くなった。

 

今更ながら、この両親からわたしのような人間が育ったのは神様のおかげだと思っている。

 

人様に後ろ指をさされるような人間にだけはならないと、思って大人になったので。ある意味、反面教師かもしれない。

 

両親に対しては、普通にしていれば子供にひもじい思いをさせず、育てることもできたのに、色々な普通ではない家庭環境だったことがあり、

二人とも自分の人生を自分のために生きた幸せな人生だったと思っているのでなんの感慨もない。

 

 

先日亡くなった二番目の夫のことだけど、恋愛結婚だった。

三人の子供の父親だけど、子育ては商売をしながら、一人でしていたので、この人に対しても何の感情もない。

20年近くを一緒に、暮らしたが、人間的に嫌なことだらけで、自分が若かったなと、人を好きになると、痘痕も靨。

生活をすると、何だこの人と思うことがありすぎて。しんどかったけど、後悔をすることがなく頑張った自分がいて、この人の結婚は、子供たちの母親になるためだけのものだったと思っている。

 

ここまで、ブログにして思ったけど、両親も元夫も、自分のことしか考えていない人たちだったし、私を利用するだけの人たちだったのかな。

両親は、子が親を思う気持ちを、元夫は、夫に対する愛情を。搾取されたいたと思う。親だから大切にしないといけない、夫だから大切にしないといけないと思っていたから。

 

だけど、見返りを期待しないけれど、自分が生きていくときにこれは嫌だと思うことがあれば、その人から離れたいと思うし、かかわりたくないと思う。

 

平等と言うとおかしいかもしれないけれど、片方だけがしんどいとかはおかしいと思う。特に、夫婦の場合。

親子の場合は、始めは親が与えるばかりかもしれないけれど、愛情を注がれ、育ててもらえれば、親には返せない恩を少しでも返そうとする。

 

私のように子供の頃はよい子で何でも我慢して、わがままも言わず、義務教育がすんで、家を出て親に迷惑を一度もかけず、大人になると、親になり大人の経験、責任、義務などを理解すると、親に対して、ただ私を生んでくれたこの世に送り出してくれた人という思いしかない。

 

子を持つと、親の苦労がわかると言うが、私は両親からはそんなことを感じたことはない。二人とも、羽振りのよさそうなかっこをして、子供たちが、ひもじい思いをしていることなど気にしない親だったから、反対に、親になると言うことは、自分の人生の中で、他人を思いやる心や、忍耐、など心も人間としても成長するための神様からのプレゼントだからと思える。私の親が苦労したと思わない。

 

だって、私たち子どもは(姉は少し違うかな)親に迷惑はかけていないから。

 

私の子供時代は、高度成長期で、頑張ればそこそこの生活ができた時代なのに、自分の快楽だけを、求めていたのでは、結局何も、残らない後悔をしないといけない人生になる。

 

母は最期まで男に依存し、父は家族に看取られたけれど、寂しい最期だった。

 

でも、母の人生は、私は嫌だけど、母本人は幸せだったのかもと思っている。好きなことをして、最後は自分の生活を見てくれる人がいたのだから。

 

父も、子供たちに看取られて、最後を迎えたのだから。

 

両親が亡くなるまで、かかかわったのは姉だった。

 

姉は、大変わがままで両親に、何でも聞いてもらっていたので、本人に聞いたことはないけれど、先日、姉の義母が亡くなった時に、「介護をする運命なのかな」と言っていた。

父の時も介護と言うわけではないが、最後父が転がり込んだのは、姉のところだった。

母が亡くなるまで、かかわったのも姉だった。母は、肝硬変から癌になって入院して亡くなるまで、最後までかかわったのは、姉である。

 

私は母が、退院したいと言ったときに、家に帰ってこけたら、癌が広がるから(大腿骨に癌ができていた)少しでも長生きしてほしいからとお願いしたが、聞いてもらえず、

母に「わかった、元々お母さんは好きなことをして生きてきた人だし、今も自分の人生だから好きにしたいと言うのであれば、一度もわがままも言わずお願いをしたこともない娘の願いも聞いてもらえないのなら、私はいつものようにどこかで元気にしていると思ってもう、会いに来ません。あなたには、関係がないことでしょうから」

それから、亡くなるまで、会いにいかなかった。

 

今も後悔をしていないし、最後まで自由な人だったなと思っている。

 

長い間、かかわり大人になる時に、教師となる人はやっぱり両親。それが、子供にどのような影響があるかと考えるなら、誰にも分らない。

 

私たち姉弟も、同じ両親に、かかわったけれど時代背景やかかわった時の両親の環境で、見ることも感じることも違う。

 

そして、自分達が親からどれだけの手をかけられ、自分たちが親に対してしてもらったかで、関係は変わる。

 

私のように義務教育後すぐ巣立ちし、学校も奨学金でいくと、姉達のように親との関係も、おのずと変わっていくのかもしれない。

 

親が亡くなって泣くのは、なんだかんだと言っても迷惑をかけたと思うからかな。

 

私はこうして両親のことや元夫のことを考えても、全然感情が動かない。元夫に対しては、「自分のことしか考えず、家族のことも父親らしいことも全然しなかった人なので、認知症になり、世話をしてくれる人もなく生活保護で、栄養失調で亡くなるなんて、しかたがない」と思っている。

 

亡くなると言うことなら、交通事故にあった子猫を助けられなかったことに、涙が止まらないし、女子高校生コンクリート事件の被害者のことを思うほうが涙が出る。無念だろうなと。親の気持ちを思うと、犯人と犯人の親を憎いとすら思う。

動物の死や、見ず知らずの人様の子供さんに対しても泣けるのに。自分にかかわった人に対してまして親のことでは泣けない。人の感情は複雑だ。

次男坊は、父親の死に対して何も感じようがないと言う。父親は、15歳の時に、いないと思っていると言う。この子の中で、父親に対して男として許せない部分があるようだ。

 

人間は、感情と言う厄介なものを持っているから複雑なのかもしれない。

 

ただ思うのは。血がつながった関係こそ憎しみと愛情ががあったりすると、残酷な気がする。

 

かわいさ余って憎さ百倍は本当だと思う、愛情が強ければ強いほど、狂気は生まれるのかもしれない。

 

血は水より濃いも、憎しみが大きく深くなるのかもしれない。

 

私の中に、自覚するほど憎しみがあるわけではないが、現世で関わりが切れたと言うことに、うまく言えないけれど、開放感を感じている。

 

亡くなったと言うことで終わったという感じなのかな。

 

人が亡くなると縁を繋ぐともいわれるけれど、その役をしない人は、神さまは、その人にどんな試練や経験を用意していたのだろうと思う。

 

この年まで生きてきて思うことは、人が人を裁くことはできないけれど、「死」というものがきっと、何らかの答えをその人に授ける気がする。

 

稀代の霊能者の長南年恵が「楽しい人生でした、ありがとう」と亡くなっているけれど、私もそう言えるように、人生を楽しんで生きていこうと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次男坊と今朝の電話

