老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

還暦を迎え、人生を心地よく過ごし、もっと魅力的人間になる「楽しく楽しく生きる」ヒント探しブログです

私って、黙ってると優しくみえるらしい

今年、マンションの副理事に、なったのだ。

理事メンバーとは、とても良い関係と言うか、最高のメンバーかもしれない。

私が一番若いのだけど、還暦なのに。

結構、めんどくさい住人がいる。何処でも、いるのだろうけど。

もう、老害

今のメンバーで、次回の役員の方が仕事がわかりやすいように、していこうと、話をして引き継ぎをしっかり出来るようにと、頑張っているのだけど。

前から何度も役員を、している住人が、口を出す。

82才の、理事長にクレームばかり。

今回の役員は、三人が女性。

その中で私、凄く早口で、質問したり、反論したり。

その、住人、私が怖い、めんどくさいからか、私には言ってこない。

この住人のお陰て、歴代の役員が嫌な思いを

したのも耳にしている。

困るのは、管理人が、この住人の友達。逐一報告し、クレームを、つけてくる。

先日も、理事会で決定したことが、漏れて、理事長がやられた。

理事長には、管理人には理事会での話をしないこと、Hさんに何か言われたら、他のメンバーに、話をして、自分一人だけでは、返事が出来ないと答えてと。

そしたら、私ではなく、ちょっと穏やかな理事のkさんに、電話があった。

今回の役員は、考えが同じなので、Hさんのごり押しは、今までのようにはいかない。

組織としての、不透明な部分や、いい加減なことが、全て私達に回ってきている。

役員のメンバーが、黙っていると一番若いから、舐められのに、嫌がられてるね。と笑う。

いいの、いいの、今度なあの人は面倒と思わせたほうが、下手に言ってこないしね。

私は、防波堤。

だけど、他のメンバーが、後ろから支えてくれるから、それに、実際に、住んでいないから、顔を合わせないからね。

それより、理事長が、住んでいるからやられる。

トコトン、今回の役員は、Hさんの思い通りにならないと思ってもらわないとね。

このHさん、前回役員は誰も残らないと言ったのに、オブザーバーとして、参加すると。

理事会に、参加し訳のわからないことを言うので、別の場所で理事か会開催。

オブザーバーに関することは、規約なく、いつからHさんが、オブザーバーなのか、管理会社に、聞いたら、前回の理事長から任命されたとのこと。

理事長に、任命権があるなら、私達は役員数が揃っているから、いらない。

前回は役員が亡くなり、Hさんがオブザーバー兼理事として、参加したとの事。

わからない事や、困ったことがあれば、お願いするということで、参加はしてもらわないことに。

メンバーからは、質問しても、いい加減でハッキリしないし、誤魔化そうとするので、要らない。

それにしても、他の管理組合も、こんな感じなのかな。

今回の役員は、それぞれ責任感があり、ハッキリしたメンバーで、流石人生の先輩たち。

だけど、私より他のメンバーの方が、怒らせたら怖いと思うな。

だてに、歳を重ねてない。

私も、まだまだだな

 

 

今日の出来事(助けられなかった子猫)

通勤路で、事故にあった猫。

おはようございます。昨日の事なんです。

イカー出勤をしているのですが、自宅を出て15分ほどに地点で、対向車が急にハンドルが取られたのか大きく蛇行し、はみ出してきました。

「危ない」とヒヤッとしました。バックミラーで見ると、何台か何かを避けている。

しろと黒の紐のような物が、、、、。瞬間にそれが子猫だとわかりました。

Uターンをして戻ったら、女の人三人が車道から、路肩に。ミィ、ミィと泣いています。

三人の方はどうしようという表情。

血はでていません。惹かれたのではなく、跳ねられたようです。

もしかしたら、助かるかも。

車に茶々のキャリーバッグを載せていたので、タオルに包み、動物病院に連れて行くことにしました。

勤務先に、電話して、おくれることをつたえ、でも私は少方向音痴で、病院に行くのに道がわからず。

迷いました。

子猫の声がしなくて、焦りました。

病院に着く前に、なんとも言えない声が二度しました。

病院の診察台に乗った時は、なくなっていました。

心臓マッサージをしくれましたがダメでした。

まだ、生後何週間くらいでしょうか。小さい猫なので巣が、歩いていたのだからもしかしたら二ヶ月くらいだったかもしれません。

先生は、体には骨折がないので、頭の衝撃、口の中が少し血がついていました。

唇の色が、悪くなっていました。身体は暖かいのに。さっきまで弱々しかったけれど、泣いていたのに。

もう涙が止まりません。父や母が亡くなったときも泣かなかった私ですが、胸が締め付けられるという感じです。

先生はもう亡くなっているのに、ノミがいるからノミの薬を小さな子猫の背中に。看護婦さんは、目やにで汚れている顔を綺麗にしてくれました。

先生が「この子、どうしますか」

「連れて帰って、埋めてやります」

「診察代は、何もしていませんから、いいですよ」

お礼を言って、家に連れて帰りました。

仕事を遅刻すると連絡しているので、急いで保冷庫に氷を入れてアイスノンを乗せて、その上に子猫を。

まだ、暖かい。また、涙が出てきました。

家の庭に壊れた冷蔵庫を物入れにしようと置いてある中に、そっと入れて、仕事に行きました。

この子が生きていた時間は、事故にあって、1時間ありません。私が、迷子になってなかったら助かっていたのかと。先生は、小さな子猫は強い衝撃死ぬと、この子は頭を強く打っていたと。

