老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

人間関係の苦手な人へ。人間関係で自信がない人は、ポジティブに考えられないのであれば、鈍感になればいいと思う。 鈍感になるのは難しいけれど、心が感じなければ傷つくことはない。言葉の攻撃のみ限定だけど。 直接の暴力に鈍感になるのはだめだけど

次男との会話から、人間関係の苦手な人のことを考えてみた。

 

次男は、仕事の話というか、会社の部長との話をよくしてくれる。

 

私が、部長と息子のやり取りを面白く聞くからだ。

 

「母さん、こんばんは。元気?」

 

「うん、元気」

 

「今日さ、久しぶりに、部長が来たんだけどさ。母さん、ポケモンのゲームわかる?」

 

「しないけど、わかるよ」

 

「そう、俺は、ゲーム全然しないから、わかんないのだけけどさ。」

 

「部長がさ、○○さんは、今日残業なしな。」

 

「はぁ、どいうことですか」

 

「うん、20時には、俺とポケモンゲームしないといけないから。」

 

「えっ、部長とゲームするなら、残業なしですか。それなら僕もしますよ。」

 

「お前は無理。全員帰ったら、仕事が止まる。」

 

「はい?僕は、残業ですか」

 

「お前、残業好きだろう?」

 

「何言ってんですか。好きでやっているわけじゃないですよ。まったく。」

 

「それよりも、○○営業所の○○さん、ゲーム得意ですよ。対戦相手になってもらえばいいじゃないですか。」

 

「いや、ダメだ。強すぎる相手は面白くない。俺は、負けるの嫌だから。」

 

「それって、なんか、職権乱用ですし、わがままなだけですよ」

 

「お前は、本当にかわいくない、いっぺん死んで来い」

 

「アハハ!相変わらずだね。あんたと部長のやり取りは」

 

「本当に人が忙しくしている時にしょうもないことを言ってくるし、わけわからんわ」

 

次男は、この部長といつも、漫才をしているのではと思ってしまう。

 

しかし、このやり取りは、知らない人が聞いたら、パワハラに感じる人もいるかも。

 

この部長は、他の営業職員たちも、次男の営業所の店長も、課長も、怖がられていて一目置かれている御仁。

 

その、部長とのやり取りは、入社した時から、聞かされていた。

 

だけど、この部長は、話を聞く限り、次男がお気に入りだと感じていた。

 

私は、タヌキ部長と呼んでいる。

 

次男は納得できないと、上の人間にも、歯向かうし、こびへつらうことがない。

 

自分が思うことはきちんと伝える。

 

ある意味、会社人間としては、損をするタイプではないかと思う。

 

次男は、私が、占い師で、他人の言っている言葉から、その人の気持ちを探ったり、言霊から、優しさや、意地悪をしているかを見ることについて信頼している。

 

入社当時から、この部長からは、次男に対して、期待している感じを受けていた。

 

だから、部長が言っていることをこんな風に考えて、対応したらと助言していた。

 

周囲の人間からは、怖がられている、嫌われているタイプ。

 

そのタイプに遠慮せずに言いたいことや、行動する次男は、普通ならたたかれるだろうけれど、このタイプはめげずに、対応して来る人間は好きになる。

 

次男とは、時々、知らない人が聞いたり見たら、パワハラに見えるかもなんて話す。

 

次男と部長のことを、考えると、相手を悪く思わなければ、なにをいっても、傷つかないのではと思う。

 

相手を疑ったときに、信用できなくなったら、優しい言葉も、本当に、考えているからこその言葉も、届かないのではと思う。

 

「部長は他の営業所では、ふざけたこということも、乱暴なことを言うこともないのではないの。」

 

「他の営業所の職員からは、緊張するって聞いているでしょ。」

 

「あんたは、部長に対して、そんなことないでしょ。」

 

「うん、部長が馬鹿なこと言っていても、忙しかったら無視だし。」

 

「ここで突っ込みを入れてくれよと言われるときもあるしそんな時は、えっ、見てわからないんですか。僕、忙しいですから、っていうし。」

 

「部長、聞こえてますよ、悪口」

 

「悪口じゃないぞ、陰口。」

 

「何ってんですか、部長はいつも、陰口になってませんよ。」

 

「おかしいなぁ、小さい声で言ったのだけどなぁ。」

 

次男は、部長が営業所に来ることを嫌がってはいない。仕事も、助けてくれるし、居心地は悪くないようだ。

 

上司に、信頼されている自信は、仕事にも反映されると、息子を見ていると思う。

 

他人との関係は、自分の取り方次第かなと思うこともある。

 