今朝次男坊から、電話があった。

 

昨日、ふてくされて電話を切って、母のご機嫌伺だと思う。

 

昨日のことには触れず、通勤途中なのに話をしてくる。

 

昨日のお客に、「ポジティブですねと言われたのだけれど、俺は、ポジティブかな。どっちかと言うと、ネガティブだと思う。」

 

「お客様の相手をしてそう見えるようにしているなら、褒めてもらえたと思えばいいのでは」

 

「人はいくつもの顔を持っている多重人格だと思う。場面場面で、違う自分を出していると思うけど」

 

「お母さんも、自信家だとか、強いと人とか言われるけど、実際は違う。本当に強い人なら、嫌とはっきり言えるでしょ。いやと言えないし、断れないから、他人と付きあわない。めんどくさいことを言われたくないから自分は、こういう人だと言っているだけ。」

 

「仕事なら、残業はしません。できないことはできないと言います。仕事仲間とプライベートのお付き合いはしません。」

 

「初めから、自分がしたくないことを言っている、だから、飲み会も誘われないし、プライベートなことを聞かれても、それ仕事に必要ですかと言える」

 

他人が、自分に対して評価やあなたはこんな人ねと言われれば、私の中では違うと思っても、その人の中では私はそういう人物なのねと否定も肯定もしない。

 

何人もいる他人に自分を理解してもらおうと思わないし、自分の生活や考えを説明をしてわかってもらうのは自分が愛している人間だけでいい。

 

お母さんの場合は、親、姉、妹、弟でも誤解していると思うよ。いやと言えないので、やさしいとか。

 

子供の頃は、親孝行とか姉妹や弟のことを大切の思っていたけど、成人すれば。関係ない。特に、あまりいい家族じゃなければね。

 

昔なんかで、誰かが言っていたけど、人生は舞台と一緒だから、女優になったつもりで自分が主役で,演じればいいって。

 

母も、そう思っている。自分の人生では自分が主役。自分の思う舞台を自分が決めればいい

 

自分の人生でいらないわき役は、排除すればいいだけ。

 

他人の評価も、喝さいもいらない。

 

神様が与えてくれた舞台を、自分が演出し演じるだけ。

 

何度か話をしたことがあるけど、次男坊は、強いところはあるけど優しいのかな。

 

ネガティブに、落ち込むことが多い。

 

次男坊、私が辞めればと言ったことには一切触れない。

 

それにしても弱音や自分の弱さを出せる相手がいることはよいことだと思う。

 

話すことで、前進もできるし考えることができるから。

 

次男坊から、昨日の続きで

 

「母さんは、会ったこともない人のことを、凄くはっきりと、こう思って言っているのじゃないとか、すごくだんげんできるけどなんで?」

 

「会って話をしないとわからないでしょう?」

 

「話をしたことのない人の話をどうしてそこまで言えるの?」

 

「前から思っていたのだけど、俺の話を聞いて言ってくれているのだけど、俺が相手のことをもっていっているかもしれないじゃん。」

 

「あのね、じゃ、母さんが言ったことで、はずれていることがある?その後の対応でまちがったことがある?」

 

「占い師だし、話を聞いた瞬間からその人のイメージが入ってくるのだからしょうがないでしょ」

 

「言葉と言うものは、言霊というものがあるから、その言霊を感じるわけだから、その言葉から感じるのよ。」

 

「悪意があるか、相手を思っているかとか、状況とかね。感情がね。」

 

「それに母さんは、人が話をしているときはこの人は何を言いたいのかと思って聞いているから。昔から、一つ聞いて、十個は考えを作るから」

 

「母さんがあなたから聞いた人物で(よく占いをさせられる)人物像が間違っていたことがあった?恋愛でも、助言したらその通りの行動を相手がしているでしょ。」

 

「20年以上も占い師をしているのだから。」

 

「人はそれぞれなんだから。それに、自分の性格を知ることは、成功するために必要だし、性格がわかっているから、相手が言ったことが理解できる」

 

「あなたは、まだ若いから他人の言ったことを気にする、それはある意味美徳だけど。自分が思っていること、違うことを言われたら、そんな風に見えたんだと自分の知らない自分の発見として、聞けば」

 

なんだかんだと話をして出勤していきました。

 

無理するべからず、明日は休むことにした

どうしようかと悩んだが、明日休みたいと、連絡した。

 

ここ最近、本当に体調が悪く、元々、頚椎捻挫があり(幼少の頃、バイク事故で、頚椎の4番5番がクキッと曲がっている)そのため、疲れや寝不足をすると、吐いたり、頭痛が起こったりと、めんどくさい体です。

 

先月より、起床しても、頭痛が取れず、元々、熱は低めで常に35、0台なのに、36,6から37,0ある。体が熱いし、しんどい。

 

仕事は、午後からなので、13時ころにドリンクと、痛み止めを飲んで仕事に行く。15時からの仕事だけど、痛み止めが効いてくると、冷房が効いているのに汗が噴き出る。

 

発熱があると、熱さましを飲ませると発汗が起こる状態。

 

身体もドリンクのカフェインが効くのか、しんどいのは取れる。

 

4時間の勤務がすんで帰るころには、足がパンパン。

 

最近は、やばいなぁと思いつつ、ただここ何日かは、休みの翌日の朝も、しんどいし、頭痛もする。

 

今日はさすがに、口内炎ができて唇が、腫れてしまい痛い。もうこれはやばいと思って、明日は休むことにした。

 

私の職場は休む連絡は、ラインでよいので連絡をした。

 

私は日曜日出勤をしている(オール毎週)が、この日曜日はなぜか休みだったので明日休んで、3日間休めば何とかなるかなと思い連絡をした。

 

何故か、13日まで休みをもらえたので、良かったと。

 

看護師のリーダーに、元々夏は夏バテをしやすく、体調不良を起こしやすいと言っていたためかもしれない。

 

しかし、この時期ちょっと怖い。頭の隅に、コロナ感染が。

 

倦怠感が強く,頭痛、咳、鼻水、これで、味覚障害等がでたきたらやばいね。

 

いつも、痛み止めとドリンクで対応していたことを、やめてみて、安静にして様子を見てみようと思う。

 

にしても、自分身体なのにポンコツになったもんだ。

 

何がいけないのか、原因を考えないと。

 

自分が思うよりも、パワーがなくなっているのだろうか。

 

運動不足はゆがめない気がする。

 

今はしんどいので、運動は全然できていない。

 

それにしても、先月腎臓の定期検査受診の時に、先生に、水分が取れていないと言われて、2.5ℓを毎日とっていたら、おなかと言うか、胃から腸が痛くて。腰も痛いし、この何日か辞めたら腰痛も胃部不快も痛みもなくなった。

 

水分を取らないといけないのはわかるけど、取りすぎもよくない気がする。

 

それとも、体調が悪くて、新陳代謝が悪く水分のとりすぎ状態になったのかな?