茶々も、迷い猫で交通量の多い場所で保護したのですが、もしも保護しなければ、このこと同じ運命だったかもと思うと、よけいに、亡くなった子猫のことが。

助けられなくて、ごめんね、ごめんねというしかなかったです。

動物の世界は、弱肉強食だけれど、人間の世界で交通事故でなくなるなんて。

親からはぐれて、危険とわからず道路を歩いていたのかな。

母親から離れたら生きていけないよね、お腹が空いていたのではないだろうか、食べ物をとっているようには、見えないくらい細い身体。

仕事が終わり、帰宅中に夫に電話。

事情を聞いた夫も泣いてくれました。

茶々を家族として、一緒に暮らしている事で、猫に対する愛情が夫の中でも大きくなっていたようです。家の庭に埋めたいと言ったら野良猫なのにと言われるかもと思っていたので。

白い布に包んで埋めました。全然、怪我もなくまるで眠っているようです。

猫は大人になる前に、仔猫の頃と毛色など変わってきます。白地に黒のぶち模様。大きくなったら、この子はきっと綺麗な猫さんだったのではと、また涙。

ほんの短い時間しか関われなかったけれど、天国ではきっと元気に遊んでるよね。

今度生まれてく時は、大人になれる時間をもらって生まれておいでねと願うしかない。

私のこと(出来ないこと)

「私が出来ないこと」というかしないこと

それは、ゲーム。トランプとか双六とはするのだけれど。アプリとかパソコンとかゲーム機とか。

何故しないか

出来ないこれにつきます。下手なのです。パソコンが上手くなるのにはと、息子達に聞いたら、オンラインゲームしたらいいといわれました。絶対に無理。

ゲームをするより本を読みたい。

性格上、ムキになるからのめり込みそう。

負けるのがすごく嫌。

ゲームをすると他のことができなくなるから嫌

要するに、私の性格が、ゲーム向きではない。怖いものには近寄らないということかな。

子供達のゲーム、時々見るけれど、なにが楽しいのかわからない。

戦闘ものや格闘ものばかり。

少しは、したことがあるのだけれど、ハッキリ覚えていないのだけれど、ストーリーファイトだったかな。中国人の女の子や空手着の男の人達のゲーム。対戦して勝ち負けだけれど、飽きちゃう。

子育て真最中の私には、時間がなかったこともある。

お店をして、家族オトコばかりで、朝から晩まで家事に追われてたから。ゲームをしている時間がなかった。

私の性格と家庭環境もあるかも。

子供達特に、三男坊は、不登校になって高校に上がるまでゲームをしていたから、強い。独学で、パソコンができる。兄弟の中で一番パソコンが詳しい。不登校時代が無駄にならなくてよかったねと息子に言う。

人がすることは、一応やってみるのだけれど、ゲームだけは出来ない。

これからも、しないだろう。

アイパッドがではじめた時に、店員さんに、なにをするのかと聞いたら、アプリでゲームができると言われた。ゲームするために、高いお金を出すなんてと思った。

今、アイパッドを使っているけれど、ゲームはしたことがない。

アプリ内にたくさんのゲームがあるけれど興味がない。

ただ、個人的な考えだけれど、ゲームができる人って、頭が良いと思ってしまう。

ゲームができる人と出来ない人では脳の何処かが違うのではないだろうか。

私の出来ないことって、生活に関わりがないと、出来ないのかもしれない。

出来ない事を克服することは快感だと思うのだけれど、最近パソコンを長く使っていると目が疲れて、肩こりがひどくなる。これでは、ゲームはできないと。

目の下にクマができるし、頭痛はするし、1時間が限界。

これでは、死ぬまでゲームはしないだろうな。

 

私のこと(一人時間)

自分を振り返って見ると、私は少し偏っているのかそれとも自分らしく生きてきたのか

私は、年齢にとらわれないことは大切だと思う。確かに、年齢とともに体力は落ちる。だけど、それに伴って「年だからを言い訳にしたら」何もできないと思う。

老春時代を満足に生きるため、考えること

年齢にとらわれないことはとても大切。年齢にとらわれると、やりたいことをあきらめたり、冒険ができなくなる。

腎臓病を持っているので、食事制限があるから、飲み会や食事会は苦手である。食べる楽しみはがないわけではない。大好きなソフトクリームもたこ焼きも、焼き肉だって食べる。ただ、気を使われたりするのが嫌だし、大勢で食べに行ったり、割り勘で食べに行ったりはしたくない。割り勘なんて、量を食べないし、飲まないし絶対に損だから嫌だ。食べる楽しみは、自分の好きなものを自分の体調に合わせて食べる。だから、一人で食べることが楽で楽しい。

私にとって「一人時間」は楽で楽しい時間である。

しかし、他人と接触するのが嫌いなわけではない。刺激になる人たちといるのは心地よい。ただ、そんな「人」に巡り合えるかというと皆無。だから、読書をしたり、映画を見たりすることが楽しい時間になる。

私は、自分の思う事は割としっかり発言するし、行動もする。そうすると、人さまからなぜか「非常に強いイメージ」に見えるようである。自分の考えていることや感じていることを、他人に言うと強い人、あの人ははっきりものをいう攻撃的な人と影口?誉め言葉?が聞かれる。私は、陰でこそこそいう人たちとは付き合わない。仕事では、仕事以外の話はしない。

