老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

生きてきたことに後悔はないし、小さなことを幸せに思えることが幸せだ。

この歳になって、思うことは、なにはともあれ幸せなんだな。

食べることも、不自由がない。

食べることは食事療法のために、制限はあるが、制限のある中で食べたいものは食べている。

子どもの頃は、食べれない日があったり、食べれずに倒れたり。お腹がすくから、朝起きて、食べるものがないとわかるからまた、寝ようと寝たり。(空腹感があるときは寝ると食べなくていい、これは冬眠、いらないエネルギーを消費しない生きる知恵だったかも)。

仕事をしなくなったので、洋服を買うこともなくなった。元々、贅沢志向がないから。

最近は、断捨離とかよく耳にするが、歳をとると言うことは必然的に、いらないものが増える。

自分のライフスタイルが変わると、変わっていくものだ。

特に、仕事をやめると、まず、服が要らなくなる。

生きていくうえで必要なものは、その時に必要なものを、持つようになるのだと思う。

私は、子供の頃に貧乏だったので、大人になって、物を、自分で買えるようになったことで、物が増えた。

そして、捨てることができずに、持っている。

これは、トラウマの一つなのだと思っている。

いつも、必要なものも買ってもらえなかったから、捨てられない。

洋服は、裁縫ができるのでリフォームして着てしまうので、捨てることがない。もう一つ、身体のサイズが変わらない事と、顔が若く見えることもあり、20代後半の洋服もいまだに合う。

そして、流行を追いかけるような服は買わずに、持っている服と、流行を取り入れて着ると言うことをするので、服を捨てることができない。

それでも、さすがに、仕事をやめると、さすがに、着ることがなくなった。

そして、猫。猫4匹と生活するようになって、、毛がついていい物、動きやすい物になって、お洒落な福やスカートもはかなくなった。

今は、猫たちのおかげもあって、服の断捨離が進んでいる。

歳をとると断捨離の一つとして、何というか人間関係のこともある。

お付き合いという関係のことだが、冠婚葬祭なども、その一つだ。

人生、社会人にとって、人脈は大切とよく言うが、年齢を重ねる事で、人脈が要らなくなることもあるようだ。

元々、他人に対して、何も期待をしない私なので、友人を持つことはない。

悲しいことかもしれないけれど、親、姉弟妹、親戚を信用しない。

この幼少時に関わった人間関係が、私の中で、他人を信用しないと言うことになっているようだ。

と言っても、人間関係を嫌がることもないし、職場でも問題なく、こなしてきた。

職場では職場のルールを守って、プライベートでは付き合うことはなかった。

仕事仲間として、付き合うだけ。

そのため、転職することで、前職の人たちとはどんなに仲がよくても、付き合うことはなかった。だから私の人脈は、職場関係で、増えることはない。

自分が亡くなった時に、呼ぶ知人は誰もいないなと思う。それが寂しいと言うことではない。

私は、自分の子供たちが、いればそれでいいと。

私が、他人に対して冷たいわけでは決してないです。困っている人がいれば手を差し伸べる、どちらかと言えばお節介な人間だ。

ただ、人は、親切にしても、本当に喜んでいるのはわからないし、大きなお世話と言うこともある。

要するに、他人に対しては、利用して楽に自分が動ければいいだけな人が多いと。

ある意味、軽い人間不信。

だからと言って、人間が嫌いなわけではない。嫌いなら、占い師になっていない。

私自身に、他人が必要ないのだ。悩みがあっても子供の頃から自分で解決してきた。

子供の頃から、大人は助けてくれないと思ってきたから。

弱音を言わない、他人に迷惑をかけないようにしてきたら、他人から頼りにされるばかりで、自分の悩みを相談することはなかった。

強い人間に見られると、距離感が生まれるのかもしれない。

そんな私のため、知人はいるが、友人とかはいない。

そして、私自身が、井戸端会議が嫌いだし、うわさ話も嫌い、自分で言うのもなんだけど、自分は真面目で、面白い人間ではないと自負している。

私の側にいる人は、私を利用する人だけが、集まってきている気がする。

そして、占い師を仕事にするようになってから、友人を切るようになったことも大きい。

何というか、お金をもらっている占い師のだが、友人、知人たちは、相談をしてくるのだが占いをさせようとする。

これは私にとってはとても嫌な事だった。お金を払って、私の占いに来てくれる人たちに申し訳がないと。

姉は、姉妹でも私にお金をくれる、仕事だからと。私の性格を知っているから。

とても、、嫌なだった人が、20年以上、友人だった、ママ友。

自分の職場の人間関係の悩みとその人たちの性格を占わせる。だから、遊びに来られることをドンドン、断るようになった。

彼女の裏の性格がある事件で、わかってからは嫌で嫌で仕方がなった。

このママ友さんは、宗教活動をしているのに何で、こんなことができるのだろう?人としての当たり前のことができないのかと、思ってしまった。

このママ友さんには、私は時分から連絡することはないので、あなたから連絡がなくなったら、私たちの関係は、自然消滅するよと言っていたことがある。そのためかこまめに、連絡をしてきていた。でも、私に、自分でもまずいと思っているのだろう、秘密を知られてから少しづつ離れていった。

正直に言うと、良い友人だったと思っていたので、残念だと思うが、でも、他人を裏切ったり、利用する人だとわかった時点で、私の中では、切りたい友人だったとわかっている。

 

歳をとって、時間ができて今までできなかったことができる事が嬉しい。

生きることに、頑張ってきて、自分が何かをしたいと言うことは後回しで、今若い頃にできなかったことができることが嬉しい。

神様は、公平だと思う。

生きてきたことに後悔はないし、小さなことを幸せに思えることが幸せだ。