何年か前に、他のブログに書いた記事です。
次男坊から、「困るんだよね、うるさいというか、なんというか」
「何が?」
「○○○が(彼女の名前)お母さんに連絡取ってる?ちゃんと連絡しないとだめだよって。うちの母親とはそんな関係じゃないからと言っても、だめでさぁ~。ぜったいに、連絡したほうがいいよ。心配しているよ。お母さんだもの。って聞かないんだよ。」
「あっ、そうなの。でも、何もないならいいけど。頑張っていると思っているし、何かあったら言ってくると思っているし、。信じているから。私が会いたかったら、連絡するし。頼りのないのは元気な証拠ってね。」
「だよね。俺らの親子関係って、普通じゃないのかな?」
「ふ~ん・・・。女の子なら母も、もう少し心配かもしれないけど。彼女ができたりすると、母の入れる時間ないでしょ。仕事や友人ましてやおまえは、社会人バスケットもしているし。特に、あんたに対しては、困ったり、これは母に言っておかないとまずいことは連絡してくるから。いいんじゃないかな。今のスタンスで。」
「そうか、そうだよね」
「母は離れていても、いつだってあんたたちに何かあったら力になるし、いつもいつも一緒にいる時間は、過ぎたよ。
今は、自分たちの人生を建設しているのだから、母は見守っているところだから。後悔しないように、頑張ってほしいだけだよ。」
「親として、自立させてきたと思っているから、今は、元気で生きていてあげるのが私のあんたたちへの愛情だから。
いろんなことを親として経験させてもらったし、幸せもいっぱいもらっているから、今度はあんたたちが自分の手で幸せを作っていってほしいと思っているよ。」
「まぁ、こんなことを言っていても、4人それぞれだからね。最近は、なんて言うのか危なっかしいと思ったり、口やかましことを(末っ子には特に)言いたい時もあるけど、経験に勝るものはないかなと思っている。
信じていることは、自分が守るべきものを裏切ったりしないということかな。安心しているんだよね、そうゆう意味では。」
「だから、母のことより自分のことを考えていればいいよ。」
次男坊、なにやら納得したようで。
親子の距離って、色々だけど、動物は親から子供に伝えるのは生きていくことと子孫を残すことだと思う。
生きていくことを教えた親は、いつまでも一緒にはいない。
人間だけが、いつまでも依存し合っていたり、縛りあったりしている気がする。
私は、子供たちが男の子ばかりなので、自立して守るものを手に入れて、幸せになってほしいと思っている。
だから、私の人生のすべてを誰か一人の負担にさせたくないと思っている。
老後も、人生の終わりも準備して、神様に自分の人生をありがとうございますと報告できたら幸せだと思っている。
しかし、親子の距離感は、子供を人として、尊重することかなと思う。