姉との会話で思うこと。
「弟の子供は、双子だよ。」
「えっ、姉ちゃん何言ってんの。弟の子供は、二人いるけど、双子じゃないよ。次男は、うちの子供と同い年だよ。」
「うそ~!双子だよ」
三回ほど、同じことを繰り返す。
決して、姉がぼけているわけではない。
本当にそう思っているのだ。
まあ、弟の最初の結婚の子供たちと、接点がないこともある。
「何言っとんよ。大阪の妹が2003年に、うちに来た時に、姉弟で、集まった時に、弟の嫁が、子供を連れてきていたでしょ。あんときに、二人、長男は、弟にそっくりで、次男は嫁にそっくりと話をしたじゃない。」
「あ~、そうだった}
弟の最初の嫁とは、接点がないから。
私たちは、親戚同士で、集まることもないし、姉弟の付き合いもないこともある。
結婚をすると、お互いの連れ合いと余り合わなければ、付き合いもない。
姉と話をしていると、なんだか、思い込みが多いのかなと思ってしまう。
私たちは、母親が違う姉妹がおり、合わせると6人姉妹なのだが、姉は、自分の上に、腹違いの姉がいることは忘れている。(父親が、籍を入れずに、女の子がいる)実際には、私もあったことはなく、母親から、聞いたことがあるだけだ。
それでも、姉がもう一人いるのかと思って大人になった。
写真でしか見たことがない。それも、子供の頃の写真だから、今の姿は知らない。
随分前に「ねえ、私たちって5人姉弟だよね」
「え、突然何?」
「占い師の人に、6人姉弟ですよねと言われたから。違いますと言ったのだけど。」
「忘れてる?うちらのお母さんと一緒になる前に、お父さんに、子供が一人いるって、お母さんが言っていたじゃない。」
「そうだった?」
何でだろうか。
姉は、自分とかかわらないことや、興味のないことは、覚えていないみたいだ。
私のことは最近「あんたは、体が、弱いから、子供の頃から。未熟児で生まれたから、虚弱体質なんよ」という。
私としては、自分が弱い子供だったという認識はない。
生存していた母と今は姉が言うから、ふ~ん、私は、虚弱体質なのかと最近思う。
何となく、子供の頃よく熱を出していた気がするが、食べるものも食べさせてもらっていないから、丈夫に育たなかっただけじゃないのかな。
子供の頃から弱い弱いというから、最近思うことは、そんなに弱い子供なら、本人にも自覚させればよかったのにと思う。
何でも我慢しての幼少期。
まあ、いいけど。おかげで非常に頑張り屋の私に育ったから。
それにしても、人は色々なことを、自分に都合よく改ざんして、記憶の中にしまうものなのかな。
私の三男坊もそうだ。
とあるレストランに行ったことがあるという。誰と行ったかは忘れている。
私は、そのレストラン、家族で行ったよと心で思う。それも、弟のフォット婚をした後に。
もう、息子が、思いこんでいるというか、私が一緒に行ったよと言っても違うと否定するのは見えているので、黙って聞いている。
三男坊は、記憶違いというようなことがよくある。
それ違うよなんて言ったら、非常に怒るし、めんどくさいから言わない。
姉、旦那、三男坊と、よく似たいるともうのは、自分が覚えていたくないことは改ざんか、忘れてしまっている。
旦那に至っては、最初の結婚式の時の元嫁が、着物を着た事を忘れていたり、元嫁との出会い以外は覚えていない。言いたくないと言うことではなく。本当に忘れているのか印象に残っていないのか。結婚式の時の着物に言った手は、自分紋付き袴を着なかったの?着た。だったら相手は着物を、着たよ。そうか。というような会話をした。
自分に関して、関わりがあっても、嫌なことは忘れる。
身近に、三人も、子いう人たちがいると、人って、案外いい加減だと思ってしまう。
姉と話をして思ったことは、だから、お金を貸してあげても返してくれないのは返し事に記憶が変わっているのだろうなと。
弟も、お金をかりたことをわすれてしまっているのだろうな。
それにしてもだ、自分にとっては、大切なことでも、相手が忘れてしまっていたらどうしようもないなと思った。
虐めによく似ている。嫌なことをされたり、自分がその時に仕方がないなと行動したこと(相手のために)を、忘れられるというのは、本人たちは、被害がないからだなと思う。
他人に迷惑をかけたとかは、覚えているのだろうか?
それとも、親だから、姉妹だからで、忘れているのだろうか。
私の場合、親、姉弟で、嫌なことというか、あきらめていることは、お金を貸してあげて誰も戻してくれない事。親に至ってはなくなっているのでどうしようもないが。
姉の話の中で、「できないことはできないといわないと」と言っていた。
姉とはしばらく疎遠だったけれど、交流が再開してすぐに引っ越し費用を貸してと言われて断ってからは借金の話は出てこない。
弟も、二度目の再婚で、出産費用を貸してと言われた時に断ってから、借金を言ってこなくなった。
子供の頃から、お駄賃(近所の子守したりお使いをしたり)を貯めていたので、私に良く貸してと言っていた姉弟。大人になっても、私に言えば貸してくれると癖になっていたのかもしれない。
大人になって額も多くなったが、貸す私は、働いて節約して、何かのためにと貯金している、もしくは額が多ければ、何とか調達して、貸していたのだけど、当の本人たちは、わからない。
なめられていたのか、利用されていたのか、簡単に金のなる木だとでも思われていたのかわからないけれど、さすがに、姉の「できないことはできない」というという、言葉をどや顔で説教じみて言われたことにはちょっとむかついた。
姉弟、親だから、他人ではないのだから、困っているのなら、少しくらい無理をしてでもと、思っていた私が、ちょっとかわいそうと情けないなと思ってしまった。
過去のこと自分に都合の良いように、解釈してしまう人たちには気をつけようと、この歳で納得した姉との会話だった。
と言っても、今は貸してあげようとも思わないし、助けようとも思わない自分がいる。
貸してあげたお金を戻してくれないのは、嫌だけども、姉弟、親にしてあげたら、貸してではなくちょうだいなのだと考えるようになったから。
親にも、姉弟にも、一度も戻してと言ったことはないのだけど。
それにしても、簡単に人にお金を貸してという人は言ってみる。貸してくれたら儲けなのかな。
自分の周りには、自己中心な人が多かった、私が結構お人好しなのかもしれない。