自分らしく生きることを、若い頃は、できていたかというと、どうだろうと思う。
還暦を迎えて、子供たちも自立し、自分のことだけを考えて生きてもいいかなと思えるようになった。
私は、自分で言うのもなんだが、かなり、めんどくさいことが嫌いで、ウジウジするのも嫌いだし、意味が分からないことで我慢することも嫌。
そんな私が、結婚して、子育ての最中には、自分の行動が、夫や子供たちが、嫌な思いをしたり、恥ずかしい思いをしないように、自分の思いを通すことはなかった。
だから、自分らしく生きていたかというと、そうでもなかったと思う。
自分らしく生きるためには、嘘も必要?
嘘が嫌いだけど、じゃあ嘘をついたことがないかといったら、そんなことはない。
人に迷惑をかけるような嘘をつくことはしない。
生きていると嘘も必要な時がある。
それが嘘も方便だ。
再婚している時に、夫には、私の連れ子が「お父さんが、いてくれて嬉しい」と言ってもいないことを夫の耳に入れ。
息子には、お父さんが、褒めてたよと夫が、息子を気に入っているようなことを言っていた。
全部嘘。
だって、息子は、そんなに自分の気持ちを表現する子ではなかったし、夫も、相手を喜ばせる事を言える人でなかった。
人間は、信頼できる人から言われると、信じるものだ。
私は、母親、妻という、信頼できるポジションにいたので、生さぬ仲の親子を繋ぐために、嘘を言っていたおかげで、夫と息子は、とても仲の良い親子になった。
家族を繋ぐことは、主婦としてしなければならない。
再婚して、連れ子がいる場合は、母親、妻の役目が、重大。
だから、私は、嘘つきだ。
人を傷つけることはしないけれど、嘘も方便は人生には必要だと思っている。
ブログは誰かの為に考えて、書くとよいと。
しかし、気づいたのである。
誰かのことを思って書こうと思うと、書け~ない。
万人受けは、無理だ。
自分らしく生きるために、と考えるとこのブログは人の為ではなく、自分のために書けばいいのではないか。
自分が生きてきたことで、誰かためになることを書こうと思っても、ないな。
経験した事を、ブログにして、それを読んでくれた人の参考になればそれでいいじゃないか。
一人の人生、それぞれの、歩き方があるだろうから、自分と違う人生をのぞき見してくれればいい。
世の中には色々な生き方、考え方があるのだと思ってくれればよい。
さてさて、自分らしく生きていけることで、解放された自分を感じることができている。。
他人に迷惑をかけていなければ、何をしてもいいと思う。
開き直りは、とても気持ちいい。
世間でいう常識が、自分に合わなければ、法を違反しないなら、無視してもいい。
いい人でいる必要はない。これは楽だ。
子供達のために、いい母親でいなければ、決して私のことで、子供が嫌な思いをさせたくないと思って生きてきた。
きっと、これは子供の頃に、親に嫌な思いをさせられたことが、トラウマのように、深層心理の中にあるからだと思う。
その生活からも解放された。私が、何をしても、理解できる歳に子供たちが成長したし、彼らの父親は亡くなっていない。
自分のことだけを考えて生きる。
これをする為には、依存しない、自分の生活は、自分でする。
自己中でいいじゃない。
「自分の人生」を思いっきり、心地よく過ごす方法を、実践する。
今は、夫が仕事に行っている間は、自分の時間だ。
夫がいるときは、夫に合わせている。彼は、依存的で、私が自分の側にいないとダメらしい。
夫は、仕事が三交代なので、夜もいない時があるし、私が一人のなれる時間が、ある。
夫が、仕事が休みの日だけは、一人の時間はない。
子供の様な夫なので、そこは、合わせている。
家の中で、別々に過ごすのは、良いみたいなので、めんどくさいと思ったら、別な部屋で、過ごすこともある。
子供がいないので、合わせるのは夫だけで、一か月に、10日くらい。
兎に角、子供を育てていた頃は、生活がすべて、家族の為で、家族が多いと、自分の時間など作れない。
自営業をしていたので、自分の時間を作ろうとしたら寝る時間がない。
だけど、自分の時間は絶対に、作るべきだと。
私の子育て時代は、選んだ夫が、手伝ってくれることがなかったが、今の時代の若い人たちは、共稼ぎが多く、核家族が多いから、必然的に、夫も手伝う人が多いと思う。
自分らしく生きるためには、「自分の時間」は絶対に必要。
自分に戻る時間と考えたらいいと思う。
自分のために使える時間の確保こそ、自分らしく生きるために、必要不可欠である。