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結婚、再婚、再々婚を経験して、自分の人生を振り返ってみる。(結婚その①)

結婚、再婚、再々婚を経験して、自分の人生を振り返ってみる。

 

一度目の結婚は、父親の勧めで、披露宴が、結婚式の日と翌日と、結構大きな結婚だった。(9歳年上)

 

二度目は、17歳年上の夫との結婚。

 

三度目は、14歳年下の夫との結婚。

 

最初の結婚は、父親が、金持ちの家に娘を嫁に、嫁がせたかったこと。

 

私自身は、そもそも、結婚には向いてていない人間だと思っていた

 

貧乏で毒親の元で育って、家事全般ができ、資格を取って、自立をかんがえていた。

 

毒親から離れたかった。

 

両親は、私のことをしっかりした素直な子供と思っていたのではないかと思う。

 

父親は、姉か私のどちらかと結婚させたかったようだ。夫は、金持ちのボンボンで、父親にしてみれば、お金を引き出せると思っていたのではないかと思う。

 

私は、夫が金持ちではなく、親が金持ちだから、関係ないと思うけどと、捕らぬ狸の皮算用だと思っていた。

 

私は、見た目は、家事もでき家庭的女の子に見えていたのかもしれないが、見た目と性格は、全然違う。

 

家事ができるのは、母がしないから、自分のことは自分がしないといけなかったから。

 

夫には悪いが、9歳年上だったが、離婚しやすいと思っていた。

 

好きではなかった。いい人だと思っただけ。

 

結婚は、信頼関係だと思っていたこともあり、恋愛感情はいらない。

 

子供の頃から、食べられない生活や貧乏生活を、変えたいと思っていた。

 

食べるために生きるために、資格を取って、普通の生活がしたいと思っていた。

 

自由な生活をしたいと思っていた。

 

嫌だったのだと思う、いつも、嫌な顔をしたことはないけれど、抜けだしたいと思っていたのではないかと思う。

 

学校の物を買ってもらえず我慢したりしていたけれど、貧乏だから仕方がないと思っていた。

 

だからこそ、早く大人になりたいと思っていた。

 

誰かに頼りたいとも思っていない。自分の周りの大人を信用していなかったのだと思う。

 

結婚は、私にとって好都合だった。

 

結婚すれば、毒親から、離れることができる。

 

そして、一度結婚し、離婚したら、バツイチということで、女として生きやすいと考えていた。

 

と言っても、絶対に夫と離婚しようと思っていたわけでない

 

長く結婚生活がつづくのであればそれは、それで私の人生とも思っていた。

 

でも、夫の母親を見た時に、絶対に離婚すると予感がしていた。

 

結婚生活は、5年間。

 

夫の父親から「おしんのような子」だと言われたくらいだから、どんだけ、小姑と小姑にいじめられたか。

 

若いから、すぐに別れると言われたくなかったこともあるし、学校卒業しての結婚だったこともあったので、離婚してからの生活を考えて、計画離婚だった。

 

夫の実家は、小金持ちだった。

 

義姉夫婦が、ひどい夫婦だった。親の金を、当てにしているというか、変わっていると思ったのが、この義姉が、私より先に、男の子を生まないといけないと,言っていた。

 

夫が跡取りなのだから、嫁に行った姉が男の子を生んだからと言って、関係がないと思うんだが。

どこの馬の骨かわからないとお手伝いさんと義母が話をしていた。この言葉を聞いたときに、結婚するときに、連れ書きなるものを出したはずだが。みていないのか。

 

毒親だったけれども、自分の親を、「馬の骨」と言われたことは許せなかった。結婚して、3ヶ月の頃の話。この時の夫とのかかわりも、信頼できないと思うのに十分な行動だった。

 

結婚をしている時は、誰が見ても仲の良い夫婦に見えただろう。離婚するなんてことは、他人からは見えないだろう。

 

私は、一緒にいる時に、ギスギスする気はなかったので、タイミングを見極めていた。

 

離婚をした後、最初の結婚を知っている元職場の上司にあった時、とても驚かれた。「あんなに仲が良かったのに、信じられない」と。

 

私はいつも、今の状態がずっと続くと思っていない。自分の思い通りの生活をする為なら、我慢をしなければいけないならするし、ダメだと思うと、次を考えている。

 

人は見た目が大切だと思う。

 

私は、見た目は、良い人に見えるのではないかと思う。「優しそう」「親切」「素直」とおよそ人を不愉快にさせる感じはない。何でも、断り切れない人に見えるのだろう。

 

人間関係において、人にごちゃごちゃと言われるのはめんどくさい。それゆえの、防御態勢。

 

そして、おとなしく見える人間が攻撃すると、まず相手はびっくりする。

 

いつもニコニコと笑顔でいるが、それが優しいと勘違いされるのかもしれない。

 

親切は、人に言われて動くのがめんどくさいから、自分から声をかけるだけ。

 

素直なのは、直ぐに反応したほうが、トラブルにならないから。

 

自分がしている行動の中で、手を絶対に休めないといけないことは、わずかだから、ほんの少しのことで、トラブルにならないなら私は、動く。

 

ただ、なんでもイエスではない、断ることができることも必要。

 

発言を求められたときに発言をしないというようなことはしない。

 

これは、仕事の時は絶対。きちんと意見を言うことができるから、攻撃もされない。

 

少し話がそれたが。

 

最初の結婚の時は、私が、若く世間知らずのお嬢さんくらいにしか見えていなかったのだろう。貧乏でひもじい思いをした人間にとっては、虐めくらいはどうと言うことはない。

 

小金持ちは、井の中の蛙大海を知らずだと思っていたし、人間として、あさましいと思っていたので、義母たちの虐めは、「馬鹿だこいつら」と常に思っていた。

 

義父は、やさしい人だったので、自分の父親より好きだった。離婚をする時に申し訳ないと心から思った。

 

離婚をするには、まだそれなりの理由があるのだが、夫との家族との関係は、かなり離婚をする原因になると思う。

 

この夫は、その後再婚をしたけれど、離婚した。そして、義父がなくなり義姉夫婦に、義母がだまされて、多額の借金を抱えて、家もなくし、孤独死だった。

 

私は、夫が気の毒だと思っている。もしも、私が、一緒にいれば孤独死をすることも、義姉夫婦に、義母が利用されることもなかっただろうと思うから。

 

人の良い人だったから。

 

夫には私との間に、息子がいるので、亡くなった時に警察から連絡があり、義姉たちが、遺体を引き取らないと言うことで、連絡があった。引き取らなかったら、無縁仏になると。

 

息子の父親が、無縁仏なんてと思い、引き取りに行った。

 

今は、息子のところに。

 

息子は、離婚してから会ったことがないので実感がないようである。

 

人間関係と言っても、血がつながっていると言っても、関係ない。血がつながっているほうが残酷なこともある。

 

だから、生きていることは、自分が後悔しないように生きることだと思う。

 

人間は、自分のことしか考えない人もいる。

 

人を憎むことはないけれども、夫が義姉に、迷惑をかけられたことは知っているし、義兄の性格の悪さも知っているので、あんな人たちが、生きていると言うことが、腹ただしいと思う。

 

まぁ、ずるい人間、立ち回りの良い人が、出世したり、お金持ちになるのは確かだから仕方がない。

 

自分が、ずるい人間になりたければなればよいけれど、人生の幸せって、歳をとった時にわかる気がする。

 

人生は、一度きりだから、自分が幸せになるため、自分らしく生きるためには、

悔いのないように過ごし、今を生きていることに感謝することだ。