還暦を超えて、息子たちの生活を考える。
息子が4人いるのだが、上は40歳なのに、彼女もいなく、結婚することはないかもなんて思っている。
3回の結婚をしている私だが、歳をとった時に、支えあえる人がいるのは、大切だと思っている。
4人の子供の親として、誰か一人に自分の老後を見てもらいたいと思わない。
子供に見てもらうと言うことは、息子が結婚をしていればその配偶者が、他人の世話をしなければならない。
介護が長くなれば、そのお嫁さんの自由を、束縛する。
そんなことは絶対に嫌である。義親の世話をする為に、結婚したわけではないだろうと思うから。
私は、介護施設には入所したくないと思ってはいるけれど、誰かの自由と時間を奪うのであれば、致し方ないと思っている、その時は、介護施設に入ろう。
お金で解決するならそのほうが良い。
私の場合、病気で入院して、介護施設に入ることなく亡くなるのだろうと思っている。
結婚を三回もしている私が言うと真実味がないけれども、私は結婚向きではないと思っている。
ただ、一度は結婚しないと世間的にもめんどくさいからと、お見合い結婚をした。
その結婚が続けばいいし、そうでなければ離婚になってもいいやと思っていた。
この結婚では、小姑、姑に、いびられた。義父に「おしんのような子だ」と言われた。
夫は良い人だったけど、結婚を続けるほど、好きでもなかったし、離婚しても良いと思っての結婚だったので7年で、離婚した。
この、姑、小姑の関係は、嫁である私は別にもめ事を起こしたいわけではないし、夫の家族に対して、期待をしていたわけではないけれど、こんな、姑にはなりたくないと思った。
結婚を経験して、子供たちの結婚に対しては距離を、置こうと思っている。
私の家族ではなく、息子の家族であると言うことを、一番に思うということである。
本当の親子でもカチンと来たりすることはあるし、言動に気をつけても、嫁と姑の関係は、構えているという感じがする。
職場で、若い新婚の人が、「もうめんどくさいは、あのくそ婆、おせちなんかいらないのに取りに来い」というから。聞くに堪えない、罵詈雑言。仮にも旦那の親なのにと思う。
男の子母親として、こんな嫁入らんわと思うと同時に、この子の親はどんな躾をしたのだろうと思ってしまった。
看護師の現場は女性の職場。もうそれは、ひどいことを言う人がいた。人いつかは自分も姑になる時が来るのに、よくもまあ、人としてどうなのというようなことを平気で言える人は、言霊は、我に返るというから因果応報になるかも。
息子たちのことを思って、してくれているのに、感謝の気持ちすら持てないって。
私は、最初の結婚の時に、義父が姑に「嫁を貰うのであって、女中じゃないから」といった話を聞いていたので、そんな人が姑なのかと、身構えていた。
結婚した時から、姑は話かけてくる人ではなかったし、商売をしていたので毎週、手伝いに行っていたけれど、お手伝いさんと居間でずっと話をしており、私はお店のほうで、店番をしていた。
食事も、二人が食べた後。
お風呂も、みんなが入った後。
本当に、義実家に行った時は、女中だった。
夫や義父が、居間に呼んでくれても、座る前に直ぐ店に呼ばれた。何かと用事を言われた。休む暇なく、動いていた。兎に角、掃除をしたり家事をしていた。
まあ、毎週日曜日、夫が仕事が休みの時だけだったので、我慢できていた。
心の中で、「絶対にこの人のおしめ交換なんてできないわ、介護できないなぁ」と思っていた。これは、私は離婚するな。これ以上無理と思ったら、終わりと。
そんな経験から言っても、4人の息子たちが結婚したら、私は、いっさい関わらないと。親として、最低限度のことはするだろうけど。
末っ子ができちゃった結婚をした時に、「してほしい事があったら言ってほしい、私からあれこれすることはないから。いらないことをしても仕方がないし、私に気を使われるの嫌なので。」
息子には「彼女の親を大切にしなさい。彼女の家は女の子二人なので、親の面倒は長女である彼女が見ないといけないだろうから。私のことは気にしなくてよいから」と結婚するときに伝えた。
