老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

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人として生きていくと、必ず人間関係で悩むのは当たり前。一人ぼっちになることを嫌がるな。  自立をして、生きていけれる力を作ることが一番だ

歳を取ることで、見えてくること、思うこと。

 

人として生きていくと、必ず人間関係で悩むのは当たり前

 

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私が鈍感と言えば鈍感なのかもしれないが。

 

他人に、受け入れてもらえないからと、命をたったり、引きこもったりする人のことを、考える。

 

他人の暴力で、傷つくのは、外傷だけではないかと

 

目に見える怪我は、治療すれば治る。

 

治らないのは、心の傷だとよくいう人がいる。

 

トラウマになることは、よくある。

 

だけどそのトラウマも、他人にはわからない。

 

人それぞれである。

 

そして、心の傷をつけるのも作るのも自分であると言うことを自覚することだ。

 

Aさんに取っては、トラウマでも、Bさんにとっては何でもなかったり。

 

私は、自分の子供の頃の苦労(人が話を聞くと苦労したのねというから)と思っていない。なぜなら、気にならなかったから。

 

食べれなくひもじい思いをしたことも、学用品をかってもれえなかったことも、養護施設に預けられたことも、妹たちが養子に出されたことも。

 

すべて、子供時代に自分ではどうしようもなかったことだったから。

 

自分の力で、どうしようもないことで、傷つくことはない。

 

与えられた環境の中で、生きていくことでせいっぱいだったから。

 

そのおかげで、大抵のことには、対処できる人間になった。

 

両親がいて、三食食べさせてもらって、学校に行かせてもらい、友人と遊び、貧乏であることで我慢することもなく、自分のことだけを考えて、生きていける環境。

親に守られている環境を持っていることの幸せ。

 

この環境は、ある意味、幸せのデメリットではないかと思う。

 

守ってもらえると言うことは、相手に依存してしまう。

受け止めてもらえない時に、大げさな言い方をすれば、挫折感が心に生まれ、自分で自分をダメ人間にするのではないか考える。

 

与えられることになれ、当たり前になる

 

その当たり前が、否定されたときに「なんで」「自分のどこが悪いの」と自分が、他人に認められないことで悩む。

 

私は、他人に対して、何も求めない。期待もしない。私の周りには、集まる時には人が集まる集めることもできるが、私自身が、群れというものを好まない。

 

他人が私が必要だから、私といるのだろうと思うだけで、私が必要でなければ、離れていけば良いと思っている。

 

人はよほどのことがない限り、死ぬときは一人である。

 

死ぬときに誰かと一緒に死のうとしても、死ぬ一瞬は、一人だろう。

 

ならば、誰も側にいないと言うことである。

 

昨今の時代は、少数の人に会うだけで、仕事ができる世界ができつつある。

 

自分の世界が作れるなら、一人でもよいではないかと考える。

 

人間関係で、傷つく人は、とてもやさしい人なのであろう。

 

しかし、人間は、本来欲深いものである。本来の自分を隠して、他人をだまして生活しているのである。

 

人として生きていくために人として暴走しないように、社会にはルールというものがある。

 

そのルールに、違反しない生活をすれば何の問題もない。

 

友人がいないという人は、インターネットの世界に行けば、話す友人はできる。

 

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自分を攻撃する人がいても、自分の心で受け止めなければいいだけだ。

 

「あ~、この人の考え方なんだ。」

「この人の人生は自分と関係がない、自分の人生の生き方は自分できめるのだから。」

 

自分を攻撃してくる人に、好かれようする必要はない。

 

相手にしないことだ。

 

それでも「だって」「我慢すれば」と思う人がいるが、何のための我慢や相手を受け止めようと、受け入れてもらいたいと思うのだろう。

 

怪我をさせられたら、学校なら医務室にいって、手当をしてもらう。医務室の保健婦さんは、報告義務があるのだから、別に自分が困ることはない。

 

社会に出れば、医者に行けばよい。そうすれば何があったか、記録に残る。

 

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親のことを思って、我慢するのは間違いだ。

 

辛い嫌だと言うことを、我慢できないのであれば、我慢しないで、戦うべし。

 

大きな声で、叫べばいい。

 

避けれない時は、逃げろ。痛い思いをすることはない。

 

交番に駆け込め。

 

心は自分でどうにでもできる。力がないのであれば、力のあるものに頼れ。

 

大人は、そんな時に利用するものだ。

 

人間は、いつだって一人なんだと思うことだ。

 

親は、いつか死んでしまう。友人だって、永遠に付き合うことはできない。

 

今の環境が、学生なら、卒業するまでだ。

 

どうしても我慢ができなければ、学校なんて辞めればいい。

 

やめても、今は通信で学歴は作れる。

 

自分次第だ。

 

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今の世の中は、便利である。どこにいても、情報は手に入る。

 

自分のしたい事やできないことを探すことは容易だ。

 

もし自分に何もない、自分はダメな人間だという人は、本を読め。

 

旅をしろ。日本一周はお勧めだ。

 

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一人になれ。一人の気楽さ、孤独が強くしてくれる

 

誰もいないと思うのは自分で生きていくことに自信がないからだ。

 

両親に愛されてきた自分に、誇りを持て。

 

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自分の評価は、自分でする

 

学校の先生も、会社の人間も、人だ。正確に他人を評価などできない。そこに、感情が入るし、損得も入る。

 

頑張っている自分、さぼった自分を知っているのは自分だけだ。

 

世界中には、色んな人がいる。沢山の人がいる。今の自分を、今の環境で評価してもらえなくても、必ず、正当にしっかりとあなたを見てくれる人がいる。

 

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自分が、反対に誰かを認める存在かもしれない。自分が気づかず、誰かに影響を与えていることもある。

 

人生はそいうものである。

 

人間関係に固執するな。

 

することをきちんとし、ルールを守っているのだったら、しょうもない人間を相手にするな。

 

衝動のままに生きている人間は、ルールを守れない人間もどき

 

人間もどきに、人間らしさを求めても、無理だから。

 

まあ、こんなことを書いても、なかなか難しいのが心だけど。

 

「でも」「だって」と自分の人生にストップをかけるなと思う。

 

自立をして、自分で生きていけれる力を作ることが一番だ

 

一人ぼっちは案外楽しい。

 

自分の世界を作ることができるし、他人の思惑も気にしなくていい、友達は必要だというけれど、自分にとって本当に必要であれば、作ればよい。

 

群れることでの安心感はあるかもしれないが、一人は強い心を作る

 

しかし、それも、一人を楽しむと言うことの条件はある。

 

家族がいるのに、家族を無視したりするのはご法度だ。

 

自分のことを分かってくれないと思うなら、親には感謝していることを伝えろ。

 

人を、嫌がってはだめだ。相手を認めること、だからといって自分がその人に合わせることはない。

 

人間嫌いにならないように、それは自分を否定することにつながるから。

 

自分も人間だからね。

 

私は、小学校の頃、貧乏だったから、学校の図書室が大好きだった。放課後に、いつも本を読みに行っていた。

 

そのおかげで、本の好きな友達ができた。その友人とは、彼女が亡くなるまで(60歳でなくなった)親友だった。年に何回も会えるわけではなかったけど、今でも彼女との思い出は、私を幸せにしてくれる。

 

沢山の、人とのかかわりで、経験できることもあるが、本での経験も、人とのかかわりがない分知識の向上を、そして思考力をつけてくれる。

 

虐めにあったり、人間関係がうまくいかない人は、孤独になることで得られる経験をしろと、神さまが言っているのかもしれない。

 

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一人ぼっちになることを嫌がるな。