生き抜くために、何をしたらいいか。
私が思うのは、何を選択するにしても、最悪の状態を考えての行動が必要で、あきらめない事。
子供の頃から、毒親のおかげで、大人を信用しない、ひいては、人を信用しない。
困っている人を助けるのは当たり前だと思っている。
自分ができることがあれば助けるが、自分自身は、他人に、助けてもらおうという気持ちがさらさらない。
だからこそ、今の幸せがずっと続くと思っていなくて、未来は何が起こるかわからない。
感じている時間を大切に、その時間の中で、考えて、次につなげる。
現在が自分の明日につながるように、生きていく。
子供の頃の環境の中で、身に着けた私の生き方だ。
面白いもので、他人に期待をしない、人は、誰かのために何かをしているわけではないと言うこと。
全て、自分のためだ。
それがわかっているので、物事を冷静に見ていることができる。
自分が、楽しければいいじゃないかと、ただ、他人に、迷惑をかけないのであれば、誰に何を言われようとも気にしない。
人の気持ちを、読むいうことは、子供の頃からの癖だろうと思う。そうやって生きてきたから。
おかげで、他人の気持ちを察する能力が、人より敏感。
悪意のある人や、依存的な人、おおよそ、弱い心の人が私に寄ってくる。
ちょっと私はお人好しだから、この人可哀想だなと感じて、かかわってしまうことがある。
依存的、弱い心の人たちって、基本、王様気質で、心は、他人を支配させたいと思っている。
ずるい人間だ。
それでも、困っているのかなと私は手を出して、反省の日々だ。
人間嫌いにどんどんなっていく。
表面的にはそんなものは出していないので、他人から見れば、優しい頼りになる人と見えているようだ。
色々な本を読んで、思うことは、人間関係の悩みやトラブルは、すべて、「欲」から生まれるのだろうなと。
人には感情というものがある。
感情を、わかりやすく説明ができる人はいるのだろうか。
見えないものだ。
感情を表現にするなら、言葉しかないが、この言葉ににしても、相手の感情で、自分の感じていることとは違う解釈をされて、トラブル。
他人を思いやると言うことは、大切だが、「思いやる」事の難しさを思う。
人は、自分が欲している「欲」が満足しなければ、、他人を攻撃する。
自分を可哀想だと思っている人は、他人から、「可哀想」言ってほしい。だから、そんなに可哀想でもないじゃんてなると、どれだけ自分が不幸かを、力説する。
占い師をしていると、今ある幸せに、目を向けていない人が多いなと感じる。
どれだけ嫌な思いをしているか、自分がどれだけ正しいか、弱いか、それらすべて、他人に認めてもらいたいだけだ。
人にもよるだろうけれど、そんな人たちは、決して相手の良いところは見ていないし、相手の悪いところがどこか認識していない。
自分は何もしていない、悪いことはしていないのになぜこんなひどい事されるの?と被害者になってしまい、逃げることも、考えることも、戦うこともしない。
自分しかみていない、だから、大切なことが見えなくなり、自分の人生を終わらせてしまう人もいる。
人として生きることをやめてしまうのだ。
人はいつか死ぬ、そんな当たり前のことを、忘れてしまう。
人間関係で、辛ければ、今ある環境から逃げればいいじゃないか。
私は、自分がお節介で、厄介ごとを、作ってしまう人間だと自負しているので、他人と距離を置いている。
自分中心で回ればいいじゃないかと、この歳で思う。
学校というくくられた中で、息ができないなら行かないでいいじゃないか。
親が毒親で、我慢ができないなら、逃げればいいじゃないか。
社会で生きられないと思うなら、山でもどこでも、行けばいい。そこで、自給自足すればいい。
ホームレス生活をしている人は、ある意味自給自足の人たちだ。
町にいるから、ホームレスと言われるけど、町以外ですむなら自給自足の人だ。
人としての生活の仕方は自由だ。
他人と接触できなければしなければいい。
私は持病があり、治療が必要だから、自給自足の生活は無理だと思っているので、今の生活で、したい人生を生きようとしている。
自給自足の人は、「欲」がない人で、人間関係が嫌な人にとっては、凄く幸せな人生の選択ではないだろうか。
他人の評価など、取ってしまえばいい。
戦うことができないなら逃げればいい。
自分に、武器がないなら、武器が持てるまで、隠れればいい。
子供の頃、いつも思っていたのは、「大人になったら」だった。
子供の頃の私に、言いたい。あんたは賢い、よく頑張った。自分が大人になるまで、大人になったら。魔法の言葉だった。
子供の頃辛い思いをした人、社会に出て嫌な思いをした人、挫折をかんじている人。
少しずつでもいいから世捨て人になればいい。
他人とかかわらないと生きていけないことはない。
自分が、弱い事、自分が何もできないと思っているのなら、認めればいいじゃないか。
自分が弱いとか何もできないと誰と比べているのだろう。
この世に自分がひとりなら、どうだろう。
そんなことを考えるだろうか。
自分を考えた時は、必ず、他人の評価で自分を見ている。
だから自分がどんどん嫌いになっていく。中には消したくなるほど。
だったらいいなあと言うことはたくさんある。
でも、仕方がないことだ、ならあるもので、持っているもので、生きようじゃないか。
何もなくったって本当はいい。
作ればいい。
生きててよかったと、60歳くらいの時に思えれば、まだまだ、楽しい事が待っている。
1人はいいよ。
ゆったりと時間の流れを感じることができる。
人が恋しいと思う人がいるのだろうけれど、その人は、何かしらの、「欲」が心にあり満たされていないのかもしれない。
歳をとると、中には、「俗欲」が捨てられない人も大勢いるだろうけれど、死ぬときはみんな、一緒。
看護師をしてきて、沢山の人の、亡くなった方の世話をしたけれど、死んでしまえば、何もない。
どんな人生を生きてきたとしても、何もないのだ。
この人は今、すべてから解放されたのだろうなと、考えて、お世話をしていた。
死後の処置は、平等だから。