 

看護師だと言うのに、自分の身体のコントロールがうまくいかない。

 

情けないこと。

 

安静と言っても、ラジオ体操をしたりして健康的に無理のない休日を過ごすことにしよう。

 

どんなに頑張って、薬を飲んでいっても、他の人にはわからないし、誰のために無理すのかと考えてみた。

 

それにストレスがひどくなる。

 

無理しても、他人はひとごと。自分の行動は自分で責任を持たないといけない。

 

会社と、労働条件で約束をしているが、身体を壊してまで、それを守る約束をしていない。

 

社会も会社も個人を守ってくれないとまた気づいた。

 

よく忘れるのだ。まぁ、腎臓が悪いのに労働させてくれることに感謝をしていることもある。

 

他の人に迷惑をかけるのが嫌と言うのもある。

 

この年なんだから、開き直るのも大切。無理するべからずだ。

 

兎に角、薬にたよらない、腎臓を守ろう。

 

老いを感じたこと

老いると言うことを今日は、感じてしまった。

 

小学校の親友から、電話があった。

 

懐かしい。

 

要件は、小学校時代の恩師が88歳になり校長だったことで、勲章をもらうことになった。

 

この時期なので、祝電を送ろうと言うことで連絡してきてくれた。

 

祝電に名前を入れてよいかということなので、快く承諾。

 

さて、少し近況報告。

 

びっくりしたのは、親友だったもう一人の友人が、昨年亡くなったこと。

 

思わず、何でと大きい声を出してしまった。

 

家族も突然のことと言うことらしい、詳しいことは、聞けなかったと言っていた。

 

61歳、、、、、か。

 

友人とも、身近な人が亡くなる、まして子供の頃仲が良かった友人に会えないなんて、自分が生きているので、自分と同じ年の友人が亡くなるなんて、考えてもいなかった。

 

そうか、気持ちは若い時と変わっていないけど、電話で話す友人の声も変わっていないけど、老いているのだな。私たち。

 

私と彼女には、もう一人仲のよかった、親友がいる。会おうねといっていたが、いまだにかなっていない。

 

この年になると、会いたい人には会わないといけないなと。

 

コロナ感染のために会えるかわからないけれど、会える機会があれば会おうと、電話を切った。

 

友人の義父が、認知症になったと。

 

身近に、認知症の人がいないと、老いを考えることがなかったが、今すごく考えると友人は言っていた。

 

声だけを聴いていると、小学生の頃と変わらない、でも、太ったと言っていた。確かに、老いると筋肉が脂肪に変わり体重が増える。特に腰回りが。

 

この時期、会えない人たちもいるが、友人と老いを感じつつ、できる行動をしようと話をした。

 

一年一年、変わらない毎日を送っていると、年を取ると言うことは、なかなか感じない。

 

子供の結婚や孫や、人生に大きな節目でもあれば、「あ~、私も年を取った」と思うかもしれないが。

 

子供たちが社会に出ると、かかわることが少なくなり、時間はゆっくりと流れていくんだなと思った。

 

残り少ない時間を大切に、老いを感じながら楽しんで生きていこう。

 

 

 

仕事が向いていないと言う次男

向いていないと言う息子。

 

次男坊は、仕事が終わると毎日のように電話をかけてくる。

 

他の人が、聞いたら何でと思う。

 

毎日、仕事の話。

 

このこと結婚した人は大変だと思う。

 

でも、好きな人に対しては、そんなことにはならないのかな。

 

まぁ、私からは、連絡をすることはないので、彼女でもできれば、大丈夫だろう。

 

現実に、他の3人には、よほどのことがない限り、連絡はしない。

 

便りのないのは、元気な証拠という感じ。

 

さてさて、今日は、もうめんどくさくなって。

 

「向いていないと思うなら、辞めれば?」

 

「自分に合っていないとか、向いていないとか、ただ単に、仕事がしたくないだけでしょ?」

 

「だったら、自分に向いている仕事を、探してすればいいじゃない?」

 

営業の仕事なのだけれど。毎日残業があり、上司が気に入らない。

 

毎日、ああいわれた、こういったと。

 

今の仕事を始めて、半年。

 

ずっと毎日、寝るまで2時間は話を聞く。

 

次男坊の性格がわかっているので、情けないことを言っても、励ましてあげたりと、ネガティブにならないように話をする。

 

今日は、また言い始めたと。

 

仕事で気に入らないことや、うまくいかなかったら、

「向いていない」という。

 

あ~あ、、またかと。

 

長い人生で、自分が向いている仕事と思って仕事をしている人がどれだけいるか。

 

我が息子ながら、情けないやら腹が立つやら。

 

いつもは、ずっと、ポジティブになるよう話をする。

 

今日は、「もうやめたら、高校の時は自分で決めてバイトしていたのだから、自分に向いていると思う仕事すればいいじゃない。何がしたいのか知れないけど。」

 

「今までだって、仕事のことで何かを言ったことはないし、むいていないならもういいじゃない、半年働いてそう思うのでしょ。」

 

ふてくされたような声で、息子は電話を切った。

 

本当は、言ってはいけないことなんだけど、私がこんな風に言うと、投げやりになるところがある次男坊なので。

 

よいところもあるのだけれど、人に厳しく、自分に甘いところがあり、すぐに、弱音をいう。

 

そして、一番よくないのは、上司が気に入らないと、その人の悪口となり、その人の下で働き来たくなくなること。

 

30歳になると言うのに、仕事が続かない。

 

仕事が調子が良いと、こうしよう、ああしようと言っている。

 

母親だから、泣きごごとを言っているのだろうが。

 

私は、本来泣き言を言わないし、気に入らない人がいても、関係ない。プライベートで付き合うわけではないし、その時間だけの関わりだと思っているので。

 

仕事は生きていくためのもので、必要だから、向いていないとかは関係がない。

 

  • どれだけの人が自分に向いていると思って、仕事ができている人がいるだろう。

 

うまくいっていれば、天職、もしくは向いていると思うかもしれないが、どんな仕事についても、波あり山ありだと思う。

 

私は、看護師の仕事を天職とは思っていないし向いているかと言うとどうだろうと思うが、好きなのである。看護師の仕事が。

 

だから、10年のブランクがあっても、頑張って復職したし、持病をもっても、看護師の仕事をしている。

 

仕事は生きるため生活するために必要なもの。

 

次男坊は、見た目を気にする。太ったりするのは、絶対にだめ。ゆえに、お洒落である。そのため、仕事も、かっこよくないとダメ。

 

努力しているので、私の知人も兄弟も、イケメンという。

 

そのため、汚い仕事は嫌である、。作業着で仕事とか、介護士とか。

 

華やかな仕事がいいみたい。

 

スポーツインストラクターを一年ほどしていたのだけど、その仕事は気に入っているようで、本人も、ジムに行って鍛えているので、将来はその仕事をしたい様子。

 

取りたい資格があるようなのだが、お金がかかる。

 

今の仕事が調子が良いときは、お金をためて、資格を取る。マンションをリフォームする。

 