私は、人に後ろ指をさされるようなことはしない。だけれども。人というものは、自分が発言したことがわからなければ、好き勝手をいう。匿名なんて、本当に何を言っているのだろうと思う。直接言えない、相手の目を見て言えないのなら他人を傷つけるような発言は控えるべきだと思う。

やくざや悪人よりも悪意のない普通の人間の方が怖いし汚いと思うときがある。

知らないうちに、他人を傷つけることがある。それは、相手に感情があり、言葉が耳に入ってきた時点で、自分にとって善か悪かを、感情で判断する。同じことを言っても、相手のことが嫌いか好きかで、判断が始まっており、嫌いな人の言葉は、「悪」と聞いてしまう。そんなつもりで言っていないのに、誤解され関係がうまくいかない。人間関係は難しい。

煩わしい人間関係から離れるためにも、他人との付き合いは、仕事仲間は勤務場所だけ友人は、自分からはコンタクトは取らない。そもそも、友人と話すことがない。子育てはその人の生活の一部だから、私とは生活スタイルも違うから、育て方も違う。友人の悩みは聞いても、私には悩みを友人に相談することがない。

悩みって何だと思う?悩み自分が勝手に作っているものだと思う。

夫に悩みがあるとした、その夫を選んだのは本人だし、いやならわかれればよいと思うし、行動もせずに考えもせずに、ぐちぐち言っても仕方がない。

悩んでも愚痴を言っても、最後は自分が決断しないといけないのだから。

他人に話をして、気が収まるなら話をすればよいだろうけれど、他人は、また言っているわと人ごとである。

もったいない、夫の悪口を言う暇があるなら自分の好きなことを探したり、楽しいことを考える方が良いと思う。

一人の時間の思う事を、こうしてブログにするのも、自分が見えて楽しい。

不特定多数の人たちが見てくれて、理解してくれる人、否定する人、色々だろうけれど、自分の人生を楽しく満足する生活のヒントになればと思う。

友人がいないと寂しくないかという人がいるけれど、学生時代には、親友もいたし、クラブ活動もしたし寮生活をしているときは、同世代の寮仲間とワイワイ。

その時、その時に他人との交わりはある生活を送ってきた。この年になって、友人というけれど、悩みはなくなり、若い頃のようにがむしゃらにならずに、生きていけるようになると、自分の事だけを見てよいのではないだろうか。若い頃は、友人という言葉に、依存し嫉妬し反発し誰かと、一緒にいることで安心していたのかもしれない。なぜって、子供の頃は、集団生活が主だから。

一人の時間は、楽しい、誰に遠慮することもなく自分だけの世界で自分の思い通りの夢ややりたいことをやれるから。

 

 

 

私のこと(エンディングノートその2)

お墓と供養について考える

自分がなくなったら、子供たちが困らないようにという思いが強い。

父が亡くなったときに、私たち子供は大変困った。父は亡くなる前に、叔父(父の弟)から進められて、創価学会に入信していた。親戚づきあいを私たち子供はしていなかったので、知らなかった。父は生前、姉に自分が亡くなっても、困らないようにしているといっていた。亡くなった後、(愛媛大学医学部に検体)しらゆり会と契約していた。

亡くなった当日、大学が遺体を引き取り、その後一年後くらいに、遺骨で戻ってきた。

父は、しらゆり会からお金が出ることを知っていたので、そのお金で自分の墓なりを考えていたのかもしれないが、姉がすべて取り込み、私も弟も知らない。いくらもらったかもわからない。

父の墓をどうするかということで、叔父に代々の墓もしくはお寺を教えてほしいといったが、創価学会に入信しているから、関係がないという。ならばと、創価学会に問い合わせても、亡くなった後のことは、別と取り合わない。父の家は、祖父の弟が継いでいるのだが、私たちどう連絡を取っていいかわからなかった。父の母親の実家は知っているのだが、そこの連絡先も「氏」はわかっているが、住所もわからない。それに、父が亡くなったときに叔父に連絡をした時に、叔父の嫁が「あなたたちのお父さんには、生前色々と迷惑をかけられているので関わりたくない。連絡をしないでほしい」といわれた。この時は、すごく腹がったた。外から来た人間が何を言っているのだろうと。仮にも、あなたの家の息子の叔父、あなたの旦那の兄が亡くなったというのに、死者に鞭打つ言葉。父が生前は迷惑をかけたかもしれないけれど、私たち姉妹弟が一度でも、貴女に迷惑をかけたことがあるのかと。あなたには他人かもしれないけれど、私たちはあなたの旦那の親の孫。このことがあって、一度も祖父にあっていない。当然もうなくなっているだろうけれど、お墓参りにも行ったことがない。叔母は、5歳上で、夜の仕事をしていたとかはっきりは知らないけれど、きつい人だった。祖母が、いつだったか忘れたけれど、「家のことは全部、嫁がしているから」とすまなそうに話しをしたのが最後。おばあちゃんの死に目にもあっていないな。血はつながっていなかったけれど、可愛がってもらったのでちょっと、悲しい。人の付き合いというものは、たった一人の強い人間の思惑で、切れるものである。

人のつてを頼りに、とあるお寺の檀家になり、父のお墓を準備した。この時の経験だけれど、姉も弟もお金は一円も出さず、檀家になるために、25万のお金が必要だった。お墓の土地の使用料金。私がいくらかを出し、住職にお願いして、分割にしたような記憶がある。弟が後を見るので最終的には、弟が入るわけだから、残りは弟に任せた記憶がある。この時に思ったことは、姉が一円も出さないこと。いい加減にしてほしいと思ったけれど、私が父に対してしてあげられる最後の親孝行と割り切った。小さな仏壇を購入し、弟が離婚するまでは、一回忌、三回忌法要は参加した。

