老春時代の満足生活情報発信局(お金と暮らしと占いと人生物語)

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(私のこと)エンディングノートを書こうと思った訳

気にならない人もいるだろうけれど、自分のルーツを知ることは、必要ではないのかと。子供達も、何かの時に知りたいと思うのではないか。

その時に、私がいなかったらと思ったことが、書こうと思ったわけ。

私の二人の妹は、子供の頃に養女にに出されている。すぐ下の妹、自分には姉が二人いたことは記憶にあった。だけれど、両親がどんな人達で、自分は何故養女に出されたのか、自分の本当の縁者は何処にいるのだろうと。もらい子ということで、養父母達の親戚から、ひどく疎外感を味わったらしい。

私が18歳になった時に、連絡して、再会した時に、話を聞いた。当たり前のように両親と暮らしていることは、それだけで根っこを確認しているものなのかもしれない。

私は、小学5年くらいまで、父親の祖母が後妻だとは知らなかった。母とたいして歳が変わらないことも。もの心ついた時から「お婆ちゃん」と呼んでいたので、名前も知らない。父親から、祖父母の話を聞いたことはない。父とずいぶん年の離れた弟がおり、よくわからないけれど、父はその弟に家を継がせるために自分は、外に出たと聞いた。母からは、義祖母にひどく意地悪をされたと聞いたことがある。しかし、祖母はなぜか私を大変可愛がってくれた。私も、父方の祖父母になついていた。母親の祖父母とは、一緒に暮らしていたこと母から話を聞いたりしていたので、名前も祖父母の生活もわかっている。

本来あまり、親戚とかいまの時代必要ではないかもだけれど、人は案外自分のことを知りたいと思うものだと思う。

私の両親は、親戚付き合いをしていない人というか、親戚から嫌がられていた。父親の方がひどかったようだ。父は、どうも調子の良い人というか夢を見る人というか、大きな事を言うというか、見栄っ張りでお金にルーズで、だらしがなかったのではないかと思う。母親は母親で問題のある人だったけれど。

そんなわけで、あまり私自身も親戚のことはわからない。それでも、子供達にルーツというものを残してあげたいと思う。