色々、やりたいことを言うのだが、目標があるのはよいことなので、「頑張り」と言うが。

 

落ち込んだり上がったりと、本当に忙しい。

 

自分の子供であるし、性格もわかっているから、なんだかんだと話は聞くが、この子は大丈夫かと思ってしまう。

 

兄は、まじめで他人にいい人と思われたいので、良い人を演じる。仕事は絶対に、休まないし、人の好き嫌いを言わない、嫌な思いをしても言わない。そのため、前の勤務先で、パワハラに会い、鬱になりかけた。そのため、今の職場に転職した。

三男も、工場勤務だが、まじめに仕事をしている。彼とも、めったに連絡を取り合わない。

 

四男も、二年前までちょっとごたごたしたが、今は転職して落ち着いている。

全然、連絡もない。

 

長男と私は職場が同じなので、たまに勤務が同じだと、話をするが基本連絡はしない。

 

なので、四人いる中で、次男坊だけは、毎日。

 

兄や弟のことを、いろいろ言うが、あなたが一番落ち着いていないのだけれどと思う母である。

 

夢があることはいいことだけれど、お金がなければできないし、生活地盤を作って自分に自信をつくらなければ、すべて夢で終わってしまうと思うけど。

 

自分の子供なので、立派ななことを成し遂げろなんて思っていない。

 

自分の人生を後悔せずに、生きてほしいと言うことだけ。

 

次男坊さん、人生は、あっという間。気が多いののはいいけど、まずは、足元からやっていかないと、自分の思う人生の終わり方ができないよ。

 

自信があるように、母が見えるのは、後悔をした人生を送っていないから。

 

いつも言っているように、いつ死んでもいいと思っているの。

 

私の人生をしっかりと歩いてきている自信があるからね。

 

兄弟の中では一番、色んな話をしてきたのだから、しっかりしなさいね。

 

一度きりの人生だから、後悔をしないのなら、今の仕事を辞めるのもよし。

 

 

施設の闇②

施設の看護師になって、通算6年目。

 

自分の老いの問題もあり、施設入所は、もしかしたら私もお世話になるかも。

 

そう思いながら、勤務しているのだが。

 

何というか、施設の闇とでもいうのでしょうか。

 

知っておいてほしいと思うことがたくさんあります。

 

こんなことを書くと、はてなブログから、何か言ってくるのかしら。

 

先日、ヤフーのニュースで、94歳の父親が、亡くなって訴えた息子さんの記事を見ました。

 

様ありなんと思います。

 

医者、看護師は高齢者は、生きなくてもよいと思っているのではないかと思ってしまいます。

 

私も看護師ですが、高齢者は、しゃべれなくても意識もあります。意思疎通ができないだけ。

 

以前の施設で、技術のない看護師が師長になると大変なおもいをした。

 

食事介助をすれば、詰まらせて呼吸が止まり、病院に緊急搬送。それを同じ利用者に二度も。

 

そして、糖尿病がありカロリー制限している胃瘻の利用者の家族が、同じ栄養パックを注入しているのだから、糖尿病加算を取るのはおかしいといわれ、先生に言って、糖尿病加算を外してもらったと。

 

私は、「何言っているの、糖尿病治療はカロリー制限が中心。糖尿食とは、1200カロリーとか1600カロリーで治療をするのであって、食べるもので

糖尿食なんてない。あるとすれば、カロリーのない砂糖などだ。○○さんは先日、体重が増えたと言って、糖尿病があるからとカロリー制限をした人でしょ。

先生も先生なら、あなたは師長のくせに、糖尿病の看護をしたことがないの。」

 

先生が、詰所に来ていることも知らずに怒鳴っていました。

 

私が、話をした瞬間、師長はあっという顔をされたけれども。ちいさなこえで、間違っていたと。

先生は、栄養士に相談すると言っていました。結果、特別糖尿病加算は取ることになったのですが。

 

この師長のおかげで、食事が中止になり、餓死した利用者がいます。私が、2日休みがあり、出勤したら、○○さんが、食事が中止になったと。

 

食べさせられないからと師長が先生に言って、家族に説明して看取り扱いの利用者だったので、そのまま、放置。

 

わかりますか。

 

技術のない看護師知識のない看護師が施設にいると権力を持つとどうなるか。

 

その利用者は、意識のしっかりした人で、言葉はしゃべりませんが、こちらの言うことには瞬きでき、私はいつも、この人の食事介助をして全食してもらっていたので。唖然としました。

 

水もなし。餓死するに決まっているじゃないですか。

 

今も、その方の私を見る目が忘れられない。ぎらぎらとまだ死にたくないと言っているような。なんで、食堂におろしてくれないのかというような。

 

この、師長と仕事をするのはごめんだわと思いました。この師長大切なことを決めるときはいつも、私が休みの時。

 

この施設の医者は、10年市会議員をして、現場から離れていた人なので、これまた、高齢者と言うものがわかっていない。私と同じ年齢でした。

 

私もブランクがあったけれど、辞めたいたときも看護の雑誌を取り寄せて、観ていました。

 

老健は、医者がいるのですが、こんな実力のない医者では、高齢者はすぐ看取り扱いになります。

 

ここの施設の師長は、正看、保健師助産師まで持っているのに、助産師すればよいのにと言えば、一人でしたことがないと言う。

 

輸液にいったら、戻ってこない、どこに行くていたんですかと言えば、抗生剤の点滴をしていたと言う。入らなかったのですか?ううん、動くから、もれたらいけないから持っていたと言う。

 

はい?今までおわるまで?いや、いや、もれない場所にさしてください。

高齢者は、輸液が入らない人が多いのだが、この師長が輸液に行くとまず帰ってこない。

 

利用者の家族にこっちのほうが入るのじゃないですかと、言われ何回もさしている。

 

輸液が入れられない、自信がないなら、他の看護師変わったもらえよ。

 

結局のところ、この施設では、私(注射うまいです)しか打てる人がいない。

 

入らなければ、まず言ってくる。

 

この師長が、責任者の日は、仕事が終わらない。先生の指示もこちらが確認しないと落とす。仕事ができないのである。病棟の仕事をしたことがないのではと思う。

 

定年退職でここはやめようと思っていたので、がまんがまんと。定年退職で辞めた。

 

馬鹿とは仕事をしたくないし,自分の仕事に責任を持てない人や、自分目線で仕事をする人はごめんだわ。個々の施設には、ろくな看護師がいなかったな。

 

家族の人に輸液をしてもらったと聞いたときはびっくりした。私たち看護師は本来は、注射はできない。先生がいると言うこと先生の指示の下でが大前提。

 

なのに、入らないからと看護師であると言う家族に打ってもらうと言うことした。

 

もう、休みから出勤して、申し送りを聞いて、その日のリーダーに、これが現実の話なら大問題。まあ、その家族も家族だけれど。

 

事務長と先生に報告しないと。

 

それから、バタバタしたのも懐かしい話。

 

本当に、看護師の仕事を勘違いしている人の多い事。

 

