2022年。年末から年始と体調不良と夫婦喧嘩。
先の思いやられる一年になりそうと思いいつつ。
持ちつ持たれつでいこう。
今日も今日とて、身体はまだ重いし、寒気もする。頭痛もするけれども、夫は出勤。
お正月バージョンのお弁当を作って持たせ、お見送り。
あっ、弁当の写真を撮るのを忘れた!一年間の弁当を、取っていこうと思っていたのに。やっちまった!
本人は年末の、車掃除で体を冷やし(朝の6時から10時まで)風邪をひいている様子。
昨日の午後から、寝ていた。夜も夕食を食べて早く寝ている。
私に怒られて、シュンとしていることもあり、覇気がない。
夫婦喧嘩のあと少しの間だけ、おとなしい。
さてさて、夫と長男の勤務表を見ながら、初もうでの日を模索するが、うまく折り合わない。
できれば、午前中が良いのだけれど、そうなると7日しかない。
三交代の勤務者の休みは、やはり合わしてとらないといけないな。
昨年の12月に、長男から休みの希望の話があったのだけど、この時も夫と喧嘩をして、もう希望しなくていいと言い放った。
だって、ハッキリしないから旦那が。
それで、義妹が急遽、帰ってくる日程を変えたから、唯一一緒に行ける日が流れてしまった。
ふぅ、もう長男と二人だけで行こうかしら。
まあ、最悪、7日に出雲大社につれって行ってもらおうかな。
それにしてもなんだかんだと聞かれたら、夫とは仲が良いのです。はい。
さ~てと、今年のやりたいこと、昨年できなかったことの再チャレンジだ。
今年は、夫が一階の部屋のフローリングを張り替えたいと言っているので、本箱などの、移動をしようと考えている。
猫ちゃんたちが増えたので、できるだけ、物を出さないようにしていこうと考えている。
日中、ほとんど私と一緒に、猫軍団が一階にいるので、少しでも、広くなるように、模様替えをしていこう。
今の身体でなければ、一気に部屋の模様替えをするのだけど、今は、少しずつでなければ、何日も調子を崩す。
ちょっと、心不全っぽい症状が出て、ゼイゼイと言ってしまうので。
昨年に続き、断捨離。
数秘方位術の編集も再開しなくては、3年くらいでまとめれるといいのだけど。
体調管理。昨年はオートファジーなるものに出会え、とても身体の調子が良くなった。2月2日に血液検査があるので、データーが少しでも良くなっているといいな。
先生からは、オートファジーは良いと言われたからね。
このお正月は、ちょっと解禁していて、食事療法も甘くして、オートファジーも守っていない、4日から、元に戻して、2月の検査まで、また頑張る。
でも、あまり食べすぎにはならないけれど、炭水化物を食べないようにしていたので、お餅やお寿司など、結構、炭水化物をとっている。
夕食も、久しぶりに夫と一緒に食べている。昨日は鶏鍋をしたのだけど、美味しかった。
今日と明日。二日間は、楽しもう。
体調がよければ、もっと、楽しいと思うのだけどのんびり、のんびりで、いいよね。
今年から、年賀状を出すのを、止めた。すべて、ラインや+メッセージで、新年のあいさつに切り替えた。
その訳は、いつどんなことが起こるかわからないので、元旦を迎えた朝に、あいさつをみんなに届けたいと思うから。年賀状を出して、年賀状が届いているから元気と思っていたら、訃報が届く世代になったことに気づいたから。
年賀状が届いている友人にも、返事を出したら、近況報告がより詳しく届いた。今の思いを届けられたから、これがいいやと思っている。
しかし、私は年賀状を出す友人、知人が少ない。
友人の一人は学校の先生なので、沢山の生徒とのつながりがあり、年賀状を出す枚数が多いだろうなと思う。その友人は、私のように電子年賀状は無理だろうなと思ってしまった。
フェイスブック、ツイッター、インスタグラムの使い方をしっかりと、マスターしたい。
なんとなく始めているけど、未だに、使い方がわからない。
パソコン操作も、もっとできるようになりたい。
ユーチューブで、色々な方が発信してくれているので、家にいても、練習できるので、この一年できる所から頑張ってやってみよう。(毎年思っているのだけどな)
キーボードタッチの練習もしたけど、やっぱり手元を、見る癖が抜けない。今年こそは、画面を見ながら、打ちたい。
継続は、力なりと言うが、仕事もなく、(たまに、占いの仕事はしてます)時間を縛られることがないからこそ、自分管理が、大変。
自分に厳しくはなかなかできないものだ。
一日一日を大切に、過ごすことが今年の最大の目標なので、その日のやれたことを、形に表していこうと思う。
ブログに、残していけば、いいかなと思っている。
書く人私。読者も私というつもりで。
看護師の時代に、看護記録をかくことがないという看護師がいた。私は、観察したことを書き考察し、問題点を挙げていけばいいし、看護師が記録がないという人は、「お前は、仕事をしているのか」と心で思っていた。
病気を持っている人を観察するのだ、同じであるはずがないし、変化や気づきがないのは、おかしい。看護計画は何のためにあるのかなんて思っていた。
だから、自分のことも、同じ日なんてないと思う。反省することも、いっぱいあるし、考えていることや、昨日と違うことは、必ずある。
そのことを発見できないのであれば大切な一日というか、自分の命の時間がもったいないという気持ちになる。
短ければ70代、長ければ80代まで生きれるとしたら、10年から20年しかない。
何を残せるか、何ができるか、幸せな時間をいっぱい残せれば、後悔ない人生の終焉を迎えることができるのではないかと思っている。