レジ袋が、7月から全国有料の話から、子供の頃のことを思い出した。
子供の頃、お使いに行くときは、買い物のかごというものを、持って行った。
夕方に、夕だしの買い物に行くよと、言われたら、すぐに買い物かごを持って玄関で待っていた。
時には、ボールもかごの中に入れて。
ボールは豆腐を入れるため。
八百屋さんで、野菜を買ったら、新聞紙でくるくるとつつんでくれて、買い物かごに入れてくれた。
この買い物かごは、おばあさんたちと住んでいるときは、いつも活躍していたけれど、おじいさんが亡くなって、核家族になった私の家にはなくなっていた。
買い物かごは、母親のイメージがあり、家にないのが寂しかった思いがある。
子供の頃は、どこの店も、紙で、物を包んでくれるのがあたりまえだった。
新聞紙で、袋を作って八百屋さんに持って行って、お駄賃をもらっていた。
それから、風呂敷は、おばあちゃんがいつも、持っていた。買い物かごにも、入っていて、大切なものや、卵を買ったときなどは、風呂敷でもって帰った。
おばあちゃんは、野菜を包んでくれた新聞紙は、掃除の時に使っていた。
水を含ませて、玄関や台所の土間などのほこりとりにしていた。
「こうすれば、ほこりが舞わないのよ」と教えてくれた。
おばあちゃんは「風呂敷は、どこかに出かけるときは必ず持っていきなさい」と言っていた。
「寒いときは、肩掛けになるし、お座布団にもなるし、けがをしたときには、包帯にもなる。暑いときには、帽子にもなるからね」
今は、すっかり忘れていて、風呂敷はタンスの中。
そんな話を夫にしたら、
「日本人は昔から道具を大切に使って行く知恵があるから、コロナ感染のこの時期、昔の知恵を思い出すのが過ごしやすいかもだね。」
そういえば、昔はお店も遅くまで開いてていなかったから、暗くなったら子供は家に帰るのが当たり前だった。
家で、家族とテレビを見たり、トランプをしたり、本を読んだり、兄弟喧嘩をして怒られたり。
家で楽しむこと、家族と過ごすことがあたりまえだった。
便利になった分、家族との絆が薄くなって、個人個人のスタイル、まるで共同生活状態なのかもしれない。
家族が一番居心地がよくないといけないのに、家族との時間のとり方を忘れてしまっているのかもしれない。
それにしても、買い物かごを持たなくなったのは、共稼ぎが多くなって、買い物かごをもって来ない人たちが多くなったからかな。
お店の人たちのおもてなしの結果かな。
時代が変わり、便利だったものがごみになり環境汚染になってしまった。
でも、紙がなくなっていったのはなぜかと言うと、伐採のために、木の成長が追い付かなくなったと聞いたことがあるような。
以前から、袋は何枚か、出かけるカバンに、入れている。
車には、冷凍用の買い物バックを載せている。
最近は、小さく折り丸くして、持っていくことのできる買い物バッグが巷で売られている。
でも私的には、かさばらず小さくなる風呂敷がおすすめ。
昔の人の知恵は、もったいないから始まっている。
物を捨てないように、壊れれば直し使う。
日本人の美徳な部分だと思う。
日本人のいいところの発見をしてみよう。