夢見る心。経験したかったこと。
三度も結婚したのに、何故か、プロポーズというものを経験したことがない。
最初の結婚は、お見合いで、私が決め手というよりも、父親がどんどん進めていった。
まだ、看護学生で、卒業前で、国家試験もあり、家に戻れなかった。
寮生活だったから。
そのため、結納も私自身は参加していない。写真があるだけ。
その時の結納の道具はのちに姉の結婚のために使われた。
卒業式が終わった3月結納。結婚式は4月だった。
私は夫の母親と会ったときに、5年かなと思っていた。
ものの見事に5年で離婚した。
二度目の結婚式も、プロポーズはなかった気がする。もしかしたらあったのかもしれないけど、私自身が、別れようと思っていたからだと思うけど、結婚したいから、別れたいと言っていると誤解していたようだ。
じゃあ、なぜ結婚したか、めんどくさかったし、結婚しても別れるのだから、形にこだわっていなかった。少し、別れるのが伸びるだけだと思った。
何と、子供も3人授かった、離婚するまで、18年。伸びすぎだろう。
三度目の結婚も、何だか、プロポーズはなく、私が、結婚はしたくないと言っていたからかも知れないが、旦那が、食い下がってきた。
兎に角子供たちが学校を卒業するまではしないと。
旦那は、何故か私に依存していて、この世で、私しか自分の味方はいないみたいな心境だったみたいだ。
下の息子が、学校を卒業するまで5年。その間に、あきらめるだろうと思っていた。
だけど、とても私が、離れるのではないかという不安が、大きかったようだ。
仕方がないと言えば仕方がないかもだけど。
母親にとって何が一番大事かというと我が子だから。付き合っている時にも、何度も別れる話が出ていたから。
そんなこんなで、結婚をするのはするのだが、その始まりにはいつも、離婚もセットなのだ。
結婚することを、私が望んでいないのに、進む。最初の結婚の時に、誰かに言われた。どうしようもない関係は、縁のツボに入っているからだと。
私の縁の壺は、いつも始めから、ひびが入っているようだ。
そのためかどうかわからないけど、プロポーズには、憧れる。
古いドラマだけど、プロポーズ大作戦は、大好きな作品だ。
あのドラマを見ていると、次男坊の友人たちを、見ているようだ。
高校の友人たちだけど、二組のカップルは、高校の頃から付き合い結婚している。
その、友人たちを息子はとても大切にしている。
自分が経験できていない青春を、息子の姿に重ねて、友人たちの話を楽しく聞かせてもらっている。
毒親を持ち、普通の学校生活を送っていなく、いつも生活のことを考えて大人になった私には、息子の友人たちの関係は、うらやましく思う。
だからといって、自分の子供の頃からのことが嫌だと思っているわけではなく。
若い頃に楽しい恋愛も経験したかったかな。
生活を考えるのではなく、友達と、喫茶に行ったり、映画に行ったり、ショッピングに行ったり、一緒に、勉強したり、お金の心配せずに、少女らしい生活を経験してみたかったと。
だけど、常に明日のことを考えて生きてきたおかげで、ライフザバイバルだ。
たくましく、賢い生活者になれたと思っているので、それはそれでいいと。
何が、普通かなんて考えられないけど、戦争があった時代の人は、自分がきれいで若かった頃は戦争だった人もいる。
明日の未来を考えるのではなく、明日を生きることを考えての今日だった。
だから、今でも、ロマンチックな恋愛ドラマが好きだ。夢がかなう話も好きだ。
幸せな人たちを見るのも好きだ。
幸せな人を見ていると自分も幸せのおすそ分けをもらった気になる。