母が亡くなったときも、お墓をどうするかと。母は父と離婚していたので、親の墓に入っても良いのだけれど、姉に聞けば墓はあるけれど、これまた叔父がいれてくれないのではと。父のお世話になっている檀家のお寺に相談。弟がよければ父と一緒に墓にはいることができるといわれる。母はどうしたかったかわからないけれど、生前父が(亡くなる前に母と見舞いに行ったことがある)喜んでいたこともあり、一緒の墓に入ってもらった。これは、お墓参りに行くときに、とても助かる。離婚しても、私たちには、両親である。同じところにいてくれることは、嬉しい。

両親が亡くなったことで、亡くなるという事は結構めんどくさい。生きている間に自分の墓、要するに、最後まで人とした自分の人生の後始末は考えておかないといけないと思う。

余談ではあるが、私の長男の父親も困った。警察から連絡があり、遺骨の引き取り。なんで?職場の寮で孤独死。市役所でだびにし、血縁者を捜索。離婚して一度もあっていない子供に連絡。日本の警察ってすごい。聞けば、元夫には姉が二人いるのだが、二人とも遺骨引き取りを拒否。誰も引き取らなければ、無縁墓地行き。元夫は、結構金持ちの息子だったのだけれど、人が良いのできっと他人に利用され特にすぐ上の姉夫婦、家も何もかも亡くなったのだろう。再婚して家を建てたと聞いていたから。元夫の家族には、大変いじめられたので、どうでもよいが、ずるい人間が世の中をわったていくのかも。元夫のようによい人間がつらい思いをし、孤独死なんてと考えると、ひきとらずにはいられなかった。息子がいるのだから、良かったねという気持ち。ただ、息子は全然思い入れはない。2歳4カ月で別れたから、記憶がない。養育費ももらっていなかったので、別れてから合わせていない。父親も会いたいと連絡がなかったから。往復車で4時間、元夫の遺骨を引き取りに行った。

人が亡くなって、人間の本質にぶつかることばかり。親族といったって、意味がない。子供の時の環境やその兄弟関係はては、配偶者の考えで、人の醜さが浮き彫りになる。人はめんどくさいことにかかわりたくないのが本音なのだろう。

生まれてくるよりも、亡くなる方が大変。「鳥飛ぶ跡を濁さず」

私は、お墓を持たずがよいかとも思っているけれど、息子たちが亡くなって、祖父母のようでは困るし、お墓を立てたほうが良いのだろうか?しかし、墓を見る人がいなくなればなどと考える。最近は、色々な形があるので、なるべく早く結論を出そう。

私のこと(エンディングノートその1)

エンディングノートを書くことで、自分のこれまでを振り返る

インターネットでダウンロードしたものをつかっている。連絡先があるのだけれど、「友人」で考えてしまっている。

「友人」はいないわけではないけれど、自分が死んだときに連絡をしてもらいたいと思わない。

私にとって「友人」とは?

親友はいるけれど、自分から連絡をとる事がない。他人から見ると、大変社交的に見え、友人もたくさんいるように見えるようである。

友人と知人の区別がないように思う。私が亡くなって、連絡もらって何をするのだろう。普段いつもいつも、あっているわけではないし、連絡をする必要があるのだろうか。

50代の頃、友人が癌で亡くなった。職場で知り合った人だけど、私が職場をやめたら、プライベートでも付き合いたいと思っていた人だった。私は、看護師をしているときには、職場の人とはプライベートでのお付き合いはしないと決めていた。親しくなるといいたいことも言えないから。結構、心が弱いのかもしれない。仕事とプライベートをごちゃごちゃにする人が、多いせいもある。仕事は仕事。プライベートでつるむと同僚や職場の悪口の言い合いになって、仕事が楽しくなくなるという事もあったから。彼女とは、なんだかんだといいながら、仕事場では本当に良い同僚で信頼のできる人だった。

もし彼女が生きていたら、私が亡くなったときには、お線香をあげてほしいと思う。

彼女がなくなる当日の夜20時まで意識のない彼女の手を握っていた。面会時間が来たので「また明日ね」と。明日が来ないことはわかっていたけれど。

後悔のない人生と思って生きてきたけれど、彼女のことを考えると、なんで職場にいるときに、プライベートでも付き合っていればよかったと思う。

彼女のことは、亡くなったけれども、今も私の中では笑顔の彼女がいる。意識のない彼女でも苦しさと痛みに耐えていた彼女ではなく、笑顔の彼女。

30年以上親しくしている人がいるけれども、亡くなって彼女に連絡をしてほしいかといえば別にいいのではと思っている。私から、彼女に連絡をすることがないことがあるのかもしれない。

この二人のことで何が違うかというと、私を利用したという事かもしれない。私は、本当の友人なら困っていれば力になろうと思う。友人に「嘘をつかせてはいけない」と思う。本当に大切な友人なら、利用してはいけないと思う。この友人を信じることができない。う~ん、ちょっとちがうけれど、親しき中にも礼儀ありが欠けた人になってしまったことかも。

私の考えている人生の終わりは、家族に「さようなら」ができればよいだけ。子供たちに出会えたことが、私の人生で一番の幸せだから。私が亡くなって心から、泣いてくれたり、忘れないで覚えていてくれるのは、子供たちだとおもうから。

