9月27日安倍元総理の国葬。
安倍元総理の思いをはせて、思うこと。
自宅にテレビがない事で、情報は自分でインターネットから探して見る。
これは見たいものしか見ないという、ちょっと偏った情報収集かも知れない。
国葬に反対する国民がいることも知っていたけれど、それは、どんなことにもつきものだからという体だった。だから、あまり興味もなかった。
ただ、日本人として嫌だな、死者を辱める行為だし、死者にだって人権はあるし、最低だなと。
それで、国葬はライブ配信で、ずっと見ていた。明日はまた、色々という輩がいるのだろうなと思いつつ。
そんな中で、今日朝からツイッターを見ていてある人のツイートが目に留まった。
反対デモをしている人達は高齢者が多いということ。
これって、もしかして、平和ボケ老人かと思った。私が子供の頃に、学生デモがあったが、その年代の人かなと。
若い頃に(子だもだったし、今もだけど何でデモをしていたか興味がないけど。あさま山荘事件は、デモをする人たちは、仲間同士で殺しあいをするような人間の集団と思った)安保とかなんか意味が分からないけど、テレビでよく見た。
集団で行動することは大切だけど、気に入らないからと、ハンガーストライキをする子供と一緒だと。
そして、貧乏で食べるものもなかった私にとって、大学まで親に行かせてもらい何をしているのだろうと思った。
なので、デモをする人たちは、昔の一揆によく似ているし、宗教団体と同じだと思う。
誰かが先導して居るから起こるのではと感じないではいられない。
マインドコントロールされている人と同じ。
菅前総理が、若い人たちの多くが、一般献花に来られていることに触れていた。
若い人は、インターネットや海外から日本を見て、私の若い頃よりも、情報をしっかりと見ているのだろう。
だから、安倍元総理の功績をきちんと把握していると感じた。
海外にいる日本人のほうが、日本国に対して愛国心が強く、心配したりしている話を聞く。
今回の国葬で、日本の若い人が、無気力だったり無関心だったり他人よりも自分中心、人のことに関心を持たないと思っていたけれど、チャンと、見る所を見て感じることをしっかり感じている、若者たちを見れてよかった。
今の若いものはというが、平和ボケをした老人よりも、政治を無関心なようでしっかりと感じている若い人達に、ありがとうと言いたい。
自国を守るという愛国心がないような、老害にはなりたくないと心から思った。
国を守るために時代に合った、憲法改正は必要だと考える。
戦後頑張ってきた大人たちが親で、その子供が、老人になったら老害って悲しすぎる。
高度成長期に子どもだった人は幸せだったのだろう。うらやましい限りだ(嫌味)
生きることに必死だった子供は、大人になって、子供の親になって思うことは、自分の子供に、安倍元総理の言うように、美しい日本、誇りの持てる国を残してあげたいと思う。
他人のあらさがしばかりをしている人間にはなりたくないと思う。
化石化する老人にだけは、なりたくないものだ。
他人を思いやれない老人なんて、幸せな人生を送ってこれなかったのだろうと思う。だから、他人に対して攻撃的なのだろう。
安倍元総理の国葬で、人とはとあらためて考えさせられた。