老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

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63歳になって考えること。青春時代はなかったけど、老春時代は楽しく過ごしたい。茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」

63歳になって考えること。

 

やっぱり自分人生かな。

 

振り返ってみる。

 

楽しかったことはあっただろうか。

 

楽しいって、嬉しいと言うこととは違う気がする。

 

嬉しいことはあった。

 

子供達に巡り合えたこと。

 

自分が生きていること。

 

後悔せずに生きてこれたこと。

 

でも、楽しい事ってあったかな?

 

なんか昔に、こんな歌?詩?があったよね。

 

私がきれいだった頃、戦争だったみたいな事を歌っている

 

若い頃に、凄く心に残った詩・歌?だった。

 

その言葉を、しっかりと心の底にしまって生きてきたような気がする。

 

全部を、覚えていないし、どんな詩というか歌だったかも、忘れている。

 

でも、生きることを大切に明日の自分のためにと、思った。

 

今の生活に、不満があるわけではないけども、過ぎ去った時間は戻らない。

 

そんな中で、楽しかったことを考えてみた。

 

それって、こうだったらどんなだろうと言うことかと思う。

 

明日を見て生きることは、今日を懸命に生きることだったように思う。

 

子供が毎日の生活を考えて生きることは、楽しいことではない気がする。

 

だから、生活を考えて生きてきたら、楽しいことよりもちょっとした嬉しいことが幸せになる。

 

楽しいことを求めたら、満足しないこともあるけれど、嬉しいことは幸せになるとこの歳でわかる。

 

子供らしくだろうか。

 

私の子供の頃は、夜両親がいないのが当たり前だった。

 

母はホステスをしていたので、夜はいない。父も何をしていたのかわからないけれど夜はいなった。

 

父は朝、仕事に行って帰ってくるということはなかったから。

 

何を生業にしていたか全然わからない。

 

これが、共稼ぎでもよいから、夜両親がいるような家庭だったらどうだろう。

 

学校から、急いで帰ることもなく、友人とおしゃべりしたり、友人とショッピングに行ったりとしただろうか。

 

私は、お金がいることは何一つしないようにしていた。

 

家にはお金がないと。給食費も、まともに持って行ったことがなかった。

 

よくわからないけれど、学校から時々、お金をもらっていた。多分、生活保護に近い何か援助を国から受けていたのではないかと思う。

 

そのお金って、子育て援助だったのかと思う。学校の道具、自転車通学の時のヘルメット代も無料になったりだった気がする。

 

両親は、そのお金を子供のために使っていなかった。だって、私はいつも、学用品が足りなくって、ちょっとだけ我慢しないといけなかったから。

 

夜の仕事をしている母なので、家のことは何もしない人だったから、帰って家事をしなければいけなくって、5歳下の弟の世話も。

 

姉がいたけれど姉は、何故か、何もしない人だった。食事を作ることも掃除をすることも洗濯をすることも。

 

私がしていたからかも知れないが。

それにしても私は、自分が家事をすることになぜ嫌だと思わなったのが不思議だ。

 

中学から、高校に進学するときも、姉が公立を落ちて、私立に通っていたので、私まで私立に行けるわけがないと思った。

 

 

当時、資格を持ちたいと考えていたから、美容師になろうかとも思ったけれど、中卒者だけはだめだと。

 

勉強はできなかったけれど、高校には行きたかった。

 

そんな悩みを持っていた頃、准看護師学園の募集の案内があった。そこは通信教育で高校にも行けて、高校の卒業ができる。

 

奨学金制度もある。

 

私は即決めた。担任に、学園に行きたいと。

 

この選択は、今の私が生きるために間違っていなくて、行って良かったと思っている。

 

ただ、普通の学校生活ではなかった。

 

病院の寮に住み働きながらだった。

 

一般の高校生のように、自由はなかった。

 

恋愛をしたり、友人とクラブ活動をしたり、何というか、青春にはちょっとかけ離れていたと思う。

 

姉は、友人と家でお茶をしたり、お泊り会をしたりしていた。

 

でも私は、急患が来れば夜中でも起こされて、ひどいときは朝まで働いて、学園に行ったりした。

 

楽しいという感じでなかった。

 

十代の私が、まるで丁稚奉公だった。

 

学校に行けて資格が取れて、高校卒業も手に入るこのことだけが頑張れる源だった。

過ぎてしまえば結果だけがついてくる。頑張ってよかっった。

 

だからこそ今があると自分自身を、褒めたいと思う。

 

それでも楽しいという事を、したことがないと思うのは。

 

楽しいということは、自分がしたい事をするということかもしれない。

 

それならば、若い頃、自分がしたい事をした記憶がない。

 

