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新米ママたちの役に立つかな、私の子育て時代

初めての子育て。長男

四人の息子となさぬなかの息子二人、子育って、いつだってあまり変わらない気がする。だけど、その子供を育てている環境で、母親の子育ての感じ方や育て方はそれぞれのような気がする。

私は、初めての子供は、22歳になると年の8月だった。その頃の私の環境は、夫との二人家族。長男を授かるまでに、流産を4回。妊娠して、すぐ切迫流産。そのまま、五ヶ月に入るまで、自宅安静。出血がなかなか止まらず、夫は諦めていた。私は、絶対に、生まれると、きっと男の子。今回は何としても、産むと。そのおかげか、安定期に入り、無事出産。

夫と子育てをするに至って、約束したことがある。それは、子供を叱る時に、叱っている親を、悪者にしない、叱ることはしつけなので、両親二人が同じようにダメということ。どちらかが、違うことを言わない。両親が決めたことは、お互いの祖父母に必ず、協力をしたもらうこと。子供の周りの大人がバラバラでは、子供が不安定になるから。

初めての子育ては、子供の性格もあるのだろうけど、特に大きなトラブルも無く、赤ちゃん時代がすぎていく。

私は、母親に、赤ちゃんがないたり、騒いだりしたら、どうしていたか聞いたことがある。母は、私たち子供を怒ったことがない人。私の記憶にも、怒られたことがない。いつも優しい母だった。母、「話をしていた」という。赤ちゃん時代や、幼児に。でも、すごく納得して、そうか話しかければいいのか、と思った。

長男が、生まれて、私がしたことは、子供は、母親が見えなくなったら、不安になると、その当時は本で読んだので、トイレに行く時も、「トイレにに行ってくるから、すぐ帰るね」帰ったら「帰ったよ。いいこね。」と。そばを離れるときは、必ず声をかけた。食事を作る時も、すぐに声がかけられる場所に。お昼寝をしている時も、起きたら必ず、私が見えるところにいた。そのせいか、私と長男は、信頼プラス愛情の絆で結ばれた親子だった。

子供を産むと決めた時に、核家族だったこともあり、最低でも、一年は子供を育てようとおもい、看護師の仕事はやめた。一年四ヶ月。本当に、何も無く、子育てに専念した。特に大きな病気もせず。

子供が、病気をしたのは、私が復職してから。私立の子供託児所に預けてからである。りんご病、発熱、風邪。その頃、小児科に勤めていたので、子供の病気で、慌てることもなく、本当に順調だった。

夫も協力的だった。

長男に関しては、本当に何もなく、今考えて思い出しても、私は、苦労はしていない。長男の子育ての柱は、母の「話かける、話をする」だった。見守るという事を意識していて、ハイハイをし始めた頃は、ダメという事を言わないように。危ないものは床に置かない、自分もハイハイをして、床を掃除していた。触っていけないものは、教えた。冬にストーブを出した時、初めてのものは触れたい。少し熱くなったところに、手を当てて、熱い事危ない事を教えた。長男は、「あちっちね、痛い、痛い」と二度とストーブの周りにはいかない。

私は、自分の子供時代に、親から嘘をつく事を強いられていたことがあるので、(集金が来たら居留守等)絶対に子供には、嘘をつかないと決めていた。嘘は、人を傷つける。子供が、ずるくなる。親が嘘つ事を教えるのは、最低。最初の犯罪は、嘘からだと思う。