老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

自分が、精いっぱい生きることだけだった若い頃。占いと私。

自分が、精いっぱい生きることだけだった若い頃。

安倍元総理襲撃事件、旧統一教会と政治、そして様々な、悲しい事件を。聞くにつれて。

若い頃、霊感商法の頃は、初めての育児で、ニュースや世間の事の無関心だった。日々の生活の中で、悩んでいる暇などなかった。

子供に関する事件には、反応していたけれど、だからといって何かが変わるわけじゃないと思っていた。

兎に角、生活をすることは、ある意味井の中の蛙大海を知らずになる。

自分の周りの事だけ。

それは、時間に追われているからだろう。若い頃は考えるよりも行動。

私の性格だろ思うけど、テレビを見たりすることもなく、世間の情報を気にすることはなかった。

誰かのために、なんて考えることもなかった。

自分の親が、ろくでもない毒親だったから、頼ることもしない。

親兄弟、友人、知人に頼ることはしない。

だからこそ、必死だった。

子供の頃から、貧乏だったことと親の社会的なものが皆無。そのために、社会、大人たちを信用していなかった。

助けてくれる人はいない。

攻撃してくる人間はいるけれど。

特に親というものは、自分の子供を守りたいと思うのだ。だから、私の様な子供は親から嫌われる。私という人間を見ないで、バックの親を見て判断するから。

だから、いい子でいた。そのほうが他人に傷つけらないから。子供の頃からの、自分を守る方法だった。

そのせいか、自分の本心を言うことはなく、泣き言も言わないし、忍耐力のある大人になった。

あの親の子だからと後ろ指をさされないように、これが子供の頃の私の生活の指針だった。

おかげで、冷静に自分の人生を見ることができた。

欲しいものは、自分で頑張って作る、買う。

他人と、決して、仲良しこよしはない、何かしらの、損得でかかわってくる。何かあれば保身に走り裏切る。

今も、知人はいるし他人とはそつなく付き合うが、自分からはコンタクトは取らない。

自分から話をすることがないから。困ることがないから。

来るものは受け入れるけど、継続的な付き合いはしない。

人のうわさ話(井戸端会議の話は嫌い。)と、他人の生活を覗き見たいだけだから。

自分の人生は与えられた環境、状況の中で、自分の思い通りの生活をするために生きる。

だから、興味がなかった,世界平和なんて大きなことは、平和に越したことはないけれど、私一人で、何ができる?

自分を幸せにすることで回りの自分に関わった人が幸せになっていくなら、私はいつも笑っていよう、強く弱音を言わない人間になろう。

少しずつ成長するにしたがって、自分と関わる人は、私から元気のパワーをもらいにくるのかと。

気づけば、学校、職場などで、話し相手になっていった。

自分はなぜ生きるのかと考える子供だった。そして自分のことを知りたい要求が強く、いつの間にか、占いの世界に入っていた。

占いは、自分を知るためにとても分かりやすい道具だった。

自分を知ることで、こんな時は、こんな行動をする。感情が抑えられないときは?

物事が起こった時に、自分の感情、考え方がわかっていると、こいうときはもっと考えないと、これは感情的になってはいけないとか、気を付けることができる。

起こったことの原因がわかりやすい。

そうすれば反省をして二度と同じことの失敗をしないように頑張ってみることができる。

だから、人生を生きるために、自分とはを考えてみるといいかもだ。

占いは、当たるも八卦当たらぬも八卦とは違うと思っている。

占いは自分の見えないもの気づかないものを導き出してくれるものだ。