良く、天然という人がいるけれど、みんながみんな、天然だったらどうかな。

 

他人の言うことを、悪く考えない。

 

言われることすべてを、ポジティブに置き換えることができるなら、傷つくことが少ないかも。

 

感情で考えるから、自分に自信がないから、他人目線で、物事を考えるからかも知れないと、思うこともある。

 

人間関係は、難しい。

 

親、兄弟だって、仲が悪い場合。

 

血が、繋がっている分他人よりも、感情のもつれはひどくなることがある。

 

ひどい場合は、憎しみに近い状態。血が、繋がっているからこそ、許すことができない状態になることも。

 

それを考えれば、他人とは切ろうと思えば、切れる。

 

自分次第で、どうにでもなる。

 

嫌なら無視。

 

他人に対して攻撃をする人は、自分に対して、不満がある人だろう。

 

私は結構、鈍感で子供の頃に同級生の嫌味な発言が、わからなかった。

 

ある日、学校の帰りに同級生の話を聞いていたら、姉が「あんた達、もういっぺん言ってみて」と怖い顔をして、立っていた。

 

その子たちは、慌てて、逃げていった。

 

私は、不思議そうにみた。

 

「あんたさ、何で黙って聞いているの?あの子たち、あんたを馬鹿にしているじゃない。鈍感。」

 

私はその子たちよりも、姉が怒った事がわからない。

 

今でも、思い出すのは、そうか、馬鹿にされていたのかと思うけれど、何を言われていたのかせ覚えていない。

 

要するに私自身は全然、同級生の子たちの言っていることは、何の影響もなかったと言うことだ。

 

その同級生たちは、ちょっと裕福な子供たちだった気がする。

 

私は貧乏だったけれど、元気いっぱい明るい子だったから、幸せそうにしているのが気に入らなっ方のかもと思っている。

 

だけど、どのような経緯だったかわからないけれど、二人の同級生のことを、どちらの子供に対しても、可愛そうな子だなと思ったことがある。

 

一人は、自宅に行った時、奇麗な家だったけれど、この家は寒いと思って、何だか、その子に同情した。子供心に、家庭の温かさを感じなったような気がする。その同級生の、心だったのかも知れない。

 

もう一人の子は、理由はわからないけれど、祖父母に育てられていたけれど、その祖父母たちの勉強に対して凄く厳しくて、私の目の前で、テストが満点でないことを怒られていた。

 

その時に、いつも、私に接してくる様子と違うその子を見て、可愛そうと思った。

 

その子たちにすれば、貧乏で、勉強もできないのに、いつもニコニコしている私が、嫌だったのだろう。

 

今思えば、そうなのだろうなと。

 

ある意味、その子たちの私に対する行動は、心のSOSだったのかもしれないと、大人になってから、思う。

 

その子たちのことは、今でも、どんな大人になっているのだろうと考える。

 

話が次男との会話からそれたけれど、人との付き合いは、鈍感なほうが良いかなと思う。

 

次男は、結構相手がどんな人間か、自分のことをどう思うかをよく考える人だ。

 

おかげで、新しくかかわった人の人物像の助言を求めてくる。

 

その人はこんな行動や話し方をしない?と投げかけるものだから、ほぼあったているので、その人の考え方や気持ちの行動の説明をするから、それを参考に付き合っているようだ。

 

次男は、自分のことを(空気の読めない人間)とよく言う。他人の事がわからないからと。

 

他人のことがすべて、わかるなら、もめごとは何も起こらないのじゃないと返すことにしている。

 

他人のことがわかったとしても、なんでいつもこっちが合わさないといけないと思うこともある。

 

これは、夫婦関係のあるあるかも。

 

虐めを起こす原因の一つに、自分の中に何かしらの不満があることで、ストレス発散。

 

中には、優越感だけで他人に危害を加える人がいるけれど。

 

だけど、それらすべて、自分の問題で、それを解決できない、どうしていいのかわからない。

 

人は何かしらの、プレシャーを一つや二つは、持っているのではないかと。

 

それをどうしていいかわからないから、他人にぶつけるのではないかと思う。

 

それが弱い人間に対してと言うことなのだろう。

 

だけど、私の子供の頃のように、鈍感もしくは、天然なら虐めだとは感じないだろう。

 

人間関係で自信がない人は、ポジティブに考えられないのであれば、鈍感になればいいと思う。

 

鈍感になるのは難しいけれど、心が感じなければ傷つくことはない。言葉の攻撃のみ限定だけど。

 

直接の暴力に鈍感になるのはだめだけど