大人の発達障害について。
今年65歳になる私。今年に入なって、どうしたらという思いを抱えている。
それは、息子が「大人の発達障害」ではと、思うことがあり。
親として、考えている。
子供は4人。もうみんな成人している。子育てはすんでいる。
だけど、親であることは変わりはなく、親として、子どもの幸せを心から願っている。
子供が、何歳になっても、子供は子供だ。
さて、どうして息子が、「発達障害」ではないかと思ったきっかけは、息子の転職がきっかけ。
息子は、7年間工業勤務。真面目に努めており、休むこともなく、仕事の愚痴を聞かされることもなく、何の問題もなく社会人として生活をしていた。
しかし、コロナ感染のために会社の業績が、悪くなり、給料が、少なくなった。
残業がないため、給料が、この三年上がらず、昨年のボーナスカット。
息子は、三年目前に、中古物件を購入しており、ちょっと無理して購入しており、支払いが高い。銀行の利息が、5%。そのため、毎月の支払いが、8万もいるのだ。
だから、転職しないと、まずいと考えて、転職をすることにした。
そして、営業の仕事を選んだのだ。
その勤務先が、兄と同じ。もっと言えば、兄が店長をしている営業所に配属。
兄から、色々な様子を、聞いていると、あれっと思うことが。
息子は、元々、不登校で、中学をほとんど行っていない。高校受験の時に、面談があったのだけど、面談があった後息子の顔を見た時に、落ちたと思った。
一年、中学生浪人。次の歳に夜間高校受験して、4年で卒業。
卒業後学校の紹介で、工場に勤務。なぜか、半年で辞めた。
その後、私の勤務していた、病院に看護助手として約3年勤務。
やめた後は友人のつてで、7年間務めることになる工場勤務。
息子は、高校を卒業する時から、友人とシャアハウスすると言っていた。
それで、高校卒業後は、シャアハウスで友人と暮らしていた。
だから、発達障害があると思ったことはなかった。
母親と話をする時は普通だから、会話に難があるわけでもなく、友人と暮らすことができていたから。
ただ子供の頃に、学習障害があった。何というか算数の計算問題が異常に早い。小学一年生の時に算数セットなるものがありその中に計算カードがあった。その計算カードの宿題があったのだけど、パット見せると、瞬時に答えを言う。
えーっ、この子算数の天才かと思った。
だけど、国語、文字を読むことが全然で、国語はまるっきりだめだった。
算数も文章問題があるのだけど、それは正解する。堂宇して、算数の文章問題はできるのに国語は読めないのだろうと。
不思議に思ったことは解決した。算数の問題は、算数の教科書の復讐問題が多いから、その図式(小学一年生の問題は、同じ形式で図も一緒)を覚えて答えているから。文字を読んでいたわけではない。
彼は数字や図式を覚えるのが苦にならなかった。だから囲碁や将棋が異常に強かった。
だからと言って、特に、学校生活に問題があったわけではなく、ちょっと国語は苦手程度で算数が得意。他の運動はできるし、他の教科がすごく悪いわけでもなかった。集団生活に問題があるわけでもなく、友達と問題はなかった。
私がもっと注意していればよかったのかもしれないが、そこまで深刻な問題があったことがなかったから。
中学の時に不登校になった時も集団生活をしないことのリスクを話をした。高校だけは卒業しなさいと。
結果、彼は自分で引きこもりをしている間に独学で、パソコンを組み立てることができるようになっていた。
家族との生活は問題なく、高校を卒業してからの生活も特に問題なかった。
今回、転職で。息子に関わることになり、「ASD]ではないかと私が疑いを持った。
息子とかかわりを持つことが少なかったこともあるし、もう30歳の息子だから、そんなに、生活に口を出すこともなかった。
ただ、不登校だったことで、感情表現が悪いなとか子供の頃はどちらかというと表情の豊かな子供だったのに、不登校で他人とのかかわりがなかったから、コミュニケーションの経験が少ないからかなと思っていた。
病院に勤務している時の話を時々聞いていたけれど、特に、不満もない様子だった。病院をやめたことを聞いたら、深夜勤務が、日勤を終わったあと6時間後に入らないといけないのが苦痛になったからやめたと。
ライフスタイルが合わなかったのかと、そして休みが友人と会わないからと言っていたので、確かに病院の仕事は、変則勤務で、他人が休みの時も仕事をしないといけないから、仕方がないと思った。
その後の工場勤務は、まじめに休むことなく7年勤務しているしコロナ感染で工場の業績が悪くならなければ、転職をせずに、定年まで勤めたのではと思う。
看護師の目から見ていても、「ASD」様子がわかる。
息子は、無表情で、笑顔を作れないのだ。子供の頃は、反対に多動性「ADHD」だったのではと思う。落ち着きがなく幼稚園児の頃、窓から出たり、先生がオルガンを弾いているのに、横で寝そべったりして他人空見られるのを喜んでいたり、何というか他人注目されるのが嬉しい様子だった。
大人になり、「ASD」の症状がでたのではないだろうか。
子供の頃の発達障害「ADHD」は、ひどくなければやんちゃ坊主、子供だからと見過ごされる。
元々、両方の因子があり大人になり環境などで「ASD」が強くなったのではと思う。
息子は、怒ると狂気が強い、何をするかわからない部分がある。だから、怒らさないように、何というか怒ると目が座るみたいな感じがある。
沸点を超えるとやばくないこの人と思わすところがある。
普段は、何も感じないというか、自分が興味がないことは、聞いているだけで、いいも悪いもも言わないので、穏やかに見える。
仕事も上司の言うことに対しては、素直に聞いているようだ。
息子が仕事をやめる頃に、自分が後輩に教える立場にいることの話をしたときに、他人を指導する立場にいるのだなと嬉しい気持ちになった。人間関係で悩んでいる様子もなかった。
しかし、転職をすることで、なんだか変だと思うことが見えてきた。
まず、面接が大変弱いので、その練習をさせた。
高校の面接の時のことから、息子は、先生とか歳の上の人、役職を持っている人に弱い、萎縮すると。
兄の会社に入る前に、正式な面接をする前に、課長と店長である兄と(兄とは数年ぶりに合う)食事をした。
その時に、兄から色々言われたのだが、本番の面接の時には、兄が言ったことを、チャンと、直す様子を見て、課長が押してくれて、採用が決まった。
採用されて、一週間なのだが、何というか、もう、「ASD」を疑う言動が。
兄から、電話で息子の様子を聞いて、これは、大人のの発達障害だと、私は認識してしまった。
あまりにも、その言動が当てはまるのだ。
本人は、意識していないようだ。
だけど、兄には、「弟は、発達障害ではないからと思うから」と伝えて、対応を伝えた。
今の会社の、人材として、即効性のある人材を求めており、店長の弟であると言うこともありある意味期待されての入社だった。
しかし、その言動が、あまりにも、ずれており、役に立たないと。
兄曰く、時間を抱えれば、何とかなるかもしれないが、自分の営業所で、そんな余裕もないし、果たして、育つかわからない人材を面倒見るわけにはいかないと。