友人欄には、誰も書く人がいないと気づいてしまった。

家族葬でよい。

 

 

 

(私のこと)エンディングノートを書こうと思った訳

気にならない人もいるだろうけれど、自分のルーツを知ることは、必要ではないのかと。子供達も、何かの時に知りたいと思うのではないか。

その時に、私がいなかったらと思ったことが、書こうと思ったわけ。

私の二人の妹は、子供の頃に養女にに出されている。すぐ下の妹、自分には姉が二人いたことは記憶にあった。だけれど、両親がどんな人達で、自分は何故養女に出されたのか、自分の本当の縁者は何処にいるのだろうと。もらい子ということで、養父母達の親戚から、ひどく疎外感を味わったらしい。

私が18歳になった時に、連絡して、再会した時に、話を聞いた。当たり前のように両親と暮らしていることは、それだけで根っこを確認しているものなのかもしれない。

私は、小学5年くらいまで、父親の祖母が後妻だとは知らなかった。母とたいして歳が変わらないことも。もの心ついた時から「お婆ちゃん」と呼んでいたので、名前も知らない。父親から、祖父母の話を聞いたことはない。父とずいぶん年の離れた弟がおり、よくわからないけれど、父はその弟に家を継がせるために自分は、外に出たと聞いた。母からは、義祖母にひどく意地悪をされたと聞いたことがある。しかし、祖母はなぜか私を大変可愛がってくれた。私も、父方の祖父母になついていた。母親の祖父母とは、一緒に暮らしていたこと母から話を聞いたりしていたので、名前も祖父母の生活もわかっている。

本来あまり、親戚とかいまの時代必要ではないかもだけれど、人は案外自分のことを知りたいと思うものだと思う。

私の両親は、親戚付き合いをしていない人というか、親戚から嫌がられていた。父親の方がひどかったようだ。父は、どうも調子の良い人というか夢を見る人というか、大きな事を言うというか、見栄っ張りでお金にルーズで、だらしがなかったのではないかと思う。母親は母親で問題のある人だったけれど。

そんなわけで、あまり私自身も親戚のことはわからない。それでも、子供達にルーツというものを残してあげたいと思う。

 

断捨離したいけど。

還暦を迎えて、しないと行かないなぁと思っていることに、断捨離がある

先日も夫から、二階のパソコンの部屋が物置といわれてしまった。

物が多いのである。特に、服。

体型が変わらないのをいいことに、捨てられない。

断捨離をできない理由

1・他人からもらったものは悪くて捨てられない。

1・母の形見

1・下手に手芸ができてしまうので、ボタン等無に、駄使うであろうと捨てられない。

以前勤めていた職場の子供さんに、結構もらってもらったのだけど。

捨てられないので、人にあげればいいのだけれど、ブランド品でもないし、サイズが「Sサイズ」「子供サイズの150㎝」と誰でもというわけにはいかない。

しかし、何とかしないと。

部屋が狭苦しい。

といっても、ほとんど一階のリビングで過ごすので、二階にいることはあまりない。

その事もあって、断捨離につながらないのかも。

洋服は、流行を気にすると、次々に買い替えるのかもしれないけれど、私の場合は、「色」

よくわからないのだけれど、その年で着たい色がある。昨年は、「紺」。

洋服を買うときも、「あ、この色あの服とあう」という感じで買う。

それと、1000円以下でしか買わない。

季節落ちというかプライスダウンの時に、フラッとお店に行き気に入ったものがあれば買う。もうこれはある意味、ストレス解消かも。

毎月2000円以内が、洋服代として消える。

これでは増えるばかり。

だけど、姉からもらった35年目のプリーツスカート。今とっても活躍している。もらった当時は、なんだか全然似合わなくて、はけなかった。子供が無理してきているようなチンチンクリンな感じだった。

今は、大人可愛い感じで着こなせている感じ。

25,6歳にきていたブラウスも今着ているし。合わせるスカートで全然違和感がない。言わなければ、30年以上前にきていたものだとわからない。

断捨離できないものに、本。

壁という壁に、本棚があり、たくさんの本が。本は、読まなくなったものを処分すればよいのだけど。図書館にでも引き取ってもらおうと最近考えている。

あと、書類。看護師をしていたこと、占いの仕事をしていたこともあり、資料などたくさんファイルしている。困っているというか、どうしようと悩むのが、占い師の時の、お客様のファイル。占いのデータとしての、役割があるので整理をしてパソコンにデーター化できればベストなのだけど。仕事に(パート)出たせいもあって、整理をしていく時間がない。

あ~あ、すべていいわけだ!

