2019年11月19日。今日は部分月食。98%。半年ぶりの部分月食。
今年最後の月食だった。
89年ぶりに深い部分月食が満月と同時に見られる貴重な機会だった、同じ条件でみられる部分月食は65年後。
ほぼ皆既月食。
夫の夕食を作って、外に出た。
家の屋根で、月が見えない。
空を見上げながら、ドラッグストアの駐車場に、年配のご夫婦が空を見ていた。
屋根の上に、ほんのりと月明かりが見える。
神秘的だなと思いながら、月を見る。
全然、知らない方と話をしながら、見ていたら、ご近所の方が何人か出てきた。
年配の方がほとんど。
ドラッグストアから、子供連れの母親が出てきた。
子供が、「何を観ているの?」
「今日は、月食なの」
「月食って?」
年配の方が説明するけど、わからないようだ。
「太陽と地球と月が重なって、月が隠れるのを月食というのよ」
「少しずつ、太陽や地求がうごいてね。こうして、お母さんの後ろに隠れることかな」
と体をお母さんの後ろに、隠してあげると、なんとなくわかったようだった。
小学4年か5年くらいの女の子。
学校では、今日の様な天体のことは教えないのだろうか。
私が、小学校の頃は、「今日は月食だから、夜見るように」とか先生が教えてくれていた。
最近の学校は、自然の不思議を教えないのだろうか?
ドラックストアから出てくるお客も、入るお客も、私たちが空を見ていることを「何だ?」というような感じで見ている。
月は、地球にとって、なくてはならないものだ。
もし、月がなくなったら、地球も大きな損害を受けると、学校で習った記憶がある。引力の関係だったかな?
私はその時に、月がないと、人間は生きていけないのだなと思った。
日本人は、昔から、月に関しては、特別な思いを寄せてきたように思う。
短歌、俳句や暦、そして、出産、死。生きていいく中、生活の中に、月はいつもあったように感じる。
子供の頃に、「ウサギ、ウサギ、何見てはねる、十五夜お月さま、見てはねる」と歌っていた。
子供頃は、本当に月には、ウサギがいて、餅つきをしていると信じていた。
夕方になり、家に帰るころ月がついてきてくれるようで、月明かりに家路に急いだものだ。
今は、街の明かりが、明るくて、星も、あまり見えない。
昔は、夜空を見たら、星が降るようで、吸い込まれるような感じを受けていた。
月が、だいぶ。空に上がったので、自宅の二階から、満月に戻るのを見ていた。
奇麗だった。
これからも、自然に感謝し、感動できる自分でいたいと、思った昨日だった。