三日坊主の何が悪いの?飽き性の何がいけないの?
息子との会話。
「俺は、飽きっぽいから、いけんわ」
「うん、どいううこと?」
「何でも、途中なげ、三日坊主のことが多い。ダメ人間の様な気になるわ。」
「えっ、三日坊主はいけないの?」
「だって、全然続かないのは良くないでしょ」
「やってみないと、わからないでしょ。それよりも、興味を持つほうが、大事じゃない?」
「好奇心があって、母さんはいいと思うけど。」
「なんで、根性なしみたいじゃん。」
「だってさ、あんた。バスケット学生の頃から続けて、社会人バスケのチームも作ったじゃない。それって、やってみて、好きになったからでしょ。」
「母さんは、好奇心を持ってやってみる事は、やったけど好きになれないからと、自分には向かないとかがわかると思っているよ。」
「三日坊主、大いにいいじゃない。三日でも経験したら、そこに何かが得るものがあるし、その時は、続かなくても、時間がたって、またやってみたいと言うこともあるでしょ。」
「かあさんだって、したい事がいっぱいあって、やっていても、生活ライフが変わったりして、続けられなくなっていることもいっぱいあるよ。」
「続けられなかったから飽きっぽい、三日坊主で、自分はだめだという、ネガティブな発想にこそ問題アリだよ」
「母さんは、全然、あんたを飽きっぽいとか、思ったこともないよ。どっちかというと、凝り性じゃないかと思っているよ。」
「好きなことや、やりたいことを見つけるために、やってみる。
これは違うなと思えば、止めればいい。
若いのだから、試すこと、経験することは大切だよ。」
「そして、少しでも経験していると、時間がたって、あの時はできなかったことが、何かのきっかけでまたやることになることもあるよ。タイミングみたいなものもあるよ。」
「学生時代に全然英語ができなかったのに、必要であれば英会話を身に着けるのと同じこと。」
「今の自分に必要じゃなければ、続かない事も好きになれないこともあるよ。」
「三日坊主を、前向きに捉えると、好奇心旺盛で、何かしたいという自分探しをしている発展途上ってことだよね。」
「母さんと話すと、なんか、他人が、悪く言っていることも、いいことに変わってしまう。落ち込んだり自分の欠点かもと悩んでいる自分が馬鹿みたいだね。」
「アハハ!母さんは、あんたをずっと見てきているからだよ。それに母さんの中では殺すな、盗むな、騙すなの人間として最低のことをしないのなら、自分の人生のために何でも経験してと思っているだけだから。」
「三日坊主でも飽き性でも誰も困らないからね。」
この歳になって、振り返ってみると、昔こんなことをしていたな、続けたかったけれど、できなかったな。
またやってみようかなと思えるのは、三日坊主でも経験していたからだ。
やったことが何かの時に、役に立つ。リベンジしようと言うこともできるし、人間関係が変わることで、誰かと一緒に始めることになることもある。
人とのつながりやモノの見方が、しないよりは経験したほうが、考える力になる。
三日坊主で何がいけない、飽き性上等と私は思う。