すっきりと生活しないといけないと思うのだけど。

家に引き込んで、おしゃれをしないのは老いを加速させる気がする。

断捨離もして、かつおしゃれもして、エンディングノートも作って、したいことが山ほどある私の人生。

老いても、全然忙しい。

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安い服

昨年よく来ていた服。三着で、1500円。

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スーパーでゲット

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お値段

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安い服

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お値段

安物買いの銭失いはしない。必ず試着して買う。着ないものは絶対に買わない。

先日、友人と買い物に行った。「GU」に行ったのだけれど。あそこの店って、100円だったり390円だったりすごいプライスダウンのものがあったのだけれど。私がショッキングピンクの服が100円だったので、あ、持っている服に合うと思って買おうしたら、「私も買おう」。いいんだけれども、着ないのであれば100円でももったいないしゴミになるよと。「大丈夫、貴女が来たのを見てからきるから」いやいや、私とあなたとでは、服の趣味もちがう。私は、Gパンにシューズとお庭で掃くようななんていうのかな、クロックス(?)自分が持っていないから名前がわからない。はかない。あわせない。パンプスだったり、どうしてもおしゃれっぽいものになる。

友人は、今日の服も黒と白の格子模様のシャツ、黒の細身のGパン。シューズ。普段もどこのいくのもおしゃれをしているところを見たことがない。ピンクの服なんて来たのを一度も見たことがないし、本人は「赤ばかりきていたことがある」というけれど。

色をきるということは、自己表現に近い感じがするのだけれど、彼女は秘密主義というかちょっと変わっているので、自己表現を服でするのは無理のような気がする。

断捨離の話がそれってしまった。

これだから、老いというものは、、、、、、。

 

アリスの服

うちのアリスは女の子。でも、ビーグル犬なので、私からすると男の子っぽい。

それで、飼った時から、首輪飾りをつけている

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黄色の首輪

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紅白の首輪

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紫の首輪

あと、オレンジ色、赤色、水色。

首輪をしているお陰で、脱走した時に、見つけやすい。(今は怖い思いをしたために玄関が開いていても脱走はしない)

今、生理中なのだが、紙おむつの上からパンツをはいている。市販のベルトを使ったのだけど外してしまう。

子供用のパンツに、しっぽが通る穴を幅広ゴムではかせていた。首周りのゴムで首のところがすれて赤くなる。どうしたものかと。

現在は、ダイエットをして、くびれが出てきたのだが、前回の生理の時に、Lのおしめが小さくて(ちなみに、人間の赤ちゃん用のものにしっぽの穴を開けて使用している)ビッグに変えた。ぱんつも当然小さい。今回新しく女の子用の(120㎝)ボクサーパンツを購入。

ゴムでは、首回りが赤くなる。思案した結果、洋服にスナップ止めはどうだろうと試してみることに。

ちまちまと、5個のスナップを。

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いかがでしょう

う~ん、ずれないし良いと思った。でもね、ボクサーパンツだと男の子みたいと思うのは私だけ。夫は、紙パンツが見えないし、首回りも擦れないから「グッド!」といわれる。

という事でボクサーパンツ。三枚セットだったので、他の服にもスナップをちまちまと頑張ってみました。

令和になって、なかなかブログ更新ができなかったのは、裁縫をしていたため。

令和は、手作り作業ではじまった。

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私のこと(子供たちの言うこと)

私のイメージ

 

子供たちがそれぞれ自立を始め、たまに会うと母である私とういう人間をどう思っているか感じることがある。ただ、私自身が私という人間はこうであると思っていることとは随分違う。

二度目の結婚していた時に、なさぬ中の息子に「母さんは、おまけなしの定価販売な人だ」と言われたことがある。要するに、融通がきかないということらしい。ダメなものはダメ、家のルールは守るべし、友達の家がOKでもうちはうち。

そんなに厳しかったとは思っていないのだけれど、男の子ばかりでも、中学生までは、門限が19時。高校生の時は、20時。門限に遅れる場合は、連絡を入れること。でなければ、学校に連絡をする。

夕食は家族で食べる。

義理の息子は、ちょっとだけ悪ガキ、勉強ができない子だったので、高校生の頃、早退して、友達とカラオケに行ったり、夜遅く帰ってこようとしたり。本当の母親のところで生活をしたり。しかし、本当の母親のところに行くと、学校での生活が乱れる。高校二年の担任に、私のところで、生活をさせてほしいと。私は、私の家にいれば家族として面倒を見るが、養子にしているわけではないにので、権限はない。父親と話をしてほしいと。父親は、母親がちゃんとみていると思ったらしいが、母親をできるタイプではない人。二人の息子を見ればわかる。子を見れば、親がわかるという感じ。私が、この息子のお陰で自分の子供たちでは、決して経験できない親をさせてもらった。今は、真面目に働いている。私が、離婚をしてからは、コンタクトはない。関わりたくないと、思っている。この話はまたいつかできればいいかな。

我が息子達からの私は、めんどくさい親だけど、頼りになる。正しいことしか言わない。強い人。見た目は優しそうだけど、怒らせると手がつけられないと。手がつけられないほど怒ったことはないのだが。怒らせると般若だそうだ。

末っ子は、猫をかぶっていると言う。なめてかかっていくと、大火傷をすると言う。

どうも、誤解があるように思うのだけど、なぜかな。

思い当たることを考えてみる嘘が嫌いだから、嘘をつかれると怒る、だけど誰でも怒るよね。他人に依存しない、なんでも自分でやってみる。真面目。黒白をハッキリさせる。

う〜ん、窮屈ということなのかな。別に強いわけではなく、他人に後ろ呼びを刺されるようなことをしないだけなのだが。

すごく、心配性だから、子育て中は自分との戦い。本当は、あれもダメとか言いそうなのをがまんしたり、可愛い子には、旅をさせろだよねとか。本当は、すごい神経質だけどそれを見せないように、努力したり、男の子だから、どんなに悪いことをしても、子供の前では泣かない。男の子は、お母さんが泣くとすごく傷ついてしまう。なにが悪いかを考えられるようにとか。