嫁さんは、中学の二年生から高校卒業するまで付き合っており、高校卒業の年の1月に、妊娠がわかり、高校卒業後結婚した。
正直に言って、その当時、この結婚は失敗する。彼女が、だらしがないから。
息子は、本当に彼女が好きだったので、反対しても言うことは聞かないだろうと思っていた。
社会人になったら、彼女とは別れるだろうと思っていた。彼女が、そんなに息子を好きではない気がしていたから。
この二人の結婚は、嫁の浮気で、離婚することにと言っても、嫁の親は自分の娘が浮気したとは思っていない。嫁は浮気で(性病をうつされていた)
息子と、付き合っている時に、他の男と二股かけられていたので、この結婚は、うまくいかないだろうと思っていたので、さもありなんと、いたしたかない。
この嫁は、私が二股をかけていたのを知っていたので、私と話すことはなかった。中学の頃から知っているが、兄たちにもあいさつしないし、私がマンションに戻っていても、息子の部屋から出てこず、あいさつもできない子だった。
離婚した後、しばらく息子は気力がなくなっていたけれど。
兄たちも私も、失敗するであろうと、思っていたのだが、彼女が子供を産みたいというからと、息子が言ってきた。妊娠がわかった時に、息子には、子供を作るのは、注意していたので馬鹿がと思った。
それでも、学校を卒業して、お金をためるために頑張った息子は、褒めてやれると思っている。(アパートを借りる資金や生活用品の購入等)
そのため、息子たちは、一年ほどは親元で暮らしていた。
相手の親は、ブッラクに載るほど、生活がだらしがない。アパートにたまに行ったが、一度も家の中に入ったことはない。
アパートの廊下に出てきてドアは閉める。中を見せようとしない。見たいと思ってはいないが、婿の親を、玄関ならまだしも、廊下で対応って。
母親が何もせず、ゲームをしてばかりの人で、父親が、仕事から帰ってから、外食いったり、食事を作ったりだった。
結婚式も、親族だけで、フォット婚と会食をしましょうと言ったが、相手の両親は来なかった。
できちゃった婚ではあっても、結婚式の写真くらいはないと、寂しいしだろうし、友達にも見せたいだろうと思い、私がお金を出した。
はなから、相手にお金を出してもらおうと思っていなかった。結婚式は、息子の自覚と責任を持ってもらうためのけじめのつもりだった。
それにしても、別れるだろうと思ってはいても、幸せになってほしいと思うのは親心。その気持ちがあるから、手を差し伸べるのだが、いらぬお節介かもしれない。
兎に角も、息子たちが幸せなら、親のことなんて考える必要がないと言っている。
自分達が、選んだ人を大切にしてほしいと思っている。
現在家族構成は、核家族で、子供たちが自立すれば、夫婦二人である。
結婚が、すべてではないし、幸せならどんな形でもいいと思っている。
息子たちは、私のことを非常に大切に、思ってくれているその気持ちだけで十分。
私とかかわって、私のことに気を使うことはない。
看護師をしてきて思うことは、入院したり、施設に入ったりするにしても、一人は、みじめである。
施設入所者で、家族がいない人は、見舞いも誰も来ず、家族がいつも来ている入所者に対して、暴力をふるったり、介護者に当たり散らす人がいた。
手続きひとつにしても、家族の同意がいることばかりで、自分一人では、何もできないのである。保証人が必ず要る。
誰もいない人は、最終的に生活保護受給者になったり、役所の世話になったりする。このような人は、ただ、死ぬまで、食べて寝るだけで、誰も相手にしてくれない。
自分意志が伝達できなければ、治療もしてもらえない。裁判所から、司法書士等の後見人がついても、何かあってもすぐに来ることはない。
治療すれば助かるもしくはまだ生きられるという人でも、生活保護だから、積極的な治療はしない。
本当に、金のない人、家族がいない人は、老後は悲惨だ。
下手に、施設などに入るよりも、ホームレスをしているほうが幸せかもしれない。自分の、命が尽きるまで、自分で決められるから。
息子たちに、結婚という形でなくてもいいから、誰か信頼できる人が側にいるような生活をしてほしいと心から願うばかり。