そんな看護師を信じて、頼りにしている家族の方、気をつけてと言いたい。

 

施設に勤務して思うことは、介護者は生活の介護なので、家だったら、自分んの親だったらと考える人が多いから、一生懸命食べてもらおうと頑張る。

 

でも、生きられる利用者を、生きられらなくしても殺人には、問われないのか。

 

安楽死のニュースが、あったけれど、あんなことしなくても、食べさせなければ、脱水と栄養補給を怠ればなくなる。

 

「入院中の父はなぜ、「病院で餓死」しなけれbならなかったか」

 

このニュースは、気の毒にと思う。いやの高齢者に対する考えが。

 

施設でも、延命治療を望むかと聞かれる、これは気をつけたほうが良い。

 

少しでも食べ亡くなったり、調子が悪くても、病院受診をしても、特養は看取りだからとすぐに返される。高熱が出て何度も、病院に行くのに、熱が下がれば、すぐである。

 

老健なら、まだ看護師も多いし医者もいる(藪医者だとしても)

 

しかし、特養は医者はいない。

 

病院は治療をするところ、しても仕方がない人は、しないのだろう。

 

悲しいことである。

 

勝手に、決めるのだから。まだ生きることができる人達なのに。

 

施設は姥捨て山、一生懸命長い間頑張ってきた人たちが若い看護師や若い先生の勝手な思いで、ひとくくり。

 

もっと高齢者の気持ちに寄り添ってほしい、自分達の家族ならとい思ってほしい。

 

勝手にその人に人生を終わらせる権利は誰にもない。

 

 

施設の闇 ①

施設で働いていると、本当に、高齢者を分かっていない看護師にあきれてしまう。

 

私は、腎臓が悪く、一般病院で働くのは無理だと思い、施設看護師。

 

うちの施設は、看護師が施設長を入れて5人。

 

でも、これが正看護師なのに、内科経験がないため、全然看護ができない。

 

リーダーも30代で、経験がないため。同じ系列からきた40代の元師長に、頭が上がらない。

 

施設長は、病院経験がなく、保健師の資格もケアマネジャーの資格も持っている50代。臨床経験がないから、看護の指示ができない。40代の看護師の言いなり。

 

もう一人、50代の看護師。このひとは、何だろう。自分に自信がないのか、とんでもないことをするし、勘違い看護師。

 

私は、4時間の午後からのパートなんだけど。

 

私が、出勤の日は。40代、50代の看護師は、ずっとデスクワーク。

 

午前中、二人で、6人の胃瘻を回り、処置等をする。

 

私は、一人で夕方の胃瘻注入に行き、食事介助をし、記録をし、処置をし薬を確認する。生活リハビリもし、爪切りも、介護スタッフから、呼ばれればすぐに行く。4時間の間、一階から三階まで休むことなく、動いている。

 

その間、看護師が見回りに来ることはない。ゆえに、介護スタッフは、私を呼ぶ。最近は、担当看護師がいるときは、担当看護師に連絡するように伝えた。

 

介護スタッフの気持ちはわからないではないが、看護師がすぐに来てくれないからすぐに来る私を呼ぶ。でも、私から担当看護師に連絡をするのは二度手間と言うことを介護スタッフに伝えた。

 

施設看護師の役割は、利用者の健康管理だが、ここの看護師は検温もしない。

 

介護スタッフが、バイタルを測り、看護師に報告。

 

ここの看護師は、看護師の仕事をしない。熱があると言えば、観察に行かないで、冷やしてだけ。

 

先日、ある利用者が、チアノーゼ、体重増加があると、私に報告。

 

利用者のところにいく。

 

体重や、チアノーゼのことは耳にしていたが、担当看護師が気にしていないので、私は、いらないことは言わないことにしていた。

 

しかし、報告があった以上、観察をして、自分の見解をスタッフに伝える。

 

担当看護師に、「胸水じゃないの。胸の音聞いた?尿はどのくらいでているの?この利用者、もともと、循環器の疾患あるよね。心不全が悪化して、亡くなる可能性あるのじゃない?」

 

50代の看護師は、利用者のところに行かないで、家族に連絡?今日病院?

 

「今日は、日曜日だよ、循環器の先生いるの?それにデーターがないと。」

 

病院と家族に連絡して、水曜日に病院受診。

 

さて、水曜日。

 

利用者は、胸水。

 

利尿剤が今内服している量の二倍に。

 

元師長の看護師から、申し送りを聞いた。

 

介護には、尿測はしなくていい、体重測定も入浴日と伝えている。

 

体位は、頭を30度にしてと。

 

私は、心の中で「えっ」

 

尿測を中止指示は、利尿剤が増えたからたくさん尿がでるからと。

 

私は、あきれて何も言えない。

 

内科や精神科は、薬がとても大切。

 

薬の効果を見るためには、利尿剤は、イン、アウトを見ないといけない。

 

まして、毎日先生がおられるところではない。一週間に一度しかこられないのに。

 

先生に聞かれたら、「はい、たくさんでました」というのだろうか?

 

この元師長の看護師は、本当に、看護師なのかと思ってしまう。

 

介護スタッフを、看護師と勘違いしているのではないかと思う。

 

あんたは、医者か。報告だけで観察にすることなく、傷があれば、iPadで写真撮っておいて。意味わからんわ。

 

基本、リーダーは30代の看護師だ。

 

介護スタッフリーダーがいたので、○○さんから、体重測定や尿測中止の指示を受けたと思うけれど、利尿剤の効果が出ないこともあるから、尿測を続けて。先生にデーターがないと説明できないから。今日は、担当看護師がいないので、明日、担当看護師にはなすから。

 

夕方、利用者が夕食のために、離床させていた。

 

ベッド上では、ほぼフラット。

 

今日、受診で疲れているだろうに顔が、土色。

 

元師長の看護師に、今日は、ベッド上の介助で、食事をさせてはどうかと、言いに言ったら、

 

「前から脈は150超えるときもあったし、ベッド上で座位が保てないし」

 

「元々、食事時間がかかる人だし、介助できる人いないし」

 

もう、めんどくさい。

 

「自分が動こうと思わないのか?病名が、胸水なんでしょ。前と違うでしょうが」

 

この人、食事介助はしないし、介護の仕事は介護と考えている。

 

以前の、施設では、食べさせにくい人は、すべて看護師だった。

 

元師長なので、上から目線で、命令するだけ。

 

今日だけと言ってるだろうがと思いつつ、戻る。

 

さて、夕方、先生から、連絡があり尿測と体重測定のしじがあったと。

 

介護リーダーに、記入表作るように指示していた。

 

おい、おい、それって看護のほうがすることじゃないのか。健康管理のために必要なことを、介護にまる投げかい。

 

万事がこの調子。

 

ここの介護スタッフは大変だと思う。

 

介護リーダーが、僕らは、看護のことがわからないので看護師を信用するしかないと言っていた。

 

胸水と分かった時点で、介護スタッフに、介護上注意することを教えてあげないといけないと思うのだが、その指示はない。

 

さて、この元師長の看護師が何の知識もない人であるとわかってからは、私は何も言わない。ことごとく、上から目線の上に、自分の思い通りでないときが済まないからだ。

 

翌日に、リーダーの看護師に、利尿剤内服で絶対に、尿が出るとは限らないこと。胸水の看護定義とは、介護士への指示がその都度変わるのはいかがなものか。

 

先生に指示をもらうと言っていた

 

それならば、介護士への指示は「先生からの、指示がないので今まで通り尿測も体重測定もしておいて、先生からの連絡で変わるかも知れないけれど、でいいのじゃないのですか?

