還暦過ぎて、思うこと。
仕事をやめて、家にいるようになって、考えること。
政治や日本の歴史などを考える。
ブログに、記事を書くようになって、今までは口にしなかった自分の思いや考えを、文字にすることで、自分はこんな考え方をして、生きてきたのだなと。
何を思って考えて、この歳まで生きてこれたのかと。
自分の生き方を振り返り、知らなかったことや、横においていいた事、もっと知りたかったことなどに気づく。
子供の頃から、生きることに一生懸命で、政治や経済は、気にならなかった。
置かれている環境で、生きることが食べることから始まっている。
ひもじい思いをしたくないと言うことを考える。
そのためににどうすれば良いか。
ひもじい思いをして大人の階段を上ると、他人特に大人を信用しない。
当てにしない。
楽しいことや夢とかは現実的になる。
兎に角、食べれない生活はしたくない、そのためにどうするかが生きることになっていた。
結婚し子供ができたら、自分と同じような、母親に守られないような、大人に守られないような思いをさせたくないと、生活に一生懸命だった。
食べせること、学校生活でみんなと同じものを与えること、自分のしたい事をさせてあげること、夢を見させてあげること、生活を考えて、子供らしい生き方ができないようなことのないようにと。
本を読むのが好きだったし歴史も好きだった。
だけど、本は、時間の許す限り、自分の知識や、わからないことの答え探しの道具だった。
歴史が好きだったけれど、じっくり考えている余裕はなかった。
今は時間ができて、政治や、経済、日本の歴史、古事記や万葉集の勉強がしたいと思うようになった。
ルーツを勉強しているようだ。
子供に、日本人であることの誇りや生きることの糧を与えるのには、大人が、しっかりと日本人の誇りや文化を知るべきだと思うこの頃だ。
子育て時代は(盗むな、だますな、殺すな)を教えることを軸に子育てをした。
日本人であることの誇りや文化は、教えていない。
平成生まれの次男以下の子供は、「君が代」が歌えない。
これはかなりなショックだった。
国歌を歌えないなんてと。
私の子供の頃は、国歌斉唱は当たり前のことだった。
いつの間に日本人の心である国家が歌えない子供たちが増えたのだろう。
そんなことを考えた時期があったけれど、やっぱり生活をすること、生きることが中心の生活の中では、国家を教えたりする時間はなかった。
それでも、自分が子供の頃学校で教わった歴史や習慣は身についており、戦後生まれではあったけれど、戦前、戦中の先生方との接点で、日本人だあることの誇りは必然に教えてもらっていた。
祖父が亡くなる前までは、三世帯同居の生活だったので、物心がつく頃までは厳しく育てられたおかげで、当たり前のことを当たり前にできる人間の元はできていたようだ。
だから、子育てをする時に、必然的に躾は家の役目。学校は、夢や自分がやりたいことを探す場所だと子供に教えることができた。
昨今は、核家族という形が多く、世代の交流が持てない。そのためか、最近は躾も学校で教える、学校の責任みたいに、勘違いをしている親が多い。
学校は、集団のルールを教え、他人と共同作業を勉強したりするところだ。
家で、当たり前のことを教えてもらっていない子は、あいさつもできない。友達との交流ができない。話しかけることができない。
それがいじめになる一つの原因かなと思っている。
地域社会も、女性が仕事を持つようになり、家には、子供が残っているだけだ。
その子供たちは誰が、守るのだろう。
家の中で、親が帰ってくるまで、ゲームや塾をしている。
通りから、子供の声が聞かれなくなった。
地域のお年寄りとしてと言いたいところだけど、最近は、私の歳でも若いと言われる。そのくらい、高齢者ばかり。
身体が健康だったらと思わずにはいられない。無理をすると、腎臓が悪化するので、悔しい思いをしている。
だからではないけれど、自分に時間ができると、日本のことを知りたいもっと、生まれてよかったと思いたい。
愛国心が、ほとばしるようになった。
インターネットの普及で、学校にいかなくても、自分の知りたいことが調べられる。
良い時代になったと思う。
ちなみに、私のうちは新聞を取っていない、テレビがない。それゆえ、情報はインターネットだけが頼りだ。
よくもまあと自分でも思う。昔は、どんなに忙しくても新聞に目を通していた。
忙しい生活を送っていたので、テレビの情報は大切だった。
受け見で、何も考えずに見ているだけ。
だけど、今は違う。自分で情報は、見つけていく。
そんな中で日本って素晴らしい、日本人でよかったと、だから、歴史や政治に興味が待てるようになった。
考えてニュースを見るようになった。
時間がある、ゆとりがあることが大切だと思える今の私だ。