人間関係や様々なことに、落ち込まない方法。
人生の一つの区切りという歳になり、後悔することも、色々あったなと思う。
でも、振り返ってみると、私の人生の中で、落ち込んだり、どうしようもないときの口癖が「まぁ、いっか。」だった。
じたばたしったって仕様がない。人生には、理不尽なこともあるさという感じ。
仕方がないことはある。自分で解決できることは、解決すればよいけれど、できない時は仕方がないと思うべし。
自分が、女性であることは自分でどうしようもない変えようがないし、家が貧乏だったことも仕方がない。
人間関係で嫌なことがあって、どうしようもないときは、付き合わないだけだ。その人の思いを変えることなどできないし、人間の感情ほど難しいものはない。
「まぁ、いいか」「仕方がない」と、思うことは勇気も忍耐もいることだ。
どんなに避けようとしても、相手がいると、なかなか難しいかもしれない。
しかしである。感じなけれれば、実害はない。
子供の頃は、母がホステスだったことや、貧乏だったことなどで、嫌の目にあったこともある。
感じないと言うことは、傷つかない。
小学6年ころに、何でかは忘れたけれど、以前住んでいたところの友達が、私のうちに泊まったことがある。
よくはわからないけれど、家出をしてきたのだと思う。すると、朝早くに、母親が自宅に来て、大きな声でどなっていた。
私は、大きな声で怒っていると思っただけ。最初にお応対したのが私だった。
私は、娘が家出をして心配だったのだろうと、聞いていたのだが、母と姉が起きてきて、こちらも怒りだした。
まぁ、あちらの言い分が、娘をそそのかしたというようなことを言ったためだけど。
その当時、その友人は、私と同じ年だったけれど、姉と仲が良かったので,私の友人というよりも、姉の友人というのが正しかった。
母も姉も、遅くに、尋ねてきて夕飯も食べさせて、子供たちがもう遅いからと止めたことが犯罪なのかと、母は怒り。「世話人り、迷惑もかけているのに、御礼の一言でもいうならともかく、私の子供がそそのかしたようなことを言う、あんたたちは何だ。それでも親か。おばあさんに、子供を預けて、自部たちは大阪でのうのうと暮らして、何が母親だ。たまに帰ってきて親ですと言ったて、子供も反抗するでしょうよ。うちの子供は、親に迷惑をかける子は一人もいない」と。
姉は「家に帰りたくない」と言った。
「それに、今は家が離れているので、遊ぶこともないし、突然訪ねてきてびっくりした。遅かったから、明日帰るように言って泊めただけ。」
それから、相手は娘を連れて帰った。
私は母と姉から、「あんたは、あんなことを言われて、腹が立たなかったのか?」と怒られた。
ああ、そうか、失礼なことを言われたのか。心配したから怒っているのだろうと思ったから、もっともだと思ったのだけど。
感じ方なのだろうが、私は結構のんきで、怒ると言うことのピンがずれているのかもしれない。
感じない、わからない、これは自分を傷つけない。
小学低学年のころ、お金持ちの友人二人に、言葉の虐めを受けていたことがあるのだけど、これも感じていなく、たまたま、姉が私に対するその二人の言いようを聞いていて、凄く怒ってくれたことがある。
この時初めて、ああ、意地悪されていたのかと、自分自身は、ただのクラスメートだと思っていたので、何も感じなかった。一緒に、遊ぶこともなかったから。
兎にも角にも、自分が受け入れていない人から、何かをされても感じないのかもしれない。
(きっと、理不尽な暴力を受けても、感じない。力がなくて、甘んじて怪我をすれば痛いだろうけど、外傷なら、治る。心に傷をつけれるのは自分だけだ)
これは、大人になっても変わらず、人は人。割り切ってしまえば、どうと言うことはない。
人間関係において、相手に期待するから、悩みが起こるのではないかと思う。
自分の評価は自分でする、仕方がないことについては割り切る。
職場関係は職場だけ。自分のプライベートや自分のテトリーに入れる必要はない。
不愉快な相手に反応する必要はない。
しかし、意志の強さは必要だと思う。
私の場合、人間はよほどの理由がない限り、生まれるときも死ぬときも一人だ。
だから、孤独でいいじゃないかと思う。
一人でもいいじゃないか。
人生は、自分の考え方ひとつである。
「まぁ、いっか。」抱え込まず、手放すことも大切。