大人の発達障害について。
今日は、息子と話をしようと思っている。
本人は、自分が「ASD」だとは思っていないだろう。
病院に行って、診断を受けたわけでもないので、私の言うことをどこまで聞いてくれるか、わからない。
息子は、何故か母親の私の評価が低い。
長男次男は反対に私の評価は高いのだが。
転職の時にも、ちょっとした物言いが気に入らにようで、喧嘩をした。
普段は、当たり障りのない関わりなので、喧嘩をすることはない。
親である私がもうしょうがない子だわと思って、避けてきたので。
というのも、何というか今回のことで、息子が「発達障害」ではと認識するまで、この子は、怒ると手が付けられないというか、普通しないでしょというような後先を考えない行動をするので、あまり感情的になるようなことはしないようにしてきた。
感情的になると、それをしたらどうなるかという結果を考えない、考えられない。
直ぐ上の兄と喧嘩をしたときは、何と、鉄アレイで殴ってきたことがあると。兄のほうが強くて、大ごとにはならなかったが。
狂気というのだろうか、子供の頃にはなかったのだけど、中学から不登校になったころから、感情がヒートアップすると、普通の判断ができないようになっていた。
そのため、彼と話すときには、これ以上はと思うと話はやめることにしていた。
今回は「ASD」ということが、(診断は受けていが)わかったので、看護師として、話をするつもりだ。
話す方法としては、本人に考えてもらう方向で。
自分を見つめれること自分を知ることで、解決することができる。色々な出来事は、案外自分の中にあるから。
自分のことがわかれば、対応も、どうすれば問題を解決すればよいかがわかる。
「ASD」についても個性だというとらえ方をしているので、一緒に考えて、私が居なくなっても、この子が人生を生きやすいようにしてあげたいと思う。
障害イコールだめではない。息子の、障害者であることで反対に、ここがすごいと言うこともわかっている。
親の良く目ではないが、凄いと思う。私なら、そこまで頑張れないよと。
自分が信じる人に答えようとする姿勢。
真面目に物事に取り込む姿勢。
「ASD」で問題が生じるのは、コミュニケーション能力が他人と違うところだけど、本人が自覚できれば、対応がスムーズにいくだろう。
あくまで息子を否定するつもりでなく、障害だってその子の個性だと感じている。
その分そのことでこの子が誰かに傷つけられることが怖い。
他人は、自分と違う物のを、攻撃するから。
悪意はなくても、初対面から他人のことなどわからないから、自分の尺度で他人を見て、ある意味自分の価値観や考え思いを、伝えようとして相手を受け入れることが後回しな人がほとんどだ。
そんな人とかかわった時に息子は生きずらさを感じるのではないかと思う。
息子に今までの人生で、友人がいなかったわけではない。
パソコンでゲーム仲間がいるので、その顔を見たこともないゲーム仲間のいる大阪に1人で一週間行っていたこともある。
同じ趣味、自分と話題の合う人たちとはコミュニケーションが取れる。
だから、本人も自分のある意味特質を知らないでいたのだろうと思う。
息子は、話をしている時は、何も言わない。黙っていることが多い。家族と話をしている時も、兄がしゃべっていることや私の言っている事を聞いている。
意見を求めると、話すが、言葉数は少ない。
だから、本当に、「発達障害」は大人になって、何かのきっかけで気づくことが多いのではないかと思う。