我慢はいっぱいしたけれど。

 

いつもお金がないから、欲しいものは、自分で買わないといけなかった。

 

だから、お年玉や、お手伝いでもらったお金を、貯めていた。

 

それさえ自分で使かうことなく、母に貸したり(戻してもらったことはない)ご飯のおかず代になったり。

 

もしもを考えての子供時代だった。

 

子供時代に、もしもを感がて生活をしていれば、楽しい事は考えないのだろう。

 

嬉しい事を探して生活をする。

 

虐待される子供が、嬉しいことは、母親に愛されることだろう、だから、少しの言葉でも、ちょっとした気まぐれの笑顔でも忘れずに、嬉しいことが起こると、我慢するし願うのだろう。

 

楽しいことを知らずに亡くなってしまう。自分の欲望を出さないのだから。

 

嬉しいは他人から与えられるものだから。

 

楽しいは自分が求めて得られるものだ。

 

そう考えててみると楽しい事はなかったと感じている。

 

第一楽しいことって何っという感じもある。

 

しいて言うなら、幼稚園時代だろうか。

 

祖父母達と暮らしていた頃は楽しかったのではないかと思ったいる。

祖母がいたので、食事は毎日安心して食べていたし、幼稚園にも、楽しく通っていた気がする。

 

ただその頃、母は、ホステスをしていたので、夜はいなった。

 

祖父母たちの生活は、家族が多かったせいで、寂しいという気持ちはなかった。

 

子供らしい生活は、していたのではないかと思う。

 

楽しい生活は、あまり覚えていない。欲望が満たされていただけなのだろう。

 

嬉しいことはよく覚えているのだけど。

 

楽しいことがなかったからどうのこうのと言うことではにけど。

 

この歳になって、楽し事がなかったと思うのも、なんだかな~と。

 

言い換えれば馬鹿なことをしてみたかったと言うことでもあるのかもしれない。

 

だけど、いつもいい子でいなければ、誰からも、守ってもらえないと、いつの間にか身に着けていた。

 

生きる知恵だったのだろう。

 

そのためか、大人になるにつけ、本当の自分は、出さなくなった。

 

そして他人を信じないようにもなった。

 

誰でもである。

 

親、兄弟、姉妹、自分の親族もだ。

 

唯一、心を許せるのは子供だけだ。

 

と言っても子供たちから見る母親は、強くて賢い大人、頼りになる人間とみている気がする。

 

肉親の愛情なら、自分の子供たちへの愛情は自分が、子供を愛している自信があるので、信じることができる。

 

私は他人を利用したりするのは嫌い、利用されるのもいやだから関わりになりたくない。

 

今までも数少ない友人はいたけど、この三年ほどになるかな、嫌な思いを信頼する友人だと思っている人から受けた。

 

この歳になって、25年以上親友だと思っていた人から、裏切られた。

 

さすがにはあ~という感じですね。

 

だから、他人に対しては、親しき中にも礼儀ありを通すのが一番。

 

距離を取って付き合うべし、誰かとつるんで嫌な思いをするなら、一人が楽。

 

それにしても、楽しいことって、誰かと遊ぶことかな。

 

本を読んだり、ブログを書くことも楽しいことに入るなら、今この時間は楽しいと言うことになる。

 

若い頃の楽しいは経験がないけど、今の私は、楽しい生活を送っている気がする。

 

私がきれいだった頃という歌は、前向きな歌だったように思う、きれいだった頃色々辛いことや嫌なことがあったけれどもだからこそ、長生きをして、幸せになろうというような感じの歌だったと思う。

 

私もそうしようとからの人生。

 

でもちょっとだけ、若いころなりの楽し事も経験したかったと贅沢思いがある私だ。

 

そう考えてみるとお金があったらかなうこともあるなと思う。

 

子供の頃、家が貧乏だったからできなった楽しいこと。

 

今は持病のため無理はできないけど、好きなことをしているので、それなりに楽しい。

 

そう、青春時代はなかったけど、老春時代は楽しく過ごしたい。

 

補足。

このブログを書いた後、インターネットでググってみた。

 

茨木のり子さんの詩だった。

「わたしが一番きれいだったとき」

わたしが一番きれだったときの出だしで、7つの詩だ。

戦争当時、戦争後の時に自分自身が若かった時の思いを詩にしている。

最後に

だから決めた できればながいきをすることに

歳をとってからすごく楽しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのようにね

と。

全部覚えていなかったけれど、私はこの詩を知った時に、私も歳をとってから楽しい事を楽しむのだと心に刻んだのだろう。

だから、人生を後悔しないようにと思ってきたのだろう。後悔があったら、歳をとった時に楽しいことがないように思えたのかもしれない。

 


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