人生の終わり方を考える。
人は、いつか必ず亡くなる。
特に、老後を迎えると、自分が亡くなった時のことを、どうするかと考える。
何となく、長男の父親が亡くなって、16年。
長男の父親は、急性心不全で亡くなり、警察から連絡があり、知った。
元夫だが、60歳だった。長男は、私が離婚して、一度もあったことがない。
合わさなかったわけではないが、そいう機会がなかった。元夫も、子供に対して、執着はなかったのだろう。
元夫は、会社の寮で、勤めて、10日目の朝、に仕事に出てこないので、見に行ったら、亡くなっていたそうだ。
仕事中に胸が痛いと言ってはいたと同僚の人が、市役所に人に話していたらしい。けれど、そのままにしていたのだろう。
元夫は、糖尿病を患っており、そのためかなと思った。
この元夫が亡くなった時に、元夫の二人の姉に、遺体を引き取ってと言うことを、警察のほうから、連絡があった。
二人の姉は、引き取らないと。
そのため、長男に連絡が来た。
もう、まじかと思った。離婚して24年、あったこともないし、養育費ももらわず、長男は、顔も知らない。
それにしてもと思ったというのも、元夫の家には、お墓があるから。私が嫁に行った時に、義父につれられて、墓参りに連れていかれたから。
上の義姉(母親が違う)に、会いに行ったら、自分の母親のお骨は、階に引き取って、別の墓にあるからと。
家の墓には、いれられないと。だから、引き取りを断ったと。
元夫の姉はもう一人いるが、この姉は、とんでもない夫婦なので、弟が、無縁仏に入れられてもなんとも思わないのだろう。
この下の義姉には、結婚している時にかなりいびられてので、さもありなんと思ったが、元夫の父親が亡くなってから、この夫婦が義母(ボケていたらしい)に借金をさせて、家を売ってしまったらしい。要するに、元夫の実家はもうなくなっていると言うことだ。
私が嫁に行った時は、かなりな資産家だったけど、義父が亡くなってからは、義姉夫婦が、好き勝手していたと聞いた。
結果、長男の父親が無縁仏は、ちょっとと思い、長男と話、遺骨を引き取りに行った。
それから、16年。
長男が、墓を買ったらと思ってはいるが、長男は結婚しておらず、このままでいくなら、墓を建てたとして、その後はどうなるのだと、最近思っている。
立てたとしても、後を見る物がいなければ、墓じまいをしないといけないだろう。
そうすると、それは誰がするのだろう。
私はそのころは確実にいないだろう。
長男の家族は、兄弟だけだ。そしたら、弟たちの子供たちが墓じまいをするのだろうか。
何でも、世の中はお金が、必要だ。
長男も、墓を建てるなら、その後の準備も必要だ。
私は、亡くなったら、散骨をしてくれるように頼んである。墓はいらないと。
散骨を考えたのは、私の子供たちが父親が違うのと、三度目の結婚をしているが、夫の墓には入りたくない。
第一に、現在の夫の子供達にしてみれば、父親の墓に母親でない人が一緒に、入っているのは嫌ではないかと思うから。
第二に、私の次男が、現在の夫のことを嫌っているというか、無視状態なので、そんな犬猿の仲の人と母親が、一緒の墓参りなど、したくないと言っていることもある。
第三に、夫の子供は女の子なので、いずれ、夫の墓も、墓じまいだ。
そう考えると、散骨が一番だと。
息子達には、母親のことを思い出したければ、海に行けばよいと言っている。
墓があると言うことは、祖先を敬う気持ちが生まれるだろうと思うが、誰も参る人がいない、墓の面倒を見る人がいない墓は、悲惨だ。
私自身、両親の墓には、墓を見る弟と仲が良くないのと、あまり両親い思い入れがないのもある。
それに、両親ともに、あまり一緒に暮らしたことがなく、特に、中学を卒業してからは、親子として面倒をかけたことがないので、思い出もない。
手を合わせるという行為が、わざとらしくて、墓詣りに行っても、何の感情もない。
だから、お墓って必要がないと思っている。
亡くなった人は心の中で、生きていると思う。
それは、私が、思い出したりすることで、生きているのではないかと思う。
墓参りをすることで、故人を思い出すのではなく、故人の法事などをすることで、人とのつながりが守られたりするのではないかと思う、
だから、法事などを必要としない人の墓はいらないと思う。
現に、私たちの両親のことでいえば、弟が、墓を継いだが、弟が、法事をしなければ、集まることもない。
私たち姉弟は、養子に行っている妹もいるのだが、妹たちは、両親に対して、何も関知しない。
だから、墓を継ぐことの意味はないのだ。弟にしても、法事をするとお金がかかると思っているし、最初の結婚(弟も離婚した)の時に三回忌をしてからは法事の知らせはない。
バラバラで、家族という親族の付き合いがなければ、墓も必要がないと最近思っている。
亡くなる前に身辺整理は必要だと、心から思う。
野垂れ死にすれば別だが、それでも、人間であれば、誰かの世話に必ずなる。
無縁仏に、入るとしても、国が動く。そして、引き取り手がない遺骨が、無縁仏だ。
死んでしまえば、別に無縁仏でも構わないが、やっぱり人として、最後の後始末の準備はしたいと、考えている。