人間関係って、何だろうと思う。
友人が多いと、凄くその人は、良い人間の様な考え方がある。
この年のになって、思うことは人の付き合いが多いと、疲れる。
交際が多いと、お金もいるし、いいことはあるのだろうか?
一人ではいけないのだろうか?
次男は、親友と言える、友人がいる。高校からの友人だ。
交友関係は、広く、社会人バスケをしていることもあり、後輩たちとも交流がある。
子どもには、人生を豊かにするためにも、学生時代に、友人を作りなさいと言ってきた。
特に次男は、友人を大切にする。
その子の性格もあるだろうが、次男は自分自身では、気づいていないのだが、他人に好かれる。
ツンデレに見えるのだが、誠実だからではないかと思う。
彼の、付き合いを見ていると、良い人間関係を築いていると思う。
でも、友人関係って、いつまで続くのだろう。
彼の友人達は、同級生同士で結婚しており、本人にとっては、学生時代から、変わらない関係を続けてこれる状況にある。
結婚して、お互いの配偶者に気を使うことなく、家族ぐるみでつきあうことができている。
とてもラッキーだと思う。
結婚すると、配偶者に気を使って、距離を置くことになったり、疎遠になったりする。
極端なことをいえば、兄弟、姉妹でさえ、配偶者の性格によれば、疎遠になる。
現実に、私たち姉妹がそうである。姉は、私に会うのも、旦那さんが仕事でいない日の午後3時までの間である。
また、私の夫も、他人と付き合うことが苦手で、私も、姉に会うときは、夫が仕事でいない時である。
ゆえに、親戚付き合いができない。
結婚すると、旦那の性格を考慮すると、妻のほうが、友人関係に制限が入る。
独身時代のように、気安く付き合うことができない。
私の場合は、自分の家族がいろいろと面倒なこともあるのも原因。
私は、友人に頼ることもないので、一人が気楽だと思っている。
悩みを聞いてほしいと思うこともない。他人に悩みを言うと言うことは、愚痴だし、結果相手の(夫等)悪口になる。良いことにはならない。
私って、かわいそうでしょうっと悲劇のヒロインになって、関心を持ってもらいたいだけである。
一人が寂しいと思うのであれば、他人が必要かもしれない。
自分が生きていくうえで、本当に必要な人間関係は、どのような関係だろうか。
知人に、面白い人がいる。その人は、時々、家に行っていいかと言ってくる。
別に用事があるわけでもないが、誰かと話がしたくなるらしい。
私は、とても不思議な人だと思っている。
子供の同級生の母親だが、ママ友の間では変わった人として、煙たがられていていた人だ。
彼女の息子も「俺の母親は変わっている」と言うくらいだ。
彼女は、他人のうわさ話が好きなようである。私に話をしても、人のゴシップは好きじゃないので続かないが、それでも2~3時間は、喋って変える。
人と話をしないとおかしくなると言っていたが、友人がいるようには見えない。だから、私のところに来るのだろう。
彼女は、ちょっと変だと思う、そんなに話がしたいというのに、秘密主義で、自分の家には絶対人を誘わない。
うちに来て(現在の夫と結婚して買った中古物件、彼女の家が一軒となり、間取りが一緒)「家と同じなのに、いつもきれい。」と言っている。
一度だけ、彼女の家に行ったことがあるのだが、なんで、かたずいていないのか不思議だった。
あれじゃ、他人を家にあげれないだろうと思う。
片付けができない人のようだ。
息子も「〇〇のおばちゃんは、いつもあんなだよ。〇〇が、母さんのことと比べて、うらやましがってたよ」
私の家はいたって普通。私自身片付けや、掃除がうまいとは思っていない。
隠すことばかりでは、親友はできないのではないかと思う。
占い師として見ているので、この人はこういう人だと思えるし、行動も手にとるようにわかるので、距離を取って付き合っている。
友人ではなく知人である、近所の人である。
「三津田冨佐子」さんが、著者の中で、自分の中に癒しや楽しみを見つけていくことが大切であると言っているように、人に癒しを求めない私のようなタイプには、友人が居なくても大丈夫なのかもしれないと思う。
本来、他人の困りごとに手を貸すことは嫌ではないが、私生活の中では、自分中心でいたい。
私にとっての人間関係は、その時その状況下で、必要な人間関係を構築するが、プライベートの中では、人間関係は必要がない。
仕事関係の人間関係は、仕事をやめてしまえば終わりである。
学生関係も、社会に出れば、変わる。学生時代の友人と繋がりはあるが、何かを相談する相手ではない。
自分の状況の変化もあり、煩わしい人間関係はいらない気がする。
人とのコミュニケーションが取れないのでは困るが、お付き合いはできるので、あえて自分から付き合う気はしない。
慢性腎不全の持病があり、無理をできないことで、人の世話をする自分がいなくなり、自分のことだけを考えて、生活をすることの気楽さに満足している。
若い頃は、友人がたくさんいたほうが、色々な経験や違った考え方が刺激となる。
しかし、歳を取れば、自分の生き方を自分らしく、自分のために生きてもよいのではないだろうかと思う。
三津田冨佐子氏も言っているが「自分がどんな生き方をしたいかをしっかり考え、それを貫く強い意志をもってのぞめば、こんな幸せな暮らしはない。すべて自分次第である」と。
自分の生き方は、自分の思考で変えることができる。
さまざまな人間関係の悩みや迷いは、自分の思考の選択で解決できる。
歳をとると人間関係は、そうたいして必要でなくなる。
だから、若いうち色々な人間関係で悩むことが、自分の生きたい人生を見つけるために必要なことなのかもしれない。