老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

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自分の手の中の幸せ

自分の手の中の幸せ。

 

幸せは、どんなにたくさんあっても気づかなければ、意味がない。

 

したいことはいっぱいある。

 

この年のなっても、尽きることがない。

 

ただ、自分の感じる幸せは何か?

 

このことを考えると、一つは、子供たちの幸せかなと思う。

 

欠点も長所もいっぱいある子供たち。

 

長男は結婚をしておらず、この先縁があればという感じ。もう40歳。

 

次男は、隠れマザコン。仕事が終わったら、毎日連絡が入る。

 

三男、四男は、マイペース。よほどのことがない限り、連絡はない。

 

長男は、資格の勉強中。資格が取れれば、自信もつき、親離れができるかなと思っている。

 

とても人の良い子だけれど、いい人を外で演じすぎて、自分を出さないから、人間関係が、広く浅く、来るもの古馬わず去る者追わずである。

 

次男は、私が占い師であることもあり、会社のことの愚痴など、毎日かかってくる。しかし、この子は、結婚もしくは、彼女ができれば、私の関係は、今ほどでなくなるのは、わかっている。

 

私と話すことで、自分の頑張り屋、考え方を、納得させている。30歳になったというのに、毎日、母親と話をする息子は、ある意味、絶対の信頼を母親に置いているともいえる。

 

せんだって、四男坊が、会社を辞めて、大阪に行った。会社を辞めるのも、連絡なく。会社からの連絡で知った。

 

メールで、連絡はついたが、直接話すのが嫌なのか、携帯には出なかった。会社から、退職の書類に、私(身元保証人)にサインと印鑑を、してほしいといってきている。

 

書類をみると、会社の車、アパートの鍵、携帯、社会保険証、ガソリンカード

さすがに、返却しなければ、弁償する部分が、実印を捺印しろということだし。

 

いつ、大阪に行ったのか、会社に辞めるとメッセージをおくってそのまま、出社していない様子。

 

詳しいことは聞かなかったが、本人は前家賃でアパート代は払ってあるから、月末までには、帰って片付けるつもりだったようだ。

 

会社にすれば、止めるといった人間に、会社の寮として貸しているアパートは出ていってもらいたいよね。

 

次の日に帰ってきて、アパートに行けば、会社の車は放置していたので、バッテリーが、上がっている。

 

本人に、止めるに三日前に電話した時何も言っていなかったけれど、あの時何で言わなかったの?

 

別にいいかなと思って。

 

心の中で、ちょっとむかついた。いいかじゃない、結局、私に迷惑が掛かっているのに、26歳になって、仕事も嫌な様子もなく働いているかと思ったら。

 

四男坊は、会社を辞めるときが少しいい加減。直してほしいと思う。

 

長男と私の車を使って、マンションに荷物を運んだ。あとは、会社に返却するものを持っていき、事なきを得た。

 

その日に、すぐ、大阪に戻った。

 

しかしである、連絡先を言わず、彼女(最近できたらしい、仕事をやめるといったら、こっちに来ないかといわれ、一緒にいる)の待つ大阪に。

 

大阪に、いってから10日間たつが、四男坊とは、生きている間に何回会うだろうと思った。

 

三男坊は、着かず離れずの関係。今のところ何もない。一年前は、家を買うので、色々とあったけれど。

 

子供が四人いて、何かあった時は、かかわるけれど、それも彼らが、結婚をしたりすれば、私は関わらない。

 

今は、他人が入っていないので、なんだかんだと「母」を頼ってくれるけれど、彼らは、私を母として、大切に思ってはいるけれど、強い人だと思っているようだ。

 

人として強いということはどいうことかと考える。

 

子供からも、他人からも、言われるが、決して強いわけではなく、他人を頼りにしていないだけだ。

 

自分のことは自分でする、他人に迷惑をかけない。ただそれだけを心掛けてきた結果が、今の私である。

 

子供が自立したら、一人くらしをしたいと思っていたが、再婚して、夫がいるので無理だと思った。

 

再婚した当時、まだ子供が学校に行っていたので、マンションに通い母をしていた。

 

その当時事情があり、夫とは一緒に住んでいたが籍はいれずに、何とかして別れようと思っていた。

 

そんなこんなでもう、12年(入籍は6年前)。

 

今でも、離婚してもいいという気持ちはあるが、それは、夫が年下なので、気の毒という気持ちがある。何も、持病持ちの女といる必要はないのではと思うから。

 

自分のことを卑下しているわけではない。

 

私が先に亡くなるのは必然だから、この人が一人になった時のことを考えると、私じゃないほうがと思うのである。

 

実際の生活の中で、年下と言うことや年上であると言うことは、何の問題もない。

 

夫婦とは、パートナーなので、年は感じない。

 

夫は、昼休みには毎日、電話をかけてきてくれる。はたから見れば、ラブラブではないかと思う。

 

私は、空が青いと、幸せだなと思う。

 

今日、買い物の帰りに、(朝は雨が降った)空を見ながら、何気に、これからのことを考えた。

 

子供たちが、本当の意味の自立をしたら、男の子ばかりだから、母の役目も終わる。親子の関係は続くけれど、自分のことだけを考えて生きてもいい時間が来るなと。

 

そんな私のそばには、夫が、いてくれるんだと思ったら、自分の手の中の幸せの心地よいことに、気づいた。

 

二つ目の幸せなのだと思う。

 

夫と私は、自分たち二人だととても幸せなのだが、私が「母」であるときは、夫は「父」ではないので、子供たちに焼きもちを焼き、機嫌が悪い。

 

男の人は、自分が一番でないといけない人がいる

 

私の夫もそうである。

 

うまく言葉にできないが、この先の人生は、夫と穏やかな時間が来る気がする。

 

今の私の手の中の、幸せは、夫がいることかもしれない

 

神様に感謝。

 

四人の母親になれたこと。

 

残りの人生を、一緒にいてくれる人の出会いを。

 

 

心が穏やかに、やさしくなれる時間を感じて、自分の手の中の、幸せを大切にしたい。