こだわりが私の中にあったから、厳しい母親、強い母親のイメージなのかも。

私自身は、とても小心者だと思う。小心者だから、嘘をつけない、裏切られたくないから、自分から、他人に近づかない。去る者は追わず。子供の頃の環境下の影響があるからだと思う。親を信じられないから、他人に深入りしない。人は裏切る。自分は、傷つけるつもりがなくても、傷つけることがある。人は、自分の言動に責任を持っていないことが多い。気づかずに、自分以外のものを傷つける。だから、私は小心者。他人を傷つけるなら、一人が良い、気楽である。

子育て中は、どんな事があっても、子供を信じる、何かをした場合、必ず訳がある、頭ごなしに、大人の考えを押し付けない。子供を子供扱いしない、人格を大切にそれぞれの個性を見ると。感情的に、判断しない

考えると、かなりしんどい親だ。「嘘つかない」「盗まない」「殺さない」自立のできる大人にと、正しことを正しいといえる勇気のある大人になってほしい。

子育ては、成功も失敗もない。親にしてくれてありがとう。この子達の、母親であることの感謝。これに尽きるとおもう。

しかし、強くもない普通の母親のつもりなのに、子供達から見ると普通ではないのか

 

私のこと(線引きをしない)

私は、何事に対しても、「だから」を言わない事にしている。

「もう、歳だから」「女だから」「貧乏だから」「だから」は、自分の可能性や夢や希望を、諦める事だと思っている。「だから」を言い訳にしていると、楽しいことがドンドンなくなってしまう。絶対に、人生を楽しくする為には邪魔な事

「だから」を言う前に、やってみる。歳だけど、やり方がある、女だからできることがある、お金がなかったて、できることがある。「だから」と考えるよりも、やってみよう。

「だから」を言わないということは、自分の可能性に線引きをしないという事。自分を否定しない。人様ができていることはやってみよう。下手でもいいじゃない。やってみたら、案外自分に向いているかもしれない、案外、好きになっていつのまにかプロになっているかも。

線引きをしないということは、「だって」「でも」言わない。否定してたら、したいことが何もできない。

もったいない、人生は、時間の経過。躊躇していたら、幸せが逃げちゃう。自分の人生だもの、自分の生きたいように生きる為に、線引きをしない。

老いらくの恋とか言いますよね。何故だろうと思ってしまう。時間の経過とともに、歳は取る。あたりまえのこと。けれど、気持ちはどうだろう。歳をとるのだろうか。還暦を迎えたけれど、気持ちは若い頃と変わらない。年下の夫と、一緒にドライブしたり、外食したりする時には、夫が喜んでくれるおしゃれをする。お出かけとなると、すごく嬉しい。デート気分。若い頃と変わらない。夫婦だから、誰に遠慮せずにイチャイチャ出来る。若い人がイチャイチャしていたら、「若い者は」って言われる。けど、夫婦で仲良くしていたら、誰もなにも言わない。反対に「いつも仲がいいですね、羨ましい」と言われる。

そう、老春時代は、線引きをせずに、やりたいことをやって、若々しく楽しむべし。

若々しくあるために、刺激を求めて、夢や希望をいつまでも、追いかけよう。

歳をとるということは、できなかったこと、やりたいことができるということ。

私は、人付き合いがめんどくさい。買い物を一緒にとかランチとかは無理。でも会話は好きである。主婦にとって、井戸端会議は、ストレス解消に繋がると何かで読んだことがある。確かに、必要な人もいるだろうけれど、私は井戸端会議は苦手。それよりも、同じ趣味の人や、刺激し合える人と話がしたい。

線引きををせず、自分に限界を作らず、今の自分ができる最大の努力をしたい。男であろうが、女であろうが、子供であろうが、金持ちであろうが、歳であろうが、一人一人の人生の時間は、生まれた時から死ぬまで、人それぞれ。持っている時間は、違うだろうけれど、線引きをした人生では、後悔をしてしまうかも。そんなことのないように、楽しかったと思えるように、積極的にやろう。

 

 

平成最後の満月

4月19日は平成最後の満月でした。

4月の満月を「ピンクムーン」というらしいです。ピンク色に見えるわけではないのですが、なんだか、とてもロマンチック。桜の色ですね。

私は、満月の日にはあまり運転をしません。事故にあいやすい気がするので。狼男のように満月を見ると、血が騒ぐのかも(笑)

満月のせいではないと思いたいのですが、この日はちょっと夫と小けんか。夫は毎日腰痛体操をしているのだけど、体操の後外出をするといっていたのだけど、体操が終わった後も動く様子がない。またか、、、。いったことを忘れている。私は怒りマックス。

「出かけるのではなかったの!出かけるというかから、食事は帰ってきて作ろうと待っているのに。自分の言ったことで相手が、合わせているという事を考えてくれないかしら。外出をやめたのなら、外出をやめたとか。あなたに合わせて、私の家事の動きも変わるし、予定も変更しないといけないということがわかっているの!」「もういい、勝手にするといいわ。食事はすぐ作るから勝手に食べればいい。言っときますけど、夕食はあなたの日課に合わせて作っているのですけど。私は、夕食は取らないのだから、まるでお手伝いさんのように、一人分の夕食を作っている。暖かいもの、作ってすぐの方がおいしいと思っているから。」たったと15分ほどで、マカロニサラダ、肉ニラ、中華スープ、わかめと春菊の和え物を作る。テーブルの上に並べて、勢いよく二階に上がる。

カッカッとしながら、インターネットをみていたら、「あっ、今日は満月か。フム、だから興奮して腹が立つのか、また、やっちゃたかな。」まだおさまらないけれど、二階の窓から満月を見ていたら、落ち着いた。