 

看護師が、病院での検査や結果を聞かずに、指示が二転三転するのは、信頼がなくなりますよ。

 

胸水の患者の場合、安楽な姿勢は,半坐位、座位ではないかと、浮腫の強い足を、椅子に座らせると、チアノーゼが悪化しませんか?

 

胸水の看護、わかっていますか?

 

リーダー看護師も、元師長の看護師の上から目線は、問題ありと思っているのだ「上からだから」と一言。

 

○○さんは、リーダーなんだから聞かないといけないと思いますよ。

 

あの人は、自分が失敗するのはすごく嫌なので、疑問を投げかけられると、どうしようと思うようですから。

 

 

リーダーには話をしたので、これはこれで正社員が考えること。

 

資格をとっても、謙虚な気持ちで常に、勉強をしないといけないと思うし、自分が、できることをしっかりと把握しないといけない。

 

老いに入っても、正しいことや疑問に思うことを、どんどん言えれるといいのだけれど。悲しいかな、性格が見えると、経験をして、豆腐の角で頭を打たないとダメかもと思ってしまい、言うのもめんどくさい。

 

自分はまだ発展途上だとい思わない人は、最終的には人から知ったぶり、おかしいと思われる。

 

 

 

 

 

頑張ろうと思うこと嫌なこと

10日間ほど、ブログが更新できなった..

 

電話鑑定が重なったり、看護師の仕事で不満がたまっていたりとか。

 

リビングとキッチンの模様替えをしたりと。

 

精神的に、体力的に、疲れた。

 

ツイッターを、占い師名とプライベート名で、つぶやいているのだけど、

 

占い師用のツイッターは、言霊カードを使ってのつぶやき。他のことはほとんどつぶやかない。

 

先日、フォロワーしてくれている人がいたので、フォローしたら、メールが来ていた。

 

で開いたら、股を開いた写真。

 

思わず、吐きそうになった。

 

凄く不愉快。

 

滅多に、フォローしないのだけれど、話が好きと明るい感じだったので、楽しいツイッターをされているのかと思ったら。

 

出会い系の様な感じのものだった。

 

ツイッター初心者の私としては、こんな風にして出会いサイトなどに、誘導するのだなと、感心した。

 

メールで、来るものは、まず無視なのだが、ツイッターでも、誘導するのね。

 

そうでなくても、あまり他人とかかわらない私なのだが、気をつけよう。

 

毎日、ブログを書こうと思っていたのだけれど、また頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

終活は、真剣に考えよう

ちょっと、嫌な気持ちが続いている。

 

施設看護婦での悩みとジレンマのせい。

 

元々、少食の利用者が、食事拒否がひどくなった。介助で、全食していたが、最近、口に入れても飲み込まなく、開口したままで食べない。

 

それでも、一日に昼食は、全食できている。

 

先日、水分が、100ミリしか取れていなく、しかめ顔をして、ずっと座っていた。

私は、パートなので、15時出勤。

脱水を起こして、しんどいのではないかと思い、「寝かしてあげたほうが良いよ」

「夕食も、ベットで介助したほうがいいよ」

 

この利用者、以前勤めていた施設でかかわっていたので、どんな生活をしていたかわかる。

 

以前の施設では、ベットで過ごしている時間が長く、離床している時間は、食事時間と午前中と午後に一時間ほど、車いすで過ごし、わりとゆったり過ごしていた。

 

ここの施設は、本人が部屋に戻りたいと言わなければ、ずっと朝から、起こしている。

 

ちょっと問題ありかなと思ってはいた。

 

イライラする原因は、ここの看護師たち。

 

若いためか、施設看護師の経験がなく、高齢者の看護も内科の看護も経験がないためか、主力看護師が脳外科の病院で師長を、していたためか、すべて介護者任せ。

 

施設では、看護師は、健康管理が主な業務だが。

 

この看護師、バイタルもすべて介護者にさせる。

 

利用者が、水分を取れていなくても、見に行くわけでもなく、食事がとれない状況も、かかわらず、報告を聞いて、判断する。

 

さて、この利用者のことは、ベットで食べさせることで、少し食事が進むので、やってみるように、水分が少ないと、脱水を起こして、身体がしんどくなるので、訴えることをしない人なので、楽になるように、しばらく離床は、様子見てと、介護者に伝えていた。(個々のフロアの看護師の意見は聞かない。休みだったので。勝手に私が指示)

 

土曜日に、部屋で過ごされて、食事も水も飲めた。日曜日も、食事も水も飲めた。良かった。

 

火曜日に、仕事に行ったら、食事をやめる話になっている。看取りということらしい。原因は、食べないから。

 

えっ、土日食べているし、嚥下に問題がないのに。

 

月曜日に、食べなかったからと言う理由。

 

え~え~、何でそうなる。

 

一日食べないからと、それって、介護者及び看護婦の技量不足でしょ。

 

ここの看護師の判断には、あきれる。

 

ぜんぜん、観察もせず、介護者が言っている情報をうのみして。

 

介護は「手をかける」これに尽きる。

 

若いころに、看護は、さわること、観ること、かかわることと教わった。

 

高齢者になると、気分的なものもあり、食事をとらないことが多い。

 

家だと、自分の好きな時間に、食べたりできるが、施設だと時間内に食べないと食べれないとされてしまう。

 

高齢者になると、一日のうち一食でもしっかりと食べれれば、元気である。

 

もともとあまり食べなくって、ずっと運動もせず座ったままで、食事をしようと思うだろうかと考えないのか。

 

私でも、家にいて動かなければ、食事は少ししか食べない。

 

知識のない看護師や介護者に、かかわれるとこれからも元気で過ごすことのできる高齢者が、看取り扱いになる。

 

本当に怖いことだ。

 

自分が年を取った時に、わかるのだろうか?

 

でも、やっぱり経験かな。

 

高齢者とは、食事の介助とは、高齢者のかかわり方とはを、考えない看護師が、ダメだと思う。

 

それにしても、学校を卒業して、脳外科病院だけの経験では、しかたがないのかな。

 

学校で、看護とはと習ったと思うが、忘れているのかな。

 

ジレンマだわ。

 

助けること、快適な生活をさせてあげたいと思っても、食べる量を中心に、介護、看護をしていては、個人の権利、個性は、無視の状態。

 

施設は、怖い。特に、特養は、看取りが当たり前。

 

一番の原因は、死ぬまでは、次の利用者を入れることができないから。

 

空待ちが、多いので、早く亡くなる方向にと言うことかな。

 

看取りにすると、加算もとれるし、いいことだらけ?

