人が亡くなると、なんだかんだと言っても考える。
先日、二番目の夫が亡くなった(と思う、危篤と聞いたが、なくなったかどうかは確認をしていないので)
78才だった。つい自分のに、照らし合わせて、わたしも80歳くらいとしたら、あと18年か。
透析をしたら、10年くらいと医者が言っていた。と言うことは、。透析をするとほぼ、寿命がわかるのかと思ってしまった。
透析をするほど、悪くはないが、老化とともに、内臓も老化で、検査データーが悪くはなっている。できれば、透析を受けずに、頑張りたいと思っているのだが。
私的には、87才まで生きれるのじゃないかと思っているのだが。
こればっかりはわからない。
60才と言っても、あっという間である。年を取るのは当たり前なのだが、感情は、年を取らないなぁと思う。
恋愛ドラマを見れば、ドキドキするし、アクションドラマを見れば、わくわくするし、若いころと何ら変わらない。
だからだろうか。
病気などで、寿命を申告された方より、のんきで、命の時間が少なくなっていることに、気づかない。
仕事上、なくなる方にかかわることが多いが、意識がなく今まさに亡くなろうとしている方は、何を思っているのだろうと。
ドラマや映画のシーンで、感動的な臨終を見るが、現実の世界で、私は、まだそのような場面に、遭遇したことがない。
ほとんどが意識がなく、会話もなく、息をしなくなるの見ているだけである。
父が亡くなる時も、友人が亡くなる時も。
呼びかけても、泣いても、反応はない。ただ、身体の機能が、終わるだけの状態。
それでも、本人は、わかっているのだろうか。自分が、死ぬと言うことを。
他人の死と言うものに、かかわる仕事をしているからだろうか。
伝えたいことは、生きているときに、伝えるべきだと思う。
伝えることができないのであれば、残すことではないかと思う。
私の子供たちは、父親がいなくなり、母親だけになった。
4人の子供たちは、父親に縁がない子供たちである。
血のつながりって何だろう?
人の関係って?
相手を気遣う関係が、大切なのかもしれない。そして、とらわれないことかもしれない。
人は人、自分は自分と言うことかも。