前向きで生きるために、後悔しないために、いつも思っていること。
これは、私の考え方。
いつの頃より、人はいつか亡くなるのだから、今日を大切に生きようと思うようになった。
朝起きるのが当たり前なのは生きているからで、死んでしまったら、朝は来ない。
幼少期のように、自分では選べない時期が過ぎ、自分の生き方を歩けるようになって、時間が過ぎるのが早いと、感じる。
あっという間に、60歳を過ぎてしまい、振り返ってみると、頑張った自分や失敗した自分の人生を、感じている。
60歳を過ぎると、若い頃より、焦りのような気持ちがある。
ガンを宣告された様な感じ(少し大げさ)。
いつまで、自分の時間、生きていられる時間があるのだろうと考えるから。
持病があることも、考えると、平均寿命まで生きられるのか?
生きられるとしても、約25年。
25年といっても、自分で食べられ、他人に迷惑をかけず、人生を終えることができるのだろうか。
寝たきりになって、生きているのやら死んでいるのやら、ただ生かされているだけの介護生活は嫌だ。
20代から40代の20年とでは、全然違う。
若い頃は、[明日]が当たり前に、来る感覚で、今のように、時間がないという感じがなかった。
現在の自分は、過去の自分の生きていたことを後悔するようなことはない。
それでも、もっと、考えて人生を選択すればよかったかなとか、もっと、欲張った人生をしてもよかったのかなと思うことがある。
後悔とは違うのだが、うまく立ち回っていなかったな。
もっと、色んなことを、経験したかったな。
自分のことをもっと知っていれば、身体を壊さなかっなかったかな。
今現在の自分の人生を、大切にして生きているし、若い頃よりも、時間を大切に使うことができる気がしている。
振り返って、言えることは、若い頃の様なこの先ずっとまだ、自分は生きていけるという漠然とした気持ちがない。
だから、心配なことを少しでもなくしたいと思うこの頃だ。
私は、亡くなる時は、絶対に幸せな人生だったと思って死にたいと思っている。
嫌なことや辛いこと、自分ではどうしようもなかった時代を、頑張った来たことで後悔はないが、子供たちのことが、私にとって、凄く気がかり。
子離れをするのが、私の人生の締めくくりかなと思っている。
子供たちの幸せな人生、安心して亡くなるには、必須条件だ。
若い頃は色々な経験をしてほしいと思うけれど、なかなか、勇気を出すこと、物事を継続することは難しい。
特に、当たり前であることを、継続することは、自分にたいして、厳しい気持ちがないと、できない。
人生で大切なことは、あきらめないことと継続することだ。
やってみて失敗をしたときに、逃げないことも大切だと思う。
失敗をすると言うことは自分がそのことをやったからこそ、わかることなので、自分に、「負」の感情を植え付けることはない。
そこから、次に進んでいくときに必ず、自分自身のために、なっているから。
自分を知ることのきっかけになっているのだから。
失敗したら、嘆くのではなく、投げやりになるのではなく、次のために、なぜを考えてみよう。
物事を失敗するときには、必ず、自分の考えや思いが、関わっている。
その時の状態を、分析すると、自分の苦手意識や弱い部分を知ることができる。
その自分を、意識し強くなることで、自分らしく生きる糧になる。
若い頃は、失敗すると自分を責める、もしくは他人のせいにする。これは、ダメだ。
自分の性格は、なかなか治るものではないが、治そうと努力することは、とても大切だ。それこそが、自分らしくなるための条件だ。
人生の時間は限りがあると意識して生きることで、自分の人生を、大切に生きることができる。