 

施設看護師をして思うことは、高齢者のことをしっかりと勉強して、正しい判断のできる職員のいるところを、選ばなければよい終末を過ごすことはできない。

 

私も、還暦を過ぎて、老人に分類される。

 

50代、60代になったら、自分の終活は、真剣に考えよう。

お洒落は好きだけど、安上がりな私。

お洒落をする中で、全然しないのが、マニキュア。

 

なぜしないかと言うと、する習慣がないから。

 

ラーメン店の経営、看護師、消毒や手を洗うことが多い事と看護師は、爪を伸ばすことがないし、勤務規定も、マニキュアは禁止だった。

 

最近は、爪のアートとして、すごくきれいな付け爪もあるから、奇麗だなとか

 

凄いなとか思うけれど。

 

邪魔じゃないのかなとか、子育てしているときは無理じゃないのかなとか。

 

手洗いきちんとできるのかなとか。

 

デメリットばかりを考えてしまう。

 

自分の手を見て、思うことは、この手には似合わないなぁと言うのが本音。

 

白魚の様な手ならいいのだけど、指が短くて節がごつごつ。

 

でも、最近足の爪くらいなら、付けてみようかと思っている。

昔、ちょっと、つけてみたことがあるのだけれど、慣れていないことは気恥ずかしい。すぐに、取ったけれど。

 

夏に、サンダルを履いている人が、奇麗なマニキュアをしているのを見るときれだなと思う。

 

若い人が、真っ黒なマニキュアをしているのを見るけれど、あれは、少し怖いな、ホラーが好きなのかななんて思ってしまう。

 

初心者だから、爪がきれいに見える、淡いピンクなんてどうだろうか?

 

それにしても、この年になって、マニュキュアをつける余裕ができる生活になったと言うことだな。

 

年を取ると言うことは、したかったことに挑戦できる時間ができると言うことなのだ。

 

前に勤務していた施設の利用者の娘さんが、美容師で面会に来た時に、母親の爪に、マニュキュアされていた。寝たきりだけど、マニュキュアをしているので、衣類もお洒落にしていた。

いいなといつも思っていた。

 

色々な家族を見るけれど、毎日食事介助に来てくれて、母親のお洒落に気を付けてあげて、この利用者、死ぬまで、娘さんのおかげで、女性でいられる。

 

私のこだわりのお洒落は、どんなに忙しくても、髪をきちんとしていることだった。乱れた髪は、疲れを感じさせるから。

 

私は、美容院にあまり行ったことがない。子供の頃から、ロングのためもある。

 

中学生の頃、学校がロングが禁止と言うことで、切ったけれど(後で知ったけれどゴムでくくっていればよかった)その後は、ずっと伸ばしている。

 

子供の頃を外して、この年までにいったのは、5回ない気がする。

 

パーマをかける時に一度。あとちょっと、髪型を変えたくて行ったけれど、思うようにならなかったので、二度と行かない。

 

まぁ、商売をしていたり、子育てで時間もなかったから。

 

高い割には、思うようにできない美容師にも嫌だったしね。

 

わたしは子供の頃、美容師になりたかったこともあり、髪を触るのが好き。

 

自分の髪は、切るのも、すべて自分でする。

 

60歳を超えたので、そろそろ、短いほうがいいかなと思うのだが、目立つ白髪がなく、真っ黒なロング。

 

子供たちも、私が髪を切ることは、反対。

 

白髪が、目だってきたら、切ったらいいよと言う。

 

生え際にちょろっとあるだけなので、ペンタッチのもので、チョンチョンと。

 

仕事中は、編み込みをしてまとめている。利用者のおばあちゃんたちに「旦那さんにしてもらうの?」「いつもきれいにしている」と言われる。

 

幼稚園の頃、髪を伸ばしたいと言ったら、祖母と母から、自分で三つ編みができるならと言われた。そのころから、ずっと小学校を卒業するまで、伸ばしていた。

 

母が、夜の仕事をしていたので、毎日美容院に行っていたので、よくついていって、美容師のすることを見ていた。

 

滅多に、かけないけれどパーマも自分でかける。

 

今は、スーパーで部分パーマ用のものが売っているから。

 

先日、数年ぶりに、パーマをかけた。

 

それにしても私は、お洒落が好きだけど、お金がかからないような気がする。

 

顔を洗うのは、石鹸だし、塗るクリームは、ニベア。化粧水は、スーパーで買った、一リットル500円。メイク用品は、100円ショップのもの。

 

姉が、若いころ某メーカーの美容部員だったのだけど、化粧品は、原価は安くって広告費や容器代人件費で高いと言っていた。極端に言えば、原価100円くらいと。だから、化粧品は、お試しをもらって使うほうが良いと。

 

そんなこともあり、100円ショップで十分かなと思っている。

 

辞めますと辞めさせてくださいの違い

辞めさせてくださいと辞めますの違い

 

辞めさせてくださいは、お願いもしくは、お伺い。辞めますは、決定。

 

と私はおもう。

 

同僚から、上司にやめることを言ったけれど、ダメだったと。

 

「えっ、なんで?」

 

「やめさせてくださいって、言ったけれど、色々とすべて。返された」

 

「いや~、辞めますって、辞表ださないと」

 

「やめさせてくださいって言ったら、止められるに決まっているし、なんだかんだと聞かれたら、丸め込まれるだけでしょ」

 

「こういう理由で、やめますと言わなければ」

 

結局のところ、自分の存在価値を知りたかっただけなんだと思ってしまった。

 

色々話を聞いてきたけれど、親にも言って、やめたほうがいいと言われたと言っていたのだけど。

 

面談の時に話すと。

 

あ~あ、また、真剣に考えて付き合ってしまった。

 

結婚するために見合いをして、結婚を理由にやめると言うと言っていたのに。

 

結果、辞めないほうに。

 

それで

 

「しんどくて、しんどくて、最近太ってきたから、医者に、やせる薬を、お願いしたら、検査してくれて。甲状腺機能障害、バセドウ病といわれた。薬を処方してもらった」

 

「じゃあ、病気でしばらく休んだら」

 

結局のところ、辞めると上司に、話をして、自分の不満を言っただけ。

 

聞いてくれる状態を作って、止めてくれた、やっぱり私が必要なのねと満足。

 

本当に、かなりなストレスだと思うのだが、本人が、納得したならいいか。

 

この間までは、辞めると言っていたが、辞めると言ったけれど、ダメだったという感じで、もう、以前のようにやめるとは言わない。

 

まぁ、いいか。本人の問題。

 

だけど、もう聞かない。

 

「しんどいのよ、本当に」

 

そんなこと言っても、あなたの気持ちの中では、私が必要なのね。と喜んでいる様子が感じるよ。

 

本当に、辞める人って、潔いよね。愚痴はこぼさないものね。

 

今日も、しんどいと言いながら、定時はとうに過ぎたのに、残っていた。

 

