「最高の人生の見つけ方」の日米のビデオを見た。吉永小百合・天海祐希。モーガン・フリーマン・ジャック・ニコルソン。
癌で余命6カ月の、大富豪と一般人の、旅をする話。
このようなことは、非現実だなと思う。大富豪と一般人がかかわるなんて、そうそう、ない。
だけど、この「最高の人生の見つけ方」は、好きだ。
占い師をしていた時に、ある鑑定者から、離婚をして、癌が見つかれどうしたらいいのかという相談があった。症状を聞き、病名を聞き余命がないことを知った。
相談する人もいなく、離婚して間がなく、子供がひとり。親が毒親で、癌にかかっていると言ったら、出ていってくれと。金はないと。
治療費がないし、どうしたらよいのかという相談だった。
この時の鑑定者は、電話占いだった。会社の規定で、個人的な連絡は取れない。
どんなに不安だろうと。
現実に、できることを伝えた。
まずは役所に行き、生活保護の申請をすること。
そうすれば、医者代も、生活費も見てもらえること。
子供のことは、元夫に話すこと。子供さんにも、辛いだろうけれど、病気のことを話すこと。
何度か、指名をして電話鑑定にきてくれた。電話鑑定はお金が高いので、メール鑑定に切り替えることを提案した。
病院での検査結果を聞く限り余命がないとわかった。
この映画のように私が大富豪なら、この親子とかかわったなら、もっと力になれただろう。
だけど、会社の規則もあり、できる範囲での、助言しかできない自分の状況に落ち込んだ。
電話鑑定師をやめる頃に、会社に、そのお客が、他の占い師の予約を取ったりしているか聞いたことがある。最近は「先生のところが最後で、ぜんぜん、利用されていないですね」
この頃には、亡くなったのではないかと感じていた。占い師ということもあるけれど、プラス看護師だったことも手伝って、亡くなったと。
この、利用者には「先生、私亡くなるのでしょうか?」と聞かれたけれど「占い師は、生死の有無については占ってはいけないの。だから答えられないわ」
この人は、余命は一年ないだろうと感じていたけれど、私は医者でもないし、どうしようもない。
この時は、電話占い師であることのもどかしさと、自分が何もできないことの無力を感じた。
今でも、心に残っている。顔も見たこともあったこともなく、声だけ。
だけど、話をした彼女の声は、今も、私の中にある。
生活保護の申請が通り、アパートも借りれたこと、治療方法など、伝えてきてくれていた。でも、治療方法を聞いていても、助かることはないと思っていた。
「先生と縁があってよかった。治療もできるし、住むところもできたし、ありがとう」と。
不安で、泣きながら電話鑑定にきてくれたこともあるけれど、こんな時こそ当たらなければいいのにと思う占い結果。「死」というものがしっかりと出ていた。
何を言えばいいのやら、気休めしか言えない。看護師の仕事であれば、嘘をつくこともできる。患者に病名を言ってはいけない時は、嘘をつくから。
でも、それは直接、関わりを持っているので、その人を感じて、その患者も、この看護師が言うのなら、本当は嘘だと思っていても、だまされてみようと。
何といえない悲しい関係になることもある。不思議な看護師と患者の関係だ。
「最高の人生の見つけ方」それは、やっぱり自分の中にある気がする。
還暦過ぎて、命の時間が、そんなに長いわけではない。
余命がハッキリと告げられているわけではないけれど、人生100年時代と言っても、まだ、女は87歳という。
ならば、私が、生きれるのは、24年だ。でも、病気でもっと短いかもしれない。
事故だったら、明日亡くなるかもしれない。
余命なんて、普通に考えれば、みんなある。それが短いか長いかではないだろうか。
「最高の人生の見つけ方」私にとって、それがどんなものかは、死ぬときになら泣ければわからない気がする。
だけど、この歳になって思うことは、今ある自分の人生に感謝することが、大切な気がする。
人生にとって何が最高なのかは、わからないけれど、少なくとも、感謝をすることは、何故か、心が、温かくなり、子供にも、夫にも、一緒に暮らしている猫たちにも幸せをもらっていると思ってしまう。
お金があればと思うこともあるけれど、お金がなくっても、幸せだと思える時は、感謝を感じている時のようだ。
青い空を見た時に、50歳の若さで、癌で亡くなった友人を、思い出す、そんな時、空に向かって、友達として関わってくれたことに、最後の日までその友人の手を握って、いられたことに感謝する。
心の中で、私がそっちに言ったら、いっぱい話をしようねと思う。
そんな友人がいたことが、幸せな人生だなと思う。
生きている中で、「感謝」できることが、最高の人生の見つけ方かもしれないと思う。
映画を見て、楽しく生きることを、楽しむことを大切に、自分の人生に感謝することが、最高の人生かなと。