ちょっと、まだ怒ったような顔で「今日、平成最後の満月なんだって、見に行こう」夫は食事を食べていた。「まだ食べていなかったの」と不機嫌そうに言う。慌てて、食べ終わる夫。

「どこに行こうか」「干拓は?」「どこかで饅頭かっていく?」「いいよ、夜は食べないから」う~ん、夫はお月様には満場と決めているのかな、私は、団子のイメージだけどなと心で思う。

さて、茶々も一緒に出掛ける。「運転気を付けてね」

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あまりきれいに取れなかった

少し雲がかかっている。実をいうと、家の二階から写真は撮っていた。干拓に、むかっていったのだけど、ついたら、雲がかかってお月さまは隠れて出てい来ない状態。

 

昔の花追いかけ

花が大好き

花が好きでよく見に行くのだけど、今年は桜だけ。

今までの花追いかけの写真を少しアップします。

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紅葉狩り

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備北公園

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神辺町ヒガンバナ

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神辺ヒガンバナ

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岡山のイギリス庭園

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結構同じ時期にいっても、全然だめで、ちっていたりと、良いタイミングでみれないことがあります。

写真は、一人でとる事がないので、夫と一緒です。

もっとうまく取れるようになったらいいのだけど。

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今年は、どのくらいけるかな

本当にブログ下手でいやになっちゃう。

どうして、皆さんのブログは見やすいのだろう?

気づいている方もおられると思うんですが、私、本当にわからない状態でブログを書いています。

iPadで書くことが多いのだけど、なんというのか、見出しを大きくしたり、文字に色を付けたりができなくて、公開したあと、パソコンで編集してます。パソコンで、書けばよいのだけど一階に、猫の茶々と犬のアリスがいるので、一階で作業をするようになるのです。(パソコンは二階にデスクトップ)

iPadでも、たぶん編集はできると思うのですが、わからない?トホホなのです。

本当に何もかもが、無謀ですね。

書きたいことも、まとまらず、今一つ伝えられない気がするし。

でもこうして、書いていると「誰かが言っていた、下手でもよいから毎日でも書くこと」って。

一人自分を励ましている。自己満足でしかないけど。

それでですけど、さっきまたやっちゃたような。

なにかというとですね、わかんないけど何かに参加したら、楽天のマークやらアマゾンのマークやらいっぱいでてきた。

これから、どうなるのだろう?

明日は仕事が休みなので、はてなヘルプを見て勉強します。

下手の横好きでいいじゃないか。

私のような人もいるとわかったら、頑張れる人がいるかもしれないじゃないか。

誰が反応してくれるわけでもないけれど、もしかしたら、いつか少しでも良くなったら、うまくなってきたとか、わかってきたなと思ってくれる人がいるかもと思うだけでも、ワクワク、ドキドキする。

 

 

私のこと(ひとりで出来ないこと)

ひとりの時間と一人でできない事

私は、ひとりが好きだけれど、できない事がある。行動力も好奇心も多いにあるのだが、ひとりで食べにいかない。行けない。食べることは好きなのだけれど、ファミレスとかで食べたいと思わない。冷凍食品を使っているところが多いから。それなら、業務スーパーなどで買って、家で食べた方が安く上がると思ってしまうから。外食するなら、家では中々作れないものとか、本当に下ごしらえから時間がかかって待っても良いし、少々金額がはっても、お金を出しても惜しくないと思える外食がしたい。

だから、友人とは行かない。ランチに、500円以上出すなら自分で作る方が良いから。もうひとつ、腎臓が悪いので、食事制限があるから、美味しい物を気兼ねなく食べるのは、月に一回までと決めているから。美味しい物を食べに行く時は、制限の1600cal、塩分6g、蛋白40gを全て一回の食事に持ってくるので、三回の食事の二回は、水分とほんの少しご飯手のひら程度、もしくはトマトジュースだけになる。

食事を楽しみたいのでお喋りだけのため、ランチに高いお金を出したくない。お喋りなら、家でお茶でも良いと思っている。

わたしにとって外食は、食べる事が目的。「ああ、美味しい」と舌鼓を打ちたいと思う。

外食は子供達と一緒。特に、次男坊と出掛ける。次男坊は、付き合いが結構広く、美味しい店を知っている。私にとって、外食は家族と楽しく過ごす時間でもある。

若い頃、大変良くしてくれたホステスのお姉さんがいて、妹のように可愛がってくれた。その方が、会社の社長、弁護士、医者等結構お金持ちの方と食事をする時に連れて行ってくれた。ひとり「万」はするであろうと思われるフランス料理のディナー、高級寿司店、高級焼肉店、豆腐専門店等上げればきりがなく、料理って美味しい思った。高級食材をふんだんに使う。どうしてこんなに美味しのだろうとプロは違うと思ったものである。シェフの方が私が中学生にしか見えないのもあるのか、美味しそうに食べるのもあるのか、テーブルに呼ばれると説明をしてくれた。子供に見える私に対しても(当時27歳)きちんと接してくれることにも感激だった。食事は、芸術と創作だと思った。

食事は、楽しむもの、幸せにしてくれるものだから、食材と料理人に感謝して食べたい。お店を出る時に、心からのありがとうを贈りたい。

私にとっての外食は、至福の時間を作るものである。家族と楽しむのがわたしにとっての外食。だから、ひとりでできないことなのである。