老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

隣の空き家の一部が崩壊、うちの屋根が傷がついた。近所の方との交流。日本人の人情は、やっぱり素晴らしいな。

隣の空き家。

 

もう何年になるだろうか?隣が空き家になって。

 

たまに、息子夫婦が、来られる。

 

先月、隣の方から、駐車場を必要な時は使ってくださいと。

 

それならと、庭の草抜きをしていた。

 

隣の方とは、連絡先を交換しているわけではなく。一方通行なお付き合い。

 

昨日、夜、ドーンという音がして、「えっ、何?」

 

驚いて、外に出る。

 

何と、隣の屋根の一部が崩れて、家の屋根の軒先に乗っている。

 

近所の方たちが出てこられた。

 

これは、管理者の息子さんに連絡と言っても、私たちは、連絡先がわからない。

 

近所の人が、知っているのではと思われる方に、尋ねるが誰も知らない。

 

困ったな。

 

「消防署に連絡したら」

 

と言ってくれる方がいて、かけてみた。

 

消防署は、怪我や火事での対応と言うことだ、市役所の夜間連絡を教えてもらった。

 

結果は、対応部署の連絡先を教えてくれたが。

 

この時、繋がるわけないよね、だって、もう17時過ぎているもの。そのためのの夜勤対応の電話を消防署の方が教えてくれたのに、と思った。

 

案の定でない。

 

本当に市民を馬鹿にしていると思う。

 

まあ、役所には期待していないというか、行政には期待しないと改めて思った。

 

さて、どうしたものかと、夫と相談。

 

明日は土曜日だ、月曜にならなければ、動けない。

 

月曜に、法務局に行って、息子さんの住所がわかれば、良いので行ってみようと話をした。

 

旦那は不満顔で、どういう風になる?とひつこい。

 

「事故にあったようなものだから、修理代を請求する、賠償責任があるから」

 

「出してくれなかったら、うちがは、負担する?」

 

「○○さんが、拒否すれば、裁判かな」

 

「どちらにしても、月曜日だよ」

 

夫はその日は、深夜勤務なので、仮眠を取るように言った。

 

今日朝から、町内の組長さんが、○○さんの連絡先をわかったと、メモを持ってきてくれた。

 

○○さんの名前とスマホの番号。

 

かけてくれたのだが、接続できないとなるといわれる。だから、固定電話で掛けたらよいのではと。

 

固定電話からかけると話中になる。

 

ならばとショートメールを、送ることにした。

 

ショートメールを送るが返事がない。

 

この後、わかったのだけど、NTTの通信障害で深夜から全国的に、auスマホで通信ができない状態。

 

結果、繋がらないのでどうしたものかと思っていたら、再度組長さんが来られて、息子さんの住所がわかったと、教えてくださった。

 

今日は、夫が夜勤明けなので、夫とナビを頼りに、息子さんの自宅に行く。

事情を説明して、見に来てくれることになる。

 

結果、業者に頼んで、見積書を出す話になり修理をしてくれることになった。

 

息子さんは、台風が来る前に、壊して更地にしますと言っていた。

 

確かに、私の家側の屋根も、これからもっと崩れそうだし、反対側も亀裂が入っており、修理するほうが、お金がかかると思う。

 

今回、普段、近所の方と余り交流がないのだけど、先日から、猫の脱走で、ポスターを渡したりと、近所の方と関わりが多い。

 

私の家は、町内会には入っていない、夫が、三交代の勤務で不規則なことと、私が慢性腎不全で、無理が聞かない体と言うこともあり、役を引き受けて、人様のお世話ができないので、辞退している。

 

それでも、近所の方特に、組長さんが、町内会長に連絡を取ってくれて、息子さんの連絡先が分かった。

 

遠くの親戚より近くの他人を、実感した。

 

そして、日本人ってやっぱり素晴らしいなと思った。

 

困っている人を、自然に助けようとしてくれる。

 

自分も、困っている人がいたら、自分のできることをするだろうけれど、ここに住んで、14年になるが、始めて、ご近所の方と接触をした。

 

今日は、午前中、全町内会会長、14年前にお世話になった不動産の社長、ご近所の方の訪問があり、バタバタした。

 

14年住んでいるが、向こう三件隣何する人ぞ状態だった。

 

最近は、個人情報が何たらと言って、横のつながりも縦のつながりも、なくなっている時代だけど、こんな時は、地域の方たちは、やっぱり大切につながっていないといけないなと思った。

 

14年前に、幼稚園児だった隣のひい孫さんと話をしたり、顔を見ることはあっても話をすることはなかった。

 

心配してくれて、見にきてくれていた。学校から帰って、ひいおばあさんに聞いたのだろう。

 

始めて、話をした来年高校を卒業しますと。働きに出ますと笑顔だった。

 

日ごろから他人と距離を取っている私たち夫婦、夫は私よりももっと、他人との距離がある。

 

人情というものを身近に感じた出来事だった。