「早く帰らないといけんよ」と声をかけたが、心の声は、しんどいのは自分で作っていることにも、気づけよと思ってしまった。

 

本格的に、身体が壊れたら、会社に対して恨み節になるのかな。

 

自分の人生だもの、まぁ、いいかと好きに生きよう

まぁ、いいかと思うこと。

 

ここ最近、仕事のことで、イライラとしていたけれど。

 

この年で、自分以外のことで、思い考えるのはやめよう。

 

仕事で、本当に困れば、自分で解決していくしかないのだから。

 

私の思いや経験で、前に出ることはない。

 

仕事をしていると、何で、意見として言わないのだろうと思うことがある。

 

元来お節介な性分なために、口出しをしてしまうけれど、愚痴を言っているだけで、解決しようとしない人たちのために、頑張ったところで仕方がない。

 

お節介をしたところで何の意味もない。

 

人に頼らないと何でも自分でやってきたのだから、もう他人のことなんて、

 

まぁ、いいかでいいじゃないか。

 

出る杭は、打たれると経験してきたのに、懲りない私。

 

自分の信条は、他人に頼らない、後悔しない人生。

 

振り返ってみても、悩みを言ってくる人って、結果、それで終わっている。

 

 

一生懸命気にしてあげて、考えてあげても、本人は、何も変える気がなく、友達だからとか、占いができるからと、相談に来る。

 

毎日が、楽しい時間にしようと思えば、友人はいらない。

 

人は、死ぬときは一人である。

 

すべてのことを決めるのは自分である。

 

私は、自信家に見えるから、なんだかんだともめ事を持ってこられるが、結局のところ、最終的に決めるのは、本人である。

 

これからは、自分の意見は言っても、他人の話は聞くだけに、しよう。

 

それにしても、私自体は、悩みを他人に言うことはない。

 

まず悩みと言うものがないから。

 

現状の不満があるかと言えば、ない。

 

だったらいいなぁと思うことはあるけれど、それは悩みではないし。

 

いまほど、楽に生きている時間はないと思う。

 

優しい夫がいるし、4人の子供がいるし、猫もいるし、犬もいる。

 

こうなってくると、他人と付き合うときは、割り切れる状態がいい。

 

仕事仲間は仕事中だけ。私は、パートなのだから、決められた時間の対価分だけ仕事をする。

 

友人は、必要があれば、作るかもしれないが今は、家族以外はいらないので。

 

趣味友達は趣味関係だけ、それ以上に親しくならない。

 

昔、子供のPTA役員の人と仲良くなったときに、「私は、自分からは連絡をすることがないので、いつも一緒みたいな友人関係は、できないかも。何年たっても、連絡があれば、昨日まで会っていたかのような付き合いはできるけれど。」

と言ったら、その人は、自分から連絡をまめにしてきた。

 

ただ、今の夫と結婚してから、だんだん疎遠になった。

 

夫が、他人と付き合うことをしないひとのため。

 

二度目の夫は、この友人と会うことは、好意的だったので、夫がいてもよく遊びに来ていた。私は、来るものこばわずなので、自分からはいかないけど。

 

私が、他人と距離を取るのは、自分の性格もある。いやと言えない部分があるから。そのため、利用されることが多いかなと思う。

 

友人でも、親しき中にも礼儀ありを、無視されると付き合うことができなくなる。

 

自分にとっての友人は、重荷になる。

 

わがままなのだと、基本的に。

楽しく生きようと思えば、一人が楽である。

 

他人が困っていれば助けるが、それはその時だけでよいと思う。

 

自分の人生だもの好きに生きよう。

 

他人に、依存せず、自分の思いと考えで、人に迷惑をかけず、自分の生き方を模索していくことの楽しみを、満喫しようと思う。jibunn

お洒落は、色を着るのが私流

お洒落について

 

私のお洒落は、色を着る。

 

流行のものを追いかけるのではなく、何故か、その年の季節ごとに、着たい色がある。

 

次男坊からも、「母さんのお洒落って、色のテーマみたいなものがあるよね」

 

と言われる。

 

「う~ん、そうかも。何だかわからないけれど、オレンジの年だったり、ゴールドだったりするね。」

 

「まぁ、きれいな色が好きだし、色を着るのは色気と、思っているから。」

 

「色からの、エネルギーを着る感じかな」

 

「だから、しんどいときは、赤色やオレンジかな。」

 

「モノトーンなんかもいいと思うけれど、黒や白は、他の色をきれいに見せる色と思っているから、モノトーンのお洒落はすくないかな。」

 

「太っている人が、黒を着ていることが多いけど、差し色をすればよいのにと、思う。太っている人こそきれいな色に挑戦すればいいのに。黒は、はっきり言って、自分を隠したい人の色だし、ある意味、自信がない人が着る色だと感じる。実際、黒は、難しい色だと思うけど」

 

「黒を着るときは、カラスにならないように、気を付けるだけで、お洒落になると思うな」

 

次男坊とは、お洒落の話をよくするし、一緒に買い物にも行く。

 

私は、148㎝で、背が低い。そのため、50歳くらいまでは、子供服を着ていた。

 

最近は、Sサイズもお洒落なものが多いけれど、私が20代のころは、Sサイズって、年より臭いものばかりだった。

 

だから、子供サイズの150cmサイズを購入していた。

 

60代になって、肉が落ちてきて、腰回りがちょっと合わないので、Mサイズを買って直す。

 

これが、肩をいれたり、丈を直したりと、ちょっとめんどくさい。

 

私は、流行を気にしないので、洋服は、すべてバザーで買う。

 

半額は当たり前、時には、100円なんてものまで。

 

靴とベルトなどの小物のほうが、高い。

 

基本、ベルト、靴、バックは、同じ色をそろえている。

 

黒の洋服を着たりしたときに、小物の色で、カラーを入れる。

 

洋服は、七色を使うが基本。

 

きれいな色を、年をとっても着るべきだと思う。

 

それから、ウエストは、お洒落ポイントだと思っている。

 

だから、ベルトは、必要不可欠。

 

Tシャツなども、ストンとしたものよりも、若干ウエストが、絞っているものを買う。

 

高いものはいいものも、あると思うけれど、色を着る私にとっては、関係がない。

 

自分に似合っていれば、安かろうが、高かろうが、何でもよい。

 

服は、自己主張ができるものだし、洋服でその人がわかることもある。

 

自分を変えたいと思っている人には、自分が挑戦しない色を、勧める。

 

占いをしているときによく、カラーで自分を変えなさいと言いっていた。

 

自分を変えたければ、一番簡単な方法だと思う。

 

あともうひとつ、下着は自分に合ったサイズを身に着けること。

 

下着のサイズがあっていないと、はみだし肉が。

 

これは見苦しい。

 

お洒落をするなら、下着はこだわってほしい。

 

特に、肉付きのよい方は、要注意。

 

 

三津田冨佐子氏も、お洒落は強きで、男も女も死ぬまでおしゃれするべしといっている。